面倒さに成人式をサボった。ゆえに近辺で時間を潰し、そうして俺は帰って来た。
ドアを開けると、おかえりとこもった声が。俺は罪悪感から作り笑いで、ただいまと返す。皆は向こうにいるのだろう。
引き戸を越え居間に入ると、机を囲んで座る皆と、机の上に並べられたごはんたちが真っ正面の視界を支配した。ごはんはサラダに始まり、いつもと違うグラスやオムライス、ハンバーグ……ちょっと豪華だ。
「どうだった? 同級生、なんか変わってた?」
妙に人の変遷に興味がある母が、早速口を開いた。しかし実際行ってもいない俺がリアリティーあふれる答えを差し出すことができるはずもないので、うまく濁す。
「いや、お母さんに言ってもうまく伝わんないでしょーよ」
昔の分ですらアルバムをざっと見ただけなのに、と付け加えるのはやめておいて。変なところで怒りやすい母にそれは地雷だ。
……ちくっと心が痛む気がした。いや、所詮は偽善か。かつて嘘をつくこと自体はあったし。
「さ、そろそろ食べますか」
「あ……うん」
ひとり嫌悪しかける中、父が明るく切り出した。正直、いきあたりばったりな自己否定が始まる前に断ち切ってくれて助かった。
「なんだかんだで大人か」
「形式上は、ね」
箸を進めながら、父は俺にそんなことを語ってきた。どうやら続く流れで、成人の話に入ったらしい。
「よくここまで育ってくれたな」
「え、何急に」
「いやいやほんとにさ」
「んん……こ、こちらこそ育ててくれてありがとうございます」
なんだかこそばゆい運びになってきた。しかも父は普段そんな素直なことを言ったりしないだけに、余計にだ。母も同感らしく、目を見開いていた。
「今日はパーっといくか」
「パーっとって……はは。お父さん、俺」
酒は飲まないから、と言いかけたところに、父は被せる。
「わかってる。酒はビールじゃなくてライムサワーがいいんだろう?」
「……え?」
おかげで気付いた。どうもおかしい、と。おかしいというのは酒のチョイスなんかじゃない。
父自身が、だ。
思えばいつもよりやたら口数が多いし、ハキハキとしゃべる。何よりすごくストレートだ。失礼かもしれないが、彼は基本もっと寡黙で人に気持ちを隠しがちだ。ついでに、滑舌だってもうちょっと悪い。
これじゃ、まるで別人――
実の親を疑うなんて、らしくないことが過りかけた瞬間。ベランダと居間を分ける窓が突如開いた。
入ってきたのは。
今話しているはずの父と……まったく同じ姿の人間だった。
非日常に耐性のない一般人俺だが、かえって冷静になった。パニックになってくれた方がまだよかったかもしれない。……母はというと、青ざめていた。
数秒し、沈黙に包まれた空気を最初に破ったのは父のドッペルゲンガー(仮称)だった。父(本体?)を指差し、叫んだ。
「誰だ!?」
どうやって対処すべきか困った。なんというか、ありがちだ。いや、こういう場面なら自然とこうなるのか。
しかし意外にも、
「仕方ないね」
停滞しそうな雰囲気を打開したのは明るい父だった。
「くらえぇー!」
そしてどこから取り出したんだか、手のひら大サイズの灰色物体を、母の横に向かってぶん投げた。つまり何もないところに。
ぼすっ、と鈍めの音でそれは壁に激突し、ずり落ちた。外角高め、絶妙なコントロール……?
(うおいおい!!)
