あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル20

 うーん。

 どうしよう。ヤル気がまったくでない。

 

 ボクはボクなりの善意でもって、みんなには接してきたつもりだったけれども、それをどう受け取るかというのは結局のところ、その人次第なんだと思う。

 

 アンテナというか。

 

 ボクはボクなりの気持ちを送信してるけれども、受信装置が壊れていたらダメだし。

 逆に、送信の仕方がダメなのかもしれないし。

 

 それはよくわからない。

 結局、ボクはひとりで自分勝手にモヤっとしているだけなのかもしれないんだ。

 

 だから――、いまのボクはお部屋の中で不貞寝モードです。

 

 引きこもりともいう。

 

 一応、さっきゾンビ避けスプレーを渡したことにより、コミュニティ内におけるボクの貢献度は上がったみたいで、なにもしていない状況だけど、誰からも何も言われてない。子どもっぽい癇癪を起したとでも思われているんだろう。どうでもいいや。

 

「緋色先輩……、起きてますか」

 

 ドアがノックされた。

 命ちゃんの声だ。さすがに可愛い後輩の前では、素敵な先輩を演じたい。

 そういう思いもあって、ボクは鉛のような身体を無理やり動かした。

 のっそりとした動きは、さながらゾンビだ。

 まあ、ボクゾンビだし、腐っててもしょうがないよね。

 

「なあに。命ちゃん」

 

「寝ぼけまなこをごしごしこする姿が可愛さドストライクです!」

 

 そっ閉じするボク。

 

「閉めないでください!」

 

「寝てたらちょっとはストレス解消になるかなって思って、むりやり昼寝しようとしたんだけどね。イライラして寝れなかったよ」

 

 正直なところ、あまり命ちゃんにも対応するだけの気力というか、そんなのが無いんだ。

 命ちゃんはボクの表情をじっと見ていた。

 すると、声色が透明な――真面目なものになった。

 

「先輩。お部屋の中、入ってよろしいですか」

 

「うん。いいよ」

 

 命ちゃんをお部屋の中に通す。

 

 命ちゃんにも少しだけ嫌われちゃったかな。嫌われたというか、なんか無理筋を通そうとする馬鹿な先輩に思われたかもしれない。

 

 まるで子どもだなって思うんだけど、ボクだって人並みにみんなに嫌われてるのかなって思うと、ちょっとは嫌な気になるんだ。

 

 ボクはベッドに腰掛けて、アンニュイな感じ。

 

「儚い感じの先輩も可愛いですね」

 

「君のボクに対する最近の評価って、カワイイしか言ってないよね……」

 

「それ以外の言葉が浮かびませんから。私って素直なんですよ」

 

「知ってる」

 

「隣いいですか」

 

「うん」

 

 命ちゃんはボクが座ってるすぐ隣に座った。

 

 小指がふれあいそうなそんな距離。命ちゃんはボクにとってはかわいい後輩で妹みたいな存在だけど、さっき『愛してる』って言われたからか、なんだかドキドキする。

 

 女の子っぽい細い指先を見て、それから頭一個分高い命ちゃんの顔を見上げる。

 

 ほのかに香る甘い香り。

 

 人間の女の子の匂いは甘いなと思う。命ちゃんだからかな。生白い首元に歯を突き立てて食い破ったら、きっと想像を絶するほどにおいしいだろう。

 

 ごくりと生唾を呑みこむ。

 

 これって意識してるっていうのかも。

 

「今日の先輩もかっこよかったですよ」

 

「そうかなー。結局、コミュニティを混乱させただけともいえるし、なかなかうまくいかないものだよね」

 

「私としては、各々の努力が足りないだけのように思います」

 

「努力って?」

 

「なんといえばいいか。自制心ですね。緩慢な恐怖によってタガが緩んでいるのだと思います。飛行機の内圧が耳を圧迫するように、ゾンビという恐怖がこころを圧迫しているんでしょう」

 

「だから、恐怖を一刻も早く緩和したかった?」

 

「そうです。なにがなんでもという気分だったでしょう。砂漠で乾いた人間の前で、水の入ったペットボトルをぶらさげるようなものです。ゾンビ避けスプレーなんてものを出されたら飛びつかざるをえない」

 

「まあそうだね」

 

「で、先輩はどうしたいんですか?」

 

「どうって?」

 

「このコミュニティにずっといたいですか。それとも抜けたいですか?」

 

