「提督さん、少し聞いてもいいっぽい?」
満潮がドヤ顔仁王立ちで執務室にて復活宣言をした少し前、駿河は大食堂で昼食をとっていた。
駿河が座る周りには相変わらずの空白地帯が――いや、昨日よりも酷いといえるかもしれない。
「叢雲は、一緒じゃないの?」
昨日の昼は秘書艦の叢雲が、嫌々ながら――と言う風に見えた――同席していたが今はいない。
朝食もいなかった。
「いない」
叢雲の態度が、硬化したからだ。
それなりに雑談をする光景が見られた両者だった――叢雲が譲歩した。頑張った。――が昨日の大潮タイフーン以降、会話は業務上の必要最低限なものに限定された。
目を合わそうともしない。
秘書艦業務をボイコットしてもおかしくないように思えるが、業務は業務として自ら放棄しない処は、叢雲らしいと言えるかもしれない。
「聞きたい事はそれか? 夕立」
テーブル越しに声を掛けたのは、駆逐艦夕立だ。
夕立と言うと、犬耳に見立てられる左右の跳ね髪が外見として話に出るが、駿河の前に立つ彼女は、緑の瞳にロングストレートの金髪――改二へは至っていない。
「違うっぽい」
駿河に断ることなく、夕立は向いに座る。
トレーの皿に置かれたどんどん焼きモドキ――具の無いお好み焼きか、ナンのようにも見える――に手を合わせると、ぱくっと手に持ってかぶりつく。
「おいしいかも」
夕立が自身のアイデンティティを捨てて、別艦の語尾を口にした。……考え過ぎか?
質問を否定しておいて食べ進める夕立を、駿河は気にすることなく自身も食事を続ける。
「あ、提督さん、ズルいっぽい。それなーに?」
黒く点をうった皿の柄にも見えるソレへ、どんどん焼きモドキに気持ち程度押し付けて駿河は、手の大きさ程度の一枚を食べた。ちなみに二枚目はない。
「海苔の佃煮だ」
「夕立も試したい!」
空になった皿を、夕立へと駿河は差し出した。
夕立は手にした二枚目のどんどん焼きモドキで、皿を拭く様にして残っていた海苔の佃煮を付けてかぶりつく。
「むふふふふふ」
口をもぐもぐとさせてご満悦に喉を鳴らす処を見ると、気に入ったようだ。
「終わりっぽい?」
「贅沢できる身分ではないのでな」
「がっかりっぽい」
正面を向く夕立なのに、なぜか哀愁漂う背中を思い起こされる。
夕立は何もつけないで、三枚目を食べ上げた。
「ごちそうさまでした」
先に食事を終えた駿河は、なぜか立ち去らずに水を飲んでいる。
「提督さん、少し聞いてもいいっぽい?」
夕立は食事前に掛けた言葉を、今更と繰り返す。
「なんだ」
駿河は右前に置いていた制帽を取ると、正中を取ってかぶる。
「提督さんは、私達に『道具じゃなくて、兵器になれ』って言ったっぽい?」
駿河は答ず、夕立を制帽ツバ越しに見つめた。
空になった皿が乗るトレーを横にずらして、夕立は続ける。
「じゃあ提督さんは、人間だから提督になったっぽい?」
どこから現れたのか妖精が数人、夕立のトレーを運んでいく。
一人だけ、駿河の飲みかけのコップを見て、テーブルに座り込んだ。
「どちらも、一つ足りない」
「足りない?」
駿河は座るパイプ椅子の背に身を預けて、夕立へ問いかけた。
「夕立は、なぜ戦う?」
「戦わないと皆が死んじゃうから」
「皆とは?」
「時雨とか、春雨とか、白露、村雨、鎮守府の皆」
夕立は、駿河の質問に間を空けず答えた。
一瞬、駿河の口角が上がったように見える。
駿河は、曲がっていない制帽を直した。制帽のつばを親指で摘まむ手で、顔を隠したように。
「夕立、人間が好きか?」
「うーん。わからないっぽい」
すぐに答えを返していた夕立が、言いよどむ。
「関心がないか」
「関心?」
意味が伝わらないかと、駿河は言葉をかみ砕く。
「知りたいと思うか?」
「思わないわ」
即答だった。
夕立は、悪びれる処が見られなければ、非難する処も見られない。ごくごく自然に答えた。
駿河はどこを満足したのか、背もたれから体を離して、夕立へと背筋を正す。
夕立が「あ」と、口を押えた。
駿河も人間だった事に気が付いたからだ。
どうするかと思えば、
「――ぽい」
取って付けた。
「先ほど足りないと言ったのは、貴様達には前が、俺には後がだ」
「前と後?」
「そうだ。道具に終わらず、兵器へと昇華する。その前に、貴様達が艦娘として海洋に立ち続けるのであれば。だ」
「ふーん、じゃあ提督さんの後って?」
「俺は人間で、提督になった。後は、歯車になる」
「歯車?」
「そうだ」
夕立は「歯車、歯車……」呟いて、何かを連想させたのか。出した答えは、
「部品って、事?」
「そうだ」
「じゃあ、提督さんも夕立達と一緒っぽい」
パチリと手を一つ叩いて、夕立は顔を輝かせた。
同族とでも思ったのだろうか?
