「千尋は間もなく来ます。少々お待ちください」
まだ口を開き足りない満潮を残して、駿河はどうとするという事も無く、風呂場から執務室へと身を移していた。
突き放された言葉だけを残された満潮の表情は、語るまい。
駿河は今、執務室に備えられたソファーに浅く腰を掛け、向かいに座る御剣へと、そう報告している。
そもそも、監査官である御剣を残して駿河が席を離れるという有りあえない行為は、潮の艤装を殴りに行く為ではない。
まあ、実際はそうだったが。
面目としては、“御剣自らが千尋へ問診を行いたいとの要請を受けた為、呼びに行った”だ。
「繰り返しになり失礼ですが、千尋への問診は、二〇〇〇までとさせて頂きます。それ以降については、千尋に判断を預けますが、運用準備等を出来れば本日中に行いたいと考えております。ご理解ください」
「はい、ありがとうございます。えっと、夜八時まで、後は千尋次第ですね……あの、言い難いんですが」
御剣は、会える事が余程嬉しいのか、声を弾ませて答える。駿河が淡々と話しているせいで、そう感じるのかもしれないが。
「何でしょうか」
「もし、もしも……ですね。もし、千尋が他に行きたいと言った場合――」
「有也!」
第二瑞鶴が、御剣の発言に、強く声を上げた。
それは、当然だろう。
想像してみて欲しい。今建造された艦娘を、他の鎮守府の提督がそれを見て、『くれ』と言う。
言われた方は、『お前には勿体ない』――提督として扱う能力がないと、言われたと思わないだろうか?
言った方は、揃えられない――物乞い行為をする浅ましく無能な提督と、思われるのではないだろうか?
「何? 瑞鶴」
第二瑞鶴は、どちらかと言えば後者を意識した結果の行動だった。
現に、駿河の横に座る閣下元提督でさえ、鼻白んで横壁に「はん」と声をぶつけている。
御剣自身、『言い難い』と言っているから、何とはなく感じる物は有るのだろう。ただ、それを上回る衝動が御剣にはあった。と言う事か。
「申し訳ありません。御剣提督は、この手の機微にまだ不慣れであらせられます。他意はないとご理解頂きたく存じます」
「金剛?」
第二御剣と並び座る金剛が、御剣の膝へ手を添えると、駿河へと姿勢を正し深々と頭を下げる。
御剣は、第二金剛の取った態度の理由が分からないようだ。
第二金剛は、謝罪の意を示しても、御剣へ意見する気配はない。多分、第二鎮守府の艦娘の多くはこのような対応を取っているのではないだろうか。提案はするが、意見はしない。説明はするが、指導はしない。そういう対応をだ。
どうでもいいが、第二金剛は随分と饒舌に言葉を連ねたが……やはり、いつもの言葉遣いは、キャラ作りという事なのだろうか?
「えっと」
一変した空気に、御剣は戸惑っている。
先に御剣の発言を説いたが、その前に重要な事実がある。
駿河は絶えず御剣を立て、上官のように扱っているが、御剣は大佐。駿河は少将だ。第二鎮守府の方が格上であり、それが後押ししたとしても、通じる場合と通じない場合が、当然ある。
他鎮守府の、しかも“当該鎮守府の提督がよくよく話も出来ていない状況の建造したての艦娘”と場を設けるだけでも、相当の譲歩なのだ。更に譲渡を重ねる発言は、推して知るべきだろう。
ここは駿河が、一言『気にしていない』と言えば治まる。実際、駿河は気にしていない。……たぶん。
しかし、駿河少将が、御剣大佐の『譲れ』の発言を見逃せば、この鎮守府に所属する艦娘全ての格を落とすだけでなく、他の少将達へも影響しかねない。御剣と駿河だけならともかく、ここには第二瑞鶴、第二金剛、三五三の天龍。そして、閣下元提督が居るのだ。他所で武勇伝よろしく語られないとは言い切れない。
それらの事もあり、駿河は開く口を持てないでいた。
「ふん。少し席を外してもよろしいですかな?」
閣下元提督が、そう切り出した。付き合いきれないとばかりに。もしかしたら、極小の可能性として気を利かせたのかもしれない。まず、無いだろうが。
「ああっと、いいですけど?」
それに答えた御剣に、第二金剛は小さくため息を吐く。
“これまた”だ。
閣下元提督は、御剣に同行している立場上、御剣から離れた単独行動の許可を貰う事は当然だ。
