「お連れしました」
視察官は大淀の案内に従い歩みを進め間もなく、執務室の前へとたどり着いていた。
直ぐに入室の許可があるだろうと考えながら、視察官はここまでの順路を思い返す。
途中、分かれ道が幾つかあった。
が、迷う事はなかったな。とも思う。
夜闇に沈むこの鎮守府で、ここに至る通路・階段にしか明りが灯っていなかったからだ。
倹約家の文字を頭に浮かべた視察官だったが、事前に聞き及んでいた現提督の人柄には当てはまる処が無かった。
つまりは――
「……画面の中の戦争か」
「え?、なに――」
視察官の呟きを聞き逃した大淀は、過剰に反応をした。ただ、残念ながら発言を確認する暇は与えられなかった。
「入べえ」
「え、あ、あ、はい。あ」
大淀は明らかに落ち着きをなくしている。
執務室からの苛立ちを隠さない声に、極度のストレスが掛かったのだろうか?
そうでは無い。大淀は、混乱していたのだ。
視察官の発言を確認ずべきか。入室指示の履行を行うべきか。ただの視察官と、執務室内にいる現在の上官との優先順位の決定に。
「大淀。扉を」
視察官は、軽度のパニック状態に陥っいる大淀をよそに、当然と指示を出す。
「はい」
それまでの事が演技のようだ。
冷静に返事をして大淀は、滞り無くノブに手を掛けた。
「ぶん、貴様が見学の希望者か? どうぜ内の鎮守府の秘密を探りにきだのだろう? はんっ」
先に大淀が入室し、視察官が後に続く。
逞しい体躯というのも時に面倒だ。
そのままでは通れないので、視察官は会釈をするように扉の上枠を避けると、またいきなり声がぶつけられた。
ここではコレが、来訪者への洗礼なのだろうか。
「不正をじだとかなんとか言ってぐるが、全てわじの実力故だ」
何を突然言い出しているのだろうか。
声の主は、不相応なほど高価だと一目でわかる机の向こうに座っている。
この鎮守府の提督なのだろう。
座っているので背丈はわからないが、革張りの椅子に座るというより、肥え太った体に椅子をめり込ませている。
油ぎった顔。一九分けにされた薄い髪。
それらをより醜悪にみせる、着崩された制服。
着任の挨拶も無しに吐き出された声は、脂肪で気管が狭いのか、紙袋を被って話しているようだ。
視察官は、ここではこれが規律なのかと内心で吐露しながらも、背筋を正し敬礼を行った。
「は、閣下。勉強させていただきます。駿河 播磨(スルガ ハリマ)、上番(ジョウバン)致しました。視察行動の許可を頂きたく存じます」
相手は鎮守府の提督とはいえ『閣下』や、すでに大本営より視察の許可を受けた上での上番なのに『改めての許可』等は、過剰なゴマすりだ。
一見脳筋ゴリラに見える視察官――駿河から、そういった処世術はしっくりこない。
実際、『閣下』と呼ばれたデブ――提督は、お世辞とは思えず、ご満悦だ。
「おお、なんだ身の程を分かっているではないか。まあ、こっちに来い」
「は、失礼します」
あご先で指されたのは、部屋の中央にあるやはり高級革張りの来客用のソファーセット。
「何をしているお前も、さっさと来い!」
駿河の後を進もうとしていた大淀へ、『うすのろが』と閣下提督は苛立ちをぶつける。
「うん? なんだ貴様? ああ、そういう事か。私の覇気にあてられたか。そうか、そうか。まあ、そこのソファーへ腰を下ろすがいい」
駿河と言えば、すり足で慎重に足を出していた。
確かに、近づく事が畏れおおいかのようにも見える。
大淀が閣下提督の右に立ち並ぶまでには、さすがに駿河もソファーへと腰を下ろしていた。
「挨拶早々、失礼ではありますが、こちらをお納め下さい」
駿河はどこに隠し持っていたのか、懐から一本の酒瓶を取り出した。
「おお、分かっているではないか。身の程をわきまえておるとは、お……なんでもない」
閣下提督は、ソファーセットのテーブルの上に置かれた酒瓶の銘柄を見取ると、目を細める。
いつのまに置かれたのか、手土産とした酒瓶の下にひかれた、帯のついた札束ならこれくらいの厚さだろうな、とういう封筒を黙って懐にしまう。
右に立つ大淀へ持ってこさせようと、閣下提督は声を掛けようとしたが、既に大淀はそれを受取りに動いていた。
「なんだ。今日は気が利くではないか? ふん、普段からこうあって欲しいものだな。それとも――」
閣下提督は、口を不細工に歪めて、こう続けた。
「この男に媚びているのか?」
「いいえ、そんな……」
酒瓶を机に置きながら、大淀は否定した。
それは、閣下提督にとって許せない行為だったようだ。
