愛する旋律   作:プロッター

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今回長めですので、ご注意ください。


分からない

 ケイの趣味は、ホームパーティだ。

 それは、ケイが誰かと楽しい時間や出来事を共有することが好きだからであり、皆が盛り上がり楽しんで食べる料理は美味しいと感じられるからでもある。

 この趣味は、ケイがまだ小学生ぐらいで実家で暮らしていた頃、自らの誕生日を家族全員が祝ってくれたことに起因する。その時食べたご飯はとても美味しくて、その誕生日パーティはとても楽しかったと今でも覚えている。

 それから時が経つにつれ、友達を誘って食事に行くことが多くなり、今ではホームパーティを定期的に開くまでに至った。

 幸いにも、ケイは設備が多く整っている一戸建て型の学生寮に暮らすことができ、加えてサンダースの生徒が皆アメリカ気質なところがあるので、ケイの友人もそう言ったパーティの類が大好きだった。そして何より、ケイのルームメイトたちもケイの趣味に理解がある上に彼女たちもパーティに全力で乗っかっているので、心おきなくパーティを開くことができているのだ。

 そしてそのパーティが成立するのも、ケイが人を惹きつけるような性格をしているからであるのだが、それにケイ自身は気付いてはいない。

 

「~♪」

 

 さて、今日は休日で学校の授業も戦車隊の訓練も無い、完全なオフの日だった。ケイにとっても、今日のような休日は戦車隊の隊長というプレッシャーから解放される。

 そしてこの日は、ケイの趣味であるホームパーティを開催する日でもあった。

 11時過ぎ、ケイは自分の暮らす寮のリビングで掃除機をかけていた。彼女は白のブラウスに紺の七分丈のスキニージーンズと動きやすい服装で、秋にしては少し爽やかな印象を抱く。

 彼女がこうして掃除機をかけているのは、今日が寮の掃除をする当番の日だからであり、今日のホームパーティのために部屋をきれいにしようと思ったからである。

 

「~♪~♪」

 

 お気に入りの曲を鼻歌で歌いながら掃除機をかけていると、お尻のポケットに入れていたスマートフォンが電話の着信を告げた。相手は今日のパーティに来る予定の、戦車隊の隊員だった。

 

「ハァイ、エマ?」

『ハロー、ケイ。今、大丈夫?』

「うん、大丈夫よ?どうかした?」

 

 掃除機の電源をいったん切り、掃除機を左手で支えて電話に出るケイ。

 

「OK,問題ないわ」

『今夜持ってく予定のフライドチキンバレルなんだけど、何時ごろ持ってけばいいかな?』

「そうねぇ~・・・6時半ぐらいがいいかな?あまり早すぎても遅すぎてもダメだし」

『量は前と同じでいい?』

「ええ、それでいいわ」

『OK!じゃ、今夜のパーティ楽しみにしてるわね!』

 

 エマとの通話が終わり、ケイはスマートフォンを再びポケットに戻す。そして再び掃除機の電源をつけてカーペットの掃除にかかる。

 数分後に、またケイのスマートフォンに電話がかかってきた。今度の相手は、ケイのクラスメイトの男子の友人である。

 

『グッモーニン、ケイ・・・』

「ハイ、ザック?もしかしてさっきまで寝てたのかしら?もう11時過ぎよ?」

『せっかくの休日なんだしいいじゃないか・・・・・・』

 

 電話を取ると聞こえてきたのは眠そうな男子の声。『ザック』と呼ばれた彼はれっきとした日本人であり、ケイの付けたそのニックネームは苗字の『佐久』をもじったものである。ただ、佐久自身は嫌がっていないので、クラスの皆からもそう呼ばれていた。

 

「で、どうかしたの?」

『ああ、そうだそうだ。実はバーベキュー用のいい肉とスパイスを買ったんだけど、バーベキューグリルの炭は足りてる?』

「足りてるわよ。たっぷりあるわ!」

『おお、そうか。足りてないようだったら行く途中で買ってくつもりだったけど、大丈夫みたいだな!』

「ええ、ありがとね」

『よっしゃ。じゃあ、今夜な!』

 

 威勢のいいザックの返事を最後に、電話は切れる。

 そしてケイは、ふっと笑った。先ほどのエマといいザックといい、こうして電話をしてきて、それぞれが今夜のパーティに向けて用意を進めているのを聞くと、彼らもパーティを楽しみにしているのだということが伝わってくる。そして、今夜は楽しいパーティなのだということを改めて思い知らせてくれる。

 そう思うと、ケイも今夜のパーティが待ち遠しくなってしまって、掃除機をかける足取りが軽くなる。

 手際よくリビングの掃除を終えて次はキッチンだと思いそこへ向かうと、ナオミが冷蔵庫を開けて牛乳をコップに注いでいた。ナオミは青のシャツと黒いデニムというシックな色合いの服を着ていて、クールな彼女のイメージに合致している気がする。

 ナオミはケイに気付くと、牛乳パックをほんの少し前に差し出して『飲む?』と無言で問いかけてくる。ケイが掃除機の電源を切って頷くと、ナオミが新しいコップを1つ棚から取り出し注いでくれる。『ありがと』といいながらケイはコップを受け取った。

 

「準備は上々みたいだな」

 

 ケイが受け取ったところで、ナオミが話しかけてきた。先ほどまでのケイのエマとザックの電話は聞こえていたらしい。

 

「うん。エマとザックは準備ができてるし、ピザのデリバリーも大丈夫。ジュースもアリサに任せてるわ」

「アリサはその点、意外としっかりしてるからな」

 

 ナオミのアリサに対する評価を聞いて、ケイもその通りだと頷く。そこでケイは牛乳をグイッと飲む。

 一方でナオミも、心なしか表情が生き生きとしているような感じがする。あまり彼女と親しくない人が今のナオミを見れば、普段と変わらないというかもしれない。だがケイはナオミと親しい仲になってから長い時間を過ごしているので、その小さな違いが分かったのだ。

 ナオミもまた、今夜のパーティを楽しみにしているのだろう。

 

「ああ、ところで」

「?」

「英は誘ったのか?」

 

 ナオミは英と初めて食堂で会った日に自己紹介を交わしている。また、その時の英とケイのやり取りを聞いて2人が親しい仲だということには気づいていた。だから、大体ケイと親しい友達を集めるホームパーティにも呼ぶのだろうか、と思って聞いたのだ。

