愛する旋律   作:プロッター

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知らなかったけれど

 カーテンを開けば晴れ渡った空が広がり、太陽の光が部屋の中を照らす。ニュースを点ければ天気予報で『気温も温かく絶好の行楽日和』と言っていた。試しに窓を開けてみれば、確かに季節も秋半ばにしては温かい。まさに、サンダースフェスタ最終日に相応しい天気と言えるだろう。

 だがそんな天気と裏腹に、朝から英の気分は低い。澄み渡った空の下、英は下を向きながら通学路を歩く。肩には、いつも楽譜を入れているトートバッグを提げていた。

 下を向くほど気分が沈んでいるその理由は至ってシンプル、今日自分が参加する『サンダースQA(クイズアタック)』に対する緊張感が当日になってより高まっているからだ。正確に言えば、解答者として参加するわけではなく、特別コーナーを担当する。だがどっちにしたって緊張することに変わりはない。

 昨日の総合演習を観終えて翌日が自分にとっての最大の山場だということを再認識して以来、その緊張感は薄まることを知らず時間が経つ毎に濃くなってきている。英の心に根付いて意識しないということができない。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 快晴の空に似つかわしくないため息を吐く英。だが、こうでもしないとやっていられない。雪だるまのように大きくなっていく緊張感に押し潰されそうだから。

 そんな気持でも、英は普段通学する日と同じぐらいの時間帯に部屋を出ていた。昨日一昨日と、普段学校に行く時間とは少し異なる時間に部屋を出ていたが、今日はピアノの練習をするためにいつも通りの時間に出ている。

 英が『サンダースQA』の特別コーナーでピアノを弾くことはもはや確定事項だが、それはプログラムの中で一番最後のコーナーである。

 『サンダースQA』が始まる時刻は昨日の総合演習と同じ10時で、予め大体のタイムテーブルも存在する。英もそれは持っていたが、部長のアイザックは『場合によっては時間が前後するかもしれない』と言っていた。

 そのタイムテーブルを見ても、時間が前後することを考えても、英がピアノを弾くその特別コーナーまでは大分時間がある。

 

『時間まで、いつもの場所でピアノを練習してるといいよ。出番が近づいたら連絡するから』

 

 山河がそう提案してくれたのを英は思い出す。

 山河も、英がこういった場でピアノを弾くこと自体が初めてなのは知っているから、緊張しているだろうと思ってそう言ったのだろう。その提案は英としてもありがたかったし、本番に向けてピアノの練習をしておきたい。それと、ピアノを弾いていた方が気持ちも多少落ち着くので、そうさせてもらうことにした。

 大勢の人の前でピアノを弾くことに緊張しているのに、その緊張をほぐす方法もまたピアノとは、つくづく自分はピアノが好きなんだなと英は自分で失笑する。

 通学路には、開場前の準備のために学校へと向かう生徒が英の他にも多くいて、サンダースフェスタのために作られたアーチが架かる校門をいつものようにくぐっていく。英も校門を過ぎて、昇降口へと向かう。

 途中の掲示板に『サンダースQAダービー』と書かれたチラシが貼られていた。

 内容は、出場者の中で誰が優勝するのか、どれだけポイントを獲得するかを予想するというもの。見事ドンピシャだったら図書券が当たり、ニアピン賞も用意されているらしい。これもクイズ研究部の企画で、こうして企画を広げてこつこつ注目度を集めていき、目玉イベントに至るまでになったのだろう。

 だが、クイズ出演者は『サンダースQA』開始まではシークレット扱いになっていて、正式にはクイズ研究部の部員ではない英自身も、誰が出演するのかは聞いていない。

 このダービー企画が始まるのは『サンダースQA』開始から1時間後の11時からなのだが、英はそれよりもピアノに集中したかったのでこの企画はパスすることにした。

 そして今は、ピアノを練習して気持ちを落ち着かせたかったので、1分たりとも無駄にしたくはなかったので、急いで『ハイランダー』棟の職員室へと向かった。

 

 

 もし鍵を貸してくれなかったら、という一抹の不安が英の頭によぎったが、事情を話すと『ハイランダー』棟の職員室に待機していた教師(幸いにもいつもの人だった)は、第5音楽室の鍵を貸してくれた。

 サンダースフェスタで、どの教室でどんな企画が行われるのか決まった日から分かっていたが、調理室や技術室、化学室等、そこでしかできない企画あるいは作業がある教室を除いた特別な教室は、サンダースフェスタ当日でも開放されない。開放されていないから、ピアノを練習するというちゃんとした理由がある英に、教師も音楽室の鍵を貸してくれたのだ。

 教師にお礼を告げて、英は長い間使っていて大分愛着が湧いていた第5音楽室に到着し、一息つく。だが、それもほどほどにして、まずはウォーミングアップに『トルコ行進曲』を弾く。軽快なリズムと高めの音、そしてどこか優雅な雰囲気のするこの曲は、弾いているだけで心が落ち着くかのようだ。

 まずはウォーミングアップをして、その後で本番用の曲を練習することに決める。クイズ研の部員たちへのお披露目は既に終え、太鼓判をいただいているので問題はない。それでも用心に越したことはないから、ここでの練習を進んでやる。

 

(よし、上出来)

 

 『トルコ行進曲』を弾き終えて、緊張がある程度抜けて、自分が本調子に近づいてきたのを実感し、いよいよ本番で弾くピアノの曲を練習し始める。

 一部の曲を除き、弾く部分はBメロとサビだけだと言われているので、早い段階で覚えることができ、また簡単でもあった。しかし、アイザック部長からは『曲を答えた人が正解したら、サビをもう一度弾いてね』と言われているので、サビは重点的に練習する。

 今回本番で弾く曲のジャンルは、最近話題になっている曲、昔のヒット曲、海外の有名な曲、アニソン、演歌、果ては軍歌と幅が広い。だが、それでも英は愚痴ることなく全ての曲をどうにかものにしてきた。それに、こうして練習する中でまた英が個人的に気に入った曲を見つけることができたので、一概に悪いことばかりではない。

 不思議と、ピアノを弾いている時だけは緊張や不安を抱かずに、集中することができる。だから、練習は順調に進めていくことができた。

 しかし、練習する曲はこれだけではない。昨日山河から聞いた通り、アイザックが無茶振りを仕掛けてきた時に備えて最初から最後まで通しで弾く曲も用意していた。数曲だけでいいと言っていたので、英が本番用とは別に持ってきたのは2曲だけである。1曲は今年話題になった映画の主題歌、もう1曲はケイが気に入っているあのラブソングだ。

 この2曲を選んだのは、念のために明るい曲と落ち着いた曲の両方を用意しておいた方が良いかなと、思ったからである。映画の主題歌は爽やかな雰囲気がして英が好きだったからで、そのラブソングを選んだのは英自身も何度か弾いているうちに気に入っていたからだ。

 これら2つの曲も、前者はともかく後者は覚えたのが最近なので、練習はやっておくべきだと思った。

 そしてさらに、英はもう1曲だけ楽譜を持ってきていた。だが、これはまだマスターしておらず、ステージの上で弾くつもりもない英が個人的に練習している曲である。

 それは、英が気に入っていると言った曲であり、英もケイも楽譜を見ただけで唸るぐらい難しいのが分かった、複雑なリズムと技術を要する曲だ。

 最初は片手ずつ弾かなければならないほど難しかったが、サンダースフェスタに向けた練習の間も休憩がてらコツコツ練習を重ねて、もうすぐ完成するという段階にまで至っているのだ。

 

「『自分の気持ちは言葉にしなくちゃ、それを感じる意味はない』『自分の気持ちに背を向けるな。後悔したくないのなら』・・・・・・か」

 

 その曲の中にあるフレーズを、英はポツリと呟く。

 この曲を初めて聴いた時は、英はそのフレーズを聞いても『そりゃそうだよな』としか思っていなかった。自分が何かの気持ちを抱いたのであれば、それは言葉にしないと伝わらないし、その気持ちを抱く意味も無くなる。それに、自分の気持ちに正直に向き合わず目を背けていても、後ろめたさを感じ続け、行き着く先は後悔だけだ。

 だが、英は今ケイに対して明確な好意を、恋心を抱いている。だからこのフレーズの意味も、今では痛感するほど強くその通りだと感じていた。

 英は、いずれ自分のこの気持ちは全てケイに包み隠さず話すつもりでいる。そう思っている中でこの曲を弾き、そのフレーズを思い出して、英は自分の背中を押されたような気分になって、思わず呟いたのだ。

 そのケイは、今は『用事』でここにはいない。だが恐らくは、前にケイが言っていた『好きな人』と共にサンダースフェスタを回っているのだろう。もちろんそうとは限らないが、英はその可能性しか今は考えられなかった。

 そうしてケイが『好きな人』と一緒に回っている様子を思い浮かべると、英の胸が貫かれるかのように痛み、苦しくなる。それが不安によるものと、恋するもの特有の嫉妬によるものだというのは容易く分かったが、そんな気持ちを感じずにはいられなかった。

 ケイが『好きな人』という人が誰なのか、どんな人なのか英は分からない。自分なんかと比べることさえもバカバカしいと思えるぐらいすごい人なのかもしれない。

 それが英が、ケイに『好きな人がいる』と聞いて以来ずっと抱いている不安であった。

 

(・・・・・・絶対、成功させるしかない)

 

 しかし先ほど考えていたように、英はケイに告白するつもりでいる。その前にまずは、今の中途半端な自分の立ち位置を変えるために『サンダースQA』で成功を修めることが先決だ。それでケイの『好きな人』に敵うかどうかは分からないし、無理なのかもしれない。

 しかし、もう後戻りができないところまで英は来ている。だからどのみち、英はピアノを弾くしかない。

 お気に入りの曲を弾き終えて、英はもう一度本番で弾く曲を練習する。

 何度練習しても、『もう大丈夫』と慢心したりなどせず練習を続ける。

 今だけは、この音楽室だけが外とは完全に隔離されているようだった。

 

 

 練習する時間が一分一秒も惜しかったので、昼食は登校する途中で立ち寄ったコンビニのおにぎりで済ませた。昼食を挟み、小休憩をしてからすぐに練習を再開する。

 だが、楽しい時間が早く過ぎ去ってしまうのと同様に、できる限り先にしたい緊張する場までの時間と言うものもまた早く経ってしまう。

 英の下に山河から『そろそろホールに来て』と言う連絡が入ったのは、昼食を終えてからおよそ1時間ほど経った後、午後1時半過ぎぐらいだった。タイムテーブルと照らし合わせると、若干遅れ気味ではあるが数分程度だ。山河にはあらかじめ『ハイランダー』棟で練習していることは伝えてあるから、時間を逆算して連絡したのだろう。

 英はその連絡を受けると楽譜を全てトートバッグに仕舞い、中身を再度確認してから速やかに後片付けをして音楽室を施錠し、ホールに向かう。鍵は本番を終えた後で返せばいい。

 

 『ハイランダー』棟を抜けて東側第2ホールへと向かう英。そこそこ距離が離れているので、他の通行人にぶつからない程度には早歩きでそこへと向かう。

 途中の掲示板でチラッと見た『サンダースQAダービー』のチラシには『受付終了』というシールが貼られていた。流石に、もうすぐ最後のコーナーとなればポイントはともかく優勝する人の予想はしやすくなるからだろう。

 恐らくは、校内に特別に設置されたモニターで『サンダースQA』の様子が中継されているはずだ。だが、それを見ている余裕はないので、英は脇目も振らずに目的の場所へと向かう。行く途中でモニターを見かけることも無かったのだが。

 だが、ホールに近づくにつれて、英の中の緊張感が大きくなっていく。先ほどピアノを弾いていた時は感じていなかった緊張や不安が心を支配しはじめる。

 どれだけピアノを万全な状態にしても、音楽と言うものは演奏する人の心が映るかのように精神状態に左右される。

 よく聞くプロの演奏家の話だと、『本番よりも本番の前が緊張する』らしい。英はプロの演奏家ではないが、確かにケイのホームパーティで弾いた際も、実際に弾く時よりも弾く前までが緊張していた記憶がある。それと同じと考えればまだ気が楽だ。英は、少しでも自分の気持ちを上向きにさせながら、英は目的地へと向かう。

