愛する旋律   作:プロッター

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大変間が空いてお待たせしてしまい申し訳ございません!


そうじゃない

 サンダースフェスタ2日目も晴天に恵まれた。天気予報によれば、サンダースフェスタの期間はこの辺りの天気は晴れらしい。それは何よりだ。

 その2日目、英は昨日よりも早くに起きて朝食を済ませて、サンダースの校舎とは少し違う方角へと向かって歩いていた。目的地はサンダース戦車隊演習場に特設された観客席で、その理由はもちろんサンダース戦車隊の総合演習を観るためだ。

 総合演習が始まるのは10時からなので、今から行っても観客席で数時間待たされる羽目になってしまう。だが、英はそれは分かっていてこの早い時間に向かっていて、それは観客席がすぐに埋まってしまうことを知っているからだ。

 やはり50輌もの戦車を指揮して訓練を行うのはサンダースどころか戦車道でも稀なことである。それに加えて、50輌全てが出場するわけではないが戦車の試合を間近で見られるのは楽しみだから、毎年この総合演習は大勢の観客が来るのだった。

 

「初めて見るねぇ、総合演習って」

「そうね、どんな感じなのかな?」

 

 観客席に向かう英の後ろで、山河とクリスが気楽な会話を交わす。山河の『初めて見る』という言葉には英も同感で、今この3人はサンダースに入学してから初めて戦車隊の総合演習を観るのだ。

 サンダース戦車隊の戦車保有台数は全国一で、間違いなく規模も最大、サンダースの顔とも言える。だが、戦車に関わりのない、興味の無い者からすれば『そんなにすごいことなの?』程度の認識でしかない。

 英も少し前まではそんな認識だった。だが、ケイと出会い、さらにナオミやアリサといった戦車道履修生との関わりが増えたことで、戦車道に対する興味が湧いてきていたのだ。それに、昨日英は今日の演習を応援するとケイに伝えたのだから、見届けるのは最早義務に値する。

 それでも山河とクリスがここにいるのは、昨日の夜に山河から『明日どうする?』と電話で聞かれたことが発端だ。その電話で英が『総合演習観に行くけど、一緒に観るか?』と英が言って山河は賛成し、ついでにクリスも誘って一緒に行くことが決まった。

 英は別に1人で観ても親しい者と観ても別にいいと思ったので、仮に山河たちから誘われても英は一緒に行っていた。

 だが、1つ問題があった。

 

「あの英が戦車を見に行くなんてねぇ」

「それはあれよ。やっぱりケイさんに惚れたからでしょ」

「だよねぇ。そうだよねぇ」

 

 英の後ろで、周りには聞こえずとも英には聞こえるような声量で話す山河とクリス。

 こうも分かりやすく茶化してくることは分かっていたはずだったから、ナオミと一対一で話をした日に食堂で山河に指摘された時、強引にでも誤魔化しておくべきだったと今更ながら後悔する。

 そうこうしているうちに戦車の演習場に到着するが、既に多くの来場者がいた。やはり開始時刻前に観客席を開放すると人が殺到することを予想してか、入場ゲートはまだ閉じられていた。

 

「やっぱり人多いなぁ・・・座れるかな」

「まあ、滅多に見られないサンダースの総合演習だし、仕方ないな」

 

 秋が近づき冷たい風が吹きつける中で入場時刻を待つ人だかりを見て、クリスが苦笑してコメントをする。

 だが、英の言う通りサンダース戦車隊の練習試合はともかく、総合演習は滅多に見られるものではない。何しろ、学園艦は常に海の上を移動していて、それに加えてサンダース戦車隊が普段やらないような綺麗な隊形を組む訓練をするのだから、普通の練習試合とはわけが違う。

 英たちの周りに並ぶ人は、恐らくは戦車道ファンか、隊員の家族か友人、もしくは興味本位で観に来た者だろう。もしくは考えすぎかもしれないが、この機会にサンダース戦車隊の戦力を分析しようと企む他校のライバルもいるかもしれない。現に、英たちより少し離れた位置に、白と緑のセーラー服を着た5人の生徒が並んでいた。だが、ケイはスパイであっても『また遊びに来てね』と快く招き入れるので、取り立てて騒ぐ必要も無い。

 そしてサンダースフェスタの開場時刻となり、同時に観客席への入場ゲートも開場となった。総合演習が始まるのは今から1時間後なのだが、それでもいい席を確保するためにこうして早くから並んでいたのだろう。英たちだってそれを目的としてここに来たのだから。

 他の客たちの流れに従って、英たちは観客席へと向かう。3人とも並んでいる人の中では少し遅めだったからか、見晴らしのいい席は大体埋まってしまっていて、3人並んで座れる席は割と端の方にしかなかった。それでも文句は言わず、3人で並んで座る。観客席に座れなかった人たちは、急ごしらえの赤いテープで区切られたスペースへと向かい、そこで立ち見となった。

 観客席の目の前は演習場の敷地ではあるが、どうやらこの付近では演習は行わないらしい。というのも、観客席の正面には大型のモニターが設置されていて、演習場の様子はよく見えない。恐らく演習の際はそのモニターで中継映像を流すのだろう。

 席に着いたところで、英は身震いする。

 

「しかし寒いな・・・上着着ておいて正解だったな」

「そうだねぇ・・・。ついでに、温かい飲み物でも持ってくればよかったかなぁ・・・」

「私、ココア持って来てるけど飲む?」

「「飲む」」

 

 クリスが肩に提げていたバッグから魔法瓶を取り出して見せると、英と山河は声を揃えてココアを求める。クリスは『ハイハイ』と苦笑しながら―――2人がココアを欲しがることを予想していたのか―――紙コップを取り出して3杯分注ぎ、そして2人に渡した。静かにココアを飲むと、冷えた身体に染み渡るように体が温まっていき、とても美味しかった。

 寒空の下でココアを飲みながら演習が始まるのを待っていると、総合演習の開始時刻に差し掛かる。するとモニターが点き、黄色い稲妻が特徴的なサンダースの校章が大写しとなった。続けて、観客席の隅に建てられているスピーカーからノイズが聞こえ、音声が限りなくクリアになると総合演習を始める旨のアナウンスが流れた。

 そのアナウンスを聞くと、観客たちは自然と声のトーンを落としていく。これからいよいよ演習が始まるのだと思うと、期待と緊張が高まって、それで口数も減っていったのだろう。それは英たちも同じで、彼らもアナウンスが聞こえた直後から黙って観客席前方のモニターを見ていた。

 そして開始時刻丁度になると、戦車隊の隊長であるケイと、今回の演習に参加する戦車の車長たちが、タンクジャケットに身を包んでモニターの前に姿を見せた。

 まず最初に隊長であるケイからの挨拶のようで、後ろにあるモニターにもケイの姿が中継で映されていた。学校の校舎内にある特設モニターにも同じ映像が流れているのだろう。

 さて、サンダース戦車隊のタンクジャケットは、上は肩に白い星のマークが縫い付けられた濃いカーキのジャケットで、それは別に構わない。問題は下に履くホットパンツで、太ももがほとんど隠せておらず素足が丸見えの状態だ。そんな状態のケイをはじめとした隊員を見た英たちは。

 

「・・・・・・見ててすごい寒い」

「奇遇だね・・・僕もだよ・・・・・・」

「戦車隊のみんなってタフねぇ・・・」

 

 第一印象は『とにかく寒い』だった。今の時期にあんな露出度の高い恰好を見ていると、見ている方まで寒くなってくる。相対的に、3人の手の中にある2杯目のココアの入った紙コップを熱く感じてくる。今が冬でなければ、ケイたちの恰好を見た際の反応も変わったかもしれない。

 

「皆さん、こんにちは。本日は、私たちサンダース戦車隊の公開総合演習にお越しくださり、ありがとうございます。戦車隊の隊長を務めるケイです。よろしくお願いします」

 

 マイク片手に挨拶をするケイ。普段のフランクな口調とは180度違う敬語なので、違和感が拭えない。この総合演習がサンダースの身内にだけ見せるものであれば口調も普段と同じだろうが、今この場にはサンダースの外から来た一般の来場客も大勢いる。だから、いつものようなフランクな口調は使わないでいるのだ。