 だが、ケイは。

 

「えっと・・・・・・呼んだわよ、うん」

「?」

 

 なぜか歯切れの悪い感じがする答えを返すケイ。それが変に思えてナオミがケイの顔を見ると、なぜか彼女の頬はわずかに紅く染まっている。

 

「・・・・・・どうかした?」

「へっ?あ、ううん、何でもないわよ?」

「・・・そうか」

 

 ナオミはケイの反応が若干気になったが、『誘った』という一応の回答は得られたのでそれでいい。ケイと英の人間関係について根掘り葉掘り聞くような野次馬根性をナオミは持ち合わせていないので、それ以上の詮索はやめておいた。

 ケイが牛乳を全て飲み切り、ナオミがそれを受け取って自分のコップと一緒に洗剤で洗う。

 その後ろでケイは、掃除機を省エネモードにして音を下げてキッチンを掃除する。その合間に、ケイは頭の中で考え事をしていた。

 ケイが英を今日のホームパーティに誘ったのは、昨日2人で音楽用品店に行った後だ。別れ際にいつもの交差点でパーティに誘い、英は少し考えてからOKをしてくれた。

 だがあの時のケイの心の状態はといえば、結構いっぱいいっぱいだった。

 というのも、昨日英をパーティに誘う少し前に、英がケイを音楽用品店に誘った理由を聞いたからだ。

 

『どうにかしてケイに笑ってほしかった。ケイは、明るく笑っている方が似合ってるから。だから、楽しんでもらえたみたいで、本当によかった』

 

 あの言葉を聞いてから、ものすごく顔が熱くなってしまって英と言葉を交わすこともなぜか恥ずかしくなってしまった。

 だが別れ際に今日のパーティのことを思い出し、急いで誘ったのだった。

 その時ケイは、『普段はピアノを弾いてもらってるからそのお礼がしたい』と言った。

最初は英もケイの予想通り、英自身は趣味でピアノを弾いているからお礼をされるようなことではない、と断ってきた。それでも最後に英はケイのお誘いに応じ、パーティの参加を決めたのだった。

 だが、本当はその時ケイは、『お礼がしたい』という気持ちの他に、『英とパーティの楽しい時間を過ごしたい』と思っていたのだ。

 そんな気持ちが芽生えたのは誘う直前。つまり、衝動的な気持ちでケイは英を誘ったのだった。

 キッチンの掃除が終わり、電源を切ってリビングの所定の場所に掃除機を片付ける。

 

(本当、どうしてこんな気持ちになっちゃうのかしら・・・?)

 

 その自分自身に対する問いかけは、昨日から何度も考えていることだった。

 なぜだか英のことを考えると、胸が焦がれるような苦しい気持ちになってしまう。だが、そんな気持ちになっても不快な感情は得られずに、むしろ心が幸福感に満ち溢れるような気持ちになれる。

 矛盾しているようなこの感情をケイは未だ抱いたことがなく、自分の気持ちが自分で分からなくなってしまっていた。

 腰に手を当てて大きく息を吐き、一旦気持ちを落ち着かせる。

 兎にも角にも、今日のパーティには英をはじめ多くの友達がここを訪れる。それなのに自分が得体の知れない感情に左右されて落ち込んでしまっていては、ケイを含め皆が楽しい時間を過ごすことなどできない。

 一旦リフレッシュしようと思い、階段を上がって2回の自分の部屋に戻ろうとする。

 ケイの日課はフィットネスクラブに通うことだが、今日はパーティの準備があるのでそれはできない。そんな時のために、部屋にはダンベルやストレッチ用のマットなどの器具が置いてある。つまり今、ケイは身体を動かして気持ちを切り替えようとしているのだった。

 2階に上がると、4つの白いドアが目に入ってくる。この寮で生活しているのはケイを含めて4人。その4人にはそれぞれ1部屋ずつ自分用の部屋が用意されていて、一番手前の南側の部屋がケイの部屋である。反対に、1番奥の北側の部屋がナオミの部屋だ。

 その自分の部屋に入ろうとしたところで、向かい側の部屋を見る。その部屋には、ケイとはクラスが違うし戦車隊にも所属していないが3年の共同生活で親しくなった女子が暮らしている。

 

「まだ起きてないのかしら・・・」

 

 彼女は朝食にも顔を出さなかったので、完全オフの日だからと今の今まで睡眠を決め込んでいるのかもしれない。日々の学生生活で疲れていて休日ぐらいのんびり寝ていたいという気持ちは分かるが、流石にこの時間まで寝ていては健康に影響を及ぼしかねない。それと、明日からまたいつも通りの学生生活に戻るから、明日以降がまた辛くなる。

 そろそろ起こした方が良いと思い、ケイはそのドアをノックした。

 

「シンディ~?もうお昼よー?いい加減起きなさ~い!」

 

 『シンディ』と呼ばれたこの部屋の主もまた純日本人で、そのニックネームは彼女の苗字『新藤』からきている。

 ノックして呼びかけてから少しして、部屋の中からゴソゴソと物音が聞こえてきた。そしてドアが非常にゆっくりと開き、中からシンディが顔をのぞかせる。薄い緑色のパジャマは少しはだけていて、しかも目が半開きで寝起きで眠そうなのを全力でアピールしていた。さらに普段はツインテールの長い髪も所々跳ねているうえに伸ばしてしまっていたので、本当にさっきまで寝ていたのだろう。

 

「たまのホリデーなんだしゆっくり寝かせてよ・・・・・・」

「もうお昼だし、十分寝たでしょ?寝過ぎるのも体に悪いわよ?」

「ふぁ~い・・・・・・」

 

 あくび交じりの返事をして、シンディは首を左右に動かす。そして少ししか開かれていなかったドアが大きく開き、部屋の中が見えるようになる。

 カーテンが閉め切られていて、廊下の明かりが入ってこなければ真っ暗だろうというぐらい薄暗い。だが、物が雑多に置かれているような感じはせず、ある程度整理整頓されているようだ。と言っても薄暗いのでシルエットでしか分からないが。

 そこでケイは、あるものに気がついた。

 

「そのでっかいの、何?」

 

 ケイが指差したのは、横に長い大きな何かのシルエットだ。シンディはようやく目が冴えてきたのか、部屋の電気をつけてケイが指差したものを確かめる。

 

