決闘を終えたルイズは部屋に戻るとレオタードを脱ぎ捨て、パンツにスリップ一枚というラフな姿になると、自主練用のサンドバッグを俵返しで放り投げた。もし人間相手ならば危険な反則投げになる投げ方である。
「タイガアアアァァァマスク!!」
マウントポジションを取って連続殴打、しかしそれはどれもこれも人間相手なら反則打撃になる危険な技だ。
「ムカつくムカつくホントムカつく!!!」
ギーシュを叩きのめしていたルイズを止めたタイガーマスクに対して彼女は自分でもわからない苛立ちを覚えていた。
「わ、またそんな格好で・・・」
部屋に戻ってきた直人がそう言うのをルイズは横目で一瞥する。
「アンタ、どうせ何もできないなら飲み物くらい持ってきなさいよ、気が利かないわねぇ!」
ルイズの八つ当たりに頭をかきながら直人は、
「はい、お嬢さま、しばしお待ちを。」
と言って退室する。それに対して苛立ちを余計に覚えながらルイズはマウントから四の字固めへ移行する。
しばらくして直人が戻ってくる。
「はい、どうぞ。」
「ふん、最初からそうすれば・・・おいしい・・・」
ただの水だと思っていたルイズだが、口に含んだ時に広がる柑橘と甘さに驚く。
「厨房のマルトーさんがくれたんですよ。」
一度沸かした水にハチミツ、レモンの果汁、塩を少々混ぜたドリンクだ。もっとも、ルイズにでなくタイガーマスクにだが。
マルトーはルイズとギーシュの決闘に乱入したタイガーマスクの戦いぶりを見て彼のファンになったのだ。誰も気づかなかったタイガーマスクの退場を見て追いかけ、そんなマルトーに直人も追われていたことに気づかず、直人に戻ったところで鉢合わせてしまった。
「ん?坊主じゃねぇか!お前さん、タイガーマスクがどこ行ったか知らねぇか?」
「え!?あ、彼なら反対側に。ただ、走ってたから今からじゃ追いつけないかなっと・・・彼がどうしました?」
「いや、実はな、俺、タイガーマスクのファンになっちまったんだよ!あのブロンズ像、一体一体が一端のレスラー級だってのに、それを七体にジャイアントモールまで相手して軽々いなす身のこなし!彼の本気のレスリングを早く見てみてぇぜ!」
直人は興奮するマルトーに苦笑いしながらも、目の前にいるのに気づいていないことに複雑な感情を抱いた。正体がバレていないことに安堵しながらも、ほぼ間違いなく入れ替わりの瞬間を見られたというのに同一人物とみなされないというのは滑稽であると同時に落胆もする。
「そういや、どうしてお前さんはタイガーと?」
「あ、実は僕、昔タイガーマスクのマネージャーやってたんですよ。久しぶりに会えたんですけど、覚えててもらえて。あ、これは内緒ですよ、特にお嬢さまには。」
とっさにごまかした直人に、マルトーは大喜びである。
「そっか、マネージャーか!!そうだ、じゃあ差し入れを頼めるか?」
そう言ってマルトーは直人を厨房に誘い、例のドリンクを二つ、素焼きの壺にコルクで栓をして渡したのだ。それを二人で井戸に持っていき、ロープをつけて井戸に降ろし、
「こうやって井戸水で冷やせば三十分くらいで飲み頃さ。」
と言われといたうちの一本をルイズに差し入れたのである。
「ウソね、わたしに物をくれる人なんているわけないもの。」
ルイズがそう言うのを聞いて直人は『しまった』と、自分の迂闊さを悔やんだ。もっとも、ここまでねじ曲がった性格など想定しろというのが難しいだろうが。
「あ、いや、実はタイガーマスクに届けたんですけど、『一緒に戦ったパートナーだから』って、タイガーマスクがお嬢さまに・・・うわ!!」
直人が全て言い終わるより前にルイズは壺を直人に投げつけた。中身は空であったためこぼれたりはしないが、素焼きの壺だ、ペットボトルではない。タイガーマスクが活躍した70年前後はまだペットボトルは発明されたばかりで普及していないがそれはさておき、直人はとっさに壺を取り、それが元で正体がバレる可能性を考えてわざと転ぶ。
「お嬢さま、危ないじゃないですか~!」
「そのくらい取りなさいよ!!」
ルイズはオーバースローで直人の顔面目掛けて投げつけており、直人がタイガーマスクでなければ取るどころか避けることもできず、額が割れていたことだろう。
「ん?そういえば何でアンタ、あの男のこと知ってるの?お腹壊してたんじゃなかったかしら?」
「あ、お話はうかがったんですよ、そしたらあのタイガーマスク!僕みたいにおっかないことがダメな人間ですら知ってるくらい、僕がいたところじゃ有名だったんですよ!」
