『千尋』
そう名乗った少女は、ホウ……と息をついた。
震わせるようにゆっくりと、目蓋が上がっていく。
「ここは?」
水面からの照り返しが、“気つけ”となったのか。わずかに前へ傾げていた首が、スッと伸びる。
「石炭袋は……」
少女――千尋は、自身の手を胸元へと持ち上げている。
不思議そうに、握り、開き、握る。
単純な動きだが、見飽きないとでも言うように繰り返し続る。
次いで腕を捻り掲げて、天井の照明に掌を透かし見るように、しげしげと観察。
足先を見つめ、体を抱きしめるようにして身をよじり、己の背へ視線を這わせる。
「有也?」
「千尋? そんな艦なんていない。あの顔も、どの絵師にも似た処がない……」
抱きしめる第二の瑞鶴を押しのけ、御剣は一歩、また一歩と、魅入られたように少女へと近づいていく。
確かに可愛いながらも、美人だ。
色気があるようにも感じる。
なんとも掴み処のない容姿だからこそだろうか?
「現状を把握出来たか」
駿河のいつも通りの冷めた問い掛け。
手が届く距離に千尋がいるような声量だ。
ただ、その手を届かせるには、後十二、三本、腕を継ぎ足す必要があるだろう。
不思議とよく響くその声に、
「ちょっと、待って下さい」
千尋は顔を覆うように片手で額を押さえて答えた。
艦娘には、問題ない大きさなのだろうが、人の耳ではかろうじて聞き取れる程度で。
「会話に問題はないな」
どうも駿河は、わざと簡単でない言葉を掛けたようだ。
千尋は、周囲をまるで小動物のように首を回し、キョロキョロと見渡す。
頷きを一つ。
海水プールの縁――駿河達が集う方へと、水面を滑るように歩き始めた。
滑ってもいない。
水面に波紋や水切り跡が出来ていない。
「浮いている?」
千尋の垂れ下がった素足のつま先。
そこより五指下に、水面はある。
「艦娘――戦船。魂。持つ。女。人型……戦い……ここでも戦火が……」
独り言を千尋は繰り返す。何かに教わっているように。
千尋と共に現れた四つの艤装は、まるで紐で繋がっているように、千尋の後を一拍おいて、水面をかき分け追従してくる。
「名を名乗れ」
縁に立つ駿河の前まで来ると見上げるように、千尋は頭をのけぞらせた。
その瞳には、先ほどまであった不確かさはない。
「私は、メ……」
駿河のアゴへぶつけるように、一声を吐き出す千尋。
だったが、突然言いよどみ、首をかしげる。
「どうかした?」
黙って千尋を見つめる駿河の横へ御剣は来ると、自身の膝に手をあてて腰を折り、千尋と視線の高さを合わせた。
「うーん? あー。えー。ん?」
「混乱しているのかな? 大丈夫だよ。落ち着いて」
御剣は、ゆっくりと優しく千尋へと声を掛けながら、その頭へと手を伸ばす。
フェミニスト――そんな言葉が適切だろうか?
「あれ? 怖がらせちゃったかな?」
御剣の手は空振りに終わった。
千尋が予備動作無く、横へとスライドしたからだ。
頭を捉えられなかった御剣の手は、その下にある千尋の肩にも落ちなかった。
それも込みで、ミリ単位の移動したかのようだ。
「無理にまとめるな。そのままを言葉にしろ」
御剣とは正反対に、駿河は千尋へと気遣うところなく、言葉を降らせた。
「うまく、言語化できません。使っている言葉が違うのか。変換? 言い換えが、私の中で起きているように思います」
駿河の腹へ、そう申告していく。
好き好んで駿河の腹へ、千尋は話掛けている訳ではない。
単に両者の身長差によるものだ。
千尋は駿河の目を見て話そうとしているが、見上げるようにのけ反る頭が疲れたのだろう。
駿河から少し離れて、高低差を緩和した。
その際、視線を降ろす途中、駿河の一部を凝視したのも、顔に赤みがさしているのも、全て気のせいだろう。
「わ、た、し、は、メ……ダ、イ、ドウ、級……千尋。何番艦なのかは、分からないわ」
出せる言葉を確かめながらなのか、千尋は途切れ途切れに名乗っていく。
「『ダイドウ』は、“大きい道”でいいのか」
「そう――そうね。そうだわ。そうです。そうよ」
「大道級? 大道“型”じゃないのかい?」
駿河についで、御剣が千尋へと尋ねた。
「『型』? 級しか思い浮かびませんね」
「と言う事は、海外艦? いや、でも――」
御剣は、『キャラ以外の史実は、知らないもんなー』等と言いながら、膝を抱えて考え込む。
「ねえ、あなた艦種は?」
第二の瑞鶴が、御剣のそんな姿は見たくないと、引き起こしながら千尋へと質問した。
同族としての好奇心からか?
