「豚かよ」
天龍が唾を吐く様に言い捨てる。
「こんな所で立ち止って何を……おお! これは、第二鎮守府の。いや、失礼いたしました」
ボテボテとSEを付けたくなる歩みで、近寄ってくる。
天龍が『豚』と呼称した人物。
三五三鎮守府の閣下――元提督だった。
なぜ、この男がここに居るのだろうか?
営倉入り処か、軍法会議を控えているはず。
その男が平然と廊下を一人歩いている異常さに、天龍、龍田は気が付かないのだろうか? いや、其れさえも関心が無いだけか?
「いえ、こちらこそ。確かに、立ち話はよくありませんね」
御剣は、閣下元提督へと頭を下げる。
肩の妖精は、イーと歯をむき出して嫌悪感をアピール。
閣下元提督の視線は、それが見えないのか。一度も妖精へと――御剣の肩へと、向かない。
「いえいえ、私こそ言い過ぎましたかな。こいつらは……たしか、改二でしたかな? いやはや、さすがは第二鎮守府ですな。まったく凄い」
龍田の口元が痙攣をおこしていた。
それほどの態度。
持った太鼓は、どれ程に大きいことか。
事大主義の一面も、持っていたようである。
「『凄い』って、意味が分かっているのかよ」
「なんだ? 何か言いたい事でもあるのか」
閣下元提督は、天龍を肉に埋もれる目で睨み見つけると、御剣にネチャッと口を開いた。
「いけませんな。こう言っては何ですが、こいつらはすぐにつけあがる。よくよく注意された方が、よろしいですぞ」
「そうですか、よく注意しておきます。ただ、残念ながら彼女達は、私の艦娘ではないのですよ」
御剣は、営業スマイルを維持したまま、見下ろす。
「覚えておられませんか? 彼女たちは、三五三鎮守府の艦娘です。貴方が以前いた」
「な、なんですと!」
閣下元提督は御剣に言われると、慌てて、天龍、龍田を見やる。
繰り返す瞬きが、不快に感じるのは偏見だろうか。
しかし、御剣もなかなかの情報通のようだ。
「お、おお。確かに、良く見たらお前達ではないか。元気でやっていたか? いや、あの男にお前たちを奪われてから、気が気でなかったぞ」
ワチャワチャと閣下元提督が身振りを入れながら、全身を使ってアピールをするの見てか、御剣が一言。
「久しぶりでしょう。名前を呼んであげてはどうですか?」
閣下元提督は、置物と化した。
御剣は、龍田へウィンク。
それをUMAでも見たかのように、天龍は口を塞げない。
当の龍田は、微笑能面を追加発注。三枚重ねを敢行。
「んん、ああ、そ、そうですな。あー、確かお前は、あーなんだったかな? 気持ちが出過ぎて、言葉が出てこないな」
有るのか無いのか分からない喉をチョップするようにして、閣下元提督は言葉を濁した。
「ああ、気にするなよ。今、気が付いたけどよ。俺もお前の名前を知らなかったわ。まあ、お互い様だろ?」
悪意の無い暴言程、よく響く。
天龍の言い分に、閣下元提督は髪は薄いが怒髪衝天と、顔を真っ赤に染め上げていく。
「お、お前! よくも儂を馬、馬鹿にしたな!」
怒れる閣下元提督を、御剣は楽しげに見ている。
さらにその御剣を見る龍田は目は、ガラス玉のようだ。
不意に、閣下元提督が怒気を納めた。
「ん? 良く見れば、なかなかの身体つきじゃないか。よし、お前。儂に少し付き合え。それで手打ちにしてやろう」
天龍の胸へ眼球を伸ばす勢いのまま、閣下元提督はその手まで伸ばし始めた。
「貴様に男と言うものを、教えてやるぞ」
脂ぎったその声で語られる口説き文句は、聞くものが聞けば卒倒しそうだ。
現に、御剣の肩にいる妖精は、何かを吐き出している。霧、霞だろうか?
「いくらなんでも――」
「無理だ」
御剣の制止にかぶせて、天龍が言葉を落とした。
己の胸越しに、閣下元提督へ淡々と。
「俺は、雄もケダモノも知っちまった。テメエの男など、届きようがないぜ」
閣下元提督は、天龍の言葉に目を剥いた。
なぜか、横にいた御剣も同様に。
「あれは、無いわよね~」
龍田の追い討ち。
閣下元提督は、天龍、龍田を交互に見やる。
やはり、なぜか御剣も同様に。
二人の揃った動きは、より滑稽に映った。
「わ、儂のが、小さいと言うのか!」
「そんなん知らねえよ」
天龍は、ただ感想を漏らしただけだった。
閣下元提督が何に憤慨しているのか、想像できていないようだ。
「こ、この」
閣下元提督手が腰へと延びる。
腹に埋まるベルトに付けられたソコへと。
なぜ、ソレをココで所持出来ているのか?
