あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル69

 委員長ちゃんにお呼ばれした後。

 ボクたちは大広間みたいなところに通された。

 

 たぶん昔は宴会とかやってたんだろうなっていうぐらい大きなところ。

 今は、ボクたち三人と、女将さんたち四人の計七人くらいしかいないから、少しさみしいな。

 

 でも、蝋燭の光で照らされただけの室内は、おそらく夜目が利かない女将さんたちには微妙な距離感になっていると思う。ボクがゾンビじゃなければ、ゆらめいた炎の眩惑効果で、もう少し身近に感じ取れたかもしれない。

 

 場に満ちているのは沈黙。

 

 正子ちゃんからグロ注意な話を聞いたあとだけに、なんだか微妙な空気が流れている。

 人見知りの命ちゃんはともかく、マナさんも一言も発していない。

 

 大広間にはいくつか背の低いテーブルが置かれていて、その机のひとつに所せましと料理が並んでいる。お刺身とか、携帯燃料で作ったらしいすき焼きみたいなものとか、普通の旅館よりちょっと豪華そうな料理だ。たぶん、五千円以上はしそうな感じ。

 

 もちろん、お金なんてもう意味はないけれど――。

 

 女将さんは女子中学生ズに大広間から出るように促し、ボクたちの目の前には女将さんだけが相対することになった。

 

 陰キャなボクとしては食べてるときくらいは放っておいてほしいけど、温泉入って料理食べてじゃあさようならってなっても困るから、女将さんがここに残るのは、まあおかしくはない。

 

 もしかしたら、なんらかの交渉をしたいのかも?

 

「電気がないせいで、心ばかりのものしか出せませんでしたが、どうぞお召し上がりください」

 

 座ったままの姿勢で、すっとお辞儀をする女将さん。

 やっぱり綺麗な姿勢だ。

 

 正子ちゃんの話を聞いた限りだと、若干の狂気に濡れているようだけど、こんな世の中でしかも実の娘さんがゾンビになっちゃったんだから、狂わないほうがおかしいのかもしれない。

 

 そもそもの話、ボクも精神的引きこもりだったわけだし、精神的な引きこもりが一種の病気であるとするならば、他人のことはとやかくいえないよ。そうじゃないとボク自身は思ってるけど、人間のこころが思ってる以上に弱いってことはよく知ってる。

 

 狂気と正常の線引きはそこまではっきりしているわけじゃない。

 

 ともかく――、目の前にあるのは豪勢なお食事だ。

 

 じー。おいしそう……。けれど誰も手をつけない。女将さんは当然のことながら、命ちゃんもマナさんもボクの行動を待ってるみたい。

 

「あ、イカさんですね」

 

 声をあげたのはマナさんだ。

 うん。イカだ。電気がないのにとても新鮮そう。ぷるんぷるんで光ってる。

 まるで、転生したスライムみたいだ。

 

「もしかして呼子のイカかな?」

 

 佐賀といえば呼子っていうところにあるイカが有名だよね。

 佐賀から見ると、ちょうど北のほう、福岡から見れば西のほうに向けて進んでいき糸島市を抜けていったあたりに呼子っていうところがあって、そこはイカが有名なんだ。

 いっぱいお店が並んでて、新鮮なイカをさばいてくれるところが多い。

 

 新鮮なイカは、ぷにってすると色が変わるよ!

 

 これってトリビアになりませんかね?

 

「なりませんよ。先輩」

 

 む。厳しいな、命ちゃん。

 

「お客様はお詳しいんですね。このイカは呼子から取り寄せたものです。生簀にいれておいたものをさきほどさばいたんですよ」

 

 女将さんはそう言って、涼やかに笑った。

 

「へえ……高そう。いただいちゃってもいいの?」

 

「どうぞ。お召し上がりください」

 

 さばいたってところに、人肉じゃないよねとか考えちゃうけど、ボクたちに対する態度は特に悪いものじゃないな。

 

 なんとなく身構えちゃうけどね。

 

 たとえば、この料理の中にゾンビ肉を混ぜ込んでゾンビーフ案件とか。ゾンビを避けられることは証明したけど、ゾンビに感染しないとはいってないから、そうやってボクたちを害そうとすることは普通に考えられる。

