乙葉ちゃんとの歌に入る前に、最後の休憩を挟むことにした。
幼女先輩との戦いは集中力を結構消耗したからね。もしかしたら緋色の翼が漏れ出ちゃったかもしれない。
そのくらい集中した。
だから肉体的にどうこうというよりは精神的に疲れちゃったのは確かだ。
それに――、やっぱり誰かに嫌われてるかもって考えると、少し胸の奥がざわつく感じがする。
休憩室に戻り、ペットボトルの水をひとのみ。
このペットボトルも乙葉ちゃんにあげたら喜びそうだけど、命ちゃんに叱られたくないからやめとこう。
ちゃんと自前のポシェットの中に入れて持ち帰るんだ。
えらいでしょ。
例によって、乙葉ちゃんはお父さんに報告ということでどこかに行ってしまったし、命ちゃんも優勝できなかったせいか消沈している。
ボクもぼんやりと空中を見つめて、今後のことに思いを馳せていた。
そこで――。
ぴろりんとスマホから音がした。
見ると、ツブヤイターを通じたダイレクトメッセージで、ピンクさんからだ。
『ヒロちゃん。さきほどの幼女先輩の言動なのだが、少しいいだろうか』
『ん。何ですか』
『ピンクは生粋の日本人ではないので数週間前に初めて日本語を覚えたんだ』
『へえ……ってすごいな。ピンクさん』
たぶん、研究者として頭がいいんだろうけど、脳みその違いを感じてならない。ボクは十年以上学んでも英語ひとつ話せるようにならなかったんだけど。
『いや、ピンクの言語能力はさほど高くはない。だから、ヒロちゃんに確かめてもらいたい。幼女先輩は、確か自衛官だったと思うのだが、少し抑制的に書いているようではなかったか?』
『うーん。たぶん、そんな感じ。きっと、ボクを捉えるか電気を消すかして、配信をさせないようにしてるんじゃないかな』
『ヒロちゃんの配信が見れなくなるなんてヤダ!』
ヤダって……。大のおとなが言う台詞じゃないと思うんだけど。
まあすごくうれしいけどさ。
『ありがとうピンクさん』
『ピンクはヒロちゃんのファンとして、配信は続けてほしい。ゾンビとか関係なく、できるならずっと見ていたい』
『本当にありがとう』
スマホでフリックするときに、指が震えちゃったよ。
こんなにも素直で純粋な意見というのは、外国人特有のものだと思う。
日本人て奥ゆかしいとか言われてるけど、自分の意見をしまいこんじゃう傾向にあるからね。そのせいで、いつまで経っても忖度しあって、なにひとつ決まらないんだ。
『よく考えたら、今電気が消えたら連絡もとりあえなく――』
『うーん。それは大丈夫だと思うけど。ボクにとってはゾンビは障害物になりえないし、例えば、電気が来てる地域まで行けばいいだけでしょ。日本全域を暗くするってのはありえないと思うし』
『確かにそうだ。ピンク安心するの巻』
『ピンクさんの染まり方がえぐい』
『朱に交われば紅くなるという。ピンクだってヒーローちゃんに交わって、緋色に染まっているのかもしれない』
ドキっとした。
名前がバレたのかなって思ったから。
『ボクはそんなに日本文化を継承しているわけではないと思うんだけど……』
『ヒロちゃん。ひとつ教えてほしい。もちろん言いたくなければかまわない』
『うん。なにかな?』
『ヒロちゃんは日本人なのか?』
『心の遺伝子的には日本人だと思うけど』
『なるほど……なんとなくだがわかった気がする』