「あー、これ?これはね・・・・・・」

 

 その“何か”の説明を聞いてケイは、ある1つのアイディアを思いついた。

 

 

 英は、昨日ケイから誘われて今日の夜はケイの開くホームパーティに参加する。だが、それまで時間は結構あった。なので英は、自分の部屋の学習机に楽譜を広げ、机を指で叩くイメージトレーニングをしていた。その楽譜は、昨日自分からケイのために弾くと言った、ケイお気に入りの曲である。

 初めて聞く曲なのでリズムに若干の乱れが生じたり、音を外したりすることが多々あるが、楽譜が全然理解できず弾くこともできない、ということにはなっていない。

 最後の小節まで弾き終えて、イメージトレーニングをいったん終了する。小さく長く息を吐いて、首を左右に動かしコリをほぐす。

 

「・・・・・・手強いな」

 

 机を叩いていて地味に痛かった指を解しながら、独り言つ。

 英がこの曲を『手強い』と評価した点はいくつもある。

 まずは、ミスが多くてすぐに完成させるのが難しいという点。この間クリスから頼まれた曲に比べてもミスが多くて、完成までは時間がかかりそうだった。

 次に、この曲はしっとりとしたバラード調であり、普段英の弾くような曲の傾向とは外れている点。英が弾く曲は、大体がアップテンポの曲だったり、明るめの曲である。たまに悲しいような暗いような曲を弾くこともあるが、そういう曲もどこかしらで盛り上がる曲だ。この目の前の曲のように終始落ち着いた雰囲気の曲は弾いていない。

 そして、何よりも懸念すべき最大の障害とも言える点があった。

 

「まさか、ラブソングとはな・・・・・・」

 

 この曲はラブソングだったのだ。アメリカの歌手が作ったこの曲の全体のイメージは、『ふとしたきっかけで抱いた恋心は、相手を想い続けることで色褪せることはなく、最後には結ばれる』と言った感じだ。

 その全体像はさておき、英はラブソングなど弾いたことがなかった。これまで弾いてきた曲でも、明るい曲も暗い曲も、奇跡的なまでにラブソングが存在しなかった。

 英は曲を弾くとき、その曲の情景・描写をイメージすることを重視している。そうすれば曲の完成度がより高まるからだ。だが、ラブソングは弾いたことがないし、恋をしたことさえも無いせいでイメージすること自体が難しかった。

 この3つの点から、英はこの曲を『手強い』と評価したのである。

 それでもケイには自分から『弾いてあげる』と言った以上、途中で匙を投げるわけにはいかなかった。それ以前に諦めるつもりなど微塵も無いので例えどれだけ時間がかかっても完成させる所存でいた。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 

 だがそこで、英はふと考える。考えてしまう。

 ケイがこの曲を気に入っているということは、もしかしたらケイにもこの曲に出てくるような『恋心を抱く人』がいるのかもしれない、と。

 だがそう考えたところで、英は頭を振る。

 ケイが誰かを好きになろうが嫌いになろうが、それはケイの自由なのに、ただの1人の友人にしかすぎない自分がそんなことを気にしてどうするんだと。それと、この曲を気に入っているからと言って『そういう人』がいると思う時点でおかしい。

 額を指で何度も叩き、少々乱暴に息を吐いて気持ちを改めようと試みる。慣れないラブソングなど練習して、自分がまだ経験したことも無いような恋の描写や情景を無理矢理思い浮かべようとするから変なことを考えてしまうのだ。

 そこで英が時計を見る。既に昼時に近づいていて、大分集中していたのだなと実感した。

 リフレッシュも兼ねてコーヒーブレイクでも入れようかと思い立ち上がろうとする。そこで脇に置いてあったスマートフォンが電話の着信を告げた。

 この休日に電話をしてくるのは、大体は親か、山河をはじめとした親しい友人だ。あるいは、ピアノを頼んできたクリスと言う可能性もある。

 頭の中で電話の相手を予想しながら画面を開くと。

 

『着信:ケイ』

 

 自分の予想がすべて外れた。そしてここ最近で付き合いが増えて、先ほどまで気になってしまっていた人の名前が表示されていた。初めて挨拶を交わした日にアドレスを交換して以来電話もメールもしなかったから、これが初めての電話となる。

 

「もしもし?」

『ハロー、影輔。今大丈夫?』

「ああ、問題ない。どうかしたか?」

 

 今までやっていたことはイメージトレーニングだし、コーヒーブレイクにしようとしたがまだ準備もしていないので、今は手が離せないという状態ではなかった。

 

『今夜、パーティがあるじゃない?』

「ああ」

『それで、ちょっとしたお願いがあるんだけど・・・』

「お願い?」

 

 パーティの話題を出したうえでのお願い、と聞いて英は若干顔が青くなる。まさか一発芸でも用意しなければならないのだろうか。

 

『私のルームメイトがピアノ・キーボードを持っててね?「使っていい?」って聞いてみたらその子、オッケーだって』

「・・・・・・ん?」

『それで、良かったら影輔に何曲か弾いてもらいたいなー、って』

「・・・・・・ああ、そう言うことか・・・」

 

 一発芸よりは幾分マシだが、それでもハードルが高いことに変わりはない。

 最近音楽室で弾くときにケイがいるように、1人か2人と言った少人数が見ている分には特に問題はない。

だが、ケイの開くパーティとなると、彼女の性格と交友関係の広さを考えればそれ以上の人数がいるのは必至だろう。そんな人数の前でピアノを弾くのは緊張するに決まっている。

 英は幼いころからピアノを続けているが、コンクールなど人前で公的に弾いたことは一度もない。強いて言えば、好きな楽器を使って1曲演奏するという中学の授業でクラスの皆の前でピアノを演奏したことがあるぐらいだ。その時、およそ30人ほどのクラスメイトの前で演奏したのは緊張するものだった。

 あの時はミスがなかったものの、緊張すればするほどミスが目立ち、普段は間違えない弾き慣れた曲さえも間違えてしまうかもしれないということは予想できた。

 そんな失態を多くの人の前で晒すなど御免被りたい。だから丁重に断ろうとしたのだが。

 

『・・・影輔の弾くピアノって、なんだか楽しい気分になれるから。だから、パーティが盛り上がってみんなも楽しめるって思ったんだけど・・・』

「・・・・・・」

 

