「叢雲、その手は……」
「ああ、気にしないで。タイミングを見て、ちょくちょく入渠させてもらうから」
十本の指全てにテープを巻いている叢雲。
何事かと、大淀は渋るように声を掛けた。
指一本にテーピングをしてれば、険悪な間柄ならともかく、そうでないなら声の一つも掛けるだろう。いや、むしろ険悪な関係の方が、嫌味の理由になるか?
ともかく、“両手の指全部が”となれば、気にするなと言うのは無理なものだ。
「朝も入ってきたんだけど、時間が足りなかったみたいなのよね」
テープを巻かれた片手を、自身の胸の前でプラプラと叢雲は振る。
執務室の机に座る駿河も、叢雲の手を制帽のつば越しに見止めている。
まるで、叢雲に気取られまいとするかのようだ。
しかし、駿河の吐き出した息が白い事以外は結局、わずかに目を細めただけだった。
「提督」
不意に大淀が、駿河へ声を掛けた。
「なんだ」
「いえ。失礼いたしました」
駿河の表情の無い表情に、大淀は違和感を覚えながらも、それ以上口にしなかった。
大淀の考える駿河とは、――『常在戦場』『備えよ常に』だ。
破損を抱えたままで任務を遂行する事もあるだろうが、『それが今か』と駿河なら指摘する。
そう大淀が考える駿河の叢雲への反応は、しっくりこないようだ。
「現状の報告と、今日の予定を」
大淀と叢雲は顔を見合わせた。
何を言っているのか分からないのではなく。
どちらから行うかを、目で話し合ったわけだ。
「じゃあ、現状から」
叢雲が手元の資料を見ながら口を開く。
ズレた表現だが、今の叢雲の顔は、嫌いなモノから食べてしまおうとする前のソレに見える。
「直接補給については、ほぼ習得。残すところは、朝潮、満潮、大潮、荒潮の第八駆逐隊と、足柄ね」
「足柄さん……ですか」
「ハマれば直ぐなんだろうけどね」
「足柄さん、あれでナイーブなところがありますからね」
「そうね、妙高も少しこ……『お任せ下さいませ』って言ってるから、大丈夫じゃない?」
「そ、そうですね」
叢雲と大淀は視線を絡めると、早口に言葉を交わしていく。
嘘だった。
いや、半分は本当か?
妙高は足柄への指導に困窮していた。
ただ、任せてほしいとも叢雲へ報告していたから、完全に嘘をついたわけではないだろう。
駿河は沈黙したまま。
叢雲は大淀は、再び目を合わせた。
今度のは、うまく誤魔化せた? 的なソレだ。
妙高の手に負えないと分かった駿河が取る行動――それをさせない為。
叢雲は矢継ぎ早に報告をして、余計な発言をやり過ごす事にしたようだ。
「食糧については、間宮から報告が上がっているわ。現状の備蓄では、後十五日程度――クリスマスまで持ちそうにないとあったわ。『申し訳ありません』って」
「わかった」
いつもなら、目を三角にする駿河の返事だが、今の叢雲には都合がよいようだ。
駿河は手元の資料を机の上に置くと、卓上の隅にたたずむ妖精を掴み、文鎮代わりにその書類の上へ置いた。
書類へと目を伏せたまま、指示を出していく。
「間宮、伊良湖、鳳翔に、〇九……いや、一〇〇〇に執務室へ来るよう連絡を」
「鳳翔も?」
「そうだ」
鳳翔の名前を、叢雲は繰り返す。
一言答えただけで、駿河はそれ以上話す気はない。
「わかったわ。後は、前に豚の時に出た遠征組が本日帰投の予定。本来なら夕方頃になるはずだけど。先の指示通り、通信室には帰投の通信が入った際には、即時館内放送を入れるようにしてあるわ」
叢雲は、手元の資料をまくりながら先にされた指示の完了報告をして、順番を終える。
「今後の予定については、私から。天龍達の帰投は、本日一四〇〇を予定。帰投後は神通を旗艦として総入れ替えの後、近海哨戒任務を継続」
大淀の報告を聞きながら、駿河は座る椅子の背もたれへ身を預けた。
叢雲の時には、背もたれを使っていなかったようだ。
わずかな動きだったが、軋む椅子の音がそれを証明していた。
「後、こちらがきておりました」
差し出されたのは、一通の茶封筒だった。
大きさは、A4より少し大きい。書類を折らないで済むようにという事だろう。
