「何が起こってるの?」
妙高はそう口にしながら、駿河が入るであろう執務室へと早足に廊下を進んでした。
駿河からの指示もあって、他の者達は自室待機をしていた。最近あったにぎやかしい雰囲気は、今は感じられない。
冬の寒さに固くなった空気も、さらにそれを手伝っている。
「前提督の来訪と一緒に、あの頃の空気も舞い戻ってきたみたいね。それにしても、時雨、叢雲、夕張……他の娘達も……深海棲艦の。しかも、幽霊なんて……」
遅め。といっても、一八三〇には大食堂で食事をしていた妙高。
なんだか落ち着かない。那智が何かしでかした虫の知らせかしら。などと思いながら箸を進めていたその時、厨房から悲鳴が上がった。
悲鳴の主――伊良湖に聞けば、
「深海棲艦が突然出たんです! つまみ食いして、『ほう、これわ』とか。私と目があったら微笑んで。そのまま湯気のように消えたんです! 本当です! 信じて下さい!」
と、目に一杯の涙を溢れさせながら、間宮にすがり付きいて泣きわめいた。
それがスタート合図のように、時雨、叢雲、夕張、他の艦娘達が大食堂に入室。見つけたとばかりに妙高の元へと何故か集まりだしと、いきなり自身の体験を口々にしていった。
――何で私なんですか。 修道服っぽいってだけで。そんな事なら、龍驤さん達の方が、“よっぽど”だと思うんですけど――
などと妙高は言えるはずも無く。――満潮は、『川内さんは! 忍者の本職は退魔でしょ!』等と叫んでいた――結局、妙高が代表して駿河へ報告に行くことに。
なぜ、妙高かと言えば、
叢雲は、御剣NG。
大淀は、閣下元提督NG。
夕張は、駿河NG(悪態という愚痴を零していた負い目)。
との、引き算の結果だった。
「まあ、誰かが言いに行かなければいけないのですから、それが私だったという事でしょうけど――」
太い眉を寄せたこめかみに、妙高は指を突き立てて、自身を納得させていく。
妙高の肩に乗っていた妖精も、同じようにして眉間に指? というか手? をあてている。
「――そもそも、エクソシストは悪魔祓いです!」
肩の妖精は、妙高の言葉に合わせて、腕を縦横と大きく振る――それは、“九字切り”だと言いたい。
胸のつかえがとれたでも言うように、鼻息荒く言い捨てると、妙高はズンズンとSEが付きそうな震脚を繰り返して執務室へと向かい続けた。
「失礼します。妙高です。火急な要件があり、報告に参りました」
執務室のドアをノックの後、一拍開けてから妙高はドアを通して名乗る。
と、首をひねった。
返事がないからだ。
いや、まだ返事がないと決めるには早すぎるタイミングだが。こと、駿河においては遅いと言ってよいだろう。
扉の前でまごついていると、さも見ているかのように声が掛かる程のレスポンス。
通話中でも、会話中でも、別手段を用いてそれは行われ、無言で待たせる事はない。
「どうぞネー」
ようやく。と言っても、『駿河にしては』と、枕言葉がつく返事があった。
妙高は小さく息を吐き出す。一歩を踏み出そうとして、直ぐに立ち止った。
開かれたのに合わせて、なんとも微妙な顔の第二金剛が、扉の隙間から顔を出してきたからだ。
「あの……失礼します。提督に――駿河提督に報告があります」
とっさに、『どうして』との言葉を飲み込んで、妙高はポーカーフェイスで金剛へと声を掛ける。
慌てる態度は、何かの矜持に反するのだろう。
さすがに、駿河本人が出迎える事は無いのは分かっている妙高。もし出迎える事があれば、それは護衛の天龍の役目だろうとも思う。
艦娘とはいえ、なぜ“お客様”の第二金剛が出迎えをする必要があったのか?
