三五三鎮守府の軌跡―救済には悪意をもって   作:多々良ひつじ

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入るわよ!

「満潮! わかりますか、満潮!」

 

 呼ばれた名前に、満潮は気が付く。

 目蓋を通して透け届く光が、赤らんで見える。

 ああ、目を開けなきゃと、満潮は変に冷静に考えた。

 

「こ、こ、わ?」

「明石さん! 満潮ちゃんが目を覚ましました。アゲアゲです!」

「勝利の女神はここよ~」

「荒潮、意味が違うと思います」

 

 今度は天井があるのね。

 満潮は正面――天井で光る蛍光灯に目を細めた。

 

「皆?」

 

 先ほどまで羽のように軽かった体が、鉛のように重い。

 首を動かす事も出来そうにないと、目だけを左へ右へと振った。

 

「よかったです。満潮、本当に」

 

 黒髪ストレートの満潮と同じ顔をした誠実を形にした眼差しで、言葉固く労う。

 

「うふふふふ。良かったわー」

 

 ゆるやかに波打つ長い髪。

 こちらも満潮と同じ顔だが、目力があふれていると言うか、瞳孔が深いと言うか、目を合わせる事が一つの修行になってしまう勢いの彼女は、テンション高めに微笑んでいる。

 

「満潮ちゃん。朝潮も、荒潮も、大潮もいます!」

「そう」

「大潮、満潮は病み上がりなのです。もう少し声を落とした方が良いと思います」

「そうでした! 大潮、失敗です!」

「んー、声の大きさ、直ってないかなー」

 

 見えない処から声に、満潮は思い当たる名前を呼ぶ。

 

「明石……」

「そうだよ」

「ここは……医務室?」

「おお、正解」

「何で?」

「満潮ちゃんが倒れたって、し、んー」

「大潮?」

 

 狭い満潮の視界から、大潮の姿が消えた。

 

「営倉に入ってすぐに、倒れたそうです」

 

 大潮の後を、朝潮が引き継いだ。

 

「倒れた?」

「はい。極度の疲労と衰弱が原因と聞きました。人で言うところの、脱水症状だったそうです」

「脱水症状と、栄養失調のダブルパンチかな? 結構危ない状態だったのよ、満潮。あんた、食事もだけど、水も飲んで無かったんですって?」

 

 集会があった四日前、いや五日前から、満潮は飲まず食わずでいたらしい。

 

「もう……ひどい格好ね」

「ひどい?」

「そうです。満潮ちゃんが倒れたって聞いて、皆で来たらベッドで横になっていたんですけど」

「け、ど? 何、大潮」

「ポルターガイストです。幽霊です。いきなり、満潮ちゃんを幽霊が殴ってきて、体のあちこちへ痣ができたんです!」

「幽霊? 殴られた痣?」

 

 大潮を押しのけて、なぜか朝潮が会話を引き継いだ。

 

「そうです。いえ、違います。幽霊なんていません。痣は本当です。日が高くなるにつれて、だいぶ引いてきました」

「日が? 一晩中、起きていたの?」

「もうすぐ一三三〇になります。当たり前じゃないですか? 姉妹艦ですよ。」

「そう、ありがとう朝潮」

「やっぱり、弱っていると素直になるというのは、本当なのでしょうか?」

「悪気が無いはわかっているんだけどね。朝潮、あんたね」

「なんでしょう、満潮」

「なんでもないわ。荒潮もありがとうね」

「あらあら。こういう満潮も素敵ね」

 

 周りを見渡せる程度には動くようになった頭で、改めて満潮は見た。

 話の通りの医務室。

 自分はベッドに寝ていて、周りには第八駆逐隊の面々と明石。

 と、満潮はひとり足りない事に気が付いた。

 

「満潮は?」

 

 その場にいた満潮以外は、顔を見合わせた。

 

「満潮はいないの?」

「満潮、満潮はあなたです。頭は大丈夫ですか?」

 