 ケイの懇願とも取れる言葉は、いつものような溌剌とした調子ではなく、本当に英のピアノを評価しているのが分かるかのような穏やかな口調だ。

 英としても、ケイからそう言われると悪い気がしない。『緊張する』とか『間違えたらどうしよう』という不安をなぜか感じなくなり、そしてケイの『楽しい気分になれるから』という言葉が胸に響いて、期待に応えたいと思うようになった。

 

「・・・・・・分かった」

『?』

「ケイがそこまで言ってくれるのなら・・・やるよ」

 

 英がそう告げると、一瞬の沈黙ののち。

 

『サンキュー!ありがとう!』

 

 さっきとは打って変わって明るい声でそう言ってくれた。ケイが電話越しで満面の笑みを浮かべているのが、見なくても分かる。そしてその笑みを思い浮かべて喜ぶ声を聞くと、英も自然と笑みがこぼれる。

 

「持ってく曲はどれぐらいがいい?」

『そうねぇ・・・3、4曲ぐらいあればいいかな?セレクトは任せるわ!期待してるわね!』

「よし、了解」

 

 それで電話を切ろうとしたところで、肝心なことに気がついた。

 

「あ、そうだ。ケイの寮ってどこ?」

 

 昨日誘われた時には聞くのを忘れてしまった。ホームパーティが開けるということは、恐らく選ばれた者だけが暮らすことができる一戸建て型学生寮だというのは予想できるし、その型の学生寮が点在する区域もあることは知っている。だがそのどこにケイの寮があるのかは当然分かるはずもない。

 それにはケイも今気づいたようで、少しだけ『う~ん』と唸ってからやがて答えた。

 

『じゃあ、6時ぐらいにサンダースの校門で待ち合わせにして、そこから案内するわ』

「ああ、分かった」

『それじゃ、またあとでね!』

 

 電話が切れ、しばしの間スマートフォンを見つめる。

 ケイからは『期待している』と言われたのだし、パーティを楽しみにしている他の人たちをがっかりさせないためにも、いい曲を選んで失敗しないようにしよう。そう思っては英は改めて机から立ち上がり、曲を選ぼうと棚へ向かう。

 だが、その直後に英は気付いてしまった。

 

「・・・・・・俺、チョロくないか・・・?」

 

 ケイに頼まれて悪い気がしなくて引き受けてしまったのだが、それが英自身の言う通り『チョロい』と思えて仕方がない。ケイが戦車隊の隊長と言う上の立場だから逆らえないと無意識に思い込んでしまったのか、それとも本当に英がチョロい性格なのか。できれば前者であってほしいと英は切に願う。

 そして、これで大人数の前でピアノを弾くことが確定してしまった。その事実を思い出して緊張感や恐怖心が今頃になって湧いて出てくる。うっかりすると胃に穴が開きそうだった。

 たった数分で気分がだだ下がりになってしまい泣きそうになるが、泣き言はせめて失敗した後にしようと思い、楽譜を選び始めた。

 

 

 陽がほとんど落ちて空が紺と朱が混じったような色に染まる。そんな空の下で、ケイはサンダース高校の校門へと待ち合わせをしている英を迎えに行くために向かっていた。

 パーティの主催者であるケイ自らが行く必要はないかもしれないのだが、英を誘ったのはケイだし、無茶振りとも取れる急なお願いをしてしまったのだし、せめてものお礼と言うわけでケイが自分から迎えに行っているのだ。今そのパーティをする寮の準備は、ルームメイトのナオミやシンディたちに任せている。

 とはいえ、シンディの部屋でキーボードを見つけて、その場で思いついたアイデアをすぐに英に伝えたのまでは良かったが、急なお願いをして英には申し訳ないことをしたと今は思う。

 何か一つお礼でもしなければと考えながら待ち合わせ場所へと向かう。角を曲がり、大きなサンダースの校舎が見えた。そしてさらに突き当りを曲がれば、校門がすぐそこにある。

 校門の方をよく見てみると、自分と同い年ぐらいの男子が1人佇んでいるのが見えた。だがその人物は英だと、ケイは直感で判断する。

 

「Hey,影輔!」

 

 声をかけると、その人物はケイの方を向いた。やはり、英だったのだ。

 英は薄い水色のシャツにグレーのジャケットを羽織り、薄いブラウンのテーパードパンツを履いている。さらに腕にはいつも見るトートバッグを提げていて、恐らくあの中に楽譜が入っているのだ。

 

「お待たせ」

「いや、ついさっき来たところだ」

 

 持っていたスマートフォンをトートバッグに仕舞いながら英がケイに応える。元々ここには待ち合わせのためだけに集まったので、挨拶もほどほどにして、ケイの案内で寮へと向かうことにする。

 

「ごめんなさい、急なことをお願いしちゃって・・・・・・」

 

 ケイがトートバッグを見ながら謝る。英はトートバッグを提げる手とは逆の手を軽く振って、笑みを浮かべる。だが、その笑みは少し疲れたような笑みだった。

 

「今から不安で仕方ないんだけど、何人ぐらい来るんだ?」

「え?そうねぇ・・・・・・私と、私のルームメイトの友達とか、戦車隊のメンバーとか・・・・・・しめて大体20人ぐらい?」

「20人・・・そりゃまた・・・・・・」

 

 英が予想していた以上の人の多さに、乾いた笑みを浮かべる。英の予想よりも10人ぐらい多くて、ケイたちの交友関係の広さにちょっとばかり驚いた。

 そうなると、英が緊張してしまい曲を間違えてしまう可能性が濃厚となった。

 英の経験したクラスメイト約30人の前で演奏するよりかは幾分かマシだが、それでも緊張することに変わりはない。

 

「・・・まあ、これも一つの経験として頑張るよ」

「あはは、その意気よ?後でお礼もちゃんとするから」

「それは楽しみだ」

 

 それからは持ってきた曲はどんな感じだとか、どんな料理を用意しているとか、どんな人が来るとか、そんな話をしているうちにケイたちの寮へとたどり着いた。

 英はアメリカどころか海外旅行に行ったことすらないので、本物のアメリカの邸宅がどういうものなのかは知らないが、アメリカの映画で見るようなデザインの寮だった。そして日本の標準的な住宅よりも少し大きめである。

 

「ハァイ、お待たせ!」

 

