三五三鎮守府の軌跡―救済には悪意をもって   作:多々良ひつじ

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引き戸がノックされた

 引き戸がノックされた。

 反応はない。

 

「駿河だ」

 

 訪問者は駿河だった。

 声をかけてから間が空くが、駿河は動かない。

 間違いなく中に誰かがいることを、確信しているのか?

 その割には一度戸を叩いただけで、再び戸を叩きつけるようなそぶりも見せない。

 

「どうぞ」

 

 扉越しに、やっと届かせる程度の返事があった。

 駿河は当たり前のように引き戸を開けて中へと入っていく。

 

「このような恰好で申し訳ありません」

 

 ここは大淀の生活部屋。

 今、カーテンは引かれ、十分な日差しが室内を明るく浮かび上がらせている。

 大淀は備え付けの三段ベットの一番下で、布団と影に包まるように、そこにいた。

 

「今、何時だ」

 

 慌てて布団から抜け出そうした大淀を制するように、駿河が声をかける。

 

「一〇二七、17、18、19……」

 

 脈絡ない駿河の問いに、大淀は躊躇することなく答えた。

 秒数までを口にして。

 駿河は問い合わせたにも関わらず、自身の左手首へ視線を落とし続けていた。

 

「もういい。大淀」

「はい」

「貴様には、一三〇〇に予定している会議の補佐をしてもらう」

 

 大淀は、間の抜けた顔で小首をかしげる。

 

「秘書艦龍田、その補佐とした天龍。他、明石、夕張、間宮らは、同時刻に行われる物資搬出に立会わせる」

 

 駿河は、大淀に必要だと考えた情報を並べる。

 大淀は、それを噛みしめるように目を伏せて思考を整理していく。左胸付け根に残る、五つの痣に触れながら。

 即答のない大淀に、駿河は急かすように『出来るな』とも、『やれるか』とも声をかけない。

 ようやくと言っていい時間をかけて、大淀は力強く答えた。

 

「お任せください」

 

 大淀の返事に、一切表情を動かす事無く、駿河は背を向けて出て行こうとした。

 その時、

 

「あの!」

 

 一際大きな声が響く。

 駿河は退室するのを止め、大淀の次の言葉を黙って待った。

 

「本当なんですよね……本当なんです。あまりに……その……」

 

 布団の中で立てた膝に顔を押しつけ、青いヘアバンドが無いせいで前へと下げ塞がる髪を、はらう様にかき上げる。

 つい今しがたの自信に満ちた声はなんだったのか。

 フラッシュバックでもあったような変容ぶりだ。

 

「ただ、ギトギトして……ただ、ベタベタして……ただ、煩わしい……でも、これは」

 

 顔を伏せたまま話す大淀を、駿河ただ見つめている。不敬と叱する気配もない。

 

「頭では、いえ、体は理解しているんです。でも心が……」

 

 そこで大淀の言葉は終わってしまった。

 駿河は黙って立つ。駿河を雨の中待ち続けたあの時の大淀のように。

 

「一切の否定が出来ない……事実を……」

 

 視界はさぞかし歪んでいるだろう。

 顔を上げた大淀の瞳は、海色に染まっていた。

 呼吸を三十数える頃、駿河は制帽を正す。

 

「もう一度言っておく。愛情でも恋慕でもない。ただ、対処したに過ぎない」

 

 遠慮なく歩み寄る駿河から、大淀は目を逸らさない。

 

「なら、今度は手加減をしなくていいな」

 

 自身の上着ボタンに手を掛けながら、そう宣言する駿河に大淀は、

 

「手加減って?」

 

 手加減の無い状況。それを想像できず、未知の恐怖にも似た危機感が募っていった。

 部屋に差し込む日の位置が変わっていく。

 それに合わせ、床が照り返した光は、ベッドが抱む暗がりを徐々に剥いでいった。

 

「今、何時だ」

 

 大淀は、服の中にしまわれた後ろ髪を、手で払い抜きながら答える。

 

