うちの学校はとにかく規模が大きい。
学園艦が大きいのはもちろん、サンダース大学付属高校という学校自体の規模も大きい。何しろ戦車の保有車両数は全国一、校舎の数は2ケタ近く、設置学科もかなりの数があり、学校内の設備も備品も、全てが『そんなに必要?』と聞きたくなるぐらいには揃い過ぎている。
その中でも2ケタ近くある校舎については、その数の多さ故に卒業するまでに行ったことがない校舎があるという話をよく聞く。それが生徒だけならまだしも教師だって経験するというのだから、可笑しくて仕方がない。
とはいえ、それぞれの校舎には『ブルドッグ』や『アイアンイーグル』、『コマンドス』などの名称が付けられているあたり、愛着がないわけではないのかもしれない。私個人としては、その名称も響きがカッコいいので好きだった。私が普段授業を受けているクラスがある『アイアンブリッジ』や、『デストロイヤー』や『ハイランダー』などの名称も個人的には気に入っているけど、
『行かないんじゃ名称なんて知っていてもねぇ』
と苦笑する子もいる。ちょっとだけ寂しい。
そんな私が今、普段は行かない『ハイランダー』棟へと足を運んでいるのは、単純に普段行かない棟に興味が湧いたからだ。行ったことがない校舎だからこそ、自分にとっての未開の地には何があるのだろうという純粋な興味がある。
そして私は3年生だから、来年にはこの学校を卒業してしまう。だから卒業する前に、行ってみよう、行ってみた方が良いという焦燥感にも似た何かに駆られてここまで来た。戦車道の訓練で多少疲れてはいるが、それよりも好奇心の方が勝った。
そして今実際に来てみたのだが、壁の色が白じゃなくてカラフルだとか、名前も知らない教室があるだとか、そんな“分かりやすい”違いは無かった。
あるとすれば、
(ここにもあるんだ、家庭科室・・・)
普段いる『アイアンブリッジ』にもあった教室がある、とか。
(おっ、ここのロッカーは新しいタイプのヤツね)
『アイアンブリッジ』棟よりも性能の良い新しいロッカーがある、とかそのぐらいだ。
この他にあるとすれば、さっき立ち寄った図書室の方が『アイアンブリッジ』棟よりも品揃えが良いとか、窓から見える景色が違ったりとか、本当にそんな些細な違いしかなかった。
だけど別に、その程度で凹んだりはしない。これはこれでいい経験になったし、発見と言うものは大きくても小さくても、自分の中にある価値観、見る世界を変えてくれる。だから私にとっては、そのぐらいの変化を見つけられただけでも十分だった。
さてと、と一息ついて伸びをしたところで窓の外を見ると、いい感じに空が茜色に染まっていた。腕時計を見ると4時半に差し掛かろうとしている。結構時間が過ぎてしまっていたようだ。この時期は、陽が沈むと一気に気温が下がってしまうので、明るいうちに帰るのがベストとされている。
そろそろ帰ろうかな。
そう思って私は、この『ハイランダー』棟の構造を思い出す。この廊下を進んでいけば、連絡橋を渡って最短ルートで昇降口まで行くことができるはずだ。なら、その道すがらでもう少しこの棟を見て行くことにしよう。
そして歩き出してからすぐに、何かの音が聞こえてきた。人の話し声や物音などの雑音ではなく、ちゃんとした音楽だった。
(これは、ピアノ・・・?)
私は音楽に関しては素人だがこの音がピアノによるものだということぐらいは分かる。
そして、このピアノの音は、突然聞こえてきたのではなく、ゆったりと、滑らかに私の耳に入ってきた。そしてこのピアノの旋律は、私でも上手いということが分かる。それぐらいのものだった。
その音のする方向を見れば、『第5音楽室』と書かれたプレートが掲げられた教室が見えた。普通の学校は音楽室なんて5つもないよね、と途方もないことを思ったけれど、私はその音楽室へと向けて歩を進める。
これまでも、『ハイランダー』棟に限らず音楽室の傍を通ってそこから音楽が聞こえてくるということは何度もあった。けれど、こうして自分からその音の出どころを目指して近寄るということはこれが初めてだ。
それは、今聞こえてきているこのピアノの音色が自然と惹かれるぐらい綺麗で、それでいてこの曲は気分が盛り上がるような、聞いていて楽しい曲だったからだ。この曲自体は聴いたことがないので名前も知らないけど、私好みの曲調だ。
音楽室に近づけば近づくほど、ピアノの音が鮮明に聞こえてくる。ドアを閉めているせいで傍で聞いているのと同じぐらいクリアな音、とまでは行かないが、それでもよく聞こえてくる。
やがて遂に第5音楽室の前にたどり着くと、扉には『Be Quiet』と書かれた小さなホワイトボードが掛けられている。部活動でも行われているのだろうか?