 

 やがて遂に、第2ホールへと到着し、事前に言われた通り通用門から入ってコンクリートの壁に囲まれた通路を通る。

 

「おっ、来たね」

 

 そして途中で山河と合流して、舞台袖に足を踏み入れる。そこには他のクイズ研究部の部員がいるが、解答者席は見えない。解答者席がステージの奥側にあるからで、英の位置から見えるのはステージの上に立つ司会のアイザックと、観客席だけだ。英の位置からでも、席には多くの観客が座っているのが見える。アイザックの言ったように、去年同様本当に700人ほどいるのかもしれない。

 及び腰になる英の横で山河が襟に着けた小型マイクに『準備できました』と伝えると、ステージの上のアイザックがこちらを見た。英は念のため、制服の襟を正し、問題がないことを山河と他のクイズ研部員に確認してもらう。

 

「さぁ、いよいよ長かった『サンダースQA』も残すところ、後1コーナーとなりました!最後は毎年変わる特別コーナー!今年のテーマは、『ピアノアレンジクイズ』!」

 

 英の記憶の中にある、何度か話をした時の穏やかな雰囲気のあるアイザックとは全然違う、溌剌とした明るい声で会場を盛り上げるかのように司会進行をする今のアイザック。風貌は割とイケメンで、サンダースフェスタの目玉イベントを開催するクイズ研の部長として高いヒエラルキーに位置し、知的な上にこうして場を盛り上げられるトーク力も併せ持ち、しかも嫉妬心さえ抱けないほどいい人なアイザックが、ズルい人だと英は思う。ズルい、というのは一種の皮肉だ。

 さて、アイザックが特別コーナーの内容を事前告知も無く(一部の関係者は知っているが)今この場で初めて明かしたことで、観客たちはにわかにざわつき始める。

 

「ルールは簡単、有名な曲のピアノアレンジ曲を聴いて、その曲名を答えるクイズです!そして今回このクイズを行うにあたり、ピアニストの方にこちらで生演奏をしていただくことになっております!」

 

 アイザックが高らかに宣言し、観客たちは拍手を送る。英はその拍手を聞いて胃が痛みだし、思わず『うっ』と呻いてお腹を押さえる。そんな英などそっちのけで、クイズ研部員は舞台袖に移動させていたグランドピアノを4人がかりでステージの上まで移動させる。

 

「では、そのピアニストの方に登場していただきましょう!サンダース3年の英影輔くん、どうぞ!」

 

 ついにアイザックから名前を呼ばれ、ステージの上に立つ時が来てしまった。山河に『頑張れ』と言われながら背中を押され、足を踏み出す英。握られた手には汗が滲んでいるのが分かり、心は緊張感で押し潰されそうだった。しかし、儘よと一歩、また一歩と踏み出して遂にステージの上に出る。

 そして観客たちの前に姿を見せた瞬間、雨のような拍手が英に向けて送られる。これだけの人数の前に出ることが英は人生でも初めて経験することだったから、緊張感がさらに濃くなってくる。

 英は、その拍手から少しでも気を逸らそうとして、そして解答者の人にも会釈程度でもいいから挨拶をしておこうとして、解答者席を見て。

 

(あ!!?)

 

 絶句した。しかし、顔は微笑を携えて、変わったことは何も考えていないように見せかけていた。

 英が絶句した理由は、解答者の1人が自分にとっては無視することのできない人物だったからだ。

 解答者は全部で6人だが、英の知っている人物はその内の4人。さらにその中の3人は、サンダースの校長と、イケメンと名高い数学教師(29歳)、温厚な性格の歴史担当のおばちゃん(確か50前後)。

 そして、最後の1人は、ウェーブがかった金髪で、サンダースの制服を着ていて、袖を捲っているその女子は、他ならないケイだった。

 

 

 遡ること数分前。7つあるコーナーの内の6つを終えて、残すは年ごとに変わる特別コーナーだけとなった。

 これまで、1分間で12の問題に答えるコーナー、脳のひらめきが重要な謎ときコーナー、一般的な早押し一般常識クイズコーナーなどを行った。

 今回の『サンダースQA』で出題される問題は、ほぼ全てがこのイベントを企画したクイズ研究部が独自製作したものだという。コーナー自体はテレビのクイズ番組などから着想を得ているが、問題のほぼ全てを作ったとなればそれだけでも十分すごいと思う。

 加えて、今ケイたちが座る解答者席も技術研究部の協力で結構凝った作りになっており、これもまた話題を呼んでいる。

 

「さて、これまで7つのコーナーを終えましたが、現在得点トップは、サンダース戦車隊OGのメグミさん!」

 

 今は、最後のコーナー前ということで個人得点の最終確認と、ちょっとしたインタビューという時間になっている。

 司会でありクイズ研の部長でもあるアイザックがマイクを向けた人物は、かつてサンダース戦車隊に所属していたOGのメグミという女性。現在は大学選抜チームという戦車道のチームに所属し、そこで副官を務めている。

 そして、夏の終わりの大洗女子学園対大学選抜チームの試合で、ケイが大洗側に参戦した時に戦った選手でもある。

 

「後輩と、自分がかつて教えを乞うていた教師への逆襲と言わんばかりに点数を重ねているメグミさん容赦がない!」

「戦車道で高校生に負けちゃったし、ここで負けたくはないわね」

「おっと、これは過去の因縁を相当根に持っている様子!闘志むき出しだ!」

 

 アイザックの言う通り、現在獲得点数トップはメグミである。そのメグミが、ケイの方、より具体的に言えばケイの隣に座る人物へと視線を向ける。すると、その視線を受けた人物は、肩を震わせて縮こまる。

 メグミのコメントを聞いて観客席が『おお~』と盛り上がり、そしてアイザックの軽快なトークに笑いが起こる。アイザックとメグミは初対面でおまけに年齢も違うが、こういった楽しい場で司会に求められるのは、軽快なトーク術と、円滑に事を運べる行動力であり、世間の渡り方はこの場でだけは必要ない。それに、いちいち年功序列などを指摘するのも野暮なだけだ。

 

「そしてそんなメグミ選手に続き2番目にポイントが高いのは、昨日の総合演習で華麗な隊形変化と豪快な砲撃を見せてくれた、サンダース戦車隊の現隊長・ケイさん!」

 

 アイザックに名前を呼ばれて、ケイも軽くお辞儀をしてから手を振る。どうやら、昨日の総合演習を観ていた人がこの場にもいるようで、歓声の大きさが少し上がったように感じる。

 

「さてケイさん。メグミさんには一歩及ばない状況が続いていますが、残る最後のコーナーで挽回できるでしょうか?」

「もちろん、やってみせるわ!バミューダアタックのお礼はきっちり返してやるんだから!」

「こちらもメグミさんとは因縁がある模様ですね。ツートップはもはや修羅場と言っても過言ではない!」

 

 バミューダアタックとは、大学選抜チームの中でメグミを含む副官3人の戦車が連携して行う攻撃のことである。件の夏の終わりの戦いで、ケイ、ナオミ、アリサの3人の乗る戦車はそのバミューダアタックによって全車輌やられてしまった。ケイはその時のことを言っているのだ。

 ケイの挑発的な発言にメグミは不敵に笑い、『やれるものならやってみろ』とその顔は雄弁に語っている。両者の間で見えない火花が散っているようにさえ感じた。

 

「そして意外や意外、サンダースOGと現サンダース戦車隊長が小競り合いをするその後に続くは、ゲスト参加の大洗女子学園の西住みほさん!」

「ど、どうも・・・」

 

 そのゲストである西住みほは、ケイが招いたのだ。みほの所属する大洗女子学園の本拠地である大洗町で映画研究部の撮影をさせてもらったことへのお礼と、ケイの友達だからという理由でここに呼んだのである。

 ちなみに、こちらに出張屋台を開くために出向いているアンツィオの統帥アンチョビもケイはこのイベントに誘った。しかし、アンチョビたちはP40の修理資金を募るためにサンダースで出張屋台を開かせてもらっているので、他の企画にお邪魔するのもなんか違う気がする、と言って辞退した。ケイも、アンチョビたちの意思を尊重して、無理強いはしなかった。

 

「おどおどした感じが目立ちますが、『稀代の隊長』と評される大洗女子学園の戦車隊長!今回の『サンダースQA』でも多くの難問をクリアしてきた強かな人でもあります。2位のケイさんとは僅差、逆転も夢ではないですよ!」

「が、頑張ります!」

 

 みほが可愛らしく拳をぎゅっと握って意気込み、観客たちは拍手を送ったり『頑張れー!』と激励の言葉を送る。

 アイザックの強かという評価は、まったくその通りだとケイは思う。ケイの率いるサンダース戦車隊も一度みほたち大洗と戦ったが、結果は負けてしまった。その時の試合はハラハラして楽しかったが、あの時のみほの作戦は正直ケイも舌を巻いたものだ。

 それに、大学選抜チームとの試合でもみほは逞しく戦う姿を見せて、そんなみほをケイは友達と思うと同時に、同じ戦車隊長であるライバルとも思っていた。

 ちなみに、招いたのはみほだけではなく、みほと同じ戦車の搭乗員も呼んでいる。他の人は、ステージの前列で観戦しているだろう。

 

「さて、教師陣もまだ十分逆転のチャンスはあります、次のクイズで挽回して優勝することはできるのでしょうか!」

 

 去年はケイは参加せずに観ているだけだったが、今年も去年と同じくこの『サンダースQA』で優勝した人には賞品が与えられる。賞品は年々変わっているらしいが、去年は旅行券だった。加えて、『サンダースQAダービー』なる企画も並行して行われているのもあり、だからこそこのイベントの注目度は高かった。

 そこでアイザックが舞台袖をチラッと見て、小さく頷いてから再びステージの方を向いて話し出す。

 

「さぁ、いよいよ長かった『サンダースQA』も残すところ、後1コーナーとなりました!最後は毎年変わる特別コーナー!今年のテーマは、『ピアノアレンジクイズ』!」

 

 ピアノ、と聞いてケイはまず真っ先に英のことを思い出す。

 確か英は、今日は山河の出し物で大勢の前でピアノを演奏すると言っていた。だが、ケイはまだ今日は山河の姿を見ていないので、恐らくは別の場所で行うのだろう。もしかしたら、『ハイランダー』棟ではなく他の棟の音楽室で行っているのかもしれない。

 そう言えば、山河が部活に入っているという話は聞いていないので、もしかすると何らかの音楽系の部活に山河が所属していて、英はそれの手助けという形なのか。

 ともかく、何であれ『ピアノアレンジクイズ』を担当するのは英ではないのだろうとケイは思っていた。

 

「ルールは簡単、有名な曲のピアノアレンジ曲を聴いて、その曲名を答えるクイズです!そして今回このクイズを行うにあたり、ピアニストの方にこちらで生演奏をしていただくことになっております!」

 

 3日目にその山河の手伝いがあると言っていたので、この会場に英は来ていないということだろう。それが少しだけ、ケイは寂しかった。

 『生演奏』というワードを聞いて、ケイは物足りなさを感じた。ケイにとって『ピアノ』で『生演奏』と言えば、もう英のことしか考えられなかった。それだけケイは英のピアノを気に入っていて、何よりそのピアノを弾く英のことが好きでもあったからだ。

 その英が大勢の前でピアノを演奏する姿を見届けられないのは、ケイも残念である。今は、英に聞こえるはずもないが『頑張って』と願うことしかできない。

 ところが。

 

「では登場していただきましょう!サンダース3年の英影輔君、どうぞ!」

 

 え。

 うっかりすれば、そんな空気の抜けたかのような声が口から飛び出しかねないほど、ケイは度肝を抜かれた。そして目を丸く見開き、思わず舞台袖を見る。だが、表情は極力変えなかったのと、幸いにも他の解答者も気になって同じように舞台袖の方を見ていたので違和感はない。

 だがケイは、アイザックの告げた忘れるはずのない人物の名前、自分の好きな人の名前を聞き逃しはしなかった。言い間違いとは思えなかった。

 そして、舞台袖からそのアイザックが呼び出した人物がステージの上に姿を見せて、瞬間観客席からは大きな拍手が送られた。

 その拍手を受けた、赤みがかった黒髪のケイと同じくらいの男子は、解答者席の方を微笑を携えながら見る。

 そしてケイの目が、そのピアニストと紹介された男子である英と合った。

 

(あ!!?)

