駿河は自身が抱きしめる潮を突き放した。曙が向ける砲口を、鬼の形相で睨みつけたままで。
間髪いれず轟く砲音。
「外れた? 空砲? このクソ提督! 何か仕組んだわね! この!」
砲撃により起こされた爆風が、駿河に叩きつけられる。
ただ、それだけだった。駿河は、わずかに体をのけ反らせただけ。
曙が叫ぶように、駿河が事前にコレを予期して、曙の連装砲に仕込みをしていた? 人間にそんな事が出来るのだろうか? そんな事が。
あまりの近距離砲撃に、砲弾を目で追う事は出来ない。
が、一瞬、駿河の腹前が霞んだような気がする。
当の駿河は、激情する曙を見たまま、
「何だ?」
と零した。
「『何だ』じゃないわよ!」
曙は構えを解かず、感情のままに二射目を叩き込む。
「ひゃ~ ――ガハッ」
なんとそこに、潮が割って入った。駿河へと抱き着いたのだ。曙の口上の最中――二射目が行われる直前に。
曙の長い悲鳴が夜を切り裂く。
「潮ー!」
提督を守るという本能が艦娘にはあり、それが身呈して守らせた?
そんな事は無く。ただ不幸が重なっただけだ。
砲撃に傷を負うどころか、よろめく事も無かった駿河。
その光景に、反射的に二射目を放った曙。
潮が駿河を庇った? とんでもない。潮はただ、恥ずかしがっただけだ。
駿河から突き放されたことで、少なからず駿河によって隠されていた裸体が、今度は一糸纏わぬ格好に。潮はそれを嫌がり。反射的に裸を隠そうと、今まで隠していたモノへ――駿河へと飛びついた。
そいう事だ。
これも走馬灯と言って良いのだろうか?
曙は、水没した世界の中にいるように、今起き続ける粘度ある光景に、驚愕と目が裂けるほどに開けて見続ける。
放ったれた砲弾の尻から連続して生まれる円形の衝撃破を、曙は幻視した。
次いで、その射線上に身を滑り込ませた潮の背の表皮を波たたせて、砲弾がメリ込んでいく。
潮が吐き出した見えない呼気の気泡を、曙は見止めた。
砲弾の半ばまでが潮の背の中へと隠れると、潮の足先が床から浮き離れる。
浮き上げられた潮は、そのまま豊満な胸を変形させて、駿河へと強く押し付けていく。
先程の駿河は何だったのか? 駿河はいとも容易く潮と共に後ろへと。背の壁へと、潮を抱きとめる事もなく、あっけなく吹き飛んで行く。
「あ……」
駿河は勢いよく壁へと激突。その衝撃は壁と言わず、鎮守府が身をよじる軋みが聞こえてきそうな程だ。
打ち付けられた駿河は、次いで胸にめり込んでくる背を黒く汚した潮を、抱きしめる事も無い。声の一つも出せずに、呆気無く意識を手放した。
「ぐ、ぐふ……よくやった」
目の前で起こった悪夢に、曙は砲撃に伸ばした右手をそのままに、だるま落としのように下半身から崩れ落ちる。
「褒めてやるぞ。よくやった」
「よく、やっ、った?」
油の切れたブリキの人形のように、曙は声の方へと首を回す。
右手首を握りしめ、脂汗と言うよりラードをにじませる閣下元提督の姿。今の今まで、ベッドにひかれたカーテンが死角となり、そこに居たことに曙は気が付けないでいたようだ。
「そうだ。貴様は誰が飼い主か。忘れていなかったようだな。よく、敵を撃った」
「敵?」
開き切っていた曙の瞳孔が、閣下元提督の言葉に極限まで萎められる。
「そうだ。貴様は儂の敵を撃った。敵だから撃った。撃たれたモノは敵だ」
「敵を撃った……私は潮を撃った。私は潮を……敵を……」
真の絶望は無音だ。
一拍遅れて、強烈な、一切の声がない慟哭が、曙の体から間欠泉のように超高温を伴って吹き出す。
「そうだ。敵を撃ったのだ。儂に逆らうやつは、人間ではない。儂に逆らう艦娘は、艦娘ではない。皆、敵だ」
閣下元提督は、曙が自身への脅威にならない事を確信すると、ゆっくりと壁にうずくまる駿河へと近寄っていく。