さて、このピアノの音色を奏でているのは誰なのかな、という興味を持ってドアの小窓から音楽室の中を覗いてみると。
(・・・・・・あれ?)
その音楽室の中の意外な光景に、私も少しばかり驚く。
まず、学校の音楽室特有のグランドピアノで、今なお聞こえている綺麗な旋律を奏でているのは、赤みがかった黒髪の男子だった。見るからに、私と同い年ぐらいか。
このサンダース大付属高校で男子の嗜む一般的な楽器は、ギターやドラム、ベースなどの派手で目立ちやすいものというイメージが強い。その理由としては、やはり目立ちたいと思ったり、そう言う楽器が最高にクールだと思っていたり、あるいは女子にモテたいと願ったりと色々だ。
だからこそ、有名ではあるけれど男子が弾くイメージがあまり強くはない、むしろ逆に落ち着いた雰囲気のあるピアノを男子が弾いているというのが少し意外だった。
次に、この第5音楽室にはピアノを弾いているその男子以外の人の姿がない。教師の姿さえ見えないので、彼が部活に入っているという可能性は低い。部員が全員休んでいるという可能性もあるが、それならまず活動自体休みになるだろう。
今のこの音楽室の中の状況が理解できないまま、そのピアノを弾く男子の事を見てみると。
(・・・・・・・・・・・・・・・)
その男子は、穏やかな柔らかい笑みを浮かべていて、本当に楽しそうに、本当に面白そうにピアノを弾いていた。
ピアノを弾くのが楽しいのだということが、見ているだけで伝わるようだった。
彼の楽しいという気持ちは音に乗っているようで、弾むような滑らかな音が私の耳に入ってくる。
そして、まだ名前も知らない彼が楽しそうにピアノを弾いているのを見ると、自然と私も笑みを浮かべてしまう。人が楽しそうな様子を見ていると自分も楽しくなるのは、一体どうしてだろう?
なんてことを考えていると。
『・・・・・・・・・?』
ピアノを弾いていた男子が、こちらに気付いたようにふと視線を向けてきた。そしてそれが見えたということは、私と彼の目が合ったということになる。
それに気づいた私は、思わず隠れるように身体を小窓からずらす。
というか、どうして私は隠れたのだろう。
(・・・・・・覗き見なんて、悪い感じしかしないからかな)
覗き見とはあまりいいイメージがしない。だから、悪いことをしていると無意識に思い込んでしまい、バレないようにと隠れたのだろう。しょうがないかと肩をすくめる。
さて、視線が合ったということは向こうも私の事を見たに違いない。ならば、これ以上ここにいて、楽しくピアノを弾く彼の集中を乱さない方がいいだろう。
そう思い至り、私はその場を離れることにした。
けれど、ピアノの音色は今なお聞こえてきている。それと同時に、楽しそうにピアノを弾く彼の姿も頭に浮かんでくる。
(・・・・・・また、弾くのかしら)
この楽しそうなピアノの旋律は、聴いていて心地良く楽しいし、聴いているこちらの心が躍り出しそうになる。
もしも、また彼がここでピアノを弾いているのなら、聴きに来るのもいいかもしれない。
やはり好奇心に身を委ねてここへきて、新しい発見と楽しみが見つけられたのだから、ここに来てよかったと今は思える。
このピアノの音色が聞こえる校舎の名称は『ハイランダー』。よし、覚えた。
校舎の名称を覚えたところで、まだなお聞こえるピアノのリズムに乗るように、昇降口へと私は向かった。
楽譜に並ぶ五線譜を目で追い、鍵盤の上で指を絶えず動かし叩き、音を奏でていく。言葉にするのは簡単かもしれないが、これにはものすごい集中力を要するものだ。
ピアノに限った話ではないが、どんな楽器も楽譜の音符に合わせて音を鳴らすだけならば、使い方さえわかれば誰にでもできる。