 

 

 

 2人の視線がぶつかり合った時の英とケイの顔は、周りからすれば特に変化は見られないと思うほど普段と同じようなものだったが、2人の心は強く重く響く巨大な鐘の音を聞いたかのように衝撃を受けていた。

 英は、山河の『ケイさん今年は参加しないって』『今年は別の用事が入ってるらしくて』という言葉を思い出す。じゃあ、今自分と目が合ったあの人は一体誰だ。

 ケイは、英の後ろの方の舞台袖で、英に見えないように背中に向けてサムズアップをする山河の姿を見つける。そこで初めて、ケイも山河がクイズ研究部に所属しているのだということに気付いた。

 

 英は知らなかったが、ケイを含めたこの『サンダースQA』に参加する解答者の全員は、第三者に自分がこのイベントに参加することを知らせず内密にするように、アイザックたちクイズ研究部から言われていた。それは、観る人たちに期待をしてもらうためのサプライズも兼ねてのことだった。

 だからケイは、英には3日目にはただ『用事がある』としか言っていなかった。

 加えて、ケイを含めたこのイベントの解答者は事前にクイズ研と打ち合わせをする際に顔を合わせたのは、部長のアイザックと副部長のニッキーだけだったので、他の部員の顔も知らなかった。

 それと英は、山河の依頼を受けてクイズ研究部に協力する身であるとはいえ、正式にはクイズ研究部の部員ではない。だから、クイズ研究部内での情報は漏洩することを危惧してそこまで共有されず、『サンダースQA』に参加する解答者の情報も得られなかったのだ。

 

 ケイは知らなかったが、英はこの『サンダースQA』の特別コーナーでピアノを弾くということを他の誰にも言ってはならず内密にするように、アイザックたちクイズ研究部から言われていた。それは、観客と解答する人たちに対するサプライズの面が大きかったからだ。

 だから英は、ケイには『山河の手伝い』としか言わなかった。

 

 つまり、英もケイも、お互いがこのイベントに参加することは今この瞬間までは知らなかったのだ。しかもそれが、2人を嵌めるために仕組まれたことではなくて、本当に偶然に近いレベルだから、余計に衝撃は大きすぎた。

 

(どうすんだこれ・・・!)

 

 ともかく、ケイがこのイベントに参加しているのは予想外で驚きだし、何よりも英からすればそれはマズいことだ。

 

「さて、今回ピアノを弾いてくださる英君ですが、こうした人前でピアノを弾くのは初めてとのことです。ですが彼のピアノの腕は抜群と一部で話題になっており、私たちクイズ研究部が依頼したところ快く引き受けてくれました!」

 

 そんな英の心の中のショックなどつゆ知らず、アイザックは英が緊張していると思ってフォローを入れてきた。そのフォロー・・・もとい説明を聞いて、観客たちが興味ありげに『へぇ~』とか『ほぉ~』とか声を洩らす。

 アイザックの言ったことは、あながち間違ってもいないし、話を盛っているわけでもない。ケイのホームパーティでピアノを弾いた時は結構盛り上がって、あの時英のピアノを聴いた人とは今も少し交流がある。それに、ピアノを弾いてほしいと依頼してくるクラスメイトや友人からの評価も上々だから、一部で話題というのも嘘ではない、と思う。

 アイザックの紹介を受けて、英も今ここで初めてケイが参加しているのが分かったことによるショックを隠し、観客席に向けて一礼する。アイザックからマイクを渡されて、何らかの挨拶を求められる。

 挨拶となると、嫌でも観客席を見なければならなくなる。やはり百単位の人が席に座っているだけあって、これだけの人が自分に注目していると思うと圧倒される。どうしようもないほど緊張感が増大している。鼓動は早まり、手と背中に冷や汗が滲みだす。

 だが、このまま立っていてはそれだけ自分が注目を集め緊張する時間が続くので、英はとにかく挨拶をすることにした。

 

「・・・・・・皆さん、こんにちは。司会のアイザックさんからご紹介に与りました英です。よろしくお願いします」

 

 一応、こうして挨拶を促されることは予想できていたので、その言葉は考えておいた。ただし、今は意識しなければ舌が回らなくなるほど緊張しているので、噛まないことを最優先としている。

 頭を下げると拍手を浴び、少しばかりこそばゆい。

 

「今回、人生で初めて、こうした大舞台に立つこととなりまして、正直この話を受けた時から緊張してました」

 

 自分の緊張をほぐす目的で冗談をかますと、観客の一部から笑いが起こる。

 

「この『サンダースQA』のトリとなるコーナーを成功させられるように努めますので、よろしくお願いします」

 

 最後に自分の意気込みを告げると、観客席からもう一度拍手を受ける。英はお辞儀をしてからアイザックにマイクを返し、ピアノへと向かう。

 これだけ緊張している場面でつっかえずに挨拶を終えられたのは、英自身褒められたものだと思う。初めての大舞台のはずなのだが、やはり英も本番ではなくその前で緊張するタイプなのかもしれなかった。

 一方でアイザックは、マイクを受け取ると司会進行を再開する。この時、アイザックは英に『ナイスだ』と小声で褒めたが、すぐに溌剌とした声を発する。

 

「ありがとうございました、英君。ではこれより、『サンダースQA』最後のコーナーへと入ります!それでは、問題!」

 

 英がピアノ椅子に座り、アイザックが人差し指を立てると、ステージ後ろのスクリーンに、ポップアートで縁取られた問題文が表示される。

 

『問題:これから流れるのは、ある曲のサビの前とサビの部分をピアノでアレンジしたものです。その曲名を答えてください。サビの前で答えると20ポイント、サビの部分で答えると10ポイント獲得できます』

 

 ニッキー副部長が、ホール内の放送室で問題文を読み上げる。そしてアイザックが、問題を詳しく説明する。

 その間、英は『マズいな』と思っていた。先ほどもそう思っていたが、その理由は英がここでクイズの問題として弾く曲をいくつかケイに明かしてしまっているということだ。全部ではなく、英が自分で『これが良いと思う』と提案した6曲だけなのだが、もしもケイがその英の提案した曲全てを覚えていて答えて正解数を重ねたら、周りも多少なりとも不審に思うかもしれない。どころか、英とケイの間に交流があると知れれば、両者には悪影響も及ぶだろう。

 だが、ここで問題を変えることなど不可能だし、どの曲をどの順番で弾くのかも決められている。曲や順番を変えては進行に支障をきたしてしまう。

 

「最初のお題は、『‘90年代のヒット曲』。これは是非とも教師陣に答えてもらいたいところです!それでは英君、お願いします!」

 

 ついにアイザックに告げられて、否が応でも弾くしかなくなった。

 英は、トートバッグから楽譜を取り出してスタンドに広げ、鍵盤に指を置く。いつも第5音楽室で弾くピアノと同じ型のものだが、周りの状況が普段と正反対なので違うものに感じてしまう。

 会場内は完全防音となっており、ステージの上の人の肉声や楽器の音色は、普通の話声やひそひそ話程度の大きさでない限りは会場内全てに聞こえるようになっている。つまり英のこれから弾くピアノは、会場内にいる全員が聞くのだ。

 何度思ったのかは覚えていないが、もう英に逃げ道はない。曲の変更も許されない。こうなっては、ケイが英の教えた曲の名前を憶えていないことに賭けるしかなかった。

 最初に弾く『‘90年代のヒット曲』は、英が最初に見繕ってクイズ研からOKの出た曲であり、ケイに名前を教えてしまった曲である。

 大きく深呼吸をする。何百人という観客と、解答者の視線を見なくても感じるが、英はピアノの鍵盤と楽譜にだけ意識を集中させて、それ以外のものには目もくれないようにする。

 腹を決めて、鍵盤を叩き音色を奏で始める。いきなりBメロからなので分かりにくいかもしれないが、だからこそ獲得ポイント数が異なっているのだ。これも、クイズの難易度調整に一役買っている。

 今弾いているこの曲は、終始明るめの雰囲気で、諦めそうな、挫けそうな人の背中を押すような前向きのポジティブな歌詞もあってスポーツの応援歌として知られる曲である。その雰囲気が英は好きだったのと、知名度も高いと思ってこの曲を提案したのだ。アイザックも同意見で、この曲はすぐにOKが出た。

 アイザックも英も、いきなりBメロではあまり分かる人もいないだろうしサビの部分で解答者が増えるだろうなと、予想を立てていた。

 実際その通りになり、サビに入って少ししてから『ピーン』という電子音が鳴り響く。英も一度ピアノを弾くのを止めた。

 内心英は、誰が押したのかが一番不安だった。もしこの問題でケイが正解したら、この先さらにやりにくくなってしまう。ケイが正解すること自体は喜ばしいのだが、同時にそれを恐れていて申し訳ないと思う。

 

「おっと、最初に押したのはメグミさん!」

 

 だが、英の心配も杞憂に終わり、最初に解答ボタンを押したのはメグミで、メグミの座る赤い解答席のモニターが光る。

 

「ええと、『負けたくない』・・・だったかしら?」

 

 メグミも、自分の記憶があやふやだったからか、疑問形で答える。

 

「正解!メグミさん、さらにポイントが入ります!」

 

 正解を告げる電子音が鳴り、メグミの席のモニターが虹色に光る。メグミは『やったわ!』と喜び、観客たちも拍手を送る。後ろのモニターには、その曲の実際のアルバムとタイトルが、観客にも分かるように表示された。

 英は、ある程度拍手が収まったところで、アイザックに言われた通りサビの部分を最後まで弾く。ピアノを少しだけとはいえ弾いたことで緊張が抜けてきたのか、英がピアノを叩く指と奏でる音の滑らかさは、普段とさして変わらないほどに落ち着いていた。

 ついさっきまでは緊張感に押し潰されそうになっていたのに、ピアノを弾いていると平常心に戻っていく。それについて安心しながら英もサビを最後まで弾き終えた。

 すると、途端に観客席からまた拍手が送られ、英も少しびっくりする。それは果たして正解したメグミに対するものなのか、それとも英に向けてのものなのかは分からなかったが、『ヘタクソ』などとヤジを飛ばされるよりはマシだった。少しやりにくい、とは思うが。

 ともあれ、英は一先ずホッとする。まだ10問のうちの1問しか終わっていないのだが、もうなるようになれと諦めに似た気持ちになる。

 

「では、第2問。続いてのお題は『軍歌』です!戦車道履修生は度々軍歌や民謡に触れる機会が多いと話を聞きますが、果たして戦車隊の副官と隊長は正解できるのでしょうか。それとも長く人生を重ねる教師が有利か、緊張の第2問!」

 

 次の曲はアイザックも言った通りの軍歌。

 アイザックの話によれば、この曲はゲストの見せ場を作るために用意した曲だという。つまりこの曲は、緑色のゲスト解答者席に座るみほが活躍するための曲ということか。

 とにかく英は楽譜を広げて、弾き始める。しかしこの曲はAメロやBメロと言ったものの明確な概念がなく、強いて言えば前奏とサビしかない。だから、この曲だけは1番を全部弾くことが決まっていた。

 なのでまずは前奏を弾き、続けてサビに入る。そこで今度は『ポーン』と少し弾むような軽い電子音が鳴った。

 

「早い、西住みほさん!」

 

 解答ボタンを押したのはみほ。アイザックの本来の狙い通りである。

 そして今気づいたが、どうやら解答した際の電子音は席によって違うらしい。これもまた、実際のクイズ番組のような感じがする。

 

「えっと・・・『パンツァー・リート』ですか?」

「正解!やはり西住さん強かった!」

 

