愛する旋律   作:プロッター

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今回も少し長めですが、
予めご了承ください。
そして、よろしくお願いします。


抱いたことのない

 ケイのホームパーティから一夜明けた翌日、英は大人しく学校に通っていた。昨日のパーティでいくら印象的な出来事が起こったとしても、悪い素行とは無縁で人並みに真面目な英は学校をサボったりなどしない。普段よりも、授業にはあまり身が入らなかったが。

 その日の英の昼食は、休日を挟んでおよそ3日ぶりに山河と一緒だった。今日は授業が長引いたりせず出遅れることも無かったので、いつものように2人掛けのテーブルに向かい合って座っている。英はコロッケ定食、山河は豚丼だ。

 

「今日はクイズ研の方はいいのか?」

「うん、部長が休みみたいで」

 

 どの部活にも所属していない英と違って、山河はクイズ研究部という部活動に所属している。

 クイズ研究部、通称『クイズ研』は、クイズ好きが集まった部活動である。日々の活動は専ら知識を蓄えるための勉強や部内でのクイズ大会と、他から見れば異質と言える。

 しかし、学内新聞に掲載されている脳を鍛えるトレーニング問題や、クロスワードパズルなどはこのクイズ研が作成したものである。また、テレビで放送されている学生クイズ大会にも何度も出場しているなど、意外と本格的だった。

 

「サンダースフェスタ、もうすぐだろ?」

「だから部長から『なんかいいアイデア出せ』って言われてるんだよね・・・・・・」

 

 英の言う『サンダースフェスタ』とは、言ってしまえば文化祭だ。学校全体が一丸となって行われるこのサンダース大学付属高校の一大イベントであり、この学校自体の規模が大きいために訪問者数はかなりの数を誇り、多彩なイベントを開催することも人気だった。

 そんなサンダースフェスタでの恒例とも言えるイベントは、サンダース戦車隊のシャーマン50輌による総合演習だ。流動的な隊形変化やインパクトのある砲撃演習、模擬戦を行うこの総合演習は、サンダースが多くの戦車と広大な敷地を持っているからこそできる芸当である。こうした大規模な演習を、文化祭という一般公開されている場で行うことは他の学校でも滅多にない。そんな、普段お目にかかれない戦車道の大規模演習ということで、例年人気が高いイベントである。

 そして、山河の所属するクイズ研は、自分たちが主体となって毎年大ホールでクイズ大会を開催している。たかがクイズ大会と思うかもしれないが、サンダースのクイズ研は学生が出場するクイズ番組にもたびたび登場しているしので知名度が高い。加えて、演出やセット、問題型式が毎年本格的で、飛び入り参加が可能なのが話題になっている。さらに回答者には教師陣、戦車隊隊長、OBやOGの他にゲストを招くなど、色々と凝っているところも人気だった。

 そのクイズ研の部長は、どうやら今年のサンダースフェスタでのクイズ大会で、何かひとつ面白いクイズをやりたいと思っているらしい。だが、そのアイデアが浮かばず、山河をはじめとする部員たちも各々知恵を絞ってアイデアを捻りだそうとしているのだ。

 

「あー、なんかないもんかなぁ・・・・・・」

「ま、今は飯でも食ってリラックスするんだな。アイデアなんて自然と浮かんでくる」

 

 山河を元気づけるように英はそう言って、コロッケを齧る。渋々山河も豚丼を食べ始める。

 

「・・・・・・あ、ところでさ」

「ん?」

 

 緑茶を飲んで一息ついた山河が何かを聞こうとした。英はキャベツをつまもうと割り箸を伸ばして。

 

「ケイさんとは最近どうなの?」

 

 割り箸を机に落としてしまった。

 それが動揺しているからなのは、山河の目から見れば明らかだった。しかし、山河としては大事な何かを聞いたつもりは微塵も無い。だから、なぜこの程度のちょっとした質問で英が平静を乱したのかは分からなかった。

 

「どうかした?」

「・・・・・・いや、何でもない」

 

 英は、ケイの名を出された直後に、昨日のことを思い出したのだ。より具体的には、昨日のホームパーティで帰る直前にされたことを。

 だが、そのことを思い出すと顔が熱くなってしまうので、その考えを振り払うように頭を振って水を飲む。それで気を紛らわせて、山河の質問に返す。

 

「それより、“どう”ってなんだよ」

「いや・・・この前みたいにピアノを聴いてる感じ?」

「・・・そうだな。最初に会った日から、毎日来てる」

 

 一昨日のちょっとしたイレギュラーで音楽用品店に行ったのと、昨日のホームパーティについては言わないでおいた。山河に限ってそれは無いと思うが、自慢話と思われて嫌な印象を植え付けたくはなかった。

 そして何より、英が昨日以来ケイのことを考えると、どうしても顔が熱くなってしまって考えがまとまらなくなってしまうのだ。だから、今だけはそのことを考えないようにした。

 

「毎日来てるんだ・・・。じゃあ、今日も来るの?」

 

 山河が興味ありげに聞いてくる。だが英は、首を横に振った。

 

「いや、今日はクリスから頼まれた曲を録音するのと、集中して練習したい曲があるから・・・」

「・・・・・・へぇ」

「だからその曲が完成するまでは・・・呼ばない」

 

 その集中して練習したい曲というのが、ケイのために弾くと言った、彼女のお気に入りのあのラブソングだ。

 イメージトレーニングをしていて思ったが、挑戦したことのないジャンルだったので、クリスから頼まれた曲のように数回練習しただけでクリアするとは到底思えない。だからこの曲は、実際のピアノで何度か練習を重ねないと無理だと判断した。

 さらに、自分から弾くと言い出したのと、あのケイのお気に入りの曲というわけだから下手な出来にすることも許されない(ケイだけの話ではないが)。そう思って、英は1人で集中して練習することに決めたのだ。

 その旨を昨日の夜、ホームパーティから帰った後でケイにメールで伝えると。

 

『Oh・・・それじゃ仕方ないわね。

 完成するのを待ってるわ!XD』

 

 と、同じくメールで返してくれた。英の少々勝手かもしれない意見具申にも特に気分を害してはいないようだったので、ひとまずは安心した。

 だが同時に、英は申し訳ないことをしたと思っている。

 あのホームパーティから帰ってから、英はケイのことを考えると猛烈に顔が熱くなって、恥ずかしくなってしまうのだ。

 考えるだけでこれなのだから、実際にケイと会って自分がどうなるのかは想像がつかない。そしてそれを恐れて、練習を建前にしているつもりはないが、英はケイを遠ざけるような真似をしてしまった。

 

「・・・・・・・・・」

 

 山河が何か言いたげな表情で英の事を見ているのに気付く。『なんだよ』と英が促すと。

 

「いやぁ、ケイさんが可哀想だなぁって思ってね」

 

 コロッケを齧ろうとしたところでそれを止めて、改めて山河の顔を見る。山河はふざけているようにも、茶化しているようにも見えず、至極真面目な表情をしていた。

 無視することなどできようもなく、問い返す。

 

「・・・どうして」

「だって、ケイさんは英のピアノを気に入ってるんでしょ?毎日聴きに来てるぐらいなんだし」

「・・・・・・・・・」

「だから今日、英がいるのにそれが聴けないのが、可哀想だなあってこと」

 

