愛する旋律   作:プロッター

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そんな関係じゃない

 サンダース大学付属高校の学生寮は2種類存在する。

 その内の1つが、アパートメントハウス型―――他の学校でも見られる集合住宅型の寮だ。アパートメントと聞くと少々狭苦しい印象を抱くかもしれないが、やはりここはサンダースで、一部屋当たりの面積が割と広い。他の学園艦の同じタイプの学生寮と比べても広く感じられる。

 その寮の一室で、英は楽譜が多く並べられた棚の前でいくつかの楽譜を探していた。英は漫画や小説などの書籍用の棚と、楽譜用の棚の2つを部屋に置いている。どちらの棚にも、本はぎっしり詰まっていた。

 今探している楽譜は、明日もまた音楽室に聴きに来るケイのためのものだ。今日は楽しげな民謡を中心に弾いたが、彼女の人となりを考えてみればやはりアップテンポの曲や、サビが盛り上がる曲がいいだろう。そんなことを考えながら、楽譜をいくつか見繕っていく。

 

「これとかいいな・・・」

 

 イギリスの有名なジャズバンドの楽譜を引き抜いて、中をパラパラとめくって曲調を確かめる。中々悪くないと思ったので、これも明日持って行くことにしよう。

 そして他の曲を探そうとしたところで、動きを止める。

 

(そう言えば、初めてだな・・・・・・・・・)

 

 初めてと言うのは、英が誰かのためにピアノを弾くことが、だ。

 これまで英は、音楽室で弾くときは自分が弾いていて楽しい曲を、自分のために弾いてきた。クリスをはじめ友人から1曲弾いてほしいと頼まれることもあったが、それは単に頼まれたからである。英自身頼まれたら断れない性分であり、頼まれて悪い気もしないので引き受けている身である。だがそれは、誰かのためとは少し違うと英は思っていた。

 だが今は、明確にケイのために楽譜を選んでいて、ケイと知り合ってからは彼女のために弾いているような感じがしている。

 そしてそれが決して嫌なわけではないし、むしろ楽しいと思えていた。

 

(・・・・・・どうしてかな)

 

 英がケイと知り合ってからまだ1週間も経っていないのだが、もう旧知の仲のような間柄になっている。すぐに打ち解けることができるのもまた、彼女の持つ魅力と言うものなのだろう。

 そして、英のピアノを聴いて、ケイが喜んでいる姿を思い出すと、どうしてだか心が温かくなれる。温かい気持ちを抱くことができる。

 英のことを『プロのように立派なピアニスト』だと認めてくれたことを思い出すと、嬉しさが込み上げてくる。

 最初は、下手の横好きだった英のピアノを『最高にクール』と言ってくれたことが嬉しかったから、だと思っていたのだが、今はそれだけではないということが分かる。

 だが、それがなぜなのかはまだ英には分からなかった。

 分からなかったのだが、不快な気持ちはこれっぽちも無い。けれどこの気持ちの正体は未だつかめていない。

 それが分からないまま、英の夜は更けていく。

 

 

 翌日の放課後、いつものように英が『ハイランダー』棟の職員室へ音楽室の鍵を借りに行ったら。

 

「ああ・・・すまない。さっき別の人に貸したんだった」

「・・・そうですか」

 

 いつも鍵を借りている先生からそう告げられて、英も心の中で落ち込む。ホームルームが終わってすぐに来たのにもう先客がいたということは、その生徒は恐らくこの『ハイランダー』棟の者だろう。ただ、こう言ったことは前に何度もあったので露骨に落ち込んだりはしない。

 本来なら、音楽室が使えないと分かれば学校に長居せずさっさと帰る。だが、昨日ケイには『今日もまた弾く』と言ってしまったのでこのまま帰るわけにはいかなかった。

 急ぎ足で英が音楽室へ向かうと、既にケイが待っていた。だが、腕を組んで少し複雑そうな表情を浮かべている。既に音楽室の中に先客がいるのを見たらしい。

 

