かつて、二人で青い怪鳥を捕獲し、エルタがヒオンに自分のことを語った日。
ギルドからの応援が到着し、帰還の準備が整ったところで、ヒオンがエルタに声をかけた。
「なあ、エルタ」
「どうした?」
「お前の後ろの方の名前ってさ、たしかミストウォーカーだったよな」
「そうだが」
「オレの後ろの方の名前はウィンドウォーカーだ。……なんていうか、ちょっと痛いかもしれないけど……ええいもう言うぞオレは」
何やら一人でぶつぶつと呟き、意を決したかのように頬を叩いてエルタと向き合う。あの時の自分はきょとんとした顔をしていただろうと、エルタは思っている。
「なんかいろいろ悩んでるっぽいけど、相談したかったら言えよな。
後頭部で指を組んで。土と血で少し汚れたウルク装備を朝日に照らしながら、いたずらっ子のような笑みで。
「オレは
ヒオンは、そんなことを言った。
「…………なあ」
「どうした?」
「無言で返されると、オレ死ぬほど恥ずかしいんだけど」
「よく考えたなとは思った」
「ああぁーもう! この朴念仁!!」
ヒオンが叫びとも呻きともつかない声を上げて、ヒオンがギルドのアイルーたちの元へと駆けていく。仕事をしていたほうがまだましと思ったのかもしれない。
そんな彼を見やってから、エルタは僅かに目を伏せた。
ミストウォーカーとウィンドウォーカー。霧の中を歩く者と、風の中を歩む者。考えたこともなかったが、確かにそういう側面もある。
そうか、霧の中を歩いているのか。自分は。
対して、彼は風の中を歩むのだと言っていた。確かにその姓は彼に合っているとエルタは思う。
五匹の竜の話や、導きの青い星の話は何度も聞いた。各地を転々としながらも、その先に海の向こうの新大陸を掲げるその在り方は、世界を駆ける風を連想させるものがある。
その風はもしかすると、エルタの目の前に立ち込める霧すら、晴らしてしまえるものかもしれない。
だが、もしそうだとしても。
霧が晴れた先に、何もなかったのだとしたら、ただの虚空が広がっていたとするなら。
エルタという少年は、果たして次の一歩を踏み出せるのだろうか。
霊獣キリンは、あの体躯で大樽爆弾の爆発をもろに食らっておきながら、その後も凄まじい生命力を発揮した。
紫水晶の角から溢れ出る冷気は全く衰えることなく、むしろさらに強くなっているようにさえ思えたほど。
エルタたちの背丈を優に超す大跳躍を見せたかと思えば、そのまま雷のように氷の結晶を突き落としたり。突然ゆっくり歩き始めたと思えば、幾筋にも連なる氷の剣山を出現させるなど、自らの力を余すことなく使ってエルタたちを迎え撃った。
何より恐ろしいのが、エルタたちを一気に追い詰めた、あの一撃。
もしかすると、あの瞬間に習得してしまったのかもしれない、目の前の空間を隔絶して限界まで低温を与えるあれを、常用の攻撃手段として用いるようになったことだ。
次にあれの直撃を受けたら死ぬ。それはごくごく自然なことだった。
あれは防具がどうこうというよりも、生き物が二度も放り込まれて生きていける攻撃ではない。むしろ一度食らって生きていたのが奇跡にも等しい。
空気が無理やり拉げられるかのような軋みの音が予兆だ。それが聞こえたら、何よりもまず離れる。そしてそこに近づかない。これに尽きる。
恐ろしさを上塗りするかの如く、あの攻撃はその範囲まで広い。小さく見積もっても十メートル以上、ドーム状の空間が切り取られて白銀に染まる。
実際、かなり消耗しているヒオンが逃げ遅れ、右足のふくらはぎから下が巻き込まれた。
「足先が爆発した」と、脂汗を浮かべながら、無理やり笑みを作っていた。
恐らく、言葉通りの意味だろう。あれは防具の氷耐性程度ではどうにもならない。それらを貫通して冷気を与える理だ。恐らく、右足の指が何本か千切れている。
欠損は回復しない。もう、受け入れるしかない。
それでも、それでもだ。エルタたちは、攻勢を崩すわけにはいかなかった。
恐らく、この古龍はまだ若い。二人はまだ熟練の狩人とは呼べず、付け入る隙などいくらでもあるだろうに、対応しきれず後手に回っている印象がある。その有利を最後まで維持しきれなかった時点で、こちらが狩られて終わる。
