三五三鎮守府の軌跡―救済には悪意をもって   作:多々良ひつじ

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遅かったわね、大淀

「遅かったわね、大淀」

 

 鎮守府正面口エントランスに入ると、視察官へ声がぶつけられた。名を呼んだ者へではなく。

 視察官の男は『また、声からか』と、内心で吐露する。

 

「叢雲!」

 

 視察官を迎えた女性――大淀は、たしなめるように語尾を強めた。

 

「分かっている。分かっているわ」

 

 と、暗がりの中。滲み出すように姿を現した叢雲と名を呼ばれたソレは、ため息を混ぜて続けた。

 

「でもね、こいつが遅れた事で、あいつがヘソを曲げて、大淀に八つ当たり」

「なら」

「おかげで大淀は、ずぶ濡れ……ええ、分かっているわ。こいつに非はない。これは私の八つ当たり」

「だったら」

「でもね、だからって納得できないのも事実なのよ」

「ちょっ、いい加減に」

「だいたい、一七○〇に到着予定だったんじゃないの? 海沿いのあんな離れたバス停からこの暴風雨の中、歩いて来たわけでもないでしょうに! 二時間以上もの遅れなんて。あり得ないわ!」

 

 無遠慮に視察官へ近づく叢雲を、大淀は制止しようとしたが、間に合わない。

 

「で、視察官? 査察官ではなくて、ね……」

 

 迎えに出ていた大淀が『叢雲』と呼んだ女性……いや、少女は、視察官に近づきながら上から下まで――上から上までだろうか――視線を這わせた。

 値踏みをするようにではなく、値踏みなのだろう。

 視察官の胸下から、当然と見上げ続けている。

 

「コートを、お預かりします」

 

 大淀は自らの髪も拭かずに、視察官へと手を伸ばす。伸ばした腕の肘あたりから、服にしみ込んだ雨水が滴り流れ出していく。

 

「頼む」

 

 野太い声がコートのフード内から響く。

 特に声を張り上げているわけでもない――むしろ、夜という時間を気にしてか、声量を抑えたように思わせる。

 それでもその声は、だからこそか、低く、和太鼓の音のように、低く、低く、頭蓋へ響かせた。

 その声に、にじり寄っていた叢雲は立ち止り。大淀の身体は、無意識に近づく。

 視察官は、特に気にした風もなくフードを剥がした。

 出てきたのは、雄の顔。

 二人――叢雲と大淀の、息を飲む音が重なった。

 お世辞にも、二枚目とは呼べない。

 刈り込まれた坊主頭。日焼けした顔。ヒゲはきれいに剃りあげられているが、眉は筆で書いたように太く、顔筋の上に乗っている。

 奥まった目は、鋭く切れあがり、まさに兵士の顔だ。

 見つめてくる二人を何ともせず、視察官は淡々とコートを脱いでいく。

 下からは、やはり軍服姿が出てきたのは当然だが、その動き一つ一つが、服の下にあるだろう筋骨隆々とした肢体を簡単に想像させる。

 放心する大淀の伸ばしたまま腕へ、コートを裏返して掛ける。

 と、どこから取り出したのか視察官は、制帽のつばの正中をとって眉間に掛けた。

 

「ん?」

 

 視察官の、文字通り目の前に、先端の鋭利な機械的な何かが二つ浮いていた。

 単純に、いつの間にか視察官にぶつかる程までに、叢雲が近づいていただけなのだが。

 視察官がアゴを引くと、自身の胸下、朱色に光る叢雲の目と合う。

 視界の隅を騒がしているウサギの耳を機械的に造形したような青い発光を伴うソレは、叢雲の頭の上に浮いていた。

 叢雲の呼吸の上下に合わせて、同じく上下に動いているところ見ると、頭上に固定されているのだろうか。

 先の大淀もそうだが、叢雲もまた特徴的な姿だ。

 小柄な体躯は、鞭のようなしなやかさ感じさせる。

 黒いインナーの上に着た肩を落とした白いセーラー服風のワンピースは、しっかりとボディーラインを強調している。

 そこから突き出した脚は、モデルのように長く、上半身より肉付きが良い。

 黒いストッキングを着けている事もあり、上半身だけならともかく、全身を視界に納めると、黒いボディーストッキンングを着けているようにも見え、少女と呼ぶには艶がありすぎる気がする。

 青みのある銀髪は、身体を包めるほど長く広がり、房のようにした横髪を、肩前にそれぞれ垂らしている。

 頭上の機械的な何かのためにSF的な印象を与えそうだが、垂れ髪を縛る赤い組紐や、同じく赤い組紐の肩飾りなどは、神道的な何かを連想させる。

 それにしてもだ。と、視察官はその姿――両胸に縦に開いたスリットと、簡単に脱げ落ちてしまいそうな服の仕組みに、何の意味がと考えさせられていた。

 まあ、大淀のスカート。その両脇のスリットも、視察官にとっては“大概”なのだが。

 