 挨拶も手短に終えて、他の車長たちと共に観客席に対してお辞儀をすると、観客席からは拍手が送られた。無論、英たちだって拍手は欠かさない。

 そして挨拶が終わると早速演習を始めるらしく、ケイをはじめとした車長たちは迅速に引き上げて戦車が待機する場所へと向かう。こうなれば、観客たちは後は演習が始まるのを待つだけだ。

 英は2杯目のココアを飲み切ると、モニターを見つつケイのことを思い浮かべる。

挨拶こそ他人行儀な感じがしたが、演習が始まれば普段と同じように溌剌とした口調に戻って戦車たちを指揮するのだろう。

 だが英は、ケイが緊張していないかどうかが気がかりだった。サンダースフェスタの前日に、英はケイを励ますような曲を1曲弾いて、昨日一緒に2人で回った時もケイは自分なりに楽しんで、今日の演習は万全の状態で臨めそうだと言っていた。

 ケイはそう言っても、それでも英は心配である。ケイは緊張とか不安とかとは無縁だとは思っていたが、そうでもないことはケイ自身の口からきいている。だから、ケイを疑うわけではないが、昨日のケイの言葉を聞いても英はやはり不安だった。

 

(頑張れ、ケイ・・・)

 

 だが、どれだけ英が不安に思っていても、今この場で英ができるのはケイたちが失敗しないように祈ることぐらいだ。ここで祈っていれば演習が絶対に成功するというわけではないが、やらないよりはマシだ。

 そんな英が戦車隊に向けて祈りを飛ばしている合間も、演習の開始時刻は徐々に近づいてきていた。

 

 

 ケイと、ケイと共に挨拶に出ていた車長たちが、戦車が待機している場所に戻ってくる。隊員たちは整備士と共に戦車の最終チェックを行っていて、その顔はまさに真剣そのものだ。

 そんな彼女たちもケイたちが戻ってきたのを見ると、戦車に乗り込み準備を始める。どの戦車も、不具合を起こしてしまったわけではなくて、本当に目視点検をしていただけなのですぐに乗り込むことができた。

 ケイだけはすぐに乗り込まず、整備をしていた整備班の班長であるリア(本名)というグレーのツナギの女子と話をする。

 

「戦車の調子はどんな感じ?」

「カンペキ!いくらでもブン回せるよ!」

「そりゃ頼もしい!」

 

 お互い笑い合って、ケイは最後にリアの肩を強めに叩く。そして手を振りながら戦車に乗り込んだ。戦車の中では、既にやる気満々という表現が似つかわしい表情の隊員たちがケイのことを待っていた。

 サンダースの隊員たちの多くは、試合や今日のような公の場に臨む際は緊張したりせず、むしろ『自分たちの力を見せてやろう』と張り切る傾向にある。それは隊員たちを率いるケイの明朗快活な性格によるものに限らず、サンダースという学校の校風の影響も強い。

 そのケイだって、多分に漏れずサンダースの生徒であり、そして彼女自身の性格も相まって、こういった場ではあまり緊張しないと思われがちである。しかし、やはり隊長として皆を率いる以上は、他の隊員とは違ってこうした場では緊張感というものを少なからず抱いていた。

 今日は模擬戦はともかく、これから行う公開演習は普段の試合とは違って一般に向けてのデモンストレーションの意味合いが強く、試合とは少し理屈が違う。それを初めて自分が指揮し先導するのだから、ケイとて緊張せずにはいられなかった。

 けれどケイは、一昨日英からピアノで励まされ、さらに昨日は一緒にサンダースフェスタを楽しんで思いのほかリラックスすることができた。それに英から『頑張って』と背中を押されて、ケイの中の緊張や不安はほぼほぼ解消されている。ケイは知らないことだが、英が心配しているのも杞憂に過ぎないのだ。

 

「さあ、訓練の成果を皆に見せるわよ!」

『はい!』

 

 隊員たちの気分も上々らしく、やる気に満ちた返事をしてくれる。それを聞いてケイも大きく頷いた。

 口では『皆に』と言ったが、ケイは見ているであろう英にも見てもらいたいと思っている。戦車隊を率いる自分の姿を恐らく英は見たことがないだろうと思ったからだ。

 好きな人には自分の活躍する姿を見てほしいと思うことはあるし、その好きな人が見てくれているから自分も精一杯頑張らなければと思える。

 

「それと、彼氏さんにも見てもらうんですよね?」

 

 ところが、ケイの前に座る砲手のオリーブ(オリーブオイルに嵌っているから名付けられた)からそう告げられて、ケイは思わず『へっ?』と間の抜けた声を上げた。

 

「か、彼氏?な、何の話・・・?」

「いやですねぇ、昨日グラウンドのモニターの前で同い年ぐらいの男子と一緒に座ってたじゃないですか」

「あっ、それ私も見た!」

 

 装填手のアンナ(本名)も加わってきて、話があらぬ方向に転がり始めている。ケイも珍しく狼狽え始めた。

 グラウンドのモニター前ということは、アンチョビたちのアンツィオ出張屋台で昼食を買って、それから『夢幻観測(ドリーム・ゲイザー)』のライブを英と2人で観ていたあの時か。それがこの2人に見られていた、ということか。

 普通は近くに自分の隊の、しかも同じ戦車に乗る仲間がいれば気付くはずだったのに。自分と英が座った後で来たのか、それともケイが英と2人でいられることに浮かれて気付けなかったというのか。

 いや、なぜ気付かなかったというのはこの際どうでもいい。それよりも、見られたら恥ずかしいようなことをしてしまった記憶がケイにはある。けれどこの2人はケイと英が2人でいたことを見たと言っていたし、それは十中八九―――

 

「いやぁ、あんな手繋いでおまけに肩に頭乗せるなんて、隊長も結構乙女なところありますよねぇ」

「あれはどー見てもできてるっぽいよね」

 

 案の定見られていた。凄い恥ずかしい。

 昨日のあの行動は、普段のケイを知る人からしても考えられないようなアクションだっただろう。友情や尊敬の念を含む握手やハグ、果ては頬へのキスやウィンクなどは知られているが、昨日のような行動をしたことは全くない。それが恋愛感情によるものであればなおさらだ。

 ケイもあの後部屋に戻ってから、少し踏み込むようなことをしてしまったかなと、ちょっぴり恥ずかしくも思った。自分でそう感じるのだから、周りが何も思わないはずがない。

 先に挙げた握手やハグなどの行動も、割と親しい男子に対してはやっていたことだった。だが、英に対してだけはそれさえも気軽にできないほど恥ずかしい。英だけが特別という点では、それだけ英を好いているという意味があるので決して悪いことではないのだが。

 それより、今ケイが問題視しているのは目の前にいるオリーブとアンナが自分のことを温かめで見ていることだ。

 

「で、実際のところどうなんですか?彼氏さんなんですか?」

 

 オリーブの質問に、ほら来た、とケイは内心で達観したような気持ちになる。戦車隊に属し、ケイの下につくこの2人をはじめとした隊員たちもやはり年頃の女の子なのだから、惚れた腫れたの話には興味津々だ。ましてやその中心であるのは、自分たちが慕うケイなのだから。

 

「・・・・・・違うわよ、仲の良い友達」

「へぇ~」

「そうですかぁ~」

 

 ケイの誤魔化す答えを聞いて、1ミリも信じていない顔をするオリーブとアンナ。数秒ほどケイのことをじっと見つめるが、先にケイが折れてしまって目線を横に逸らした。その反応だけで、オリーブとアンナは『察した』。

 

「隊長にも遂に春が来たんだねぇ」

「青春だねぇ」

 

 もうからかっているのが目に見えるぐらいの笑みを浮かべ悠長なことを言うオリーブとアンナ。

 その様子を見たケイは、うすら寒さを覚えるほどの満面の笑みを浮かべて。

 

「全車輌、40秒で支度して。ハリアップ」

 

 唐突過ぎる無慈悲な命令。しかも普段の明るさが欠片も感じられないほど冷えたトーンと口調。流石にそれでオリーブとアンナもからかい過ぎたと反省し、『すみませんでした』と平謝りをする。

 

「その礼は今日の演習できっちり返してもらうわよ?」

 