 ケイが戻って来たのを見ると、ルームメイトのナオミやシンディたちが『お帰り』とケイに告げた。そして、カジュアルな私服を着た、明るく短い茶髪の男子と薄い金髪のポニーテールの女子が顔を出してきた。

 

「待ってたわよ、ケイ!」

「来てみたらいなかったんでびっくりしたよ」

「ソーリー!彼を迎えに行っててね」

 

 2人と話をしながら、ケイが英の方を振り返る。2人の男女は英を見るが、怪訝な顔をする。ホームパーティに参加したことはこれが初めてだし、英もその2人には会ったことがないので知らないのは当然だ。

 

「彼は同じ3年の影輔。私の新しい友達よ」

「よろしく」

 

 ケイに紹介されて、英も頭を下げる。その紹介があったからか、2人の男女はパッと表情を明るくし、英に手を差し出してくる。

 

「初めましてだな。僕はオリバーだ」

「私はシャロン。よろしくね、影輔」

「ああ、よろしく」

 

 オリバーと名乗った男子(苗字の折原(おりはら)をもじってケイが名付けた)と、シャロンと名乗った女子(苗字の代谷(しろや)をもじってケイが名付けた)と握手で挨拶を交わす。いきなりファーストネームで呼び合うほどフレンドリーだったが、ケイの例があったのでもはや動じはしない。

 さて、初めて一戸建て型寮に上がるが、アパートメント型寮に住む英からすれば羨ましいぐらい広い。お洒落なシーリングファンや、リビングの大きなソファーなど、英の部屋には設置するほどの広さがない。

 

「ヘイ、影輔」

 

 そこで英が声をかけられた。その主はナオミ。傍にはアリサもいた。しれっと名前で呼ばれたのだが、彼女も本当は気さくなのかもしれないな、と思いながら英は片手を挙げて挨拶をする。

 

「こんばんは、2人とも」

「初めてこの型の寮に上がったって感じだな」

 

 どうやら物珍しくて中をキョロキョロ見ていたことに気付かれていたらしい。ナオミに指摘されて、英は照れ臭そうに笑う。

 

「ああ、本当に広いな」

「まあ、私も最初に上がった時は驚いたけどね」

 

 アリサが用意してきたジュースのペットボトル(コーラのLサイズが多い)をテーブルに並べながら、英に同調する。アリサもアパートメント型の寮で暮らしているらしかった。

 

「・・・・・・影輔が来たってことは、あれは君の役目か」

「あれって?」

「あれよ」

 

 ナオミとアリサが指差した場所には、既にピアノ・キーボードが用意されていた。

 それを見た瞬間に、左腕に提げていたトートバッグが重く感じられてしまう。本当に20人近くいる人の前で演奏するのだと思うと、冷や汗が垂れてきそうだ。

 

「ケイが絶賛したピアノ、楽しみにしてるよ」

「失敗しないことね」

 

 ナオミとアリサから肩を叩かれ、余計にハードルが上がってしまう。

 心の中で英は『助けて・・・・・・』とだけ呟いた。

 そんな英の緊張などお構いなしに、招かれた客たちが続々とやってくる。ケイの言った通り、ケイやルームメイトの友人たちや、戦車隊のメンバーも到着した。各々花や料理など場を盛り上げるためのものを持ってきていて、呼ばれた者たちも全力でパーティを楽しむつもりなのが見るだけで分かる。

 改めて見ると、純粋な黒髪の人物が少ない(英自身も赤みがかった黒髪だ)。大体が茶髪や金髪、色素の薄い黒髪などで、果たしてここは本当に日本国籍の学園艦なのかと錯覚してしまいそうになる。その中には部屋の中でも戦車帽を被る少女もいて、まったくもって不思議でならなかった。

 呼ばれてきた客も、ただパーティが始まるのを待つだけではなくて、ちゃんと準備を手伝っていた。料理を並べるのを手伝ったり、バーベキューグリルの準備をしたりと甲斐甲斐しく動く。もちろん英も突っ立っているだけではなく、キッチンからテーブルへと料理を運ぶのを手伝った。この準備全てをケイが仕切っていて、彼女のリーダーシップ能力を垣間見た気がする。

 やがて全ての準備が整って、いよいよ乾杯に入る。それぞれがグラスにジュース(ほとんどが炭酸飲料)を注いで手に持ち、ケイが皆の前に立つ。

 

「みんなー、飲み物持ったー?」

 

 ケイが聞くと、全員が頷く。それぞれが知り合いの近くにいたので、英はとりあえずナオミの近くにいることにした。

 全員が飲み物の準備ができたことを確認し、ケイが音頭をとる。

 

「今日はこのホームパーティに来てくれてありがとう。みんなそれぞれ、戦車道とか部活とかで大変な日々を過ごしてるかもしれないけど、今だけは忘れて、精いっぱいエンジョイしてね!」

 

 あまり長すぎず、硬すぎもしない言葉に、全員が小さく笑う。

 

「それじゃ、カンパーイ!」

『カンパーイ!!』

 

 そしてそれぞれグラスを掲げ、近くにいる人とグラスを軽くぶつける。あちこちから『キン』と軽い音が聞こえて来て、英も近くにいた人とグラスをぶつけ合う。

 一口コーラを飲んだところで、ケイが傍にやってきた。

 

「好きなものいっぱい食べていいからね!」

 

 そう言ってテーブルを指すと、テーブルの上にはピザやフライドチキンバレル、フライドポテトにハンバーガー、ポテトサラダなどの多くの料理が並べられている。外ではローストビーフとステーキも準備しているという。

 だがそれら全ての量は多くて、ここもアメリカンな感じがした。それと、栄養素を気にしないと寿命が縮まりそうなレベルで料理のジャンルが偏っている。しかし何も食べないでいると夜に空腹感に襲われるので、サラダとピザを少しずつつまんでいくことにする。

 

「演奏、7時半ぐらいからお願いしてもいい?」

 

 皆がワイワイと楽しみながら食べている途中で、ケイが英に話しかけてきた。つまり演奏する時間は今からおよそ30分後ということになる。

 

「・・・・・・分かった」

「OK!じゃ、それまで楽しんでね!」

 

 最後の背中を軽く叩いて、ケイは別の誰かと談笑する。

 その後、演奏をする時間までの間に分かったことだが、このパーティに招かれた人は全員と言っていいほどフレンドリーだった。英が1人寂しく食事を続けるということはなく、男女問わず誰かが大体話しかけてきてくれる。しかも初対面であるはずなのに、気さくに話しかけてきてくれた。

