時間は少し遡る。
御剣一行がここ――鎮守府に到着したのを、執務室から見つめている者達がいた。
「何で……あの男が、ここに」
直接覗かず、わざわざ手鏡を――と言いたいが、そんな物が支給されているはずも無く。どこから剥がしてきたのか、洗面台にあるような鏡を、まるで手鏡のように持ちかまえる妙高。
言葉は緊迫しているのに、恰好は締まらない。
「そもそも、どうして、出歩けているのかしら」
妙高が持つ姿見を後ろから覗き込み、高雄は妙高の疑問に、疑問を上乗せした。
「大淀? ……大丈夫そうね」
太い眉を寄せて、同席する大淀を、妙高は見やった。
あの豚――閣下元提督の辱めを一身に受け止めていたのは、大淀だからだ。
少し妙高達の事を弁護すると、何も大淀を人身御供として、自身の保身を求めていたわけではない。
単純に、妙高達が覚悟を決めても、閣下元提督は、なびかなかっただけの事だ。
当時は、色々な話が上がった。
気の強い者は、NG説。従順説。胸の大きさに、こだわり説。意外に一途説。等々云々。
まあ、ゴシップに沸いた。と言う事は無く。ふと疑問を呈する程度の、関心事にもならない雑談としてだった。
今は駿河の言う提督の資質――艦娘の生物としての認識――が、閣下元提督には数隻しか無かったのだろう。との見解に落ち着いている。
その数隻に当たった者達は、どれだけの不幸だったのか。
結果として、その中でも手が出せたのは、大淀だけだったという事だ。
「はい。問題ありません」
妙高の心配は無用だろう。
大淀は、『へー』『あー』と、閣下元提督を見ても何も変わらないでいる。
「いえ、問題があったとして……もう一度提督に――これは、イケそうです」
いや、既に変わっていて、これ以上の変化は難しいと言う事だろうか?
「イケないわよ」
包帯まみれの叢雲が、大淀をジト目で見つめる。
「本当に毒されたわよね」
「本当によね。大淀さー、ばれたら……考えたくないわ」
叢雲に同意しながら明石は、何を思い浮かべたのかブルっと身震いさせて、自分を抱きしめた。
自分も想像してしまったと、夕張が目の上に縦線を引いた顔で、一隻一隻を指していく。
「青葉のお尻ペンペン、でしょう。(同室の青葉が、お尻を押さえた)
明石のタコくち。(同室の明石が、ほっぺを押さえた)
私のほっぺ爪先立ち。(言っておいて自分の頬を、夕張は揉む)
天龍のチョップ。(外に居る天龍が、ビクッとした気がする)
龍田の首輪。(龍田はここにはいないが、艶っぽく微笑んでいる気がする)
満潮は、何かしら? (『ふふんっ。私は勝者よ』と、満潮のドヤ顔がフラッシュした)」
途中、夕張は自分も指差す。
勢いなのか。素直なのか。
夕張らしいと括っておけば良いか。
「青葉の取材では、あきつ丸は夕張シリーズで。鼻摘み爪先立ちらしいですよ」
お尻を両手で庇いながら、青葉は情報を提供。
「そうなんだ。大淀の場合、なんだろ? 胸もぎ?」
若干不満げな顔している夕張が、大淀の自身と変わらない胸を見つめる。
「胸もぎは、天龍さんではないですか?」
手帳をめくりながら、青葉が新しいネタを投下。
「そうなの?」
「はい。あ、でも。青葉の取材では、大淀は片胸で、天龍さんは両胸ですね。あえて言うのなら、“胸もぎ”と“胸もぎもぎ”。ですかね」
夕張と明石の会話を、叢雲が終わらせた。
「大淀の場合は、髪引きずりでしょ」
「大淀!」
大淀がふらっと、おでこに手の甲――ちゃんとメガネは避けて――をあてて、崩れ落ちた。
「あれは違うんです。艦娘の矜持を、戦船の魂を、ないがしろにしたわけではないんです。違うんです。本当です……」
ネガティブモードに入ったのか。
大淀は誰への言い訳か。床に座り込んで、呟き続けている。
「叢雲」
「もう、しょうがないわね」
妙高が叢雲を一言呼んだ。
たしなめるにはコレで十分。と言う事なのだろう。
「ほら。そうやっていると、アイツにまた髪を引きずられるわよ」
叢雲はため息を一つついて、大淀の後ろに回りこみ、腰をかがめた。
大淀の耳元に顔を近づけると、そのまま後ろから耳もとに囁く。
「はい。大淀は、大丈夫です!」
バネ仕掛けの玩具のように、バビュンと立ち上がった余韻に体を上下させながら、大淀は力強く敬礼をした。
敬礼した手の先もビビーンと震わせている。
「それ、榛名のセリフ」
夕張がすかさず突っ込むと、部屋は笑い声に満たされた。
「本当に変わったわよね。それに比べて、私は――」
そのおかげと言って良いのだろうか? 叢雲の言葉は笑い声に溶けて聞かれる事は無かった。