 みほが『お姉ちゃんと昔一緒に聴いたことがあったから』と理由を説明して、観客席からはさらに拍手が上がる。その拍手が終わってから、英はその『パンツァー・リート』の1番を最後まで弾く。すると、また英は拍手を受けた。一応自分に向けられたものなのかもしれないと思い、一応観客席に向けて会釈をした。

 それにしてもアイザックは、どこでみほがこの曲を知っているという情報を聞いたのだろう。ただ、博識なアイザックがどこで知識を吸収するのかは、所詮は勉強については平々凡々な英には想像できないので、深くは考えないでおいた。

 

 

 その後コーナーは順調に進んでいき、『パンツァー・リート』の後は最新のヒット曲、一世を風靡した曲や、長い間愛されるアニソン、今は有名なアーティストのデビュー曲などを弾いていく。前奏だけで分かる曲もあれば、サビの最後近くになるまで誰も答えられない曲もあった。ただ、どの曲も全員答えることはできていたので、曲のチョイスは間違っていなかったのだろう。

 そのクイズの過程で英はピアノを弾いていたが、英は一度たりともミスを犯すことはなかった。問題の出題中に弾いている時も、正解した後の答え合わせも兼ねてサビの部分を弾いている時も、音を外したり、リズムを乱したりすることはなかった。

 ここに来る前はミスをしたらどうしようと内心ビクビクだったが、それも無駄な心配に終わって安心だ。

 そして、英が答え合わせで曲のサビの部分を弾いた後は、いつも観客と解答者を問わず拍手を送ってくれた。最初こそは正解した人だけに向けてのものだと思っていたが、自分にも向けられたものかと思うと、すごく嬉しくなった。

 その拍手が、自分のピアノを聴いたことによるもので、自分の弾いたピアノの曲で他の誰かを楽しませることができたのが、とても嬉しいのだ。ケイのホームパーティで弾いた時も皆に喜んでもらえた時は嬉しくはあったが、今この場でその時以上の人を楽しませることができたと思うと、嬉しくないはずがなかった。

 これまで英は、誰にも縛られず、自分が楽しくピアノを弾ければそれでいいとだけ思っていた。だから、これまで部活には所属せず、誰かから教わったりもせず、過去の経験と独学だけでここまで来た。

 だが、この『サンダースQA』というイベントに参加して、ピアノを弾いたことで、その認識も改めることになった。

 自分がピアノを楽しく弾くことはもちろん大事だが、こうして自分が弾いたピアノで誰かを楽しませることができたことが、とても嬉しくて、そして大切なことなのだということに気付かされたのだ。

 ピアノを弾き終えて、観客から拍手を送られると、英は静かに笑みを浮かべて観客席に向けてお辞儀を返した。

 

 

 この演目までに英が緊張していた時間は結構長かったはずだが、実際にステージの上でピアノを弾いていたのは、30分ちょっとぐらいでしかない。こんな短い時間のためだけに自分がどれだけ緊張していたのかを考えるとどうも釈然としない。

 何はともあれ、特別コーナーの全10問が終了し、『本来の』英の役目は終わった。

 このコーナー内の解答数の内訳は、教師陣3人が1問ずつ、ケイとみほが2問ずつ、そしてメグミが3問だ。この時点で解答者それぞれの総合得点数が決まり、同時に優勝者も確定した。

 英は、山場を越えたことでひとまず安堵の息を吐きながら解答者席を見る。正確には、目線だけで見るのはケイだ。

 英がケイに事前に曲名を明かしてしまったのは6曲だが、ケイはそのどの曲も答えることはなく、答えたのはアイザック側が用意した曲だけだった。

 単純にケイが曲名を忘れたという線もある。だが冷静に考えてみれば、ケイはアンフェアなことを嫌う。だから、解答者の中で自分だけが曲名を知っていてそれをホイホイ答えて得点を重ねるやり方がフェアじゃないと思ったから、敢えて答えなかったと考える方が無難だ。

 最初にここでケイを見た時は驚きの余りケイの性格を忘れてしまっていたが、今思えばその心配もする必要はなかったのかもしれない。英は嘆息する。

 さて、肝心のイベントの方だが、最後のコーナーを終えたので後はこのまま最終結果発表をしてハイお終い、とはならないらしい。

 

「さて、これにて『サンダースQA』のクイズは全て終了となりました・・・・・・が!」

 

 何やら含みのある言い方をしながら、ピアノ椅子に座る英のことを見てくるアイザック。英は『仕掛ける気か』と身構える。

 

「最後のコーナーで素晴らしい演奏をしてくれた英君が折角来てくれているので、1曲弾いてもらおうかと思います!」

 

 英は『やっぱりか』と小さく息を吐くが、観客からは期待を示すかのように拍手が上がった。それが形だけのものではなくて、本当に期待しているのは、英から見える位置に座る観客たちの生き生きとした表情で分かる。

 それにしても、昨日山河の言った通り本当にアイザックは無茶振りを仕掛けてきた。だが、それを事前に知らされていた英はちゃんと楽譜も用意してきたし、気持ちの準備もある程度はできている。このことについては山河に感謝だ。本当に何も聞かされていなかったらどうなっていたかは分かったものではない。

 

「さて、急な申し出ではありますが、英君、弾いてもらえますでしょうか?」

 

 アイザックがマイクを向けて、笑みを浮かべる。もしも、本当に事前に何も知らされていなければ、ここで『無理です』と断っていたか、あるいは強がって引き受けて後で失敗していたかもしれない。

 だが、準備は整っていた。

 

「分かりました、弾きましょう」

 

 英は、自分のピアノで観客の皆を楽しませることができたと思いそれが嬉しく思ったので、頷いて答えた。すると観客たちはまた拍手を送ってくれた。しかしながら、楽しませることができたのが嬉しくても、こうも大勢の前で何曲も弾くのは流石に気後れするので、アイザックの言った通り1曲で済まそうと思っていた。

 英は、映画の主題歌の楽譜を広げ、これから弾く曲の名前をアイザックから聞かれて答えると、観客の一部から『おお~』と声が上がる。割と有名な映画だったので、この会場の中にもその映画を観て曲を聴いた人もいるらしい。

 改めて拍手が送られて、英は鍵盤に指を置き、一度気持ちを整える。自分は本番であまり緊張しないタイプなのかもしれないというのは、クイズの段階で考えていたことだ。しかし、ピアノを弾く前は大体一度気持ちを落ち着かせ、心を平坦な状態にしてから弾く。その方が曲に集中できるし、気分の変化でピアノの弾き方が変わってしまうということもない。たまに落ち着くことができずミスをしてしまうこともあるが、それは最近では無い。

 拍手が収まってきたところで、英はピアノを弾き始める。

 この映画の主題歌は、歌詞だけ見れば若干ラブソング寄りな感じがする。だが、この映画自体が恋愛映画というわけではないのと、曲自体爽やかでなおかつ疾走感があるので、ラブソングというよりも少年少女の青春時代を謳うかのようなイメージだ。

 『かつて同じ時を過ごしていた大切な人が逆らうことのできない運命によって遠くへ行ってしまい、自分はそれを追いかけていく』という全体像のこの曲。その『追いかける』というイメージに合わせるかのように全体のテンポが速く、時には若干曲が落ち込み気味になる。だが、それでもその後は再び明るい感じに戻るのだ。

 だから前奏から既にテンポが速く、この曲全体のイメージを前奏だけでも表現している。そして全体のテンポが速いからこそ、途中でテンポを落とすと目立ってしまう。このテンポの速さを保てるかどうかが、この曲を成功させるカギになる。

 Aメロを弾き、さらにBメロへとつなぐ。BメロはAメロに比べると少しだけ明るめだ。

 英はピアノを弾いている時は楽譜とピアノに意識を集中させているので、観客席や解答者席を見ることはできない。だが、今ピアノを聴いている人たちはどんな顔をしているのだろうと、頭の片隅で英は思う。無表情なのか、楽しそうなのか。気になるところではあるが、それでピアノを疎かにはせず弾いていく。

 サビに入り、曲は一番盛り上がる場面になり、映画のテレビCMでも何度か流れた部分になる。

 サビに限らず、曲全体のテンポが速いので、どうしても指の動きには早さが求められる。特に高い音を弾く右手側は、歌声を表現する音まで弾かなければならないので一時も指を休める時などない。楽譜を読む視線に遅れないように指を動かしていくが、その様子が一部の観客と解答者に見えていたのか、小さく感嘆の息を洩らしているのが英の耳にわずかに聞こえてきた。だが英は、そのことには全く気を取られずに集中してピアノを弾く。

 1番を弾き終えて、2番も続けて問題なく弾き終える。そして、少し長めの間奏に入った。一定のリズムを繰り返す間奏ではあるが、最初の半分は落ち着いた感じがして、残りの半分を超えると盛り上がってくる。

 するとそこで、英の耳に今度は無視できない音が入り込んできた。

 

(手拍子・・・?)

 

 それは最初、観客席の方から聞こえてきた。だが、誰かが始めたその手拍子は次第に観客席全体へと伝わっていき、遂には解答者席からも聞こえてきた。

 実際、原曲ではこの間奏の部分で手拍子にも似た軽めの音が組み込まれているので、手拍子自体は問題ない。

 それよりも英は、自分の演奏する曲に観客たちが手拍子という形で乗っかってくるということが驚きで、そして嬉しかった。英にも明確にわかるような形で反応を示していることが。

 間奏が半分を過ぎて、テンポは同じだがリズムが変わってくる。前半よりも明るめになり、最後のサビに向けて盛り上がっていく。この間奏が終わるまで、手拍子は止まなかった。

 そして、サビの直前で休符が入り、サビに入ると手拍子も止んだ。英のピアノに改めて集中しているということだろう。

 この部分で、『離れ離れになった大切な人同士の2人は無事に再会でき、かつてのように言葉を交わし合う』というシーンになった。そしてサビが終わっても、その爽やかなテンポを落とすことなく後奏に入り、晴れ晴れとした印象を残しながら曲は終わりを迎えた。

 英は、この曲をミス一つ犯すことなく弾き終えることができた。

 曲が終わった直後、奔流のように拍手の音が英の耳に入る。観客も、クイズに参加していた解答者たちも、誰もが英に拍手を送ってくれた。

 英はピアノ椅子から立ち上がって、そこで初めて意識をピアノから観客席へと向ける。照明はステージの上だけ点いていて、観客席側は点いていないので薄暗く見えるが、観客席の前側は英からも見ることができた。

 ほとんどの人が、英に向けて笑顔を浮かべて、拍手を送っていた。それだけで、英のピアノは受け入れてもらえたのだと、皆を楽しませることができたのだと、確信するには十分だった。

 英の心が、言葉にできないほどの幸せな気持ちで満たされていく。これまでの英のピアノを聴いた人からのどんな反応よりも、この拍手は心に響くものだった。

 

「・・・・・・ありがとうございました」

 

 拍手で聞こえはしないだろうが、英はそう言って頭を下げる。すると拍手はさらに大きくなってきた。

 

「アンコール!アンコール!」

 

 すると、観客の中からそんな声が聞こえてきた。以外にもその声は割と近くで聞こえてきたので、英が目を凝らして探してみると、腕を突き上げながらそう言っているのはサンダースの制服を着た男子。というか、よくよく見てみればその人はケイのホームパーティで英と話をしたオリバーだった。偶然観に来ていたのだろうか。

 だがそれよりも、アンコールがオリバーを中心に会場全体へと広がっていて、挙句観客席も乗っかってアンコールを要求してきた。ケイも普通に笑いながらアンコールと言っている。

 先ほどの1曲で観客を楽しませることができたのは嬉しかったし、これまで抱いたことのないほどの幸せな気持ちを感じられたことで自分も少しは変われたのかもしれないと思ったが、まさか2曲目のアンコールをされるとは思っていなかった。それも、アイザックではなく観客から。

 会場内が盛り上がる中で司会のアイザックが『さて!』とマイクに向けて告げてスピーカーからその声が聞こえてくると、一度アンコールも収まる。

 

