愛する旋律   作:プロッター

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これからも

「おう、『スコア』!」

「『スコア』、おはよ」

 

 遅刻もせず、いつも通りの時間に学校に到着して教室に足を踏み入れた英に、クラスメイトがそんな挨拶をしてくる。英の呼び方以外は普段と同じだったのだが、その呼び方が英はすこぶる気に食わない。だが食って掛かるのも馬鹿らしいので、少しばかり不満げな表情を浮かべながらも『おはよう』とだけ返すに留める。

 自分の席に着いて、学習道具を机に収めると、ホームルームまで英はぼうっと窓の外の空を見上げる。だが、そんな英の下へひょこひょこと人影が近づいてきた。

 

「やぁ、『スコア』。今日もいい天気だねぇ」

「・・・お前に言われるとすごいムカつくのはなんでだろうな」

「ひどいなぁ、ただ挨拶しただけなのに」

 

 英が実に嫌そうな顔をしながら山河の方を向くと、山河は人の悪い笑みを浮かべている。どうやら、英がそう呼ばれるのを嫌っているのを知っているからこそそう呼んだのだ。要するに、確信犯である。英はその笑みを見て小さく舌打ちをした。

 

「そんな嫌そうにしないでよ。そうやって愛称で呼ばれるってことは、それだけ皆が親しみを込めてるってことなんだから」

「・・・・・・そうだけどさ」

「つまり、英のピアノが認められてるってことだよ。それってすごいことじゃない?」

「・・・・・・・・・」

 

 山河の言葉に、ぐうの音も出ない英。

 確かに、由来はどうであれ、こうして新しいニックネームで呼ばれるようになったのも、サンダースフェスタでの成果、功績が皆から認められたからである。それは英だって分かっていた。

 だが、それは理解できていても、ニックネームで呼ばれることは恥ずかしかった。何しろ、普段から苗字の『英』か、下の名前の『影輔』で通っていたのだから。以前は『英』の漢字を音読みにして『エー』と呼ぶ奴もいたが、今ではそんな奴は皆無だ。

 加えて、自分の本名とは一文字も合ってないニックネームときたら、変な気持ちがしてならない。それが嫌なのだ。

 しかし、そうやって愛称で呼ぶのは、山河の言う通り親しみを込めているのと、英のピアノを認めているということだ。それも英は分かっているから、いちいち反応して声高に『やめろ』とは言わない。

 だがそれでも、妙な気分は心の中に蓄積されているから、代わりに窓の外の青空を見て溜め息を吐く。

 あの日から、実に1週間ほどが経過していた。

 

 

 

「Hi,『スコア』!」

 

 昼休みのベルが鳴り、英と山河、そして途中でクリスも合流して3人で『バルタザール』食堂へ向かうと、食堂前の開けたスペースでケイが待っていた。ケイまでその名前で呼んでくるとは、英としては微妙な気持ちである。

 それより、そこまで距離が近くない状況でそうやって自分の名を呼ばれると、恥ずかしくて仕方がない。ただでさえケイは人目を引きやすいのに、そんなケイが自分を呼べば自分も注目を集めてしまう。現に今、英も注目を集めてしまっていて、英は苦笑しながらその視線を無視してケイの下へと歩み寄る。

 だが、誰もが取り立てて騒いだりはせずに、むしろ『そう言うことか』と納得したような表情になり、頷いて、それぞれの時間に戻っていった。

 

「その呼び方は止めてくれよ・・・」

「なんで?結構いい名前だと思うけど」

 

 ケイの下へ来ると弁明を求めるが、そのケイは名前を結構気に入っている様子。そう言われると、英も満更ではなくなる。

 

「ヘイ、『スコア』」

「隊長も気に入ってるみたいだし、諦めなさい」

「いや、でもな・・・・・・」

 

 ナオミが皮肉を混じらせるような笑みを浮かべ、アリサは肩をすくめる。おまけに『いいよね~、あの名前。何で嫌がるのかなぁ』『クリスもそう思う?』と、クリスとケイがそんなことを気軽に話しているので、英はもうどうにでもなれと匙を投げるしかなかった。

