「あー、あ?」
「おはよう。天龍ちゃん」
「ああ、龍田。って、なんか気持ちい―なと思たら、ここ……風呂か?」
窓は無いが、換気口をすり抜けて、外の日が差し込む。
天龍は頭を縁に乗せた格好で、お風呂にぷかりと浮いていた。
「うおっ、ゴボッゴボッ」
意識が覚醒した為か、バランスが崩れ、お風呂の中へと頭まで。
「あらあら~。天龍ちゃんは、本当に元気ね~」
勢いよく水飛沫を上げながら、天龍は飛び出すように立ち上がった。
「ぷはー! おー、びっくりしたー。なあ、龍田? 龍田が運んでくれたのか?」
「違うわよ~。私も目が覚めたらここだったのよね~。もうその時には、天龍ちゃんが気持ち良さそうに、横で寝ていたわ~」
「そっかー。まあ、いいけどよ。どっちみち入渠は、必要だったしな」
「天龍ちゃんはもう痛いところ、無いのかしら~?」
「ああ、バッチリだ!」
「そ~れ」
龍田は、力瘤を作って見せる天龍の胸元を指す。
「ああん? なんじゃこりゃー!」
天龍の豊かな胸の谷間に、丸い痣が点々と。
左右一対のようについた点が、計五組。梯子のように胸の谷間に沿ってあった。
「後ろから鷲摑みして、無茶苦茶しやがってよ! あの野郎。胸がもげるかと思ったぜ」
胸をほぐす様に、天龍は両胸を掴み、円を描く。
「でも、まあ、得られたモノも大きかったぜ。」
「そう、良かったわね~」
「ああ、まだまだ強くなれる事は分かったしなー。戦いの中で……いや、戦い抜く事が出来るぜ」
天龍は、水面に映る自身の顔へと微笑んだ。
「戦えない事より、沈むことが怖い――その思いが確信させる。これだけは、提督に感謝だな」
「惚れちゃった?」
「ば、馬鹿言うなよ!」
「でも、満更でもないみたいだけど~?」
「ないな。ない。あの野郎と付き合うなんて、心はともかく、体がいくつあっても足りねえよ」
「本当に、ケダモノよね……」
天龍のぼやきに、龍田は遠い目で同意する。
「そう言う龍田は、どうなんだよ? なんか、馬が合ってるように見えんだけど」
天龍はニンマリと含みある笑顔を作ると、どうなんだよと龍田へ迫った。
「私? そうね~。私も感謝してるわ~。こうやって天龍ちゃんを、ちゃんと返してくれたもの~」
「おう、俺は帰ってきたぜ」
二隻の表現は微妙に異なっているが、深くは言うまい。
「本当に天龍ちゃんは、すぐに無茶をするんだから~」
龍田は、そう言って向かい合う天龍へ手を伸ばした。
「悪いな、いつも。でも、この天龍様なら、大丈夫……」
「本当に、困り者よね~」
龍田は片手を自分のほほに当てて、唇を三日月にする。
「おい! まて! なんか黒い羽が見えんだけど?」
「本当に、分かっているのかな~?」
黒輪を冠する黒翼の堕天使は、天龍の眼帯を、紐は頭に掛けたまま、ゆっくりと、ゆっくりと、引き離していく。
「お返事は~?」
龍田は極上の笑みに合わせて、引き絞った眼帯を、
「や、やめろー!」
「それは、違うかな~」
放した。
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙! イイッ↗ タイ↘ 目ガァァァ↗」
「朝から元気がいいわね」
眼帯の上から手で押さえて、湯船の中を転げまわる天龍をしり目に、声が掛かった。
「あら~、満潮。いつから居たの~?」
龍田達が入っている大風呂の脇。
そこに設置してある一人風呂の一つに、満潮が浸かっていた。
「龍田が起きる少し前よ。私が来た時には、二隻とも居たわ」
満潮は、質問を先回り。
「龍田、そんなに怒んなよー。もう、あんな事しないって。おう、満潮じゃん。昨日は、ありがとうな」
「どういたしまして、お互い様よ」