 朝潮は心配に声を掛けるが、聞きようによらなくても言い方が酷い。

 

「そんな事はわかっているわ。そうじゃなくて、もう一人いたでしょ? 傷跡まみれの満潮が」

 

 再び顔を見合わせる面々。

 

「明石さん! 満潮ちゃんが変です」

「変って、大潮。うーん、衰弱のショックによる記憶の混濁かなー?」

「うふふふふ。満潮は、あなただけよ~」

「嘘っ、だって」

 

 満潮は右腕を顔の上に掲げた。

 その手には今もまだ、確かな痛みがある。

 

「満潮、夢を見ていたのではないですか?」

「夢? でも、まだ」

 

 力無く上げた腕を頭の向こうへ垂らすと、

 

「いたっ」

 

 固い何かに当たった。

 

「何よ……私の艤装?」

 

 ずっと頭の上に置いてあったせいで、満潮の視界には入らなかったが、そこに艤装が置かれていた。

 満潮は寝たまま首をねじり逸らす。

 

「錆びでボロボロね。もう私には、必要ないのにね」

 

 自嘲気味に呟いて、伸ばした右手で、艤装を撫でた。

 

「こんなに、凹んで。……凹んで?」

「満潮。まだ安静にしなければ駄目です」

 

 一旦、掛けられたシーツの中で満潮は、俯せに寝返ってから、艤装に向けて鈍く上半身を反らす。

 

「こんな凹みなんて、あった……?」

 

 満潮は今手の届く処で、凹みを確認しようと艤装を撫で擦る。

 

「誰も何もしてないのに、突然凹みが出来たんです!」

「満潮が声を上げるたびに、艤装が凹みが出来ていったの。ちょっとしたホラーだったわー」

「荒潮、なんで嬉しそうなんですか」

 

 大潮、荒潮、朝潮が、満潮に凹みについて説明していく。

 満潮の手が、ひと際大きな凹みに触れた。

 

「錆? 血みたいな……」

 

 丸い凹みの内側には、縦の三本線と、その先に四つの小さな凹み。

 

「これって」

 

 満潮は艤装に触れる自分の右手の甲を、まじまじと見つめた。

 擦りむけた痕に見えるMP関節――拳を握った際浮き上がる指の付け根の山を。

 指が曲がること確かめるように、拳を握っていく。

 

「満潮ちゃん?」

 

 満潮は拳を凹みへと当てた。

 

「そういう事……ね。ふふ、あはは……あははははは――」

 

 満潮が、艤装へ拳を当ててたまま、笑い声を張り上げていく。

 

「大変です。満潮が、荒潮になりました。満潮、しっかり!」

「あらー、どいう事かしらー、朝潮?」

「満潮ちゃん! 明石さん!」

「え、やばい? とりあえず、殴って気絶させる?」

 

 明石は順調に、駿河の影響を受けているようだ。

 

「『名前を呼んで』……ね」

 

 笑いが収まると、今度は能面のように表情を落とした。

 掛るシーツを投げ飛ばして、ベッドの上に満潮は立ち上がる。

 

「満潮ちゃん、裸んぼです」

 

 一糸まとわぬ満潮は、

 

「でも、大潮の大好きな満潮ちゃんの顔です」

 

 それさえも誇らしそうに、口端を跳ね上げ、瞳に力を漲らせていた。

 気力は十分なようだが、病み上がり。

 背に傾きかけ自分の体を、慌てて起こす。

 艤装を指さして、声を張り上げた。

 

「サボってんじゃないわよ。満潮、出るわ!」

 

 満潮の体が光に包まれた。

 

 □ □ □

 

「入るわよ!」

 

 執務室の扉が、乱暴に内開らかれた。

 

「なんです?」

 

 室内には机に着く駿河を挟んで、大淀、叢雲が、それぞれに書類を持ち何かを話し合っていたようだ。

 どうでもいい事だが、数人の妖精もソファーテーブルの上で、紙片を片手に輪を作っている。

 