「うーん。正直なところ、なんだか疲れちゃった。飯田さんや恭治くんはまだいいけど、大門さんたちとはやってけないなーって……」

 

「まあ、普通に敵認定でいいと思いますよ」

 

「敵ね……」

 

 殺したり殺されたり。

 そんなふうに簡単に割り切っちゃってもいいものなんだろうか。

 命ちゃんの考え方はシンプルだけど、人間関係はそこまで理論的じゃないようにも思う。確かにさっきは大門さんたちと対立したけれど、時間が経過すれば、もしかしたら和解するかもしれない。

 そんな可能性はないだろうか。

 

「ないですね」

 

「え? なに命ちゃん。ボクのこころを読まないでよ」

 

「緋色先輩が何を考えてるかなんて、表情を見ていればわかります。間違ってましたか?」

 

「間違ってないけど……。普通できないよ」

 

「そうでもないですよ。人間の心なんてわりと簡単に類型化できますから、表情や言動を分析すれば、何を考えているかなんて確率分布の問題にすぎません」

 

「そういうもの?」

 

「そういうものです。試しに、今のわたしが何を考えてるか当ててみてください」

 

「えっと……、えっと……」

 

 ポーカーフェイスの命ちゃんの表情は、外見からすると確かにわかりづらい。

 高度な後輩センサーを有しているボクとしても、さすがに何を考えているかまではわからない。

 おずおずと、ボクは言ってみる。

 

「ボクがカワイイとか?」

 

「ブー。違います。はずれですので、先輩の洋服を脱がせます」

 

「え? え? なにそれ。そんなの絶対おかしいよ!」

 

 命ちゃんの指が、いつのまにか伸びていた。

 

 キャミソールをめくられておへそが丸見えになっちゃったので、ボクは両手を使って必死に抵抗した。パワーがあって本当によかった。命ちゃんよりは強いみたいだから、これ以上ご無体なことにはならない。

 

 命ちゃんは、じゃれあってるうちに飽きたのか、いったんは手を放した。

 

「先輩が必死に抵抗する姿は確かにカワイイですけどね」

 

「とんだ罰ゲームだよ」

 

「ちなみに正解は……、先輩にいたずらしたいでした!」

 

 なんだよそれ。

 

 ボクがまちがえる。⇒服を脱がせる。

 

 ボクが正解する。⇒服を脱がせる。

 

 隙を生じぬ二段構えじゃん。

 

「ボクが正解しても、もしかして大当たりとか言いながら脱がせようとするつもりだったとか?」

 

「さすが先輩です」

 

「褒められてもうれしくない!」

 

 命ちゃんの高度な戦略には翻弄されっぱなしだ。

 

 まあいいんだけどね。命ちゃんはたぶんボクのことを励ましてくれてるんだと思う。

 

「命ちゃん。ありがとうね」

 

「私はいつだって先輩の味方です。どこにいてもいつだって。それが永久不変の真理です」

 

「ボクは命ちゃんみたいになれないよ。割り切れないことが多すぎるんだ」

 

「先輩は先輩らしくこころのままに動けばいいと思います」

 

「命ちゃんの考え方は、それはそれで尊重するけど、ボクのことを盲信しすぎるのもよくないと思うよ。ボクは結構まちがったりするし、さっきのだってもっとうまいやり方があったかもしれないわけだし」

 

「先輩の負担にはならないようにします。もし、緋色先輩が間違っていて、私が先輩を信じて不利益をこうむっても運命だと思って受け入れます。緋色先輩を信じずに生きるより信じて死んだほうがいい」

 

 極論お化けな命ちゃん。

 でも、それだけ真剣ってことなんだろうな。

 ボクは腕を必死に伸ばして、命ちゃんの頭を撫でる。

 

「命ちゃん。ありがとう」

 

「ぐ。これが伝説のバブみ……破壊力すごすぎ。私、先輩から生まれたいです」

 

 なに言ってるんだろうこの子は……。子宮はあるけどさぁ!

