「駿河だ」
艦娘宿舎の一室。その引き戸へ、駿河は戸をたたいた後に名乗った。
断りを待たずにさっさと開けて中に入っていくのが駿河だと思うが、今回は返事を待っているようだ。
「お待たせいたしました。提督、中へどうぞ」
中から出てきたのは、小柄な落ち着きのある女性。空母の祖――鳳翔。
巨漢と言っていい駿河の前に立つと、大人と子供のようだ。
駿河が巌なら、鳳翔は大海だろうか。
駿河を前にして物怖じする処か、どこまでも自然だ。
その佇まいは相当の胆力があればこそ。なのかもしれない。
「どうだ」
「はい、苦戦しています」
意図をくみ取るには少なすぎる駿河の口数に、鳳翔は戸惑いなく答えた。
駿河が言い直さない処を見ると、正しく鳳翔は答えたのだろう。
「上がらせてもらうぞ」
「はい」
一段高くなった畳床へ、靴脱ぎそろえて上がると、部屋の隅に置かれたちゃぶ台に駿河は腰を下ろす。
室内には一航戦の二隻が、互いに正座になって向かい合っていた。
それぞれの膝前には、自身の艤装飛行甲板が寝かし置かれて。
「粗茶ですが」
鳳翔が当然と用意する。
駿河は、湯飲みから鳳翔へと見やる。
「間宮さんに無理をいって、少し分けて頂きました」
駿河は白手を付けたまま、黙って茶を一啜りした。
息をつくと、改めて室内を見渡す。
「二航戦、五航戦の子達は、空き部屋にそれぞれ移させて頂いております」
鳳翔は独り言のように、駿河へ話す。
駿河は頷いて、再び赤城、加賀を見る。
二隻はそろって手に、白墨――チョークのような形、大きさの、赤茶けたペレットを、飛行甲板を将棋盤に見立てて指すように、構え続けている。
ちょっと砕けた表現なら、ドミノ倒しのドミノを、並べているような緊張感がある。
駿河は、彼女達の手先をしばらく観察すると、横に座り控える鳳翔を見た。
「はい、提督がおっしゃる通り。私はすでに習得済みです。そもそも、私が入港した頃は艦娘に食事を――補給をさせるといった考えがありませんでした。機械に見える艤装に行うことは、いたって自然な発想でしたね」
鳳翔の一方的な言葉は、駿河へなのだろう。口を開らかぬ駿河へ、鳳翔は話していく。
駿河は鳳翔の話しを目で受け止め終えると、茶をまたすすった。
「十六時を回ったか」
何も見ずに、駿河が呟く。
十二月の初日、冬至を控える今日の日の入りは十七時を過ぎるが、十分に夜を感じさせ始めた。
「はい、厳しい時間になりました」
鳳翔は、卓袱台から頭を下げてもぶつからない程度身を離してから、駿河へ一礼して立ち上がる。
頷き、駿河は鳳翔を目で追った。
鳳翔は部屋の隅で何かしらの小音を立てると、赤城、加賀へと近寄っていく。
その手には、明かりが灯されたランタンが。
炎特有の揺らめきがない。電池式なのだろう。
どうも部屋の照明を使わず、コレを使うようだ。
ランタンの明かりが、この修練には向いているのか。とも、まだこの部屋の外された照明の再設置が済んでいないのか。
裾を手で押さえて膝を折ると、鳳翔はそのランタンを赤城、加賀の間へ置き、そのまま立ち下がった。
「だろうな」
駿河は独り言つ。
視線の先、ペレットを挟む赤城の右手が、じわじわと上がっていく。
それは、十分な時間をかけて赤城の喉元まで届いた。
赤城の視線は変わらず、自身の寝かした飛行甲板を見据えているが、あご先がゆっくりと時計回りに回る。
右手のペレットが口の高さまで至った時には、右に向けられた口はゆっくりと開いていた。
「だめですよ」
「ぷぎゅ!」
赤城らしからぬ奇声が上がる。
頭を自身の飛行甲板へと突っ伏している赤城の後ろには、鳳翔が立ち微笑んでいた。
鳳翔はいつのに構えていたのか。自身の飛行甲板をハリセンのようにして、赤城の頭を張り飛ばしていた。
「赤城さん……ペケッ」
赤城の所業を、加賀は呆れるというより同情を溢れさせたが、言い終わりは、やはり奇声だった。
「加賀さんも」
鳳翔は、今度は加賀の後ろにいた。
まだ、頭を飛行甲板につけている赤城に対して、加賀はシュタッっとの音がピッタリ合う程の機敏さで姿勢を正した。
「心が乱れましたか」
「いいえ、加賀さん。赤城さんを見ながら、口へボーキを運んでいましたよ」
「そんな、馬鹿な……」
鳳翔の言葉に、加賀は信じられないと目を見開らく。
加賀の広がった視界中で、飛行甲板に頬を付けたままの赤城が、加賀を見ながら一つ、頷ずいた。
二隻とも何事も無かったかのように、姿勢を正すと、目を閉じて、瞑想をするかのように息を整える。
「一航戦の誇り……こんなところで失うわけには……」
「ここは譲れません」
赤城、加賀の何とも勇ましい発言だが、今は逆に情けない言葉に思える。
駿河は一連の流れを見届けると、お茶へと視線を落とした。
「そうですね。夕餉は一六三〇から。提督がおっしゃる通り、二人にはこの時間が一番こたえると思います」