「満潮、あんた艤装が?」

 

 誰に許可を貰う事もなく、大股で入室してきた制服姿の満潮は、その背に艤装を背負っていた。

 

「当然でしょ」

 

 叢雲の指摘に、満潮は鼻を鳴らす。

 

「倒れて、今は安静にしていると聞いていましたが」

 

 満潮は、誰に許可を取るでも無く、駿河の前に机を挟んで毅然と立つ。

 両足を肩幅に開き、胸の前で腕を組む。

 血に汚れた提督の制服をマントのように艤装の下、制服の上に身に着けている。

 

「満潮、良く歩けるわね?」

「何よ、叢雲。そんな体力も無いはずとでも言いたいの?」

「そうれもそうだけど、艤装を付けたら普通、陸を歩くのは厳しいでしょ……」

 

 叢雲は満潮の足元を凝視している。

 

「うん?」

 

 満潮は、自分の足元を見た。

 

「あれ? んー」

 

 顔を上げた満潮は、自信と矜持と力にみなぎらせた――いわゆる、超ド級のドヤ顔に。

 

「私なら、当然よね。むふー」

 

 鼻息も荒い。

 

「どう?」

 

 満潮は椅子に座る駿河を、顔を反らせ挑発的に視線をくれる。

 駿河は立ち上がると、踵を揃えた。

 

「名を名乗れ」

「朝潮型三番艦、駆逐艦……」

 

 歯のかみ合わせでも悪いのか、満潮は言いよどんだが、

 

「満潮よ! 私、なんでこんな部隊に配属されたのかしら」

 

 直ぐに、勢よく満潮は名乗りを上げる。

 駿河の目に一瞬、落胆が過ったのは気のせいだろうか?

 

「貴艦の着任を歓迎する」

 

 駿河は真摯に敬礼を行う。

 

「当然よね」

 

 満潮は返礼をした。

 

「さて」

 

 礼式は終了と駿河は手を降ろし、何時もの粗暴な雰囲気へと戻った。

 

「何よ」

「貴様は、そのまま入渠しろ」

「は?」

 

 駿河は、ため息交じりに続ける。

 

「そんな状態では、話にならん。弾丸が聞いて呆れる」

「だって、しかた……」

 

 満潮は言い訳をしようとしたが、それは潔くないとでも考えたのか。沈黙した。

 

「その後は飯を食え。間宮には話を通しておく。希望はきかん。出されたものを食え」

 

 駿河は、「衰弱等と情けない。基本的な自己管理くらいやれ」と、付け加える事も忘れない。

 満潮へ指を二本立てて見せる。

 

「貴様には二日の猶予を与える。その間に直接補給を身につけろ。香取を付ける。せいぜいしごいてもらえ」

 

 更に指を一本足す。

 

「三日後には哨戒、遠征任務のローテーションに入ってもらう」

 

 駿河が上機嫌に、獣の笑みを浮かべた。

 

「どこかの狂犬が、無垢に撃鉄を起こした。この鎮守府海域は今、深海棲艦の標的として上位にある」

「ちょっと、アンタ! 何それ、聞いていないわよ!」

「本当で……いいえ、提督がそうおっしゃるなら、本当なのですね」

 

 声を張り上げる叢雲と、疑わない大淀を駿河は取り合わず、満潮に言い続ける。

 

「貴様を遊ばせていく余裕はない」

「上等よ」

 

 勝気――それを体いっぱいに満潮は表現した。

 駿河は満潮の表情に納得したのか、制帽の正中を正すと、机を回り込み満潮の横へ立った。

 

「まだ、言い足りないの?」

 

 駿河は、卓上に置かれた伝票刺しの針に親指を押し付ける。

 満潮、叢雲、大淀が、駿河の行動に目を奪われている。

 駿河は、満潮に片膝をつくと、左手で満潮の右手をとった。

 