 

「あ、あのね。命さん。ちょっと目が怖いから離れて。離れてください!」

 

 ススっと距離をとれば、

 

 ススっと近づいてくる命ちゃん。

 

 ベッドから立ち上がる隙も当然存在しない。

 

 ボクがいま切実に欲してるのは、命ちゃん避けスプレーだった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「じゃあ、しばらくここにいるってことでいいんですね」

 

「はい……」

 

 レイプ目で答えるボク。

 

 いろんなところを舐められました。

 ちなみに唇は大丈夫です。

 感染確率の高い唇だけは絶対にダメだと思うし、そこは拒絶しましたよ。

 偉いでしょボク……。

 

 ほくほく顔で帰っていった命ちゃん。

 

 ボクはまた不貞寝を再開する。身体中がベタベタするけど気にしない。コミュニティ内には、実のところお風呂もあるんだけど、今の状態だと命ちゃんも一緒に入るとか言い出しかねないからやめておいたほうがいいに決まってる。ゾンビの出汁風呂とか、絶対にダメだと思います。まあ、汗くらいだとほとんど大丈夫みたいだけどさ。ボクってそこまで汗をかかない身体になってるし。でも貞操的な意味でダメ。

 元男のボクのほうが貞操の危機を感じるのはどうしてだろう。

 考えちゃダメだ。

 

 去り際に聞いた話だと、大規模な調達任務に向けて、コミュニティは動き出しているらしい。

 

 ボクが投げ放ったゾンビ避けスプレーは一度近場で試されることになったようだ。おそらくホームセンター前で試されるらしい。問題なければ、そのまま物流センターに向かう。

 

 そこで大型トラックを調達。食糧などを大量に運びこむようだ。余裕があるなら自衛隊基地に再度向かい、銃を大量に奪取してくる算段になってる。

 

「ホームセンター前なら、まあなんとかなるかな」

 

 ゾンビ避けスプレーは単なるフェイクだから、それを振りかけたところで人間の位置がわかるわけではないけれど、ボクの聴力はそれなりに強くなってるし、ゾンビ的な共感覚でなんとなく人間の位置がわかる。ゾンビが近付いていってるなっていうのはわかるからね。

 離れすぎるとわからなくなるけど。

 

 だから、ホームセンター前で試すのは問題ないだろう。

 

 あとは、ゾンビ避けをどうするか。いまさらボクの血液が入ったお守りを渡すのも変だし、この点は飯田さんを基点にして周囲から大きく遠ざけるしかないかな。

 

 ボクとしては大門さんたちが死んだとしてもしょうがないって感じもしてきてるんだけど、このコミュニティにいる以上は、ゾンビ避けスプレーにその効果があるって信じさせ続けなければならない。そうでなければ、最終的にボクという存在にいきあたってしまう可能性がある。

 

 ゾンビマスターなボクにね。

 

 面倒くさいけど、しばらくはそうしよう。

 ほとぼりが冷めたら――、お守りを渡してもいいかもしれない。

 もしも未来に彼らのことを改めて信じることができるようになったらだけど、コミュニティに属している限りは、ボクのほうから見限るということはあまりしたくない。

 それがボクなりの最大限の譲歩であり誠意だ。

 

 このコミュニティに残るのを決めたのは、結局のところ命ちゃんの怪我というのもあるけど、エミちゃんのことが気がかりだったというのが大きい。

 

「エミちゃんって抗体を獲得してるのかなぁ……」

 

 それはよくわからないけど、稀有な事例なのは間違いないだろう。

 

 ともかく健気で儚いエミちゃんが必死にゾンビと戦ってるのを見ると、応援したくなる。ゾンビ避けスプレーのどさくさで伝えるのを忘れていたけれど、エミちゃんが話せるようになったことをみんなに伝えるべきだったかな。

 

 でもいまさらなにか言い出しづらいなぁ……。

 

 なんとはなしの気まぐれで、ボクはエミちゃんの様子を見に行くことにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクはエミちゃんの部屋の前まで来ていた。

 中には恭治くんと姫野さんの気配がする。珍しいな姫野さんがエミちゃんの部屋にいるなんて。

 一瞬、部屋の中に入ろうと思ったが、声の調子が剣呑だったから踏みとどまった。

 

「姫野さん。エミは猫じゃないんですよ」

 

「これがいいのよ。だって、エミちゃんってあまり口を動かせないでしょ。飲み込ませるには汁モノと混ぜたほうが都合がいいの」

 

 ボクはそっと部屋を覗きこんでみる。

 

 姫野さんはエミちゃんに昼食を食べさせようとしたみたいだ。ボクが部屋の中に引きこもってたから、一時的に姫野さんに命令がくだったのだろう。

 それとも、ある程度は自発的なのかな。

 