 

 

 このように英の周りの人物が、英のことを『スコア』と呼ぶようになったのは、1週間ほど前のサンダースフェスタ最終日の出来事が原因である。

 正確には、その出来事を記した学内新聞だ。

 サンダースフェスタの期間中、学内新聞を作成・発行している新聞部は製作活動はせず、新聞の記事のネタを探していたらしい。サンダースフェスタ終了後は新聞部も活動を再開し、サンダースフェスタ初日、2日目、最終日のことを書いた号外を合計3部出版した。

 その号外学内新聞の見出しだが、まず初日分の号外は『夢幻観測、沸騰中』だ。これは、初日に行われた、サンダース卒業生が結成したバンド『夢幻観測(ドリーム・ゲイザー)』のライブを書いたものであり、ライブ会場とパブリックビューイングの写真が併せて載せられている。ライブの撮影はできないはずなのだが、『特別な許可が下りています』と注意書きがされている。

 2日目の見出しは『轟く砲声、大地を行くシャーマン軍団』。言わずと知れたサンダース戦車隊の総合演習のことを書いた記事で、ドローンから撮影された綺麗な陣形のシャーマン軍団の写真と、アップのシャーマン戦車の写真が載っている。さらには模擬戦のことも書かれていて、両チームの健闘を称賛するような言葉が述べられていた。

 そして肝心の最終日の号外の見出しは、

 

『新星のピアニストと歌姫』

 

 勘違いしそうになるが、この号外は最終日の目玉イベントである『サンダースQA(クイズアタック)』のことを書いた記事である。だが、あのイベントの中で主体であるクイズよりも盛り上がったのが、英がピアノを弾いてケイが歌ったあの時であり、その時のことを見出しにしたのだ。

 それだけならまだいいが、その記事に載る写真は、イベント中の観客席と、あのラブソングを終えた後で英とケイがハグをしていたシーンだった。この記事を見た時の英など、穴があったら入って自分で埋まりたいと思ったほど恥ずかしかったものだ。

 記事の文章の割合は、『サンダースQA』のことが7割、残りの3割が英とケイとのことだった。さらに、英以外のあの場にいた何人かに後日インタビューをして、その内容も記してある。

 インタビューでは、ゲスト出演だったはずの英のピアノが予想以上に上手くて、さらにそのピアノに合わせてケイが歌うというハプニングに、観客と解答者、スタッフを含めて誰もが驚いたという。

 その観客の中には、たまたまサンダースフェスタをのイベントを見て回っていた音楽教師もいた。このイベントの取材をしていた新聞部の記者は偶然この教師を見つけて、インタビューも取り付けたのだ。

 その教師の評価は上々、どころかとても高かった。

 サンダースの授業には音楽もあるが、ピアノは授業では習わないものであり、音楽の教師も何人もいて、英はその教師と面識が無かった。だから、その音楽教師もこの場で初めて英のピアノを聴いて、感銘を受けたという。そして依怙贔屓もせずにこうコメントをした。

 

『まさか、これほどの超絶技巧を見せる生徒がいるとは思わなかった』

 

 英はその記事を読んでいて、『超絶技巧は言い過ぎではないだろうか』と思った。しかし、一緒に記事を読んだケイが、『すごいじゃない!』と笑って肩を叩いてきて、面識もない本職の音楽教師がそこまで言ってくれたことも嬉しかったので、そのコメントはありがたく受け取ることにした。

 また、その記事にはケイに対するインタビューのことも載せられていて、新聞部員の『事前の打ち合わせでもしていたのですか?』という、際どい質問があったが。

 

『サンダースフェスタの前から影輔とは知り合いだったけど、お互いにこれに出ることは影輔がステージに出るまで知らなかった』

 

 とケイが答えたので、クイズ研究部とケイの間の癒着が疑われることも、誤解を招くことも無かった。こればかりは、英もケイに全力でお礼を言った。

 そして、その記事の中で一番目を引くものは、最後の方の記者の『今回のイベントでピアノを弾いていた英さんとは友達のような関係ですか?』という質問に対する、ケイの答え。

