「曙、聞こえる」
御剣達が食事をしている頃、明石はドアをノックしいてた。
海底のような様相の営倉に、その音は静かに広がっていく。
尋ねた場所を間違えたのか? 何も反応がない。
「返事はいいわ。朧も漣も、そのまま聞いてて」
営倉の中より、何かしらの存在を感じる事が出来ない。
しかし、明石は自信を持ってその扉に声をぶつけていく。
「潮は今直ぐどうのと言う事は、無くなったわ」
言い終わるのに合わせて、中から衣服が壁に擦る音を、明石は聞き取った。
「そう」
間を空けて届いた曙の声は、安堵にも、諦めにも、受け取れる。
「提督が。ですか?」
「わからないわ」
「わからない?」
次いで、朧の問いかけに、明石は見られている訳でもないのに、かぶりを振って答えた。
「潮の艤装は、今入渠しているわ。ダメージを負ったことで、入渠の恩恵を使って急速に自己修復をしている。その影響で、潮自身も持ち直した。今は保健室のベッドに寝かせているわ」
「それって、ご主人様は分かってやったって事ですか?」
「どうかしら。そうかもしれないし、偶々かもしれない。提督は明言してくれなかったのよね。悪いわね、漣」
会話が途切れた。
明石は、何度か口を開きかけては閉じる。
何かを言いたいようだが、それを言って良いのか、何と言って良いのか、迷っているようだ。
「別に、もういいわ」
「……どう言う事……曙」
扉と床の隙間をくぐらせるように明石はうつむいて、曙の言葉へ投げかけた。
「あのクソ提督の言葉を、ずっと考えていた」
「それで?」
「確かに私一隻の価値なんて、大したことないわ。結局、私たちは消耗品なのよ。目の前の潮を失っても、違う潮が現れれば第七駆逐隊として活動するだけ。朧も漣も変わらないわ。当然、私も」
「だから?」
「今の潮に、こだわる事は無いわ。眠りたいと言うのなら、眠らせて上げればいいのよ。私にはそれを否定する権利は無い」
曙の言葉が空間に溶け消える。
強烈な打撃音。
次いで、営倉の鉄扉がかん高く悲鳴を上げた。
「工作艦の私に、よくそれが言えたわね」
明石は扉を殴りつけたまま。
「事実でしょ?」
「なら、嘘にするだけよ」
曙の開き直った言い分に、明石は即答をすると、その場を黙った去っていった。
「曙」
「ぼのたん」
衣服どうしが擦れる音が寂しく、狭く暗い部屋の中で小さく鳴いた。
静寂は、唐突に終わりを告げる。
「曙さん!」
息せき切って走って来ると、乱暴にドアが叩かれる。
「誰? 吹雪?」
「曙さん! 大変です。提督が! 前提督が来てます!」
「提督? 前の? それって……」
焦点のブレていた曙の瞳が、力強く光を取り戻していく。
自身を抱きしめる朧と漣ごと体を起こすと、連れ出す様に二隻を抱きしめて扉へと――吹雪へと寄った。
「どういう事!」
「どいう訳か、今日の監査に、一緒に来たんです」
「どうしてあのクソが出歩けるのよ!」
「わかりません。ただ、逆恨んで何かする為に来たのかも……とりあえず伝えておこうと――私は、他の娘達にも言ってきます」
因縁のある閣下元提督の訪問を、営倉に入っている曙達へ話す事に、何の意味があるのだろうか?