「それは光栄なことだな」
言葉とは裏腹に、駿河の声は嫌味を含んで聞こえなかった。
崩した笑みを落として、駿河は続ける。
「俺は、道具として歯車となり、回す」
「回すの?」
人差し指を空中にくるくると、夕立は渦を描く。
「そうだ。回して、進める」
「どこに?」
「始まりが終わる場所――」
駿河は、コップに残る水を一気にあおると、立ちあがった。
「――終戦だ」
決意表明にも聞こえる駿河の言葉は、正面に座る夕立ではなく、
「この戦争を終わらせる」
テーブルに一人残っていた妖精へと向けられていた。
「え! 本当に? 本当っぽい!」
「そうだ、俺はその為にいる」
なんて事はない。『この戦争を終わらせる』は、大本営が謳い続けている常套句だ。
都合よく使われてきたそのセリフは、すでにカビが生えている。――いや、腐敗臭を放っていると揶揄しても良いだろう。
前閣下提督でも、胡散すぎて口にしなかったのか。夕立は初めて聞いたようだ。
「すごいっぽい! 夕立、頑張るっぽい!」
はしゃぐ夕立の姿は、それを証明していた。
何があったのかと、他の艦娘達が「ぽい」「ぽい」と連呼する夕立を、遠巻きに見つめた。
ただ、駿河の視線は、夕立にも他の艦娘にも向いていない。
妖精。
テーブルに一人立つ妖精を、今も駿河は熊鷹眼に見ている。
特段、肌が白いとか、白目が黒いとか、異質なところのない、普通のという表現が当てはまるかは疑問だが、工廠にも艦娘にも見られる妖精だ。
駿河を見続けた妖精は、何事もなかったかのように、その場を去っていった。
「喜べ、夕立」
「ぽい?」
顔を伏せてテーブルにある自身のトレーを確認すると、空になったコップをそこへ置いて駿河はトレーを持ち上げる。
「貴様のおかげで、たった今からこの鎮守府は、深海棲艦の攻撃対象として、上位に置かれた」
「え? どいう事?」
悪鬼羅刹が笑った。
「楽しいパーティーが始まるぞ」
「ぽ、ぽいいいい!」
開花前とは言え、狂犬の異名を持つに至る夕立をおして尚、駿河が浮かべた獣の笑みは、悲鳴を上げさせた。
駿河が食器を下げると、その道中はモーゼのごとく皆が避け、厨房からは伊良湖の雛泣きが響いてきた。
最後まで『人間を守りたいか』と、駿河は口にしなかった。
□ □ □
時間は進み、満潮がドヤ顔仁王立ちで執務室にて復活宣言をした後。
「一六三〇ね。今日の業務を終えてもいいかしら」
日差しが弱まり、執務室の電気をつけてしばらくして、叢雲が部屋の扉を見ながら口を開いた。
「叢雲、どうかしたの?」
「どうもしないわ。ただ、今日やる書類関係の処理は終わった。近海哨戒も交代して、天龍組の二回目も出発した。遠征組は明日帰還予定。潜水艦の八時間ローテも滞りない」
手元の書類を整理しながら叢雲は続ける。
「二〇〇〇までが通例だけれどでも、結局は業務が終わるまで。変にかかり過ぎると提督の負担が大きくなるなっていう、ある意味の目安」
大淀も各書類を内容に合わせ、色つきクリアファイルにしまっていく。
「赤ファイルも処理が進んだし、座って時間をやり過ごしてもいいけど……」
「かまわん」
駿河は、手元の資料に目を通しながら答えた。
「なら、そうさせてもらうわ――ねえ、大淀?」
「はい?」
「今晩も泊まっていくの?」
「それは……」
大淀、明石、夕張、龍田、天龍は、駿河が着任をした日から、ほぼ強制的に執務室に宿泊させられていた。
それも一昨日まで。
昨日からは、天龍、龍田の哨戒出撃に合わせるように、宿泊合宿は当然のようにお開きになった。
ただ、昨晩は大淀がその事に気が付かなかったのか、「明石と夕張、遅いなー」と言いながら、一人――昨晩、駿河は執務室に戻ってこなかった――仮眠室で過ごしていた。
「今日は、部屋に戻ります。お布団も上げたいですし」
「そう?」
大淀は資料に目を通す駿河を見やったが、何の反応もないとわかると、寂しそうに叢雲へ微笑んだ。
「んんっ。ところで、アン――司令官」
叢雲は咳払いを一つ。
「なんだ」
「知らなかったとはいえ、司令官に矛先を突きつけたのは――厳罰よね」
「そうだな」
大淀は叢雲の発言に、いつそんなことが? と首をひねった。
「なら、営倉入りが当然よね?」
「そうだな」
「じゃあ、これから入って来るわ。問題ないわよね」
「そうだな」
倦怠期の夫婦のようだ。
返事繰り返す駿河の持つ資料が、新聞紙に見えてくる。
「ちょっ、叢雲! 何を言っているんですか!」
「何って、聞いてた通りよ」
「聞いてた通りって……」
「コイ……」
叢雲は横目で、駿河の視線が変わらず資料に向かったままなのを確認する。
顔を向けた。
ただ、駿河が読む資料が遮蔽物のようになり、叢雲は駿河の顔が見えない。いや、駿河からは見られない。か?