「すまん、ケイ」

「影輔、これどういうこと?」

「先に借りてる人がいたんだよ」

 

 ケイが親指で音楽室の中を指して、英がドアの小窓から中を覗き見る。男女数名のグループが屯って机を囲みトランプで遊んでいる。見るからに部活でも同好会でもない、友人程度の付き合いのグループだ。

 大体英が知ってる先客とは、他に楽器が演奏できる人が自主練で使うときや、他の音楽系活動、そして今音楽室の中にいるような特に何でもないような友人グループだ。前2つはともかく、ただの友人グループには遊び場所にするぐらいなら他の教室に行ってくれと切に思う。恐らくは、普段屯う場所が使えないから仕方なく来たと言ったところか。ただ、英も正式に部活動に所属しているわけではなく趣味で弾いているので、他人のことは言えないのだが。

 

「こういう時ってどうするの?」

 

 ケイが英に問いかける。

 だが、その問いが英には、なぜか一抹の不安が混じっているように聞こえてしまった。それは恐らく、英のピアノを楽しみにしていたからだろうというのが、なんとなくではあるが英には分かった。だからこそ、これから英がどうするのかを伝えるのが心苦しかった。

 

「・・・今日はもう帰るしかない。追い払うわけにもいかないし、時間まで動かないだろうから」

 

 探せば空いている音楽室もあるかもしれないが、他の教室も誰かに使われていたら無駄足にしかならない。それに、英はこの第5音楽室で弾くことに慣れてしまっていたので、他の教室だと上手くポテンシャルを発揮できないかもしれなかった。

 だからこういう時は、いつも大人しく家に帰るのだ。

 

「・・・そっか」

 

 わずかにケイの見せたその残念そうな顔は、見ていて英の心が痛むような哀しさを帯びていた。どれだけピアノを楽しみにしていたのか、それが見るだけで分かるようだった。

 英としても、今日はこのままケイと別れるというのが少し寂しかった。知り合ってからケイは毎日ピアノを聴きに来てくれていた。そして、自分のために弾いていた英のピアノを聴いて笑顔を見せてくれた。それでケイが英のピアノを気に入ってくれたことが分かる。

 だからこそ、突然のアクシデントでそのピアノが聴けないことをケイが残念がっているということ、そしてケイが落ち込んでしまったことに英はひどく心を痛めた。

 

「・・・じゃあ、仕方ないわね。帰りましょ?」

 

 そして、先ほど見せた残念そうな表情など微塵も感じさせないような笑みを浮かべて英と共に昇降口へ向かおうとする。

 しかしその笑顔は無理しているようにしか見えなくて、逆に英の心を絞めつけるようなものだった。その笑みの裏にあるだろうケイの気持ちを考えると、自分が悪いわけでもないのに罪悪感が込み上げてくる。

 

「・・・・・・・・・ケイ」

「何?」

 

 だからその罪悪感を拭うように、英はケイに話しかける。心の中では残念がっているであろうケイをどうにかして慰めようと、ある提案をしようと決意する。これでケイの気持ちが上向きになるという保証はないし、単なるその場しのぎにしかならないかもしれなかった。

 だが、それでも英は提案をした。

 

「今から・・・・・・楽譜を買いに行こうと思うんだけど、良かったら一緒にどう?」

「え・・・・・・?」

 

 その言葉は全く予想していなかったのだろう、ケイがぽかんとした表情を浮かべる。

 

「・・・いいの?」

 

 しかしそこは戦車隊隊長、すぐに言葉の意味を理解したようで聞き返してくる。英はそれにこくこくと頷く。ここで断ってしまっては意味がない。

 

「じゃあ・・・・・・ご一緒させてもらおうかしらね?」

 