体力的に厳しいのは明らかにエルタたちの方だ。有利など名ばかりのもの。それでも、攻めの姿勢を崩さない。守るために足を止めるのではなく、攻め込むために足を動かし続ける。
何度胃の中のものをぶちまけたかも分からない。手足は肉離れを起こし、破けた肺は身体を鉛のように重くする。口は血の味しかしない。酸欠で思考は鈍り、視野は狭まる。あれ以降、耳も鼻もまともに利かない。
泥仕合だ。本当に死に損なっているだけ。死んだほうがましだという考えが頭にちらつくほどの苦痛は、かつて経験したことがない。
だが、覚悟してきたことだ。二人の腕で古龍を相手にすれば、死ぬかそれに近しいところまで達するのは分かっていた。
死ぬ可能性の方が高いから、遺書を書いてきなさいとギルドマスターに言われた。
だから遺書を書いてきた。それでも挑むと決めたのは、ヒオンたちなのだから。
攻め込む。迎え撃つ。回避する。潜り込む。斬り裂く。弾かれる。叩き付ける。
返り血を浴びる。血を吐く。回復薬を飲む。倒れる。起き上がる。
回復薬が尽きる。受け止める。受け流す。
足を一歩前へと。前へと。前へ────。
その、果てに。
「エルタ。榴弾ビン全弾装填、完了だ……!」
「分かった。あとは任せてくれ」
比喩なく永遠と思われるほどに長かったヒオンの合図に、エルタは短く返事をした。
眼前には、冷たい闘気を未だ漲らせる霊獣の姿がある。何度切り裂いても、骨を砕いたと思っても立ち上がってくる。その想いは両者に共通するものかもしれない。
だが、それも最後だ。
格好の良いことを述べているように見えて、いよいよ追い詰められているのは二人の方だった。
これを最後にしなければ限界が来る。恐らく先に動けなくなるのはエルタの方で、間を置かず殺されるだろう。二人で支えてきた戦線だ。その時点でヒオンも詰む。二人の若い狩人の挑戦は、そこで幕を閉じる。
その一手はヒオンに任せた。やはり、エルタのソルブレイカーでは火力が足りない。
その分、霊獣を食い止める。ヒオンが全力の一撃を確実に叩き込むために必要な時間、霊獣の足を止めるとエルタは言った。
ヒオンはそれを信じた。方法も何も尋ねずに、じゃあ任せるとだけ言って、慎重にその場から離れた。
だから、そう。これからは、エルタと霊獣キリンの一騎打ちだ。
静かに自らの得物を構えた。手の感覚などとうに失われたが、握力はかろうじて残っている。
霊獣が前脚を軽く漕ぐ。突進を仕掛けるときの癖のようだ。しかし、エルタはその場から動かない。ただじっと待ち構える。
霊獣の角が氷に包まれていく。もうその光景は何度も見たが、やはり美しいと思う。
鋭利な角の先端はエルタに向けられる。今度は避けても無駄だと宣言しているかのようだった。
「避けないさ」
そうエルタが呟くと同時に、霊獣が勢いよく地を蹴った。
彼我の距離は十数メートルほど、一瞬で詰められる距離だ。かの古龍もかなり消耗している。これで仕留めるという気迫が氷というかたちを伴って迫ってくる。
エルタは剣斧の柄から片手を手放した。その足を留めたまま。
瞬く間に霊獣の姿が大きくなっていく。エルタはそのまま動かない。
霊獣の氷角が眼前まで迫っても、エルタは動かずに。
その鳩尾を、霊獣の氷角が貫いた。
「ぁ、かは」
流石は古龍の力の源と言える器官だ。人ひとりの胴を貫くのはあまりにも容易い。
そのまま数歩押し込まれ、そして角ごと持ち上げられ、串刺しのまま掲げられる。
痛みというものは、度を超すと鈍るのだな、と思った。
「え……? エ、ルタ……?」
キリンの後方で、盾を斧へと変形させて構えていたヒオンは、呆然とした顔でこちらを見やる。
ぱきぱきと腹が凍り付いていく、その顔を真っ赤に染める程の血が噴き出すかと思ったが、凍って血すら流れないとは。
しかし、そんなことはどうでもいいのだ。ショック状態で息すら止まりそうになりながら、エルタは懸命に声を張り上げた。
「やれ! ヒオン! 今の内に!」
「でもおまえが──」
