「ちょっと待って! 近海哨戒もしないってことよね!」
「そう言ったが。満潮」
駿河はひとり立ち上がって叫ぶ満潮へ、淡々と答えた。
「近隣の漁業組合へは、既に青葉が現地に足を運んでアナウンス済みだ。以後どうするかは、当人たち次第だ」
何を案内したのかを、駿河は口にしない。
「なにそれ!? 意味分かんない」
「満潮!」
横に座る朝潮の制止を振り切り、満潮はステージに上がる。
「襲撃があるかも知れないのに、黙って見てるなんて出来ないわよ!」
言葉とともに駿河が座るテーブルへ、その小さな両手を振り下ろした。
横に立つ大淀は、肩を揺らしたが、駿河にはなにも変化がない。
「なぜだ」
「なぜって、私達しか戦えないんだから、仕方ないじゃない」
「しか……タブラ・ラサか」
「誑かされてなんかいないわよ! 事実でしょう。な、なによ」
駿河は、テーブルに置かれた満潮の手に、自分の手を重ねた。
グローブのような駿河の手は、紅葉のように小さな満潮の手を、完全に隠した。
「触らないで、ウザイのよッ!」
代わりと言うように、駿河の右手が握り込まれ、ゆっくりと上がっていく。
「言葉で勝てないから、実力行使?」
抑えられた右手は、逃がさない為だと満潮は考えた。
なのに、満潮は駿河の突き上げられた拳へ、自らの顔を気持ち寄せて見せる。
殴られる事から、逃げない自分を見せつけようとしているのだろうか?
「ほら、やってみなさいよ。そんな座った状態で殴られたって、どうって事な、イッ!」
言葉の最後が呻きに変わった。
予想外の痛む場所に、満潮は目だけ下げる。
満潮の右手、駿河の左手が重ねられた上に、駿河が振り上げた右拳が置かれていた。
「何? ペン? 提督!」
駿河がその拳を解くと、そこには一本の棒が立っている。
多くの者が満潮の背に遮られ、何が起きているのか見えなかった。
例外は、大淀だけ。
一本のボールペンが、駿河と満潮の手を貫通し、突き立っているのを見た。
「痛いか」
「ただ、ペンを突き刺された……だけじゃない、どうって事、ないわ」
能面のような顔の駿河に、満潮は口をひきつらせる。
「また、アイツ」
叢雲は、なにかを思い出したように、険しく駿河を睨み見つける。
「わかるか? 痛みがあるという事が、どういう事なのか」
「艦娘に傷を負わせた? ただのペンではないのか」
満潮は、突き刺された手を動かさない。引き抜こうともしない。
先に動いたら負け。とでも考えているのか?
「長門、残念ながら特別な材質やモノではない。どこにでもあるものだ」
長門が口にした疑問に、駿河は律儀に答える。
自分には、何も起きていないかのような振る舞いだ。
「ちょっと、動かないでよ……い、いい加減……あんたの血でよ、汚れるから、抜いてほしいんだけど」
満潮は、血の流れ出る駿河の手を見つめて、そう催促した。
「そうだな」
駿河は事もなくソレを抜く。
吹き出す血が、満潮の手をさらに赤く染める。
抜いた勢いで舞う血飛沫が、満潮の顔や髪に付く。
満潮の目元はねたソレは、正に血の涙のように、頬を伝った。
「失礼します」
大淀がすかさず駆け寄り、駿河の手を取る。
駿河は大淀の好きさせると、大淀は自身の持っていたハンカチで強く結び、止血を試みる。
「大淀? どういう事ですかぁ?」
「どうかした? 青葉」
「うん。ガサあのね……やっぱり、なんでもないです」
自発的に駿河を介護した大淀。
今朝を知る青葉には、思わず声を出してしまう程に、信じられない光景だ。
もし、明石、夕張、間宮がいたら同じように驚いたかもしれない。
それほどの変化。
いや、変異だ。
龍田については、目を細めるくらいだろうか。
「人類側の武器で、深海棲艦を傷つけられない。――それは、間違いでは無いが、正しくもない」
駿河は血にまみれたペンを、右指でつまんで掲げる。