軽く流した満潮を、天龍はまじまじと見つめた。
「な、何よ」
「いやーよ。お前ってこういう場合、『任務だから』とか言いそうじゃん」
「そういえば、そうかもね~」
天龍の感想に、龍田も同意を示す。
「うるさいわね。私にも、少し思うところが出来たのよ。悪い!」
「悪くはねえけどよ。思うところねー」
天龍がふーんと、納得をしたのか、しないのか、良くわからない返事をする。
「ところで、満潮。その顔の――」
「聞かないで!」
「はや!」
天龍がヒョイと湯船から出した手で、満潮の顔にある三つの点を順に指差す。
言い終わる前に、満潮からのストップコール。
「あいつに付けられたのよ。洗っても落やしない。本当にウザイわ」
ジャブジャブと、満潮は顔を洗いながら悪態をつく。
「あいつ? 提督か?」
「そうよ。あいつ以外に、誰がこんな事をするのよ!」
「そうなのか?」
「入渠の時間も増えるし、何なのよ」
「吹雪みてえだな。駆逐艦で流行ってるのか?」
「流行るわけないでしょ!」
「だよな」
天龍は、自身が着けた火種がこれ以上燃え上がらないように、満潮から顔を背ける。
その動きのまま、龍田の首――正確には、首にある首輪のような血の痕――に、目をやった。
「龍田のそれも取れねえよな。って、また、濃くなってねえ?」
「お風呂で暖まったせいじゃないかしら~」
確かに首の痕は、真紅に染まってみえる。
龍田はそう答えながら、後から入って来るものを気遣ってか、首がお風呂に浸からないようにしている。
天龍は自分の胸を掴んで左右に引っ張ると、そこを見ようと窮屈にアゴを引いた。
「なんだ? あの野郎、マーキングをする趣味でもあんのか?」
人で言う胸骨の上に並ぶ痣を見ながら、天龍はぼやく。
「そういえば、大淀も脇近くに、痣を付けられていたわね」
龍田が口を押えながら、ポツリ。
「龍田、なんか言ったか?」
「天龍ちゃんが、痣を見て喜んでいるわ~、って」
「喜んでねえよ!」
天龍の反応が楽しいのか、龍田は楽しそうに見続けた。
「だから、聞けよ!」
□ □ □
「叢雲、その腕……」
「ああ、気にしないで。ちょっと、強く掻きすぎただけだから」
壁時計の針は、間もなく八時をさそうとしている。
今日も大淀と叢雲は、執務室へと上番していた。
入室順は、叢雲が先、大淀は、後。
大淀は、駿河の了承を得て扉を開けた先に叢雲を見とめると、少し悔しいと口を曲げていた。
ちなみに、駿河は当然とすでに居た。
「だけって」
入室早々、大淀が叢雲の腕先にまかれた包帯を指摘する。
両腕ともだ。
大淀はその包帯の先、叢雲の手に目を細める。
昨日までは、執務の時には外していた手袋を、今日に限っては着けていた。
「手の方は治ったの?」
「ええ、大丈夫よ。ああ、これ?」
叢雲が手をプラプラと、大淀の前で振る。
「寒いから、してるだけよ」
確かに寒い。
二隻の吐く息も、机で目を閉じて座る駿河の息も、白く湯気立っている。
艦娘も、暑さ寒さは感じる。
ただ人の行動限界値とは、一線を画す。
だからと言って、我慢しろとの理屈はないのだが。
「時間だ」
駿河は定刻だと告げた。
二隻のやり取りには興味が無いようだ。
「提督、大本営より通達が来ております」
では、と大淀から。
「読め」
駿河はいつもの単語会話だ。
「はい、大本営発。『深海棲艦に大規模侵攻の兆し有り。全ての鎮守府は演習を密にし、戦力増強に努めよ』――以上です」
「もう、そんな時期なのね」
「まだ、一年た経っていないこの鎮守府ですが、大規模侵攻は二回……三回目になりますね」
大淀は指を折りながら、記憶を探っていく。
「とは言っても、初回は見送り。次回は資源調達。今回も似たような事になるんでしょ?」