「司令官殿も問題ないって、おっしゃっているわ」
「でも」
「問題ない」
「……ほらね」
駿河の淡白な返答に、叢雲は自嘲交じりに口を歪めた。
「じゃあ、行ってくるわ。ああ、明石には私から話すから」
叢雲は、立ち上がると駿河に背中を向けたまま、手を振って退室した。
扉が閉まる音を合図に、大淀が口を開いた。
「提督」
大淀は立ち上がると、机を挟み駿河の正面に。
「叢雲は、いったい」
「鏡分金殿燭(かがみは、きんでんのしょくを、わかつ)」
大淀が疑問を口にしようとした時、駿河が開いた手を突出し、それを止めた。
「川内」
駿河が、呼ぶ。
「川内さんが、どうか――」
「川内、参上! 何? 夜戦?」
「川内さん?」
駿河の後ろに、川内がいた。
空気が揺れた気配もない。
「馬鹿者、仕事だ」
「えー、夜戦じゃないの?」
突然の川内の登場に大淀は驚いているが、当事者同士は至って通常の事のようだ。
「わかっているな、見張れ。必要なら意識を刈れ。判断は貴様に任せる」
「ちぇ、しょうがないなー。じゃあさ、また夜戦演習してくれる?」
「貴様が神通に、内緒に出来るならな」
「え? いやー、それは厳しいなー。神通、なんか次を楽しみにしてたし」
「さすがに、貴様等三隻と連夜相手にするのはな」
「て、提督!」
悲鳴のように大淀が声を上げて、二人の会話に割って入った。
「なんだ」
「連夜、あ、相手にとは」
どこか自慢気に川内が、大淀に寄っていく。
「あ、大淀も参加したいの? 真っ暗い中で目隠しまでしてさ。もの凄く興奮したー」
川内の顔に朱がさす。
どことなく、息遣いも粘性のあるものになった気がする。
「でもなー、大淀まで交じっちゃうと、私の時間が減っちゃうしなー」
「提督! 私になにか落ち度でも!」
「大淀ー。それ不知火のセリフだよ」
駿河はため息を一つ。
「川内、いい加減にしろ。からかい過ぎだ」
「ごめんね。からかっているつもりは無かったんだけど、演習。大淀、夜間演習。ほら、昨日約束したやつ」
「あ」
大淀は、昨日の早朝の出来事を思い出していた。
「で、では、その……男と女の……その、あの」
「ない、ない。あるわけないじゃん」
「そ、そうですよね」
ホッと胸を撫で下ろす大淀に、川内はあけすけに笑って見せた。
「そうだよ」
川内は唇に指を這わせて、同意する。
「あ、川内さん」
「何?」
「隠密は禁止されていたのでは?」
「あ、条件付きで解禁になった。よね?」
胸を張って答える川内は、語尾を駿河に託す。
「そうだな」
「ね!」
駿河の同意に、川内は大淀へ、手の親指を立てて突き出すと、片目をつぶって見せた。
「提督がよろしいのでしたら、私からは何もありません」
大淀が頬を膨らませる。
「提督、夕食はどうなさるのですか?」
どういう意図なのか、大淀が話題を変えた。
「あ、もうすぐ時間かー。私も一緒してもいい?」
川内の申し出に、大淀は小さく舌打ちした。
「俺は、十九時過ぎに取る」
「それだと、間宮が火を落とした後にならない?」
駿河はとくに応えない。
「そっかー、私は暖かい物が食べたいから、また今度一緒するね」
「私は、同席してもよろしいでしょうか」
「好きにしろ」
大淀は、嬉しそうに返事をする。
「川内、頼むぞ」
「承知」
笑顔だった大淀の眉間に、しわが刻まれる。
「何で出ていく時も、消えていくんでしょう」
川内は退室したが、扉が開かれる事は無かった。
□ □ □
「叢雲、起きてる? 朝よっ」
翌朝五時半過ぎ、営倉を開た明石は見た。
自分で引き千切ったのか、大きく裂かれた制服。
両手は力なく垂れさがり、全ての指先が赤く染まっている。爪の全てが剥がれていた。
足元の床には、掻きむしった赤黒い線・線・線。
「叢雲?」
明石が呼びかける。
「大丈夫よ」
叢雲は答えた。剥がれた爪を気にせず、前髪をむしり取るように掴みながら。
雪白の肌に、銀の髪。吐き出す凍れる息も相まって、その姿はまさに青女の装いだ。
顔を覆い隠す手のせいか、叢雲のつぶやきは明石には届かなかった。
――何で、できないよの。