「一二四三です」

「良い頃合いだな」

「はい、参りましょう」

 

 これが最後とメガネをかけると、駿河の言葉に凛とした声で続く。

 

「ふぅー、間に合いましたねぇー。時間に遅れたら、あの司令官です。またお尻ぺ……やめましょう。妙高さんも、時雨も、付き合ってもらったせいで、食べる時間が無くなってしまって、恐縮です」

 

 同じ頃、近隣への案内を終えた青葉が、大食堂の出入り口をくぐっていた。

 食事を終えた艦娘達は、立ってまま、思い思いに集まっている。

 

「伊良湖からおにぎりを貰ってきたよ」

「ありがとうございます。時雨」

 

 いつの間に青葉を追い越したのか、お皿に並べられたおにぎりを持って、時雨がやってくる。

 

「ほら、妙高も」

 

 青葉に続いて入室した妙高は、修道女のような制服に包んだ体をひねらせることなく、顔だけをそむけていた。切りそろえられた前髪で、ハッキリと見える太い眉尻を少々跳ね上げて。

 

「あー、潜水艦組ですか?」

「ええ、青葉は知っているの?」

「なんだい? あれ? 潜水艦の皆は制服じゃないんだね」

 

 壁に並ぶ潜水艦勢は、皆一様に腰を紐で縛った白い貫頭衣のような物を着ていた。

 

「この後、精密検査の予定なんてなかったよね」

 

 時雨の感想通り、その姿はおしゃれを一切感じさせない。検査を受ける為の恰好にし見えないかった。足元もスリッパだ。

 

「ひょっとして、この集会は僕たちに精密検査を実施するとかの話なのかな?」

「あれはですねー」

「ムかれたでち」

「ゴーヤ、どういうことだい?」

 

 たまたま、時雨が疑問を口にしたタイミングで、ゴーヤが横を通りすぎようとしていた。

 やはり恰好は、貫頭衣にスリッパだ。

 

「ロリコンでち、変態でち、ハアハア言わなかったでち」

「ごめん。君が何を言っているのかわからないよ」

「気になるんですかぁ? いい情報ありますよぉ?」

「青葉、知っているのかい?」

 

 揉み手をしそうな様子の青葉に、『さっきまで、僕たちと一緒だったのに、どうやって知ったのだろう』と、感心していいのか、呆れていいのか、時雨は迷う。

 

「提督が没収したんですよ」

「何をだい?」

「ゴーヤたちの水着でち」

「ああ、そういう事かい」

 

 時雨は、今朝食堂で本日の作戦行動が中止になったと龍田からあった際、潜水艦組は絶対罠だと信用していなかった光景を思い出す。

 

「前から休みが欲しいって言ってたし、君たちには願ったり叶ってりじゃないのかい? 何が不満なの?」

「裸にされたでち」

「裸?」

 

 時雨の疑問に青葉が答える。

 

「信じられないって出撃をしようとするのを、明石と夕張が頑張ったんですけど、止めきれなくて」

「それで?」

「で、提督にご登場頂いたんですけど、それでも信用しないので、豪を煮やした提督が、制服を回収したんですよ」

 

 時雨があごに手を当てて考える。

 

「適切な対処だと思うけど?」

「全員、提督の前で脱がされたんですよ。『脱げ』って」

 

 その時の事を思い出したのか、ゴーヤは頬を膨らませた。

 

「そうなのかい?」

「そうでち」

「ふむ」

「ロリコンでち、変態でち、ハアハア言わなかったでち」

 

 時雨は、それならゴーヤの態度にも納得できる。そう考えたが、ゴーヤの言葉に引っかかるものを感じた。

 

「ちょっと待って、『ハアハア言わなかった』?」

「でち。ゴーヤたちの裸をどうどうと見ておきながら、顔色一つ変えなかったでち。ゴーヤに魅力がないとでも言うでちか。鼻の下の一つも伸ばすでち」

「それは、それで問題だよ」

「思い出したら、不愉快になってきたでち。もう行くでち」

「うん」

 

