「満潮、いいわね? 一度閉めたら、次は夜が明けた後よ」
「やって、明石」
満潮の返事に、明石は頷くと営倉の扉を閉めた。
よく映画で描かれる銀行の金庫を閉めたような、重厚な音が鈍く響く。
「気が滅入るわ」
吐き出す息が白く染まる。
満潮が入った営倉は、三畳程度の細長く、薄暗い。
トンネル照明のようにオレンジ色の弱い灯りが、白い壁に反射している。
満潮が壁に手を触れると、ザラリとした感触に合わせて、得も言えぬ脱力感に苛まされた。
「サンゴが練り込まれた壁――ね」
艦娘の為に用意された営倉だった。
「さてと」
部屋の一番奥。
すでに置かれている艤装へ向かう。
「大潮ったら」
今さっきの事なのに、随分前の事のように、満潮は思い出していた。
――責任も、結果も、二人一緒なんだよ、満潮ちゃん――
――ここまでが大潮。ここからが満潮ちゃん。は、無いんだよ。きっと――
「なにそれ、意味分かんない」
言葉とは裏腹に、満潮の口元は緩む。
「静かね」
鎮守府地下にあるこの場所は、今は満潮しかいない。
天井の上では、他の艦娘達の声が飛び交っているのだろう。
満潮は改めて、独りを実感した。
「あの底にいるみたい」
身をぶるりと震わせて、自身の体を抱く。
「何で、こんなの着てなくちゃいけないよ」
心の底からの嫌悪。
今の満潮は、駿河の制服の上着を長い袖をまくり、ワンピースのように着ている。
真っ白い制服には、文字通りの血しぶきが残っていた。
「他を用意されたら、負けた事になる」
臨時集会以降、満潮の制服は、いくら入渠しても修復される事は無かった。
手元にあった服替わりのモノは、駿河の制服だけ。
同室の艦娘達は当然、制服以外の私服を持っていない。
部屋のシーツや、カーテンを巻いても良かったのだろうが、
「そんなことで連帯責任とか言われたら、たまんないわ」
と言う事らしい。
裸でいることも出来ず、周りには駿河の制服を着ることで、気丈にふるまって見せた。という事なのだろうか?
本当の処は、一体何なのだろうか?
「これが、……なの?」
目が暗さに慣れてきたのだろう。
毒づきながら、自身の艤装の前に用意されたパイプ椅子へと、腰を下ろす。
「錆び」
兵装は無く、背に負う艤装だけ。
艦橋を強調された艤装の所々が、赤茶に変色している。
身を乗り出して指を伸ばす。
触れるか触れないかの所で、満潮の指は迷う。
「こんな事」
破損は有っても、錆びなど見たことも聞いたことも無い。
満潮は言い知れぬ恐怖に、手を戻して服を強く握ったが、それが駿河の制服だと思い出すと、引き千切るように捩じった。
「ふー、……ただ、じっとして向かう」
言葉にした通りに、満潮は大きく息を吐いて、じっと艤装を見つめた。
「大潮」
時間が経った。
日の陰りも、ここでは意味を持たない。
満潮は感じていた。
今初めたばかりのような気もすれば、半日以上の時間をこうしているようにも。
おかしな話である。
艦娘ならば、自前の体内時計で、正確に時間を把握できる。
艦娘ならば。
「何?」
不意に満潮の耳に、ザワザワとした――例えるなら大量の虫の足音でも言う、不快なノイズが聞こえてくる。
周囲の壁、天井を見回しても、何も無い。
「なんでもない。大丈夫。そうよ、問題ないわ」
自分に言い聞かせて不安を払おうとしたが、その怪音は段々大きくなる。
耳を手で塞いでも、いや、塞いだ後の方が、より鮮明に、より不快さを増して、満潮の耳を埋め尽くした。
「もう、や――」
満潮が叫び声を上げかけた時、悲鳴から逃げるように前触れなく止んだ。
「もう、なんだったのよ。モヤ?」
満潮と艤装の間に、モヤが掛かっている。
目をこすって、もう一度と見た。
「緑、赤、青、何よこれ……」
部屋が、緑一色に、次に赤、次に青と変わり、ついには目の粗いドット絵のようになった。
最後には、満潮の視界は砂嵐に埋まると、闇に染まっていった。
「本当に、なんなのよ」
「馬鹿者」
「誰が馬鹿者よ……」
力無い呟きを残して、満潮は前に倒れ込んだ。
□ □ □
「どこかしら、ここ? なんか暖かいわね」
満潮が意識を取り戻して、目に飛び込んできたのは、文字通りの真っ白な空だった。
「天井――には見えないわね。体が軽い?」
天井も壁もない。どこまでも白い空間に居る事に、満潮は疑問を覚えていないようだ。
余程体を重く感じていたのか、ただ体を起こしただけなのだが、満潮は驚きを感じている。
「誰?」
立ち上がる。
胸元の大きな緑色のリボンが、釣りスカートベルトの間でふわりと舞った。
「そこに、誰かいるの?」
足元は雲の上にでもいるように、ガスが掛かっている。
満潮は気配のした方向へと、その中を臆することなく進む。
「やっぱり、誰かいるのね」
徐々に薄くかかるモヤの中に、人影らしき輪郭が見えてきた。
「私?」
そこには、満潮が立っていた。
「随分と傷だらけなのね」
満潮が疑問にしたのは、前に立つ満潮の姿だ。
制服は奇麗なのだが、顔と言わずそこから覗く腕先や太腿にも、大きな傷跡があった。
「あなた、誰?」