 2人が謝ると、ケイはいつもの明るい口調に戻ってそう言った。だがオリーブたちは、からかい過ぎると逆鱗に触れかねないと学習して、せっせと準備をしながら他の戦車の隊員たちに心の中で謝る。

 ジャスト40秒で、副隊長のアリサから全車輌の準備が終わったことを知らせる連絡が入る。やはり、先ほどのケイの命令が恐ろしさを感じるほど冷静だったからなのか、それとも今日が演習と言うことで気を引き締めていたからなのか、隊員たちも迅速な準備をしたのだろう。もう一度、オリーブとアンナは心の中で隊員たちに謝った。

 

「さて・・・・・・」

 

 全車輌の準備が整ったことで、後はケイが指示を出せばいつでも演習が始められるという状態になった。

 こうして自分が指揮を執ってデモンストレーション目的の演習をするのは初めてであるから、やはり不安や緊張はほんのわずかではあるが残っていた。

 だが、先ほどのオリーブとアンナとの話で、からかわれはしたもののリラックスすることはできたので、それについては感謝したいと思う。

 一度目を閉じて、前に英がケイを励ますために弾いてくれたピアノの曲を思い出す。何かに挑戦しようとして踏み止まってしまっている人の背中を押すような疾走感のあるあの曲は、あの日自分の部屋に戻った後で原曲を聴いてみたが、やはりいい曲だった。

 ピアノを弾いている英の姿が、脳裏に浮かぶ。

 どうしてだか、英の顔を、英がピアノを弾いている様子を、英が奏でた旋律を思い出すと、心が軽くなってくる。

 不安や緊張が胸の中から消え失せて、『私なら、皆ならできる』『自分を信じて付いてくる皆を信じる』『やり遂げる』と自分を鼓舞するような言葉が自然と心の奥から湧き上がり、その言葉で心が満たされる。

 もしも失敗したら、と不安に思うのはそれだけで無駄だ。それに、あの英が弾いてくれた曲のワンフレーズ『失敗も楽しめばいい』という言葉を考える。無論、失敗してもいいやとは全く思っていないし、失敗するつもりもさらさらない。ただ、仮にもし失敗してもそれを一興と捉え楽しめばいいと、ケイは気付いた。

 その方が、何事も楽しむ自分らしいと思う。

 目を開き、ケイはニッと笑った。

 

「全車、Go ahead!!!」

 

 ケイが無線に向けて勢いよく、最高の笑みを浮かべてそう告げると、50輌の戦車が前進を開始した。

 

 

 開会式の後はまたサンダースの校章を映していた大型モニターに、演習場付近を飛行するドローンからの映像が映し出される。この演習場は草原と荒野、そして林がメインで、今日は使わない艦内―――本当に学園艦内部にある―――には巨大なプールを活用した水辺と砂浜、さらに人工雪を降らせれば雪中訓練もできる演習場がある。このような全天候型、あらゆるコンディションの演習場があるのもリッチなサンダース特有のものだ。

 さて、モニターには演習場の入口からサンダースの象徴たるダークグリーンのシャーマン軍団が3列縦隊で入場してくるのが映されていた。まだ姿を見せただけなのだが、それだけでも観客たちは拍手を送り、これから始まる演習に向けて期待が高まっていく。

 シャーマン軍団は3列縦隊を形成しているが、先頭に1輌、さらに最後尾にも1輌列から外れて1輌だけで進んでいる車輌がある。最後尾の戦車は他よりも若干砲が長い。英は、先頭車に乗るのがケイで、最後尾の戦車がファイアフライという奴だろうからナオミが乗っているな、と思った。

 アナウンスが流れ、サンダース戦車隊の簡単な概要と、入場した戦車の名称が説明される。やはり先頭のM4シャーマンにはケイが乗り、最後尾の戦車はファイアフライでナオミが乗っているとのことだった。

 

「普段はああして綺麗な隊列を組むことが無いらしい」

「え、そうなの?」

「サンダースは物量で叩くのが基本スタンスだから、隊列とかはそこまで気にしないんだと」

 

 これはケイから聞いた話で、去年のサンダースフェスタでも総合演習をする際に、先代の隊長の指揮下でケイたちも練習したという。今年はそのケイが指揮をするのだが、指揮するのとされるのとは全然違うし、それに慣れない隊形の指示をするのは結構疲れるとも言っていた。

 

「ケイさんから聞いたの?」

「ああ、ピアノを練習してる時にな」

「そっかぁ、そこまで仲良かったのねぇ・・・」

 

 それは別に隠すことでもなかったので、素直にその情報の出どころを明かす。クリスはこれからの演習に興味があるようで必要以上におちょくりはせず、山河もチラッと英のことを見るだけで何も言わない。

 ドローンのカメラが先頭車にズームインし、無線機を片手に腕を振って後ろに従う戦車たちに指示を出しているケイの姿が映される。瞬間、観客たちが『おお~』と歓声を上げて拍手を送る。

 戦車に限らず、男女を問わず、リアルタイムで何かを指揮する姿というのは、なぜか惹かれるものだ。特に今クローズアップされているのは容姿端麗なケイだから、余計注目を集める。

 ドローンが再び戦車隊全体を映し出す。3列縦隊を崩さず進んでいたが、開けた荒野地帯に差し掛かるとそれぞれの戦車は前後左右の間隔を広げていき、1輌1輌が見やすくなる。だが、それでも3列縦隊は崩していない。

 英は、総合演習で具体的に何をするのかまではケイからは聞いていない。だからこそ、英は戦車の演習を始めて間近で観ることと、一体何を見せてくれるのかが楽しみだった。

 まず最初に、各車輌の速度を微妙にずらしていき、斜向陣という隊形へと変化する。戦車同士がぶつかったりするようなことも、感覚がズレてしまうというようなことも無く、スムーズに隊形を変化して見せた。それを目の当たりにして、英も、山河も、クリスも、観客たちの誰もが歓声を上げて拍手を送る。アナウンスが隊形についての説明をしているが、どうやらアナウンスは今回の演習に参加しない隊員が務めているらしい。

 さらに戦車隊は逆V字の型をした楔形陣、V字型の凹角陣へといとも簡単に陣形を変えていき、しかもそれらを迅速かつスムーズにこなすので、観客たちの歓声は止む気配を見せない。

 

(すごいな・・・・・・)

 

 英は歓声を上げながらも、演習を見届けながらも内心でそう思う。『すごい』と思うことはいくつもあり、この演習のために慣れない隊形を迅速に構築する訓練をしてきた戦車隊も、その戦車隊を指揮するケイも、素直にすごいと思う。

 やはり戦車隊のみんなも、この時のために厳しい訓練を続けてきたのだろうと、英は予想する。自分のことを引き合いに出すのは畑違いかもしれないが、英だってサンダースフェスタで行う初めての挑戦のために練習を重ねて、結果手を痛めてしまった。

 自分でさえこれなのだから、戦車隊の隊員たちの疲労など英の比ではないのだろう。戦車を動かすには体力がいると聞いたし、今回の演習に向けて隊員たちも今までとは違った訓練を続けて精神的にも疲れているはずだ。そして、その皆を率いて指揮を執るケイの疲れなど、精神的にも身体的にも筆舌に尽くしがたいものに違いない。

 そして今、こうして大観衆の前でその訓練の華々しい成果を存分に見せている戦車隊の隊員たちには、英も尊敬せざるを得ない。自分がちっぽけに思えてくるが、劣等感は抱かない。心地良さを感じるかのような自分との“差”だった。

 

「へぇ、あんな風に曲がれるんだ。綺麗だなぁ~」

「すごいな、あれ。普通の車でも難しいんじゃないか?」

 

 今現在モニターには、再び3列縦隊に戻ったシャーマン軍団が大きな弧を描いて曲がり、演習場の元来たルートを戻る形に入る。そのカーブを曲がる戦車隊は、山河の言う通り綺麗に足並みを揃えて一糸乱れず縦隊を形成している。その美しいカーブは観客たちを魅了し、惜しみない拍手を送る。

 

『これより、観客席の前にて砲撃訓練を行います。サンダースの戦車50輌の波状砲撃をどうぞお楽しみください。なお、砲撃の際観客席前方に座るお客様は轟音にご注意ください』