 ケイは誘いに乗ってくれた。そしてその顔は、先ほどの愁いを帯びたような笑みとは違う、純粋な笑みを浮かべていた。

 その笑顔を見ることができて、英も良かったと思う。

 やはりケイの様な明朗快活な人物は、今のように笑っている顔が一番似合う。何かを抱えているような笑みよりも、その方がケイらしい。

 と、そこで英は自分がケイの笑顔に釘付けになってしまっていることに気付き、ケイに気付かれないように首を横に振って気持ちを切り替える。

 

「それじゃ、早速行こうか」

「OK!」

 

 と言うわけで、早速昇降口へ向かい靴を履き替えて、校門を出ていつもの帰路とは違うルートを歩き出す。

 

「でもよかったの?影輔にも予定があるんじゃ・・・」

「ああ、特になかったし、楽譜買いに行くのも休日に行こうと思ってたから丁度良かった」

 

 住宅街を歩いて、そして大通りへ出る。サンダース学園艦は人口がそれなりに多いので、車の通りも存外多い。そんな大通りの脇に敷かれている歩道を、英とケイは並んで歩く。

 

「楽譜を買いに行くって言ってたけど、どこに?」

「音楽用品を売ってる店があるから、そこに」

「そんなお店があるんだ」

「ああ。楽譜だけじゃなくて、楽器とか小道具とか、後は音楽をイメージしたアクセサリーとかも売ってる」

「へぇ~・・・すっごい気になる!」

「興味があるなら、見てみるといいぞ」

 

 そして10分ほど歩くと、白を基調とした建物の前にやってきた。自動ドアの上にはポップアートの文字が描かれた看板が掛けられているここが、音楽用品店だ。

 

「こんなところにあったんだ」

「まあ、知らなきゃ来る機会も少ないだろうけどね」

 

 自動ドアの前に立ってガラス戸が開くと、まず目に飛び込んでくるのはずらりと並ぶバイオリンやギターだ。店内のスピーカーからは軽快なジャズミュージックが流れている。

 

「これは、グレイトね・・・」

 

 どうやら本当にケイはここを知らなかったらしく、無数に並んでると錯覚しかねないほどの楽器の列を見て驚嘆の声を洩らす。

 そのまま店内を進んでいくと、トランペットやホルンなどの金管楽器、フルートやリコーダーといった木管楽器、他にも多くの楽器が並んでいる。

 どれも値段がそこそこ高いので手は出せないが、こうした楽器は見ているだけで何故だか心が昂るのを感じる。端くれであっても音楽家だからだろうか。

 

「結構種類があるのねぇ」

「一通りの楽器はここに来れば売ってるな」

 

 そうして少しだけ歩くと、ケイがある楽器を見つけた。それは一見小さなピアノだが、鍵盤が2段になっていて、さらにいくつもの小さなスイッチやボタンがついている。足元のペダルもピアノよりも多かった。

 

「これ何?」

「これはオルガン・・・電子オルガンだな」

 

 この電子オルガンは、スイッチやボタンで音質を他の楽器のもののように変えることができるのだ。丁度良く、『試奏可能』という張り紙が貼ってあったので、どんな感じのものかを実演することにした。

 

「例えばこのスイッチを押して弾くと・・・・・・」

「あっ、トランペット?」

「そう。で、こっちのスイッチを入れれば・・・・・・」

「・・・・・・これは?」

「トロンボーン。まあ要するに、これ1台でピアノ以外の楽器も演奏できるってことだ。同時に2つ以上は難しいけど」

「へぇ~・・・すごい!」

 

 ケイは戦車に乗ることが多くても楽器に触れることは少なかったようで、こういった物珍しい楽器には興味があるようだった。

 とはいえ英も、ピアノ以外の楽器についてはあまり詳しくは無いので、他の楽器については基本的な情報と聞きかじった程度の知識しかない。自分で知っている知識だけをケイに教えているので、全てを知った気になる知ったかぶりとは違うと英自身は思っている。

 その後も電子オルガンでいくつかの楽器を疑似的に演奏すると、ケイは英に向けて小さな拍手を送ってくれた。気恥ずかしいが英もお辞儀を返す。流石に店の商品で1曲全部を弾くのは申し訳ないしマナー違反だったのでしなかった。