ピンクさんの謎思考。
ボクよりずっと頭のいいピンクさんは、命ちゃんと同じくいろいろと知ってることも多い。ボクなんかふんわりと、感覚的に生きているからなぁ。
人間が何を考え、何をしたいかなんてよくわからない。
だって、論理的に考えれば、電気を消すなんて意味がない。ボクに配信をさせたくないというのは種族的に異なる可能性があるボクを排斥したいということでわからなくもないんだけど、どっちかというと泳がせておいたほうがいいと思うんだよね。
さっきも言ったとおり、佐賀の電気を消したって、ボクは本州に渡るのなんか簡単にできるし、いまボクがいるところが佐賀だってわかってるのだって、ボクが佐賀から去らないからに過ぎないから。
ボクは雄大とどこかで待ち合わせでもして――例えば、新岩国のクソ寂れた駅で待ち合わせでもすれば、それでいいはずなんだ。
はっきり言おう。
ボクは、人間に信頼してもらうために、あえて動かなかった。
もちろん、雄大に"帰ってきてもらう"というのも大きいし、ヒイロゾンビ化したみんなを放っておいてどこかに旅立つというのも無責任な気がしたからっていうのもあるけど。
それ以上に、ボクが佐賀からどこかに行ってしまったら、人間側がボクを見失ったら怖いかなって思ったから。
ゾンビと人間の力関係は絶妙だ。
確かに幼女先輩の言うとおり、ゾンビは障害物程度にしかなりえないのかもしれない。
ゾンビ対策マニュアルにも書いてあったんだけど、歩くゾンビはすぐに滅ぼされてしまう。
ボクのゾンビは歩くというほど遅くはないけど、全力疾走というほど早くもない。そんな塩梅なせいか、おそらく油断しなければ、最初から撃滅するという腹積もりなら、他の国のことはわからないけど少なくとも日本は多大な犠牲は払いつつも、ゾンビを倒しきるのは可能なんじゃないかなと思ってる。
ゾンビという恐怖を完全に消し去るために、ボクを排除するというのはわからない話ではない。
たとえボクにその気がなくても、人間にとって異なる種族に滅ぼされそうになってるのは初体験だろうから、必要以上に怖がってる可能性はある。
「おそらくは――日本は踊らされたんでしょうね」
ぽつりと呟くように述べたのは命ちゃんだ。
命ちゃんも気づいてるふうだったからな。でも、日本が踊らされたって?
「どういうこと命ちゃん」
「幼女先輩が知っていた配信が続けられないという事実。これはおそらくは自衛隊がそのように動くということなのでしょう。自衛隊を動かしているのは現在はまだ政府のようです』
だから――、と続く。
そして、手元のスマホに映るピンクさんもほとんど同時に同じ結論を出していた。日本を踊らしているのは、正確に言えば政府に脅しをかけてるのは。
「アメリカですよ」
「違う国なのにどうして言うこと聞けって言えるのかな。貿易とかも停まってるはずなのに」
「その停まっている貿易というか物資輸送を解禁するというエサをちらつかせたのか。それともゾンビからの解放にかこつけて、日本を第二の米国にしようとしたのかはわかりませんけどね。植民地化されることを恐れて――ゾンビなんかよりも他の人間に支配されるのを恐れて、その要求を呑んだってことなのかも」
ゾンビはただの障害物で――、主役じゃない。
人間が一番怖がってるのは、やっぱり人間だったってこと?