 

 アナウンスがそう告げると、モニターの映像が消えてゆっくりと横に移動し始める。このモニターは可動式だったようで、トレーラーがゆっくりとモニターを牽引していた。

 そして観客たちは、これから目の前で砲撃訓練が始まることにさらに期待を高めて、にわかにざわつき始める。

 先ほどまでの演習とは違って、砲撃訓練を観客たちの前で行うのは、直接観た方が迫力が伝わりやすくなるからだろう。それに先ほどの隊形を組む演習は、俯瞰的に見た方が体系の変化が分かりやすいからドローンで上から撮影していたのだ。

 ゆっくりとモニターがトレーラーに牽かれて移動していき、観客席の脇で停車して再びモニターが点く。見えない人への配慮も兼ねて、観客席から見えやすいように斜めに配置してあった。

 英たちはモニターがゆっくり移動していくのを見届けて、改めて正面を見る。トレーラーでモニターを移動させている内に戦車隊はこちらに向かって進んでいた。

 先頭を行く戦車に乗るケイが、キューポラから身を乗り出して観客席に向けて手を振る。モニターにその様子が映し出されると、観客たちはそれに応えるように歓声を上げたり、拍手をしたり、手を振り返したりした。英と山河は拍手を送り、クリスは手を振り返す。

 50輌もの戦車は3列から2列縦隊に変わり、さらに互い違いに位置を微妙にずらし、観客席から見て左手側に砲身を向ける。それを見て、観客たちがスマートフォンなりデジカメなり一眼レフカメラなりを取り出して、レンズを揃って戦車隊に向ける。戦車隊50輌もの波状砲撃の瞬間を写真に収めたいらしい。英の隣に座る山河とクリスも同じ腹積もりのようで、それぞれスマートフォンを取り出していた。

 

「あれ、英は撮らないの?」

「ああ、俺はいいや」

 

 だが英は、スマートフォンはポケットに入っているが、写真に撮ろうとはしなかった。カメラの腕に自信がないのもあるが、砲撃の瞬間はカメラ越しではなくて自分の目で直接しかと見ておきたかった。

 カメラを構え、そして砲撃が始まるまでの間は観客たちの口数も減っていき、自然と観客席が静かになる。50輌もの戦車が目の前で火を噴く瞬間を、固唾を飲んで見守る。

 

『間もなく、砲撃を開始いたします。最前列付近のお客様は砲撃音にご注意ください。なお、ファイアフライの砲撃は一番最後に行います』

 

 アナウンスが流れる。ファイアフライだけわざわざ最後にしてそれを伝えるということは、他のシャーマンとは違う何かがあるらしい。

 そのアナウンスに対しては誰もコメントや文句を付けたりはせず、ただただ砲撃が始まるのをじいっと待つ。

 英も、山河も、クリスも静かに待つ。

 風が吹き、草木が揺れる音が聞こえてくる。戦車のエンジンのアイドリング音が耳を澄ますと聞こえてくる。それ以外の音は聞こえてこない。限りなく静寂に近づいている。

 その時英は、一番観客席に近い位置にいるシャーマンのキューポラから身を乗り出しているケイが、左手で無線機を持ち、右腕を高く掲げるのに気付いた。

 その瞬間、英は、戦車ではなくてケイに目を引かれた。ただ目で捉えたからではなく、本当に印象的に見えたからだ。

 そのケイが、無線機向けて何かを告げて、そして右腕を振り下ろした瞬間。

 50輌弱の戦車が1輌ずつ砲撃を始め、その砲撃音が奔流のように身体を叩き、耳にすさまじい音が流れ込んできた。

 

『おおおおおおお!!!』

 

 砲撃が始まると、先ほどの沈黙とは打って変わって生き返ったかのように歓声を上げる。そこかしこからカメラのシャッター音が聞こえてくる。英の隣に座る山河とクリスも、興奮気味にシャッターを切りまくっている。

 英は、耳に流れ込んでくる砲撃の音を聞きながらも、ただただ砲撃を続けている戦車隊から、ケイから目を離せずにいた。放った砲弾が着弾し、遥か左の方向で土煙が上がり、観客たちはそれを見てさらに盛り上がる。だが英は、その土煙を視界の端で捉える程度にとどめ、ケイからは目が離せなかった。

 初めて戦車の演習を、戦車が動いているのをその場で観た英は、砲撃を続けている今は『すごい』という単純な感想しか抱けなかった。それに、引き込まれるほどの迫力があり、否が応でも釘づけにされる。

 そして、恐らくは砲撃開始の指示を下した瞬間のケイの姿は、英からすればとてもカッコよかった。演習の最中も戦車隊に指示を出していたケイも同様だったが、先ほどのケイはそれ以上にカッコよかった。

 既に心は掴まれていたはずだったのだが、先のケイの姿に英の心は鷲掴みにされた。

 そんな風に呆けた英の目を覚まさせるかのように、最後のファイアフライの砲撃が行われた。やはり他のシャーマンとは分けただけあって、その砲撃の音は全く違った。通常のシャーマンの砲撃音を基準とすれば、ファイアフライのそれは通常よりも長く、強く身体を叩くような音で、それは大きく、重く響いた。あまりの砲撃音の力強さに、観客の中には笑いだす者までいる始末だ。

 そんな中で、英はケイ、そしてアリサとナオミの顔を思い浮かべ、彼女たちがああして戦車を動かして戦っている姿を思い浮かべると、逞しいと思うし、そして尊敬と称賛をせずにはいられない。

 英は、静かに拍手を送ってその気持ちを表現した。

 

 

 最初の砲撃が終わると、13時から始まる模擬戦まで休憩時間となった。時計を見ると既に正午に差し掛かろうとしていて、観客たちは先ほどまでの演習で無意識に体が緊張し筋肉が硬くなってしまっていたのか、身体を伸ばしたりしている。

 英たちも、一度昼食にしようと思ったが、今座っている席を離れるともしかしたら別の誰かに座られるかもしれないと不安になる。仕方なく、英とクリスでだけ昼食を適当に買って来て、山河にはその場で座ったまま待ってもらうことにした。

 

「食堂車なんてものまで持ってるのか」

「流石サンダースって感じねぇ」

 

 総合演習は今日だけだが、この日のために有志によっていくつかの軽食、戦車の模型、戦車道グッズなどの屋台が開かれていた。

 その中で目を引くのは、3両ほどのサンダース戦車隊が所有する食堂車・・・と言うよりもフードワゴンだ。こちらでもホットドッグやフレンチフライなどの軽食を販売していて、多くの客が並んでいる。このような機会でしか利用できないから、一度だけでもいいから使ってみたいと思って並ぶのだろう。

 英とクリスも、同様にせっかくだから使ってみようと考えてフードワゴンの列に並び、サンドイッチやホットドッグなどを注文する。他にも興味深い屋台が多くあったが、あまり長く席を離れていると待っている山河に悪いので、早々に帰ることにした。

 そこで英が、何の気なしにフードワゴンを振り返ってみると、列に並ぶケイの姿を見つけた。

 その姿を見た瞬間、『何か話しかけた方が良いんじゃないか』と言う考えが英の中に芽生える。今は迫力溢れ見ごたえある演習の直後で、それに今日の本番とこの日のための練習でケイも疲れているだろうと思う。労いの言葉の一つでもかけておいた方が良い。

 

「クリス、悪いけど先に戻っといてくれ」

「え、なんで?」

 

 突然英がそう言ったのでクリスは面食らうが、すぐにケイをクリスも見つけて、『そういうことね』とばかりにニンマリと笑って頷いた。

 

「分かった、先に行って食べてるね」

「ああ、すまん」

 

 そして英は、観客席に戻るクリスとは反対にケイの方へと向かう。その前に英は、買っておいた自分の分のコーラの缶を袋から取り出す。

 

「ケイ」

 

 十分な距離まで近づいたところで、ケイに声をかける。もちろんケイも聞こえたようで、少し驚いたような顔で英の方を見た。

 

「影輔、来てたんだ」

「ああ」

 