妙高は頭の中で、幾つもの状況を想定しては、打ち消していく。
「あー、どうしまショー。今、そちらの提督は、不在デース」
「居られないのですか?」
「とりあえず中にネー」
「はい、失礼します」
妙高は、指を一本立てるとその指先を一舐め。自身の両眉をその指で順になぞってから入室する。
「あー、ごめんね。駿河提督は、今いないんだ」
入室早々、御剣が妙高へと声を掛けてくた。
室内を見渡してみれば、御剣の言う通り駿河の姿は無い。
ソファーに座る御剣の右には、第二瑞鶴。出迎えてくれた第二金剛は、御剣を挟むように左に腰を下ろす。
御剣の正面には閣下元提督。もちろん妙高は、視界には入れない。
「確かに。天龍?」
確かに駿河はいない。
護衛役の天龍はいた。
なのに、向かい居れたのは第二金剛だ。
妙高は、辻褄の合わない状況を確認する為に、天龍へと問いかけたが、
「――」
返事がない。
無視をしている訳では、なさそうだ。
ちゃんと目を合わせているし、何かモゾモゾとした小さな動きがある。
見れば、天龍の肩にも妖精達がいる。
その二人は、にらめっこの真っ最中。……どの辺が、変顔なのだろうか?
「そちらの提督さんが出ていく時に、『余計な事はするな』って言われてね」
戸惑う妙高に、第二瑞鶴からの状況説明。
「それからなぜか、ダンマリなのよね」
「なるほど――失礼します。天龍」
御剣達へ頭を下げてから、妙高は立ちすくむ天龍の袖を掴み、部屋の角へと引っ張っていく。
「天龍。急いでいるの。提督はどこ?」
無言の天龍につられてか、妙高は単語で問いかける。
天龍はといえば、指先で何やらジェスチャーを妙高へと投げかけている。結構、必死な感じだ。
「ハァー。いい? 天龍。私に話す事は、『余計な事』に入らないわ」
「あ、そうか。悪いー」
天龍が『ああ』と理解を示したその肩では、妖精のにらめっこ勝負は、息止め勝負に移行している。
それに向かって、妙高の妖精は、九字切りを繰り返す。
妖精の日常を謳歌する姿勢は謎である。
「で、提督はどこ? 急いでいるのよ」
「ああ、風呂だ」
「風呂?」
「て言っても、俺たちの方な」
「行き違いになったのかしら」
「たぶん、そろそろ戻って来るんじゃないか? すぐに済むからって、俺を置いて行ったんだし」
「そうなの?」
逡巡して妙高は、執務室外の待合席で駿河の帰りを待つことに決めた。
□ □ □
天龍の言葉通り、駿河は艦娘達の風呂場にいた。
既に、満潮や叢雲、吹雪の姿はない。
室内照明は落とされているが、外からの照明がおすそ分けとぼんやり室内を浮き上がらせている。
「うて」
駿河は手にした金属バットを、湯船に浮かぶ艤装へと振り下ろす。昨晩から浸かっている潮の艤装へと。
強く止めた呼気。不快な金属音。水跳ねの音。
その後には艤装凹みが出来るが、入渠中のという事が大きいのだろう。直ぐに修復されていく。
「苦痛が嫌なら、うて」
再び打ち下ろす。
駿河がここに来てから、ずっとこの繰り返しだ。
監査を受けている最中に、わざわざ席を外してまで行う必要がある事なのだろうか?
駿河の独り言は続く。
「拒絶の意志として、うて」
何度目の打ち下ろしなのだろうか?
無意味な繰り返し。ただ痛め付けているだけにしか見えないそれは、御剣や閣下元提督の相手にストレスが溜まったから、そのはけ口。
流石にないか?