 『類は友を呼ぶ』ということわざの通りかどうかは知らないが、ケイが主催したから似たような性格の人が集まったのかもしれない。

 

「航空科って結構大変だろ?訓練とか資格とか」

「まあねぇ。でも将来は、パイロットになってやるんだ。あのでっかい飛行機を操縦するのなんてワクワクするだろ?」

「あー、確かにそうだな。ああいうでっかいのってロマンがあるよなぁ」

 

 そしてそんな人たちと話しているからか、英はこれからのピアノに対する緊張感も忘れて、初対面の人との会話に花を咲かせる。こうして明るい性格の人と話していると、どうしてだか英自身も楽しくなってくるのだ。

 少し前までは、自分は同年代の男子の中でも比較的落ち着いている方かもしれないと思っていたが、いつの間にかこうなっていたのか。

 それは果たして、時間による成長か、それともケイと出会ったことでほだされたのか。それは考えても意味は無いなと結論付けて疑問を頭の外に放り投げて会話に興じる。

 そしてあっという間に、約束の時間になってしまった。

 

「じゃあ、影輔。そろそろお願い」

「・・・・・・よし」

 

 その数分ほど前に、ケイが英に話しかけて合図を送る。それで英も、一番最初に出会ったオリバーとの話を申し訳なさそうに切って、荷物置き場に置いてあった自分のトートバッグを回収して中の楽譜を確認し、キーボードの近くへと移動する。

 

「みんなー!ちょっといいー?」

 

 ケイがパーティを楽しんでいた皆に声をかけると、全員が静かになってケイの方へと注目する。

 

「今日は私の友達に頼んで、ちょっとしたイベントを用意してもらったの」

「イベント?」

「そ。彼のピアノはすっごい上手で、とっても楽しくなれるから、皆にも楽しんでもらいたいと思って、生演奏を頼んでみたわ!」

 

 皆が『おお~』と声を上げる。一方でシンディのサポートを受けてキーボードの準備を進めている英は、『ハードルを上げてくれやがったな・・・』と小さく呟いた。

 

「準備OK?」

「今終わった」

 

 ケイが聞いてきたので英は答える。持ち主であるシンディから見ても準備が整っていることを確認すると、シンディもケイに向けてサムズアップする。

 

「それじゃあ、お願いね!」

 

 ケイが英にバトンタッチする。それで必然的に、皆の視線が英に移る。シンディも小さく『頑張ってね~』と言って肩をポンポン叩きながら観客側へと移動した。

 これで皆の前に残ったのは英と物言わぬキーボードのみ。押し寄せる緊張感と不安の波に心が押し流されそうだが、もうここまで来ては後戻りなどできない。ここで辞退するなど、それこそ演奏中にミスをするよりも、穴があったら入りたいぐらい恥辱的だ。

 キーボードの前に並んで様子を窺う人の中には、比較的仲の良いナオミとアリサ、最初に挨拶をしたオリバーとシャロン、他少しだけ言葉を交わした人が何人かいる。

 そして、一番目に付くところにはケイがいた。

 ケイが胸の前で小さく親指を立てて、笑っている。

 その笑みを見ると、なぜか緊張感や不安が和らいだような感じがした。

それで英も、『やるしかない』腹をくくって、まずはお辞儀をする。そこで皆から軽く拍手をもらい(この時点で恥ずかしい)、キーボードベンチに腰掛ける。

 

「・・・・・・ふぅ」

 

 楽譜をスタンドに置いて、息を少しだけ吐き、鍵盤に手を置く。鍵盤の配置は当然ながらいつも弾くピアノと同じだが、キーボードとグランドピアノでは鍵盤を叩く感覚が違う。具体的には、グランドピアノの方が重く、キーボードは軽いのだ。それで演奏に支障が出るわけではないが、それだけは留意しておく。

 持ってきた曲は3曲。曲を弾く順番はあらかじめて決めていたが、いきなり弾き始めるのも何だか変だと思い、キーボードの試奏も兼ねて1つ余興を入れることにした。

 鍵盤を叩き、音を鳴らしてく。ピアノを聴く皆の方から小さく『おお』と声が上がる。

 弾いている曲はゲームのBGMである。だが、ケイが聞いて大爆笑したあのBGMとは違い、それと同じシリーズだが別のゲームのBGMだ。ゲームに本物のオーケストラを起用したのと、BGM自体のカッコよさ、壮大さがプレイヤーの間では話題になったものだ。

 英もこのゲームをプレイしてこのBGMを聴いた時、カッコいいと率直に思って楽譜を取り寄せ覚えたのだ。これが今この場にいる皆が楽しんでもらえるかは分からないが、余興にはいいと思って弾いている。

 この曲はちゃんと終わりの部分が決まっていて、最後の小節まではミスをすること無く無事に弾き終えることができた。

 

「エクセレント!」

 

 ケイが、出会ってから最初に弾いた曲を聴いた後のようにそう告げて拍手をする。他の皆もケイと同じように、頷きながら笑って拍手をしてくれた。それが決して『下手だったけど一応拍手ぐらいはしておこう』と言うわけではないのが分かる。

 掴みはばっちりだったようで、英は一礼して、そろそろ本番に移る事にした。余興を1曲弾いたことで緊張感が薄れ、またキーボードで弾く感覚も大体分かった。

 英が鍵盤に指を再び置くと、自然と拍手が収まって聴く態勢に入る。どうやら、真剣に聴いてくれるみたいだ。それで英も絶対成功させようという元々の決意がより固くなって、楽譜と鍵盤を見据えて指を動かし鍵盤を叩き始める。

 

 それから、持ってきた3曲を連続で弾いた。

 最初の曲は、静かに盛り上がる曲で、サビよりも後奏が盛り上がる曲。曲全体のイメージは、『新しい地に来て、目まぐるしい日常に忙殺される日々を過ごしていても、自分を見失わず今を懸命に生きている』と言った感じで歌詞のフレーズが気に入っている曲だ。

 

 次の曲は、ケイから頼まれたようなしっとりとしたバラードではないが、それでも英の好む曲の中では落ち着いた感じの曲。『長い月夜が過ぎて朝日が昇る中を仲間たちと歩いて、夢を語り合う』と言うシーンをイメージしている曲だ。さわやかな印象が持てたので、この曲も好きだった。