 

『サンダースフェスタの前までは友達だったけど、最終日にお互い告白して付き合うことになった』

 

 英もケイも、お互いが付き合っていることは隠し通すのも難しいと思ったので、『自分から吹聴はしないが聞かれた時には答える』とすることにした。だから、英はこのインタビューでケイがそう答えたことに関しても頷いていた。

 こうして記事に載ってしまったことで、サンダースの星であるケイと英が付き合っていることは、自分たちが言うよりも早く校内に知れ渡ることになってしまった。

 ただし、この新聞記事にはまだ続きがある。

 取材をした新聞部の記者が後で調べたところ、英が弾いた映画の主題歌のピアノ曲は、相当難易度が高い曲だということが判明した。それが、その本職の音楽教師が『超絶技巧』というコメントを残すに至った経緯である。

 そして記事の最後には、その高い評価を受けた英を称えてこう呼びたいと書かれていた。

 『楽譜の巧者(スコア・マイスター)』と。

 

 

 その記事の言葉によって、英は『スコア』と呼ばれるようになった。二つ名の『スコア・マイスター』だと長すぎるから略されたのだが、『マイスター』なんて呼ばれるのは恐れ多すぎるので省略されてよかったと切に思う。

 

「私はいい名前だと思うけどね」

「人の名前っぽく聞こえないのが何か嫌だ」

 

 ホットドッグを咀嚼して、面白そうに笑うナオミ。英はその反応も含めて、まだ少し納得がいかない。

 6人掛けのテーブル席に着く英、山河、クリス、ケイ、ナオミ、アリサ。サンダースフェスタ以降、こうして昼食を一緒の席で摂ることが増えた。

 その原因は、英とその隣に座るケイだろう。

 

「ね、影輔。手は大丈夫?」

「ああ、もう痛まないし、問題ない。今日はピアノが弾ける」

「ホント?それじゃ聴きに行ってもいい?」

「もちろん」

「よっし、これで午後も頑張れるわ!」

 

 英が『スコア』と呼ばれるのを少し嫌っているのを理解し、ケイは普段通りの呼び方で英を呼ぶ。何気ないケイの気遣いが英は嬉しいし、ありがたい。

 英の手についてだが、サンダースフェスタ最終日の無理が祟って、翌日の全校撤収作業中にとうとう手を本格的に痛めてしまった。艦内の医療施設で診察を受けた結果、薬を処方され、『4~5日は安静にしているように』とくぎを刺されてしまい、その間英はピアノはおろか学校以外の外出さえも控えることを余儀なくされた。

 そのドクターストップの期間も昨日で終わり、今日からようやくピアノが弾けるようになる。

 

「ところで影輔、明後日の日曜日って空いてる?」

「ん・・・特に予定はないけど」

「それじゃ、デートしましょ?」

「・・・ああ、いいよ」

 

 ケイの性格ゆえに、デートの約束もとんとん拍子で進む。恋心を自覚する直前や、告白する間際のぎこちなさが嘘のようだ。もちろん英も、デートをすること自体は嫌なはずなど無いので喜んで承諾する。ただし、この次は自分から誘おうとも思っていた。

 

「・・・前も仲が良さそうだったが、最近露骨だな」

「・・・付き合ってるのが大っぴらになって隠す必要も無くなったからかしらね」

「・・・やるねぇ、スコア」

「・・・攻めるなぁケイさん」

 

 ナオミとアリサ、クリスと山河がそれぞれ英とケイに()()()()()()()、かつこのテーブル以外の人には聞こえないぐらいの絶妙な声量で話す。だが、ケイはそんな話を聞いても笑みを崩さずフライドチキンを齧り、英は苦笑してフレンチフライを食べる。

 

「アリサだってタカシとそこそこいい感じになったんだし、人のこと言ってる場合じゃないでしょ?」

 

 ケイの発言に、アリサは『んぐっ』と食べていたハンバーガーを喉に詰まらせる。すぐにコーラを飲んで流し込み、息を少し荒げながら『ここでその話はやめてください!』と目で訴えかけるがもう遅い。