 その後も、楽器が置いてあるスペースを2人で見て回るが、流石にグランドピアノのように大型の楽器は置いていない。だが、店の人に頼めば業者を通して購入することも可能である。過去に何件かその依頼はあったらしい。

 そして英の本来の目的である楽譜コーナーへ向かうと、ここでもケイは驚きの顔を見せてくれた。

 

「すごい数ね・・・・・・」

 

 天井にまで届くほどの高さを誇る棚に、楽譜が何冊も収められている。その楽譜のほとんどはそれ程厚くはなくむしろ薄いので、見た目以上に多くの楽譜が収められていることになる。

 やはり初めて見る人にとっては、ここは壮観だろう。

 

「有名なバンド、アーティストの曲はそれでまとめられてる。後は大体アルファベットと五十音順だな」

「へぇ~・・・あ、ホントだ」

 

 ケイが見つけたのは、イギリスの有名なジャズバンドのコーナーだ。知っているバンドだったらしく、楽譜を試しにパラパラとめくって読んでいる。楽譜が読めるかどうかは分からないが、それでも知っている曲だから気になったのかもしれない。

 一方で英は、目当ての楽譜を探す。まずは、前々から気になっていた曲の楽譜を探し出して手に取る。さらには新しく入荷された楽譜のコーナーを見ると。

 

「おお、この曲は」

 

 英の持つ音楽プレイヤーにも入っている曲だった。1度聴いただけで気に入ったこの曲は楽譜があればいつかは弾いてみたいと思ったもので、今ここで見つけられるとは思っていなかった。

 だが、楽譜を開いて中を見てみると『うげ』と思わず声が漏れた。原曲を聞いた時から分かっていたが、ものすごくリズムが複雑でなおかつ音符の数が多い。

 だがそれでも弾けるようになりたいと思って、それもまた手に取りキープしておく。

 そこで一度ケイの方を振り返ってみると、ケイは1冊の楽譜を持ったままじっとそれを読んでいた。

 

「何か気になってるのでも?」

 

 気になったので声をかける英。ケイは『ちょっとね』といいながら楽譜の表紙を見せる。そこには曲名とアメリカの歌手の名前が書かれていたが、英はそのどちらも知らなかった。

 

「ナオミに勧められて気に入った曲なの。歌詞もそらで歌えるくらい。だから、気になったのよね」

 

 聞けば、ナオミはイヤホンで音楽を聴いていることが多いらしく、そのナオミから勧められたのだという。

 英がケイの横からその楽譜を見せてもらうと、しっとりとしたバラードの曲だということは分かった。

 

「・・・・・・ちょっと時間がかかるかもしれないけど、今度弾いてあげようか?」

「えっ・・・いいの?」

「ああ」

 

 英自らがそう言ったのは、ケイを楽しませたいと思ったからだ。ケイが興味を持ったその曲を、英の持っている数少ない取り柄であるピアノを使って表現して、ケイを楽しませ、そしてピアノの楽しさをもっと伝えたいと思ったからである。

 その英の具申に対してケイは、すぐに『お願い』とは答えず。

 

「それはつまり・・・私のために、弾いてくれるってこと?」

 

 それは確かにケイの言う通り、そして英の思ったように、ケイを楽しませたいと思うから英が提案したのだ。英が、自分が楽しむために弾くわけではないのだから、ケイの言っていることは正しかった。

 

「ああ、そうだな」

 

 英がそう答えると、ケイは少しだけその手に持つ楽譜に目を落として、そしていつもとは少し違う、愛しさを感じさせるような笑顔を英に向けて、告げた。

 

「・・・じゃあ、お願いしちゃおうかな。この曲、ピアノでも聴いてみたいし」

 

 そして。

 

「ありがとね」

 

 その言葉を聞き、その笑みを見た途端、英の顔が熱くなる。ケイの言葉が頭の中で何度も響き渡り、脳が絶対に忘れるなと英に言い聞かせているように感じる。たまらず、視線を逸らす。