 

 正子ちゃんの話が本当だとすれば、ボクたちを令子ちゃんのエサにしたいと考えてもおかしくはないように思えた。なんとなくゾンビからの治癒力とかもありそうじゃん。人魚の肉を食べて不老不死とか、そういうふうな超常の力を持つもののお肉とか内臓を食べるという話はよくあることらしいし。

 

 でも、そうじゃないみたい。

 ゾンビ肉が混ざっていたら、さすがにボクにはわかるし、命ちゃんたちもわかるだろう。

 

 それに、ゾンビ避けできるボクたちを委員長ちゃんや早成ちゃんも脱出のチャンスと捉えてるんじゃないかな。つまり、女将さんたちがボクたちを殺そうとしたらさすがに止めるんじゃないかと思う。いくら恐怖と罪悪感で支配されているとしても。

 

 命ちゃんのほうをチラっと見てみても、特に危険信号はでてなかった。

 たぶん、同じような思考経路にいたったんだと思う。

 

 なら――、いいかな。

 

 イカの吸盤はまだ新鮮なうちは舌にくっついてくる。

 ああ、舌が! 舌が!

 みょーん。

 

「ああ。ご主人様の舌にくっついているイカさんがうらやましすぎる」

 

「イカにまで嫉妬するとは思わなかったよ」

 

「ご主人様にくっつきたい」

 

「イカんでしょ」

 

 幼女におさわりするのは禁止されているはず。

 

 それにしても、本当に新鮮そのものだ。他の食事も濃厚でそれでいてコクがあり……うん、ボクにグルメリポートは無理だけど、ともかくこんなご時世でよく出せたよねってくらいのレベルだ。

 

 マナさんのお食事もゾンビ避けチートで食材をかき集めてくるからおいしいのであって、食材がどんどん減っていくなかでこれほどのものを出せたということは、逆に怖くなってくる。

 

 食べたな。じゃあ金払え――じゃないけどさ。

 

 いまさらながら、何を言われるか怖くなってきたぞ。

 

 女将さんはグルメ番組みたく、ひとつひとつの食材について説明してくれてるけど正直なところべつのことが気になってしょうがない。

 

 そんな場の空気を察したのか、広間の奥まったところに控えようとして、女将さんは立ち上がった。でも、ボクはそんな女将さんを引きとめた。

 

「えっと……女将さんはボクたちに何を望んでるのかな?」

 

「正子にはどこまでお聞きしましたか?」

 

 あー。ほらぁ。なんかそんな感じだし。

 

 正直なところ、正子ちゃんに聞いたことについてここで素直に述べることは、正子ちゃんの立場を危うくすることだと思う。

 

 でも、正子ちゃんの意思はもう確認した。

 

 たとえ女将さんとの関係が悪くなったとしても、ボクは正子ちゃんを連れて行くつもりだ。

 

 だって、正子ちゃん自身が『もういいんじゃないか』って言ってたわけだし。

 

 つまり、外に出たいってことでしょう。

 

「令子ちゃんがゾンビになってるから、女将さんはここから出たくないんじゃないか。自分たちのことも他に行かせたくないんじゃないかって聞いたよ」

 

 ボクはドがつくほどストレートに言った。

 

 ウソとかごまかしとかしてもしょうがないし、ボク自身は温泉に入って、おいしい料理を出してくれたわけだし、過去に人を殺したとか殺してないとかは関係がないと思った。

 

 ひとりの女子中学生が勇気を振り絞って告白したことに対して、ほとんど無関係なボクが弾劾しようなんて気にはならない。

 

 そういう話だ。

 

「あの娘たちは素直でいい子たちです」

 

 女将さんは目を細めてポツリポツリと言葉を紡ぐ。

 

「ゾンビになった娘の世話をさせるという非道をなしたわたしに、文句も言わず、よく従ってくれていたと思います。わたしが包丁を握っていたせいかもしれませんけど」

 

 お、おう……。

 

 まあ、それは怖いよね。

 