「早く!!」
「……ッ!」
分かるだろう。分かれ。今しかないということに。
霊獣が異変に気付いた。エルタを振り飛ばして、背後にいるヒオンを警戒しようとする。
させない。無策で腹を差し出すものか。エルタは霊獣を羽交い絞めにした。
ぞぶり、とさらに深く氷の角に沈む自らの身体に、視界が暗転しかける。それでも力は緩めない。
霊獣が滅茶苦茶に暴れ回ろうとするより前に、片手に持っていた剣斧の刀身部分から、腕ほどもある大きさの黒い瓶を取り出した。
滅龍ビン。変形機構が凍結させられ、剣状態がほぼ封じられたことで、これまでほとんど活かされなかったそれを取り出す。
滴る黒い液体。充填量は申し分ないどころか、暴発寸前まで至っている。人体に影響はないはずが、瓶を握る手を爛れさせるほどに。
この霊獣は知っているだろうか。龍殺しと称される赤い実の存在を。刀身の血を淵水晶でろ過し、赤い実の粉末と反応させて出来上がる液体の龍属性を。
思えば、自分はいつもこんな戦い方をしてばかりだ。
霊獣が何かを察して身構えるよりも早く、エルタはその咥内に片腕を突っ込み、滅龍ビンの中身を注ぎ入れた。
霊獣が硬直する。異様な反応。人が口に入れても無事では済まないだろうが、それよりもさらに激しい拒否反応を起こす。
全身に漂っていた冷気が、ふっと薄れた。針山のように逆立っていた鬣が柔く沈む。
エルタの武器の半身を捧げて訪れた、その瞬間は。またとない好機で。
その背後から、燃え盛る斧を振りかぶる少年が。
「あ、あああぁぁぁッ!!」
超高出力属性開放斬り。
内蔵のビンのエネルギーを一度に消費して放たれる斬撃。ガンランスの竜撃砲やスラッシュアックスの属性開放突きに並び立つ、狩猟武器の最大火力への挑戦の一つ。
纏った炎が軌跡を描く。榴弾ビンの波動が響く。
斬撃というよりも破砕と称されるその一撃は。足を止めた霊獣の黒き背中へと吸い込まれて。背骨をくの字に折り曲げて。
その体躯を、地面にまで叩き付けた。
ふっと、放たれていた冷気が途切れて。
霊獣キリンが、再び立ち上がることはなかった。
「くそっ、血が止まらない……!」
「ヒ……オン」
「血さえ止めれば。心臓と肺は外れてるから大丈夫なはずだ……!」
既に日は暮れた。白い霧によって薄らいでいた月光が、少しずつ地面に届き始める。
霊獣の氷角によってエルタの胴に開けられた大穴。それそのものを覆っていた氷が融ければ、とめどない血が流れ出した。
応急処置の範疇を遥かに超えている。だが、泣き言は言っていられない。緊急信号弾は既に打ち上げた。ギルドから救援部隊が到着するまで、エルタの命を持ちこたえさせなくてはならない。
「すま……ない……ごほっ」
「遺言なんて言い出したら張り倒すからな。おまえは生きて帰るんだよ……!」
包帯を口で引っ張り腹に巻く。傷跡に回復薬を浸した布をあてがう。震える手で、それでもできる限り迅速に。
包帯も傷当て用の布もみるみるうちに消費されていく。迷いなく自身の医療キットに手を出して、エルタの命の欠片が零れ落ちていくのを止めようとする。
「それ、は……自分、に……」
「うるさいっ! つべこべ言ったら張り倒すって言っただろ!」
涙声を隠そうともしない。狩猟のあとから血を拭ってすらいないから顔がぐちゃぐちゃだ。
必死の形相だった。純粋にエルタを生かすことだけを考えている様子だった。ヒオン自身も、誰が見ても重傷と呼べる状態なのに。
「ヒオ、ン。聞いて、くれ……」
「聞かないぞ。オレは聞かないからな。勝手に話してろ」
そう言って黙々と手当てを続ける。そこに言外の意味があったのかどうかは分からないが、ヒオンはエルタの言葉を遮るようなことはしなかった。
形容し難い痛みが腹部から常に押し寄せて、ともすれば気を失いそうになる。むしろそうやって運を天に任せた方が苦痛はずっと少ないだろう。
けれど。エルタは意識を手放すつもりはなかった。ヒオンに伝えたいことがあるのだ。
「ヒオン。もし……僕が、死んだら。あの古龍の素材から……剣斧を一つ、作ってほしい」
「…………」