 そうだ。最初にケイが英の傍でピアノを聴いた時、ケイは『気に入った』と言ってくれた。そして英がピアノを弾く日は毎日来て、英の傍でピアノを聴いていた。

 音楽用品店に行った日には、不測の事態で音楽室が使えずピアノも弾けないと知った時、ケイは僅かではあるが暗い顔を見せた。その本当に残念そうな、辛そうな表情を英は覚えている。

 そして今日からは、事前に伝えてあることが違いとはいえ、英のピアノを聴きたいというケイの期待に沿えない形となる。それが可哀想だと、山河は言ったのだ。

 山河の言葉で今さらながら気付き、英の心の奥底から罪悪感が湧き上がってくる。いや、ケイを遠ざけるような真似をしたと自分で気付いた時点で罪悪感は覚えていたのだが、それが一層強くなった。

 

「・・・ああ、そうだな。なるべく早く完成させられるようにするよ」

「それがいいと思うね」

 

 元よりそのつもりだったが、その決意はより強固なものとなった。自然と、英の割り箸を握る手に力がこもる。

 

「・・・・・・そう言えば、今日はケイさん見ないね」

 

 山河が入口の方を見ながら呟く。確かに、今日はケイの姿を見ていないし、ケイが来た時特有の黄色い歓声もまだ聞いていない。

 

「・・・他の食堂に行ったんじゃないか?何かの用事とか、誰かと約束してたとか」

「まー、だろうね」

 

 英は昨日のホームパーティで、ケイの交友関係の広さを改めて思い知った。だから恐らく、他の棟にもケイにとっての親友と言うべき人がいるのだろうし、その人と前もって約束をして、別の食堂で食事を摂っているのかもしれない。

 ケイのことを思うと、どうしても遠ざけたことに対する罪悪感を思い出してしまう。

 同時に、昨日のことも思い出してしまって、顔を抑えて声を上げたくなる。だがここは食堂なのでそんなことをしたら一気に変人に成り下がってしまう。

 水をまた飲んで、コロッケを乱暴に口に放り込んで恥ずかしさを振り払った。

 

 

 終業のベルが学校に鳴り響き、ホームルームの終わったクラスの生徒たちは教室を出て、それぞれの予定に向けて行動を始める。

 ナオミもまた、周りの生徒と同じように荷物を纏めると、教室を出てこの後の予定を思案する。

 ここ最近では、ケイはホームルームが終わるとすぐに『ハイランダー』棟へと向かっている。それはこの前昼食の席で一緒になった英のピアノを聴くためだということは、既に分かっていた。だから、ナオミの中の『ケイはどこへ行ったのか』という疑問は既に晴れている。

 今日も恐らく、ケイはそうするのだろうし、アリサを誘って帰ろうか、と思って早速アリサの教室へと歩を進めようとしたところで。

 

「Hey,ナオミ!」

「?」

 

 聞き慣れた明るい声で名前を呼ばれて振り返る。そこにいたのは、紛れもなくケイだった。ピアノを聴きに行っているはずだが、なぜここにいるのだろうか。

 

「・・・影輔の所に行ったんじゃなかったのか」

 

 だから思わずそう問いかけると、ケイは少し困ったような笑みを浮かべて頭を掻く。

 

「それが影輔、今日は録音があって・・・。それと、少しの間1人で集中して練習したいって言ったから。だから仕方なく、帰ろうかなって。ナオミは今から帰るとこ?」

「ああ、丁度ね」

「なら一緒に帰りましょ?」

「分かった」

 

 思わぬ事態になったがナオミにとっては困ることなどはなかったので、ケイと一緒に帰ることにする。そしてアリサだが、彼女も別の用事があるようで誘うのは無理だった。少し愛想の無いところが目立つアリサだが、彼女も彼女でそれなりに交友関係が広いのだ。

 校門を抜けて、太陽が照らす晴れた空の下を2人は並んで歩く。その間、ケイはナオミに話しかけてきた。

 

「少し寄り道していこっか。あ、そう言えば74アイスクリームにニューフレーバーが登場したんだって」

「・・・・・・・・・」

「ナオミはどこ行きたいとかリクエストある?今日は時間あるし付き合ってあげるわよ!」

「・・・なあ、ケイ」

「何?」

 

 気さくに話しかけるケイの言葉を聞いた上で、ナオミはあえてケイに話しかける。ケイは歩きながら首をかしげてナオミの方を見て、そんな彼女に対してナオミは。

 

「・・・大丈夫か?」

「え、何が?」

 

 何の脈絡もなくケイの身を案じるナオミの質問に、逆にケイが聞き返す。

 

「今のケイは・・・無理してるようにしか見えないけど」

「・・・・・・え」

 

 ナオミが足を止める。それでケイも、少しナオミの前を行ったところで立ち止まって、ナオミの方を振り返る。

 

「ケイと知り合ってから大分経つから、ケイの小さな変化にも気付くことができるようになった」

「・・・・・・」

「多分今、ケイは普段通りに振る舞ってるつもりなのかもしれない。けど私には、そうは見えない」

「どうして・・・・・・?」

 

 ケイがそう聞くのは、ナオミの言っていることが図星だと言っているも同然だった。サンダースに入学して以来の親友だから隠すことも難しい、と早々に判断した結果である。

 

「いつもみたいな、ケイ本来の性格による素の明るさじゃなくて、無理に作ってる明るさなんだと私は感じてる」

「・・・・・・」

 

 サンダースの生徒たちが、2人の脇を通り過ぎてこそこそと何かを話している。お互いにサンダースでは名の知れた有名人なのだから仕方ないのかもしれないが、今の2人に聞こえているのはお互いの呼吸と言葉だけだった。

 

「多分だけど、ケイには心待ちにしていた“何か”があった。けどその“何か”が無くなって、その代わりになるような楽しいことを、今は必死になって探しているんじゃないかって、私は思う」

「・・・・・・」

「それが、無理をしているんじゃないか、ってことさ」

 

 ナオミにそう言われて、ケイは小さく息を吐きながら笑う。全てその通りだ、と顔で表現していた。

 

「・・・・・・確かに、ナオミの言う通りよ。確かに今日は、楽しみにしていた“それ”が無くなっちゃったわ」

 

 この時ナオミは、そのケイの楽しみにしていた“何か”の正体には、もう気付いていた。だが、それは今は言及せずにケイの言葉に耳を傾ける。

 

「でもそっか・・・・・・。無理してるように見えちゃってたのね。心配かけてゴメンね」

「いや、それは謝らなくてもいい」

「それでも、ナオミとこうして出かけられるのだって楽しいわ。それに、無くなっちゃった“それ”にばかり気を取られてくよくよするのも私らしくないもの。だから、空元気に見えても私は今を楽しむつもりよ」

 

 そう告げて、ケイは再び歩き出す。

 

「・・・・・・それならいいけど」

 

 ナオミも、ケイの後姿を見てそう呟きながら後に続いた。

 だが、ケイは口ではああ言ったものの、心ではとても困惑している。

 確かにナオミの言う通り、今日は心から楽しみにしていたことが無くなって―――英のピアノが聴けないことが残念だったが、ケイが困惑している理由はもう1つある。

 それは、英から『1人で練習させてほしい』というメールを受け取ったことだ。

 あのメールを受け取る前、つまりホームパーティで、ケイが最後に英に何をしたのかは覚えている。

 それまでは単なる軽い挨拶のつもりで交わしていた頬へのキス。だが、あの時ケイは、英に対して愛おしさを覚えてあの行動をとった。それは、あの時英と話をして、愛おしさを抱いて起こした行動だ。