「触れる事の出来る程の殺意を込められれば、深海棲艦に傷を負わせることはできる。今のようにな」
「私が、深海棲艦だっていうの!」
満潮は解放さえた右手を、左手で握りしめた。
その向こう、未だテーブルに突っ伏したまま川内は、「へ~」と楽しそうに笑う。
「『触れる事の出来る程の殺意』。私はなんとなくわかるよ。神通もでしょ?」
もし声に色があったなら、今の川内の声は、黒というより、全ての色を混ぜ合わせた澱み色をしているだろう。
「もっとも、それが出来るのは一部の達人と呼ばれる者達だけ。しかも、毎秒千メートルに届こうかという弾に、意志を乗せきるのは、ほぼ不可能だ」
壇上で続く駿河の言葉を、神通は聞き取ると、
「姉さんも、達人という事でしょうか」
肯定することなく、悲しげに川内へと視線を送る。
「那珂ちゃんは、アイドルの達人だよ。キラリーン」
「那珂ちゃん……」
那珂へは、悲しい視線を送った。
「やってやれない事は無い。と言う事だ」
血の滴るペンを弾丸に見立てたのか、ペンをテーブルに置くと、自身のハンカチでソレを包み、胸内ポケットへ仰々しくしまった。
左手は、大淀が今もハンカチの上から、両手で包みこんでいる。
「だが、イ級一つに百万発もの弾丸を消費していては、話にならないがな」
満潮は、大淀を一瞥して、鼻を鳴らす。
「だから、私たちがその弾丸をしてあげてるんでしょ!」
背を反らせて、満潮が謳い上げる。
それを聞かされた駿河を、大淀はブレたように見えた。
「弾丸か……なら、満潮」
「なによ」
右手人差し指を立てて、駿河はテーブルを指先で叩く。
「ここに、代わりを出してみろ」
怪我を負った右手を抑えながら、満潮は片目を歪めて、駿河を見下ろした。
「何言ってんの?」
「満潮。弾丸だというなら、消耗品として、貴様の替りを、今ここに、用意してみせろ」
言葉の節に合わせて、駿河がテーブルを突く音が重なる。
「なにそれ! 意味分かんない。出来るわけないじゃない!」
「出来ないのか? なんだ、消耗品は直ぐに用意できるから消耗品なんだ――違うか」
「わ、私達は兵器……消耗品なんでしょ!」
満潮の、全身を使った叫びだった。
「現実を理解出来ない馬鹿どもに、どこまで毒されている」
駿河は大きく息を吐いた。
「昨晩も、今も……弾丸だ、武器だ、兵器だと謳うのは結構だが……どこが兵器なんだ?」
「じゃあ、人間だって言うの!」
満潮の叫びに、駿河はひどく熱の無い、機械的な口調で答える。
「――人間なわけないだろう」
「そうよね、都合のいい道具くらいにしか思っていないのよね」
満潮が早口に吐き出した言葉は、少なくない数の艦娘達の顔を伏せさえた。
「そうだ」
否定どころか、駿河は肯定した。
「艦娘の道具だ」
頭脳派と思われる艦娘が、その意味を探ろうとしている。
あるものは、つぶやき。
あるものは、天井を見上げ。
あるものは、無意味にメガネを直す。
「どういう意味だ。妙高」
「那智姉さん。苦し紛れで、意味なんてないんじゃないの」
「那智。足柄の言うとおりかもしれないし、違うかもしれないしれないわ」
「なぞなぞっぽい?」
「そうだね。そんな風に聞こえるね」
「レディーなら、簡単かしら」
「はわわわ。電には、わかならないのです。暁ちゃんすごいのです」
「私に頼ってくれてもいいのよ」
「なら、雷。答を教えてくれないか」
「えっと、ほら、なんでも人に頼っちゃだめよ。響」
「ハラショー」
駿河は、大きく息をついた。
大淀は、何か似た光景を思い出したのか、駿河の左手を握ったまま、落ち着きを無くしている。
「満潮」
「なによ」
「お前は、本当に満潮なのか?」
駿河が再び、なぞかけのような言葉を作る。
「あたりまえじゃない」
満潮は即答した。当たり前だろう。
「誰がそれを証明した?」
「はあ? 何言って――」