「艦種?」
「そうよ」
千尋は、後方を振り向く。
自身に追従する艤装達を見ながら、呟く。
「空母、揚陸、先見の明、賢明な工匠、鉾と弓……私は……私は……監察――砲艦?」
第二の瑞鶴が、千尋の言葉を拾いながら眉を寄せる。
「砲艦って――」
千尋の肢体を遠慮なく見回って、
「海防艦ってこと? その割には、背があるようにも思えるけど。はぁ……」
千尋の胸元から自身の胸元へと視線を移して、なぜか溜息で終わった。
どちらも、つつましい。
“何が”は、内緒だ。
「海防艦……今の私は、そう違わないかもね」
「結局、こいつは何なんだ」
いつの間に居たのか。
閣下元提督が、唾をまき散らしながら叫ぶ。
「大道級海防艦、千尋」
駿河が代わりと、千尋に向かってその名を呼んだ。
「秘匿試験兵器の類でしょう。戦時に置いて、全ての戦艦が記録に残せる代物だったとは限りません」
「確かに、そいうトンデモ兵器なんかの噂は、ありますよね」
駿河の意見に、御剣も賛成のようだ。
閣下元提督も、腑に落ちる処があるようで、反論は無かった。
「で、貴方が私を切りつけてくれたのですね」
千尋は、声固く尋ねた。
今も駿河の右手にある、天龍の艤装刀を見ながら。
「そうだ」
躊躇の無い一言。
「そうですか。なら、私は貴方に報復をしてもいいのですよね?」
四つの艤装に備え付けれた砲塔――砲塔だろうか? それは筒状の物もあったが、向きを間違えた箱状の物や、レールのような物が二本突き出したフォークのような物――が、千尋の発言に合わせて、一斉に駿河へとその先を向ける。
「ひーいい。儂は、関係ないぞ。関係ないんだ」
「提督ぅー!」
駿河の両脇に居た二人。
閣下元提督は、腰が抜けたか、尻餅をついて後ずさる。
御剣は、第二の金剛が後ろから抱きしめ、引きはがした。
「そうだな」
駿河は挨拶でもするように答えた。
先ほどから天龍が静かだと思えば、いつからなのか。駿河は左腕一本で、天龍を自身の背中へ押しつけるようにして捕まえている。
腕一つで艦娘を制圧できるわけがない。
天龍が暴れない処を見ると、駿河の意志を汲んでいるのだと思える。
ともなければ、砲撃一つくらいでは、駿河は死なないとでも思っているのだろうか?
何処まで行っても只の人なのだが。
「……ここは『助かった』と、言っておきましょう」
不満に頬を膨らませたかと思えば、千尋は淑女のように微笑んだ。
コロコロと変わる表情は、猫の目のようだ。
「で、私の艦長の――」
「僕は御剣。よろしくね」
御剣は金剛に抱きしめられた格好のまま、そう挨拶をした。
金剛が抱きしめてできた御剣の制服のシワが、深くなったように思える。
「『御剣さん』ですね。優しそうで、恰好良いですね」
「いや、そんな事ないよ」
御剣は、戸惑うことなくやんわりと否定した。
これが、持てる者の余裕と言うやつなのだろうか? ――泣かせたい……失礼。
「それで、貴方のお名前は?」
「『艦長』って、なんだよ?」
天龍が駿河の肩にアゴを乗せるようにして、顔を出した。
「艦長は、艦長ですけど?」
「なあ、これって降格扱い、ぎゃ!」
駿河の耳元で天龍が囁く。
囁き終わる前に、驚く猫よろしく瞳孔ごと目を開き切って、天龍は小さく悲鳴を上げた。
「し、尻が」
何だ? と皆がいぶかしがる。
皆からは見えないが、駿河は、天龍の尻を掴むようにてして立てた左親指を、天龍の尻というか太もも上にめり込ませていた。
「気にするな。駿河だ」
天龍の奇声に千尋は目を丸くしたが、駿河の名乗りに興味を失ったようだ。
「へえ、自分の提督って分かるんだね」
「……そうですね?」
御剣が感心したとでも言いたげに、千尋を見た。
「皆お疲れ様! ありがとうね。最高のステージだったよ」
「この声!」
千尋は文字通りに目一杯に見開くと、グリンッと音が付きそうな勢いで顔をそこへと振り向けた。
「歌っていたのは、貴方よね!」
川内の顔負けの瞬間移動――まさに飛んでいくと、千尋は興奮冷めやらぬままに、口を開いていく。