「英君、会場の皆さんがアンコールをご所望ですが、弾いてもらえますでしょうか?」

 

 口では確認を取ってはいるが、その表情は『やってくれ』と懇願しているようにも見える。

 英も、ここで引き下がっては観客の期待を裏切ってしまうことになるだろうし、結果自分で自分の評価を下げてしまう。

 そして英は、もう1曲だけ楽譜は用意してあった。それは念のためであって、アンコールを想定していたわけではない。だから、後1曲だけ弾くことはできる。

 

「分かりました。それでは、あともう1曲だけ弾きます」

 

 マイクを向けられた英が答えると、観客たちは再び拍手と歓声を上げる。

 ここまで盛り上がると失敗なんて許されないなと思いながら、英は再びピアノ椅子に座って楽譜を取り替える。弾く曲は、ケイが気に入っているラブソングである。

 

 

 後になって英は、ここでこの曲を弾いたのは間違いだったかもしれないし、正しかったのかもしれないと思った。

 

 

 1曲目と同じように楽譜を開いて鍵盤に指を置くと、拍手と歓声が収まる。アイザックからマイクを向けられて、曲の名前を告げた。この曲を歌う人は知っていても、曲の名前を知っている人はそれ程いないようで、先ほどの曲よりも反応は僅かながらに薄い。

 そして、一呼吸おいてからゆっくりと前奏を弾き始める。静かな始まり方をするこの前奏は、曲全体が穏やかな雰囲気であることを示すかのように思える。

 前奏を終えて、少し低めの曲調のAメロに入ろうとする。

 だが、そこで。

 

 

「―――――――、―――――――――――」

 

 

 流れるような穏やかで美しい歌声が、聞こえてきた。

 それはピアノに集中しているはずの英の耳にも聞こえてきて、そしてその歌声は無視することができなかった。手は止められなかったが、思わず視線を楽譜から逸らして声が聞こえてきた方向へと変える。

 その視線の先にいたのは、解答者席を立ち上がり、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていたケイの姿だった。その姿を目にして、司会のアイザックも、メグミやみほ、教師陣など他の解答者も、舞台袖に控えていたクイズ研部員も、観客も誰もが驚きを隠せずにざわめき始める。

 だが英は、変わらずピアノを弾き続ける。ケイも、周りのざわめきを意にも介さず歌うことを続け、ピアノの横を通り過ぎる。そして、ステージの中央に立って、胸に手を当ててさらに歌う。

 アイザックからすれば、英がこの曲を弾くことも、アンコール自体も、全ては自分からすれば無茶振りであって、予定に無いことである。アイザックでさえどんな曲を弾くのかは分からなかったのに、なぜケイはその予定に無い曲を聴くとこうして席を立って、歌い出した?

 なぜ、どうしてという問いの言葉がアイザックの頭の中を占めていく。いや、それはアイザックだけではなくこの場にいる英とケイ以外の全員が感じていることだ。

 だが、英はピアノを弾くことを決して止めはしない。ここで曲を止めてしまえば混乱はより大きなものとなってしまうだろう。そして何より、自分のピアノに重なるケイの美しい歌声を止めるなど、英にはできなかった。

 今だけは、誰に何と言われようともピアノを止めるつもりはなかった。だから、英はピアノを弾き続ける。英が続行するのをケイは一瞥するとニコッと笑い、ステージの上から観客席を見て歌う。

 ざわめきはいつしか収まり、その場にいる誰もがステージの上でピアノを弾く英と、歌うケイにくぎ付けになっていた。

 肝心の曲は、Bメロを過ぎて既にサビに入っている。全体の落ち着いた雰囲気を壊さない、静かに盛り上がるこの曲の見せ場を弾きながら、英はケイのことをチラッと見る。

 ケイはステージの上で、恥ずかしがりもせず、緊張した様子も見せず、堂々と歌っていた。

 

『伝えたいよ、好きと・・・でないと、壊れてしまいそう―――』

 

 2番に入る。1番のAメロ、Bメロと楽譜はほぼ同じではあるが、歌詞は違う。

 本来ならピアノを弾く英は歌詞に気を取られたりなどせずピアノに集中して、ミスを犯さないことを第一とするべきだった。だが、自分とケイがステージの上に立ち、ケイが歌う今だけは、歌詞と歌声が気がかりで仕方がなかった。

 ケイの歌声は1番だけで力尽きるということにはならず、2番も同じように歌う。感情を籠めて、さながら曲の中に登場する人物のように心を籠めて真剣に歌う。

 再びサビに入り、曲は静かに盛り上がる。1番とは登場する人物が違っているので、こちらの歌詞もやはり若干変わっている。

 

『伝えたいよ、愛してると・・・言えないと、消えてしまいそう―――』

 

 そしてサビの盛り上がりを保ったまま間奏に入り、間奏の部分ではケイは歌わずステージの上でCメロに入るのを待つ。ここで英は、ピアノに集中する。

 間奏の間、誰もが手拍子も打てずも、拍手もできず、ただただ、ステージの上でなおピアノを弾き続ける英と歌うケイのことを見ることしかできなかった。2人のピアノと歌声の成す曲を聴いていることしかできなかった。

 そしてCメロに入る直前で、一度落ち着いた緩やかな雰囲気に戻る。

 

『月の夜、駆け出した・・・あなたに、会いたかったから―――』

 

 そのCメロも、最後のサビに近づくとそれに繋ぐように盛り上がる。

 

『好きと、告げたかったから―――!』

 

 最後のサビに入り、これまで以上に感情を籠めて強く、それでいて美しく歌う。

 英も、その歌声を引き立てるかのように、かつケイの歌声をかき消さない程度に、指に力を籠めて鍵盤を叩き、音を響かせる。

 本来の楽譜の上では、ここは曲の中で確かに一番盛り上がる部分ではあるが、そこまで強く弾く部分ではない。音楽記号にも強調する記号は書かれてはいない。

 だが英は、それを分かっていても、強く音を響かせる。この時だけ、心を籠めるケイの歌声に合わせて、英もまた同じように感情を籠めてピアノを弾く。

 

(そう言えば・・・・・・)

 

 英はこの時、ふと過去に自分がプロのピアニストから教わった言葉を思い出していた。

 『時には楽譜に従うだけではなくて、アレンジも入れるべきだ』という言葉。

 その言葉は、今よりもずっと幼かった英には理解できなかった。どれだけピアノを好いていても、発想力も想像力も成長過程にいたのだから。楽譜に合わせて弾いて、ピアノを弾く自分だけが楽しめばいいとしか思っていなかったから。

 だが、その言葉の意味を、英はたった今理解することができた。

 

(そういうことですか・・・・・・()()

 

 その意味を理解したところで、英はもう一度曲に意識を集中する。一番盛り上がる部分を過ぎて、クールダウンと言わんばかりに曲は落ち着いてきて、終わりを迎えようとしていた。

 最後のフレーズまで、ケイは気持ちを籠めることを忘れず歌いきる。

 

『朝日の中で、あなたと・・・・・・口づけを――――』

 

 後奏に入り、穏やかな曲調になる。テンポが徐々に遅くなっていき、曲の余韻を残すようなここばかりは楽譜に従って弾く。

 そしてゆったりとした曲調のまま曲は終わりを迎えた。

 曲を終えてから少しの間、誰も声を発することなく、音も出さず、完全な沈黙がホールを支配する。

 どれだけ時間が経っただろう、観客の誰かが拍手をした。それが隣の席の人、前の列の人、後ろの列の人へと広まっていき、先ほどの1曲目とは違う全体的に穏やかで優しい感じの拍手が会場内に響く。曲の雰囲気に合わせた拍手で、英は何だかそれが嬉しかった。

 その拍手を、英とケイは笑って受け止める。ケイは観客席に向かって手を振り、解答者席で拍手をする人たちにもお辞儀をする。英はピアノ椅子から立ち上がってお辞儀をする。

 そこでケイが、未だステージの上に立ったままで英に向けて手招きをしていた。こっちへ来いということだろう。英はここにいるだけで一杯一杯なのだが、ケイの笑顔を見て抵抗しても意味はないと思って大人しくケイの下へ向かうことにした。

 ケイの下へ歩く間も拍手は収まらず、時々英は観客席を見てぺこぺこと会釈をした。ステージの上からでも、サンダースの生徒はもちろん、他の学校の生徒やサンダースの外部からの来場者の姿も見受けられる。

 そして、ケイの傍へとたどり着いた直後。

 

「ありがとー!!」

 

 ケイが英を抱き締めた。英のピアノに合わせてケイが歌えたことが、そして楽しい時間を英と共に過ごして、こうして皆から拍手を送られたことがとても嬉しかったのだ。

 2人が抱き合うと、瞬間観客席からは割れんばかりの拍手と歓声、さらには指笛までもが聞こえてきた。さらに観客や解答者は立ち上がり、まさにスタンディングオベーションの様相を呈している。

 英はその中で、恥ずかしさの余りケイを突き放すということはせず、静かに笑っていた。

 英だって、感極まって泣きそうだった。やり切ったという気持ちと、自分のピアノがこれだけの人を楽しませることができたという嬉しさが英の中にある。そんなところで、自分の好きなケイに抱きしめられたとなれば、涙を流しそうになるのも必至だ。

 けれど今は涙を堪え、英はケイの耳元で小さく『ありがとうな』と告げた。

 

「・・・・・・えー、色々と驚きではありましたが、英君、そしてケイさん、ありがとうございました!」

 

 そこでアイザックが、突然の事態に未だ動揺を隠せていないのか、少し爽やかな笑みがひきつった笑いになっていたものの、ステージの中央近くに立って司会進行を再開した。そこで英とケイも抱擁を解き、最後にもう一度2人で観客席に向けてお辞儀をした。

 観客から2人に向けて、惜しみない拍手が送られる。英は、頭を下げながら、今自分が立っている場所と、そこで見た景色、聞いた拍手を一生忘れないようにするのだと、肝に銘じた。

 

 

 その後は特に何のハプニングも無く、当初の予定通り最終結果発表になる。

 優勝したのは、特別コーナーが終わった時点で分かっていたがメグミだった。その名が告げられた瞬間、『夏の借りはきっちり返したわよ!』と高らかに宣言して、観客たちを大いに盛り上がらせた。

 最後はクラッカーのように色とりどりのテープや紙吹雪が発射され、観客とクイズ研究部員、他の解答者が全力で優勝したメグミを祝福した。そして、賞品の旅行券がアイザックからメグミに手渡されて、『サンダースQA』は無事に終了となった。

 英は舞台袖に戻ると、クイズ研の部員から『すごく上手かった!』とか『ありがとう!』とか『ケイさんとできてるの?』と言われて、英も無難に受け答えをする。ケイのことに関しては、『違う』と否定した。

 

「いや、本当に驚かせてごめんね」

「ああ、驚いたとも。大いに驚いたともさ」

 

 そして山河は英に頭を下げていた。というのも、正式なクイズ研究部員の山河と特別協力でしかない英との間で情報が共有できず、ここまでケイが参加するということを英に言えず、驚かせてしまったことを詫びているのだ。

 そして山河は、『サンダースQA』が終了して隠す必要もなくなったので、なぜ英にそのことを言えなかったのを伝える。さらに、特別コーナーであるために英がここでピアノを弾くということも解答者には明かさなかったこと、解答者との打ち合わせはアイザックとニッキーだけで行っていたこと、ケイも山河がクイズ研部員だとは気付いていなかったことも、全て教えた。

 英は山河の言葉を聞いて、大きくため息をついて一応は納得した。

 そして、誤魔化すのではなく、英に『ケイは出ない』と嘘を吐いた理由について、山河はこう言った。

 

「ケイさんが参加するって聞いたら、英は絶対緊張するだろうな、って思ったんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 頑なに英が山河の頼みを断り続けていたのに、急に態度を変えてきたのでどんな気の変わりようだと山河は不審に思えて仕方がなかった。それに英は『自分のせいでクイズ研が失敗したら寝覚めが悪い』と答えたが、そんな理由だけではないことは流石の山河も分かった。