うがった見方ではあるが、ただの嫌がらせにも取れる。
ただ、吹雪の慌て方から、他意はなく、親切心が余計な方向へと向かってしまったようにも……。
実際、曙達はそのように捉えているのだと思う。
吹雪をなじる事も、疑問を投げる事もしないのだから。
「今動けなかったり、破損している娘が目を付けられちゃうと……」
「そうね。動けない娘は、都合のいい玩具――」
「曙!」
「ぼの様!」
朧と漣は、曙の名前で悲鳴をあげた。
「吹雪! お願い! ここから出して!」
「え、でも」
「潮は保健室で――医務室で寝ているのよ! もし、あのクソの目に止ったら!」
「え! それって。まさか、そんな……」
「吹雪さん。何かあるの?」
「朧さん。直接聞いたわけではないんですけど。今日、監査に来た皆さんは、泊まるそうです。それで――」
声を潜めて、吹雪は告げた。
「――前提督は、医務室を使うと……」
「あのクソ提督! 潮を売ったわね!」
怨嗟の言葉を曙は吐き出す。
扉を殴りつけながら吹雪の名前を強く呼んだ。
殴られ放題の扉に、少し同情する。
「吹雪!」
「分かりました。鍵は何とかしてみます」
曙の絶叫にも似た呼びかけに、吹雪は迷わず即答をする。
「お願いよ! 急いで頂戴!」
「は、はい!」
走り去る吹雪の足音を確かめながら曙は、「二度もやらせないわ」と親指を強く噛んで呻いた。
「えっと、次は鍵を取ってきて。その前にお風呂に行って。で、工廠。それから――」
吹雪は歩きながら、指を折っていく。
まるでクエストを攻略するように。
この後の行動手順を確認していくように。
□ □ □
「夕立。外で食べてて、寒くないのかい?」
「ぽい? そう言う時雨も、ご飯持ってるっぽい」
夕立は一隻、外で食事をしていた――訳ではなく。背を預けている木と対になるように植えられた木の下には、古鷹、加古の二隻の姿も見える。
ほぼお団子で埋め尽くされ、若干の野菜が入ったすいとんから湯気が立ち上る。
雪こそ降っていないが、12月半ば。いくら艦娘が寒さに強いとは言え、寒さを感じないわけではない。
まあ夕立に持つイメージは、雪が降ったら外を走りまくるモノだが。
「気持ち悪いっぽい」
「前提督の事かな?」
「違うっぽい」
「夕立も同じ理由ぽいね」
「なんか、お腹の中にいるみたいで、落ち着かない」
「僕もだよ。ひょっとして、古鷹や加古もそうなのかな?」
時雨が離れた所にいる古鷹たちに視線を送る。
目のあった古鷹は、微妙な顔で見つめ返してきた。
加古は言えば、この寒い中、木に背を預けて寝ている。
あ、赤ちゃんみたいに縮こまってコテンと地面の上に丸まった。――やっぱり寒いらしい。
「誰だい?」
視界の隅に捉えた気配に、時雨は声を掛ける。監査が来ていても、いつも通りに灯りの落とされた正面玄関の方へと。
夕立も、時雨の見る方へと視線を合わせた。
「敵!」
飛び跳ねるように身をお越して、夕立は構える。
両足を広く開け、片手を地面につけた前傾姿勢は、犬が飛びかかろうとするかのようだ。
食べかけのすいとんはちゃんと、こぼさないように後ろ地面に降ろされていた。
夕立に抜かりはない。
「白い……もや?」
正面玄関を見つめる時雨は、白い何かがそこを横切って行った気がした。
より、意識を集中させようとしたが、夕立の声に視点を奪われる。
「吹雪ちゃん?」
「吹雪?」
確かに、吹雪が奥の廊下を走り去っていく。
「あ」
時雨がしまった思った時には、その何かはどこにも無かった。
「夕立、白いもやを見なかったかい?」
「もや? 見なかったっぽい」
「そうかい」
「うん」
興味が無くなったと、夕立は再びすいとんの丼を手に取って、顔をうずめた。
「夕立が見たのは、深海棲艦」
夕立の呟きは、すいとんのお団子と一緒に飲み込まれていった。
□ □ □
「一緒に入渠していると、安心できるわね」
大風呂につかりながら、満潮は横目で姉妹艦達を見て、そうごちた。
「遅くなると、間宮さん達にご迷惑をかけてしまいます。早めに上がりましょう」
「残念です。大潮は、このままぽかぽかしていたいです」
「うふふふふ。お肌の手入れは、ちゃんとしないとねー」
満潮含め、朝潮、大潮、荒潮は、遠征任務から帰って来たばかりだ。
結果は上々。
心なしか立ち上る湯気も、彼女たちを労うように、濃くまとわりついている。
「でも、待機命令があったと思ったら、第七の代わりに近海遠征任務なんて。なんか、残り物扱いみたいで面白くないわね」