「そう・・・とにかくね、わたしはアイツが大っ嫌いなのよ!何よ何よ!いきなり割って入って、ヒーロー面しちゃって!!わたしは悪役だってのに、止めなかったらもっと・・・」
「それなんですが、お嬢さまはどうして反則技や悪役にこだわるんです?」
直人はルイズに直球で尋ねる。
「そんなの、勝つために決まってるじゃない!正しく戦って負けてたら注目もされないし試合も組んでもらえない、ファイトマネーを効率よく、手っ取り早く稼ぐなら反則でダメージを与えて減点されても一本勝ちで賞金も貰う!何が悪いの!?」
ルイズは早口でまくしたてるように言うが、それが本音でないのはその言い方でバレバレである。
「あぁもう!アンタのせいでムカっ腹立ってきた!あのマスク剥がないと気がすまないわ!!そうよ、果たし合い!お金にならない試合はしない主義だけど、あのマスクを剥がして次の試合に持っていけばわたしの悪名はうなぎ登り!!いい先行投資!!となるとさっそく果たし状書かなきゃ!!」
この間、ずっと下着のような格好のままで、ルイズは机に向かって果たし状を書き始める。
「あの~お嬢さま?」
「何よ?」
直人が間の抜けた、空気を読まない風でルイズに声をかける。
「タイガー、僕のいたところ出身なんですよね~」
「それが?」
「こっちの字、わかんないと思いますよ?」
直人に指摘され、ルイズは顔を真っ赤にする。
「~~~!!!じゃ、じゃあアンタ、代筆しなさい!!」
「はいはい、お嬢さまの仰せの通りに。」
『やい、タイガー!今日はよくもわたしのファイトを邪魔してくれたわね!!落とし前をつけさせるため、アンタに果たし合いを命じるわ!!断るってんならマスクをタイガーからニワトリにでも変えて、チキンマスクとでも名乗ることね、オーホッホッホッホッ!!!』
この後に日時、場所が書かれており、それは明後日の夜中である。届くかわからない果たし状を使うならもっと先の日付を指定すべきだと思うが、ルイズは知らないとはいえタイガーマスク本人が書いたのだから、伝わらないはずがない。直人は学院の掲示板に貼り、翌日の深夜、誰もが寝静まった頃に回収するのであった。
『まったく、俺宛の果たし状を俺が書くなんてな。』
果たし状が消えているのをルイズは日が明けて確認し、深夜に備える。学院の練習が終わると身体をウォーミングアップし、しっかりと柔軟で伸ばし、万全の状態にする。それに直人が珍しく隣で付き合うのを不思議に思うが、タイガーマスクとの決闘の方が頭の中を大きく占めており、気にしていなかった。
そして約束の時間の十分前、ルイズはレオタードに悪魔メイクをして、
『眠たいです~』
と、駄々をこねる直人を連れて果たし合いの場所、学院外れの原っぱに到着した。タイガーマスクはまだ来ておらず、当事者のルイズより直人の方がソワソワしているのを、ルイズは不審に思い尋ねる。
「どうしたの?眠いなら目覚ましがわりにぶん殴ってあげましょうか?」
「い、いえ、お嬢さま、そればかりはご勘弁を!そうでなくて・・・お腹が・・・」
「あぁ、もう!また!?学院に戻ってちゃっちゃとすませていらっしゃいな!」
「ほ、ホントにすみません、もれる~!」
尻を押さえて走る直人を見送り、ルイズはため息をつきながら空に浮かぶ赤と青の二つの月を眺めた。ルイズが纏う装束は人狼をイメージして作られている。村人の中に潜り込み、一人、また一人と喰い殺す。その正体はハルケギニアに存在する亜人、吸血鬼の話に尾ひれがついたと言われているが、真相はわからない。伝承によると人狼は満月の夜に狼となると言われ、二つの月は綺麗な満月、ルイズはその力を全身に受けるかのように両腕を開いて月を見上げていた。
「反則レスラーというわりに験担ぎとは、妙なところがあるんだな、ピンクデビル?」
声にルイズが振り返ると、そこにはこれまでずっと待っていた男、タイガーマスクが立っていた。当然、中身は伊達直人。トイレに帰ったふりをしてタイガーマスクとなって戻ってきたのだ。そもそも出がけに駄々をこねていたのも、タイガーマスクとして向かうためであったに他ならない。
「あら、てっきり来ないかと思ってたのよ、チキンマスクになりたいからって。」
「これはこれは、果たし状を出しておいて来ないことを期待していたのかい?」
タイガーの挑発にルイズは不意打ちの目潰しを放った!しかしタイガーは簡単にいなしてしまい、ルイズは後ろを取られる形になるが彼女は構わず後ろ蹴りで金的を狙う。