いきなり目の前で千尋を見失った事に慌てる間もなく、その大きな声に皆は顔を向けている。
「歌? うん。みんなのアイドル那珂ちゃんでーす」
しゃがみ込んで妖精たちを労っていたのは、本日秘書艦の那珂。
背中に掛かる声に振り向くと、『歌』のキーワードもあってか、お決まりの挨拶を披露した。
「アイドル? Oh! デカルチャー! 歌は文化だわ!」
「文化? よく分からないけど、またファンを増やしちゃったかな?」
「ファン? もちろんよ。記録は消えても、歌は消えないわ。何度でも思い起こされる神霊の領域よね」
「なんか、熱烈なファンが出来ちゃった」
「他にも『歌』は有るの? 私も歌うのは好きよ。聞くものね――」
「えっと、ちょと落ち着いて。ね。はい、深呼吸」
さすがの那珂も、千尋の勢いにたじたじのようだ。
「なあ、これって、提督の資質があった。って事で、いいんだよな?」
離れたところで深呼吸を繰り返す二隻を見ながら、天龍は流し見るように御剣へと口を開いた。
「そ、そうだね。確かに建造は、出来たわけだし」
「むうう……しかし――」
肯定する御剣の横で、
「――あのような危ない建造。逆にその資質に疑問を覚えずにはいれないぞ」
閣下元提督は、難癖をつける。
豚おっさんの『むうう』は、セクハラではないだろうか?
それを真横で聞いた第二の金剛は、『紅茶、紅茶を……』と、精神安定剤をご所望中。
「色々あったけど。今は、一七二〇。これで帰れるわね」
第二の瑞鶴が、ため息交じりに、誰にとは言わず思いをこぼす。
ここの居心地が悪かったのか?
帰りも閣下元提督とのランデブーを想像してか?
見つめる御剣の視線の先が気に入らないのか?
どちらにしても、帰りたい事は間違いないようだ。
「そうだね……帰れるね」
御剣は、何とも歯切れの悪い返事を返す。
深呼吸をしていたはずが、いつの間にかブレストレーニングへと移行している二隻を視界に収めたまま。
「もう、放してくれてもいいだろ?」
「そうだな」
駿河は自身の背から解放すると天龍へと向き直る。
手にした艤装刀の刃を掴んで、柄を天龍へと差し出した。
「あんまり、ポンポン使わないでくれよな」
「そうだな」
天龍は別に自身の艤装刀に固執している訳ではない。
ただ、何か一言言いたかっただけだろう。
「自重しよう」
駿河の続く言葉に、柄へ伸ばしていた手が一瞬止まった。
「なあ、昨日からいろいろ貸しがあったよな」
「そうだな」
「これも貸しだよな」
天龍は、自身の艤装刀を鞘へ納める。
「そうだな」
「貸しって事は、返してくれるんだよな?」
「そうだな」
駿河の言葉に、唇をもごもごさせていた天龍が、頑張っています。と、声を上げた。
今の赤らむ天龍の顔は、龍田がいれば『可愛い』と言っただろう。
それとも、面白くないと唇を噛んだか?
「あのよ! こ、今晩……オ、オレと、一緒――」
「そうだ! 『危険』だ!」
御剣は、現状を打破した達成感を表現するように、大きな声を張り上げた。
天龍の言葉をかき消すほどの声で。
「――にー」
「なんだ」
現に駿河は、天龍が何を言ったのか聞き返している。
「……あ゛あ゛あ゛? 小僧……ことごとく邪魔をしやがって、そこに直れ! 叩き切ってやる」
艤装刀を抜刀しながら、天龍は御剣へと速足で迫って行く。
その顔は、不機嫌さにあふれていた。
あ、目に涙が溜まっている。
「泣いているのか」
「泣いてねぇーよ!」
ズンズンと歩く天龍がくるりと向きを変え、その勢いのまま駿河へと向かって行った。
天龍の突撃は、くしくも駿河の一言に阻まれる事に。
「何よ、大きな声を出して?」
「瑞鶴。僕は今日、ここに泊まって行こうと思う」
「はあ?」
深刻だと声を潜め、御剣は俯く。
「やっぱり、言われた通り。これで、『はい、お終い』は、出来ないと思うんだ」
過程はどうあれ、建造の指示を完了させた以上、『はい、お終い』で、良いのではないだろうか?