当然と何も語らない駿河の左へ座ると、鳳翔はそう口を開いた。
「直接補給をすぐに行えるようになると思います。優秀な子たちですから」
「鳳翔さん、それは私のセリフです」
「加賀さん?」
「補給は大事」
「あの、提督? ごは……」
「赤城さん?」
「慢心しては駄目」
さすがは艦娘というところか、ただ部屋が静かすぎただけか、鳳翔の小声に、加賀、赤城が反応する。
「それよりもまずは、精神修養が先――ですね」
やれやれと、鳳翔は小さく首を振る。
精神修養――つまり、食べることを我慢するという事だ。
駿河が組んだ自分のあぐらに手をついた。
「はい。二航戦、五航戦の子達もこの後、様子を見てまいります」
鳳翔の言葉を聞きながら、駿河は立ち上がる。
無言で制服を正す駿河に、鳳翔は気兼ねなく、襟袖に触れて整えていく。
「状況については、その都度……はい、では三日後に報告を」
鳳翔が差し出した靴べらを黙って受け取ると、駿河はそれを使って靴を履く。
使い終わった靴べらを引き取る鳳翔へ、駿河は向き直り、その肩に手を乗せた。
「何かありましたら、遠慮なく相談させていただきます」
駿河の退室を見送ると、鳳翔は引き戸をそっと閉めた。
「なんだ、龍驤?」
「あれ、ばれてた?」
駿河の背後から、抜き足差し足忍び足と、小さな影――鉄のサンバイザーをかぶる龍驤が、息をひそめて近づいていた。
「それはそうと、キミィ。鳳翔とは、お知り合いやったの?」
「へっへー。見ーちゃった、見いちゃった♪」
「出てくるところしか見てないけど、まさに古女房って感じだったわよね」
駿河が振り返ると、龍驤の左右に、巫女服にも似た制服を着る隼鷹、飛鷹も、立っていた。
「それはそうと、昼間。面白い事言うてたな。ちょっち、うちらに時間くれへん?」
「いいだろう」
「ありがとう♪」
「おー、話が早くて助かるねー」
「さあ、時間を大事にしましょう」
そう言うと、三隻は駿河が動くの待たずに、自分達の部屋へと移動を始めた。
「なあー、提督ー。さっき龍驤が言いかけたけど、結局鳳翔とはどういう関係なんだよー。教えろよー」
ただ歩くことにすぐさま退屈したのか、隼鷹が後ろ頭で手を組んだまま、身をよじる。
「隼鷹、あまり立入るものではないわ」
「でもよー、飛鷹も気になるだろー?」
飛鷹は、後ろを歩く駿河を盗み見た。
「私は、別に」
「えー、嘘だー。裏切り者ー」
「裏切り者ってなによ!」
「まあまあ、二人とも。続きは、部屋に入ってからな」
二人を仲裁しつつ龍驤は、引き戸扉を開ける。
「まあ、遠慮せずに入ってー」
「お邪魔しまーす」
「私たちの部屋でしょうが」
冗談いう隼鷹、飛鷹と、順番と入室していく。
最後に入室した駿河は、戸に向き直ってから静かに閉めた。
「ほーん、怒らんか……」
龍驤のつぶやきに、飛鷹はそっと駿河を見た。
どうもワザとこの順番で入室したようだ。
「ちょっと隼鷹も見習いなさい。何べん言っても、後ろ手で閉めるんだから」
「足で閉めないだけいいだろう?」
「何言うとん。閉めるんは、後ろ手でも、開ける時は、足やん。君ぃ」
「あ、あれ? そうだったっけ?」
「はあ、隼鷹ったら。提督、どうぞ」
三隻は履物を脱いでさっさと上がると、自分達の指定席へと、畳床に腰を下ろす。
飛鷹は自身が座る前に、提督の場所と、座布団を敷いた。
「知り合いではない」
「え、提督。なに? 突然。どうしたの?」
片膝を立てて座る隼鷹を、飛鷹が指摘した。
「行儀が悪いわよ。だいたい、鳳翔さんとの事を聞いたのは、隼鷹でしょ?」
「あ、それか。いや、もう忘れてたよ」
「しかし、律儀やな。君も」
飛鷹に言われても、隼鷹は片膝を立てたまま、倒れる体を後ろ床に手をついて、支えている。
飛鷹は正座。龍驤はあぐらをかいている。
駿河はもちろん、あぐらだ。
「提督、茶菓子の一つでも出したいんだけどよ。あいにく無いんだ。ごめんよ」
「酒はあるようだが」
「い! あ、あれはほら、お神酒だから」
室内に隅には、神棚のような祭壇と、大量の和紙。その後ろには、隠されているように酒瓶の口が、タケノコのように生えて見える。
「ほどほどにしなさいよ、隼鷹」
「なんだよ、私だけかよ。飛鷹だって飲んでんだろ」
「ちょっと、あんた。何言い出してんのよ。私を巻き込まないで! 違うんですよ、提督。おほほほほ」
駿河は、制帽を正して事もなく言った。
「問題を起こさなければいい。間宮や鳳翔が要求したら、大人しく差し出せ」
「間宮はともかく、鳳翔って、もしかして?」
「整えばな」
「お、提督、分かってるー」
「私が言うのもなんだけど、いいのかしらこれで」
「貴様達は軍人ではない。些細な事を縛るモノがないからな」
「些細って」
隼鷹、飛鷹、駿河の会話を黙って聞いていた龍驤が、口を開いた。
「思った通り、目端がきくなぁ」
その顔は、『退屈しのぎみっけ!』と言わんばかりに、目を輝かせていた。