 来てたんだ、とケイは口では言うが、本当は来ていると思っていた。何せ、昨日英はケイのことを『応援する』と言ってくれたのだし、演習中も度々、英が見ているかをケイは気にしていた。

 ただ、今話しかけてきたのはちょっとバッドタイミングだが、『話しかけるな』なんて言おうものなら英が傷つくことはまず間違いないので、そんなことはおくびにも出さない。

 

「ってことは、演習も見てたってことよね?」

「当たり前だろ」

「あちゃー・・・ちょっと恥ずかしいわね・・・」

 

 何を恥ずかしがることがあるのか、ケイは頭の後ろを掻いてちょっと恥ずかしそうに笑う。

 だがケイとしては、失敗らしい失敗もせずに終えることができたと思うのだが、観客席から見たら何か綻びのようなものもあったかもしれなかった。失敗したかどうかが自分で分からないから、少し恥ずかしいような、怖いような感じがしたのだ。

 

「何というか・・・・・・すごかった」

 

 だが英は、ありのままの感想を述べる。小難しい表現をするよりも、ストレートなことを言った方がこういう時は気持ちが伝わりやすい。

 

「戦車が動いてるところなんて初めて見たし、砲撃だって迫力がすごくて・・・・・・」

 

 だが、ストレートに言おうにも上手く言葉を紡ぐことができず、断片的なことしか言えない。それでもケイは嫌がる素振りなど欠片も見せず英の感想を静かに待ってくれている。

 英はそんなケイに、演習を観ていて一番強く感じたことを伝えた。

 

「すごく・・・・・・カッコよかった。ケイも、戦車も」

 

 戦車が足並み揃えて綺麗な隊形を組んでいるのも、すさまじい威力と迫力の砲撃も、そして何よりその戦車を指揮するケイが、カッコよかった。陳腐な表現な気がしたが、それでもカッコいいという表現が一番似つかわしかった。

 ケイが戦車隊を指揮しているのを見たのも今日が初めてだが、あんな風にカッコよかったなんて。それでケイの魅力にまた1つ気づくことができたし、ケイが人気の理由の一端に触れることもできた気がする。

 

「そっか・・・そう言われると、悪い気はしないかな」

 

 はにかむケイだが、あの華麗な戦車の動きができるようになるためには、血の滲むような努力と苦労を重ねてきたことは容易に想像がつく。そんなケイを少しでも労うために、英は手にあるコーラの缶をケイに差し出した。

 

「?」

「お疲れさんってことで、差し入れ」

「あ、いいのよ別に、そんな」

「いやいや、さっきの本番と練習で疲れただろ?遠慮せずに」

 

 ケイも英が本当にケイのことを気遣っているのは分かっている。英が微笑んでいるのを見れば、悪意も策略も何もないのが分かる。だから無下に突っぱねることもできず、ありがたく貰うことにした。

 

「・・・・・・サンキュー、影輔」

 

 差し出されたコーラの缶を受け取ると、英は『午後も頑張れよ』と言って背を向けながら手を振り、観客席へと戻っていった。

 

「あっ、やっぱりそうか」

 

 そんな英の背中を見ながら、ケイの後ろでずっと沈黙を保っていたオリーブが声を出す。ケイと一緒に昼食を買いに来たのだが、ケイに話しかけた英を見て、昨日ケイと一緒にグラウンドのモニターの前にいた男子に似ていたので敢えて存在感を極力消して様子を見ていたのだ。

 

「隊長、昨日あの人と一緒にいましたよね?」

「・・・まあね」

「そっかぁ、あの人が隊長の彼氏(仮)かぁ」

 

 またその話を蒸し返すか、とケイは内心げんなりする。

 先ほど英に話しかけられた際に『バッドタイミング』だと思ったのは、演習前にケイのことをからかったオリーブがいたからだ。

 

「彼氏って、そんなんじゃないから」

「だから(仮)って言ったじゃないですか。でも結構いい感じの雰囲気になってたし、これは時間の問題かなぁ~?」

「だから違うってば」

「でも別の女子と一緒にいたっぽいですし、早くしないと取られちゃうかもですよ~?」

 

 好き勝手なことを言ってくるオリーブだが、両頬を左手と右手に握るコーラに挟まれて『違うから、OK?』と告げると『い、イエフ、マフ・・・』と呻いてそれ以上あれこれ言うことはなくなった。

 ケイは『まったくもう』と言いながら手を離して、手の中のコーラを見つめる。まだ買ったばかりのようで冷たいが、英がケイのことを気遣って渡してくれたと思うと、顔が熱くなってくる。

 だが、オリーブの『早くしないと取られるかも』という言葉に、ケイも少しだけ引っ掛かりを覚える。英はモテないとは言い切れないし、オリーブの言うように誰かが英に告白してその人と付き合う可能性だって存在するのだ。

 その時のことを考えると、胸が引き裂かれるように悲しくなる。

 その悲しさから逃げるように、プルタブを空けてコーラを飲む。冷たいコーラに喉が冷えるが、まだ顔は熱い。

 

 

 英が観客席に戻ると、案の定ではあるが山河とクリスがニヤニヤと笑みを浮かべて英を迎えていた。そんな2人の視線を英は無視して袋からホットドッグを取り出して食べる。マスタードが利いていてなかなか美味しい。

 観客席の正面に目を向けると、先ほど移動していたモニターが元の位置に戻っていた。やはり模擬戦の様子はモニターに映すらしい。

 

「戦車の試合も初めてだなぁ」

「ああ、確かに」

 

 先にサンドイッチを食べ終えた山河が、ハンカチで口を拭きながら今更のコメントをする。しかしそれは英も同感で、演習の時もそうだったが戦車が動いているところを見たのは今日が初めてだったのだから。戦車が戦うのだって、これから始まる模擬戦で初めて見ることになる。やはり楽しみだった。

 ちなみに、クリスの所属するチアリーディング部の一部のメンバーは、戦車道の試合会場まで行くこともあるらしい。クリスはその機会は無かったためにが、何でも戦車隊の応援をする時は特有の振り付けがあるとのことだった。それについては深く聞かないでおく。

 そんな感じで適当にだべっていると、模擬戦の開始時刻まで15分を切る。そのタイミングでモニターの画面が点き、加えてアナウンスで模擬戦の説明が行われた。

 試合のルールは、相手チームの戦車を全て行動不能にした方が勝利する殲滅戦。

 今回戦うAチームとBチームの車輌数は共に15輌。Aチームを率いる隊長はアリサ、Bチームの隊長はナオミ。ケイはアリサのAチームに所属する。

 Aチームの車輌内訳は、M4A1シャーマンが1輌、M4シャーマンが14輌。Bチームはシャーマンファイアフライが1輌、M4シャーマンが14輌。M4A1シャーマンにはアリサが、ファイアフライにはナオミが乗る。

 

「ケイが隊長じゃないんだ」

「意外だねぇ」

 

 ケイは言わずと知れたサンダース戦車隊の隊長だ。だから模擬戦のチームの隊長も務めるものだと思っていたが、その当ては外れた。そう言えば、アリサを次の隊長にすると前に言ったことがあったし、今回の模擬戦で隊長の立場に慣れてもらうつもりなのかもしれない。

 ちなみに、英たちは知らなかったが、今回の模擬戦が殲滅戦なのは、観ている人たちを盛り上げるためだった。

 フラッグ戦は、相手チームのフラッグ車をいかに早く倒して勝利できるかを考えるため、殲滅戦よりも知略を巡らせるのが人気ではある。だが、運がよければ1発撃つだけで試合が決してしまう可能性もあった。それだと、ぶっちゃけた話つまらない。そしてそれを実現できる可能性を秘めた隊員が、サンダースにはいる。

 今観客席に座る人の中には、戦車道に詳しい人もいれば、逆に英たちのように戦車道に疎い人もいるかもしれない。そんな人たちも戦車の戦いというものを長く楽しんでもらうために、制限時間の無い殲滅戦にしたのだ。とはいえ、制限時間が無いからと50輌フルで出場させると試合が長くなりすぎて逆にダレてしまう可能性があったし、ここはあくまで学園艦の上で演習場もそこまで広くはない。だから、1チームの車輌数が15輌となった。