 姫野さんがやろうとしていたことは、いわゆる猫まんまってやつで、インスタントの味噌汁とご飯を混ぜこんでから、食べさせようとしていたみたい。いやご飯だけじゃないな。全部だ。おかずとして用意していた数種類の缶詰も全部、流しこんでいる。エミちゃんは嫌そうに顔をしかめ、口元からスープがこぼれていた。

 それを見た恭治くんが非難している。

 

「都合ってなんすか。それは姫野さんの都合でしょう」

 

「私はエミちゃんに食べさせてるのよ。それなのにそんな言い方をしなくてもいいじゃない!」

 

「それは感謝してます。でも、もう少しだけ配慮してもらえませんか」

 

 おかずも。なにもかも全部が全部。いっしょくたに口の中にいれている。

 まるきり効率重視の食べさせ方。

 こんなんじゃ、味なんてわからないよね。

 恭治くんの苛立ちにも正当性があるように思える。

 

 対する姫野さんは、自分が善意でやってやってるのに、なぜ非難されなければならないのかといった感じだ。怒りのあまり、厚塗りの化粧がひび割れるんじゃないかと思うほど、醜く顔が歪んでいた。

 

「恭治くん。さっき緋色ちゃんの話でわかったと思うけど、この子感染してるんでしょ」

 

「エミはゾンビじゃありません」

 

「ゾンビ避けスプレーでうまい具合にゾンビ的な攻撃性が減ってるってだけじゃないの?」

 

「嫌がってるじゃないですか。見てわからないんですか。エミには意思があります」

 

「心が残ってようがなんだろうが、この子がゾンビウィルスに冒されてるなら、危険なのは変わりないのよ。私は、そんな危険も承知で、この子のエサを作ってやってんの」

 

「いまなんて言いました? エサだと?」

 

 恭治くんの顔が今度は怒りに染まった。

 いままでためこんでいた憤懣がマグマのように噴きだしている。

 

「あ……まちがえたわ。そんなつもりじゃなかったの」

 

 姫野さんがしおらしい声をだす。

 

「あの、怒らないでね。ゾンビ避けスプレーはきっと恭治くんたちが使うことになると思うわ。でも、私たちにはなんの予防策もないのよ。私怖くって……」

 

「あんたは自分のことばっかりだな」

 

 恭治くんの声は冷たいままだった。

 

「……恭治くんだって、そうじゃないの。男連中なんてみんなそうじゃないの!」

 

 ヒステリックに叫ぶ姫野さん。

 髪を振り乱し怒る様は、さながら怪力乱神か。なんて思ったりする今日このごろです。

 

「大門さんも、小杉さんも……あんたも、みんな命ちゃん命ちゃんって、みんなのために身をささげてる私のことなんてすぐに抱ける予備くらいに思ってるんでしょ」

 

「オレはあんたを抱いてないし、そういうふうに見たことなんて一度もない」

 

「女なんて何もできないって言いながら何もさせないのが、あんたたちの手口なのよ。ただストレス解消に好きなときに抱かせればいいって思ってる。私は許してあげた! 私は抱かれてあげた! それなのにまだ私に求めるの? なんでみんなそうなのよ。報われたいだけなの……、私は誰かに褒めてもらいたいだけなの」

 

 ついに泣き始めてしまった姫野さん。

 恭治くんはさすがに怒りの感情が吹き飛んだのか、優しく肩に手をかけた。

 

 と――、ここで姫野さんが恭治くんの唇を奪う。

 驚きに固まったのは一瞬。

 恭治くんは姫野さんを押しのける。

 

「なにを考えてるんだ。あんたは」

「ねえ。抱いてよ……。抱きなさいよ!」

 

 すげーな。まるでお昼のドラマを見ているみたいだ。

 ていうか、これってリアル覗きなのでは? なんかいたたまれない気分になってきた。

 

 ふと視線を感じて、ちょっとだけ動かすと、エミちゃんと目があった。

 

 あ、どうも。

 

 エミちゃんはあいかわらずゾンビらしい無表情なお人形さんのようだったけれど、ボクにはわかった。これ、怒ってますよね?

 

 エミちゃんはボクから視線をはずし、あいかわらずお昼のドラマを繰り広げているふたりを冷たいまなざしで見つめていた。

 

 その瞳の奥には昏い炎が宿っているみたいだった。


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