 そこで、英の周りで最近変わったことを思い出して、それは英がケイと出会ったことだと思い至る。そしてその前日、英がケイを好きでいるということを知ったので、大体の事情を理解した山河は、『答えられない』と誤魔化して英に不安を残すのではなく、あえてケイが参加しないと嘘を吐いた。

 

「だから英だって、ケイさんが参加するって聞いたら、余計プレッシャーを感じるんじゃないかと思ってさ」

 

 英は確かにそう思った。事前にケイが参加すると知っていたら、本番に向けての緊張感はより濃いものとなってしまっていたかもしれない。何しろ、英からすれば今回『サンダースQA』に参加するのはケイと釣り合う存在となるため、自分の立場を変えるためであったのだから、そのケイが目の前で見ているとなったら練習の時点から緊張していただろう。

 もしそうなったら、今のような結末を迎えることができたかどうかさえも分からなかった。

 山河の嘘をついた意図も、ようやく分かった。

 

「まー、結果オーライじゃない?皆英のピアノ聴いて盛り上がってたし、最後にケイさんが一緒に歌ったのは流石に予想できなかったけど」

 

 観客たちを大いに盛り上がらせた英とケイの共演だが、挨拶の後でケイが『英が自分のお気に入りの曲をたまたま弾いてくれたから』と言ってくれたおかげで、英とケイの間に個人的なつながりがあったことはバレていない、だろう。

 だが、もしバレてしまえば、曲名をクイズの前に教えてしまったことも含めて、糾弾される可能性だってある。今思えば、あそこであのラブソングを弾いたのは正直ギリギリだったかもしれない。

 偶然にしては良すぎるほど、今回限りの特別協力者であるはずの英が、サンダースの星であるケイの気に入っている曲を弾いて、それをケイが歌うなど、聡い人間にはすべて仕組まれたことと思われるかもしれない。

 

「このことは、絶対誰にも言わないでくれ。いや、言うな」

「それはもちろん。今回のイベント成功させた英とケイさんが責められるのも嫌だし」

 

 そこで、英が後ろから『ちょっといい?』と声を掛けられた。英が肩をビクッと震わせて、もしかして話を聞かれてしまったのかと振り返ってみると、そこには優勝したメグミが立っていた。

 グレーのブラウスにグリーンのギャザースカートを着たメグミは、ゆったりとした雰囲気も相まって英には大人な感じに見える。大学生になると、こうも印象が違うのだろうかと妙な気分になった。

 だが、先ほどの山河との会話を聞かれたのかと思って不安な英はおっかなびっくり言葉を口からひねり出す。

 

「なんでしょうか・・・・・・」

「ピアノ、とっても上手かったわよ」

「あ、どうも・・・正直、こういった場で弾くのは初めてなので緊張してましたが」

 

 普通に褒められて、英は肩透かしを食らう。だが、あくまで相手は自分より年上なので敬語に徹する。

 

「さっきは色々見せつけてくれたけど、実際の所ケイとはどうなの?」

「何もないですよ、本当に」

 

 初対面にも拘らずぐいぐい来るメグミ。この人もサンダース卒業生なので、もしかしたら押しが強いところも健在なのかもしれない。

 そしてうっかり口を滑らせて『友達』とでも言ってしまえば、やはり今回のことについて色々問い詰められるかもしれないので『何もない』と嘘を吐く。

 

「ところで、そのケイは何処にいるのかしら?一応挨拶ぐらいはしようかと思って」

 

 メグミはOGとして、時折母校であるここを訪問することがあるという。そこで現隊長のケイとは何度か顔を合わせているので面識があった。

 しかし、そのケイがいないと言う。英が辺りを見回しても、確かにケイの姿は見えない。メグミは他の部員に同じ質問をしたが、誰もが首を横に振ったのだそうだ。

 

「アイザック部長に聞けばわかるかも・・・」

「司会の子よね?その子もいないみたいなのよ」

「??」

 

 部長までいないとなると、本当に分からない。山河にも目で『知ってるか?』聞くが、『いいや』と首を横に振った。

 

「じゃあ、ちょっと探してきます。メグミさん・・・でしたよね。あなたはここで待っててください」

「分かったわ」

「山河、手伝って」

「うん」

 

 英は舞台袖から、来る時に通った通路に出る。この通路はステージに上がる人向けのものであり、普通の生徒は立ち入ることはできない。英も初めてここに来たので、うっかりすると迷いそうだった。

 それにしても、真面目なアイザックとケイが、誰にも何も告げずにその場を離れるとはどういうことだろうと、英は疑問に思う。何らかの急用でも入ったのだろうか。

 と、そこで角を曲がろうとすると、話声が聞こえてきた。声からして男女1人ずつ、そしてここが関係者用と来れば、恐らくは話しているのはアイザックとケイだろう。

 まだ仮の撤収作業も終わっていないのにこんなところで話をするとは、と英は小さく息を吐く。ケイはともかくアイザックは、意外とずぼらなところがあるようだ。

 そんなことを考えながら英は角を曲がって、

 

「2人とも、こんなところで何を?」

 

 と話しかけようとした。

 

 

「ケイさん・・・あなたのことがずっと好きでした。僕と付き合ってください」

 

 

 だが、その直前で英の耳に滑り込んできたアイザックの言葉を聞いて、英は自らの言葉を飲み込み、半歩下がってコンクリートの壁に身を隠し気配を殺そうと努める。

 英が曲がり切る直前に見た最後の光景では、ケイは壁に背を預けアイザックはその正面に立っていた。そして英は言葉を発する直前で引き返したので、恐らく2人はまだ気づいていないだろう。

 青春の一コマと言ってもいい告白の場面。英はその場面に立つ人物が赤の他人であれば、大人しく何事もなく引き返していた。

 しかしそこにいたのは自分の知り合いで、その一方が自らが思いを寄せる人物となれば話は違ってくる。

 先ほどの『サンダースQA』で自らのピアノが成功を修めたことで英自身の心に籠っていた熱が、氷水をかけられたかのように急激に冷やされる。体全体が小刻みに震えて、視界が捻じれてくる。

 今英が目にしたものは、間違いなくアイザックがケイに告白をしたところだ。肩や眉目秀麗、頭脳明晰、しかも今日のイベントでは完璧な司会進行を見せたアイザックで、その相手は言わずもがななケイ。人からすればお似合いと言える2人だろう。

 

「・・・・・・返事を、聞かせてくれるかな」

 

 ピアノを弾いている最中は考えていなかった事実が、英の頭の中でまたフラッシュバックする。

 ケイには、好きな人がいる。

 その相手は、ケイのお眼鏡に適うような人とは誰なのだろうと、英はそのことを聞いた時から気になって仕方がなかった。それが誰なのかは分からなかったが、英は自然とその人物は自分よりも上のヒエラルキーに存在して、自分なんかと比較するだけ無駄なぐらいの人なのだろうと思っていた。

 今英の目と鼻の先でケイに告白したアイザックは、まさに英の予想にドンピシャな人だ。クイズ研の部長として少なくない人数の部員を束ね、今日の司会も完璧だったと部員は言っていて、ユーモアもトーク力もあり、今回のイベントを成功させた立役者である。おまけにイケメンだし、引く手あまたな存在であるはずだ。

 だからもしかしたら、ケイの好きな人とはこの人なのでは、と英は思ってしまった。

 

「・・・ありがとう、アイザック」

 

 ケイが言葉を発する。それだけで英の心臓がドクンと跳ねる。ともすれば血液さえもが沸騰しかねないぐらい緊張し、身体の中が熱くなってくる。

 

「でも、ごめんなさい」

 

 だがケイが次に口にしたのは、否定する接続詞と、謝る言葉。英もそれを聞いて目を見開く。

 

 

「私には、好きな人がいるの。だから、付き合えないわ」

 

 

 ケイが、告白を断った。その言葉は、英がナオミから聞いたものと同じ『他に好きな人がいる』だった。

 英はそこで、アイザックには悪いが安堵し、反対に恐怖心も抱いた。

 アイザックほどの人物の告白さえも断るとは、一体ケイが好きな人とはどれだけの人物なのかが分からなくなる。

 英は、先ほどのピアノでついた自信を瞬く間に失くしてしまった。先のピアノで観客を盛り上げることはできたが、その程度では敵うはずもないのではとネガティブな考えが頭をもたげてきた。

 

「・・・・・・そうか、ありがとう」

 

 アイザックが、僅かの沈黙を挟んでから答える。今のアイザックの心情は、正直言って言葉にできないものだろう。何せ、恋という無視できないほど大きな想いが散ってしまったのだから。

 

「・・・悪かったね、急にこんな話をして」

「気にしないでOKよ。それに、私を好きでいるって気持ち自体は嬉しいから」

 

 思考の海をさまよう英の耳に誰かの足音が聞こえてきた。反射的に英は貼り付くように背中を壁に押し付けて少しでも見えないようにした。

 そのおかげか、足音の主であるアイザックは英には気づかず、だがステージとは別の方向へと行ってしまった。

 

「・・・・・・影輔」

 

 そんなアイザックの行方を目で追っていると、ケイの接近に気付くことができなかった。英は思わずケイの方を見て、ケイが少し悲しげな笑みを浮かべているのに気付く。

 

「さっきはびっくりしたわ!まさか、影輔もこのイベントに参加してるなんて思わなかったもの!」

 

 ケイがいつもと同じように明るく振る舞う。

 ケイほどの人物であれば、英がここにいる時点で先ほどのアイザックとの話も聞かれたのだと、分かるはずだ。それでもこうして無理矢理にでも取り繕うのは、それだけその話がケイにしてみれば後ろめたいことだからだろう。

 後ろめたく思うのは、告白を断る場面を見られて相手を幻滅させてしまうかもしれないから。相手が自分を嫌うのを恐れているからだ。

 つまり今、ケイは告白の話題から必死で英を遠ざけようとしている。

 しかし、英は先ほどの告白の場面を最初ではないが決定的な瞬間だけを見て、衝撃的過ぎて、ろくな相槌も打てない。

 

「影輔の3日目の用事って、これのことだったのね~。知らなかった!山河もクイズ研だってことは知らなかったし、偶然って怖いわねぇ」

「・・・・・・・・・そうだな」

「でも、さっき影輔のピアノに合わせて歌えたのは本当にエキサイティングだったわ!だって、一緒に歌いたいって言った日から結局1度もそれはできてなかったし・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・ああ」

「それで・・・・・・その・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 途中から、ケイの言葉に明るさが無くなる。自分が必死で取り繕っていることが分かってしまったからなのか、これ以上誤魔化すことができなくなったのか。

 これまで英は、ケイと言葉を交わし、顔を合わせることが何度もあったが、今のように言葉まで落ち込むというのは初めてだった。

 そして、ついには。

 

「・・・さっきの、聞いてた?」

「・・・・・・・・・・・・ああ」

 

 確かにそう問いかけていたので、英も答えるしかなかった。ケイは英の返事を聞いて、『そっか・・・・・・』と寂しそうに呟く。

 

「さっきね、アイザックが言ってたのよ。『君と英君が親しげにしているのを見て、怖くなった』って」

 

 アイザックは、先ほど2人でステージの上で抱きしめ合ったのを見て疑念を抱いたのだ。この親しげにしているケイと英の2人はクイズの内容を事前に共有していたのではないか、ではなく、2人が付き合っているのではないかと、と疑った。

 そしてアイザックの中にあったケイへの恋心―――3年生の頭頃から抱いていたという―――が告げられないまま残りの高校生活を終えることが怖かった、とアイザックは告げた。実際にはケイと英は付き合っていないのでアイザックの疑念も取り越し苦労だったのだが。

 

「・・・・・・アイザック部長の気持ちは、少しわかる気がする」

「え・・・・・・?」

「自分に好きな人がいて、その相手が離れたり、他の人と付き合いだしたりしたら、その気持ちは2度と言えないままになるから。そんなの、辛くて、悲しくて、やりきれないような気持ちになると思う」

 