 やがて、模擬戦の開始時刻になると、観客席は再び満席となり、これから始まる試合に向けての期待を再び高めていく。

 モニターの前に、この日のために呼んだ戦車道連盟の審判と、AチームとBチームの戦車の車長が整列して挨拶をし、両チームの隊長であるアリサとナオミが挨拶をする。戦車道は『礼』に始まって『礼』に終わるということを知らない人にも教えるために、そして模擬戦だからと手を抜くことを良しとはせずに、ここまで徹底した挨拶をしているのだ。

 観客たちが拍手を送ってお互いの健闘を祈る中で、試合の挨拶は終わった。

 

 

 挨拶を終えると、両チームは試合開始地点へと移動する。

 その道中、戦車に乗ってキューポラから身を乗り出しているAチームの隊長・アリサは前を見ていることしかできなかった。

 今回の総合演習で模擬戦を行うことは事前に聞かされていたし、去年も参加したから分かっていたのだが、まさか自分がその模擬戦で隊長を務めることになるとは思っていなかった。

 ケイは、次の世代を率いるための予行演習だと言っていたが、アリサからすればどんな場であっても隊長として隊を率いるのが緊張することに変わりはない。

 アリサは元々、戦車隊のナンバー3の副隊長としてサンダース戦車隊の作戦を考案する、いわば参謀のような役割を担っていた。また、隊長であるケイが試合中は前線に出て戦うことを好んでいるため、自分は後方から作戦を指揮してフラッグ車を務めることが多い。

 だから、隊員たちに指揮を出すこと自体は慣れているから別にいい。自分が試合の鍵となるという経験もあるから、問題はない。

 だが、自分が隊を率いるとなれば話は別だ。隊長とはチーム全員の信頼を預かり、同時にチームを勝利へと導く責任を負っていると言ってもいい。副隊長の時もその責任を負っているという自覚はあったが、隊長ともなるとその重圧は副隊長よりも遥かに重くのしかかるものだと、今回隊長に任命された時から思っていた。

 今、試合を目前に控えて、改めてその重圧を再認識し、アリサは緊張感に押し潰されそうになっている。

 

「アリサ!リラックス!リラックスよ!」

 

 気づけば試合開始地点に到達し、全ての戦車がアイドリング状態で待機していた。アリサの乗るM4A1シャーマンの隣には、ケイの乗るM4シャーマンが停止しており、アリサの緊張を見抜いたかのようにケイがいつも見せてくれる明るい笑みを浮かべて声をかけてくれた。

 アリサは曖昧な笑みをケイに向けるが、それでも緊張感が抜けていないのは見え見えだその緊張のあまり身体が小刻みに震え、手がわなわなと開かれて、足が無意識に戦車の鉄製の床をカンカンカンカンと叩いている。

 

(どうしようどうしようどうしようどうしよう・・・・・・・・・・・・)

 

 ガタガタ震えるアリサの緊張感は最早最高潮に達し、できることなら逃げ出したいと切に願うまでになっていた。

 昨日は意を決してタカシを誘い、2人でサンダースフェスタを見て回ったのだが、今思えばそれも今日の試合に対する緊張から目を背けていたように感じる。こうなることなら、もっと心の準備をしておくべきだったと後悔した。

 ついには口から『あぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁぁ・・・』とうめき声まで小さく洩れ出してきた。床を叩く足のリズムもどんどん早くなってきている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その様子を、車内で待機していた装填手のメットはじっと見ていた。

 正直言って、アリサがここまで緊張しているのは見たことがない。今年の全国大会で大洗女子学園の戦車に追い詰められた時はヒステリックが極まっていたが、今はあれとは別のベクトルで狼狽えている。気丈に振る舞う姿が目立つアリサではあるが、こんなあがり症な面もあったとは。

 しかし同時に、メットは自分の車輌が隊長車であるということは分かっている。メット自身緊張しているし、隊長のアリサが緊張することも仕方がないことだと思っている。

 だがこの状態では円滑な指揮ができるかどうかさえ疑わしかったので、何かアリサの緊張が和らぐようなことをするべきだと思った。

 そこでメットは腕時計をチラッと見て試合開始時刻までの時間を計算し、さらに薄いブロンドヘアーの砲手であるメイ(本名)に目配せをして、1つ芝居を打つことにした。

 

「あーっ、いっけなーい!私、言伝頼まれてたの忘れてた~!」

「えぇ~?メット、それってマズいんじゃな~い?」

 

 一度、2人はアリサの様子を窺う。2人のわざとらしい、さながら通販番組のようなノリの会話にさえ反応する余裕がないくらい緊張しているらしく、まだ足で床をカンカン叩くのは止まっていない。

 そんなアリサに通用するかどうかは分からないが、芝居を続けることにした。

 

「それでメット、言伝って誰から頼まれたの?」

「えっとねぇ~、タカシっていう男の人から、副隊長に頼まれたんだけどねぇ~?」

 

 アリサの靴が床を叩く音が止まった。

 

「『今日の模擬戦は絶対見に行くから、頑張れ』だって~」

「ちょっとぉ~、エールはちゃんと伝えなくっちゃ駄目じゃない!同じ戦車に乗ってるのに~」

「だよねぇ。あっ、それとこうも言ってたなぁ。『もしもアリサが勝てたら、明日のサンダースフェスタで何か奢ってあげようかな』って」

「えーっ!メット、それってつまり~、デートのお誘いじゃない!そんな大切なこと忘れるなんて、あなたってヒドイわねぇ~」

「ホントにねー。私ってバカだなぁ~」

 

 HAHAHAHAHA、と笑い合う2人の傍らで、アリサの拳に力が入り強く握られる。

 

「あー、でも副隊長ものすっごい緊張してるし、これは勝てないかなぁ~?タカシさんの約束も、守れそうにないっぽいねぇ~?」

「じゃあ仕方ないし~、デートはお流れだねぇ。後でタカシさんにも、謝るっきゃないか~」

「そうだねぇ~」

 

 試合開始を告げる号砲が青空に上がり、ぽんっという心地良く軽い音が鳴り響いた。

 瞬間、アリサは先ほどまでの緊張など微塵も感じさせないほどにひったくるように素早く無線機を手に取って。

 

 

「全車、GO AHEAD!!!」

 

 

 すこぶる真剣そうなアリサの声が響き、アリサが乗るM4A1シャーマンを含めたAチームの全車輌がエンジン音を上げて前進を始めた。

 

「怯むな!ガンガン臆さず前に進みなさい!!何としてでも勝利をもぎ取るのよ!!!」

 

 真剣が過ぎて荒ぶるような声で指揮を下すアリサ。それを聞いて隊員たちも『何があった?』と疑問を抱く。先ほどアリサに声をかけたケイだって、小首を傾げる。

 

(人が変わったみたいね・・・・・・)

 

 とりあえずケイは、試合が始まったことで余計なことは考えないようにし、アリサのことは本番で緊張しないでいられるタイプなのかなと適当に結論付けた。

 ただ、アリサの闘志に火をつける起爆剤となったメットとメイは、『後が怖いな・・・』と内心では怯えていた。

 

 

 試合開始の号砲が聞こえると、ナオミたちのBチームも前進を始めた。

 

「さて、どうしたものか・・・」

 

 前進している最中で、ナオミは考える。

 まず大前提として、お互いに相手チームがどのような作戦をとるのかは知らない。例え同じ戦車隊内での演習と言っても、それはもちろん守られていた。

 今回はただフラッグ車を倒せば試合が終わるフラッグ戦とは違い、相手の戦車を全て倒さなければならない殲滅戦だ。この試合方式は、夏の終わりに大洗女子学園の増援として大学選抜チームと戦った時以来だが、それは一先ず置いておく。

 これがフラッグ戦であれば、ナオミは他の戦車にフラッグ車周りの護衛を片付けさせて、自分のファイアフライでフラッグ車を的確に撃破する。あるいは、最初からピンポイントでフラッグ車を狙ってもいい。フラッグ戦を一撃で終わらせる可能性を秘めている人物というのは、ナオミのことだ。