叢雲は、片方の手を自分に向けて開くと、残りの手の人差し指で、開いた自分の指を差して数える。
「アンタ、その顔……どう言う事なの」
駿河の表情筋が動く音に、叢雲が何かあると思ったようだ。
大淀もそう感じたらしい。
まあ、もっとも、
「分かるか?」
「その顔を見て、何も感じないとしたら、余程の大物か、余程の――よね」
駿河は、いつもの獣の笑み。
「ああ、もう一つあったわ。アンタの同類」
叢雲は付け足した。
「何よ。大淀」
「いえ、別に」
「あんたも、誰かさんと一緒で腹黒いから、そうやって微笑ましそうに見られると、落ち着かないのよ」
叢雲は、大淀からの視線がこそばゆいと、身を揺らす。
「それは光栄なことです。ただ……いいえ。提督、この通達は何なんでしょうか?」
笑みを浮かべていた大淀は、何かを気にしたのか、急に駿河へと話を持ちかけた。
「昨日の影響がまだあるんだろう」
「『昨日の』って、天龍達の戦闘が大本営に何かを思わせたって事?」
さすがにそれは無いと、叢雲は呆れ顔に。
「確かに、戦艦ル級エリートが、ここの近海に現れたのは異常と言ってよいでしょうが……」
腕を組みアゴ先に手をあてて、大淀も昨日の戦闘を振り返る。
「大淀、貴様が言う『異常』は、この鎮守府だけに起きた事ではなかった。という事だ」
「他でも起きた?」
「確かに、この鎮守府だけって、考えてもいいけど」
叢雲も腕を組む。
腕の包帯が気になるのか、自然とさすっていた。
「全体であっても、おかしくは無い?」
叢雲の独白に、駿河は目を薄め、牙を剥くように口を開く。
「そうだ。俺の根拠のない憶測だが――」
「うわ、アンタ嬉しそう……」
「獰猛な笑顔ですよね。本当に」
駿河の表情に、二隻からの評価は――厳しいと言っていいのか。いつも通りと言っていいのか。どちらだろうか?
「――どこかの鎮守府が、半壊か壊滅状態に陥っているな。これは」
鏡があれば見せてやりたい。
極上の笑顔―― 一般的には、獲物を狩る、最後の一撃中の獣顔――を駿河は浮かべた。
「提督。半壊か、壊滅ですか?」
「ちょっと、いい加減な事を――って、言えないのがアンタよね」
二隻の反応はそれぞれだが、駿河の荒唐無稽な言い分を、信じているらしい。
「通常なら、『戦力を蓄え』だ。それが『増強』。しかも『演習』とくれば、これは今までの理解、戦力評価では、意味がないと言う事だ」
「確かに『攻略せよ』は、よく聞きますが。『演習』を奨励する事は、聞いたことがありませね」
大淀は、手に持ったタブレットPCに、目を落とす。
「しかたないわよ。どこの鎮守府も、自分とこの戦力を公にしたがらないから」
叢雲は演習が盛んに行われない理由を、言うまでも無い事だと、ため息交じりにそうこぼす。
そういえばこの司令官も、以前そんな事を口していたらしいと、叢雲は龍田との会話を思い出していた。
「なんで、隠したがるのかしらね?」
「初めに思いつくのは、戦力の機密保持ですよね」
「他だと、引き抜き?」
「それもあるかもしれませんね。ただ、それは規模の小さい鎮守府の場合に限りますから、大規模な処には適用されませんよね」
珍しく、駿河が二隻の議論に自主参加した。
「戦力を隠したいのは、分不相応だと取っ払いを懸念して。と、言う事もある」
二隻も珍しいと感じたようだ。黙って駿河を言葉に耳を傾けた。
「しかし、それ以上に戦力の把握は、困るだろうからな」
叢雲と大淀は、互いに顔を見合わせる。
目で行われた会議の結果は、『どういう意味?』だった。
「戦力の把握は、昨日と今日の違いを認識させてしまう」
「昨日と今日の違いが問題になると?」
「小さく事を言えば、昨日笑っていたのに、今日は無表情だと、何かあったと勘ぐられるだろう」
