なぜかうまくルビが働かないところがあるのでご容赦ください。
この世界は、理不尽に満ちている。
この世界は、嘘に満ちている。
この世界は、絶望に満ちている。
欺瞞に、無責任に、格差に、不平等に、悪に、不幸に、まやかしに、厄災に、悲劇に、この世界は満ちている。
これは、俺が齢四歳で知った世界の真実だ。
けれど、それでも、いや、そんな世界だからこそ、俺は――。
■■■■■
「京邦小学校から来た
桜の舞い散る新学期、俺は全国にエリート校として名をとどろかせる聡明中学へと入学し、晴れて中学生となった。無秩序に伸びた黒髪がトレードマークの俺は、黒板の前に立ち自己紹介を行っている。今は、入学式後のHRの時間だ。
『京邦? どこだ、それ』
『ずっと南の方にある町だったっけ』
『なんか暗そうな奴だな』
ざわざわとクラスメイトのやかましい声が聞こえてくる。が、まあいつものことだ、慣れている。
耳に届く声を無視して自己紹介を続ける。
「【個性】は《サトリ》です。みんなの心の声が聞こえます。よろしくお願いします」
そう言い捨てて俺は自分の席へと戻る。
すると、ざわめいていた声はより一層激しさを増した。
「《サトリ》って……え、本当に?」
「まさか。だって、ねえ?」
『心の声が?』
『少なくともヒーロー向きの個性じゃねえな』
『
ひそひそとした会話や、デリカシーのない声が教室中を支配する。
まあ、そういう反応になるのはわかる。俺の知り合いに《サトリ》に似た個性を持ってるのは母さんだけだ。
カンニングなんかしてないし、そもそも俺はこんな世界でヒーローなんかやる気はない。けれど、否定したってどうせ意味なんかない。
そう思いながら席に着くと同時に、きりっとした大きな声が響き渡る。
「君たち、静かにしたまえ! 今は自己紹介の時間だぞ! 次の生徒は早く黒板の前に立つんだ!」
早々に自己紹介を終えた……確か飯田だったか。四角い眼鏡をかけた飯田の一声で、生徒たちはしゃべるのをやめた。最後の一人である、俺の後ろの席の女生徒が席を立った。……女子だよな?リボンじゃなくてネクタイしてるけど、スカート履いてるし。
それはそれとして、ありがとう、飯田。おかげで少しだけ静かになったよ。
でもまあ……。
『それにしても、《サトリ》とは初めて聞く個性だな……本当に心の声が聞こえるのか?』
そんな飯田の声も全部、聞こえてるんだけどな。
俺たちの過ごすこの社会では、世界総人口の約八割が怪力や異能といった何らかの超人的能力を備えている。人はそれを、【個性】と呼んだ。
事の始まりは、中国の軽慶市で発光する赤子が生まれたことだったそうだが、それ以降各地で「超常」は発見され、原因も判明しないまま時は流れていき、いつしか「超常」は「日常」に、そして、「
そして、この超人社会で、かつて誰もが憧れたとある職業が脚光を浴びる。
超人的能力を持った人間の中には、当然それを悪用するものも現れた。超常黎明期においては、それを規制する法律はまだ存在せず、善良な市民はそれらの凶悪な
それこそが、"ヒーロー"だ。
そんな、コミックのような世界で「第五世代」の俺に発現した個性こそが、《サトリ》だったのだ。
この個性が発現したのは、4歳のころに友達とかくれんぼをしている時だった。
鬼役だった俺のもとに、突如みんなの声が聞こえてきたのだ。その声のもとに行けば確かにみんなはそこにいたのだが、不思議なことに誰もしゃべってなんていなかったという。そのことを母親に伝えようとして井戸端会議をしていた母親に近づくと、今度は母親の声が聞こえてきた。
「
という、二つの声が、同時に。
俺は戸惑いつつも母親に話しかけると、
「おかーさん、おはなしながいの?」
またしても、母親の声が二つ同時に聞こえてきた。
『……六条さん、私の話長いと思ってたのかしら?』
『心夜見君、急にどうしたの?』
ほかの母親たちの、そんな声も耳に届いた。
「なんでって、おかーさんがさっきからそういってるじゃん」
「心夜見、いったい何を……もしかして」
そして、一瞬ののちに母親は何かを考えるように目をつぶった。
『ねえ心夜見、もしかして、私の心の声が聞こえるの?』
「うん!」
こうして、俺の個性の発現が発覚した。
その後、病院でうけた精密な個性の検査の結果、俺の個性は『一定範囲内の他人の心の声が聞こえる』というものらしいということが分かった。
担当した医者の話では、聴力を強化する父親の《超聴力》と、人の本当の喜怒哀楽が分かる母親の《ポーカーフェイス》という両親の個性を二つとも受け継ぎ、複合した結果らしい。