 

 最後の曲は、アップテンポで疾走感のある曲である。それゆえにリズムが前2曲と比べると早く、音符も多いがそれも一興だ。『子供から大人へと成長していく中で忘れてしまった大切なことは、ふとした瞬間に思い出すと自分にとっての世界を広げる』というメッセージ性が籠められた曲である。

 

 このホームパーティで弾くこれらの曲は、ケイの言った通り『みんなが楽しめる曲』を選んだつもりだった。曲のイメージは前向きなものだし、曲調も悲しげではないと思う。

 その3曲全てを英は集中して演奏する。ピアノを弾いている間だけは緊張感も不安も忘れることができた。ミスを犯すことも無かった。

 そしてピアノを弾いている間、聴いている人の誰もが声を発さない。息を吐く音さえも聞こえない。物音の1つも聞こえない。それだけ英の曲に集中していたのが、弾いていても分かった。

 最後の曲を弾き終えて、英が小さく息を吐きながら鍵盤から指を離した瞬間。

 

「パーフェクトだ!!」

「すっごーい!」

「初めて聴いた!」

 

 曲を聴いていた皆が笑みを浮かべて大きな拍手をし、口々に賞賛の声を英にかけてくれた。中には指笛を鳴らす人までいて、パーティが始まってから一番の盛り上がりを見せていた。

 英は椅子から立ち上がってお辞儀をして、『ありがとう』と何度も告げる。事前の打ち合わせ通りこれでピアノはこれで終わりであり、またパーティに戻ることになる。

 だが、当然とも言えるような流れで英には多くの人が話しかけてきた。

 

「すっごいピアノ上手いんだな!びっくりしたよ!」

「ケイが認めただけはあるわね」

「あー、こんな逸材に気付けなかったとは・・・!」

 

 少しの間だけ、曲を聴いていた皆と話をして、やっと落ち着いたところでコーラを一杯グラスに注いで飲む。シュワシュワした感覚が口の中で弾け、少し落ち着いた。

 

「お疲れ」

 

 そんな英に声をかけてきたのはナオミだった。コーラの入ったグラスを英に向けて小さく掲げていたので、英もそのグラスに自分のグラスをこつんとぶつける。先ほどまでナオミの傍にいたアリサは、戦車帽を被った少女とベランダの外の庭へと移動していたようだ。

 

「ケイの言った通りだ。本当に上手いんだな」

「・・・・・・そう言ってもらえてよかったよ。不安で仕方がなかった」

 

 失敗するかどうかが不安だったというのもあるし、自分のピアノをケイは『上手』と言ってくれたが他の人から聞くとどうなんだろうという不安もあった。ケイを疑うわけではないが、こうして他の人からも率直な感想を聞けて英は嬉しくもあった。

 

「ピアノを頼まれたのは今日の昼前で、急なことだからどうなることかと思ったけど、何とかなった」

「あまり緊張してるようには見えなかったが・・・」

「そう見えて心の中では緊張してたんだよ」

 

 英が言うと、ナオミがふっと笑う。ナオミは確か、サンダースどころか国内でも屈指の腕前を誇る砲手だから、胆力も自分なんかとは比べ物にはならないんだろうと英は思う。緊張とは無縁のようだ。

 

「ああ、ところで」

「?」

 

 そこで英は一つ気になったことがあった。

 

「今、ケイから1曲頼まれてるんだけど、その曲がナオミに勧められた曲って言っててね」

「・・・ああ、あの曲か。それが?」

 

 ナオミはすぐに、ケイに勧めた曲が何なのかに気付いたらしい。それで少し気になったことが英はあったので、聞いてみる。

 

「ナオミってラブソングとか聴くんだな。結構意外だ」

 

 そこでナオミは、別に恥じらったりも動きを止めたりもせず、『ああ』と小さく言ってから続けた。

 

「私も普段はロックとかジャズとかを聴くけど、たまにああいう曲が聴きたくなることもある」

「あー、それは分かる気がする」

 

 英はピアノを弾くのが好きだが、音楽を聴くこと自体が好きでもある。そして明るめの曲を弾いたり聴いたりするのを好んでいるが、ナオミの言う通りたまに落ち着いた雰囲気の曲を聴きたくなることもある。だからナオミの気持ちはよく分かった。

 

「影輔は、ジャズとかをよく弾くのか?」

「ん、ああ。ジャズも弾くことがあるし・・・と言うよりもジャンルはあまり問わない。明るめの曲が好きだからな」

 

 そんな感じで英とナオミが話をしていると、庭の方からケイが顔を出しているのに気付いた。

 

「みんなー!お肉がいい感じに焼けたから食べましょー!」

 

 ケイの掛け声に、室内で食事を楽しんでいた人たちが『YEAH!』と声を上げてベランダへと向かう。もしかしたらアリサたちはこれを予見して、先に庭の方へと向かったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、英はベランダへと向かう。ナオミが別の友達に呼ばれたので、英はナオミと一旦別れてから、手を振っているケイの方へと歩いて行った。

 

 

 その後はまた楽しくパーティの時間が流れていった。ザックと言う少年が持ってきた肉のステーキが美味かったり、コーラの一気飲みに挑戦した猛者が現れたり、ポッキーゲームを始めるカップルがいたりと、パーティを思いっきり楽しんだ。

 その中で、オリバーが英のピアノがまた聴きたいと言い出し、他の人がそれに乗っかって全員でアンコールを要求してきた。それで結局英は、暗譜している短めの曲をいくつか弾いて、再び場を盛り上げることができた。

 そしてそんな楽しいホームパーティは8時半過ぎ頃にお開きとなる。多めに用意されていた料理も残らず平らげられていて、残り物など1つとしてなかった。

 そして、パーティに来ていた客人たちは、主催したケイと、パーティの最中でピアノを演奏した英にお礼を告げて、それぞれ帰って行く。

 ケイたちと親交のあるアリサ、バーベキューグリルを使ったザック、そして英は残って片づけを手伝っていた。

 

「ごめんね、手伝わせちゃって」

「いや、ただ楽しんだだけで帰るっていうのもなんか後味悪いし」

 