「使い道は……遺書に、書いてある。いつか、必要になる日が……来るはずだ」
ヒオンは黙ったままだ。困った。もしこの願いが聞き届けられなければ、またとないだろう機会を失うことになる。
仕方がない。正直に話してしまうしかないか。朦朧とする意識が、解けきってしまう前に。
「僕は、君に……ひとつ、嘘をついていた」
「…………」
「僕が、こうやって無謀になるのは……明るい夢があるから、じゃない」
「…………じゃあ、何だったんだよ」
やっと返事を返した。その話になら乗ってくれるだろうと思った。代償として、もっと怒らせてしまったもしれないが。
エルタが自身の命を厭わない狩りをすることを、ヒオンはかなり心配していた。だからあの日話し合ったのだ。その理由を偽っていたというのだから、黙っていられないだろう。
だが、あのときは誤魔化すしかなかった。話せなかったのだ。なぜなら────。
「僕は……自分の命を、大切なものとは思わない」
あの日のヒオンの心配を、今の必死な治療を、完全に裏切るものだったから。
エルタは、ヒオンに嫌われたくなかったのだ。
エルタは、あの日に語らなかった自らの一面を、訥々と語った。
少女の物語に魅入られて、少女が語って聞かせた最後の物語に
「途方に暮れて……しまったんだ。世界は……とても、広かった」
幼いエルタが考えていたよりも、ずっと。遥かに。
ハンターになって、広大な荒野に立って。
物語に辿り着くための道が分からなくて、途方に暮れてしまった。それでも、進むことしかできなかったから。
「強くならないといけなかった。…………その強さは、どこから来るのだろうと思って。……捧げられるのは、この命しか、なかった」
誰かを巻き込むわけにはいかないと思っていた。受け入れられたのは、将来に路を別つことが確定しているヒオンくらいで。
一人で「物語のような強さ」を手に入れるには。不器用なエルタに思いつく選択肢はほとんど残されていなかった。
狩りの度に大怪我をするような無茶をしていたのは、自分はそう在るべき人間だと定義していたから。
狩りはエルタに与えられた試練のようなもの────自らの命の価値は、自らによって定められない。それを決めるのは、物語だ。エルタが描かれるかも分からない、物語。
死ぬならそこまでだ。そこまでの人物だったというだけの話だ。死なないなら、また次の狩りへ赴くだけ。そしてそれを、幾度となく繰り返す。
そこに感情は伴わない。快楽も達成感もない。不器用であることは分かっていても、エルタには淡々と進むことしかできなかった。
あの日語られた古龍たちのように。彼らに立ち向かい、あるいは唄を遺した人々のように。煌びやかな物語の役者を演じることはできなかったから。
気が付けば、戦いに身を投じている。モンスターを倒すことばかりを考え、殺しの技術に傾倒している。
果たして、そんな人物が物語に描かれるだろうか。英雄譚の主人公には程遠い、狩人の在り方すら違えた何かが。
エルタの生きているうちに、おとぎ話に語られた大地の源の龍が現れるかすら分からないのに。
エルタ以外の誰も、その話を知らないのに。
エルタだけが駆られている。エルタだけが囚われている。
自らの命を試し続けたその歩みは、物語にふさわしくない在り方へと踏み込んでいた。
けれど、立ち止まることだけは許されない。彼女の物語の誰かになるには、土俵に立つにはそれしかないから。
ハンターとしての道を進み始めた日から、心の中にその矛盾はあって。
その先に、エルタは。
話し切った。
何度も喉をせりあがる血に言葉を詰まらせながら、ともすれば、気が遠くなる感覚に抗いながらも、最後まで話すことができた。
短い独白だ。だが、十分だろう。それだけしか語ることがないのだ。エルタという少年の人生は。
これが自らの終わりなら、それを受け入れる。奇跡的に助かるのなら、また死地へと出向くだけ。おとぎ話の古龍の手がかりがつかめるまで、あるいは死ぬまで、それを延々と繰り返そう。
「……聞く価値も、ない話だ。忘れても、いい」
短くそう言って、エルタは目を閉じた。