「よっと!不意打ちとはこれまた古典的な。これは試合開始と取っていいのかね?」
完璧なタイミングでの蹴りであったにかかわらず、ルイズの足はタイガーマスクによって片手で捕まえられてしまっていた。
「笑ってられるのも・・・今のうちよ!!!」
ルイズは足をつかまれたままタイガーの喉を、つかまれているのを利用して踏み台のように使い、もう片方の足で後ろ蹴りを蹴ったがタイガーは紙一重で避ける。そこにルイズは蹴りを外した足をタイガーの肩にかけ、つかまれていた足を振りほどいて首にカニバサミ、それもこれまた喉を狙う危険な方法でかけようとするがタイガーはルイズの足が振りほどかれた時にこれを読んでバク転でカニバサミを避け、直立すると腕組みしてルイズを見下ろす。
「瞬発力、柔軟性に富み、普通ならオーバーワークになりそうな量がウォーミングアップになる持久力を秘めた肉体。才能のカタマリと言ってさしつかえないが、大きな問題を抱えている。」
「・・・何よ、それ?」
「キミは致命的なレベルで反則レスラーに向いていないんだよ。」
タイガーに指摘されたことでルイズは完全に頭に血がのぼってしまう。
「何様よ、アンタ!!人のスタイルにケチつけて!!マスクだけで勘弁してあげようかと思ったけど、やっぱやめた、アンタは絶対に殺してやるわ!!」
ルイズは怒りに任せてタイガーへ向かっていった。
目潰し金的喉突き噛み付きは全て空振り、凶器攻撃は凶器を弾き飛ばされ、組みついて頭から投げ落とそうとすれば自分から跳んだタイガーがバク転で頭を守りながら受け身を取り、関節を破壊する危険な関節技をかけようとすれば技を簡単に外されてしまう。考えつく限りの反則技をタイガーに仕掛けたルイズだが、全てにおいてタイガーが上を行っており、子供のようにあしらわれてしまい、無駄な動きばかりをさせられたせいでルイズは肩で息をする。一方タイガーは汗の一つもかいていない。ルイズが致命的に反則レスラーに向いていない理由だが、彼女は真っ直ぐで心根が優しく素直すぎるのだ。反則技というと簡単に使えると思われがちだがそうではない。目潰し一つとってもわかると思うが、狙う場所が小さすぎたり、頭から投げ落とすなど、狙い方が限られているのだ。これを使いこなすには人を殺しても何とも思わないほど冷徹な心で、相手が予想だにしていない隙を正確に突く必要がある。ルイズの心根ではためらいが生まれるため技がブレ、正しくあろうと思う真っ直ぐな心は相手の裏をかくのに向かず、素直な性格は隙を突くというひねくれたことと相性が致命的に悪い。何よりこれらの特徴のためルイズは反則技で戦うことそのものを忌避している。
「ハァッ・・・ハァッ・・・レスラーは・・・攻撃を受けて・・・ナンボでしょうが!逃げて・・・ばっかりで!!」
「悪いけど、反則技なんか受けてあげる価値すらない。」
無駄に振り回され続けたため、底無しとさえ思える持久力を持つルイズの体力すら底を尽き、あと一撃打てるか否かというほど消耗しきっている。もはや反則技のレパートリーも尽きたルイズは自分が最も得意とする技に全てをかけた。デビューから引退まで単純だがダイナミックな一撃で人気を博した父、ヴァリエール公の技、彼女が同じ道に進みたいと思うきっかけとなった技、彼女の信仰と言っても過言ではない技。
「カ・ラ・テ・・・パンチ!!!」
正拳突き!!!全体重を人差し指と中指の拳骨に乗せ、地面を蹴る力、腰の回転、腕の振りを一致させて放つこの技で、ルイズはレンガ壁を割ることもできる。しかし必殺技であるこれを打ったのは起死回生狙い、ルイズも当たるとは思っていない。しかしタイガーはこれを正中で受け止めたのだ。ルイズの腕、肩、体幹に確かな手応え、しかしというかやはりというか、タイガーは微動だにせず、倒すにはまったくもって足りていない。
『これでも・・・ダメなの?』
タイガーの大きな手がルイズの頭に迫る。やられるとルイズが覚悟したその時、タイガーの手は優しくルイズの頭を撫でた。
「いいパンチだ。」
これがルイズの聞いた最後の言葉であった。
次にルイズが目を覚ましたのは自室のベッドであった。視界の端では心配そうな顔をして立っている直人。
「あ、気がつかれましたか、お嬢さま?いや、タイガーがお嬢さまを運んできた時は何事かと思いましたよ!」
直人が、ルイズが目を覚ましたのを見てそう言うと、ルイズは顔が熱くなってくる。
「ねえ・・・今、何時かしら?」
「そうですね、もうすぐ日が出るころかと思いますし、寝直すよりは起きていらした方が良いかと?」