「あれ?」
叢雲は、妙高がかざす剥き出しの鏡を見ながら、抱いた疑問に目を細めた。
「どうかしましたか?」
「アイツ……笑ってない?」
「本当ですか?」
大淀と叢雲の会話に一同は、そろって妙高の鏡を覗き込んだ。
「あ、本当だ」と、明石。
「うわー、ご機嫌だね」と、夕張。
「あれって、機嫌がいいと言うより、得物を吟味してませんか?」と、青葉。
「えっと、どこを見てそう思えるのかしら?」と、妙高。
「私には、より眉間のシワが増えているようにしか見えませんが」と、高雄。
「似た顔をどこかで……あれはベッド――」と、大淀。
大淀以外の六隻の頭が、ホラー映画の人形部屋の人形のように、一斉に大淀へと振り向いた。
「何ですか何ですか? 青葉、気になります。恐縮です。ちょっといいですか?」
「大淀……あんたねー」
「何、ベッドって。え、え、あれ? わ、私、何も想像してないよ」
「あの提督も、所詮ですか。やはり、足柄の事は私が」
「それでも提督を認めているなんて。大淀にとって、素敵な提督なのね。本当に」
青葉、明石、夕張、妙高、高雄が一斉に口を開く。
「ピロートークは、ベッドの中だけにしときなさいよ」
叢雲の言葉に、大淀は何を言っているのかとポカンとしている。
が、次第に理解できてきたのか、ゆでタコのように顔を真っ赤に染め上げた。
「提督は、これを分かっていたのかしら?」
「『これ』って。元提督の来所の事? 妙高」
皆が賑わう中でも、妙高は鏡に映る駿河達の観察を続けている。
「その通りよ、高雄。戦艦の皆さんが、特別訓練に陸へ向かったわ。それに本人の希望もあったけど、那智も同行してるのよ」
「……那智は、元提督への意見具申から、目の敵にされていた一人だったわね」
「ねえ、叢雲。曙達の営倉入りは、いつまでなの?」
「――明日の〇八〇〇までよ」
「食事は、認めてられるのよね?」
「持っていっても、食べないけどね」
「でも、良かったんじゃないかしら?」
妙高と叢雲の会話に、夕張がは感想を挟む。
「あそこに居れば、あの男を曙達が見る事はないんだし。曙達が手出しできない代わりに、手出しもされないわけだし」
「結果的には、そうなるわね」
高雄は、その実気にしている事を隠しているが、皆にはバレバレのウエストを片腕で抱きしめて、夕張の意見を吟味した。
「何かモヤモヤするわね。普通に考えて、大人しくさせるだけなら半日程度で十分なはず。食事も考えると、ただ厳罰を科したいだけとは考えられないわ」
「どうかしらね?」
太い眉を眉間に寄せて考えを口にしていく妙高を、叢雲は否定した。
「アイツ、結構感情的よ」
「そうなの?」
「そうよ」
妙高とやり取りをする叢雲を見る大淀の海色の瞳は、青味を強くした。
「それで、潮はどうなったの?」
「艤装の方は、お風呂。人の方は、保健室よ」
その横で、昨晩同席していなかった夕張が、明石へと尋ねる。
「入って行くわね」
妙高が自分へと報告する。
御剣達一行が駿河の案内にて屋内に入って行くのを合図に、この観察会は、雑談会へと変わっていった。
それは、駿河の指示にて天龍が来室するまで続いた。
□ □ □
「こんな早くに夕飯ですか?」
「内は有也に合わせているけど、他ではこの時間は普通よ」
時刻は、一八〇〇。
御剣達は、執務室にて夕食を取っていた。
第二の瑞鶴、金剛は当然として、駿河、天龍と、閣下元提督も同席している。
那珂と千尋の二隻は、大食堂での食事だ。
御剣は千尋の同席を求めたが、『皆への紹介がありますので』との駿河の言葉で、叶わなかった。
「これって“すいとん”でしたっけ? 素朴でおいしいですね。どこかの郷土料理ですか?」
「有也は、“すいとん”は初めてデスカ?」
「うん、初めてだね」
なぜ、執務室での食事になったのかと言えば、
「この団子のモチモチ感はいいね。鶏肉もいい感じだし」
一つは、グレードアップした来客用の食事内容を、無用に此処の艦娘達に見せつけない為。
「お、おい。あの壁の向こうは」
「仮眠室です」
「あんなもの無かったぞ」
「作らせました」
「な!」
「ああ、壁に埋め込まれていた金庫は、そのまま横須賀に送っています」
「き、金庫? そ、そんなものがあったのか。いやー、儂も知らなかった。そうか、そうか。そんな物が。で、横須賀に」
もう一つは、閣下元提督の執務室訪問の要望を叶えてしまう為だった。
「まあ、よいわ。本命は医務室よ」
食事は、伊良湖の配膳。