このあと、ヒオンがどうするかは分からない。ただ、彼のことだ。治療行為を止めることはないだろう。
険悪なまま別れたくはないが、これはエルタ自身に原因がある。だから、せめてしっかりと受け入れる────。
ドンッ、と。
地面に何かが叩きつけられる音が一つ、エルタの耳元に届いた。
思わず閉じた目を開く。その目の前には。
右腕の肘から先を、エルタのすぐ傍の地面に叩きつけるヒオンの姿があって。
何よりも、エルタが驚いたのは。それが、見間違いでなければ。
「ふざっけんなよおまえ!!」
ヒオンの目から、大粒の涙が溢れていたことだった。
「どうして言ってくれなかった。どうしてそこまで抱え込んだ!」
「ヒオン……?」
ぽたぽたと、エルタの頬にヒオンの涙が零れる。
涙とは、怒りで流れるものだったか。いや、それは、悲しみによって発露するものであったはず。
「いいか言ってやる。おまえが矛盾って言った殺しでな、オレは命を救われてるんだ。オレは夢を追えてるんだ。おまえがいなかったら、オレはここまで来れなかった!」
心の底から、言葉にしがたい感情を無理やりぶつけるようにヒオンはまくしたてる。
エルタは何も答えられなかった。それは、これまでに与えられたことのない感情で、ただただ圧倒されていた。
「物語の登場人物に相応しいか? オレが証言してやる。『もちろんだ』! そうじゃなきゃ、今ここで助けようとするものかよ! おまえに生きてほしいって、思うものかよ……!」
エルタが目を見開く。
そしてヒオンは。
「その子の記憶は本当に、生き方を決めるくらい大切なんだろうさ。でもな、オレは! バルバレで一緒にいただけのオレはな。エルタみたいなやつがおとぎ話の古龍に辿り着くんだって、おまえなら辿り着けるって信じてる!!」
エルタはあまりにも不器用すぎる。どこまで自分を追い込めば、そんなに無機質に自分を扱えるのか。
けれど、その根底には少女の物語がある。夢が、あるはずなのだ。
それを受け入れるのは本当に難しいことかもしれない。だからエルタは責任などという理論で押し固めてしまっている。
ただ、たとえどんなに自己評価が残酷なものであろうと。
その一部を寄り添ったヒオンは、その姿を、とても
今の生き死にに関わらず、これからのエルタが、歩む先も年月も分からないという彼に、指し示すものなど何も思いつかないけれど。
ふと、彼が振り返ったときに。
ヒオンの言葉が思い出せるように。
「死ぬまでそれを忘れるな。刻ませておけ。それと、もうひとつ……!」
だから伝われ、伝わってくれ。お願いだ。
歯を食いしばって、絞り出すように。拳を握って、感情が言葉を止めることがないように。
たとえ、人の価値観は他人によって変えられるものではなかったとしても。
「おまえの生き方を、おまえ自身がつまらないなんて言うな! 一人でそんなに、そんなに頑張ってたのに、それを何の価値もなかっただなんて言うなぁ……!!」
自らの歩みを、自ら軽んじる。
それだけは、エルタの目の前にいるヒオンが許さない。
おまえの人生を、オレは無価値だなどと言ってやるものか。
「…………ああ」
十秒ほどの間をおいて、それまで黙ったままだったエルタは、その言葉だけを返した。
ヒオンは涙を拭い、再びエルタの怪我に向き合う。本来は、こんなことをしている場合ではない。けれど、このやりとりを通して、決意は一段と強くなった。
「死なせない。死なせないからな。おまえはバルバレに帰るんだ。絶対に……!」
もう手を止めるな。最後の最後まで止血を試みて、清潔を維持し、体力を持続させろ。
霊獣の遺体の傍らで、ヒオンの戦いは続いた。自らの怪我と全身の凍傷を顧みることなく、エルタの命が零れ落ちないように、一心不乱に手を動かした。
数時間後、ギルドからの救援部隊が馴染みのハンターを引き連れて訪れて。
エルタが急患として担架で運ばれるところまで見届けた直後に、ヒオンは糸が切れたかのように倒れた。
慌ててアイルーが駆け付けたが、ただ極度の疲労で気を失っただけのようで、同様に担架で運ばれる結末となった。
次回、最終話です。