 だが、今回は殲滅戦だから誰かを倒せば試合が終わるというわけではない。

 となれば、まず最初に狙うべきは、戦いの基本に則り、敵チームの頭である隊長のアリサだという結論に至る。

 だが、向こうのチームには隊長のアリサとは別にケイもいる。つまり、アリサを倒してもまだケイが残ってしまう。

 アリサは用意周到な一面を持っているから、自分の戦車が先に倒される可能性も考慮して、バックアップにケイを据えている可能性も捨てきれなかった。

 かといってケイを先に狙うのも簡単ではない。彼女だって今日までサンダース戦車隊を率いてきたのだから、ただではやられはしないだろう。

 それに加えてさらに、アリサは副隊長になってからサンダース戦車隊の作戦を立案してきた身で、戦車の性能や乗員の能力も一通り把握している。ナオミの戦い方の傾向や癖だって、恐らくは分析されている。

 好きな男子相手に奥手になったり、詰めが甘かったりするところが目立つアリサだが、彼女も中々の切れ者だとナオミは評価していた。

 ともかく、無策に突っ込んでもやられるだけなので、ナオミが考えた作戦を全車輌に通達するよう、装填手兼通信手に伝えた。

 

 

 アリサの持つナオミのイメージは、『黙々と仕事をこなす仕事人』という感じだ。

 公式戦や練習試合での作戦会議では、ナオミは要所要所で意見をしたり作戦を確認することはあっても、大体作戦を立てるのはアリサの役目だった。それでもナオミは、アリサやケイが提案した多少の無茶を含むような役割であっても、ナオミはきっちりと愚痴なくこなす。そして全国屈指の砲手の腕を存分に振るって勝利を幾度となく齎してきた。あの大洗女子学園対大学選抜チームの試合では、フォローやサポートの任も請け負っていた。

 そしてナオミは、最前線に自ら進んで出て敵と戦うということはそこまではない。それは彼女の乗るファイアフライが長射程であるため、後方からの砲撃でも十分敵を狙えるからだ。もし前に出て倒れでもしたら、それこそ貴重な高火力長射程のファイアフライが無駄になってしまう。

 けれどもそれは、裏からこそこそ狙って戦うということとイコールにはならない。あくまで隊の後方に位置して狙うという意味であって、物陰や遮蔽物の影から狙うというわけではないのだ。

 よくナオミは、『狙った獲物は逃がさない』と豪語するが、実際ナオミのファイアフライの射程圏内に入ったら超高確率で撃破される。それぐらいナオミの命中率は高くて、あながちその言葉も大言壮語ではなかったりするのだ。

 そんなナオミの戦い方と、この戦うフィールドが学園艦の演習場というそれほど広いスペースではないことを考えれば、相手の行動がだんだんと読めてくる。

 

「全車輌、3列縦隊!“チャーリー”から“ジョージ”は左サイドに展開して、左翼を警戒!“キング”から“オーボエ”は右サイドに展開して右翼を警戒!」

『はい!』

「“エイブル”と“ベーカー”、“ハウ”から“ジグ”は中央。“ハウ”は“エイブル”の前に出て前方警戒、“アイテム”と“ジグ”は“ベーカー”の後ろについて後方警戒!」

『了解!』

 

 アリサが指示を出して隊形が変わる。今日の最初の公開演習で行った迅速な隊形変化を、すぐに模擬戦に取り組むのは少々リスキーかと思ったが、訓練の甲斐あってかスムーズにできている。やっててよかったとアリサは内心で安堵した。

 

(さて、どう出るか・・・・・・)

 

 キューポラから身を乗り出し、さらに地図を広げて、地形を確認して自分たちが今どの辺りを進行しているのかを確かめる。結果、今自分たちは演習場のほぼ中央を西に向かって進んでいることが分かった。

 その直後、通信が入った。

 

『“ハウ”チーム、前方に敵戦車発見!』

「距離と数は?」

『距離およそ500m、シャーマン5輌の小隊です!ファイアフライは確認できません』

 

 報告を聞いて、アリサは少し考える。相手チームは3分の1の数しか確認できず、それに加えて隊長車のファイアフライもいないということを考えると、偵察だろうか。いや、それにしては数が多すぎる気がする。

 チリチリと、いくつかの点がアリサの脳裏に浮かびあがり、それが線で結ばれそうになる。

 

『こちら“オーボエ”!2時方向、距離約400mに敵戦車隊発見!シャーマン4輌にファイアフライ1輌!こちらに砲塔指向中!』

(そっちが本命か・・・!)

 

 右サイドに展開していた車両の報告が耳に入り、アリサもナオミの狙いに気付く。隊を3つの小隊に分けて、いずれかの小隊に相手のチームを引きつけさせ、その隙に残った2つの小隊で挟み込む気だ。

 となれば、アリサたちのチームの前方にいる小隊と足を止めて交戦するのはマズい。そこで動きが鈍くなれば、ナオミたちのチームの別動隊が追いついてい後ろから撃たれる。どころかすでにファイアフライの有効射程圏内に入っているので、まず間違いなく逃げられずに撃破される。

 なんてことを考えていた矢先に、右方向から戦車が撃破された音と、続けて白旗が揚がる音が聞こえた。

 

『こちら“ナットレー”行動不能!すみません!』

「ファイアフライか・・・・・・」

 

 誰が狙ったのかはなんとなくわかった。だが、それに囚われていてはじり貧になる。指示を出すことにした。

 

「全車輌、進路このまま速度を上げて前進!前方敵小隊を突破して正面の林へ!」

『はい!』

 

 前方に展開する小隊には構わずに突破する。敵の狙いがこちらの足止めであれば、それに乗らなければ良いだけの話だ。その後は林の中の地形を生かしてナオミのチームを撒き、後はガンガン進んで倒していく。

 その指示を出した直後、前方の小隊が砲撃を始めた。先ほどは敵の小隊には構わないと告げたが、無視するというわけではない。その場にとどまって交戦するというわけでもなく、アリサたちは行進間射撃で迎え撃つ。停止射撃と比べると難しくて命中率は落ちるが、当たらなくても威嚇程度にはなる。

 なのでアリサは、躊躇いもなく前方の小隊に向けての発砲指示を出した。アリサのチームの戦車の砲が火を噴いて、ナオミのチームの小隊付近に着弾する。

 

 

 観客席のモニターには、試合の中心部であるアリサのチームと、ナオミのチームの2つの小隊が交戦する様子が映されている。

 最初にナオミのファイアフライが、アリサのチームの戦車を撃ち抜いてから、観客たちは歓声を上げて盛り上がっている。砲撃の音はそこまで大きくは聞こえないが、臨場感はモニターを通して伝わってくる。

 英や山河たちは昂ってきて『おお!』とか『すごい!』とか声が自然と洩れ出す。やはり男として、大きな鉄の塊が動いて戦うのを見ると血が騒ぐものだった。英の趣味はピアノでそこまで男らしいとは言えないが、それでもああいうものにロマンを感じるところはまだ男だった。

 

『Bチーム、シャーマン1輌行動不能』

 

 審判が告げて、モニターの中でも戦車が1輌炎上して白旗を揚げて擱座する。先のファイアフライの先制攻撃のお返しとばかりの攻撃に、観客たちが拍手を送った。

 だが、山河が気付く。

 

「ナオミのチームの戦車が足りないね」

 

 未だモニターには試合の中心部の映像が流れていて、アリサのチームの戦車14輌が林へ向けて進軍しているのが分かる。だが、山河の言う通り、ナオミのチームの戦車は右サイドから迫る5輌と現在交戦中の4輌の、合計9輌しか見つからない。

 

「本当だ。なら、まだどこかにいるっぽいな」

 

 するとモニターが、簡易的に演習場全体を表す画面に変わる。戦車の動きがマークや矢印で示されているが、そこで英と山河は気付いた。

 

「「あ」」

 

 2人の声が重なる。

 アリサのチームはナオミのチームの小隊との交戦を続け、さらにもう1輌撃破したところだった。だが、同時にアリサのチームの戦車も1輌撃破され、13対13の状態でアリサのチームは林の中へと進んでいく。そのアリサのチームを、ナオミのチームの2つの小隊が追っていく。

 そしてアリサたちのチームの前方には、残りのナオミのチームの戦車5輌が待ち構えていた。

 

 