「満潮。まだ出撃できていない艦もあるのです。その言い方は、よろしくないと思います」
「そうね、朝潮。すこし口が軽かったわ。ごめなさい」
「分かれば、それで問題ありません」
長女としてたしなめる朝潮の言葉に、満潮は言い返すことなく、素直に頷く。
「うふふふふ」
「何よ」
「満潮ちゃんも、可愛くなったわよねー」
瞬きを何処かに置いてきた荒潮は、その二隻の光景に嬉しさを隠さない。
「はあ? 何言ってるのよ、まったく。それよりも、私はもう少しかかりそうだから、先に上がってていいわよ」
湯に当てられたのか、単に恥ずかしかったのか、顔を赤くする満潮は、強引に話題を切る。
「大潮も一緒にいます」
髪を降ろしている大潮が、顔の前に両拳を作って、ファイティングポーズを決める。
既に、十分湯だっているようだが。
一人我慢大会を開催する所存なのかもしれない。
どうでもいいが、髪を降ろした大潮のキリッっとした目尻は、満潮にそっくりだと思う。
「先に上がってて。私の食事の事を、間宮さん達に話しておいて欲しいのよ」
「分かりました。大潮にお任せです。さあ、いきますよ」
「待って下さい大潮。髪を乾かして、結ばないと」
「お風呂上りの艶姿ー。少しは意識してくれるかしら」
勢いよく立ち上がり、波をかき分けるように大潮が大風呂から出ていく。
つられるように、朝潮、荒潮の二隻もそれに続いた。
「先に上がっています。食堂で待っていますけど、満潮はしっかり治してから来てください」
「そのつもりよ――さてと」
満潮は、朝潮達が脱衣場に消えていくのを見送ると、浮かしかけた体をもう一度湯に肩まで沈める。
「あれは何なの。叢雲」
あご先までを水面に浸けると、また浮力に任せ体を浮かせる。フゥと一息の後に、大風呂の隣になる一人風呂の一つへと、顔は水面を見たまま声を掛けた。
「よく起きているって、分かったわね」
まったく会話に参加していなかったが、一人風呂の一つに叢雲は浸かっていた。
縁に頭をかけて、顔に手ぬぐいを乗せ、仰向けに湯船に身を沈めて。
寝ているような雰囲気に、第八駆逐隊の面々は、声を掛けないでいたのだが、
「分からないわよ。寝ていても、起こすつもりだっただけ」
満潮には、関係なかったみたいだ。
「あんたね……アイツに毒されてきてるんじゃないの」
叢雲は、タオルを顔に置いたまま天井へと、気怠く声を噴いた。
「やめてよ」
「大淀は、喜んでいたわよ」
「大淀さん? ――そうかもね」
言われて喜ぶ大淀を想像したのか、満潮の顔は何とも微妙だ。
「それより、あれは何?」
満潮は、叢雲が浸かる一人風呂とは別の一人風呂を見つめながら、問いかけた。
その視線の先には、小型の艤装と、顔の書かれたピンクの連装砲が湯に浮いていた。
「潮のよ」
「潮?」
「そう。もう、話しても――いいえ、知っていた方が良いと思う。実は、潮は引き籠っていたわけじゃなかったのよ」
叢雲はそう切り出して、昨晩――満潮達が代役となった経緯を説明した。
「はあ? 金属バットで、艤装をへこました?」
満潮は素っ頓狂な声を上げた。
「そうよ。ただの金属バットでね。最初は当然何もできなくて、曙もたかをくくっていたんだけど」
「アレならヤルわよね」
「そう、アイツはやったのよ」
既に完治して傷跡のもない右手の幻痛を感じながら、満潮は「当然よね」と理解を口にしていた。
「で、アイツは潮のボコボコにした艤装を、兵装と一緒に浮かべていったの。今は大分マシになったけど。」
「ふーん。で、叢雲は?」
「私ー?」
顔のタオルはそのままに、両腕を上へと伸ばす。
さすがに包帯はまかれていない。
向きだされたその腕には、体を火照らせている性もあるのだろうが、自身の爪で掻きむしった痕が、赤く無数に浮き出ていた。
「いい加減直せって言われてね。今日は食べる以外は、ここよ。湯治かっていうの」
「逆に、よく今まで『直せ』って、言われなかったわね」
「それは……そうね。秘書艦やらしておいてその実、私に興味がないのかもね」
「そんな事――」
脱衣所につながる引き戸が、引かれた。
「あれ?」
何かを言いかけた満潮が、それをやめて見たのだが、
「満潮、どうかしたの?」
「今、引き戸が開いたわよね?」
「開いたわよ。……誰も入ってこないの?」
「入ってこないもなにも……」
満潮は自然と叢雲の方へと体を寄せていく。
「開いてないのよ」
「え?」
バランスを崩した叢雲が、湯船の中へ頭まで沈める。
「ぱぁ! 誰かがすぐに閉めた……音は一回だけだったわね」