 だがもしかしたら、英はあれを迷惑と思っているのかもしれない。だから今日、英は今日は『1人で練習したい』と言ったのかもしれなかった。

 それはまるで、ケイのことを遠ざけるかのようなものと思えてしまった。

 

(・・・・・・・・・・・・)

 

 ふと、これがきっかけで英との関係が消えてしまうのではないかと、ネガティブな思考に囚われる。そんな悪い方向に考えるのが自分らしくは無いと分かっていても、なぜかそんな考えが付きまとってくる。

 そして、そんなことを考えると胸が引き裂かれそうになるぐらい、心が痛くなる。

 どうしてここまで、英のことを考えると愛しく思い、その英と離れてしまうと考えると胸が痛むのだろう。

 しかしケイは、自分で自分にそう問いかけてはいるが、その答えである『感情』にはもうほとんど気付いていた。この気持ちを抱くのはその『感情』のせいだとすれば、今の自分がどうしてそう考えてしまうのかについても合点がつく。

 だが、その『感情』は自分の人生でも抱いたことのないものだったから、まだ本当にそうなのだという確証が持てなかった。

 そうと認めたくても認めることができないというジレンマに苛まれているケイではあるが、それでもその不安を顔に出すまいと最大限努めてきた。親友のナオミには隠し切れなかったが、自分が無理をしているように見えた理由の半分だけは伝えた。残りの半分だけはまだ自分でも理解しきれていない気持ちだからいうことも憚られた。

 その相反する気持ちが胸の内で渦巻く中で、ケイはナオミと共に寄り道をしていくために、学園艦の市街地の方へと向かった。

 

 

 同時刻、英は『コマンドス』棟の第3音楽室に併設されている録音室で、クリスから頼まれた曲をあらかじめ用意されているピアノで演奏していた。

 この録音室は要するに録音スタジオであり、専用のブースで歌を歌ったり、楽器を持ち込んで演奏したりして、それを録音して任意の媒体に記録することができる。

 暗譜しなければならないという縛りもしていないので、楽譜を見ながら指先にも意識を向けて鍵盤を叩いていく。前に最短で完成することができたとはいえそれで満足しているわけでもなく、あれからも何度かイメージトレーニングをしたり実際のピアノでの演奏もした。なのでもう、間違いはなく弾くことができる。

 無事に弾き終えて録音が終了する。そして、クリスに渡す媒体(USBメモリー)にしっかりと録音した曲が転送されていて、その曲も間違いがないことを1度聴いて確認すると、良しと頷く。

 これで、クリスからの依頼は無事に完遂することができたわけだ。

 

「ありがとうございました」

「いいのか?」

「はい、無事に終わりました」

 

 立ち会っていた教師にお礼を告げて、録音室と第3音楽室の施錠もして鍵を預けると、英は今度は『ハイランダー』棟の第5音楽室へと向かう。この『コマンドス』棟に来る前に鍵は借りていたので、この前のような先客に使用されるかもという心配は不要だ。

 何事も無く音楽室に着いて鍵を開け、電気を点けると室内が明るく温かみのある色合いの電灯に照らされる。そして他のものには目もくれずにグランドピアノへ向かい、学生鞄とトートバッグをピアノ椅子のそばに置き、その椅子に座る。

 

「・・・・・・よし」

 

 早速、楽譜をトートバッグから取り出してスタンドに開き練習を始める。弾く曲はもちろん、ケイのお気に入りだというあのラブソングだ。楽譜を入手した日以来何度もイメージトレーニングをしているので、大体のミスをする箇所は洗い出せている。

 だからと言ってミスはもうしないというわけではなく、しかもそのミスをする箇所が多いせいで完成するには険しい道となりそうだというのが、今の英の感想だ。

 

(だが、やるしかない・・・・・・)

 

 それでも、例え茨の道を歩むことになろうとも、英は弾くしかない。ケイを遠ざけるような真似をしてまで集中するのだから、何としても完成させなければならなかった。

 決意を新たに、楽譜に従って弾き始める。『ふとしたきっかけで抱いた恋心は、相手を想い続けることで色褪せることはなく、最後には結ばれる』という全体像と、付箋が貼ってある場所には注意して、ということを念頭に置いて。

 まず前奏。ここは静かに始まり、だが哀しさや辛さなどを感じさせないように、音が少し高めだった。

 最初のメロディ(Aメロ)は、前奏とは変わらないリズムだが少し低めの音で弾いていく。ここでの歌詞は、ちょっとしたきっかけで相手と出会い、その時はまだ相手のことをそれほど大切な人とは考えていなかった、という感じだ。

 次のメロディ(Bメロ)は、Aメロよりも少し明るめの曲調に変わる。この場面は、その相手と何度も会うにつれて次第に惹かれていき、自分の中に何らかの感情が芽生えてきたのを感じる、という場面である。

 そしてサビに入り、曲が一番盛り上がる。だが、英の好む曲のように音を強調して鳴らしたり音が上がったりテンポが速くなったりするのではない。曲全体を通して一番盛り上がるというだけで、全体の落ち着いた雰囲気は壊さない、静かに盛り上がるタイプのサビだ。

 この場面で歌詞の方は、遂に自分の抱いた感情が恋だということに気付くのだ。そこから、相手のことを考えない日が無くなって、想いを告げたいと思うようになる、と表現されていた。

 続く2番の曲調は1番と同じで、Aメロ、Bメロ、サビの歌詞の意味も1番とほぼ同じだ。しかしその目線はもう1人の登場人物に変わっている。

 間奏では、サビで盛り上がった曲調を保ったまま、最後のサビに続くメロディ(Cメロ)に入る。そこで曲調が全体を通して一番緩やかで、落ち着いた雰囲気になる。ここでは、お互いに自らの恋心に気付き、そして2人がそれぞれの下へと夜中にも拘らず走り出す、というイメージだ。

 そして最後のサビで遂に、2人は結ばれて夜の海辺を手を繋ぎながら歩き、朝日が2人を照らす中でキスをする・・・という曲だった。

 そして後奏は、そんな2人の明るく幸せに満ちた未来を示すかのように、ゆったりとしたリズムと穏やかな音で締めくくられた。

 

「やべぇな・・・・・・」

 

 だが、どれだけ曲のイメージができていたとしても、ピアノの演奏自体はボロボロだった。テンポがゆっくりなせいでリズムが乱れがちになり、音を外すことも多々あった。最初でこの出来栄えとは、先が思いやられる。

 

「・・・・・・・・・」

 

 そして曲の演奏を終えたところで、英は音楽室がやけに静かなのに気付いた。だが、それはつい最近は毎日来てくれていたケイがいないからだということにも、すぐに気付く。ケイは、曲が終わった後はいつも拍手をして、1曲を弾き終えた英を称えてくれたのだから。

 もしも今、ケイがこの場にいてくれたらどういう言葉をかけてくれるだろう、と英はふと考える。

 

『ドンマイ!次頑張ればいいじゃない!』

 