御剣は、閣下元提督が何をしようとしているのか理解していた。
「そこまでする――」
御剣はまた、言い終える事が出来なかった。
「何をしている」
地を這う声が、御剣の言葉を裂き、静かに空気を震わせた。
「なんもしてねえよ」
天龍は口をとがらせて横を向く。
「どこで、油を売っていたのかしら~」
龍田は目を細め、咎めるように口を開くと、ずっと隠していた首を衆目にさらした。
二隻とも、掛けられた言葉は当然自分達宛てだと、間髪いれない返答だ。
「これは、想像以上だね」
御剣が、我知らず固唾を飲む。
「唾を吐くなら、目を見ろ。馬鹿者」
現れたのは駿河だ。
当然と制帽をかぶり、一人軍行と歩む。
なぜか、右手を手刀にして。
「って、君は何してんの?」
「な、なんでもねえ。気にするな」
「あらあら~」
脈絡なく頭を押さえる天龍の行動に、御剣は思わず理由を投げかけた。
「第二鎮守府、御剣提督とお見受けします。内の者が何か――粗相をいたしましたでしょうか」
駿河は御剣が、脱帽していることを認めると、自身も脱帽して十五度の礼を礼式動作通りに行った。
制帽正中掴み、左手横に沿え、胸前にて中見せず、右太ももへ内向け、上下直線にズボン縫い目に揃え、首曲げず、下向かず、腰を折り、礼。
三つ数えると、駿河は逆再生するように制帽をかぶる。
「そいうの格好良いですけど、なんか軍隊みたいで、怖いですね」
御剣は、駿河の問いへ答える代わりに、感想を述べる。
駿河は黙って“気を付け”の姿勢にて、待機。
「なあ、あの第二って、内の……奴より偉いのか?」
天龍は駿河を見たまま、口端で龍田へと尋ねる。
やはり言いづらいのか、途中滑舌を悪くしながら。
「確か、大佐扱いだったはずよ~。だけど、鎮守府の格はあちらが随分上だから、同格かしらね~」
「なら、この態度必要なくないか?」
天龍が、龍田に質問を繰り返す。
龍田も、天龍へ顔はむけていないが、
「……私たちに非があるかもって、下手に出てるのよ。たぶんね~」
悲しい目でそう答えた。
「なんだよ。俺達のせいで下げる必要もない頭を下げてるってのか? よし」
「駄目よ」
「なんでだよ」
「たぶん、さっさと帰りたいのよ」
「あ? あ~、たしかに苛立ってんな」
駿河の雰囲気は、大本営にいる事もあり確かにいつもより固い。
だが、ささくれや苛立ちを感じるような言葉遣いや、行動は見つけられない。
この二隻ゆえの機微か。それとも、愛玩動物の気持ちが分かるという飼い主のソレか。
「もう、気が済んだか?」
内緒話を続ける二隻に向かい、駿河は声を掛けた。
「聞いた話よりは、仲が良さそうですね」
「は、日々、指示命令系統の確立、徹底に努めております」
「そう言う意味ではないんですけど……あの、僕の方が全然年下なので、敬語でなくてもいいですよ」
「は、失礼いたしました。ご不快、申し訳ありません。己の性分ですので、お聞き流しいただきたく存じます」
御剣は、自分よりも背のある人物は珍しいのか、駿河の顔と足とを視線が行きかう。
「うん? どうしたの」
御剣の肩に乗る妖精が、じーと駿河を見つめる。
駿河も下にいる肉塊と同様に、見えていないのか。御剣から視線を外さない。
「そうだ。明日は、よろしくお願いします」
駿河へと御剣は会釈した。
「な、何かあるのですかな?」
慌てて、閣下元提督が会話へと参加してくる。
自身の存在を忘れないでと、懇願。
「はい、実はですね。貴方の進言もあって明日、三五三鎮守府の視察を、僕がする事になったんです」
「儂の?」
「はい。駿河少将の提督資質に疑問あり。でしたよね?」
御剣の発言に閣下元提督は、気まずそうに視線をそらす。
当の駿河は、何するものぞと、表情を変えなかった。
「承知いたしました。始業より実施出来るよう、努めてお待ち致します」
「断ろうかとも思ったんですけれど、興味がわきましたのでお受けしようかと」
保留した返答を決定事項のように、御剣は口にしていく。
「失礼します」
駿河は挙手の敬礼をすると、廊下脇に一歩下がり歩き始めた。
天龍、龍田も駿河に倣い敬礼をすると、小走りに駿河の後を追っていく。