 皿を片付けている英に、飲みかけのジュースのペットボトルを抱えたケイが話しかける。まとめて冷蔵庫に入れる気らしい。

 そこでアリサが、パーティで発生したゴミを纏めると、そのゴミを持ったまま帰って行った。帰りがけにゴミステーションに捨てていくらしい。それとほぼ同じ時間に、庭でグリルの後始末をしていたザックも作業を終えて、帰宅する。その間際に、英と握手を交わして『また会えたら会おう』と約束をしてくれた。

 英が空の皿をキッチンに運ぶと、皿洗いをしていたシンディとナオミが笑いかけてきた。

 

「もう大丈夫だ。後は私たちでやる」

「そうか、ならそろそろお暇するかな」

「うん、サンキューね。それじゃまた~」

 

 シンディが手を振り、英も手を振り返して荷物を回収し、玄関へと向かう。

 そして玄関を出ようとしたところで、ケイに呼び止められた。

 

「今日は本当にありがとね。影輔のピアノのおかげで、皆盛り上がってたし」

「ああ、あれは本当に緊張した」

「でも、皆影輔のピアノが上手だったって言ってたわよ」

「それは良いんだ。ただ、結構疲れた・・・・・・」

 

 実はケイは、先ほどのパーティの時に思った事が一つあった。

 それは英のピアノの演奏が終わった少し後、ザックが持ってきた肉がいい感じに焼けてきて、『そろそろ食べごろだし、皆を呼ぼう』とザックがケイに告げ、中にいる皆に声をかけようとした時だ。

 ケイはベランダから部屋の中を覗き込んだところで、英とナオミが何らかの話をしているのに気付いた。

 何の話をしているのかはケイのいる場所からは聞こえなかったが、2人は楽しそうに話をしているというのだけは分かる。

 そしてそのさまを見ていると、なぜかケイの中でモヤッとした感情が芽生える。

 

(・・・・・・なに、この気持ち・・・?)

 

 だが自分の気持ちに対して自問自答する前に、英がこちらに気付いたようで、視線がぶつかったような気がした。そこで、ザックの持ってきた肉が焼けたのを皆に知らせるというそもそもの目的を思い出して、皆に声を掛けたのだ。

 しかし、今こうして英と普通に会話をしていると、あの時抱いていたモヤッとした感じの気持ちがちっとも湧いてこない。

 むしろ、英と話をしているだけで、どうしてか心が温かくなるような、先ほどとは全く逆の感じがした。

 

「でも・・・今日はこのパーティで参加できてよかった」

「え?」

 

 不意に英が話しかけてきたので、ケイは思わず聞き返してしまう。だがそれでも英は気を悪くしたりなどせずにケイを見ていた。

 

「楽しく他の人と話せたり、自分のピアノで皆を楽しませることができたりして・・・」

「・・・・・・・・・」

「だから今日、ケイが誘ってくれて本当によかった」

「・・・・・・・・・」

 

「ありがとう、ケイ」

 

 いつかと同じように、英は笑ってそう言ってくれた。

 その時ケイの中に、ふわっと、何か温かい、抱いたことのない感情が芽生えたような気がした。

 それと同時に、英のことがなぜだか愛しく思えてくる。

 

「・・・・・・あ、そう言えば影輔」

「ん?」

 

 ケイは、平静を装って英に声をかける。英は帰ろうとしてドアノブに手をかけていたところで、ケイに呼び止められて動きを止めている。

 

 

 そんな英の頬に、ケイはそっとキスをした。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・ぇ」

「今日のピアノの、お礼よ♪」

 

 いたずらっぽく笑うケイを見て、英は言葉を失い、たった今ケイからされた行動を思い出して、頭の中が真っ白になってしまった。

 

「それじゃあ、また明日ね。グッナイ」

 

 ケイが手を振ると、英も脳が最低限の活動を取り戻して、『・・・・・・ああ』とだけ答えてケイの寮を後にする。

 外へ出て空を見上げれば、海を航行する学園艦の特権とも言える満天の星空が広がっている。そして秋の夜特有の冷たい空気が英の身体に纏わりつくようだった。

 だが、それでも英は身体が火照ってしまっているような感じがしてならない。具体的には、自分の左の頬の部分が熱くて仕方がない。もっと言えば、顔全体が熱くなってきてしまった。

 分かってたはずなのに、ケイがああいうことを平然とすることができる性格だというのは分かっていたはずなのに、自分がどうしてここまで。顔が熱くなるぐらい恥ずかしくなってしまうのかが分からなかった。

 その顔の熱気を逃がすかのように、英は気持ち早歩きで自分の寮へと向かって行った。

 

 

 英が去った後、ケイはしばしの間玄関に立ち尽くしていた。

 そして、先ほど自分が英に対してした行動を思い出して、猛烈に恥ずかしくなってきた。

 あの、頬へのキスは、普段のケイからすれば軽い挨拶やお礼のつもりですることが多かった。同性異性を問わず、本当に軽い気持ちで、何度か交わしていた。アリサからは『そう言うことは気安くするもんじゃない』と何度も言われていたが、フレンドリーなケイからすればそこまで深い意味は持たない行為だった。

 

「~~~~~~・・・・・・!」

 

 だが、先ほどの英に対するものだけは、『深い意味はない』とは自分でも言い切れなかった。

 だって、相手に対して愛おしさを覚えることなんて今まで無くて、その愛おしさが抑えられずにあんなことをしたのだって、初めてだったのだ。

 自分の抱いたことのない、そして今自分の中で芽生え始めた感情が何なのか、ケイは掴みかけていた。

 

「ケイ?」

「ホアッツ!?」

 

 そこで突然背後から声をかけられて、思いっきり声を上げてしまう。そして振り返ってみれば、ナオミが立っていた。だが、ケイが予想以上に驚いていたのか、珍しく冷や汗を垂らして動揺しているように見える。

 

「な、なに・・・・・・?」

「いや・・・姿が見えなかったから探してただけだけど・・・」

「そ、そう。ソーリー、すぐ戻るわね」

「ああ・・・・・・」

 

 ナオミがキッチンの方へと戻っていく。ケイは、頬をパシパシと軽く叩いてリビングへと戻る。少しパーティで汚れてしまったかもしれないので、掃除機をかけるのだ。

 だが、その前にケイは立ち止まって、自分の胸に手を置く。

 

「私――――――」

 

 




筆者は海外渡航経験が無いので、
アメリカっぽいホームパーティの様子は想像です。

また作中のゲームのBGMは、
紫のコインを集めるステージのBGMのつもりです。


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