> 少女と竜の物語(1)
あの戦いから数日後、リオレウスが森へ戻ってくる気配がないことを確認した三人はモガの森へと帰還した。
エルタの請けた依頼はこれで終わりではない。成果報酬の形式に則った長期依頼だ。エルタの意志か、村長と受付嬢のアイシャが状況の鎮静化を判断するまで、この村を拠点として狩猟、探索を続けることとなる。
リオレウス撃退のタンジアへの報告は、モガの村とタンジアを行き来する連絡船が請け負った。受付嬢と村長のサインがあれば成果を疑われることはない。
リオレウスの逃亡の報告を受けたモガの村の村長は、険しい顔をして彼の息子とソナタを交えて話し合っていた。それだけ異例のことだったのだ。
やがて、ソナタとエルタに海底遺跡の調査が依頼された。アストレアはチャチャとカヤンバと共にモガの森へ再び出向くことになった。今のモガの森はそれだけ注意を払わなければならなかった。
三人は休息を取りつつ、再び村の外へ出向くための準備をしていく。
村の加工屋の爺はエルタの持つ穿龍棍という武器の整備をしたことがなかったが、エルタはこの地方ではそれが当たり前であることが分かっていたため、予めメゼポルタの加工屋から基本的な技術書を持ってきていた。さらに加工屋の爺が目新しい武器にやる気となり、問題なく整備は進められた。
そして数日後。エルタはソナタと共に、かつて大海龍ナバルデウスが根城にしていたという海底遺跡へと赴いた。
ごぽり、と。
口から吐き出された空気が、泡となってゆらゆらと浮き上がっていく。体に纏わりつくひんやりと冷たい水の感触と、全身にかかる圧。それらにはもう慣れてしまった。
エルタは今、海底遺跡の最終地点へと来ていた。
ここへと辿り着くまでは、まるでドンドルマの砦のような広大な縦長の水中通路がずっと続いていた。
しかし、この場所はそれらとは一線を画する、巨大な円筒形の空間が広がっている。その壁面には画一的に配置された横穴や建造物らしきものが見える。海底遺跡と言うくらいだから何らかの人工物はあるだろうとエルタは考えていたが、まさかこれだけの規模のものに出迎えられることになろうとは思ってもいなかった。
見上げてみれば、遥か上の方に小さく水面の光が見えた。全身を圧迫されているように感じるのも頷ける話だ。きっとかなり水圧が高いのだろう。ここで武器を振るうのはなかなか難儀しそうだった。
しかし、とエルタは水の中を漂いながら思う。ここでの戦いを心配する必要はなさそうだ。
海底遺跡に大型モンスターの姿は見当たらなかった。今までに痕跡らしきものも見つかっていない。遭遇することはないだろうとエルタは見積もっていた。
と、エルタは空間の底の方でソナタが手を振っていることに気付いた。水中では人の声は届きにくく、口の中のイキツギ藻も無駄に消費してしまう。二人で情報を伝え合うには金属を打ち付けて音を鳴らすか、視認しかない。
「上の方を調べながら水面を目指して、村に戻ろう」ソナタはそういった旨のことをハンドサインでエルタに伝えた。エルタは片手を上げてそれに応え、ゆっくりと上の方の壁面へと泳いでいった。
「エル君って泳ぐの上手いね。長い間水中にいても疲れないみたいだし……訓練を受けてるって言ってたけど、どこで教えてもらったの?」
「……ドンドルマにいたとき、偶然タンジアで教官をしているという人物と知り合った。彼に金を払ってドンドルマの水上闘技場で指導してもらったんだ」
「うん? タンジアの教官ってひょっとして……エル君、その指導にいくら請求された?」
「十万ゼニーほどだが」
「……ああ、あの人だ……。相変わらずあくどいなあ。でもエル君がここまで泳げるようになってるからいいのかな……?」
海底遺跡のベースキャンプに接岸させておいた小舟の上で、ソナタは額に手を当てて空を仰いだ。その後ろで櫂を持ったエルタは首を傾げている。
海底遺跡からモガの村まではそう離れていない。帆船で半日ほど海を渡れば辿り着けてしまう。だからこそ過去に海底遺跡に棲みついたナバルデウスの影響が深刻だったのだ。
今は朝方。防具は既に乾いているので寒いということはない。