ここでようやく俺の頭はパニックに陥ってくれた。母は震えていた。そりゃそうだ。挙げ句、父(本体?)は笑い出す。
「あーっはっはっはっ」
なにを得意気になっているのか。俺はとりあえず例の物体が危険ではないか、ゆっくりと直に触ってみる。むちゃっ、という練れそうな感触。さしずめ粘土だった。
安全、といえば安全……それでもやばすぎる。これはどういうことだと、未だ高笑いしている父の方へ向き直ると。
(は)
さすがに叫びかけた。
そいつは、もう父じゃなくなっていた。昭和後期男性みたいな髪型をした(服装まで)、それでいて眼鏡をかけている――得体の知れない誰かだった。
当然、俺のみならず母も、ベランダから戻ってきた(おそらく本物の)父も。もう一人としてついていけやしなかった。
「なかなか面白かったよ。さらばだ」
唖然とする間、奴はにこやかに立ち上がる。そのまま棒のようにしている父の脇を通って、ベランダへと消えた。
ここで、見送ればいいのに。
好奇心に似たものが湧いて。また、俺は見事駆られた。
「待ちなさい!」
始動する俺を制止するのは母の声。一応振り向くと、やはり彼女は顔を青白くしていた。十中八九得体の知れない人なんか追いかけるなということかな。残念、俺はとことん止まらない。というか珍しくやる気になってるんだよ邪魔すんじゃねー。
それに……何故かな。なんとなく奴は悪いやつじゃないような、そんな気がしたから。
ベランダに放置されているサンダルを雑にはいて、辺りを一望。奴は少し遠くにいた。
ベランダから左、端なんかとっくに超えて向こう……開けた竹やぶ。もちろん辺境に竹やぶなど存在しないはずだが、この際どうでもよかった。はてさて飛んだらざっと2、3Mか。なるほど、いちいち回りんでちゃ間に合わない。奴ときたら、煽るようにニヤニヤしている。
運動は不得手だが背に腹は代えられない。俺はベランダの手すりによじ登り、脚に力を込め跳躍した。
火事場の馬鹿力というやつか、なんとか向こう側の地面に着けた。奴は竹やぶの奥へ行かんとしていた。
このままでは見失ってしまう。引き留めるべく、俺は一か八かの賭けに出る。奇行には奇行を、なんて謎理論である。
「強盗だ! 誰か捕まえてくれっっ!!」
その時だった。奴の顔が、失望したように歪んだのだ。
――やらかした。
漠然とそう思った。よくわからないが、これはやってはいけないことだったらしい。
とぼとぼと奴は竹やぶの中へ踏み込んでいった。
「あっ、あぁぁぁ……」
途方もない絶望が、俺を襲った。嫌な気持ちにさせてしまったであろう、という後悔からではない。
返答を違えたことで、もう二度と対面し得ないことを直感してしまったのだ。
「まっ、まま、まってっ、まってくれ!」
狂ったように薄暗い竹やぶの中へ俺は突入する。一本道なのに、距離の差は取り返しがつかないほどじゃなかったのに、奴はどこにも見当たらない。
「うわぁぁあああ!」
無我夢中。押し寄せるどうしようもない感情を振り払って、まっすぐ走る。そうだ、道を往けばまた逢える。信じさせてくれと。
「あああああ!!」
やぶを抜けて、
「出てきてくれええあ!!!」
途中でおとぎ話の漁師みたいな格好の人に遭遇して奴のことを聞くもわからないと言われ、
「どこいったんだよぉおおー!!」
途中で涙すら出てきたけども。緩やかな坂を下って、今度は林を抜けて、気が付けば廃れたような暗い商店街の中心にいた。
「はぁっ……っぐぅ、はあっ……」
息絶え絶え涙どろどろ、目はたぶん虚ろ。俺はぼろくずよろしくへたりこんだ。
―――もう一度だけ、姿を見せてくれ。
ただ願う。迫真だ。虚しいかな、声すら聞こえない。
――そもそもここがどこかすらわからないぞ? 帰りかたは? 帰れるのか? そもそも生きているのか?
やはり母に従っておくべきだった、という点を都合良くすっ飛ばして自問する。
(おわった……)
一秒か小一時間か。どのくらいそうしていたかは知らない。ただ、焦りが慟哭に変わりかけたとき。
「よくここまできたね」
ニチャア……という擬音が付きそうな、まさしく気色の悪い笑みを浮かべた「奴」が、もう背後にいた。
俺はというと。確かに追い、再開を望んだ人物が現れたのに。……たまらなく寒気がした。
理屈なんてさっぱりわからない。「やっぱりここに来るべきではなかった」と、
同時に、遅ばせながら悟った。母が青ざめていたわけを。不審者が来た衝撃のせい、いいや。
「奴」が来たからで。
とにかく「奴が」やばくて、どうしてか母は奴の事実を知っていて。
――うわ。
peak……。
あっという間に、世界はブラックアウトした。
「
朝、起床した俺はぼんやりするあの光景を反芻しつつ、掠れた声で確かに呟いた。
……謎の固有名詞だけを、名前だけを知っていた。紹介なんてされていないのに。
曖昧な部分は肉付けしてありますが、夢でみたことを無理矢理創作物もどきにしてみました。