『アメリカが主導なのか。この国の黒幕がいるのかはわからない。アメリカを手引きした誰かがいるかもしれないから。ただ、いずれにしろ日本としては――』
「この国の上層部はともかく責任をとりたくない人間ばかりですから、ゾンビが仮に人間だったとすると、自国民を殺す命令をしたことになります。それは都合が悪い事実だったはずです」
ピンクさんと命ちゃんはまたもや意見の一致をみた。
ふたりは情報を共有しあってるわけではないのに、まるで魔法みたいだ。
ボク、おいてけぼりです。
「えっと、待って待って……ピンクさんとも話をしないと、時間差があって難しいよ。ピンクさん、電話したいんですけどいいですか?」
『会話していいのか?』
うわ。なんかキラキラしている感じが見える。
「先輩。携帯番号が向こうに知れると、いろいろとまずいです。そこから来歴やら居場所やらすべてバレる恐れがあります。ここはわたしのスマホで会話してください」
あー、そういえば、命ちゃんが使ってるスマホって小杉さんのものだったね。
確かにこれならバレることはないかも。
「じゃあそうしようかな」
べつにピンクさんを信頼していないってわけじゃない。
ただ、なにもかもさらけ出すのが人付き合いとして正しいのかっていうとそういうわけでもないと思う。
「こっちの電話番号にかけてみてください」
と、命ちゃんのスマホの番号を伝えた。
すぐに連絡があった。
ピンクさんからのビデオコール。
Pi
「はい、終末配信者のヒーローちゃんだよ!」
とりあえず、いつもの名乗りをあげてみた。
ピンクさんもヒロ友だし、お約束って大事。
「ピンクはピンクだ」
哲学的言辞とともに、画面に現われたのは幼女。
うん。幼女です。
ボクも少なくとも小学五年生程度の容姿をしているし、ある意味幼女といえるかもしれないけれど、ピンクさんはどこからどうみても、小学生の低学年に見えた。
おそらくは染めたのであろうショートカットの髪の毛は鮮やかなピンク色をしていて、薄い金色のおめめがこちらを見据えている。頭の上には大きめな帽子をかぶっていて、ドクターらしくちっちゃな白衣を着ている。
あ、かわいい。ピンクちゃんかわいい。
命ちゃんはまったく驚いてなかったみたいだけど、なんでだろう。ボク以外のことはどうでもいいのか。それとも最初から察していたのかな。いや、会話文だけで相手の年齢がわかるとかニュータイプじゃないんだからさすがにありえないか。
まあいい。
それよりも……。
「えっと、年いくつかな?」
ボクはえっちなビデオみたいにピンクさんに聞いた。
「ピンクは8歳だ」
「マジで?」
というか、超天才児なんじゃ……。
「マジだ。ピンクはヒロちゃんとそんなに年は違わない」
「8歳で研究者とか、どこかのニュースサイトに載りそうなものだけど」
「ピンクは箱入り娘だから」
なるほど……。
いやまあソレは置いておいて。
「結局のところ、アメリカが黒幕だとして、電気を止めたあとにどうするつもりなのかな?」
「きっと、悪者は全部日本ということにして、マッチポンプ的にアメリカが救世主になるつもりなんだと思う。RPG的に言えば、ヒロちゃんがお姫様で、アメリカは筋肉モリモリのマッチョマンの変態だ」
アメリカってピンクさんの自国だよね。
そんな変態呼ばわりしてほんとにいいの。
「じゃあ、ある日突然ボクのアパートに来て、助けにきたぞ、ついでに電気も復旧した! とか言ってくるの?」
「その可能性もあるだろう。ヒロちゃんを陥れた日本よりもわが国に招致したいとか言ってくる可能性もある。あとはヒロちゃんのゾンビ避け能力とかを他国に切り売りするだろうな」
「つまりボクや後輩ちゃんを攻撃する可能性は低いってことかな」
「それは……」
ピンクさん――あるいはピンクちゃんは端正な顔を歪ませていた。
「先輩。可能性としては弱いものを人質にとるというのが手っ取り早いと思います。たとえば、私とか」
命ちゃんの言葉は、少なくない衝撃を持ってボクに伝わった。
確かに、今の銃撃すらふさいじゃうボクより、まだ人間的なレベルに留まってる命ちゃんのほうが人質になりやすい。