「もらうぞ」

 

 視察官は叢雲が持っていたタオルを受け取ると、無造作に大淀の頭を拭き始めた。

 

「あ、だ、大丈夫です。わ、私達は、この程度でどうと、なる事も、ありません、から」

 

 放心していた大淀も、さすがに直接触れられれば、正気に戻ろうというもの。

 ましてや、繊細とは程遠く、頭を振りまわされるように拭かれては、出る言葉も覚束ない事だろう。

 

「ちょ、あんた。やめ――」

 

 叢雲が状況をやっと理解して止めようとした時には、視察官は満足したのか、濡れたタオルで自身の袖口を拭き始めていた。

 

「大淀。大淀っ」

「え、あ、はい」

「ちょ、大丈夫なの?」

 

 いい感じに脳をシェイクされたからか、大淀の反応は鈍い。眼鏡はずり落とさせ、髪は寝ぐせのように巻きあがっている。

 その二人のやり取りを気にすることなく、視察官はタオルで足元を拭こうと屈みかけると、大淀はひきつるように声を出した。

 

「あ! す、直ぐにお拭きます……」

 

 

 慌てて視察官の前にしゃがみこむ。

 まあ、拭いてもらえるのならと、視察官は身を起してタオルを差し出したが、大淀はそれに反応しない。

 どうするのかと見守っていれば、大淀は濡れた服が肌に引っ掛かるに苦戦しながらも袖を握りこむと、おもむろに視察官の靴へ袖を伸ばした。

 

「やっ……」

 

 唐突に大淀が小さく悲鳴を漏らす。

 視察官の手が大淀の髪を掴み、引きずり上げていた。

 無理やり髪を掴まれ立たせれた大淀は、自然と身をよじっろうとしたが、視察官の目と視線が絡むと、恐怖を顔に張り付けたまま大淀は動けなくなってしまった。

 視察官は、大淀の髪を掴みあげたまま、何も言わない。

 

「……っ。申し訳ありません。私などが御身に触れようといたしまして……」

 

 大淀は、なぜこうなっているのか理解できていなかった。

 しかし、今ある恐怖から逃げるために理解しなければと、必死に考えをめぐらす。

 恐怖で回らない頭で考え出たのが【自身が承諾なく人間に触れようとしたから】だ。

 視察官は何も言わない。

 

「――放しなさい」

 

 機械的な装着音とともに、叢雲は艤装槍を視察官に突きつける。

 その刃先は、視察官の目を撫でる距離にもかかわらず、視察官は大淀だけを見つめ続ける。

 

「こけ脅しじゃないわ。いい? 放しなさい。でないと、光りを一つ失うわよ」

「貴様の服は、靴を拭くためのモノか?」

 

 視察官は叢雲がいないかのように、大淀へ繰り返す。

 

「貴様の服は、靴を拭くためのモノか?」

「違います」

 

 視察官の目を強く見つめ返して大淀は一言答えたが、すぐに目を伏せてしまった。

 横合いから叢雲が、声を掛けようと息を吸い込むのがわかると、視察官は突きつけられた槍越しに、叢雲を見据えた。

 

「し、しかし、私達の服は、私達同様破損しても修復することが可能です。だ、だから汚れをふき取っても、すぐにキレイに……」

 

 視察官をにらみつけて振り絞る大淀の言葉は、終いには音にならない。

 

「そうか。今はタオルがある。拭くのならばタオルを使え」

「何するのよ!」

 

 言い聞かせるように大淀へ視察官が告げていると、突然叢雲が叫んだ。

 

「あんた。今、自分から刺さろうと動いたでしょ! 馬鹿なの!」

「……ふらついただけだ」

「はあ? そんなガタイで、あるわけないでしょ。あんたねえ――」

 

 叢雲との会話中一度も大淀から視線を外さなかった視察官は、唐突に大淀の名を呼んだ。

 

「大淀。案内を頼む」

「え、あ、はい。えっ」

 

 髪を掴んでいた手が、いつの間にか頭に置かれていることに、大淀は小さくない驚きを覚えた。

 

「ちょ、あんたねえ、酸素魚雷をぶち込むわよ!」

「行くぞ」

「あ、はい。あの……」

「何だ」

「私の名を」

「名がなんだ。違ったか」

「いえ、先ほど外では」

「雨の中で、長居をする必要があったか」

 

 視察官は、さっさと執務室へ向かおうと一つ足を出して、止まった。

 

「あっ」

「右と左どちらだ」

「……上です」

「そうか」

 

 男の足は、少し気まずそうだった。

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