「やっぱり、道具のように……なんとか……」
「あの」
駿河の背を見送る御剣へ、下から声が。
「はい、何んでしょうか」
「折り入ってお願いが」
「お願い?」
「はい」
閣下元提督は、ブフフと笑い声のようなものをこぼした。
□ □ □
同じ頃。
「大淀、少しいいかしら?」
「はい、いいですけど。何かありましたか妙高さん。高雄さんまで一緒に?」
大淀は午後の一息と、新設されたフロアラウンジの一角に居た。
駿河らしいチョイスと言えるだろうか。
椅子は無く、背のあるテーブルを囲うようにクッションを巻いたパイプが設置されている。
使用する時は、腰をソレに預ける立ち飲みスタイルだ。
「あら、お茶かしら?」
「はい、今日から解禁との事です。間宮さんの処に行けば、頂けますよ」
高雄が、大淀の手に収まる湯呑を目ざとく見つける。
「それは……提督の計らいで?」
妙高が思案顔に確かめる。
「はい、もう少し状況が整えば、紅茶や、コーヒーも解禁されます。お酒は、まだ厳しいみたいですが」
大淀は、妙高へ向けていた顔を、ため息交じりに横へと背けて、
「昨日、鳳翔さんと何やら内緒話をしていました」
ため息の理由を吐露する。
「そうですか……」
妙高は、さらに太い眉を眉間に寄せて、高雄と顔を見合わせた。
「えっと、何か不都合な事でも起きましたか?」
にこやかな雰囲気を一変させ、大淀は声を固く尋ねる。
駿河の留守を預かっている。という責任感からの態度だろう。
「ごめんなさい。変な勘ぐりをさせてしまったみたいね」
妙高が眉尻を下げて、大淀へと謝罪する。
「提督の事なんだけれど」
妙高がそのまま切り出した。
「提督ですか?」
「大淀、そんなに身構えなくて大丈夫よ」
大淀の表情に変化はない。
しかし、その海色の瞳の奥には、巻き上げられていく錨が垣間見える。
高雄はすかさず、大淀を諭した。
「聞きたい事は、あの夜の事なの」
「あの夜? ですか。昼では無くてですか?」
「お昼? えっと、よく分からないけど、提督が来られた日の事よ?」
「あ!」
高雄の捕捉に、大淀は自身の脇に手をあてて、顔を赤くしていく。
「そ、それで、どういったご用件で?」
早口に大淀は言葉を並べる。
「落ち着いて、大淀」
高雄の横から、妙高が口を開く。
「思い出して欲しい事があるんです」
「思い出す?」
「そうです。あの晩、あなたが読み上げた。あの辞令について」
大淀は、妙高の言葉の意図を理解できないのか、曖昧な態度になった。
「あの辞令は、提督が持ち込まれて、大淀が読み上げた。のよね?」
「はい、あの瞬間まで、あの方が着任してくださるとは、思いもしませんでした」
大淀の言い回しに、高雄は嬉しそうに目を細める。
「『くださる』……大淀は、本当に提督を信用しているのね」
「はい、今の私の全てと言っても、過言ではありません」
凛とした面で、声を出す。
右脇に添えられた左手の恰好も相まって、宣誓をしているかのようだ。
「そう」
高雄が含みなく聞きとめる横で、
「足柄も……いえ、それは私の責任」
妙高は、目を見開き、すぐに伏せた。釣られるように顔までも。
「妙高?」
「なんでもないわ、高雄。で、その辞令なのだけれど――」
「本物でした。偽物ではありません。たとえ――」
妙高の言葉を、早口に大淀が遮る。
「待って、大淀」
それをさらに、高雄が止めた。
「よく聞いて。書面に真偽の疑いを持っているわけじゃないの」
高雄が大淀へとテーブル越しに、身を寄せる。
「よく考えなくても、前任者は大本営で裁判に掛けられて、今は牢屋の中よ。もし、あの辞令がつくられたものなら、既に正されるているはず。よね?」
瞳孔の動きを確認しているかのように、高雄は大淀の目を覗き込んでいく。
「では、何を?」
「正規の書類だからこその疑問。と言う処かしら」
高雄は道を空けるように身を引いて、妙高の声を大淀へと届ける。
「ずっと違和感があったの。提督は少将の前階級は、准将とあったのよね?」
「えっと……はい、確かに准将とありました。それが何か?」
妙高は、大淀へ詫びるように、静かに告げた。
――よく考えて、大淀。海軍に准将は、存在しない。