『まあ、そんなこともあるよね。再チャレンジよ!』

 

『影輔なら絶対できるわ!頑張って!』

 

 なんてことを言ってくれるのだろうか、とぽやんと考える。

 だが、次の瞬間英はピアノを思いっきり五本の指で叩き、『ガンッ!!』と乱暴な低い不協和音が音楽室に鳴り響く。

 

(何バカなこと考えてるんだ、俺は・・・・・・)

 

 自分からケイを遠ざけたにもかかわらず、この場にケイがいたとしたら、などと益体も無いことを考えるとはあまりにもバカバカしい。変にもほどがある。

 少しリフレッシュしようと思い、来る途中の校内の自動販売機で買ったペットボトルのコーラを飲む。炭酸が口の中で弾けて意識が覚醒する。

 何でここまでケイに固執するのかは、未だ英自身には分かっていない。しかしその考え自体に固執していてはいつまでたっても曲は完成しないだろう。

 だから一度、ケイのことをなぜここまで気にしているのかは置いておき、2回目の演奏に入ることにする。

 しかしながら、2回目を弾き終えてもミスの数は大して変わらず、やはりすぐに完成させるのは難しいということを思い知らされた。

 

「・・・・・・・・・はぁ」

 

 鍵盤蓋を閉じて、閉じた蓋に突っ伏す。2回連続でこうもひどい出来となると、ますますもって完成させられるかどうかが不安になってきた。

 だが、自分は『ケイのために弾く』と言ったのだから、もう後戻りは許されない。

 そして、自分のピアノのことを気に入ってくれたケイのこと、ケイの笑顔を思うと、諦めたいというくらい考えが消え去り、挫けそうになる気持ちが上向きになってくる。

 ケイのように朗らかな人の笑顔とは、目にしたり、思い浮かべるだけでどうしてか気持ちが明るくなるものだった。

 そこで英は、もう一度やってみようと思い立って、再び蓋を開けて鍵盤に手を置き、弾き始める。

 その最中、英の頭の中に、あるイメージがぽっと浮かび上がってきた。

 それは、この曲に登場する2人の男女の姿だ。英は今まで一度も恋をした事がなかったから、この曲に出てくる2人の姿は単に『男と女』としか認識せず、姿もシルエットでしかイメージしていなかった。

 だが今思い浮かんだその男女の姿は、なぜか、英と、ケイだった。

 

「・・・・・・・・・あ」

 

 その矢先、音を外してミスを犯した。

 英は『アホなことイメージするからだ』と舌打ちをしながら思う。だがそれで癇癪を起こしたりはせずにとにかく最後まで弾き続ける。

 ところが、どうしたことか、その後のミスの数は先ほど弾いた時よりも減ったのだ。

 その要因は英は分からなかったが、とりあえず『何度か弾いて慣れたから』ということにしておいた。

 

 

 その翌日の昼休み。山河はまたクイズ研での会合があるようで、昼休みのベルが鳴ると購買の方へとそそくさと向かって行ってしまった。

 だが、英も今日の昼食は1人ではなかった上に待ち合わせの時間も決められていたので、小走りに『バルタザール』食堂へと向かう。すると、券売機近くには既にその待ち合わせていた人物はいた。

 

「クリス」

「ハロー、英」

 

 軽く手を挙げて英の前に歩み出たのは、英が言ったようにクリスだ。

 クリスから頼まれていた曲の録音と転送が昨日完了したので、それを昨夜メールで伝えたところ、今日の昼食を約束通り奢ると言ってくれた。英もその提案に賛成して、今日この時間にここで待ち合わせることにしたのだ。

 

「で、例のブツは?」

「・・・・・・ここに」

 

 スパイ映画で見る取引のような言い回しをしながら手を出すクリス。やれやれと思いつつも、英もそれっぽい言い方でUSBメモリーをクリスの掌の上に置く。

 

「サンキュー!帰ったら早速聴いてみるね」

「一応確認はしたが、ミスとかあったら言ってくれ。やり直すから」

「うん。でも英のだもん、大丈夫よ」

 

 クリスの言葉は、英に対する信頼の表れであることは分かっていたので、変な勘違いもせずに肩をすくめて『ふん』と息を吐き小さく笑う。

 そして約束通り、クリスがランチを奢ってくれることになった。ただ、流石にやたら高いメニューを頼むのは気が引けたので、1000円強の牛カルビ定食を頼むことにする。クリスは了承して券売機で券を買い、英に渡す。このメニューも食堂では比較的安い方なのだから恐ろしい限りだ。

 

「もっと高いのでもよかったのに」

 

 料理を受け取り、2人掛けのテーブル席に座ってからクリスが話しかけてくる。

 クリスはこれまでも何度か英にピアノを頼み、そのお礼にランチを奢ることも同じぐらいあった。だが、その中でも英は一度たりとも食堂の最高級メニューを頼んだことはなく、今英が食べようとしているような牛カルビ定食ぐらいの値段のものばかりだった。

 そんなクリスが頼んだのは、ステーキ定食。だが、山河がたまに頼むステーキ定食よりもワンランク上のクラスであり、料金も相応に高い。

 

「別に、高い飯を食うためにピアノを頼まれてるわけじゃないし」

「おー、イケメン」

 

 英は小さく笑うが、浮かれてはいない。クリスのそれは冗談だと分かっていたし、自分で言ったようにタダでランチが食べられるからピアノを弾いているわけでもないのだから。

 そんな感じで雑談と冗談を交えながら食事を始める2人。そして半分ほど食べたところで、クリスが新しく話を切り出してくる。

 

「ねぇ、英」

「ん?」

「もう1曲頼んでもいい?」

 

 ステーキを一切れ咀嚼し終えてからそう頼んできた。またピアノで聴きたい曲を見つけてきたのかもしれないが、残念ながら英は今その依頼に応えることはできなかった。

 

「・・・・・・悪い、今は無理だ」

「え、なんで?」

「別の人から頼まれた曲がある。それを完成させるまではできない」

 

 どこかから情報が漏れてしまうことを考慮して、その別の依頼人がケイであることは明かさない。クリスはそんな情報をぺらぺら話すような輩ではないことはとうに知っているが、ケイと知り合いということを話すとおちょくられる可能性が高かったので、言いたくはなかった。

 そこで、食堂の入口の方がにわかに盛り上がった。昨日は聞かなかったそれは、ケイたちが来たサインだ。だが、それを全く気にせずクリスは話を続けてくる。

 

「誰から頼まれたの?」

「それは・・・・・・言えん」

「なんでー?教えてくれたっていいじゃない」

「いや、ほら。それはプライバシーのあれやこれやが」

「ケチー」

 

 そんな軽口を叩いていると、2人が食事をするテーブルのすぐそばをケイ、ナオミ、アリサの3人が通り過ぎて行った。英は食堂の奥の方に向かって座っていたから、後ろからケイたちが来たことに今の今まで気付かなかった。

 ケイたちに声をかけるタイミングを逃した英は、その後姿を少しの間眺める。が、昨日山河の言っていた言葉が脳裏によぎった。

 

『ケイさんが可哀想だなぁって思ってね』

 

 その言葉と同時に思い出したのが、音楽用品店に行った日、ケイが少しだけ見せたあの暗い表情。

 山河の言葉と、ケイの似つかわしくない表情が頭の中でフラッシュバックし、今なお見えているケイの後姿が何だか落ち込んでいるように見えてきた。英の中でも、抱いている罪悪感が大きくなっていくのを感じる。