 その気持ちを抱くことを恐れて、アイザックはこのタイミングで告白をしたのだ。

 しかし、結果は玉砕。想いを告げられないまま離れてしまうのと同じか、それよりは少しはマシかもしれない。だが悲しいことに変わりはないだろう。

 

「・・・・・・そうよね」

 

 ケイは、先ほどの告白の場面を見た英がどんな気持ちでいるのかが心配だった。

 今のケイは、目の前にいる英のことが好きだ。それはもう、断言できる。だからアイザックの告白は断ったし、サンダースフェスタ前に告白してきたアーサーという青年の告白も断った。

 その好きでいる英に、他の人を振った場面を見られるとはあまりにも痛い。

 こんな自分を、英はどう思っているのだろう、と不安だ。

 

「・・・・・・ケイ」

 

 だが、そのケイの気持ちまで英は分からず、自分の中で不安な気持ちが大きく膨れ上がっていくのを英は感じていた。

 先ほどのアイザックの告白を見て、サンダースの中で有名人であるケイはやはり多くの者から慕われ、そして好かれているのだと確信した。ケイが内外共に十分に魅力的だからこそ、惚れる人は多くいる。以前ナオミと話をした時も、ケイの人柄と立場を考えれば告白されるのもおかしくはないと、英は自分で言った。

 そして、自分とてその1人にしか過ぎないということは重々把握していた。だから、そんな中で少しでも目立てるように、そして仮に付き合うことができたとしても周りを納得させられるような立場になるために、英は今回のクイズ研のイベントに協力した。

 その成果は、正直なところまだ分からない。

 ピアノを演奏して観客たちを盛り上げ、楽しませて、拍手を受けて、そしてケイが英のピアノに重ねるかのように歌ったことで、計らずともその場にいた大勢の人たちに強く大きな印象を与えられたと思う。

 しかし、それだけで本当に自分の立場が変わり、そして名前が上がったかどうかは分からなかった。

 確信が持てないのだ。

 

「なに、影輔?」

 

 ケイが英の顔を見る。

 不安は尽きない。

 自分が今サンダースでどの程度の立ち位置にいるのかが分からず、さらにアイザックほどの人物の告白さえも断ったケイが今恋する人がどれほどの人間なのかも分からない。

 

『自分に好きな人がいて、その相手が離れたり、他の人と付き合いだしたりしたら、その気持ちは2度と言えないままになるから。そんなの、辛くて、悲しくて、やりきれないような気持ちになると思う』

 

 先ほどの英のこの言葉は、自分に言い聞かせているつもりでもあった。

 英は今や、自分程度がケイと付き合えるとは、思えなくなっていた。元から『絶対できる』と思ってもいなかったが、今はその自信も塵芥ほどさえ残っていない。

 だから、英は。

 

「後で―――」

 

 

 

 3日目の目玉イベントである『サンダースQA』が終わっても、サンダースフェスタそのものはまだ終わってはいない。ホールから出ると、外は相も変わらず賑やかだった。

 だが、最終日の終了間近となると、流石に用意していた在庫が切れて店じまいをする区画が増えてくる。それに比例して、来場客も徐々に減っていき、校舎の廊下や教室は普段の日の放課後のような静けさを少しずつ取り戻してきていた。

 そして、17時丁度にベルが鳴り響き、サンダースフェスタの最終日、そして今年のサンダースフェスタの全日程が終了したことが告げられた。

 さて、このあとの生徒たちは簡単な撤収作業を終えればこぞって打ち上げに興じる。英が去年所属していたクラスでも、コンビニやスーパーなどで適当にお菓子やジュースを買って来て、クラス全員で軽いお疲れパーティのようなものを開いていた。

 だが今回英が協力したクイズ研究部と技術協力をしてくれた技術研究部の合同打ち上げは、明日の全校一斉撤収作業を挟み、明後日からの連休の初日の夕方からとなっていた。

 けれど、今の英にとっては打ち上げなど至極どうでもいいことだった。

 

「・・・・・・ハロー、影輔」

「・・・来てくれたか」

「当たり前じゃない。呼ばれたんだもの」

 

 『ハイランダー』棟の第5音楽室。

 秋も半ば、陽が落ちる時刻も早くなってきて、サンダースフェスタが終わってから少し経った今では空は紺に近い茜色に染まり、斜陽が音楽室の中を照らす。先にこの教室に来ていた英は、カーテンを閉めることも、蛍光灯を点けることもせず、ただ太陽の残り僅かな光だけで教室の中を照らすようにしていた。

 

「悪かったな・・・。あそこで急に待ち合わせの約束なんて」

「いいのよ、気にしなくて」

 

 英は東側第2ホールで、メグミが探していると伝えた後で、ケイこの時間にこの場所に来てほしいと約束をしてもらった。

 その時英は、ただ『話がしたい』としか言っていないが、こうして人気のない場所に呼び出して、さらにその約束の前の出来事を考えてみれば、何の話をするために呼んだのかもなんとなくだがケイには分かる。

 

「・・・話って、何かしら?」

 

 話題を切り出すケイ。何のつもりで英がここに自分を呼んだのかは、ケイもなんとなくは分かっているが、それでも英自身の口からその理由を聞きたかった。

 英も、ここにケイを呼び出した時点で全ての覚悟は決まっていた。

 例え自分に勝ち目がないと思っていても、それでもこの自分の中の気持ちは想いを告げるまでは失わないでいた。

 だが、その前に英はどうしてもやりたいことが1つあった。

 

「・・・・・・呼び出した側で悪いけど、話をする前に、1曲だけ弾かせてほしい」

「え・・・?」

 

 そう言って英は、後ろ手に持っていた楽譜を見せる。それは、英が気に入っている曲の楽譜で、ケイも少し見ただけで唸ったあの難しい曲だ。

 この曲は、『サンダースQA』が終わってから今に至るまでの間に英がここで一心不乱に練習し、つい先ほどマスターした。

 

「この曲を、弾きたい。そしてその上で、ケイに話がしたい」

「・・・分かったわ。お願い」

 

 ケイが頷き、英は『ごめん』と告げて、ピアノ椅子に座る。スタンドに楽譜を広げるが、シャープペンや蛍光ペンのメモと走り書きで、買った時よりも遥かに譜面は読みにくくなっている。

 鍵盤に指を置いて、深呼吸をして気持ちを平坦にするように意識する。準備が整ったところでケイの方を一瞥すると、ケイは以前のようにグランドピアノの縁に腕を置き、ピアノの内部が見える位置にいた。

 しかし、ケイの目は英のことを捉えていた。

 

「・・・始めるぞ」

 

 ケイの視線を感じながらも、英は鍵盤を叩き曲を弾き始める。

 この曲は、『少年少女たちが成長していき、自分の心と体、そして周りの環境が変わっていく中で、揺らぎつつある自分の価値観を見失わずに前へ進み続ける』というイメージの曲。そしてこの曲は、感傷的な面があれば激情的な面もあり、明るい場面もあれば暗い場面もある、多面的な曲だ。それは、英もケイも気に入っている部分である。

 まずは前奏だが、これも最初の部分は暗めで、途中からだんだん明るくなってくる。前奏だけで既に二面的なので調子が掴みづらい。

 前奏が明るい雰囲気で終わると、Aメロが落ち着いた雰囲気で始まる。爽やかなイメージがするが、英とケイがお互いに意識しているフレーズがあった。

 

『自分の気持ちは言葉にしなくちゃ、それを感じる意味はない―――』

 

 続いてBメロに入り、一度もの悲し気で落ち着いた雰囲気になる。『多くの人とすれ違い、皆もまた自分たちだけの葛藤や喜び、悲しみを抱えている』というイメージの歌詞が流れる。

 そんなBメロの途中から盛り上がり始め、サビの部分では一転して明るくなる。早めのテンポと軽い曲調で、この曲全体のイメージを明るくさせてくれる。

 

『人の気持ちに左右されるな。自分の道と未来を描け―――』

 

 サビの最後はそんな前向きな歌詞で締められ、そして2番に入る。2番のAメロも1番同様明るいが、1番よりも短めであり、そこでもまた2人が意識するフレーズがあった。

 

『自分の気持ちに背を向けるな。後悔したくないのなら―――』

 

 また、もの悲し気なBメロに入る。今度は、『楽しい時を過ごした後の人は、気持ちが盛り上がったままの人と、喪失感を抱く人の2種類がいる』と、若干捻くれたイメージの歌詞が入る。

 

『その気持ちも言葉にしなくちゃ、誤解されるばかり―――』

 

 その捻くれた歌詞に続くのは、1番のフレーズを想起させるような前向きなフレーズ。

 再び盛り上がるサビに入る。やはりこの部分は、聴いているのも楽しいが、弾いていると楽しいし面白い。弾いているこちらまで楽しくなりそうだ。ケイも、静かに目を閉じて顔を左右に小さく傾け楽しんでいる。

 

『価値観を掲げろ。それが自分らしさを証明するから―――』

 

 1番とは違う前向きな歌詞でBメロが締められ、今度は間奏に入る。明るい場面と暗い場面を交互に行き交うかのような曲調で、両手の指と両腕を忙しなく動かす。マスターしたばかりで不安な面もあったが、不思議とミスはしていない。だがそれに気を取られると逆にミスにつながりかねないので、それは深く考えないでおく。

 だが、この間奏自体がこの曲を難しいと言わしめるほどの難易度を誇っており、音符が横にずらりと並んでいて、それだけ一つ一つの音を素早く鳴らすように求めてきている。少しでも早くなったり遅くなったりすると、将棋倒しのように失敗が重なる。

 だが、英はその難所を乗り越えて、この曲で一番落ち着いた雰囲気のCメロに入る。

 

『もしも道を見失っても、自分のことを否定されても―――』

 

 だが、途中からどんどん曲調は明るくなっていき、歌詞も上向きになっていく。

 

『立ち止まるな。進み続けることこそが、自分らしさを知らしめるのだから―――』

 

 そして、最後の盛り上がる明るいサビに入る。この曲も、この最後のサビを終えればすぐに終わりだ。

 この曲を弾く前、英の中には不安な気持ちが積もっていた。

 その不安を抱いている限り、英は前に進むことはできず、自分の想いを告げる勇気も持てなかった。

 だからその不安を消し去ることを、この自分が気に入っている楽しい曲を弾くことで少しでも軽くしようとした。これこそが、英のどうしてもやりたいことだった。

 結果、今はその不安も完全とは言わないが消え去っている。

 そして最後に、自分の気持ちを言葉にして整理して、全てを伝える。

 最後のサビを終えて後奏に入るが、曲の雰囲気は明るさを保ったままだ。やがて、その後奏も終わり、英の気に入っている曲は弾き終えた。

 曲が終わって少しの間、ケイは曲の余韻に浸るように目を閉じていた。今聞いたばかりの英の旋律を、心に刻むように目を閉じ、やがて開く。

 

「すごく・・・いい曲だった。すごく、上手かった」

 

 控えめにケイが拍手をしてくれる。英はそれに笑って応えてみせて、楽譜を閉じて立ち上がる。だが、ケイの下へ歩み寄ろうとはせず、鍵盤の前で立ったままケイのことを見据える。

 

「・・・・・・この曲に、『自分の気持ちは言葉にしなくちゃ、それを感じる意味はない』『自分の気持ちに背を向けるな。後悔したくないのなら』って歌詞があったんだよ」

「ええ・・・知ってるわ。私もこの曲は聴いたもの」

 

 英からこの曲を教えてもらい、そして英がピアノを奏で自分が歌った日の夜。ケイは自分の部屋のパソコンでこの曲を調べて、そして原曲を聴いた。

 歌詞を併せて読んで、その英の言ったフレーズが目に入ってケイも共感したものだ。

 ケイの言葉を聞いて英は『そうか・・・』と短く答える。そしてもう一度、ケイのことを改めて見据える。

 

「この曲を弾いたのは、少しでも俺の背中を押してくれるような歌詞があるこの曲を弾いて・・・踏ん切りをつけたかったからだ」

「・・・・・・」

 

 ケイは黙って、英の言葉を待つ。

 