「確かに」
大淀は、叢雲の腕を盗み見た。
「じゃあ、大きい事なら?」
叢雲は、事も無く、気楽に言う。
だがその眼は、これから駿河が答える事を察しているのか、この部屋のように冷たい。
「昨日あった艦が、今日は、無い。それも決まった艦種だ」
「まあ、それも戦術よね」
感傷なく吐き出された叢雲の言葉は、強い吐息と共に、床まで届いた。
「戦闘報告に書かれる数字には、それ以上の情報を読み取ろうとする者にしか、読み取れない」
駿河は机の資料へと、手を伸ばす。
「分かられたくない鎮守府は、少なくないだろ」
手元にしたのは、前提督の戦闘報告書だ。
「そういう鎮守府が今回、直撃を食らったろうな」
紙の端をクシャリと歪ませて、そう締めくくった。
「小さい鎮守府が、狙われた?」
「そうではない」
大淀の疑問に、駿河が丁寧に答える。
「接敵した際に、撤退を選択したところは、被害が少ないだろう。しかし、何時もの事と疲弊を誘う波状攻撃をした所は――」
「所は?」
大淀が繰り返す。
「湯水のように、沈めただろうな」
駿河は、どうと言う事も無く、言い切った。
「大淀、これを通しておいてくれ」
「は、はい」
駿河は感傷に浸る間も与えず、次の案件へと着手した。
「これは?」
「何、どうしたの?」
叢雲が大淀の戸惑いに、横から駿河が差出た書類を覗き込んだ。
「改二、改修申請?」
叢雲は思わず駿河を見つめた。
「モノは揃えた。直ぐに改修出来るだろう」
「いや、だってそんなに練度高くないでしょ?」
「死闘とは、それ程の意味を持つ。それだけだ」
「『それだけ』って」
始業に大淀へ答えたような返答を、駿河に寄越された叢雲は、それ以上追及できなかった。
「昨日の事は、昨日の事だけと思うな。今日も、今も、起こる。驕ってもいい、油断してもいい、慢心も結構。だが、引き際だけは、命令に従え」
駿河の言葉通り、この後、何処と言わず、誰と言わず、敵戦力に翻弄されていく事になる。
□ □ □
「面倒くせえなあー」
「あらあら~。お出かけだって昨日の夜、楽しそうにしていたのは、誰かしら~」
「大淀、叢雲、後を頼む」
「はい、お任せ下さい」
「大丈夫よ。夜には帰って来るんでしょ?」
「そうだ」
鎮守府の正面。
日は昇って、間もない。
一台の車の前に、駿河、天龍、龍田、大淀、叢雲が集まっていた。
「天龍さん、余計な事を言わないでくださいね」
大淀が、襟足まで髪を伸ばした天龍へ、釘をさす。
「なんで、俺だけなんだよ。龍田だって――」
腕だけを通した襟ファー付きの黒いアーミージャケットを揺らして、天龍は自分だけかと抗議する。
「あら~、天龍ちゃんにそんな風に思われていたのね。寂しいわ~」
髪を緩く波打たせ、天龍に倣うように肩へ短いケープを巻いた龍田が、天龍へにっこりと、濁点満載で微笑む。
「俺がいない間は、控えろ」
駿河は、大淀、天龍、龍田から少し離れ、叢雲へそう耳打ちした。
多分、駿河でなくても。いや、駿河でも、この叢雲には声を掛けるだろう。
腕は包帯に巻かれ、顔には医療ガーゼ。頭のうさ耳のような艤装にも傷がみられ、発光部分にまでそれが到達しているせいで、不安定な明滅を繰り返している。
大破を放置しているかのようだ。
当人は、いたって平然としているが、他の三隻が話し掛けないところを見るに、察しがつくだろう。
「いくぞ」
姦しいとは言うが、駿河は三隻の談笑を切り上げさせ、車に乗り込んだ。
「言ってくるぜ!」
「ちゃんと、天龍ちゃん見ておくから、心配しないでね~」
運転席へ龍田が、助手席に天龍が乗りこむ。
ル級エリートとの戦闘から三日。
天龍、龍田は改二へと改装していた。