 女将さんだけに温泉施設の料理方面を切り盛りしていたってことだろうけど。

 正子ちゃんの話だと、女将さんの様子が相当怖かったのも確かにわかる気がする。

 冷たい美人って感じなんだよね。無理心中とかしそうな感じの。

 

「みんな、わたしが怖かったのだと思います。そういうふうに思うよう仕向けてしまった。悪いことをしてしまったと思っております」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 娘が死に、ゾンビになってしまい、わたしの中にあるのは後悔だけだった。

 

 娘とは結局さいごまで仲たがいをしたままだったから。

 

 人間どうしのこと。たとえ親子であっても他人どうし。

 

 人様をたくさん見てきたわたしには、他人と感受性をあわせることがどんなにか難しいことかわかっているはずなのに……。

 

 思春期の娘のことがよくわからない。何を考えてるかわからない。

 わかったとしても、娘の考えは甘く、将来のことを希望的にしか見ておらず、妥当だと思えない。

 血縁だからこそなのかもしれない。

 

 子どもの幸せを考える。子どものことを一番に愛する。

 

 そういう言葉をただ述べるだけならば誰にでもできるけれども、結局、親というものは自分が生きてきたやりかたを踏襲するようにしか娘を教育することはできないのかもしれない。

 

 わたしは愛を理由に――、愛を人質にして、つまるところ『あなたのことを一番愛してるのはわたしなのだから』という言葉をもって、彼女の行く道を決めようとした。

 

 それが嫌で、令子が反発したこともわかってはいるのだけれども。

 

 じゃあ、好きにしなさいというふうにはならないのが親なのだ。

 

 もしも、わたしが代わりにゾンビになるのなら、わたしは一瞬の躊躇もなくそうしただろう。

 

 娘のことを一番に考えているということにもウソはない。

 

 けれど、彼女を愛すれば愛するほど、ますます、令子はわたしから離れていくに違いない。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 令子は親のひいき目もあるかもしれないが、しっかりした子だったと思う。

 

 パティシエになりたいと言い出したのは、理解しがたい部分もあったが、そういった夢を今のうちから持っているのは、中学生としては珍しいらしい。

 

 ママ友のひとりからそう言われた。

 

 けれど、娘もまだその夢がしっかりしたものとはいいがたく、なんの具体性もなかった。ただ、そうなりたいというだけで、親としては応援してあげたい気持ちがないわけでもないが、どれだけ生きることが厳しいことなのか、令子はわかっていない。

 

 わかるはずがない。

 娘はまだ中学生なのだから。

 

 きっと、未来は必要以上に輝いて見えているのだろう。

 けれど、世の中は楽しいことばかりじゃない。

 

 夫が由緒のある多々良温泉の跡取り息子であると知って、なんの考えもなかったわたしは、女将という地位に収まってしまった。

 

 叱られる毎日だった。

 叱られて、教育されて、それでも冷たくされて。

 夫はわかってくれたが、早くに死んでしまった。

 みんな、女将であるとしてわたしを見る。ただの何の変哲もない大学生だったわたしはずっと昔から女将であると思われ、この温泉宿に対してすべての責任を負うことになった。

 

 夫の死さえ、わたしの責任であるかのようにお義母様からは思われたのだ。

 

 それからは必死に働いて、残された娘を育てることしかわたしには残されてなかった。

 

 要するに、人生とは、修行なのだろう。

 

 そうしたら――、そうすれば、きっと幸せが待っているのだと思いながら、ずっとツライ想いを募らせていく。

 

 神様からご褒美が降りてくるのを待っている。

 

 娘が死んでゾンビになっても、そう願わずにいられないのは、きっと自分が"終わってしまった"と思いたくないからだ。

 

 幸せになりたい。ささいで平凡でいいから普通の人生を送りたい。

 

 報われたい。

 

 誰かのことを思いやったのだったら、誰かにやさしくされたい。

 

 ただそれだけの願いさえ決定的に破綻したのだと思いたくないからだ。

 

 令子が生きていると思いこもうとしたのは、令子こそがわたしにとって残された希望だったから。

 

 わたしの幸せそのものだったからだ。

 