誰かの悪戯か、不慮の偶然と、叢雲は口にしかけたが、理論整然とした自身の思考にて、それは否定を下された。
「音だけなんてありえないわ」
叢雲も、風呂の縁を挟み、満潮へと体を寄せていく。
「あ」
満潮は声を上げて、湯気を指さす。
丁度、脱衣所へと引き戸の反対側を。
「何よ。何もないじゃない。怖がらせようとしたって、無駄……」
叢雲の目の前で、湯気が形作られていく。
真っ白い人型。
長い髪。
切れ長の赤い瞳。
ソレは、ニッコリと叢雲達に微笑掛けると、そのまま空気に消えていった。
「何、今の」
「知る訳ないじゃない」
引き戸が強く開け放れた。
―― ぎゃあー ――
「きゃあー。って、え、どうしたんですか?」
「吹雪……あんたなの……」
「はい? あの、なんです?」
満潮と叢雲は、抱きしめあいながら、大きな安堵の息をついた。
□ □ □
「こんなのどうしろって言うのよ」
夕張は、破壊された工廠の建造ドックを見て叫んだ。
「あーあー、ここはドロドロ。ここは破裂してるし……これは斬撃の後? なんで?」
大きくため息を吐きながら、壊れた建造ドックを確認していく。
「後三つあるし、たぶん提督は建造をしないと思うけど。だからそのまま。って、わけにはいかないわよねー」
「そうなのか?」
「そうよ。せめて修理の見通しや、必要な物資くらいは算出しておかないと、あの鬼に何をされるか」
「それは、大変そうだな」
「大変で終わればいいわよ。もうね、ほっぺたがもげるっての」
「ほう、それは難儀だな」
「難儀ってものじゃないわよ。人が“あっぷあっぷ”してるのを見て、あの鬼は微笑んでいるのよ。まったく」
「それはそれは、極悪人だの」
「まあ、でも、ただの悪人でもないよのね。悪役というか、そんな感じかも」
「なんだ。そなたも憎からず、その鬼を思っているのかの?」
「な、何言ってるのよ。馬鹿なこと言わないでよ。あれ、テスターどこに置いたっけ?」
「これかの?」
建造ドックを確認したままの夕張の横から、真っ白い手がテスターを差し出してくる。
「そうそう、ありがとう……え?」
夕張の思考が加速する。
ここには独りで来た。
なぜか妖精さん達は、居なかった。
明石は曙達の処。
叢雲はお風呂。
大淀は、那珂と一緒に新人の面倒を見ているはず。
そして、白い手って何?
「見ちゃだめだ。見ちゃだめだ。見ちゃだめだ。見ちゃだめだ――」
何で恐怖がそこにあると分かっているのに、振り向いてしまうのだろうか?
「見ちゃった」
「いかん。見られてしまったな」
夕張は差し出された手のある方へと振り見た。
そこには長身の女性。下手をしたら駿河くらいあるかもしれない。
真っ白の長い髪。
切れ長の赤い瞳。
両の五指には、刃かと思うような長く鋭い爪。
テスターは掴むと言うより、挟むと言った感じに、その爪先にある。
何よりも目を惹くのは、額から後ろへと大きく伸びる二本の角だ。
角の先端は、腰下まで伸びている。
「……深海棲艦」
「しまったな。うーん。おおそうだ! 貴様が言った鬼の親戚なのだ。実は」
豊満な胸を組んだ腕で変形さえながら、自称駿河の親戚は、うんうんと頷いて見せた。
「そんわけあるかー!」
夕張は手近にあったスパナを構えると、大きく振りかぶった。
「出方を間違えたか。しからば!」
自称駿河の親戚は、両手を大きく広げると、振りかぶる夕張の懐へと難なく身をすべり込めせると、
「やべでー」
夕張の両ほっぺを摘まみ、そのまま左右へと引っ張った。
「ほーれ、ほれ。どうだ? 何もできないだろう?」
「ほんなの!」
「あいた!」
涙目になった夕張に、勝ちを確信したのもつかの間。
夕張の渾身の一撃――振り上げたままになっていたスパナが、自称駿河の親戚の頭を捉える。
「痛いぞ。少しは加減せんか」
「何言ってんのよ!」
「いかんな。ちと、ふざけが過ぎたか。ここは一度引くかの」
「させるわけないでしょ!」
「では、さらばだ」
「な」
夕張の目の前で、自称駿河の親戚は床に沈んでいった。
「嘘。隠し扉なんかあるわけないし。通り抜けた? いやいや、そんなSFな事」
夕張認定深海棲艦が沈んで行った床を、夕張はペチペチと手で叩く。
次いで、顔を床にこすり付けるようにして、つぶさに観察。
不審者発見は、まず通報だと思うのだが。
夕張は全力で、不思議の解明に取り組んでいた。
それはそれとして、床に沈むなんて怪現象を目の当たりにして、オカルトには走らないあたりは、夕張らしい。