 

「タカシって・・・この前言ってた?」

「ああ、この間の総合演習の後、2人でディナーに行ってな。まあぶっちゃけ、アリサはそのタカシのことが好きなんだが、タカシ本人はアリサの好意に微塵も気付いていない」

 

 英が記憶を掘り起こして、アリサたちと初めて出会った時にチラッと聞いた名前を思い出す。それをナオミに確認すると、ナオミがほぼ大体の事情を明かしてしまった。それを聞いて、英と山河、クリスは同情の目線をアリサに向けるが、アリサはアリサで俯いてしまっている。

 尤も、この話はサンダース戦車隊の中では結構有名な話になっていて、影ながらアリサの恋路を応援する者もいるにはいるのだが。

 

「ファイト、アリサ」

「ドンマイ」

「いざとなったら戦車が恋人でもいいんじゃない?」

「フラれるの前提で話を進めないでよ!」

「大洗のラビットも同じことを言ってたな」

 

 アリサがかみつき、ケイはそのやり取りを見てお腹を抱えて笑う。その様子は、食堂ではよく見かける光景なので、取り立てて騒がれることもない。

 ただ、英はケイと付き合っていることが学内新聞で明かされてしまっているので、知り合い(特に男子)からは結構からかわれる。『羨ましい奴め、おめでとう』とか、『そのピアノの腕をよこせ、この幸せ者』だの、『ふざけやがって、やるじゃねーか』などと好き勝手に言ってくれる。最後には祝う言葉を混ぜるあたり、悪意が無いのは分かるが。

 そして英が不安に思っていた、2人が付き合うことに異を唱える者は今のところいない。あの『サンダースQA』での予期せぬコンサートを観ていた者はそれなりに多く、さらに音楽教師が高く評価していたので、英の実力が多くの人に知られることとなった。その成果を華々しく見せられれば、疑念や嫉妬心も湧いてこないのだろう。今は、そう思っておく。

 つまり、周りから見ても、英はケイの横に立つに相応しい人となれたということだ。

 とはいえ、付き合い始めても、昼食を2人だけで過ごすということはなく、いつものように皆で一緒に過ごすことが続いている。それは、英もケイも付き合い始めたからと言って他の人との関わりを疎かにするべきではないと思ったのもあるし、それに2人だけで過ごせる時間が他にもあるからだ。

 

 

 放課後になり、英は肩に学生鞄、左手に楽譜の詰まったトートバッグを携えて、『ハイランダー』棟の第5音楽室へと向かっていた。そこへ行く途中、職員室で鍵を借りたのだが、鍵を貸してくれた教師からも『頑張れよ、スコア・マイスター』と言われてしまい、実にありがたい迷惑だった。

 やがて音楽室の前にたどり着くと、やはりそこにはケイが待っていた。

 

「待ってたわ、影輔」

「悪いな、待たせて」

「気にしなくてOKよ?」

 

 そのケイは、右肩に学生鞄を提げていたが、左手にはどこかで見たような気がする紙袋を持っていた。だが、それについてはあまり考えずに、まず英は音楽室の鍵を開けようとする。

 そこでケイが、英の持つトートバッグの異変に気付いた。

 

「今日は結構多いのね・・・」

 

 外から見てもかなりの数の楽譜が詰まっているのが分かるし、上から見てみると十数冊ほど入っているようにも見える。普段英はここまで多くの楽譜を持ってくることはないのに、今日はどうしてだろう。

 

「急に友達から頼まれてな・・・。後、友達経由で同じ学年の知らない奴からも」

「へぇ~。もうそんなに人気になっちゃったんだ」

 

 これまで英にピアノをお願いしていた生徒は、大体が英と面識がある生徒であり、友達とか知り合いだった。だが、あの『サンダースQA』を観ていたからなのか、それとも学内新聞の評価を見て気になったのか、ピアノを弾いてほしいというお願いが増えた。