「未確認艦みたいだし。今晩は様子を見る事が、僕の使命だと思うんだ」
未確認艦とはいえ、他鎮守府の戦力を他の提督が確認すると言う事が、あって良いんだろうか?
「だから、今日は泊まって行こうと思う。彼女にも聞きたい事があるし」
「えっと……いいのかな?」
「んー。あんまりよくない気がしますネー」
第二の瑞鶴が、『どう思う』と第二の金剛に意見を求めた。
「建造の指示だけで、それで完了とする事は、明言していない――」
駿河は、現状を口に出して整理すると、御剣の後ろに誰かいるかのように見据えた。
「――わかりました。こちらで部屋を用意しましょう」
「あ、ありがとうございます。おーい、千尋。ちょっといいかな?」
駿河への返答もそこそこに、御剣は千尋へと駆け寄っていく。
慌てて、第二の瑞鶴、金剛も離れてはまずいと、その後を追った。
「構いませんけど……随分となれな――まあ、いいでしょう……」
「那珂ちゃんには? 那珂ちゃんにも色々聞いてもいいんだよ?」
「あー、那珂ちゃんは、いいかな?」
「ええ、酷い! 那珂ちゃん差別だ!」
「私の尊敬する那珂ちゃんさんを、蔑ろにするんなんて!」
「え、いや、そんなことは無いよ? えっと、那珂ちゃんは何が好きなの?」
「えー、いきなりだなー。えっとねー、那珂ちゃんは、那珂ちゃんを見てくれる人が好きなんだよ」
「見てくれる? ああ、ファンって事かな?」
「そうそう、ファンは大事にしなくちゃね」
「で、いいかな? 千尋」
「なんか嫌です」
「ええ? ああ、君はツンデレタイプか。曙……満潮……霞かな?」
「何を言っているのか分かりませんが。この後、那珂ちゃんさんにボイストレーニングを受けるので、もう行ってもいいですか?」
「ちょっと、待って――あのさ、僕の事どう思う?」
「有也!」
「No-! 私だけを見てって言ってるのニー」
騒がしい一団を一瞥して駿河は、天龍に指示を出していく。
「天龍。執務室に固まっている明石と夕張、大淀を呼んでおけ。……千尋はしばらく大淀の部屋に置く。那珂も一緒の方が良いだろう。川内には俺から話そう」
天龍は『ああ』『うん』と、なんとも気の抜けた返事を繰り返す。
「おい、御剣提督が泊まるのなら仕方ない。儂も泊まるぞ」
眉間しわを寄せながらも、口元が緩むのを隠しきれない閣下元提督。
今の駿河と天龍のやり取りを気にすることなく、声を掛けれる閣下元提督は、ある意味さすがです。
「もちろんです」
「そうだな。儂がいなくなった後の執務室を見せてもらおうか。儂の部屋の用意までは面倒だろう? 寝るのは医務室で構わない」
閣下元提督が柄にもない事を言い出した。
駿河は、それを微笑んで受け止めた。
駿河流の微笑ではなく、人の笑みでもって。
「承知いたしました」
返事の声も、心もち軽い気がする。
「そ、そうか。よろしく頼むぞ。御剣提督、儂も泊まりますぞ――」
駿河の露骨な態度に、さすがの閣下元提督も疑問を覚えたようだが、それも一瞬。
用が済んだと、閣下元提督はバタバタと賑わう集団へと走っていった。
「明日だ」
駿河が天龍に、そう声を掛けた。
「もういいよ。興が削がれちまった」
ぼそぼそと呟く天龍の腰を、駿河は横に引き寄せた。
「それくらいで丁度いい。でないと、また泣きわめく事になるぞ」
「な、何いってんだよ。こんなところで」
「一日分の利子も払ってやる。覚悟しておけ」
「だから、俺は――」
「那珂。仕事だ」
天龍の言葉を聞き終わらないうちに那珂を呼びつけながらも、駿河も那珂へと向かっていった。
「おい。だから、もういいって言ってんだろ? 聞けよ。なあ」
両胸の間にに手をあてて駿河の背中へと呟く天龍の唇は、きつく結ばれていながらも、その口角はほのかな温かみを感じさせた。