だが、音符だけではない、楽譜の記号はもちろん、さらにその曲の情景を思い浮かべて、奏でる音に感情を乗せて演奏するというのは中々に難しいことだ。これができるようになるには、楽器の使い方をマスターして、その曲の情景を思い浮かべるほどの想像力も持ち合わせていないとできない。俺自身、それが完璧にできているかと聞かれても、迷いなく『うん』と頷くことはできない。それぐらい自信は無かった。
奏でる曲が最後の1行にやってくる。曲は、これまでの盛り上がるテンポとは違いフィナーレに向けてクールダウンのように音程が下がっていく場面で、テンポは次第にゆっくりになってくる。
そして最後の行は、音を外すことはなく、リズムを乱す事もなく、無事に曲を弾き終えることができた。
「ふぅ~~~~・・・」
俺は曲を弾き終えると、鍵盤に手を置いたまま長く深く息を吐く。やはりピアノを弾く際は集中力を高めるので、曲が終わると一気に疲労感が押し寄せてくる。肩と首を回して凝りを解し、指も動かしておく。
ただ、俺からすれば楽しく曲を弾けたし、弾いた曲も自分の好きな曲なので、文句はない。この疲れだって心地良ささえ感じられるぐらいだ。
(・・・・・・にしても)
落ち着いたところで、俺はさっき音楽室のドアの小窓から中を覗いてた人物の事を思い出す。
あの人は確か、いや間違いなく、ケイさんだった。
サンダース戦車隊の隊長を務めている人で、フレンドリーで明朗快活な性格から、隊員たちからの信頼も厚い。また、スポーツマンシップに反する行為を嫌う至極真っ当な人でもある。
戦車隊に属していない、ケイさんと知り合いでもない男の俺でも、サンダースと言う巨大な枠組みの中で流れる情報だけでそこまで知ることができた。それはつまり、サンダース全体から見てもケイさんが絶大な人気を誇っているということだろう。先に述べた性格はもちろん、容姿端麗、文武両道と来れば非の打ち所がないと評するほかないし、人気なのも頷ける。
そんな人は正直言って、俺からすれば雲の上の存在だ。手が届くはずもない、どころか話す機会さえ与えられないような、遥かな高みに存在する人だと俺は思っている。
だからさっき、そんな人と目が合っただけでも随分とレアなケースなんじゃないかと俺は思う。
だが、たったそれだけのことで運命的なことを感じるほど、俺もお気楽ではない。珍しいこともあるんだな、ぐらいの認識に留めておく。
ただ、何でこんなところにいるのかな、とだけは思ったが。
(さて・・・・・・次はどの曲にしようかな)
別世界に住んでいるようなケイさんのことを考えるのはそれぐらいにして、そろそろ次の曲を弾こう。この場所にいられる時間は限られていて、あと30分もない。
そう思い、俺はスタンドに開いていた楽譜を閉じて椅子の脇に置いてあるトートバッグにしまい、別の楽譜を選んだ。
どうもこんばんは。
初めて読んでくださった方は、初めまして。
続けて読んでくださっている方は、どうもありがとうございます。
当初は年明けに投稿する予定でしたが、
活動報告にも書いた通り、開示設定を誤ってしまいあらすじだけが先に投稿されてしまう事態になってしまいました。
さらに焦って小説そのものを削除してしまい、読者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
指摘してくださった方、ありがとうございます。
そして本当に申し訳ございません。
そのお詫びと言っては何ですが、
来年投稿予定だったこのシリーズを少し繰り上げて投稿することにいたしました。
と言うわけで、(筆者の方が)慌ただしいスタートとなってしまいましたが、
ケイの恋物語の始まりです。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
最後までお付き合いいただければ幸いですので、
どうぞよろしくお願いします。