 結局のところ、ナオミのチームの本当の狙いは、アリサのチームを林の中に誘い込んで3つの小隊で挟み込むことだったのだ。最初にアリサのチームの前方と右翼から姿を見せて、左翼からも敵が来ると思い込ませて林へと向かわせる。ナオミのファイアフライを陽動に使ったのも、隊長の自分が出てきた事で真の狙いは林の手前で足止めさせて仕留めることだと考えさせるためだった。

 だがアリサのチームも、林の中で残ったナオミのチームの小隊とぶつかる直前でナオミの真の狙いに気付き、アリサはチームを左右に展開させて被害を最小限に食い止めようとした。そこでナオミたちのチームが全車輌合流し、その後は林の中での激しい撃ち合いとなった。

 最後まで残ったのは、ケイとナオミの車輌。アリサはケイの前に撃破されてしまったが、その際に残っていた相手チームの戦車はファイアフライだけだったので、作戦はあって無いようなものだったしケイに任せるほかなかった。

 最終的には、ナオミの抜群の射撃の腕が光りケイの戦車を撃ち抜いて、アリサ率いるAチームの戦車が全滅し、ナオミ率いるBチームの勝利となった。

 

「結構面白かったな」

「そうだねぇ。ま、アリサの作戦はナオミにバレてたらしいけど」

 

 アリサのチームが、ナオミのチームの小隊を突破して林に入った時、待機していたナオミのチームの最後の小隊はアリサのチームの進路上にいた。それはまるで、アリサが最初からそこへ向かうであろうことをナオミが予想していたということだ。

 

「ナオミさんはアリサさんの先輩にあたるし、どんな作戦を立てるか読んでいたってこと?」

「そういうことになるな」

 

 クリスが疑問を呈して、英はそれに頷く。

 何にせよ、今回初めて戦車同士の試合を観たが本当に面白かった。戦車の知識はないがそれでも十分楽しめる内容だったし、最後の戦車同士の撃ち合いはまさに戦車の戦いを表しているかのようだったので、まさに見応えがあるものだった。

 閉会式の後で、英はケイにメールで『お疲れ様』と送っておいた。本当なら直接会って感想を伝えたかったのだが、総合演習を終えたことで色々と立て込んでいるだろうし、昼休みに一度会ってそこでも『お疲れさん』と言ってしまったので興醒めするかもしれなかったから、止めておく。

 そして総合演習が終わったことで、英の中で脇に置いておいた心配事が再び頭をもたげ始める。

 

「・・・・・・明日が本番か・・・」

 

 そう、英が山河たちクイズ研究部の開催する『サンダースQA(クイズアタック)』でピアノを弾く当日だった。アイザック部長曰く、本当にあのホールに700人以上集まるらしいし、そんな人数の前でピアノを弾くことを考えると、今から胃が痛くなってくる。

 

「あ、そうだ英」

「何・・・?」

 

 胃がキリキリと痛んできたように感じて腹のあたりを英が押さえるが、そんな英に対して山河は申し訳なさそうな、それでいて楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

「アイザック部長が明日司会を務めるんだけどさ、ああ見えてあの人結構無茶振りを仕掛けてくるんだよね」

「え、無茶振り・・・?」

 

 果てしなく嫌な予感がしてきた。

 

「そ。だからさ、何か曲弾いてって言われるかもしれないし、何曲か普通の楽譜を持っていた方が良いと思うよ」

 

 その予感は悲しいことに的中してしまった。

 英としては勘弁願いたいものである。ただクイズのためにステージの上でピアノを弾くことさえ緊張するのに、おまけに無茶振りを仕掛けられてピアノを弾けと言われると余計ハードルが高くなる。

 やめてくれよと言いたかったが、そうなるかもしれないと警告してくれただけでもありがたいし、それならば対策は打てる。弾き慣れている得意な曲を事前に用意して、それを弾けばいいだけの話だ。

 それと、自分がそのクイズ研の依頼を受けた理由が、自分の立場を少しでも上げるためだということを思い出し、1曲を弾くのはむしろチャンスと捉えるべきではないかと思った。ただクイズの問題のために曲の一部を弾くだけでは、名を上げるのも難しいと思うからである。

 とはいえ、それでも緊張して胃が痛むことに変わりはないので、帰り際に薬局で胃薬を買っていくことにした。

 

 

 

 試合終了後の撤収作業中、アリサは肩を落としてひどく落胆していた。

 周りはそのアリサが落ち込んでいるのを、初めて隊長とを詰めた模擬戦で負けてしまったからだと思い、

 

「ドンマイよ、アリサ。何事も失敗はつきものだし、みっちり練習して次は勝てるようにしましょ?」

 

 ケイは肩を叩いて励ました。

 

「もう少し、作戦に捻りを入れた方が良いな。そうすれば、勝利することもできる」

 

 ナオミは少々厳しめではあれど改善点を伝えて、そして頭をポンポンと優しく叩いた。

 その2人の言葉をアリサはもちろんちゃんと聞き入れたが、何よりもアリサが気にしていることはタカシとの約束だ。模擬戦の直前でメットとメイの話を聞いたアリサは、あの模擬戦で勝利すればタカシと明日もサンダースフェスタを回ることができると信じ、緊張する自分を奮い立たせた。だが結果は負けてしまい、そのタカシとの約束もパァとなって小さくないショックを受けているのだ。

 さて、その話題を出したメットとメイは『やばいなぁ』と冷や汗を垂らしてアリサの様子を後ろから窺っている。

 あの時の小芝居はアリサを勇気づけるためのものであって、タカシからの言伝も、約束も全ては出まかせだった。しかしあの落ち込みようから見て、アリサは本気で2人の芝居を信じ込んでいたことが分かる。だから今、落胆しているアリサに『全部嘘でした』と白状するのも憚られるし、白状するとどうなるかは分かったものではない。

 

(どうすんのよ・・・もう引き返せないところまで来ちゃってるわよ・・・?)

(いやぁ・・・あの時は良いアイディアだと思ったんだけどね・・・)

 

 もしも模擬戦に勝っていれば、『全部嘘でした』と白状してもアリサは不貞腐れる程度で済んだだろうが、あそこまで落ち込んでいるのを見ると可哀想なことをしてしまったと2人は後悔している。

 と、そこで。

 

「アリサー!」

 

 ケイがアリサのことを呼んだ。アリサは力なく顔を上げてケイの方を見るが、ケイとナオミの傍に1人の男子が立っているのに気付く。その男子とは。

 

「あれ、タカシさん?」

「What?」

 

 メットとメイもケイの声を聞いて、アリサと同じ方向を見ると、そこには確かに件のタカシがいた。

 直後アリサは駆け出して、タカシの下へと向かう。そしてタカシとアリサはほんのわずかな間だけ言葉を交わすが、途端にアリサが首をブンブン縦に勢いよく振り出した。

 メットとメイは『一体何が起きているんだ』と分からなかったが、遂にアリサとタカシは並んでその場を去っていってしまった。

 訳も分からず、2人はケイとナオミに事情を訊いてみることにする。

 

「副隊長とタカシさん、何を話してたんですか?」

「えっとね。タカシが『よく頑張ったな。美味い飯でも食べて元気出そうぜ?俺が奢るから』って言って、それでそのまま2人でディナーに行っちゃった」

「タカシは他意なくアリサを慰めるために誘ったんだろうが、アリサからすれば完全にデートだな」

 

 ケイとナオミからそう言われて、メットとメイは頭の中では『オーマイガー・・・』と頭を抱え、口から『ひえええええ・・・』と驚きのような安堵のようなため息を吐く。まさか、その場しのぎで吐いた嘘が奇跡的な偶然によってほぼ現実のことになってしまうとは。『噓から出た実』とはよく言ったことだ。

 だが2人は、もう2度と中途半端な嘘はつくまいと、心に誓った。




アリサからタカシへの気持ちは恋慕
タカシからアリサへの気持ちは友情(?)な感じ。タカシ気付いてやってよ

今回はサンダースのナオミとアリサの強さを多少なりとも表現して、伝わればいいなと思って書きました。
このシリーズも後2~3話ほどで終わりとなりますので、今後ともよろしくお願いいたします。


今回はバレンタイン企画もあって投稿が大変遅くなってしまいました、申し訳ございません。
感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。

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