「何するのよ! うざ! ……」

 

 何かが脳裏をよぎったのか、満潮は張り上げた声を唐突に放り出した。

 

「貴様には言う事が、三つある」

 

 血の染み出る親指を駿河は、満潮の眉間上に押し付ける。

 

「仲間を守る。その先を考えろ」

 

 指が離れるとそこには、卵の形をした赤い点が押されていた。

 

「自分がいなくなる。その後の周りを考えろ」

 

 今度は、右頬骨に一つ。

 

「兵器である前に、まず戦士となれ。泥をすすった者だけが、生きる事に固執出来る」

 

 三度目は、左頬骨。

 

「貴様は間違いなく、俺から一つ、勝ちを得た」

 

 駿河は、満潮を正面から見つめた。

 

「何よ、四つじゃない」

 

 満潮の声は少し、湿っていた。

 駿河は余韻に浸る事無く、スクッっと立ち上がると机へに向かう。

 開放された右手を、満潮は見つめていた。

 

「朝潮、大潮、荒潮、この泣き虫を連れて行け。連帯責任だ。この二日間しっかりフォローを行え」

 

 開け放れた扉の向こうへ、駿河は声を張り上げた。

 

「失礼いたしました!」

 

 わらわらと朝潮と大潮入室し、即座に敬礼をする。

 荒潮は、服が乱れないよう、ゆったりと最後にご登場。華麗に敬礼をした。

 

「誰が泣き虫よ! 調子にのらないで!」

 

 満潮が叫び、駿河へ殴り掛かろうとしるのを見るや、朝潮、大潮は後ろから止めに入った。

 荒潮は、慌てているのだろうか?

 

「満潮!」

「満潮ちゃん!」

「あら、うふふふふふふー」

 

 体力がほぼ尽きている満潮だが、艤装のおかげか、朝潮、大潮の二隻がそれぞれに腕を取っても、抑えきれそうにない。

 

「さっさと入渠をしろ」

 

 駿河が、満潮の肩へ手を伸ばす。

 どいう理屈か、満潮の肩を駿河が軽く引くと、満潮は自分からのけ反り、膝から崩れた。

 

「抱えて行け!」

 

 満潮がまた倒れたのかと、朝潮、大潮、荒潮? は、目を見開いたが、満潮がすぐに恨みごとを言い出したことで、安堵と共に強制連行を開始した。

 

「ちょっと、降ろしなさいよ! そいつにはまだ言いたい事があるのよ! いいから! 恥ずかしいから! ねえ! 聞いてる!」

 

 満潮の声で、遠ざかっていくのがよくわかった。

 ひとまず嵐は去ったという事だろう。

 部屋の出口を見送った大淀と叢雲は、意図せず互いに顔を見合わせた。

 微笑む大淀に、叢雲は微妙な顔で応えた。

 

「提督、膝が」

 

 大淀が、一段落したと息をついたのに合わせ、駿河の右ひざが汚れている事を見とめた。

 よく掃除された部屋の絨毯とはいえ、土足で踏みつけているそこに膝をつけば、白いズボンなら尚の事汚れが目立つ。

 

「制服は汚しちゃいけなかったんじゃないの?」

 

 大淀が、自身のハンカチで駿河の膝を拭く。

 その横からそう言った叢雲には、一切の表情がない。

 

「汚すだけの意味が満潮にはあった。済まない、大淀」

 

 駿河は大淀に礼を述べながら、叢雲を見ずに答える。

 

「そうね。満潮はアンタに勝ったんだもの。敗者は頭を垂れるべきよね」

 

 抑揚ある駿河の声に対して、叢雲は若干早口に皮肉る。

 

「その通りだ」

 

 間髪入れず素直に同意した駿河から、叢雲は顔を背けた。

 

「しかし、勝者の意味を理解する者だけにだ」

 

 続く駿河の言葉に、叢雲は口を堅く閉じた。

 

 

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