日の光が当たっても、中は透けない。
「一応――か」
駿河は受け取ると、差出人を確認する。
裏返して机に置くと、何の意味があるのか丁寧に封筒をの縁を指でなぞった。
縁を一周すると、納得したのか次いで硬貨を取り出して、封書の縁にその硬貨の角を立てて、机に強く押し付ける。
一気に封書を引いた。
「刃物を所持出来ない事もある」
大淀と叢雲が駿河の行動を注視しているのを感じたのか、よくわからない説明をする。
「提督、失礼ですが。それは?」
大本営よりの任務管理及び報告を担う大淀には、気になるモノのようだ。
ある意味、軽度の職業病と言ってよいだろう。
「ただの業務報告書だ」
まあ、提督は艦娘の管理だけを行っていれば良いというわけではない。
雑多な報告を受ける事は、ままある。
「……半分か。イ級に遭遇。うまく書かれているが――応戦ではなく、混乱による同士討ちといった処か……」
駿河の呟く。
誰にと言うわけでもなく、何時も逡巡を挟む話し方でもない。
「なにか、他で問題でも?」
「うん?」
「失礼いたしました。立ち入った事を」
「ああ、声に出していたか」
やはり、正真正銘の独り言だった。
「……いかんな」
それもよりも、大淀、叢雲が、どうしたことか目を皿のようにして駿河の顔を見つめている。
駿河がの“何”が、それほどの衝撃だったのだろうか。
「興味を引かせたのなら申し訳ない。一応として、戦闘記録が届いただけだ」
駿河が気にするなと話を終わらせる。
その後も、資材の備蓄状況や、予備兵装支給。既存艦のカルテ作成や、直近の運営指針などが交わされていった。
「何? 大淀」
唐突に叢雲は、自分を見つめてくる大淀の名を呼んだ。
そう尋ねるほどに、大淀は叢雲をつぶさに見ていた。
「なんで――」
『遠征中の加古より受電。我、回航中。〇八四五にて入港を予定。繰り返す。遠征中の――』
急に流れた館内放送に、大淀の声は遮られた。
「話をしたら早速だわ。三十分後――ね」
つぶやく叢雲に、駿河は頷く。
「出迎える。大淀は通信室に。叢雲は同行を」
「出迎えるの?」
叢雲は部屋の窓――外を見つめたまま、駿河へ確認する。
「ここに来させてから指示を出すのは時間が無駄になる。直接補給実施については知らない連中だ。それに――」
口早に言い続けながら、駿河は立ち上がる。机の引き出しから何やら箱を一つ。それを上着ポケットへとしまって。
文鎮のように卓上に一人いた妖精も、その箱を追って駿河のポケットへ飛び込んでいく。
「――『完了』ではなく『回航中』だ。俺を認識した際に何が起きるかわからん。即応できる状況に身を置いた方が賢明だろう」
「それは、加古達が豚――失礼いたしました。前提督下での編成、任務だったから。という事でしょうか?」
「そうだ」
大淀が状況把握の為か、自身の思う処を口に出して並べていく。
「『提督』というルールは、意外に整理されていないからな」
「ルール?」
大淀が再び口にするが、
「報告より早く来る可能性もある。直ぐに動くぞ」
駿河は上着ポケットの上から手で押さえただけで、大淀には答えなかった。
歩き出した駿河の後を追うように、二隻も続く。
退室した大淀は扉を閉めると、駿河の後ろを歩く叢雲の名を呟いた
「叢雲」
叢雲は、すでに名を呼ばれても振り向かない所――駿河の後ろを歩いている。
といっても、それは人間の場合であり、艦娘なら十分聞こえるはずだ。
振り向かない叢雲の背へ 先の館内放送に奪われた言葉を、大淀は届かぬ声で送った。
「――何で、私ばかりを見ているの?」
□ □ □
「やっぱりこの時期は、風が強いわね」
叢雲はキャブオールの運転席のドアを閉めると、そうごちる。風にかき回される髪を押さえながら。
既に助手席から降りていた駿河は、無言で制帽のアゴ紐を下げて掛けた。
十二月初旬。冬の寒さは十分。
海岸ともなれば季節風もあわさって、体感温度は非常に低い。
にも関わらず、駿河はいつも通りの制服姿。