武器を振るうようなことはなかったので、風を見て帆の角度を調整し、櫂で方向転換する以外に特にすることがない。エルタとソナタは二人で雑談をしていた。
これまで狩り一筋だったエルタはどうやら金銭感覚が身についていないようだ。恐らく言い値で指導料を払ったのだろう。払いすぎだとソナタが言ってもあまり気にしていない様子だった。
タンジアの教官と言えば、以前達人ビールという酒の事業で成り上がって、調子に乗りすぎて大転落したという経歴である意味有名だ。教官になっただけあって指導力は確かなので、真面目に仕事をすればまっとうな生活を送れるのに、と周囲では囁かれていた。
「……ソナタはどうなんだ。ハンターを志す前から泳ぎは身に着けていたのか」
「ううん。私はモガの村の人たちに泳ぎを教えてもらったんだ。ここに来る前はぜんぜん泳げなかったよ」
「……ソナタはこの辺りの出身ではないのか?」
エルタはやや驚いた。ソナタは村の人々と同じくらい日に焼けているし、細身ながら逞しい体躯をしている。泳ぎの技術もかなりのもので、水中での行動がしやすいラギアシリーズを着ていることもあって、エルタはついていくだけで苦労した。
そんな彼女はてっきりこの辺りの出身なのだろうと思っていたし、ハンターになる前は泳げなかったというのもなかなか信じがたい話だった。
「うん。私の出身はここから遠く離れた場所だよ。なんて言えば人に伝わるかな……そうだ。大砂漠って知ってる?」
「……ああ。峯山龍の」
「そうそう。ジエン・モーランで有名だよね。私はあの大砂漠の近く……ってほどでもないんだけど、あの地方にある集落の出身なんだ」
もとは遊牧の民の子どもだったのだとソナタは語った。そこでは家族の繋がりがそこまで重要視されないらしく、ハンターを志すことも難しくなかったらしい。
「砂上船でロックラックまで行ってね。そこでモガの村の専属ハンター募集の張り紙を見つけたんだ。そこから竜車と船を乗り継いでここに来たんだよ」
なるほど、とエルタは頷く。エルタはその辺りの地方のことはよく分かっていないが、水中での狩りはロックラックギルドとタンジアギルドの十八番というのはハンター界隈では通説だった。モガの村はその点でロックラックと繋がりがあったのだろう。
やがて二人の話題は互いの経歴の話に移ろっていく。過去の事情でこういった話をしたがらない者もいるが、その枷がない人々にとっては定番のようなものだった。
「私の名前、ソナタ・リサストラトって言うんだ」
「リサストラト……『巨人』の意味か」
「あれっよく知ってるね。ひょっとしてエル君って凍土地方の出身?」
「いや、出身はフラヒヤだが……同じ民族言語が使われているらしい」
「うーん、フラヒヤと凍土は海を跨がないといけないくらい遠いのに、不思議だね。それで、私の父親は凍土地方の人種の血が流れてるらしくて、とっても背が高かったんだよ。私も若干だけどそれを引き継いでるみたい」
確かに、ソナタは女性にしては背が高い方だった。顔つきもこの辺りの人々とはどことなく違う。大剣使いにしてはやや細身だと感じていたが、筋肉の質も異なるのかもしれない。
その話も興味深かったが、エルタはソナタにひとつ訪ねたいことがあった。
「さっきの海底遺跡の最終地点で、ソナタはナバルデウスと相対したのだったな」
「うん」
「……たった一人で」
「そうだね。すごく大変だったけど、なんとか撃退できたよ。あのあとは一週間くらい身体が動かせなかったなあ」
懐かしそうにソナタは笑う。まるでそれは何気ない過去を思い出しているかのようだ。
実際に彼女がやったことは、この世界にも数えるほどにしかいないだろう偉業、古龍の完全単独での撃退だ。いくら誇っても足りないくらいなのに、ソナタは全くその雰囲気を感じさせない。エルタはその在り方がどこから来るものなのか知りたかった。
「こういう言い方は褒められたものではないのかもしれないが、ソナタとモガの村の繋がりはほとんどないところから始まったはずだ。さっきの話だと、人種も彼らとは違う。それなのにどうして、そこまでのことをやり遂げることができたんだ。もしよければ教えてほしい」