 ケイには、本当に申し訳ないことをしたと思う。弾いたことがないジャンルだから集中して練習したいという理由と、ホームパーティの出来事以来顔を合わせられないという理由で、ケイを遠ざけるようなことをしてしまったことを、悔いていた。

 だから一刻も早く、あの曲は完成させなければならないと、心に言い聞かせる。

 

「とにかく、今は無理だ。今弾いてる曲が完成したら、また受けてやるから」

「はーい」

 

 再度英が断ると、クリスはようやく納得したようで不貞腐れながらも一応は引き下がってくれた。英は『悪いな』とだけもう一度告げて、牛カルビ定食を食べる。少し冷めてしまっていたが、それでも味は落ちていない。

 

 

 だがその日も、曲を完成することはできなかった。

 昨日と比べるとミスは減った方ではあるが、まだまだ完成とは言えないような出来だ。

 それでもミスが減ったのは昨日、この曲に登場する二人の男女のイメージを明確なものとしてからだ。つまり、その登場する男と女を、英自身とケイと仮定してからだ。

 最初は『アホなことを考えたものだ』と思っていたが、やはり登場する人物を明瞭にイメージすると曲全体の情景が掴みやすくなるからか、手詰まりに近かった弾き始めた当初と比べると弾きやすくなっていた。

 ともあれ、着実に完成に近づいているので、もっと練習を重ねなければと思い、英はさらにピアノの鍵盤に指を走らせる。

 

 

 翌日。戦車道の訓練が終わり、アリサは戦車から降りて背伸びをした。サンダースフェスタの日が徐々に近づいてきているので、訓練はそれに向けたものに変わり始めている。

 サンダース戦車隊の総合演習で行うのは大きく分けて隊形変化、砲撃訓練、模擬戦の3つだ。その中でも隊形変化、行進しながらのスムーズな隊形の変更はなかなか難しい。

 戦車道四強校の一角である聖グロリアーナは綺麗な隊形を組むことに定評がある。要は、あれと似たようなことをやればいいのだ。

 しかし、サンダースは元来物量で相手を圧倒するのが基本スタンスであるため、意識して隊形を組むということがあまりない。だからこそ、その慣れない隊形構築がサンダースの戦車隊には難しいのだ。それでもどうにか練習をして、ものにしなければならなかった。

 

「あー・・・疲れた・・・」

「ホントですねぇ。去年もそうでしたけど・・・」

 

 アリサが愚痴る横で、メットが戦車帽を脱いで汗ばんだ髪をタオルで拭く。2人とも、普段の訓練では行わない流動的な隊形構築という、慣れない訓練を行ったせいで疲れているのだ。メットは装填手なので砲撃を伴わない今日の訓練では特に役目がなかったのだが、それでも戦車が動いている時は中は常に揺れているので、これだけでも相当疲れるのだ。

 車長であり現副隊長であるアリサも、隊長・副隊長であるケイ、ナオミと共に50輌の戦車隊をまとめ上げなければならなず、戦車に乗っているのもあって精神的、肉体的に疲れがちだった。唯一の救いは、この総合演習に向けた訓練が次代の隊長であるアリサが主体で行うのではなく、現在の隊長であるケイが全面的に行ってくれることだろうか。

 しかしながら、今日はそのケイにも若干の違和感があった。

 

「・・・・・・今日の隊長、なんかいつもと違いましたね」

「・・・そうね。それは私も思った」

 

 メットの言葉にアリサも頷く。

 アリサだけでなくメットでさえも気づいているのだから、恐らくは隊のほぼ全員が今日のケイの違和感に気付いているだろう。

 その違和感は、この前アリサが感じた『良い意味での』違和感―――それは英のピアノを楽しみにしていたことが原因―――ではく、『悪い意味での』違和感だった。

 隊形の指示をする声が、いつものように溌剌としたものではなくて、少し覇気が感じられないような声だった。それと、この訓練は一昨日から行っているのだが、前日と比べると隊形変更の指示が遅れているようにも感じる。

 このように訓練中で元気のないケイというのは、隊員たちも見たことがない。

 

「副隊長、何か聞いてます?」

「いえ、何も知らないわ」

「そうですか・・・・・・まあ、そんなこともありますかね」

 

 今回のケイの異変を『そんなこともあるよね』と捉えるか、『何かあったのだろうか』と捉えるかは人による。

 メットは前者の方だったが、アリサは後者だった。

 雨が降ろうが雪が降ろうが風が吹こうが、暑くても寒くても、いつでも明るくはきはきと指示を出していたケイが、別に変ったことなど無いはずの今日に限って見せたいつもと違う様子を、『そんなこともあるよね』と軽く流すことができなかった。

 

(・・・・・・ナオミも、当然気付いてるはずよね)

 

 アリサはともかく、メットだって気付いているのだ。2人よりもケイとの付き合いが1年長く親しい間柄のナオミが気付かないはずはないだろう。

 そのナオミは今、ケイと並んで歩き、その肩をポンポンと叩いている。訓練で疲れたケイを労うように見えるが、ケイの何らかの異変に気付いてその真意を聴こうとしているようにも見える。

 アリサとしては、あれこれ詮索するのは憚られた。仮にケイに何かに悩んでいるのかを聞いて回答が得られたとしても、それがアリサ自身が力を貸してどうにかできる問題でなかったとしたら。そうなれば、ただ悩みの種を話させてしまっただけになり、ただ余計にケイを苦しめるだけになってしまうだろう。だから、聞けなかった。

 しかしナオミは、ケイの不調には気付いてはいたのだが、その原因を聞こうとはしなかった。それはナオミ自身がケイとは親友ではあるもが、だから全てを曝け出して話すことができるとは言い切れない。ケイにだって触れてほしくないような部分はあるだろうし、そこについて聞いてしまって余計に気を落ち込ませるのだけは避けるべきだった。

 それと、ケイの調子がよくない理由について、ナオミはもう7割方予想できていた。その不調の原因である『事象』も、そのケイの中にある『気持ち』も、予想とはいえ分かった。

 だからこそ、その『気持ち』はケイ自身で理解するべきだと思って。

 

「何か悩んでいるのなら、相談してくれていいんだぞ」

 

 とだけ、言っておく。それに対してケイは普段と比べて力なく『ありがとね』としか言わず、悩みの種を話そうとはしなかった。

 結果として、隊員たちの誰もがケイの不調には気付いているものの、誰一人としてケイ自身の口からその理由を聞き出すことはできていなかった。

 

 

 

「・・・・・・・・・できた・・・・・・?」

 

 時刻は4時半前。場所は『ハイランダー』棟の第5音楽室。その中で英は、ピアノを弾き終えて、ポツリと確かめるように呟いた。

 スタンドに楽譜が開かれている、たった今まで弾いていた曲は、ケイのお気に入りであるラブソング。初めて挑戦するジャンルに加えてテンポが遅めだったので、なかなか思うように弾けずに完成するのが難航していた曲だ。練習を重ねに重ねていたのでいよいよ指が痛くなってきていたところだし、この曲の練習(イメージトレーニング含む)を始めてから実に4日が経とうとしていた。