「ふん。ざまあない。どこまで行っても兵器にかなう訳などない」
気絶をした駿河を、閣下元提督は執拗蹴りつける。何度も、何度も。
その駿河からは、呻きの一つも出ない。
砲撃による熱か、爆風からか。代わりと、壁や天井から家鳴りが、何度も強く軋み鳴く。
「死んだか。ふん、良い様だ。さすがに今の音は気が付かれただろうな。まあ、この金があればどうとでもなる。それよりもだ」
聞いたことがあるだろうか。生物は生命の危機に直面した際、本能から子孫を残そうと、性的な生理現象を引き起こすと。
閣下元提督は、自身のむき出しの下半身に視線落とす。見えるのは、自身のブヨブヨの腹だけなのだが。
「……うっ」
この鎮守府の潮の幸運度は、そんなに高くないようだ。それとも“潮の魔性”と呼ばれる加虐心をあおる気質ゆえか。
子羊は、自らの毛を刈り落として、迷える者の前でメェと鳴いた。
「こいつを頂くか……しかし時間がな……お? そうだそうだ。おい、貴様!」
頭にぶつけられる不愉快なノイズに耐え切れず、曙は顔を上げた。
「ここに誰も入れるな」
「な、なんで私が……」
いつもの勝気な雰囲気どころか、生気も失せた顔面蒼白の曙が、機械的な反応とでも言うように、ゆっくりと口を開く。
「儂の邪魔をする奴は敵だ。貴様は儂の味方だ。味方の儂を邪魔するものは――」
閣下元提督は、ゆっくりと、曙の頭に滲ませていくように、言葉を投げかけ、
「――貴様の敵だ」
押し下げ式の医務室の扉の内鍵を、落とす。
「私は、味方じゃない」
「何を言う、既に助けているではないか? 誰が見ても、貴様は儂の味方をしたと言うだろうな」
「誰が見ても? ……漣……朧……潮が見ても」
「そうだ。うし……? あー、そうだな。う、し、お、が見てもだ」
時間の確保より自身の欲求につき動された閣下元提督は、そう曙を諭しながら、そそくさと潮の元へとにじり寄っていく。
「え? うっ……、いや……、来ない、で……」
「ほう、力がうまく入らんか? そうかそうか、なんと都合がいい事か。神も儂を選らんでおるわい」
閣下元提督は、潮の腕を無事な左手で掴むと、乱暴に駿河から引きはがしす。
本来ならベッドの上でヨロシクしたいところだ。しかし、今の閣下元提督には、それをするだけの筋力も、健康もない。
背中に負った傷を、さらに床に押し付けられた潮は、苦痛に顔を歪める。
「いやいやいやっ。助けて! 曙ちゃん! 曙ちゃん、助けて!」
「ふふふ、無駄だ。あ奴は、儂の味方よ」
「嘘! 曙ちゃん!」
砲撃による破損か、もともと小康状態だったせいか、潮は人間の閣下提督の腕力に抗えないでいる。
「ごめんなさい。私……敵になっちゃった」
曙は静かに、乱暴を働かれる潮へと答えた。目からとめどなく涙を流しなら、どこまでも優さしい笑みを浮かべて。
潮の体から、一瞬で力が抜け落ちた。
「そいう事だ。わかったら大人しく儂を楽しませろ」
潮から一切の抵抗が無くなった事に、閣下元提督は鼻息を荒くブヒッと一鳴きして、満足を表明する。潮の足の間に自身の体を押し入れ、邪魔されたベッドの上の続きと自身の腹を掴み上げ、それを潮の下腹へと丁寧に乗せていく。
「なんだ? 少しくらい抵抗してくれんと、楽しめないでないか? ほれ?」
閣下元提督は自分の腹を掴んでいた手を、腹の下――潮の股倉にくぐらせた。
「! いや! イヤー! ア゛ー! ア゛ー!」
何をしたのか。潮は声だけを半狂乱に染め叫び始める。
「いいぞ。そうだそうだ。さて――」
医務室のドアが壊れる程に叩かれた。
「おい、何だ! どうなってやがる! おい! 開けろよ!」
「天龍……」
曙が呟いた通り、ドアを叩いているのは天龍だろう。他に居るかも知れないが。