「誰が口応えを許した! この!」
その短い脚でよくも届く。駿河は蹴りつけられた大淀を見ながら、そう思った。
「閣下、お尋ねしたいことが?」
「なんだ?」
「大淀は、なぜ外に?」
「なんだ? 貴様もこいつらは『人間だ』。などと言う腑抜け共の一員か?」
駿河は、表情を変えたつもりが無かったのだが、提督には何か感じる処があったようだ。
脂肪に細められた目で、蔑む。
「閣下。失礼ながら、自分は『人間』とは考えておりません。何かの状況中だったのかと愚考いたしました」
駿河は、淡々と感情無く述べた。
閣下提督は意外だったのか、目を見開いて「おお」と歓喜の声を溢す。
横に並ぶ大淀は、対象的に目の輝くきが曇ったように見える。
「なんだ貴様。よく分かっているではないか。まあ、これはただの罰だ」
閣下提督はご満悦の様子で、右横に立つ大淀のスカートスリットの中へと手を差し込む。
「こいつらは、戦う人形だ。しかも――見て見ろ、なんだこのスカートは? 男を喜ばせる為としか思えん。雨に濡れた服が肌につくこの姿も、なかなかのものだと思わんか。うん? こいつらは、どんなに雨に打たれようとも、風邪をひく事などない。そんな人に奉仕するだけの存在が『人間』などと。はん!」
差し込まれた手は、尻を撫でまわす。
あきらめか、慣れか、大淀は眉一つ動かすことなく、ただ立っていた。
「彼女たちは、『人間』ではありあません」
閣下提督の発言を肯定するように、駿河は声を重ねる。
「だろう。しかし、貴様。雨に打たれると敏感になるのか? これは他の奴も試してみるか。これも貴様のおかげ。かな? ぐへへ」
閣下提督は、上機嫌のまま酒瓶の封を切ると、駿河にも振る舞い始めた。
「お前にはやらん。お前はボーキだの、オイルなどを食っていればいいんだ」
閣下提督が武勇伝を語り始めて、どのくらいが立っただろうか。
外の嵐は既に治まり、ずぶ濡れだった大淀の服も、部屋の暖気にあてられて、見た目は乾いている。
あいも変わらず大淀の下半身をまさぐる、滑舌が怪しくなってきた閣下提督の言葉に、大淀は何も反応しない。
「閣下、三五三鎮守の奇跡について、お聞かせ下さい」
駿河は、身をソファーに少し押し付け、そう切り出した。
「奇跡?」
「はい。こちらでは急に艦娘が増えたとか」
「ほうほう。なんだ、奇跡だと? そのような評判が?」
「はい、閣下の神業は、他に言いようがありません」
「やはり貴様は、今までに来た他のボンクラ共とは違うな。よく分かっているじゃないか」
三五三の奇跡。
実際は、三五三の怪事と呼ばれている。
それは、ここ一か月の間に起きた。
一つ。
ある日突然艦娘が増えた。
一隻二隻ではない。五〇、六〇の規模だ。
いわゆるドロップと言われる、海上確保の経験もない。ましてや一切の建造が成功しなかった。ついた悪名は偽提(ギテイ)。
建造に使用したはずの資材の増減は、確認できなかった。
一つ。
既存の艦娘、突然の艦娘も含め、改・改二へと、変貌を遂げた艦娘がいた。
十分な練度も無くだ。
やはり資材の増減が、確認できない。
一つ。
俗にレアと呼ばれる貴重な兵器・兵装が降って湧いたように多数が配備された。
これまた、資材の増減が確認できなかった。
しかも、開発の痕跡までもがない。
一つ。
工廠・入渠ドックが、ある日全部開放された。
なのに、必要な資金の流れが確認出来ない。
「ワシの真の実力だ」
艦娘を使い潰している。
修理しない。
疲労の無視。
使途不明な金銭の流れがある。
黒い噂が絶えない男の元で起きた突然の怪事に、大本営や主要鎮守府は、当然ながら何等かの不正を確信していた。
査察団の結成。
駿河が来るまでに実施された査察の回数、実に五回。
そのどれもが、不正を確認出来なかったとの報告書を提出した。
同じように、この怪事についても説明出来なかった。
閣下提督と駿河の話を聞いていたであろう大淀に、変化はない。
この怪事を怪事足らしめているのは、艦娘自身がこの変化に異常を感じていない――認識していない事にあった。
ただ、この鎮守府外周に詰める憲兵は、自身が認識できなかった異常性を、認識出来ていた。
「いや~、愉快愉快。貴様は、話が分かるな。よし、貴様にワシの力を見せてやろう」
顔を赤らめ、豪快に笑い声をあげる閣下提督は、無い首を回す。
「おい、直ぐに大食堂に全員を集めろ」
大淀は、探るように聞き返した。
「今から……ですか?」
「なんだ、何かあるのか?」
時計は、二十三時半に差し掛かろうとしていた。