 そんな英のピアノ人生の中で上位に食い込むほどの難しい曲をたった今、リズムを間違えることはなく、音を外すことも無く、ミスを何一つ犯すことはなく、弾き終えることができたのだ。

 

(いやいや、待て待て)

 

 だが、1度成功しただけで完全に完成したとは言えない。本当にちゃんとマスターできたのかを確かめるために、まだ何回か弾くべきだ。この前クリスから頼まれた曲とは違って英の弾いたことのない苦手なジャンルだからなおさらだ。

 なので英は、楽譜の先頭まで目を戻して、もう一度最初から弾き始める。

 音は高めだが穏やかなリズムの前奏。前奏よりも落ち着いた雰囲気で低い音のAメロ。Aメロよりも少し明るめのBメロ。静かに盛り上がるサビ。そして2番に入ると再びAメロ、Bメロ、サビ。さらにサビの盛り上がりを保つ間奏と緩やかなCメロ。最後にサビと、ゆったりとしたリズムの後奏で、曲は終わる。

 それら全てを、1度ミスなく弾けたからと言って浮かれたりはせず、気を引き締めて最後の小節まで弾く。

 その結果、ミスをすることはなかった。

 

「・・・・・・・・・できた・・・」

 

 いや、まだ2回目で完成したというのは早計過ぎる。だから念のため、もう1度最初から弾くことにした。

 だが続く3回目でも、どこもミスを犯すことはなく、無事に全編を通しで弾き終えることができた。

 

「・・・・・・できた!」

 

 誰もいない音楽室で両腕を突き上げて、背中を逸らして喜びを体現し、声を上げて喜ぶ英。だが、それを恥ずかしいとも思わないぐらい、今の英は達成感に満ち満ちていた。

 クリスから頼まれた曲を完成させた時もそうだったが、やはり初めて1曲をミスなく無事に完成させることができると、達成感を得られるものだ。特にこの曲は、完成まで何度も練習と失敗を重ねてきたのだから、他のどの曲よりも得られる達成感は大きかった。

 だが、曲が完成した余韻に浸る最中で、夕方5時を告げるベルがスピーカーから鳴り響く。それで英も弾かれたように帰り支度を始める。

 バタバタと慌ただしく片づけをして、戸締りをしっかりとして、鍵を職員室に返してから帰路に就く。

 そして陽がほとんど沈みかけている中での帰り道、あの完成した曲を弾いていた時の自分の気持ちを思い出してみる。

 曲を弾くときは、その曲の情景をイメージして弾くのが重要だと教わった英は、その通りだと思ってこれまでも新しい曲に挑戦する時はそれを心掛けていた。だが、この曲は初めて挑戦するラブソングであり、そして未だ恋をしたことがない英にとってはそのイメージすらも難しくて、『最初は』弾くのが本当に難しかった。

 だが、『あること』をきっかけにミスが減っていき、最後には完成させることができた。それは、練習を何度も重ねたから、という理由だけではないと英は考えている。

 

(・・・・・・どうして、イメージできるんだろう)

 

 その『あること』とは、英自身とケイを、あの曲の中で登場する恋をする2人に重ねたことだ。それ以来、ミスは着実に減っていった。

 そのイメージをし始めた当初は『アホなこと考えるな』と思いつつも、明確なイメージが持てるのならそれでもいいや、と思って仕方なくそうしていた。

 だが今では、そのイメージが頭から離れず、むしろ自分とケイを重ねたからこそ、完成させることができたのではないかとさえ思える。

 その理由。それは、曲の中に出てくる2人のように、英自身もケイと『そういう』関係になりたいと、思っているからだろう。

 

(・・・・・・俺は・・・)

 

 

 

 同日夜。ケイは自分の部屋にいた。それも、ベッドにうつ伏せになって寝転がり、枕に顔の下半分を押し付けて、静かに目を閉じている。だが、眠っているわけではなく、意識ははっきりとしていた。

 

「・・・・・・・・・はぁ」

 

 ため息をつき、昨日のことを思い出す。

 いつものように、ナオミ、アリサと共に『バルタザール』食堂を訪れると、ケイは英のことを見つけた。だが英は、ケイが名前も知らない女子と楽しそうに話をしながら食事をしていた。

 それだけのことだったのに、ケイの心は深く抉られてしまったかのように、ひどく痛んだ。

 なぜ、そんな痛みを感じてしまうのだろうか。それは昨日から今日に至るまで、ケイがずっと自分自身に問いかけていることだった。

 だが、抱いたことのないこの気持ちを前にして、ケイの心は大きく揺れ動いてしまっていた。

 それは今日の戦車道の訓練でも不調として表れてしまい、訓練の後でナオミからそれを指摘されてしまった。ケイ自身も、今日の訓練ではうまく指示が伝えられなかったり、行動にムラがあったりと反省点がそこかしこに見受けられた。

 自分自身の得体の知れない気持ちに振り回されて、自分が愛し、真摯に取り組んでいるはずの戦車道ですら身が入らなくなってしまうとは、どうしたことなのだろう。

 その自分の中にある気持ちは、『そうなのかもしれない』と仮定はしているが、それでもまだ確信はできていない。だからこそ、ケイはまだ自分の気持ちが分かっていないのだ。

 しかしながら、英がケイのことをこの前のホームパーティでの行動以来迷惑に思い、遠ざけているという可能性だってまだ残っている。

 またしても、自分らしくも無いネガティブな考えが頭の中に湧き上がってきたところで、枕元に置いてあったスマートフォンがメールの着信を告げる。

 考え事をしていたところで集中力を乱され、小さく息を吐きながら画面を見ると。

 

『新着メール:影輔』

 

 その直後、ケイは勢いよく起き上がって、メールの画面を開く。

 

『差出人:影輔

 件名 :完成

 本文

 夜遅くにごめん。

 聴かせてあげるって約束した曲がやっと完成した。

 だから、ケイの都合が合う日を教えてくれれば、

 その日に弾いてあげるよ』

 

 そのメールを見た途端、それまでのケイの鬱屈とした表情はどこかへ消え去り、その顔には待ち望んでいたものを目の前にした子供のような笑みが浮かぶ。恐らくこれほど早くメールを打つのも返信するのも初めてだろう、と思うぐらいには早めに返信する。もちろんケイの伝えた都合の合う日は、明日だ。

 英もスマートフォンを手元に置いていたからなのか、ケイの返事に対するメールが返ってくるのもまた早かった。

 

『差出人:影輔

 件名 :Re:完成

 本文

 了解。

 じゃあ明日、いつもの音楽室の前で待ち合わせよう』

 

 その返ってきたメールを見て、ケイは心が何か温かいもので満ちていくような気持ちになった。

 ここ数日の間、ケイはまともに英と顔を合わせる機会も無く、1人で練習したいと言っていた英の意思を尊重して、英が練習をしているであろう音楽室に近寄りもしなかった。

 だから数日の間とはいえ、親しくなった英と会えず、話もできず、ケイの心を掴んで離さないあのピアノの音色を聴くことができなくて、寂しさを覚えていた。

 けれど、自分の手の中には、明日その英と会う約束を結んだ証であるメールがある。それを見て、ケイは大きく息を吐く。それは数分ほど前に吐いていた憂鬱そうなため息ではなくて、安堵の気持ちを籠めたため息だ。

 今から明日が楽しみで仕方がない。だって、数日ぶりに英と会って話をして、ピアノを聴くことができるのだから。明日が待ち遠しい。

 

「・・・・・・・・・あ」

 

 そこまで考えていたところで、ケイは気付いた。

 自分は今、何が一番嬉しいと思ったのだろう?