夜の鎮守府で二度もの砲撃音が響いたのだ。防音云々など、あっても意味がないだろう。そもそも、照明も食事までケチっていたこの鎮守府だ。医務室に防音対策をしているとは思えない。
探索要員とした天龍が、真っ先に駆けつけてくるのは順当だが――
疑問は別にある。
「曙? そこに居るのは、曙なのか? なんで手前がそこ居る! 営倉の中のはずだろう!」
そう、曙は営倉入りしていたはず――だった。
「誰の手引きだ? 後で聞いてやるから、今はとりあえず開けろ!」
「出来ないよ。私は敵だもの」
「はあ? 何言ってやがる! いいから開けろよ!」
曙は自身の言葉が真実だと証明するように、扉へと座り込んだまま連装砲を向けた。
「ア゛ー! ア゛ー! タスケー……イヤ……」
「おい! この声! 何が起きてやがる! さっさと開けろ!」
天龍は扉の向こうから聞こえてくる常軌を逸した叫びに、強烈な吐き気を起こしながらも、さらに強く扉を叩く。
「いい加減に――」
「こうした方が、早いデース」
天龍の横を何かが過ぎる。
直後、轟音と共に扉が部屋の中へと吹き飛ばされた。
「ネ?」
「お前」
「流石に、二度のあの音を聞いてしまうと、ただ見ている訳にはいきませんネー」
第二金剛が、右ストレートを放った姿勢で、天龍へと片目を閉じた。
「とりあえず、今は! って、なんの真似だ……曙」
暗闇に埋もれる廊下へと、医務室の煌々とした蛍光灯の灯りが溢れだす。
天龍の暗がりに慣れた目が、突然の光にわずかに霞む。
第二金剛は、ウィンクした目を交代させて、室内を見た。
ぼやける視界のままに部屋に踏み込もうとした天龍の前には、床に座り込みながらも艤装をまとい、連装砲の砲口を向けてくる曙がいた。
「入らないで」
「どうやって艤装まで? それより、何言ってやが――」
「ア゛ー! ア゛ー! ア゛ー!」
耳を射抜く壊れた悲鳴に、天龍は無理やり視線を引きずられる。
「潮! 手前、あれが見えないのか!」
何も身につけないで仰向けにされた潮の上にのる、閣下元提督の姿を。
腰を振っていない処を見ると、潮の半狂乱の様に満足し、今はそれを楽しもうといった感じか。
「これは?」
天龍の横で、第二金剛も事態についていけず、忌諱からか口を押えて回りを見回す。
「ここの提督は? ……シッツ」
部屋奥壁にもたれうずくまる、意識を失った駿河の姿を見つけるのは、容易かった。
「提督! 手前! そこを退けー!」
天龍は口が裂けるほどに曙へと吠える。
「出来ないわ。だって、敵だもの」
「手前! いい加減に――」
「待って」
変わらず砲口を向けてくる曙へと、掴みかかろうとした天龍を、第二金剛が引き留めた。
「なんだよ。邪魔すんな!」
「普通じゃないわ。これは、洗脳されているわね」
緊急事態だからか、第二金剛が流暢に話す。
「洗脳だと?」
「何があったか分からないけど。自分を否定する程の大きなショックを受けた直後に、デタラメでもその行為を肯定する事で、狂戦士を作り上げる。戦時には、ままあったわ」
「それが今の曙だって言うのかよ」
「そうなった者の多くは、言葉とは裏腹に満ちた笑顔を浮かべていたわ。今の彼女のように」
第二金剛の言葉に天龍は、曙を見つめた。
完全に死んだ目をした曙を。
健やかに微笑む曙を。
「いい加減うるさいぞ。そこで黙って見ておれ」
「この豚! 手前こそ、何やってやがる!」
「どういう事か。説明してくだサーイ?」
閣下元提督は二隻の言葉に構わず、よいよと腰を引く。
「御剣提督へ、報告する必要がありマース」
「チッ」
第二金剛から御剣の名を出されてしまった閣下元提督は、さすがに無視はできない。
とは言え、無視をしないだけで、相変わらず潮をまさぐる事はやめない。