もしくは――、ボクと仲良しになったピンクさんや乙葉ちゃんもその可能性はある。
「ピンクとしては、ヒロちゃんは一時的に佐賀から退避したほうがよいと思う」
それは配信もやめちゃって、人間との交流を断ち切るってことだ。
嫌だった。せっかくここまで来れたのに。たくさんの人に見てもらってたのに、すべて放り投げてしまって、ボクだけ逃げていいのかな。
ボクには他人に対する責任はほとんどないかもしれないけど、それでも、配信を始めたのはボクの意思で、ボクはボクの意思に対する責任があるように思う。
「あくまで一時的だ。アメリカの動きがここまで活発になっているということであれば、きっと、それなりの準備が完了している」
「どういう準備?」
「ヒロちゃんの居場所を大きなエリアとしては特定しているかもしれない」
「もうこの国に来てるの?」
「同盟国だからな。ゾンビハザードに見舞われてるお友達を助けるというのはお題目としては十分だ」
ピンクさんは西洋人らしく肩をすくめて見せた。
小さな肩がちょっともちあがると、めっちゃシリアスなことを話してるはずなのに、ほほえましくなってくるのはなぜだろう。
「ともかく――だ。ピンクとしては、これ以上佐賀に留まるのは危険だと思う」
「逃げたくはないな」
ボク自身が実験対象になったりするのは、ある程度は許容できる。
命ちゃんたちが害されるのは絶対に許せないけれど、でも今いるところから逃げ出したって、きっといつまで経っても終わらない。
だって、ボクっていくらでもゾンビを生み出せるからね。
その気になれば、このライブハウスにいる人間を、ひとり残らずゾンビにすることだってできる。
人間と本気で殺し合いをすることになれば――、最終的にボクが死ぬか、人間が全滅するかということになってしまう。
そんなのは嫌だ。
人間側の論理は――お願いの仕方は、それなりにわかっているつもりだ。だって、ボクもほんの少し前は人間だったのだし、いまでもボク自身のこころのありようは人間そのものだと思っているからね。
違うって誰かに言われちゃうかもしれないけど、ボク自身はそう思ってる。
だから、ボクは人間を滅ぼしたくない。
人間を滅ぼすってことは、ボク自身を滅ぼすってこともであるんだから。
「絡め手できているわけですから、人質というのは可能性としては低いと思いますけどね」とは命ちゃん。
「そうだね。ボクはただちょっとみんなといっしょにゲームとか配信とか楽しみたいだけなんだけどね」
「先輩は歩く宝石みたいな存在になってしまってるんです。もしも――、先輩の願いをかなえるなら、ひとつだけ方法がありますよ」
命ちゃんが月のような優しい微笑みを浮かべた。
でも、知ってのとおり。
月は無慈悲な夜の女王だ。
「言いたいことはわかるよ」
きっと、命ちゃんが言いたいのは、ゾンビ利権を分散化させることだろう。
でも、それは……。
画面の中にいる小さなピンクさんを見る。
そこまで踏ん切りはつかないよ。
だから、ボクはそれ以上、言葉を続けなかった。
「ピンクさん、今日もアドバイスありがとう。佐賀から離れるかはちょっと検討してみるね」
「マイシスターが、日本の政治家みたいなこと言ってる……」
「善処いたします。ご検討させていただきます」
「つまりそれは絶対にそうしないという言葉だと受け取っていいんだな?」
ぷんすか怒ってるようなピンクさん。
「臨機応変に対応はするつもり」
「場当たり的すぎるような気もするが……、ピンクもできるだけ牽制したい。そういう状況になったら、ピンクを呼んでほしい。あるいは今でもいいぞ。秒で駆けつける!」
「うん。わかった。ありがとうピンクさん」
「それはいま来いという解釈でいいのか?」
「違います」横から割って入ったのは命ちゃんだ。「少なくともあなたの行動は先輩のためになるようなものばかりではありましたけれど、あなたやあなた自身の組織こそがマッチポンプをしていないという保証はありません」
「後輩ちゃん!」
命ちゃんの言い分もわかってはいたけれど、いまさらって感じだ。