 せっかく無くなった手の痛みもまた再発しそうで今から怖くなってくる。

 だが、それもやはりケイが言った通り英の腕前が人気になったからでもある。だからこれも一概に悪いこととは言えない。

 

「でもやっぱり、まずは弾きたい曲を弾くよ」

「そうね、それが一番だと思う」

 

 英が机に荷物を置いてピアノに向かい、ケイも英の荷物の隣に自分の荷物を置く。

 どれだけ弾く曲が多くても、まずは自分の弾きたい曲、弾き慣れた曲を弾かない分には始まらない。自分にとって馴染みのある曲を弾いて、自分自身を調子づかせて少しでも弾きやすいようにする。

 そんなわけで英が一番最初に取り出した楽譜は、英の気に入っている曲で、ケイに告白をした日に完成した曲だ。

 

「よし、行くぞ」

「OK!」

 

 弾く前に、いつものようにケイに一言告げる。

 その返事をするケイは、前と同じくピアノの内部が見える位置に立つ。前まではピアノに一番近い最前列の席に座っていたが、そこを新しい定位置にするらしい。

 それを横目に見ながら、英は曲を弾き始める。盛り上がる部分と落ち着いた部分、楽しげな雰囲気と悲しげな雰囲気を併せ持つこの曲は、何度聴いても、何度弾いても飽きないと言っていい。

 

『自分の気持ちは言葉にしなくちゃ、それを感じる意味はない―――』

『人の気持ちに左右されるな。自分の道と未来を描け―――』

 

 この曲の中には、英がケイに告白をするために背中を押してもらったようなフレーズがある。そして、ケイもまた英と同じようにこの曲の歌詞を見て、自らの中にある想いを告げようと決意することができた。

 2人にとってこの曲は、とても思い入れのある曲で、なおさら英が弾きたいと思う曲である。

 

「やっぱりいい曲ね、うん。パーフェクト!」

「サンキュ」

 

 弾き終えると、ケイが拍手をしながらそう言ってくれる。

 こうして感想を言ってくれるのは、ピアノを弾く側からすれば嬉しいし、同時にありがたい。というのも、評価をしてくれることが嬉しいだけではなく、弾いている本人では気付けないほどの小さなミス気に入らない点、引っかかるところなどを言ってもらえれば、改善に繋げられるからだ。

 ただ、今のところはケイからそう言った指摘は無く、『バッチリ』と花丸評価を貰っている。

 

「じゃあ、次はと・・・・・・」

 

 英は次に弾く曲は、ケイのお気に入りのラブソングに決めていた。英ももうこの曲を弾くのには慣れっこだし、この曲を弾き始めてからケイに対する自分の恋心を自覚したのだから、やはりこれも思い入れのある曲である。

 

「あ、そう言えば」

「どうしたの?」

 

 英が最初に弾いた曲を楽譜に仕舞い、交代にそのラブソングの歌詞を引っ張り出そうとして思い出したのだ。

 

「あのラブソングも、弾いてほしいって言われてたんだった」

「そうなの?」

「ああ、この通り」

 

 英が、トートバッグからあのラブソングの楽譜を取り出す。だが、それは英の持っている楽譜よりも真新しくて、端が折れているなどの使い古された感じがない。英の言う通り、これが別の人物から弾いてほしいと頼まれ渡された楽譜だった。

 

「やっぱり、あのイベントで聴いて気に入ったらしい」

「そっかぁ~・・・なんだか嬉しいわね」

「それは確かに」

 

 この曲は英が作ったわけでもないし、ケイが作ったのでもない。ただ、自分の気に入った曲が他の誰かも気になってくれると無性に嬉しくなる。自分たちはこの曲が良い曲だと分かっていて弾き歌ったのだから、その『良い』という感性が伝わったからだろう。

 

「ところで、他にはどんな曲を頼まれたの?」

「あー・・・・・・あのイベントで弾いた曲とか、後は有名なピアノの曲とか、色々・・・」

 

 話題のついででケイが聴いてみると、英はトートバッグを覗き込みながら答える。やはりあのイベントの影響は大きかったようだ。他に頼まれたのは、音楽の授業で聴いたことがあるらしい曲や、冗談抜きで超絶技巧を要するような曲も合って、英は嘆息する。