エルタの目は真剣そのものだった。ソナタはやや照れたように頬をかいて「そんな大層な信念とか持ってないよ……?」と前置きをしつつ、吹いてくる風の音に負けないように少し大きな声で話し始めた。
「さっき家族の繋がりが薄かったって話したよね。それのせいかもしれないんだけど、私は人が助け合って暮らしていたりだとか、みんなで笑ったりしているのがとても眩しく見えるんだ」
「憧れ、のようなものだろうか」
「うん。そうかもしれない。その憧れはハンターになりたての頃はあまり自覚していなかったんだけど、だからこそ、どこかの村の専属ハンターっていう職に惹かれたんだ。もしかしたら私も、頑張ればそこにいる人たちの一員になれるかなって」
「……それが、モガの村に来た理由」
「うん。そこから結果だけ話すと……ううん、エル君も村にしばらくいたからわかるかな。村の人たち、すごく温かいでしょ?」
ソナタの言葉にエルタは頷いた。規模こそ小さいものの、ソナタが憧れたという人々の助け合いを実践している村だ。辺境の村によくある排他的な雰囲気も感じさせない。それはきっと、村人たちがその努力をしているからなのだろう。
「いい人たちばかりじゃないっていうのは当たり前の話なんだ。生活が苦しい人だっているし、素行が悪い人もいる。でも、生きづらさを感じている人は少ないんじゃないかなって、私はそう思ってる」
「……」
「私がここに来たときは、村は地鳴りにずっと悩まされてて大変だったはずなんだ。沖合の方に棲みついたラギアクルスが漁船を襲って壊したりして、魚もあまりとれなかった。苦しい生活だったはずなのに、それでもあの人たちは私に泳ぎを教えてくれたんだよ。ジャギィやルドロスを一苦労して狩ってきたら、ありがとうって言ってくれた」
朝の陽光が彼女の瞳に反射する。黒色の髪とは対照的な、銀色の瞳。灰色に光が宿って、銀色に見えるのだ。
エルタはソナタの言いたいことを感覚的に捉えることに努めた。ハンターは文学者ではない。言葉で伝えきれないことも多くあるだろう。だからこそ、その情景を掴もうとする。
「エル君は気付いていたかな? この村の人たちはみんな同じ人種ってわけじゃないんだよ。海の民って人たちとそうでない人たちが半々くらいなんだ」
「……手にヒレがついている人々だな。それと、彼らは大人になると体に紋様を施しているようだ」
「流石、よく見てるね。私に泳ぎを教えてくれたのはその人たちなんだ。海の民って呼ばれてるだけあって、本当に泳ぎが上手いんだよ」
竜人族、土竜族、海の民。人間にもソナタとモガの村の人々といった細かな人種の違いはあるが、身体的特徴も大きく異なるような人種もこの世界には数多く存在している。
彼らは種族単位で固まって集落を立てていることが多い。竜人族は人間社会にも溶け込んでいるが、それは村の指導者や研究者といった、人間社会のある役職に就いているという意味での繋がりだ。この村のように、それぞれの種族がほとんど同数で、互いに手を取り合っているというのはかなり稀なことだった。
「人間と海の民が助け合って暮らしてる。それに私も加えさせてくれた。それは私にとってとてもかけがえのないものだったんだ。そうやって好意的になれたから、この村の好きなところをどんどん見つけていける。語り出したら一晩だって足りないくらい」
ソナタはおどけたように笑った。エルタは笑うのが苦手で、少し顔をこわばらせる。
ただ、ソナタはエルタがここにきてから一度も笑っておらず、それが不機嫌から来るものではないことを知っていた。だから気にすることなく話を続ける。
「だから私は、私のできることを精いっぱいやろうって思ったんだ。この村の人たちにお返しをしていこうって。私にとって、それは狩りを頑張ること以外に他ならないんだよ」
「……それが、ナバルデウスを倒せた理由に繋がる、と」
「そうなるね。狩りの秘訣とかそういうのなくてごめんね? ただただ定石の通り。そんなに強い力がなくても大剣を振るい続ける工夫をしてるくらい。それを続けていったら、地鳴りの原因だったナバルデウスにも挑めちゃった。割と気合で何とかしちゃってることが多いかも」
苦笑しつつもソナタはそう言って締めくくる。しかし、エルタが知りたかったのはその気合の出どころだった。