 娘の友人たちを巻き込んだのは、申し訳ないと思っている。

 

 そう……巻き込んだのはわたし。

 

 けれど、娘が噛まれた姿を見た時、取り乱した令子の友人の姿を見た時。

 

 誰も悪くないのは頭ではわかっているのに、はらわたがねじきれそうになるくらい怒りが湧いた。

 

 きっと、令子は誰かのために噛まれたのだろう。

 

 誰かのために自分を犠牲にする行為は、まったく関係のない他人であれば賞賛しうる行為であるけれど、自分の娘がそうしたところで、まったく欠片もうれしくはなかった。

 

 きっと、それもまた令子を私物化しようとしている醜いわたしのこころのせい。

 

 わたし"の"令子が――ゾンビになってしまう。

 

 足元が崩れ去るような寒さを感じた。

 

 誰かの為に令子が噛まれたとしても、それは令子の責任に違いない。

 

 それでもやはり、令子の友人たちを怨まずにはいられなかった。

 

 娘の世話をさせたのも、怨みの念を抑えきれなかったせいだ。

 

 まだ中学生だけれども――。

 

 いや、中学生だからこそ。

 

 娘の死に責任を少しでも感じてほしかった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 あの男を殺したのは、わたしの責任。

 

 殺人の咎があるとすれば、わたしにある。

 

 わたしは彼女達に責任を感じてほしかったから。

 

 だから、あの男を殺すよう指示した。おそらくわたしが言わなければ、誰もそこまでしようとは言いださなかっただろう。

 

 人を殺すのは人の業。

 

 業というのは生きているうちに積み重ねられるもの。

 

 まだ十数年しか生きていない彼女達には、人を殺すほどの業はない。

 

 殺したとしても、それは事故のようなもので、人を殺す意思がない。

 

 だから、彼女達はわたしの道具であり、指示どおりに動くだけの人形だった。

 

 わたしがそうさせたのです。

 

「本当に?」

 

 じっと見つめてくる不思議なお客様。

 

 かわいらしい容貌をしていて、ゾンビを避けることができて、本当に不思議な方。

 

 わたしは、神様が降りてきたのだと感じていた。

 

――お客様は神様です。

 

 旅館業をやっているともはやマントラのように繰り返される言葉だが、わたしにはその意味が胆の底から理解しているとはいいがたかった。

 

 それどころか。

 

 そんなのはただの便法で、本当はお客様は神様でもなんでもなく、ただのお金を交換するだけの他人だと思っていたのだ。

 

 けれど、いまゾンビの世界になって、他者と会う機会もめっきり減って、ただ温泉に入りたいといってくれる他者は神様なんだと思った。

 

 ちいさくてかわいらしい神様。

 

 その神様が聞いた。

 

「本当に、それだけ?」

 

「早成に手をあげた男を見て――、わたしは一瞬気が遠くなるような怒りを覚えました」

 

 三人の娘の友人は、わたしにとって怨みの対象ではあるけれども、無意識に令子の代わりでもあったのかもしれない。

 

「守りたかった?」

 

「そうですね。そうかもしれません」

 

 庇護の対象として、令子の友人としてではなく、実の娘のように守らねばならないと思っていたのかもしれない。

 

「ふうん……じゃあ、女将さんとしてはこの後どうしたいの?」

 

 どうしたいのだろう。

 

 わたしは"終わってしまった"のだと思っている。

 

 令子が死に、わたしの人生の意味は終わった。

 

 正子や和美や早成を令子の代わりに生きていくというのは、あまりにもいびつで歪んでいる。

 

 人を殺すよりも、もしかしたら歪んでいるかもしれない。

 

「正子たちをどうか外に連れ出してください」

 

「女将さんはいいの?」

 

「はい。わたしはここで令子とともに終ろうと思います」

 

「そう」

 

 雪のように沈黙が下りてくる。

 

 お客様はしばらく何やら考えて、それからパッと顔を上げた。

 

「令子ちゃん人間に戻せるけどどうします? あとイカのお代わりってあるの?」

 

 は? 何言ってるのこの神様。

 

 イカのお代わりございました。




イカだけに生かすことにしたのでした。

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