三五三鎮守府の軌跡―救済には悪意をもって   作:多々良ひつじ

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【着任】11月30日
朝から雨が降っていた


 朝から雨が降っていた。

 

『まさに“滝のような”という感じでしょうか?』

『そうですね。今の時間、多くの方は帰宅の真っ最中だと思います。これから真夜中に向けて、雨は更に強くなります。不要の外出は避けた方がよいでしょうね』

 

 駅前にあるビル壁につけられた大型スクリーンは、報道番組を流していた。

 台風にも似た大型低気圧の影響だと、繰り返しその映像は主張している。

 予報通りの大粒の雨が、銃弾のように地面に打ち付け始めると、人々は傘の内に体を擦りつけるように身を縮こませていた。

 数名の学生グループが悲鳴とも歓喜とも言えぬ声をあげながら、三歩先までの狭い世界を継ぎ足して、小走りに道を抜けていく。

 時折痛みと寒さを訴える声を、混じえながら。

 

『シトシトとした雨だったなら、雪になったかもしれませんね。この雨でこの気温は大変珍しいですね』

 

 まだ温かい日があるとは言え、それはたまのこと。

 今は十一月三十日――季節は確実に冬を演出していた。

 

 同刻、海近を一人の男が歩いていた。

 台風中継があってもよさそうな海岸通りをその男は傘をささず、苔色のゴムシートを巻きつけたような見るからに重々しいポンチョ型の雨衣――レインコートに、身を包んでいる。

 この雨、この風。さらに海特有の潮風も加わっては、傘があってもむしろ邪魔になるかもしれない。

 そういう意味では男の格好は、一つの選択として理解できる。

 もしこの男を見ている者がいたら、海軍関係者と思った事だろう。

 男の歩く先、勾配の急な坂道の向こうには、鎮守府がある。

 そう関連付けるのは当然だ。

 が、何も鎮守府に向かう者が必ずしも軍人とは限らない。

 百九十はあるだろう、長身。

 それに見合う――いや、それ以上に存在感のある肩幅。

 身にあたる雨音も掻き消される豪雨の中でもブレない歩み。

 深く被ったフードで顔は見えないが、一度も下へと俯くことなく。あごを突き出し天を恨む事もなく。ただただ、前だけを見据え続けるその面。

 そういった男の纏う雰囲気は、“これ正に”だ。

 日はすっかりと、沈んでしまった。

 当然だ。

 本来なら、車で乗り付けるような距離を歩いているのだ。

 途中途中には、申し訳ない程度の街灯が立っていたが、路面にまでその恩恵は届いていない。

 相変わらずの――いや、さらに強く降る雨の中を、男は変わらぬ呼気で進む。

 と、とうとうその足が止まった。

 大きく吐いた息は、白い。

 疲れたからという事ではなく。目的地についたからか、呼吸を整えた吐息だった。

 

 【三五三鎮守府】

 

 ダンプで突入しても、ひしゃげてしまうのはダンプの方。そうとしか想像できない頑強な門の柱には、そう掲げられている。

 数ある横須賀鎮守府に属する分団の一つ。

 三百五十三番目の鎮守府なのか、編成上のタグなのか。噂では、戦力隠蔽の為、無作為に決められているとも。

 男は門柱脇の検問所へ、何の感傷もなく歩みを進めた。

 

「やっと来てくれたか。かわいそうに……」

 

 ため息交じりの呟きが検問所の奥より、男の耳に滑り込んできた。

 何かしらの指摘、指導がこの来訪者へあるかと思えば、そんな事はなく。

 規定通りの手続き。

 規定通りの確認。

 規定通りの結果。

 男は今もレインコートのフードを深く被ったままなのだが、その指摘さえない。

 むしろその指摘さえも煩わしいのか、検問所の憲兵は、あえて機械的に振舞っているように映る。

 淡々と進む手続きの間、ふと男が視界に収めた鎮守府は窓明かりが乏しく、深く闇に喰われていた。

 送り出しの声も無く検問所を出ると、男は空中に漂うソレにすぐに気がついた。

 検問所の向こう。

 鎮守府の正面口との間にある闇の深いところに、鬼火としても明るさの足りない揺らめきが二つ。

 男はソレを避ける事もなく。目をそらす事もなく。むしろソレに挑むように、再び身に打ち付ける雨中を淀みなく足を進める。

 打ち弾かれた雨が、人型の輪郭を浮き上がらせる。

 その頭部と思わしき処が、件の蛍火と認識できる程度に近づいた時、おもむろにソレから声が放たれた。

 

「お待ちしておりました」

 

 声の感じは、女だ。

 男は止まらず、返事もせず、更に足を進める。

 夜雨のため、月も星も照らすものは無い。どんな理由か、他の鎮守府より館内外の灯りが乏しい。

 男は声に答えるよりも、更に近づく事を選んだようだ。

 声の通り、そこには一人の女性が立っていた。

 至って普通の女性だ。いや、美人と呼べる女性を普通と称してよいのだろか。

 目を引くのは、黒の長髪に着けた青いヘアバンド。下縁眼鏡。線の細い印象を与える背格好は、いかにも事務職といった感じだ。そして何よりも、仄かに光るソレが、彼女の海色の目から溢れている事か。

 ただ、その待ち方は異常だった。

 セーラー服を袴風に直したような服は、雨に濡れ――というよりも、水中に沈んでいるように、体にベッタリと張り付いている。赤いネクタイや帯紐には、もう色が変わるところがない。

 岩に張り付いた海藻のようになった髪。

 眼鏡の縁からは、絶えず滴というには控えめすぎる量の雨水が流れてる。

 足元のアスファルトの上は、雨水が川のように流れ、夜の暗闇と路面の暗さが合わさり、川というより海面のようだ。

 そんな中、彼女は傘どころか雨具と呼べるものを、一切身につけていない。

 その濡れ方は、今あわてて迎えに来たようなそれでは、ない。

 まるで、わざと濡れて待っていたと思わせるかのようでさえあった。

 理解しがたい光景からか、男はかすかに首を傾ける。

 と、直立不動な姿勢を保っていた女性は、一瞬身体を強直させると、あわてて海軍特有の脇をしめた敬礼をした。

 

「失礼いたしました本日の視察に協力させて頂きます。おおよ――」

 

 続けて女性が名乗ろうとしたが、男は熊のように無骨な手を開き、それを制す。

 

「……このような雨です。先にお部屋へ向かうべきですね……こちらへどうぞ」

 

 男――視察官は、彼女の名乗りを制した際、一瞬だが“開き直り”とも”あきらめ”ともとれる目をした事をわかりながらも、それを聞こうとはしなかった。

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