 さらにケイの言葉から、『誰かのために弾く』というぼんやりとしたものではなく、『ケイという女の子のために弾く』という明確なことを意識し出してしまう。自分以外の誰か1人、それも自分と同い年の女の子のために弾くなど初めてだったから、余計変に考えてしまう。

 一体どうしてここまで動揺するのか、自分でも分からなかった。

 

「じゃあ、会計しようかしらね」

 

 ケイの気に入った曲はどうやらその1曲だけだったらしく、それをレジに持って行こうとする。そこで自分の中の説明がつかない感情に困惑していた英が正気を取り戻し、待ったをかけた。

 

「いや、俺も買うのがあるし、まとめて払っとく」

 

 そう言って英は、ケイの持っている楽譜を受け取ろうとする。元々英はこの店にケイを誘った時点で、ケイが何かを買おうとしても自分が払うつもりでいたのだ。何しろこの店に誘ったのは英なのだから。

 だがケイは、その英の善意を拒む。

 

「いいわよ、これは自分で払う」

「いや、でも弾くのは俺だし・・・・・・」

 

 善意を拒まれたのだが、それが忌避感から来るものではないということはすぐにわかった。けれど、その曲を弾くと言ったのも、ピアノを弾くのも英なのだから、払うのは自分が妥当だと英は思った。

 しかしながら、頑なにケイは譲らない。

 

「だって、私が聴きたいって言ったんだもの。それでその曲を影輔に弾いてもらうんだから、この楽譜の代金は私が払うのがフェアだと思うわ」

 

 強くそう言われてしまうと、英も言い返せなくなる。

 ケイは戦車道の試合では常にフェアプレーを何よりも重んじており、自分から相手に対しての恩義についてはとかく譲らない、ということは学内の噂でとうに知っていた。

 だから、ここで英が下手に食い下がってもケイは断固として譲歩しないことが想像に難くなかったので、大人しく自分から引き下がることに決めた。

 

「・・・分かった」

「分かればOK!」

 

 サムズアップするケイを見て、これは何としても完成させないとな、と英は思った。

 そしてお互いにそれぞれ会計をするためにレジへ並ぶのだが、そこで一つアクシデントが発生した。

 

「初めてかなぁ、君が女の子連れてくるのなんて」

「・・・あ、はい。多分そうですね」

 

 レジに立つ中年のおっちゃん店長が親しげに、そして興味ありげに英に話しかけてくる。

 英はサンダースに入学してこの店を見つけて以来、かなりの頻度でこの店を訪れている。毎日とまではいかないが、月に3~4回のペースだから結構多めだ。だから英の顔は、店員ほぼ全員から覚えられていた。今英の目の前に立っている店長だって、英のことを名前は知らずとも顔だけは知っていた。

 そして英もこの店長は、レジ越しではあるが顔を合わせているので知っている。店側から見れば英は、言うなれば『常連』か『お得意さま』だ。

 そして英は、この店を訪れる時は大体1人、もしくは気心知れた仲の山河と一緒だ。女子と来たことなど一度も無かったがために、店長も英が女子を連れていることを物珍しく思ってそう話しかけたのだろう。

 そして店長の口から禁断の質問が飛び出してきた。

 

「もしかして、彼女さん?」

 

 その質問が口を突いて出てくるのも、これまでこの店を訪れていた英を見ていれば自然なものだったのかもしれない。

 楽譜の入った紙袋を受け取ると同時にぶつけられたその質問に対して、英とケイは。

 

「「・・・・・・」」

 

 刹那の沈黙を挟んでから。

 

「・・・違いますよ、新しくできた友達です」

 

 英が愛想笑いを浮かべながらそう返す。ケイもあいまいな笑みを浮かべるだけなので、店長も『そうかそうか。ごめんね』と言ってあまりしつこくは聞いてこなかった。それは英としてはありがたかったし、ケイにとっても助かっただろう。