 お気に入りの曲がやっと聴けるということだろうか。

 いや、英のピアノがまた聴けることだろうか。

 違う、英に会い話すことだろうか。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・そうだ」

 

 今、ケイが一番嬉しいと思ったことは、英に会って、顔を見て、話せることだ。お気に入りの曲を聴くことも、英のピアノが聴けることも嬉しい。だけど、それ以上に英に会えることが一番嬉しく思ったのだ。

 そう思うのは、英のことを単なる親友と思っているから、ではない。

 ケイにとっての英は、それ以上の存在だということだ。

 

 

 放課後、英はホームルームが終わるや否や、クラスメイトとの挨拶もそれなりにして教室を後にし、教師や風紀委員にどやされない程度の小走りで『ハイランダー』棟の職員室へと向かう。それはもちろん、第5音楽室の鍵を借りるためだ。今日ばかりは、他の誰にもあの場所を譲ってはならないと心に誓っていた。

 職員室に到着して鍵を借りようとしたところで、いつもいる教師から『今日は早いな』とコメントを貰った。そこでとケイを見てみれば、まだ終業のベルが鳴ってから5分も経っていない。確かに普段よりも早かった。

 その教師に対してはとりあえず愛想笑いを向けて、足早に職員室から去って本来の目的地である第5音楽室へと小走りで向かう。

 鍵を入手できたのだし、もう場所は確保したも同然だった。だから急ぐ必要も無いのだが、それでも英は一刻も早く音楽室へ向かおうとしていた。

 一体なぜ自分はこうも急ぎ足なのか、それは英自身も自分に問うていることだ。

 ケイのお気に入りだというあの曲を、すぐにでもケイに聴かせたいと思っているからだろうか。

 自分のピアノの腕を信じ評価してくれた彼女の期待を裏切らず、応えたいと思っているからだろうか。

 それもあるが、それだけではない。

 自問自答を繰り返しながら音楽室へと向かうと、その扉にケイが背を預けて立っているのが見えた。

 

 

 放課後、ケイはホームルームが終わるや否や、クラスメイトとの挨拶もそれなりにして教室を後にし、教師や風紀委員にどやされない程度の小走りで『ハイランダー』棟の第5音楽室へと向かう。それはもちろん、英と待ち合わせをしているからだ。

 昨日の夜、英から『曲が完成した』というメールが届いて以来、ケイはずっとこの時のことを楽しみにしていた。戦車道の訓練だっていつも以上に真剣に取り組み、退屈な授業があっても手を抜かずに(そもそも手を抜いたこと自体無いのだが)、この時のために頑張ってきた。特に戦車道では、ナオミから『昨日とは大違いだ』とのコメントもいただいたぐらいだ。

 知り合いとすれ違って軽く挨拶を交わし、階段を降り、教師とすれ違って挨拶をして、いくつかの角を曲がって、連絡橋を渡り、『ハイランダー』棟の第5音楽室に到着する。まだ英は来ていなかった。

 およそ5日ぶりではあるが、もう随分と長い間この場所に来ていなかったような感じがする。この音楽室に近寄りもしなかったのは、英が『1人で練習したい』と言った際にケイ自身が『分かったわ』と言ったから、その時の約束を破ってしまいそうな感じがしたからだ。

 ドアに背を預けて、ケイは英のことを待つ。

 その間、ケイは昨日から確信を持ち始めた自分の中にある気持ちを、改めて見つめなおす。

 昨日の夜に英からメールが来て、そこで自分が一番楽しみにしていたことが、お気に入りの曲が完成することでも、英のピアノを聴くことでもなく、英と会うことだと気付いた。もちろんお気に入りの曲も、英のピアノも楽しみにしていたが、それ以上に英に会いたいと思っていた。

 ここまで誰か1人に会いたいと切に思うことなど、ケイは一度も無かった。相手が男であればなおさらだ。

 ましてや、その人のことを思うと心の奥底が温かくなることなどあるはずも無かった。

 だけど、この気持ちがどういうものなのかは、もう分かり切っていた。

 足音が聞こえて来て、そちらの方を見れば英が小走りでこちらに向かってきているのが見えた。

 

 

 英がケイの前にやってくると、開口一番こう告げた。

 

「・・・悪い、遅くなった」

 

 頭を下げて謝る英に、ケイは優しく話しかける。

 

「大丈夫よ。私もついさっき来たところだから」

「いや、それもあるけど・・・・・・曲が完成するのが、遅くなって」

 

 ケイのためにこの曲を覚えて弾いてあげると言ってから、今日で大体6日。英が最速で曲を覚えてマスターするよりも1日遅い程度だが(一番遅いものだと1カ月以上かかる)、それでもケイのお気に入りの曲である上に英が自分で言いだした手前、謝るべきだと英は考えていた。

 その謝罪にケイは『そうねぇ~』と言いながら英の顔を下から覗くように屈んで、いたずらっぽく笑う。

 

「確かに、ちょーっと待ったかなーって」

「・・・ホントすいません」

 

 英としてはただ謝ることしかできない。ケイの笑顔も皮肉たっぷりなものとしか見えなくて、直視しにくい。

 だが、すぐにケイはいつものように明るい笑顔へと戻った。

 

「だから、今日はたっぷり聴かせてね?あなたのピアノ」

 

 そう言われて、その笑顔を見て、英も自然に笑みがこぼれる。

 

「・・・ああ、もちろん」

 

 鍵を開けてドアを開き、電灯を点ける。

 英はいつものようにピアノを弾く準備をせっせとはじめ、ケイは前と同じようにピアノに一番近い最前列の席に座って、英の準備が整うのを待つ。

 英は、先ほどケイに会った時は真っ先に謝ったが、心の中では安心感を覚えていた。数日前までは、ホームパーティの後でケイにからされたキスの事を思い出して面と向かって会うのが恥ずかしかったというのに、今ではそれ以上に会えて本当によかったという安堵の気持ちがある。

 1人での集中練習は自分で望んだはずなのに、寂しさを感じた。それは、ケイが英の近くにいてピアノを聴いてくれていて、そして弾き終えると喜んでくれたことを当たり前のことだと思ってしまっていたからだ。

 ケイと出会ってからもう直ぐ2週間になろうとしているが、この短い時間で英はケイに対して強い親しみを抱くようになっていた。

 しかしここ数日の間は、ケイに向けている自分の気持ちは親しみなどでは済まないような気持ちだと、思い始めている。

 

「じゃあ、まずは肩慣らしから」

「OK!」

 

 前置きをして、言った通り肩慣らし程度の軽い気持ちで1つ短い曲を弾く。それはピアノの初心者がまず弾けるようになるべきとされているピアノ楽曲だ。だが、肩慣らしとはいえ真剣に取り組んでいく。

 もちろん、ケイから頼まれた曲を肩慣らしに弾くつもりはなかった。

 

 