 

「一体いつ消化しきれるのか・・・」

「ファイト、ファイト!」

 

 ケイに励まされて、英もふっと小さく笑ってやる気を出す。それに、英も頼まれた以上投げ出すつもりはさらさらなかった。

 

「・・・影輔」

「ん?」

 

 そこでケイは、気付いた。

 英は元々、過去のことが原因で、誰かに縛られてピアノを弾くことを嫌っていた。だから部活動には所属しておらず、自由にここでピアノを弾いていたのだ。だが、今はあのサンダースフェスタの成果もあって、多くの人からピアノを弾いてほしいと頼まれている。

 弾いてほしいという曲が決められているこの状況は、英が嫌う『誰かに縛られてピアノを弾く』ということに似ているのではないだろうか?と思えてならない。

 

「影輔は・・・平気なの?」

「何が?」

「今みたいに・・・・・・誰かに縛られてピアノを弾くの」

 

 ケイが案じるように問いかけて、英は心の中では嬉しかった。だって、それだけケイが英自身のことを見てくれていて、かつての自分の言葉を覚えているということだ。つまり、自分のことを気にかけてくれているというわけで、それが好きな人からなのだから嬉しいのだ。

 そして、ケイのその心配も今は要らなかった。

 

「・・・前は確かにそういう弾き方は嫌だったけど、最近はそうも思わなくなった」

「え?」

 

 ぽつぽつと英は、言葉を探しながらケイに話し出す。

 サンダースフェスタに向けて、英はクイズ研のアイザック部長から、本番で弾く曲と弾き方を指定された。さらに完成させる期限も決められてしまった。そして、正式な所属ではないが、クイズ研究部に協力するという形でイベントに参加していたので、それは確かに英の嫌う『誰かに縛られてピアノを弾くこと』と同じだった。

 だが、それを英は苦痛とは思わず、むしろ『楽しい』とさえ思っていた。

 そう思うようになった理由は、ケイのホームパーティでピアノを弾いたことだと英自身は考えている。

 

「ホームパーティの時に、ケイに急な話でピアノを頼まれたから・・・あれも、まあ『その弾き方』に近かったのかもしれない」

「それは・・・・・・ごめんなさい」

「いや、謝らなくていい。むしろ、あの時頼んでくれなかったら、前みたいにしがらみの中で弾くのを嫌ってた」

 

 あのホームパーティで皆の前でピアノを弾き、そしてそこにいた多くの人から『楽しかった』『パーフェクトだ』と認められて、それ以来『縛られる弾き方』に対する忌避感も薄れていったのだ。

 そうなったきっかけは、英も言うようにあの時頼んでくれたケイだ。そこまで考えてのことではなかったのだろうが、結果的には考え方を変えることができたのだから、英としてはやはりありがたかった。

 

「それに、あのホームパーティと、前のサンダースフェスタで思うようになったことがある」

「?」

 

 ホームパーティでも、『サンダースQA』でステージの上で弾いた時も、自分の弾いたピアノで多くの人を楽しませ、笑顔にすることができたのが、英はとても嬉しかった。自分の弾いたピアノにそれだけの価値と力があるのだと、実感することができたのだ。

 そして今、英の中には小さな望みが芽生えている。

 

「もっと、いろんな人を・・・自分のピアノで楽しませたいって、思うようになった」

「・・・・・・・・・」

 

 ケイは英の思っている望みを、声を上げて笑ったりなどせずに静かに聞いていた。

 

「俺は『誰かに縛られてピアノを弾きたくはない』とか『プロにもなりたくない』なんて言ったけど・・・今はそうも思わなくなった」

 

 そのきっかけは、やはりケイとの間で起きた出来事だ。ケイにあのホームパーティで頼まれたからこそ、そしてケイの横に立つに相応しい人となれるように努力したからこそ、今の考えを持つことができたのだ。

 だが、英を見て笑うケイとは対照的に、英は少し落ち込むような表情を浮かべる。

 