ボクはピンクさんの人柄を知ってるし――、だいたいにおいて幼女に悪い子はいないよ。うん……。激甘ですかね。
でも、予想外というかなんというか、命ちゃんの言葉を受容したのはピンクさんのほうだった。
「確かに、ピンクにはそういう可能性を覆せるだけの反証を持たない。だから、提案というかたちでしかヒロちゃんの意思を確認するほかないんだ」
「ボクはピンクさんのことは信頼しているよ」
幼女だからというわけじゃなくて――、いままで数週間だけどさ、ちゃんと言葉を交わしてきたんだし。
「マイシスターに会いたい。会ってナデナデしてほしい」
命ちゃん亜種。
そんな言葉が喉からでかかったけど、なんとかすんでのところで飲みこむのでした。
☆=
結局、ボクのだした結論は、いままでどおり何かが起こるまでは時勢に流されてみようかなということだった。
ボクを確保する手合いが現われたら、そのときは全力で戦うほかないだろうし、人間の総体としては、ボクを滅ぼしたいとまでは思ってないと信じたい。
「ヒロちゃん。緊張してるデスか?」
乙葉ちゃんはステージの上のボクが緊張していると思ったのか、柔らかい言葉をかけてくれた。
「緊張はしてるかも。だって、本当のアイドルといっしょに歌を唄うなんて初めてだし、ボクは下手っぴだし」
「技術的なところはたいした問題じゃありまセーン。ヒロちゃんの歌で救われた人も多いはずデース」
「ゾンビ的にはそうかもしれないけど」
「精神的にも救われた人は多いはずですよ。ヒロちゃんの歌は誰かを思いやる歌ですから」
ライトに照らされて、曲のイントロが始まる。
ギターのサウンドは軽快で、命ちゃんの超絶プレイが光る。
ボクは――、たとえこの先配信が続けられなくなっても、いまここに集っているヒロ友のみんなに、精一杯のボクの気持ちを伝えたかった。
『ヒロちゃんが楽しそうでなにより』『結局、今回も神回だったな』『ああ、あと少しで終わっちゃう』『終わらねえよ!』『このスピードなら言える、ヒロちゃんはワシが育てた』『おじいちゃんご飯はさっき食べたでしょ』『乙葉ちゃんもいつもよりなんか楽しそう』『天使のデュエット最強すぎるだろ』
ピタって手をあわせて。
クルッてターンして。
マイクは握ったままだけど、ストⅡのブランカみたいに空中で何度も回転してみたり。
乙葉ちゃんを浮かせて、ボクも浮いて。
くるくる空中を回転機動してみたり。
『ヒロちゃんはしゃぎすぎ』『ゾンビだらけの世界じゃなきゃ、ロックとイリュージョンをかけあわせたエンタメやってそう』『親方、空から美少女が』『見え……見え……』『残念ながら、スカートは鉄壁だ』
そして――歌は盛り上がり。
突然、闇の中に消えた。
★=
少し憂いを帯びた顔をしたヒロちゃん。
そして、男の子のように何か強い決意を秘めたヒロちゃん。
年下の女の子なのに、なぜかドキドキしてしまう。
きっと、それは、わたし嬉野乙葉の魂の瑕疵のせいだろうと思う。
わたしは、望まれなかった子どもだから。
イラナイと言われて、(実際に言われたわけじゃないけれども)親に捨てられた子どもだから。
つめたくて暗いロッカーの中に突っこまれた。
そんなわたしのことを、必要だといってくれたヒロちゃんに性別とか、そういう枠組を超えて、ただひたすらに信望したい気持ちが湧いた。
なんの宗教も神様も信じていないわたしが、ただ、なにげないたった一言だけで救われた気がしたから。
ふわふわと不思議な力で宙に浮いて、わたしは必死に歌を紡ぐ。
そして――歌は盛り上がり。
突然、闇が襲ってきた。
ド……ド……ド。
つめたい闇。わたしは、この年になっても小さな豆電球を消して眠ることができなかった。ちいさい頃からそれはかわらず、いまでもそうだ。
闇が怖い。
自分という存在がのみこまれそうで、身近に死を感じる。
誰にも存在を認められることなく、ただ空虚な黒い空間に吸い込まれていくみたいで。
ただ――、ド……ド……ド。
鼓動音がやけに大きく聞こえた。
手が、足が、歯が、震え。
立っていられない。
怖い。怖い。怖い。
誰か――、助けて。
助けてください。お願いします。誰か――。
「大丈夫。乙葉ちゃん?」