 そして2人とも会計を終えて店を出て、今度こそ帰路に就く。店から少し歩いたところで、英がケイに話しかける。

 

「なんか・・・ごめんな?店長が変なこと言って・・・」

「あはは・・・大丈夫。気にしてないわ、うん」

 

 店長が言った変なこととは、他ならぬ『彼女さん?』という質問だ。あの質問は別にそんな関係ではない人からすれば不快でしかない質問だっただろうに、ケイは嫌な顔一つ見せていない。元々ポジティブな性格をしているのもあるだろうが、ケイの性格に助けられた。

 しかしながら英自身、あの場で真っ先に否定できなかったことは痛いと思っている。

 そのすぐに否定することができなかった理由は、『否定したくない』という気持ちがわずかに頭をもたげてしまったからなのだが、そもそもなぜそう思ったのかは自分でも分からなかった。

 だが、その考えが芽生えたせいで答えるのにインターバルが生じ、『英はケイをそういう人だと思っている』という誤解をケイに植え付けてしまったかもしれなかった。

 けれどそれでも、なぜ否定したくないと思ってしまったのか、その理由は未だに分からなかった。

 そんな答えの無い悩みで頭の中がパンクしそうになったところで、ケイが話しかけて来てくれた。

 

「初めてミュージックショップなんて行ったけど、エキサイティングだったわ!」

「あ、本当?」

 

 その頭の中の悩みは置いておいて、ケイの話に耳を傾けることにする。

 

「あんなに楽器が並んでるのなんて学校でも見ないし、楽譜がずらっと並んでいるのもグレイトだった!うん、行けてよかったと思う」

「そりゃ良かった」

 

 本当に楽しかったということが伝わってくるケイの言葉を聞いて英も自然と嬉しくなる。そして彼女の今の笑顔は、先ほど音楽室の前で見せた愁いを帯びた笑顔よりもずっと魅力的だ。

 

「・・・楽しんでくれたみたいでよかった。楽しみにしてくれてたのに、ピアノを聴かせられなかったからな」

「それは英が気にすることじゃないわ。何事にもアクシデントはつきものだもの」

 

 英を元気づけるように笑ってくれるケイ。さらに彼女は続ける。

 

「それに今日音楽室が使えなかったから、こうしてそれ以上に楽しいことができたんだから」

 

 楽しみにしていたピアノが聴けなくても、それよりも楽しい出来事を経験できたから、そのピアノに対する未練はもうほとんどなくなっていた。

 だからケイは、今こうして笑っていられるのだ。

 そんなケイを見て、英も小さく笑う。

 

「・・・・・・その方が、やっぱりケイらしい」

「え、どういうこと?」

 

 ケイが聞き返したことで、英はハッとする。頭の中で考えていたつもりが、ついぽろっと呟いてしまっていたのか。

 一度口にした言葉を無かったことにするのは不可能に近い。ましてや英とケイは一緒に並んで歩いていて距離が近かったから、『気のせい』とか『空耳』とかで誤魔化すのも無理だ。

 その言葉の真意が本当に気になるようで、ケイは英の顔をじっと見る。言い逃れも難しそうだった。大人しく白状せざるを得ないだろう。

 

「・・・音楽室が使えないって言った時、ケイが少し落ち込んだ顔してたから」

「・・・・・・そんな顔してた?」

「ああ、ちょっとだけど」

 

 その時のケイの顔を、英は忘れてはいない。普段は明朗快活に笑っているケイには似つかわしくない陰りの差した表情を。

 あの顔を見たからこそ、英は何とか元気づけたいと思ってこうして音楽用品店に誘ったのだから。

 それはつまり。

 

「だから・・・・・・」

 

 根底にある行動原理を言うか言わないかに悩む。

 しかしここまで言ってしまったのだし、全て告げた方が双方にとっても後味が悪くならない。

 だから英は、思っている本当のことを告げた。

 