「ただ・・・・・・一度あーだこーだ言って自分でその道を諦めたのに、今さらその道を選び直すっていうのはダメかもしれないけど・・・」

「ダメじゃないわよ、そんなこと」

 

 英の言葉を真正面から否定するケイ。びっくりしたような顔で、英はケイのことを見る。

 

「影輔の『いろんな人を自分のピアノで楽しませたい』っていう願い・・・かな?それは誇らしいことよ」

「・・・・・・・・・」

「それと、影輔がこれまで『やりたくない』って思っていたことに向き直って、『やりたい』って良い方向に考え直すことは、全然ダメなことじゃないわ」

 

 そう力強く言われては、英もこれ以上否定的な意見を述べる気にもなれないし、そんな意見さえも浮かばなくなる。否定的な気持ちさえも感じない。

 

「・・・そうか、ありがとう」

 

 だから今は、英の新しい望みを否定せずに認めてくれたケイに対してお礼を告げて、立ち上がり。

 

「・・・目指してみる、その『夢』を」

 

 英の中に芽生えていた『望み』は『目標』に、『夢』に変わった。

 この英の中の小さな変化は、この先の英の人生に向けての大きな変化だった。

 

「・・・・・・頑張って、影輔」

 

 そんな英は今、とても輝いて見える。新しい夢を見つけた人は、こうも変わって見えるのかと、ケイはその変化を目の当たりにして自分も嬉しくなっていた。

 

「影輔のその夢、私はこれからもずっと、応援するから」

 

 ケイは、ニコッと笑う。英もつられて、唇が緩んで笑みがこぼれる。

 

「じゃあ、そんな影輔に1つプレゼントを」

 

 そう言いながらケイは、机に置かれていた英がどこかで見たような紙袋から2つの長方形の箱を取り出す。その箱を見て、英もようやくどこで見たのか、その袋が何なのかを思い出した。

 

「・・・それ、手芸部展で買ったネックレスか」

「Exactly, その通りよ」

 

 それは、サンダースフェスタ初日に英とケイの2人で回った際に立ち寄った、手芸部のブースでケイが買っていたネックレスだ。ロケットの部分には、サンダースの校章にも描かれている稲妻が刻まれている。

 今この場で取り出したということは、どうやらそれは英に贈るつもりのようだ。

 

「てっきり・・・それは別の誰かに贈るものだと思ってた」

「えー?元々は影輔のために買ったつもりだったのよ?」

「・・・そうか」

 

 あっけらかんと、どうってことのないように言い放つケイの言葉に、英も少し鼻が痒くなる。恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになってどう言い表したらいいのかもわからず、『そうか』という曖昧なことしか言えない。

 そんな英の気も知らずに、ケイは箱からネックレスを取り出すが、すぐに何かを閃いたような顔をする。

 

「ねぇ、影輔」

 

 そしてケイは、その取り出したネックレスを英に手渡してきた。だがそれは、無言の『自分で着けろ』と言うメッセージを持っているのではなくて。

 

「これ、私の首に掛けてもらってもいい?」

「・・・それは別にいいけど」

 

 贈るつもりだったのに急に自分に掛けてほしいとは、少し不思議に思う。だが、英の記憶が確かならば同じものをもう1つ買っていたので、お揃いのペアルックにしたいのだろう。

 そのペアルックは英にとっては少し恥ずかしいことだが、拒否するわけにもいかないので、まずは大人しくケイの言う通りネックレスを掛けることにする。

 そこで。

 

「・・・・・・・・・」

 

 ケイは瞳を閉じて、英に近づけるように顔を前に出して、さらには少し首を上に向ける。

 その体勢が、キス前のポーズに見えなくもない。

 まさかそれが狙いではないだろうかと英は邪推する。そしてそう考えてしまうと、ケイの顔、具体的にはその口元を意識してしまう。

 

(いやいや、それは流石に・・・・・・)

 

 だが、ここで何も言わずにキスなど仕掛けるのは、英も少し憚られる。無論英も、ケイとは恋人同士になれたので『そう言うこと』もいずれは・・・とは思っていたが、流石に急すぎる。それに、ケイが無意識にこの体勢を取ったという可能性も十分にあった。