「ところで、これは儂へのあてつけか?」
「お気に召しませんでしたか?」
御剣、第二の瑞鶴と金剛は、暖房の弱いこの鎮守府ではありがたい、アツアツのすいとん。
一方、閣下元提督は、とろみのあるトマトスープに煮られた豆料理。
スキレットのような鉄鍋が皿代わりに置かれている。
むろん、テーブルを痛めないように、鍋敷きもその下に敷かれていた。
「ふん、儂には合わない飯だ。ただ辛いだけで、味がほとんどせん」
「懐かしいかと思いまして」
「懐かしい?」
駿河にしては、リップサービスをしていると思う。
駿河も、閣下元提督と同じものを食べていた。
「そうなのか?」
駿河の後ろで同じものを食べる天龍が、二人の会話にそう感想を漏らす。
最近まで、人の食事をしていなかった天龍に、味について語らせるのは無理だろう。
「へー、そんなにですか? ちょっと、食べてみたいですね」
テーブルの向かいに座る閣下元提督、執務机に座る駿河、その横の天龍の手元を御剣は順番に見ていく。
「では、用意させましょう」
「あ、ちょっと気になっただけで。用意してもらう程では」
そう言いながらも御剣の視線は、誰のとは言わないが、豆スープに釘づけだ。
「一口、欲しいな」
閣下元提督が、ビチャっと――失礼、ニブッ……ニコッっと笑みを作り、スキレットの下に置かれた鍋敷きに指を掛けた。
「天龍、差し上げろ」
「はあ? しょうがねえなー」
「こ奴らが口を付けた物を食べさせるのか?」
駿河の言葉に、御剣は露骨に安堵の息をついた。
まるで、これから恐怖の罰ゲームが始まる寸前だったように。
「僕は気にしませんよ。ありがとうございます。えっと、スプーンをどうしよう」
「そんなの、使ってるレンゲでいいだろう?」
天龍が立ち上がり、御剣の前に自身の豆スープ置く。
閣下元提督は、自分のイメージアップ作戦が妨害されたからか、天龍のものを差し出した事に不満を表明。
第二の瑞鶴、金剛が、ピタッと食事の手を止めた横で、御剣は豆スープを食べ方を考えている。
「味が混じるのが、ちょっと」
天龍の持つスプーンを、御剣は凝視。
「ああ?」
「改めて用意してもらうのは、申し訳ないし。天龍のを貸してもらっていいかな?」
「御剣提督がそれでよろしいのであれば、どうぞ」
天龍が、『オ、オレに……間接キス……』とパニックになっているのよそに、駿河はさっさと肯定して、天龍のスプーンを奪う。
「うわー本当に味が無いですね。これ、なんです?」
「ただのレーションです」
「レーションだと? そんなものを儂にか?」
「急な事でしたので、食事の準備が間に合いませんでした。食べ慣れた自分達はともかく、御剣提督に用意する事は酷かと愚考いたしました」
「はん! 確かに昔、散々食べたわい! 待て、貴様も食べて……いた?」
御剣が満足したと返してきた豆スープと一緒に返ってきたスプーンを、天龍はじっと見つめて、
「オレ、まだ食べ終わってないんだけど」
駿河の後ろで、そうぼやく。
「天龍、口を開けてこちらを見ろ」
「なんだよ急に――これでいいのか? んぐ」
天龍は、駿河の指示に疑問を覚えながらも素直に従う。
「これでも使っていろ」
後一口で完食するところを、駿河はスプーンに乗せて、そのまま開けた天龍の口へと無造作に突っ込んだ。
驚いたのも一瞬、直ぐにモグモグと天龍は咀嚼していく。
「あーん、だ」
「あーん、ね」
「あーん、デスネー」
御剣軍団から、感想の三連射。
「ん゛!」
天龍にその理解は無かったのだろう。
言葉にされたことで、自分の状況を理解したらしい。
食べているからか、口を開けないで叫ぶ。
こんな時でも行儀が良い。
ただ、先ほど御剣が天龍のスプーンを使った時とは比べ物にならないほどの動揺ぶり。
瞳孔がカメラの連射機能よろしく、激しく開閉を繰り返しているように錯覚をさせてくる。
「オ、オ、オ、オレもあげないと。だよな?」
何を言っているのか、自覚できているか疑問だ。
天龍はそう言って、豆スープをスプーンで一口すくうと、駿河へと突き出した。
震えるスプーンは、見ていて危なかしい。
「馬鹿者」
一言呟き、駿河は天龍の前へと立っ。
御剣達からは、天龍が駿河にスッポリと隠された状態だ。
「何も怒らなくても」
御剣が駿河の背を咎めたの同時に、わずかに駿河の首が前へと傾げる。
駿河の前に風船があったなら、それが膨らんでいく光景を他の者は見ただろう。
何かが、熱を持って急激に膨らんでいく。
ケルトノズルの沸騰をしらせる笛音の幻聴を、その部屋に居た者達は聞いた。