「・・・・・・落ち込んだ顔を見て、どうにかしてケイに笑ってほしかった。ケイは、明るく笑っている方が似合ってるから」

「・・・・・・」

「だから、楽しんでもらえたみたいで、本当によかった」

 

 結局のところ、英の思うことはただ1つだけ、『ケイに笑ってほしかった』に尽きる。

 だが、そんなカッコつけたことを言うのは元々英の性分ではない。恥ずかしくて仕方がなく、鼻の下を指でこする。気障なことに定評があるナオミが羨ましくなってきた。

 途方もなく空を見上げると、僅かに朱に染まる空に白い飛行機雲が伸びていて、太陽の沈む方向へと向かっている。そんなものが目に入ったからといって恥ずかしくなくなるわけでもないのだが。

 

「・・・・・・あ、ありがと」

 

 ケイから、か細いお礼の言葉が告げられた。それに英は『気にしないでいい』と答えたのだが、恥ずかしくて顔が見れなかった。

 それでも、英にとってはお礼の言葉を言ってくれただけで十分だった。

 

 

 サンダース大学付属高校の学生寮は2種類存在する。

 その内の1つが、本場アメリカ並みに大きい一戸建て住宅型の寮。これは4~5人で1軒をシェアして共同生活をするものである。これもまたアメリカ気質の例に漏れず、部屋が広くて造りも頑丈、しかもプールと庭付きという徹底ぶりだ。プールや庭のメンテナンスは寮でクラス生徒たち自らが行うのだが、それもまた自主独立を目指す学園艦生活の一環となっている。

 生徒たちに一戸建て住宅を貸し出すというのは資金が潤沢なサンダースならではのものである。だが、流石に生徒全員に提供するほどのスペースがこの学園艦には無いので、希望者だけがこの型の寮で暮らすことができる。希望者数が多すぎる場合は抽選となり、まさにこの寮に暮らせるのは選ばれた者だけとなる。

 さて、そんなリッチな一戸建て型学生寮の中の1軒。そのリビングルームで、ナオミがソファに座ってアメリカのSF小説を読んでいた。その顔には、戦車に乗っている時以外で集中する時だけ掛ける伊達眼鏡が掛けられていて、クールな印象とは別に知的な印象が加えられている。

 暖色の照明は肌寒くなってきた最近では気休め程度でもありがたく、シーリングファンが室温を一定に保っている。それに他のルームメイトが皆自室で勉強したり風呂に入っていたりしているので、リビングには今ナオミ一人しかいない。読書をするにはもってこいのシチュエーションだ。

 だが、ナオミの目はページの上の文章を追っていても、頭に本の内容を蓄積していっても、引っ掛かりを覚えていた。その引っ掛かりとは、本の内容に対してのものではない。

 

(・・・・・・随分遅いな)

 

 ページの端まで読んだところで、ナオミがバスルームの方を見る。

 今現在、風呂に入っているのはケイだ。それ自体は別に問題ないのだが、問題は入っている時間だ。かれこれ1時間以上経過している。

 

(まさか倒れたり、していないだろうか・・・?)

 

 その可能性は今から大体20分ほど前に考えたことだ。普段ならケイは2~30分で風呂から上がる。その時刻を10分ほど過ぎたところで『倒れたか』と心配し始め、30分以上過ぎた今ではその可能性が捨てきれなくなった。

 だが、迂闊にバスルームに踏み込むことをナオミは躊躇っていた。

 それはケイのことを全く心配していない、というわけではなく、その逆である。

 ケイのことを気遣ってのことだった。

 

(けど、何か考え事をしているのかもしれないし・・・・・・)

 

 ナオミはサンダース戦車隊の副隊長・ナンバー2となる前からケイと親交があった。

 それでケイの近くにいた時間が長いからこそ、彼女が戦車隊の隊長として苦労を重ねていることは知っていた。極たまにではあるが、ケイが疲れてしまって、だれている姿を何度か見かけたこともあった。