「在りし日の戦船の魂を持つもの」
満潮の言葉に、駿河はかぶせる。
「それはお前ではなく、お前が背負う艤装なんじゃないのか?」
満潮は背に、気持ちの悪い何かを塗られたように感じた。
「ちょ、ちょっと待って、なに! 私はお飾りで、背中の艤装が本物って言いたいわけ!」
「そう言っている」
「ふざけないで。私は意志があるわ! こうやって話しもしている!」
「何も言わない艤装には、意志がないと?」
「そ、そうよ!」
「道具のように使われる事に憤りながら、自身の艤装を道具扱いするのか。いやはや、滑稽だな」
駿河は三度、満潮の目名を呼ぶ。
「満潮」
自分が何を言ったのか、満潮は何度も口に並べた。
「意志が無いというなら、島風の、天津風の、連装砲は、感情豊かのようだが、あれは道具か」
退屈を爆発させている島風を、懸命になだめている天津風。
突然名前を呼ばれたことで、それがさらに加速したみたいだ。
天津風の怒鳴る声が、聞こえてくる。
「貴様の言うとおり、“艦”とする艤装、兵装は自ら動くことができない。それ故に、“娘”とした人形(ひとがた)を求めた」
「それが私だっていうの」
うつむき聞いていた満潮は、ヒステリーな感情を爆発させた。
「そんなわけないじゃない。私は私よ! 私が満潮なのよ! 満潮は私! 背中の艤装じゃないわ! 艤装はただの艤装よ!」
静まり返る室内を、まさに魂の叫びというべき満潮の悲鳴が響き渡った時、
「え?」
満潮の胸元の青いリボンが弾け飛んだ。
「こ……こんなところでぇ……。なんで……」
それを皮切りに、制服の至るとこが、千切れていく。
――大破
それを見つめる全ての艦娘は、満潮を見て思った。
「満潮!」
朝潮が名を叫ぶ。
その声を皮切りに、近くにいる艦、親しき艦が一斉に動き出す。
「動くな!」
駿河の一喝が、その全てを押し留めた。
誰も動かない事を確認した駿河は、大淀の手を振り切り、立ち上がって壇上を降りる。
自分の体を抱きしめる満潮に、自身の上着を脱いで、頭からかぶせた。
駿河の大きすぎる制服に、満潮は完全に隠される。
「おめでとう、満潮。貴様は今、艦娘の宿命から解かれた」
本来は白いワイシャツ姿なのだが、筋肉の浮き出る紺色の長袖シャツ姿になった駿河は、両手の傷を気にせずに、一人拍手を送る。
ひどく乾いた声で、こう宣言した。
「今は、ただの名もなき娘だ」
すでに巻かれたハンカチは、血を含むに限界を迎えていたのか、打ち合わせる手が血を巻き散らす。
祝福の花びらを振りまくように。
「改めて問おう」
未だ、駿河の声に縛られているのか。室内は海底のように静かで重い。
「貴様らは在りし日の戦船の魂を持つものか? それは、貴様らが背負う艤装、兵装なのではないか」
どこまでも重く響く声は、地の底から――海の底から聞こえてくるようだ。
「貴様たちが、兵装の威力を、艤装の能力を嘆くように。艤装も、兵装も、うまく自身を活用できない貴様らに、失望しているのではないか」
それは、艦娘が艦だった時に感じた、戦闘の記憶にも似ている。
艦娘なら、記憶を受け継ぐ者なら、一度は考える。
――あの時、もっと私を上手く使ってくれていれば。きっと……。
――あの時、私の声が届いたなら、もしかして……。
「この三日間、己の魂と真摯に向き合え」
皆が呆然自失としているままに、駿河は解散を宣言した。
「以上だ」
臨時集会は、こうして終わった。
――解散後しばらくして、一隻の艦娘の絶叫が響き渡った。
「この声!」
「お風呂場からです」
その声に気が付いた姉妹艦達はあわてて駆けつけると、着替え籠の前で、全身を濡らしたままへたり込んでいる姉妹艦を発見した。
何事かと着替え籠の中を覗き込む。
「何これ? このボロ布がなんだって言う……うそ……」
千切れとんだまま修復されない制服が、そこにあった。