 スリッパを打楽器のように鳴らしてゴーヤは、仲間の元へ向かっていく。

 

「これって、前の提督と同じように、僕たち駆逐艦の見た目には興味がないってことかな?」

「んー、どうなんでしょー。まだ、取材が足りないなー」

「どうしたのさ妙高。ずっと黙って」

 

 今も潜水艦たちへ、顔を向けたままの妙高。

 

「妙高、こっちだ」

「ううん、なんでもないわ。今行くわ、那智。じゃあ、ここでね」

「はい、ありがとうございました。妙高さん」

「僕も飛んでくる前に、あっちに行くよ。」

 

 時雨の視線の先から、『ぽい』『ぽい』と聞こえてくる。

 

「時雨もどうもでした。さて、青葉は―― 一枚いいですかー」

 

 青葉は二隻を見送ると、カメラを構えて潜水艦たちへと突撃していった。

 青葉たちが退くのを待っていたように、大淀、駿河の順番で食堂へと入ってくる。

 それまで、不快にならない程度の喧騒に包まれていた室内は、水を打ったように静かになった。

 ステージ上、駿河は用意されている椅子に腰を下ろし、テーブルに肘をついて、組み合わせた手に、顎を載せる。

 大淀は、一度伊良湖の元へ向かい二三言話すと、迷いなく駿河の右手に立ち、静かに控えた。

 

「お疲れ様だ、妙高」

 

 先ほどの声を掛けた時より声量を落として、那智は妙高を労った。

 

「大人しくしていたようね、那智」

「な、この那智。一度飲み込んだものを吐き出すような、無粋な真似はしない」

 

 左に垂らした腰下まである長いサイドテールを揺らして、声を張り上げられない威勢を補う。

 

「そうね、那智は、うわばみだものね」

「妙高も似たようなものだろう」

「私は、嗜む程度よ」

「そんな事はないだろう。なあ、羽黒」

「あ、あの……あの……」

「やめなさい、羽黒が困っているじゃない」

「む、済まない。そういうつもりでは無かったのだが。が、羽黒が困ったということは、そういう事だと私は思うが」

「本当にあなたは――足柄、どうかした?」

 

 戦局が不利と見たか、妙高はステージを見つめる足柄へ声を掛けた。

 

「大淀の女が上がってる……」

 

 じっと見つめて考えるのは、姉妹艦ながらの共通点であろうか。

 

「そうなのか」

 

 那智は大淀を見て、首を傾げる。

 

「ええ、間違いないわ。大淀の良い女度が上がっているのよ。私には分かるわ」

「確かに昨晩までとは違い、こう一本、芯が入ったようには見えるが」

「で、足柄。どの辺がそう見えるの?」

「妙高姉さんが、珍しいわね。肌よ。張りと艶が違うわ。もう潤って来たばかりって感じだわ」

「た、確か……ずっと目の下が、く、くすんでいたような……」

「そうなのよ、羽黒」

 

 足柄は、テーブルを挟み立つ羽黒へ身を乗り出して迫る。

 

「そうね。でも、それだけ?」

「いいえ、妙高姉さん。腰よ」

「腰?」

 

 妙高型四隻は、そろって大淀の腰へ視線を集めた。

 

「そう。どういって言いかわからないんだけど、腰が落ち着いているというか、すっきりしているように見えるというか」

「あ、あの……、羽黒には、分かりません」

「ふむ、足柄と大淀は仲がいいからな。二人の間だけでわかる事もあるのだろうな」

 

 足柄は、わざわざハンカチを取り出して、その角を噛んで見せる。

 効果音を付けるなら『きー!』だろうか、『くぅー!』だろうか。

 

「そう」

 

 妙高は一言呟いた。

 大淀でなく、駿河を見ながら。

 

「時間だ」

 

 駿河の低い声が、室内を埋めた。

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