 それとケイは、生徒の間ではサンダースの有名人と知られていて、周囲から絶大な評価と期待、信頼がされている。だからこそ背負うものが、ナオミとは比べ物にならない。

 そんな戦車隊の隊長で、背負うものが多くあるケイだから、心を落ち着かせてゆっくりすることができる場所とは限られている。その心を落ち着かせられる場所の1つが、バスルーム、風呂だ。風呂は入っている者1人だけの空間であり、心を落ち着かせて物思いに耽る絶好の場所である。

 だからこそ、そのケイの立ち位置を知っているナオミは、そんな1人で落ち着ける場所に自分が踏み込んでもいいものかと悩んでいたのだ。

 だがしかし、流石にケイの身に何かあっては大事なので、ケイに対する心配が大きくなっていく。そして心の中で謝りながら、ケイの様子を見に行こうと立ち上がったところで。

 

「・・・・・・お待たせ」

 

 ケイがバスルームから出てきた。タオルで髪を拭いて動きやすい恰好に着替えていて、顔は赤いがそれは温かい風呂に入って上気しただけの様子なので、命に別状はないようだ。そんな彼女がナオミの目の前を通り過ぎようとしたところで、ナオミが話しかける。

 

「随分遅かったね」

「・・・・・・ソーリー。少し考え事をしてね」

 

 ケイはそう答えると、そそくさと階段を上り2階にある自分の部屋へと向かって行ってしまった。

 そのケイの言っていた『考え事』については深入りはしなかったし、する暇もなかったのだが、無事だったようで安心だ。

 いろいろと引っ掛かりはあるが、ナオミも風呂に入ってさっぱりしたかったので、本に栞を挟んでサイドテーブルに置き掛けていた伊達眼鏡を外す。そして着替えとタオルを持ってバスルームへ入った。

 それとは反対に自分の部屋まで戻ったケイは、ばたりとベッドに倒れ込む。枕に顔を押し付けて、大きく息を吐く。

 

(どうしてこうなるかな・・・・・・)

 

 今日のことを思い出す。具体的には放課後、英と一緒に過ごした時間だ。

 別に嫌なことがあったわけではない。それどころか、楽しいこと、いいことばかりだった。音楽用品店という自分の行ったことのない場所に行けたことも、お気に入りの曲の楽譜を見つけられたことも、ケイにとっては嬉しいことこの上ない。

 そしてそれ以上に嬉しい事があった。

 それは、英がケイのためにそのお気に入りの曲を弾いてくれるということ。

 そして、英に『笑ってほしかった』と言われたこと。

 この2つの事象は、どちらも英がケイを思ってのことなのだということは容易に想像できる。

 けれど、自分のことを考えて行動してくれたのだと思うと、胸の奥が温かくなるのを感じる。

 どうしてだろう。そんなことを考えて、そんな風に思ってしまい、そんなことを感じるのは。

 そして、あの音楽用品店で店長らしき人物から『(英の)彼女さん?』と問われた時、どうしてだかケイはすぐに否定することができなかった。言葉で否定することは簡単なことだったのに、なぜなのだろうか。

 おそらくあの時は、動揺していた。でも、どうして動揺していたのか。

 そんなことを悶々と風呂で小一時間ほど考えていたのだが、答えは未だ見つかっていない。

 

(あー・・・・・・なんなんだろう、本当に・・・)

 

 心の中では不貞腐れたように言うが、その実全く嫌な気分はしない。

 むしろ嬉しいような、楽しいような、そんな気持ちだ。




サンダースって何でも揃ってそう。

ここで一つ報告です。
筆者はパソコンのワードで作品を書いているのですが、
これまでは、『アイデアが浮かぶたびに筆を進めて、完成させると投稿する』という手法でした。
ですが今作品からは、『最初にワードで話の全体像を書いた後、それをベースにして改めて一から書き直し、所々加筆修正を重ねてそれを投稿する』という形に変わりました。
そのため、今作品から投稿する間隔が前と比べると少し広くなるかもしれませんので、
予めご了承ください。


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