 肩慣らしと称して明るめの曲を弾く英を、ケイは頬杖を突きながら見つめる。そのケイの視線には気づいていないようで、英は一意専心ピアノを弾いている。

 そんな英の事を見ながら、ケイは自分と英との間にあったことを思い出す。

 ここ数日、ケイは英との約束を尊重してここに来るのは控えていたが、その事実はずっと頭に残っていた。最初は『英が集中したいと言ったのだししょうがない』と割り切っていた。だが、次第に『英のピアノが聴きたい』と思うようになり、最後には『英に会いたい』と思うようになってしまっていた。

 加えて、自分の起こしたとある行動がきっかけで、英が自分のことを避けるようになったのだと思うと、胸が締め付けられるような気持ちになってしまった。

 さらには、英が、ケイの知らない女子と2人で昼食を摂っている光景を見た時は、ひどく胸が痛んだ。

 そう思う理由は、ケイが英のことを憎からずいい人だと思っているからだろう。だが、それだけでは、胸が痛んだり締め付けられるような思いをすることは無いはずだ。

 

 

 肩慣らしの曲を弾き終えて、英の準備が整う。トートバッグからケイのお気に入りの曲の楽譜を取り出してスタンドに広げ、ケイに目配せをする。ケイは少しだけ反応が遅れたが笑って頷き、無言で『お願い』と言ってくれた。

 英は一度深呼吸をしてから、演奏を始める。昨日、音楽室で完成させて自室に戻った後もイメージトレーニングをして、今日は万全の状態で臨んでいる。それにケイを呼んだのだし、失敗は許されなかった。

 前奏を弾き終えてAメロに入る。

 この曲を完成させることができたのは、練習を重ねたのと、曲の描写を克明にイメージして弾くことができたからだと英は思っている。だが、そのイメージで思い浮かべたこの曲の2人の登場人物は、自分とケイだった。

 それを思い浮かべると、なぜかミスを犯すことが少なくなっていって、終いにはノーミスでクリアすることができてしまった。

 その理由は、英自身が今まさに『そうだから』だろう。

 

 

 曲はBメロに入る。

 英の演奏を聴きながら、ケイは静かに目を閉じて曲全体の情景のイメージをする。お気に入りで、歌詞もそらで歌えるぐらいにはこの曲を好いているので、イメージ自体は容易だった。

 サビに入って曲は静かに盛り上がる。曲の中で登場する人物が、自分の中にある恋心に気付いた場面だ。

 この曲を聴き始めた頃は、イメージをすることはできても感情移入まですることはできなかったし、どんな気持ちなんだろうかというのを詳しく想像することもできなかった。

 けれど今では、この曲の描写は鮮明なものとなっている。

 この曲に登場する2人の男女の姿も、なぜか頭の中のイメージでは自分と英の姿に自然と変わってしまっていた。

 どうして自分は、こうも英のことを思ってしまうのだろうか。

 それはきっと、ケイ自身が『そうなりたい』と思っているからだろう。

 

 

 2番に突入してAメロ、Bメロ、サビと続く。楽譜の上では1番とほぼ変わらないが、歌詞はもう1人の登場人物が恋心に気付くまでを表現している。

 この曲の存在を知る前、英とケイが出会った次の日に、英は自分の過去のことを話した。その上でケイは、その時の英の“選択”と、今英の歩む“道”を認めてくれた。それは英にとっても初めてのことだった。

 そして、その時ケイに言われた『その時の選択のおかげで、今のピアノが上手な英がいる』という言葉は、胸に響いた。

 その直後に弾いた、クリスから頼まれていた曲も、僅か2回の練習で完成することができてしまった。それは、ケイのその言葉を聞いて、英の中の迷いとも未練とも言えるモヤモヤが無くなって、より曲に集中することができたからだと英は思っている。

 その時以来だろうか、ケイのことを意識し出したのは。

 出会う前から、ケイのことは噂だけではあるが知っていた。だが実際に面と向かって会って話をすると、彼女は本当に明るい笑顔が似合う人だと思い、自分のようなピアノぐらいしか取り柄がない凡庸な男に対してフレンドリーに接してくれる。

 ケイは、単なる下手の横好きでしかなかった英のピアノを素直に称賛し、気に入ってくれた。聴けなくなった時は、普段は見せないような暗い表情をするぐらい、英のピアノをとても気に入ってくれていた。

 

 

 サビの雰囲気を保ったまま、間奏になる。

 ケイは前に英の過去の話を聞いた時、子供ながらにして立派な感性を持っているのだと感心した。英よりも大人でピアノも上手いピアニストから教わっていたのに、押さえつけるようなやり方を嫌い、その時から『自由に楽しく弾く』という気持ち、信念を大事にしてきた。

 その信念を忘れることはなくピアノを弾き続け、そして今、ケイが聴いているような、素人にも美しいと分かるぐらい綺麗な旋律を奏でられるまでに成長していた。

 その美しい旋律は、ケイの心をつかんで離さないものだった。

 自分がそうしたかったからという理由で行動に移した点は、ケイは最初は自分と同じだと思っていたし、共感できた。ケイも、大洗女子学園が廃校の一歩手前まで追い込まれた時は、大洗の皆を助けたいと思い自分から行動を起こした身であり、自分がそうしたいと思って行動したところが通じていたから。

 だが英は、そのケイの行動は自分とは違うと言ってくれた。自分だけのために動いた英とは違って、ケイの行動は結果的には大洗の皆という自分以外の誰かを救う結果になったのだから、と。

 そしてそんなケイのことを、英は『すごい』と言ってくれた。その言葉自体は何度も言われてきたことだったのに、英から言われたその言葉だけはなぜか胸に響いた。

 その時以来だろうか、英のことを意識し出したのは。

 

 

 Cメロに入って、この曲一番の落ち着いた雰囲気を見せる。それに合わせて英もピアノの弾き方をそれまでとは違ってゆったりと穏やかなものに変える。

 だが、最後のサビに入った瞬間、再び静かな盛り上がりを見せ、英はケイはそれぞれ曲に集中する。英は楽譜と鍵盤に、ケイは奏でられる音色に。

 英もケイも、この曲に登場する2人の男女をイメージしようとすると、なぜか自分たちの姿が思い浮かんでしまう。

 そして、それぞれがこれまでに自分たちの間にあったことを思い出すと、自然と心が温かくなってくる。優しい気持ちになれる。

 それで、それぞれの中にある気持ちが何なのかに、ようやく確信が持てた。

 

(・・・・・・そうか)

(・・・・・・そっか)

 

 最後のサビが終わって、後奏に入る。曲に登場する2人の明るい未来を約束するかのように穏やかなリズムに変わる。静かに優しい旋律を奏でるように、鍵盤を叩く。

 

(・・・・・・俺は)

(・・・・・・私は)

 

 最後の行にたどり着き、曲も終わりへ向けてテンポがゆっくりになっていく。

 

(ケイのことが・・・・・・・・・)

(影輔のことが・・・・・・・・・)

 

 曲がいよいよ終わりに近づいてくる。音符の数が少なくなった。

 

 

 

 ――――――好きなんだ。

 

 

 

 曲が終わる。

 ケイは、笑みを浮かべて手を叩き、ミスをすることなく美しい旋律を奏でた英を称えた。

 英はそんなケイに対して、小さく笑ってサムズアップを向ける。

 そして今、2人は、抱いたことのない自分の気持ちの正体に気付いた。


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