ただ、ここは第二鎮守府ではない。閣下元提督にそのまま返事をするのではなく、駿河に鎮守府内を単独行動させる事の承諾を受けてから、閣下元提督へ返答するのが常識なのだ。
「どちらへ」
「便所だ。場所なら分かっておる」
駿河の短い問いに答えると、閣下元提督は、ソファーにめり込ませた体を引か剥がして、部屋から出てく。
駿河の目配せに天龍は扉を開けたが、閣下元提督はそのまま退室していった。
なんとも気まずいこの空気――気まずいのは、第二瑞鶴と第二金剛の二隻だけかもしれない。天龍は、ただ駿河を見ているし、その駿河は目を閉じている。御剣に至っては「会えれば……こっちの……」等と呟いている。
……どう頑張っても、一部気まずい空気は現状、千尋の到着まで解消できそうになかった。
□ □ □
「ふん、所詮は世間を知ない若造か。――さて、便所と言った手前、そんなに時間は掛けれないか……あん?」
閣下元提督は、廊下に張り付く足裏をはがす様に歩く先に、こちらへと向かってくる者達を見とめた。
「では、御剣提督との話の間に、布団等の生活品は用意しておきますね」
「はい、お願いします」
歩いてきたのは、大淀の横に千尋。その後ろに那珂という三隻だった。
「那珂先生は、部屋が違うんですよね?」
千尋は振り返り、後ろ歩きをしながら那珂へと尋ねる。
那珂をあれこれ祀り上げていたが、結局『先生』に落ち着いたようだ。最後の最後まで、千尋は『先生』の前に『大』をつけたがったが、那珂の頑なな拒否に折れた形となった。
「うん。下積みで住み込みはありだけど、居させられないし。私が行くのも違う。かな? でも、今日くらいは一緒に居てもいいのかな? 大淀さん、いい?」
「私は構いません。提督も特にないでしょうが、やはりお伺いしてからですね」
「やったー。えっと、今が十九時前で、御剣提督とは二〇〇〇。二〇時だから、就寝は二四時として……四時間弱は、先生のレッスンが受けれるわね」
「残念ながら、」
はしゃぐ千尋に大淀は、歯の噛み合わせが気にするようにして切り出した。
「明日の行動計画作成の時間もあるので、早くても戻れるのは二一三〇は回るかと。それに、二三〇〇以降に大きな声を出すのはちょっと……」
自然と大淀に振り見かれた那珂は、あご先に人差し指をあてて小首を傾げる。あほ毛があれば“?”の形に変形するところだ。
「あれ? 川内ちゃんはいつもその時間、叫んでるよね?」
「だから、駄目なんですってば。川内さんには何度も言っているんですけど、血が騒ぐって聞いてくれませんし。まあ、最近は落ち着いているようですが」
「あー、提督と夜戦ライブしてるから、夜戦成分が溢れないのかも。川内ちゃん楽しそうだよ。でも、私がセッションしようとすると、持ち時間が減るってさせてくれないんだよ。がっかりだよ」
「ライブ? 私も参加できるでしょうか?」
那珂から出た『ライブ』の言葉に、パーと花を咲かせる千尋。
「ああ、那珂さんが言っているのは戦闘訓練の事なので、歌っている訳ではないんですよ」
大淀の説明に『そうですか』と肩を落とした千尋に、那珂は『そのうちできるよ』と言いながら、千尋の背中をポンポンと叩く。
「おい、久しぶりだな」
そんな姦しい三隻が自身に十分に近づいてくるのを待って、閣下元提督は声を掛けた。
「……お久しぶりです」
大淀は一歩前にでると、目を伏せて答えた。
互いに顔を見合わせた無声会議は、大淀が代表して返答をすることになったようだ。
本来なら、すれ違うその時まで互いの存在は――少なくとも人間である閣下元提督は、知ることが出来ないはずだった。
ただ、ここは正面玄関から執務室へと続く廊下。この鎮守府で日没後に照明が点けられる数少ない場所だ。
「はん! よくも儂に、のうのうと返事が出来たもの……」
たるんだ首周りのぜい肉を震わせて声を絞り出す――閣下元提督は荒げたつもり――が、自身のラードを大淀へ塗りつけるように、視線を粘りっこくするに合わせて、その声は萎んでいく。
「二人は先に行って下さい」
閣下元提督に顔を向けたまま、大淀は背の千尋と那珂に声を掛ける。
「でも……」
「御剣提督を待たせるわけにはいきません」
背に掛けられる那珂の声に大淀は、左脇に手を添えて笑顔で振り返る。
「私なら大丈夫です」