「叢雲、向こうへの指示は完了しているか?」
「ちょっとまって――大淀、聞こえる?」
片耳に手をあて、叢雲は独り言のように会話を続けた。
戦闘中の交信ではないからだろうか? 『送れ』の語尾は、はしょられている。
「そう、了解。だれも被弾はないのね。通信終わり。ここに――波止場に向かうよう、指示は完了してるそうよ」
叢雲は加古達が来るであろう方向――海を見つめながら、駿河の横に立つ。
一人と一隻の後ろには、白いキャブオールだけがある。
二人が立つ波止場は、鎮守府敷地内にあり、車を使ってまでくる距離ではないと思うが。
「見えたわ」
「そうか」
叢雲の視線の先、波立向こうに見えているようだが、駿河にはまだ何も見えなかった。
「おーい」
冬の荒波のせいか、張り上げられた声は、途切れ途切れに駿河へ届く。
駿河の目が細められる。
まだ遠いその影を、拾い上げようとした結果だ。
「あー、やっとついたよー」
ショートのボサついた黒髪で、ボーイッシュな印象が強い艦娘――重巡加古が、声を上げた。
「お疲れ様。とりあえず外履きを使って」
立っていると膝前に加古の顔がくる事を気遣ってか、叢雲はしゃがんで声を掛ける。
叢雲が指さした先には、中を水で浸されたバスブーツ――お風呂場を洗う時に使うアレ――のような靴が並んでいた。
「お、良かったよ。無線が入った時には、なんの罰ゲームかと思ったけど、これなら歩いていけるな」
波止場の際で止まり、未だ上陸しないでいる加古が、頭を掻きながら苦笑いを叢雲へ向ける。
「一応聞いてはいるけど、皆問題ないのよね? 加古」
「ああ、もちろん。でも焦ったぜー。いきなり編成が解除されて、全員回航状態になっちまうし。叢雲、なんかあったん?」
「それも踏まえて、集まった処で話すわ」
「叢雲は、大丈夫そうじゃなさそうだけどな?」
加古が叢雲の十指に巻かれたテーピングを見る。
「ああ、これ? なんてことないわ。ちょっとヘマをしただけよ。小破にも入らない程度のモノだけど、一応テープをまいてあるだけ。暇をみて入渠して、お終いよ」
「そうなのか? まあ、それならいいけどよ」
叢雲が顔の前でぷらぷらと振る。
振られる手を見ながら、加古は視界の隅に居る大男とソレを、結び付けられずにはいられなかった。
「ほら、他も来たわよ」
叢雲と加古が話している間に、他の艦も集まってきた。
「帰投したであります」
セイラー服が多い艦娘の中で、グレーの詰襟にミニスカニーソという姿の、あきつ丸。
「お布団にどぼーん! したいですね……」
水着の上に袖を落としたセイラー服といういでたちの伊401ことシオイは、目の焦点があっていない。
「よかったあ。帰ってきました」
割烹着の胸元には、青いクジラが大きく波打っている大鯨。
「加古。吹雪ちゃんは、少し遅れそう。先に帰投してて欲しいって」
最後は、加古とよく似た顔だが、左目は機械的な発光がともるガーリッシュな古鷹。
「そっかー、どうすっかな。全艦回航扱いじゃなかったら、『ふざけるな』で終わるんだけど」
加古は癖なのか頭を掻きながら、横目で駿河の様子を窺う。
あえて声に出して。
「そうね、このまま待っていてもいいけど……吹雪には行道に説明を……するわ。とりあえず上陸……して」
叢雲は、駿河が口を挟まない事をチラチラと確認しながら、加古へ探るように指示を出した。
「そうさせてもらおうかな。ジョー!」
加古が先に着きながら上陸しなかったのは、編成解除されたとはいえ、旗艦だった責任感からだろう。
「外履きを用意してもらってるから、それ履いてな。あー、しおいは、いらないか」
上陸の号令の後で、加古は各自に外履きの存在を強調する。
「ですねー。でも艤装を背負ってるので、一応使わせてもらいます」
「よかったですう。私、サンダルなので、歩くの大変なんですよお」
「よかったですね。大鯨さん」
「全員いいな? で、この強面な人って、どちら様?」
加古は一度駿河を見たが、視線が合いそうになると、そっと目を逸らした。
「駿河だ」
場を沈黙が支配した。