 なので、冷静さを取り戻した英は『掛けにくいから』という建前の理由を思いついてケイの背後に回り、後ろからそっとネックレスを掛ける。『ヘタレ』と言われても構わない。

 

「よしOK,終わった」

「・・・・・・・・・むぅ」

 

 英がケイの肩を軽く叩くが、どうやらケイはご不満の様子。やはり、さっきの体勢は意図的なものだったらしいが、何がいけなかったのか、等とは聞かないでおくことにした。

 

「それじゃ、次は影輔の番ね」

 

 そう言ってケイは、もう1つの箱を空けてネックレスを取り出す。

 そこで英は、ケイの首に掛けられたネックレスを見るが、結構似合っている。ただし、装飾品の類は校則でNGなので、あまり見る機会もなさそうなのが残念だ。

 そんなケイは、ネックレスを手に英の前に立ち、人差し指でちょいちょいと『近寄って』とサインを出す。英も逆らうことなどできないので、大人しく少しだけケイとの距離を詰める。

 

「もうちょっと、首を前に出して?」

「・・・ああ」

 

 ケイに促されて、英も少し首を前に出す。

 必然的に、ケイの顔との距離が縮む。

 

「・・・・・・もっと」

「・・・・・・うん」

 

 さらに近づくよう促されて、さらに英はケイの顔に自分の顔を近づけて、2人の間の距離がさらに詰まる。吸い込まれるようなケイの瞳が、英の瞳に映る。

 そして、どちらからだろう。

 2人とも、引き寄せられるように唇を寄せて―――

 

 

 

 それから少しして、『ハイランダー』棟の第5音楽室から、ピアノの音色が聞こえてきた。

 その音色に合わせて、澄み切ったような綺麗な歌声も聞こえてきた。

 そのピアノと歌声は、音楽室のわずかに開かれた窓から外に流れ、サンダース学園艦が航行する広い海へと溶けていく。

 2人のピアノと歌声が合わさって奏でる穏やかな音色は、サンダースの校舎に風のように流れていく。

 英とケイが愛する歌声と旋律は、静かにこの時を彩り、そして静かに響き渡っていった。




これで、ケイと英の物語は完結となります。
長い間ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ガルパン恋愛シリーズも4作目となりましたが、いかがでしたか?

今回のケイ編では、過去の作品で使っていた
『何かしらの共通点を持った主人公とヒロインにする』
『ラストで2人が結ばれ大人になってからのことを書く』
『アニメ本編・劇場版の裏側を描く』
という書き方を敢えて取りませんでした。

特に劇場版の後のことを独自で書き、さらに今回のテーマである『ピアノ(音楽)』を合わせるのは、
『ガルパンの世界観を損なわず、かつ釣り合いが取れるように』ということでどうやって作品に戦車を登場させるかに悩みましたが、
サンダースフェスタというイベントで戦車を登場させる形にしました。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。

当初は、今回のテーマを決めてから、ヒロインをケイにするかナオミにするかに悩みました。
その末に、音楽を聴くというイメージがナオミよりも少し薄いケイをヒロインにすることにしました(筆者自身ケイが好きなのもありますが)。
作中、ナオミの出番がそこそこ多かったのはその名残でもあります。いつかはナオミをヒロインに据えた作品も書きたいです。
アリサの恋路もほんのちょっとだけ書かせていただきました。アリサが報われる日も是非来てほしいものです。

次回作を投稿する時期は不明ですが、次のヒロインはバミューダ三姉妹の1人か、継続高校の子を予定しています。
過去作の一部修正も行う予定なので、新作は早くとも4月頃になるかなと思います。
今作品は最初の投稿で躓いてしまったので、次回はそれが無いように十分気をつけます。

最後にもう一度、
ここまで読んでくださった方々、応援してくださった方々、評価をしてくださった方々、感想を書いてくださった方々、
本当にありがとうございました。
また、次の機会にお会いしましょう。

ガルパンはいいぞ。

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