傷のだらけの満潮――“傷有り”は、黙って満潮を見つめている。
「何よ、言えないの? ああ、そうか……私の替り……ってわけ?」
“傷有り”は目を伏せる。
「なによ。自業自得って言いたいの? ああ、そうね。私じゃ力不足ってことね?!」
“傷有り”は、口を裂くように開いて、激しく体を揺らした。
「何? なんなの? 何にも聞こえないんだけど。言いたい事があるなら言いなさいよ!」
満潮の言葉に、“傷有り”は天を仰いだ。
その喉にも、大きな傷跡がある。
「あなた傷だらけね。入渠させてもらえてないの? でも、服は奇麗になっているし、入渠しても治らない程の怪我……そんな事聞いたことないけど。激戦を潜り抜けてきたって事かしらね」
“傷有り”は、まだ上に顔を向けたままだ。
何かを悩んでいる風にも見える。
「『消耗品なら用意してみろ』なんて、用意してるじゃない!」
身をかがめて、満潮は足元を踏みつけた。
「私達は戦う道具で! 守るのが当然で! それしか理由が無くて! だから! だから! だから!」
何度も、何度も、踏みつける。
「結局、私はいらないのよね」
気が済んだとでも言うように、ゆらっと身を起こした。
首が座らないのか、頭の重さに負けて、首は傾げたままで。
「……ラナ……イ……ナイ……」
“傷有り”が何か言っている。
耳を澄まさなければ聞こえない程度だ。
呟くように声が小さいのか、上を向いたままで声に出しているからなのか。
瞳の輝きを無くした満潮は、正対する“傷有り”からの声など、どうでもよくなっていた。
上を向いたままの“傷有り”の出す声が、段々と大きくなっていく。
そういえば、さっきも似た事があったな。
満潮は、漠然と思った。
「私はイらナイ」
“傷有り”は顔を戻すと、満潮のまねをするように、首を力なく傾けた。
「あんたは、必要なんでしょ」
満潮は面倒と、投げやりに言葉を返す。
「アんタ、必要」
「そうよ」
「あンタ、必要、あんタ」
「あんた、あんたって、うるさいわね。私は満潮よ」
うざいと、満潮は腕を横に振る。
「アンタ、満潮、アんた、必要」
“傷有り”が力ある言葉を、初めて口にした。
「満潮、必要」
黒く塗りつぶされた満潮の瞳の中で、火花が散った。
「なんなよ、さっきから! 必要とされたあんたが、満潮で! 私は満潮じゃないって言うの!」
“傷有り”まで疾走すると、満潮は大きく右拳を振り上げた。
「ふざけないで!」
“傷有り”の左頬に、満潮の拳が食い込む。
“傷有り”は、その衝撃に体をのけ反らせる。
しかし、すぐさま右足を大きく横に開いて、“傷有り”は倒れそうになるのを耐えた。
「何よ。ふんっ」
満潮は、腕を組んで“傷有り”を見下す。
「フザケナイデ!」
“傷有り”が強烈な右フックを、満潮の左頬に放った。
満潮の意地か、大きく頭を吹き飛ばされながらも、足を踏ん張らせ、倒れ込むのを強引にねじ伏せる。
「いいわよ。やってやるわよ」
満潮と“傷有り”の殴り合いが始まった。
互いに距離を取り、殴り掛かられては躱す。
ボクシングスタイルで始まった決闘は――
「それで全力? 全然痛くないわ!」
「全力? ソレデ?」
――互いに足を止め、一発ずつ交互になぐり合う、潰し合いになっていた。
なんて言う事もない、満潮は蓄積したダメージが足に効ていて、動くに動けないだけだ。
“傷有り”も同じなのだろうか?
順番ある殴り合いは、そのペースを増していく。
間隔が詰め切れられ、もう同時に殴っているようになった時、大きく身をよじった。
渾身の一撃がクロスした。
「がっ」
「グツ」
互いが互いの拳を、頭突きで受けようと動いた。
自然と突き出した拳も下がる。
「おおおおお」
「ウウウウウ」
両者ともお腹を押さえて、盛大に転げまわっていた。
どちらも、腹への渾身の一撃。
頭で受け止めるつもりだったからか、腹には覚悟が置かれていなかったようだ。
「さすがは、満潮ね」
「サスガ」
のた打ち回る速度が落ちてきた。
何とか会話ができるまでに回復できたという事だろう。
どちらと言う事も無く、ペタンとお尻をつけて崩した正座――いわゆる女の子座り――で、互いに向かい合っている。
「貴方なら信用できる。皆を任せられる。お願い、満潮。力を貸して。貴方が必要なの」
“傷有り”は、満潮の言葉を口の中で繰り返す。
「本当は、私が守りたい。あの時、艤装を蔑ろにするつもりなんてなかった……だって私の分身ですもの。でも、言い負かされたようで、悔しくて。はあ、なんであんなこ事、言っちゃったのかな?」
満潮は“傷有り”に、涙を流しながら微笑んだ。
「呼んで」
「何を?」
「名前」
「名前?」
“傷有り”は何を言っているのか?
満潮はパチリと、SEが付くような瞬きをした。
「名前を呼んで」
「はあ? だから呼んでるでしょう? さっきから、満潮って」
満潮が腰を浮かせた処を、“傷有り”が軽く押し返す。
「と、え? 落ちる?」
今まで確かだった足場が突然、霞にでもなったかのように、満潮は背中から落ちていく。
「名前を呼んで」
“傷有り”の言葉を最後に、視界が暗転した。