「理不尽を認めぬのなら、うて」
打ちつけられた衝撃に、艤装が水面を揺らす。
艤装と一緒に浮かべられた顔の書かれたピンクの連装砲も、同じように揺れる。
しかし、薄暗がりの中。一人、呟きながら金属バットを振り下ろす光景のなんと猟奇的な事か。
「在りたいのなら、うて」
その時、破裂音が響いた。
打ち下ろしかけた駿河の手が、一瞬止まる。が、そのまま振り下ろされた。
より一層の不快な打撃音が響く。
「そうだ。うて」
駿河は腕を振り上げられる。
どういう事か、駿河の頬に血が滲んでいる。
今の今まで、そんな傷は無かったはずだ。
「解体など無い。雷撃処分も、海で沈む事も貴様にはない。土の上で錆て朽ちていけ。それがが嫌なら――うて」
また数度振られた後に、破裂音が響いた。
今度は駿河の肩が、強く跳ね動く。
「そうだ。うて」
音の正体は、湯船に浮かぶピンクの連装砲が奏でた砲撃音だった。
まずとして、空砲でも炸薬を装填されていなければ、撃つことは出来ない。そもそもとして、潮の艤装、兵装の弾薬は空のはずだ。
弾の無いただの筒である砲口から、空砲とはいえ撃ち放つとは、なんとも艦娘という存在の不思議さか。
その空砲が放つ空気塊が、駿河を穿っていた。
「自分は、ここに居ると。世界へ叫べ!」
駿河は自身が傷つくことを歓迎するように、打ち下ろす。
三度、砲撃音が響く。
駿河の制帽が宙に舞った。
その下の頭は、後ろへとのけぞっている。
「そうだ――うて」
ゆっくりと頭を戻した駿河は、額から口まで流れる血を舐め取る。
己の血の味を堪能すると、目の前の艤装へ噛み千切るよう歯を剥く。
獲物が抵抗するのを楽しむかのように、笑った。
「それに、何の意味があるのかの?」
横から掛けられた声に、慌てる事も、驚くことも無く、駿河は当然と答える。
「生きるとは、苦痛に抗う事だ」
「そうなのか?」
「少なくとも俺は、な」
「ふむ、ところで貴様が鬼か?」
ゆっくりと振り向く先、駿河の前、湯気に押し上げられているように宙にいた。
その真っ白い女は、紅を引くように笑いかけた。
□ □ □
「いない……わよね」
脱衣所の照明、風呂場の照明と順に点いていく。と、駿河の背中――脱衣所から風呂場へと至る扉が開かれた。
「ひっ――何よ。驚かせないでよ」
「満潮か」
「そうよ、悪い?」
現れたのは、満潮だ。
駿河の姿を確認したにも関わらず、満潮は探るように恐々と腰を折り曲げて、頭を覗かせている。
「なんだ」
「なんだも何も、何でここにいるのよ。私の裸を見たいの? なんて、これじゃあ曙よね」
駿河以外の姿が無いことを確認すると、満潮は大きく息をついて風呂場へと入ってきた。
もちろん、制服は着ている。
それどころか、完全武装――艤装・兵装を身につけている。
駿河は、満潮の恰好を問いたださず、黙って満潮へと歩み寄った。吹き飛ばされた制帽が、満潮の前にあったからだ。
「これ? はい……血が出てるわよ」
駿河の視線を追った満潮は、目の前に制帽を拾い上げ、向かい来る駿河へと差し出した。
片手に金属バットを持った大男が、額から血を流しながら少女に近づく。その絵面のなんと凶悪な事か。
「知っている」
駿河の返事は、満潮にされたと思いたい。
「本当に、血を流すのが好きね」
満潮の右手が、幻痛でも覚えたのか、痙攣したようにブレた。
「流させる事も好きだったわね。血まみれ……ね」
満潮は、駿河が持ち下げる金属バットの向こう。一人風呂に浮かぶ潮の艤装を視界に収める。
見ようとして見たわけではなく。無数につけられた凹み、歪みのせいで、違和感を与えてくる反射光に気を取られたからだ。
「ねえ、私は一つ。勝ったのよね?」
目を細めて満潮は、唐突にそんな事を言い出した。
自分が何を言っているのか。駿河に判断させるように、駿河をつぶさに見つめながら。
「そうだな」
「なら、私に一つ貸しがあるのと同じ事よね?」
駿河は返事をしない。
満潮の言い分は、理論の飛躍だと思える。
それは満潮自身も理解しているようだ。
返事がない事に不安を感じながらも、否定が無いことに言葉をつなげる。
「曙の願いを叶えなさいよ。潮を救って。それで貸し借りは、無しよ」
制帽を満潮から受け取ると、駿河はツバの指で挟み、正中を取ってかぶった。
その手はすぐに離れず、ツバを掴む手で満潮から顔を隠しているかのようだ。
駿河は、顔の前に手を置いたまま、十分な間をもって答えた。
「貴様に貸しを返す事は、出来ない」
淡々とした口調。
「何? すでに自分がしているから? 」
満潮は、駿河の考えを先回りして言葉にする。
が、その読みは外れたようだ。
わずかに目を細めて満潮の言葉を受け取った駿河は、その眼を伏せて、こう続けた。
「どちらも俺には、成せないからだ」
駿河の声を満潮は、水底のように重くに圧し掛かかるように感じていた。