うずくまり、無力な子どものように震えていたわたしに天使の声が投げかけれた。目をふさぎ――闇をただのくらやみだと思いこもうとしていたわたしは、まぶたを開いた瞬間に、すさまじい光の奔流を見た。
そこには――天使がいた。
誰がなんといおうと、この奇跡は、わたしのもの。
誰が否定しようと、この奇跡を、わたしは生涯忘れないだろう。
緋色の光を背中のあたりから放出させ、光の粒子があたりを照らし出している。
ヒロちゃんはそれから、光を放出しながら、なにやら力をおくりこむ。
ブンという音がして、電気が復旧した。
『え。なに演出?』『突然確変ですか?』『佐賀在住のオレくん。突然の停電に見舞われるも無事復旧する』『こちら福岡。同じく停電。ヤバイ』『岡山は無事でした』『え、これってもしかしてついにきたのか。停電が』『終わりの始まり』『もともとゾンビだらけの時点で終わってはいただろ』『いま、復旧してるのってヒロちゃんの謎パワーのおかげ?』
すべてを悟りきったように、ヒロちゃんは幻想的な顔つきで、配信画面を見つめている。
わたしは自分が泣いていることに初めて気づいた。
「あー、ごほん。みんなごめんね。どうやら電気が止まっちゃったみたい」
『そんなあ』『ゾンビ避けできない真のサバイバルが始まる……』『太陽光発電はワンチャンあるんじゃね?』『発電所は自衛隊が最優先で守ってるんじゃなかったのかよ』『燃料切れなんじゃね?』『これから配信見れなくなるんじゃ……』『うそだろ……もうおしまいだ』『日本オワタ』『日本終了のお知らせ』『いやだあ。やめないで』
「ボクが電気を供給し続けるのは無理なんだよね。でも――配信はやめないよ。できる状況になったら再開するから、みんな待っててくれるかな」
希望を――。
ゾンビだらけの世界で、ヒロちゃんの声が響き渡ることはもうなくなるのかもしれない。少なくとも九州は完全に電気が停止したようだ。
『九州から脱出して配信を続けてくれ』『佐賀民です。ヒロちゃんが本州にいってもいつかゾンビから治してもらえればいいかなって』『おい死ぬな』『福岡在住だけど、山口県まで抜ければワンチャンあるのかな』『九州は下手すると全滅するぞ』『太陽光発電とか水力発電してる施設にいますぐ駆け込め。ヒロちゃんズボイスを大音量で流せ』『食糧的に厳しいだろ』『終わりかな……いままで楽しかったよ』
ヒロちゃんに悪意を向ける人は誰ひとりいない。
ただ粛々と滅びを受け入れている。
でも、違う。
ヒロちゃんはそんなの望んでいない。
「生きてください」
気づいたら、わたしは声を張り上げていた。
何万。何十万の人の前で、わたしは本当のこころをさらけ出していた。
みんなの前で裸のこころを晒すのは怖い。
みんなのこころは、暗闇のように見えないから。
でも、みんなが絶望しきってしまったら、ヒロちゃんがやってきたことが不意になってしまう。そんなのはダメだ。
「あきらめないでください。みんな疲れきってるかもしれません。食べ物がなくて怖いかもしれません。でも、ヒロちゃんはここにいます。ヒロちゃんはみなさんといっしょに楽しい時間を過ごしたいと思ってるんです!」
そうですよね?
視線をあわせると、ヒロちゃんはこくんと頷いてくれた。
『まあいざとなったらゾンビ待機だよな』『頭ぶっとばされん限り、いつかは人間に戻れるんだろ』『死な安の精神で生きていきますわ』『小型発電機はあるからまだやれるで』『配信また見れるようになるまで耐え忍ぶ』『ゾンゾンしてきた』『次の配信まで生き抜きたい所存』『ヒロちゃんの最高の笑顔を最後に見たいです』
「みんな待っててね」
太陽のように輝く笑顔。
そのとたんに闇は消えた。
今夜は豆電球をつけないでも眠れそう。
おそらく人生でも二度はない奇跡を体験しながら、わたしはそんな卑近なことを考えていた。
配信編これにて終了のお知らせです。
配信という力動をうまく小説という媒体に刻みこめたのか、そのあたりは要研究。
あまり長々と書いてもしかたないところですので、
次の章くらいで完結編にもっていきたいと思います。もう十分書いたよね……。