「さっき・・・アイザック部長からケイが告白されたのを見て、すごい不安になった」

「不安?」

「ああ。もしも、ケイがアイザック部長と付き合うことになったら、ってね」

 

 英の視線が、ピアノの鍵盤に落ちる。黒と白の無機質に並ぶそれは、ピアノを弾いている間だけは英に応えるように叩くと音を鳴らす。だが今は黙っているだけだ。

 

「最終的にケイは断ったけど、それでもやっぱり不安だった」

「・・・なんで?」

「前にケイが『好きな人がいる』って言って、それがどんな人なんだろう・・・俺なんかよりもどれだけすごい人なんだろう、ってやっぱり不安だったから」

 

 鍵盤の上に置かれた英の指が静かに握られる。

 

「このサンダースフェスタでピアノを弾くことに決めたのも、少しでも自分の立場を変えるため・・・・・・ケイの“横”に立てるような人になるためだ」

 

 英の言葉の意味、そしてここに自分を呼び出した理由に気付いたようで、ケイもわずかに目を見開く。

 

「・・・・・・ケイは最初、俺のピアノを聴いてくれた時に気に入ってくれた。その時俺は、嬉しかった。だってまさか、この広いサンダースで、ケイが偶然俺のピアノを聴いて、それでケイみたいなスターから褒められて、気に入ってもらえるなんてって」

 

 あの時感じた喜びは、昨日のことのように思い出せる。

 

「そして俺が・・・・・・自分が『自由に弾きたい』って理由だけでピアノを教わるのを辞めたって言ったら、ケイは俺のことを否定するどころか、逆に立派だって言ってくれた。その理由を聞いた時なんて、どれだけ心の中で喜んで、どれだけ嬉しかったか」

 

 その時の嬉しさは、褪せることなく英の心に残っている。あの時は初めての出来事に困惑したが、理由を聞くと嬉しくなった。

 

「それからケイと話をして、ピアノを弾いて、聴いてもらって・・・曲を弾き終えたらケイはいつだって拍手をしてくれたし、感想だってちゃんと言ってくれた。当たり前のことかもしれないけど、俺にはそれが一番嬉しかった」

 

 自分の中にある想いを告げる英の心の中では、真っ暗な中で細い一本道を歩いている自分をイメージしている。しかも自分が歩いてきた道は崩れ去っていき、後戻りも許されない。

 

『立ち止まるな。進み続けることこそが、自分らしさを知らしめるのだから』

 

 そんなフレーズが頭をよぎる。英はまた一歩前に進み、言葉を紡ぐ。

 

「ケイは俺なんかのピアノを聴いて笑顔を見せてくれて、それでそのピアノの腕を信じてくれて・・・・・・」

 

 ケイのホームパーティで、ケイは英に『楽しい気分になれるから』と英のピアノの腕を信じ切って、ピアノを弾いてほしいと頼んできた。それは、ケイが英のピアノの腕を認めていて、疑いもせず信じてくれていたことに他ならない。

 

「誰かのためにピアノを弾くことの楽しさを、ケイは教えてくれた」

 

 今日のサンダースフェスタもだが、そのケイのホームパーティでピアノを弾いた際に、自分のピアノで皆を盛り上げ楽しませることができたのは、英にとっては初めてのことで、とても嬉しかった。

 そしてその時の経験があったから、今日のサンダースフェスタでもその楽しさをより強く感じることができたのだろう。

 

「気が付けば、ケイは俺の心の中で大きな存在になっていたよ」

 

 言うべきことは言い切った。

 成すべきことは、出来得る限り成し遂げた。

 後はもう、英の言葉だけだ。

 一呼吸おいて、英はケイのことを見る。

 そして、口を開いた。

 

 

 

「俺は・・・ケイのことが好きだよ」

 

 

 

 自分の中にある正直な気持ちを、英は告げた。

 生まれて初めて抱いたこの気持ちを、言葉にしてケイに話した。

 ただ、それでも拒絶されることを恐れて『付き合ってほしい』とは言えなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ケイが息を呑んだのが分かる。

 瞳を閉じて、笑みを浮かべて、英の告白を噛みしめるかのように、少しの間だけ黙すケイ。

 英にできることはもうない。全ては、ケイの答え次第だ。

 

「・・・・・・ありがと、影輔」

 

 先のアイザックの時に似た言葉。このあとに続く言葉は、『私も』か『ごめんなさい』か。

 けれど英は、もうほとんど諦めていた。

 アイザックの告白を断った時点で、所詮はちょっとピアノができるだけの凡庸な自分がケイと釣り合うはずもなかったのだ、と。

 この広いサンダースでケイに巡り会えたこと自体が奇跡に近いのに、それからさらに付き合うというのは少し贅沢すぎやしないかと、思えてくる。

 心の中でイメージしていた暗闇の中の一本道が全て崩れ去り、自分が闇の底に落ちていくような感覚になる。

 

「・・・返事をする前に、1つだけお願い、聞いてもらっていい?」

 

 しかし、英の予想はことごとく外れて、ケイが発したのはまさかの『お願い』だった。この状況で一体何を頼まれるのだろうか。

 

「さっきステージで影輔が弾いて、私が歌った・・・私の好きな曲」

「?」

「あの曲を、もう1度弾いて?」

 

 ケイが、何の意図があってそんなお願いをしてきたのか、英には分からない。

 しかし、そのお願いを断る道理はないので、英はトートバッグからその曲の楽譜を取り出してスタンドに広げる。いつものように一声かけてから、ピアノを弾き始める。

 今日だけで弾くのは2度目だが、先ほどステージの上で弾いた時とは状況は正反対だ。何百人と座るホールではなく、たかだか3~40人程度しか入らない音楽室で、ここにいるのは英以外にはケイだけだ。

 落ち着いた前奏を終えて、Aメロに入る。だが、先ほどのようなケイの歌声は聞こえてこない。ケイは先ほどと同じ位置に立ち、静かに目を閉じて英の奏でる旋律に耳を傾けているだけだった。

 しかし、ケイが歌わないことに気を取られたりはせず、英はBメロも弾いていく。ミスは犯しておらず、ケイに告白した直後で気持ちが不安定になっていても、指は自然と滑らかに動き、優しい音を奏でていく。

 

『伝えたいよ、好きと・・・でないと、壊れてしまいそう―――』

 

 英の頭に、曲のフレーズがよぎる。

 2番に入り、Aメロ、Bメロ、そしてサビも弾いていく。この曲を練習したばかりの頃にボロボロだったのが嘘のように、スムーズに弾けている。最早この曲はマスターしたと言ってもいいぐらいだ。それも、一番最初にマスターしたラブソングなので、これは上出来ではないのかと英はこんな状況でも嬉しく思っていた。

 

『伝えたいよ、愛してると・・・言えないと、消えてしまいそう―――』

 

 また英の頭に、曲のフレーズがちらつく。

 そして間奏に入り、さらにCメロに続く。この曲もあと少しで終わりだ。

 

『月の夜、駆け出した・・・あなたに、会いたかったから―――』

 

『好きと、告げたかったから―――』

 

 最後のサビに入る。

 英は、この曲を弾いた後でケイは何て言うのだろう、と思った。

 どうしてこんなお願いをしてくるんだろう、と頭の片隅にその疑問が突っかかっていた。

 そこで、英はケイは断るものだと思っているから、もしかしたら聴き納めのつもりなのかもしれないと、思いかけた。

 

『朝日の中で、あなたと・・・・・・口づけを――――』

 

 最後のフレーズを過ぎて、後奏に入る。

 曲を弾き終えたところで告げるケイの答えが、英は今から怖かった。うっかりすると、手が震えて音が変になってしまうかもしれなかったが、ケイからのお願いなので曲は最後まできっちりと弾く。

 そんな恐怖心を抱きながらピアノを弾くという初めてのことだったが、最後まで英は弾き終えた。

 

 

 その直後、誰かが英のことを後ろからそっと抱き締めてきた。

 

 

 曲を弾き終えて立ち上がろうとしていた英にとってそれは不意打ちでしかなかった。

 だが、そうしてきたのはすぐにケイだと分かった。だって、この音楽室にはケイと自分しかいないし、誰かが入ってきた様子もなかったから。

 そんな英を抱き締めるケイの力は、とても優しかった。先ほどのステージの上での感極まったかのような強いハグではなく、綿に包まれているかのようにふわりとして優しい抱擁。

 

「・・・・・・ホントに、ありがとう・・・影輔」

 

 英の肩に、ケイがそっと顔を乗せる。甘い香りが英に漂ってくるけれど、英は顔を見ることができず、ただピアノを見ていることしかできない。

 

「・・・・・・影輔」

「・・・・・・ああ」

 

 ケイの声に、英は短く答える。

 ほんの少しだけ、ケイが英を抱き締める力が強くなって。

 

 

 

「私も、影輔のことが好き・・・愛してる」

 

 

 

 安堵の余り、小さな息が、英の口から吹き出す。目を閉じて、英は笑みを浮かべる。

 暗闇の中に落ちていく英の手を、ケイが掴んでくれたように錯覚した。

 自分の身体に回されているケイの手に、自分の手を重ねる。短い時間で多くの曲を弾いていたから手が少し痛むが、そんな痛みも今は感じない。ただ手から伝わってくるのは、ケイの温もりだ。

 

「私も影輔と同じで・・・・・・。この曲を聴いて、少しでも背中を押してほしかったから・・・」

 

 ピアノを弾いている最中で、英の頭にちらついたフレーズ。あれこそが、ケイの背中を押すものだったのだろう。

 

「本当に・・・嬉しい。影輔からそう言ってくれて・・・」

「・・・・・・俺だって、嬉しいよ」

 

 英が若干苦笑しながら告げるその理由は、ケイが好きだった人物が『自分よりも優れた誰か』ではなくて『自分』だったのだから。とんだ勘違いで自分が落ち込み迷っていたのが、バカバカしく思えたからだ。

 

「・・・・・・改めて、ケイ」

「うん」

「・・・俺と、付き合ってください」

 

 想いが通じ、そしてケイも同じことを想っていたと気付くことができた英は、先ほど言えなかったことを告げる。

 ところがケイが『んー・・・』と少し迷うような声を出し、英は困惑する。

 

「そんな堅苦しい言い方しないで?」

 

 ああ、そう言うことかと英は安心する。思い返してみれば最初に出会った時も、英とケイが同じ3年だと知ったらケイは『堅苦しい話し方はナシね?』と言っていた。

 

「・・・じゃあ、もう一度」

「ええ」

「ケイ、俺と付き合ってくれ」

「・・・もちろん!」

 

 抱き締める力が強くなり、英も少し前のめりになる。

 そこで緊張から脱して、手の痛みがぶり返してきて、思わず『いてて・・・』と声を洩らす。何しろ学校に来てから『サンダースQA』本番までの間と、その本番、さらにステージの上で2曲、さらにこの音楽室でケイが来るまで練習を重ね、そして先ほどまた2曲。ほぼ1日中ピアノを弾いていたと言っても過言ではないので、仕方なかった。

 そんな英の手を労わるように、ケイはその手を優しく撫でる。たったそれだけのことで、手の痛みが引いていきそうだ。

 そして、英はもう片方の手をそのケイの手に重ねて、こちらも優しく静かに撫でる。ケイは少しくすぐったそうに笑い、そっと英に体重を預ける。

 英の想いは届き、ケイはそれに応えてくれた。

 しかし、今日の英の『成果』が果たしてどれだけのものなのかは、まだ分からない。周りを納得させられるほどのものかは、良くて五分五分だろう。

 けれど、今だけは、英とケイだけしかいないこの音楽室で、この先の不安や心配も忘れ、静かに時を過ごすことにした。

 太陽は沈み、斜陽も失せて、教室の中は暗くなっていた。

 だが、英もケイも、一番近い場所にいるお互いのことだけは、見失うことはなかった。




どうしても切ることができず、この話だけが長くなってしまいました。
読みにくかった方、申し訳ございません。

あと少しで、この物語も完結となりますので、
最後までどうかよろしくお願い致します。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。




みぽりん・・・何気に登場数多くない?
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