照明に照らされた笑顔の効果か、那珂はそれ以上の言葉を飲み込むと千尋と先に向かった。
閣下元提督の横を早足に二隻が抜けるのに合わせて、閣下元提督は廊下から足をはがす様に大淀へと近づいていく。
「少し見ぬ間に随分と雌臭さが増したな。そうか、そうか。儂に相手にされていなかったから溜まっているのだな」
照明の加減か、ぜい肉のせいか、顔の陰影を変化させて歩く閣下元提督は、自身の知らぬ大淀の姿に、一人納得している。
人であれば、聞きとめるの難しいその声は、大淀なら、艦娘なら聞く事が出来る。
しかし、それを耳にした当の大淀は、その表情を変えなかった。野良犬……野良豚を見るその表情を。
「儂に付き合え。貴様を満足させてやるぞ」
息が触れるほどに閣下元提督が近づいても、大淀は下がらなかった。
その行動からか、閣下元提督は何を思ったのか、正面から大淀のスカートのスリットに自身の手を強引に差し込と、そのまま尻を掴み上げる。
「ん?」
閣下元提督が大淀の反応に、疑問を上げた。
直に触られた大淀は、身を固くするどころか、逆に緊張を緩めたからだ。
「構いませんよ」
なんと大淀は、閣下元提督へ了解を返した。
さすがの閣下元提督も、断らせるつもりは無かったが、渋るくらいの抵抗は考えていたようだ。 すんなりと認めた大淀の態度に戸惑いさえ見せている。
「そ、そうか、そうか。貴様は儂を忘れていなかった。いや、忘れられなかったのだな。ぐふふ、いいだろう。良い声で泣かせてやるぞ」
従順な大淀の態度は、閣下元提督のツボのようだ。興奮を抑えないその姿は、“キモイ”から“グロイ”へと、ゴア表現のような有様を見せ始める。
「それは無理です」
執拗に尻をまさぐられる大淀は、淡々と――今日の天気でも話すように否定した。
「何?」
「寝るのは構いません。ですが、貴方では無理」
従属したはずの大淀からの否定。
閣下元提督は、大淀の下半身を凝視していた顔を上げた。それでも手はスカートの中に残しているのは、ある意味さすがか。
「触られて確信しました。以前は気持ち悪さしか感じませんでしたが、今はそれさえも感じません。寝ろとおっしゃるのなら、『そうですか』と思える程にどうでもいい事なのだと」
胸元から見上げる閣下元提督へ大淀は、憐みの目から徐々に、
「貴方程度の男など、ケダモノを知った私の奥に届くのは、不可能です」
艶のある女の顔へと変えていく。自身の言葉に酔うように、顔を高揚させ、目を潤ませ、吐息も媚薬が含まれているかのように。
現に、閣下元提督は顔を苦渋に歪めながらも、そのズボンの一部をささやかに押し上げている。
「わ、儂のが。ち、小さいとでも言うのか!」
「知りません」
即答だった。
今までのあった雌の顔はどこへ行ったのか、無表情に、心底どうでもいいと、大淀は閣下元提督へと答えた。
「この! なんだと」
閣下元提督は、大淀のスカートから手を抜くと、その手で大淀の頬を叩こうと振りぬいたが、大淀はそれを半歩下がって避ける。
「申し訳ありません。無意味に攻撃を受けると、提督に叱られてしまいますので」
だまって打たれるはずの大淀が避け、しかもそれを謝罪してくる事に理解が及ばないのか、閣下元提督は空打った手をそのままに。
「あ、でも、それで叱っていただくのも有りですかね。……あの、やっぱり叩いていただけませんか?」
大淀は、固まる閣下元提督へ左頬を差し出す様に腰を折って、自身の頬を指さした。
なんとも良い笑顔の後に、まるで悪戯に協力してもらうように。
「馬鹿にしよって! 覚えておれよ!」
鼻息荒く、豚の鳴き真似をしながら、閣下元提督が来た道を戻っていく。
「クソッ! どいつもこいつも。今に見ていろよ。アレを回収したら、それを持ってもう一度……」
閣下元提督の姿が十分に遠ざかると、大淀はその場にペタンと腰を落とした。
なんのかんの言っても、実際は極度の緊張を強いられていたと言う事なのだろう。つい最近まで自身を虐げていた人物だ。早々に意識が変わるものではない。
「ハァ、ハァ……提督、そんな駄目です……」
訂正。
駿河のケダモノは、大淀を改変するに十分だったようだ。
ただ、廊下で一人、悦に浸るような大淀になった事が、本当に良かったことなのか疑問である。
「ハァ……いいです」
良かったらしい。