「そう・・・」
ルイズは気の抜けた返事のあと頭から布団を被って、自分がレオタードのままであるのに気づく。身体も汗の臭いがする。これで直人に『気が利かない』と八つ当たりするのは酷だというのはルイズにも理解できる。まさか年頃の少女のレオタードを勝手に脱がせ、汗を拭くなどされていればその方が怒るであろう。
「水桶を二つとタオルを二枚。」
「はい、今すぐに。」
ルイズが命じると直人の行動は早い。すぐさま言われたものを持ってきて、ルイズは起き上がるとじっと桶と直人を交互に見る。
「着替えたいのと、身体、拭きたいんだけど・・・」
こう言う時は、いつものルイズならば
『なにボーッと立ってんのよ、すぐ脱がして拭きなさい!!』
と怒るところで、直人は怒鳴られるより前にとルイズのレオタードを脱がせようと手を伸ばすが、ルイズはその手を払った。
「出てけって言ってんのよ!」
「え?ですが・・・」
「うるさい!とにかくこれからは着替えとか身体拭くのは自分でするからその間出てけって言ってんの!!」
「は、は!了解しました!!」
ルイズの剣幕に直人は驚きのあまり虎の穴式敬礼をルイズにすると、そそくさと部屋を出ようとして踏みとどまる。
「っと、お嬢さま。忘れないうちに、タイガーから伝言がありまして。」
「伝言?」
「えっとたしか・・・『キミに反則技は似合わない』だったかな?そんなこと伝えてくれって。」
これを聞いたルイズの顔はゆでだこのように赤くなる。
「わかったから出て行きなさい!!」
追われるように直人が部屋を出たのを確認して、ルイズはレオタード、インナーを脱いで裸になると姿見の前に立った。プロレス一筋17年、男も知らず、恋も知らない彼女の身体は日本刀のように研ぎ澄まされていた。良質な筋肉をカバーする脂肪は可憐さを醸し出し、無骨さなど微塵もない。顔のメイクは汗でだいぶ流れてしまっているのを見てルイズはまず顔を洗ってメイクを落とし、素顔になるとまた鏡の前に立って、濡れたタオルで身体を拭き始める。身体を拭きながらルイズは自分の、コンプレックスだらけの身体を見る。現役でトリステインの女子プロレス界を湧かせる人気レスラーである長姉エレオノールには遠く及ばない身長、女としての魅力の象徴である乳房は次姉と比べて洗濯板もいいところ。レスラーとしても女としてもコンプレックスしかない身体を、ギュッと抱きしめるようにするルイズは、今になってタイガーマスクに感じた苛立ちの正体に気づいたのだ。タイガーマスクは彼女のプロレスラーとしての理想そのものなのだ。ルール無用の悪役レスラー相手にフェアプレーで切り抜ける。反則技を知り尽くしているからこそあらゆる反則技をいなしてしまい、正統派で戦うヒーロー。そのスタイルは現役時代の父ヴァリエール公とうり二つなのだ。
「(わたしだって反則技で悲鳴をあげさせるんじゃなくて、正統派の技で喝采を浴びたいわよ!正しく戦って、勝ち負けなんか関係なく全力のフェアプレーで!でも・・・)」
彼女とて最初から反則レスラーだったわけではない。魔法学院に入った当初、全てが中途半端で、系統も決まらないほどであった彼女は勝てずとも大好きなプロレスができれば満足で、それなりに友人もいた。しかしそんな彼女の前にある悪魔が現れたのだ。身体の線は細く、片眼鏡をかけ、青白い肌、青い燕尾服の中には赤いベスト、黒いステッキを持ちしっかりセットされた頭には黒いシルクハットを被った初老の男は彼女にある約束を取り付け、それを果たすために反則技を駆使して勝ち続けることを余儀なくされたのである。かつては『手乗りグリフォン』と呼ばれ愛されていたのに反則技を使うようになったためその名を捨て、今となっては『ピンクデビル』として罵声と悲鳴を浴びるようになってしまってからは友人と呼べる相手すら失ってしまった。
「(ダメ、今はまだ・・・ピンクデビルと呼ばれても。)」
そう考えて両の頬を叩いて顔を引き締め、身体を拭き、最後に乾いたタオルで拭きあげると朝日が窓から差し込む。ルイズはそれを見てパンツにスリップ一枚ではない、練習着に着替えて外で待たせていた直人に声をかけた。
「ナオト、朝練行くから、洗濯頼むわよ!」
と、一声かけて部屋を飛び出した。
「おや、初めて名前で呼ばれたな。」
直人は苦笑いしながら部屋に入り、脱ぎ散らかしたレオタードに下着、タオルを見てため息をつくのであった。
おや?どこかにいたプロモーターの影が?気のせいでしょう、きっと。