ソナタの狩りの技術が完成されているといっても過言ではないほどに高いことは実績から分かる。そうでなければ古龍と相対した段階で死んでいるはずだ。
きっと才能というものはあるのだろう。ただ、古龍の圧倒的な体力の前には技術に上積みして、自らの体力を持続させること、そして精神の要素がどうしても絡んでくる。
「『帰る場所がある者は強い』そんな格言があるが、ソナタはそれを実践しているんだな」
「そう、だね。一言でまとめたらそれが一番すっきりするかも」
「専属ハンターらしい理由だと思う」
「ふふ、ありがとね」
それはエルタにはない強さだ。ただただ前に進んでいくためだけの人生を歩んできたエルタは「帰る場所」を強く意識できない。
それ故にソナタの在り方から何かを学ぶことはできないが、それでもエルタはソナタの話を聞けてよかったと思った。これから先、誰かの助けが必要になったとき、ソナタは信頼ができる。なぜなら彼女は強いからだ。
そのときのための布石は打てた。しかし、ソナタの話を聞くうちにエルタはもう一つの疑問を生じさせていた。
「……彼女とはいつ頃知り合ったんだ?」
「彼女って、アスティのこと?」
「ああ。さっきまでの話に彼女が出てきていなかったのが気になってしまった。彼女とは最近知り合ったのだろうか」
エルタがそう問いかけると、ソナタは頬に指を当てて、んーと考え込む。それは記憶を探っているというよりも、どこまで話してもいいのかと悩んでいる様子だった。
「うーん。この話はきっとアスティと二人でするのがいいよ。今はアスティとの関係だけ教えるね。
アスティと私が出会ったのは、私がナバルデウスを撃退したあと。モガの森の奥の入り江で出会ったんだ。
この前話した通り、アスティは森の中で竜に守られながら生きていたからね。そのときにいろんなことがあったんだけど、長くなるから省くよ。でも、アスティは森から出て村に来ることを選んでくれた」
つまるところ、エルタの予想通り、ソナタとアストレアが出会ったのは最近だったようだ。ソナタの話によれば、チャチャとカヤンバと出会ったのもそのころだったらしい。
何とも不思議な出会いだとエルタは思う。突然おとぎ話の世界に飛び込んだかのようだ。「長くなるから省くよ」の間に何があったのかを聞いてみたさはあったが、本当に長くなるのだろうと思ってエルタはそのまま流すことにした。
「ところで、エル君にちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
「……なんだろうか」
「実はアスティってけっこう前から悩み事があるみたいなんだ。二人きりのときにそれを聞いてあげてほしいんだよ」
「……それは、ソナタがやるべきことではないのか」
思いがけない要望にエルタは戸惑う。
ソナタとアストレアの仲がとても良いことは普段の様子を見ていれば分かることだった。その間に入ってしまってもいいのだろうか。
「なんだか私には話したくない事情があるみたいなんだよね。それっぽいことも言われちゃったから、強くは言えないし……外から来て、アスティが懐いてるエル君になら話してくれるかもって思ったんだよ」
身近にいるソナタには話したくない悩みとはいったい何なのか。エルタには皆目見当がつかなかったし、その悩みを解消してやれる自信もなかった。
しかし、ソナタにはモガ村に来てからいろいろとお世話になっている。彼女のお願いを無下にもできない。しばらくの間迷ったエルタは重々しく口を開いた。
「……分かった。やれるだけやってみよう」
「ありがとう! 私には内容を話さなくてもいいよ。内通者みたいなことはしてほしくないし、アスティもそれを望んでるはずだから。狩り以外のことで申し訳ないけど、よろしくね」
そうソナタが言ったすぐあとに、少し強い風が帆に当たった。「おっとと」と言いながら立ち上がって帆を支えるソナタと、その向こうの水平線を見やる。
海の向こうで何かが起こっていることをいち早く察したアストレアは、今何を思っているのだろうか。
彼女もまた、今、海と空の狭間を見ている。なんの理由もないが、そんな気がした。