「そこの男は、金を隠していてな。儂がそれを問い詰めたら、反撃にあった。そこの……あー、んー? ……やつが儂を助けようと、そこの男を撃った」
「Oh、ソウですかー。それで、今は何を?」
「こ奴は、儂に抱かれたいと言ってな。これこの通りの淫乱よ。まあ、見られてするのも構わないが――煩わしい。わかったらサッサと出て行け」
「この豚! 言うに事欠いて、アイツが金を隠していただと! それは、手前だろが!」
「はんっ。事実だから仕方ないだろう。所詮こいつも同じ穴のムジナよ。もっとも、それも死んでしまった後では、確かめようもないがな」
「何だと!」
閣下元提督の言葉に、天龍は慌てて駿河を見つめる。確かに呼吸をしているような上下運動が見られない。
「今、行くぜ。死なせねえ」
「駄目よ」
「……曙。手前――ツ!」
駿河へ向かおうとしる天龍を、曙が砲口で押しとどめる。
声を張り上げようとした天龍は、突然自分の胸の間に走った痛みに、顔をしかめた。
「さて、そろそろ頂こうか」
閣下元提督は、今度こそと腰を小さく引く。
「? お、おお! 手前! 生きてるなら、生きてると返事をしやがれ!」
「なんだと?」
天龍の顔が歓喜の渦に満たされた。
不愉快な事実に閣下元提督は、駿河を見やる。
「……」
駿河は変わらず壁に背を預け、うなだれていた。
ただ、わずかに呼吸では出ない音が、弱弱しく口からついている。
「ふん、生きておったか。なら、そこで見ておけ! 儂のほうが喜ばせてやれるのをな!」
「……いや」
心神喪失していた潮が、再び抵抗をし始めた。
「いい加減に観念しろ。これから気持ちよくさせてやるのだ。ありがたく感謝をしろ」
閣下元提督は余裕のある言葉とは裏腹に、下半身には余裕がないようだ。身をよじる潮がじれったいと、顔を引きつれせている。
「じっとしろ。また、外したではないか」
「潮! 曙! 手前、本当にいいのかよ!」
天龍の言葉に、曙は確かに耳を傾けているように見えるが、理解を示す事はない。
「まったく、どいつもこいつもイライラさせおって。黙って儂の言う事を聞けばよいのだ、そこの奴のように」
閣下元提督の持論に、いささか下がっていた曙の構える砲口が、再び力を得て天龍へと向かう。
「彼女はもう駄目です。私が彼女を押さえます。その隙に、貴方は貴方の提督を」
「そりゃありがたいが。いいのかよ」
「私は戦艦です。確かに艤装をまとっていませんが、駆逐艦に純粋なパワーで遅刻をしませんネー」
「遅刻? ああ、遅れか」
天龍は、入った気合が抜けて行くのを必死にこらえる。
「ふん、こそこそと。貴様もうるさいぞ。うー、うーと耳障りだ。黙って見ておれ」
気が散ると、閣下元提督は天龍達を見てから、壁に埋まる駿河を見やる。
「……」
駿河から呻きには弱い声量にて、断続的に発せられていた。
「いや!」
「ぐぬっ、いでー! いだいではないか。この!」
たまたま潮が振り回した手が、閣下元提督の砕けた右手首に当たったのだ。
たまらず、閣下元提督は潮から体を剥がすと、怒りに任せ左拳を振り下ろした。
「この! この! この! この!」
一方的な殴打が潮の顔に降り注ぐ。
潮が零す悲鳴も嗚咽も、いつしか呻きへと変わった。
「やばい! いくぞ」
「ハイ」
事の推移に、天龍と第二金剛は、踏み出している前脚に体重を掛ける。
「? ……なんだ?」
閣下元提督は、ハイになった気分を害されたと不快な音源を探す。
「また貴様か」
呻く駿河の声が、大きくなっている。
「いい加減に――」
「……て……」
「――なんだと?」
「う……」
「だから、なんだと言うのだ」
駿河の酷く力の無い声が、静かに空気を伝わった。
――うて
一拍の後、閣下元提督の左頬を、灼熱の痛みが襲った。