そして、この個性は《サトリ》と名付けられた。
両親は、互いの個性をどちらも受け継いだという結果を心から喜んでおり、そんな二人の声を聞いて俺も喜んだ。
けれど、この日を境に俺の世界は一変した。
個性が宿る前、俺は比較的無邪気な性格の子供だった。友達は少なくなかったし、いつもケラケラと笑っていた。それに、他のみんなと同じくらいにはヒーローになるのを強く夢見ていた。
しかし。
幼稚園の先生からは、『どうせ殆どがヒーローになんかなれないんだから』という声を聞いた。
温厚そうな友達からは、『いつかぜったいぶっころしてやる』という声を聞いた。
道行く人からは、『どうせ死ぬなら皆まきこんでやるか』という声を聞いた。
仲のよさそうな夫婦からは、『さっさと死ねば金が入ってくるのに』という声を聞いた。
かつて輝いて見えた俺の世界は、直視するにはどす黒すぎる世界へと塗り替わっていた。
加えて、この《サトリ》という個性はオンオフ不可能なため、誰かとすれ違うたびに否応なく声を聞かされていた。幼稚園にいても、道をあるいていても、善悪関係なく声が聞こえてくる。
そんな状況下にあった俺は当然のようにノイローゼになり、幼稚園に行くのを、いや、外に出るのを、やめた。
俺が引きこもりをやめたのは、かすかに《サトリ》のコントロールができるようになった小学校に上がる直前であった。完全にオフにすることはできないがそれでも少しだけボリュームを抑えることができた。なんとか日常に影響の出ないレベルまでにはなり、というよりそれを気にするようなメンタルがなくなり、俺は小学校へは無事進学することになった。
そんな状態になってまで小学校へ行きたかったのは、決して孤独が寂しかったから、というわけではない。
四六時中、母親と父親の俺を心配する声を聞き続けていたからだ。
こんなボロ雑巾のようになってしまった俺を、それでも両親は見放さなかったのだ。
そうして、俺は小学校へと通い始めたが、クラスメイトや周りの大人たちは、俺の個性を知ったとたんに俺から離れていった。この個性あふれる超人社会といえども、他人の心を覗き見る《サトリ》は気味悪がられたのだ。
そうやって、友達もできぬまま小学校を卒業した。幸い勉強は得意な方だった俺は聡明中学へと進学することになったが、どうせ、ここでだって孤立するんだと思っていた。
なんで俺ばかりこんな苦しみを、と世界を呪っていた。
こんなことなら初めから個性なんか発現しない方がよかった、と思い込んでいた。
残酷な世界の真実なんて知らずに生きていきたかった、と願っていた。
明るい未来や希望すら、何一つ見えていなかった。
そんな風に、世界に絶望を抱いたまま、俺は中学生になったのだった。
気づけば、HRは終わり、放課後になっていた。
もとよりクラスメイトの名前なんて覚える気はなかったし、自己紹介は早々に聞くことを打ち切り聞き流していた。先生の話も、これから三年間頑張りましょうとか、町中のヴィランには気をつけましょうとか、そんな平凡なことを言っていた。
クラスメイトの中には煩悩に染まっている奴がいたり、先生からは『は、初めてのクラス担任だ……僕がし、しっかりしないと!』なんて声が聞こえてきたりしたことは、どうだっていいことだろう。
がやがやと騒がしく雑談をするクラスメイト達を尻目に、机の上に出していた筆箱をかばんに突っ込み帰り支度をする。
すると、
「ねえ、六条君」
背後から、そう声をかけられた。
振り返ると、ニコニコとした笑顔の女生徒がこちらを向いていた。最後に自己紹介したあの女子だ。
伸ばしっぱなしの俺とは違って短く切りそろえられた銀髪が、春風に揺れている。
「えっと……確かお前は……」
「……ああ」
歯車ねえ……。
名は体を表すとは超常黎明期からあることわざであるが、この超人社会においてはその傾向がかなり顕著になっているようだ。今俺の目の前で歯車と名乗った女生徒の瞳を見てみれば、奥に歯車の模様が見える。こういった形で、個性とは全く関係ない特徴を体に宿している人は決して少なくない。
俺は特にそういった外見的な特徴はない。前も言ったが、せいぜい目が隠れるほどの長い黒髪ってだけだ。視界がいいわけでもないが、別に生活に苦労するほどでもない。
「……
「あ、ごめん」
「いや、別にいいんだけどさ」
つい見とれてしまったみたいだ。一般論としても歯車はきれいな顔立ちはしていると思うし、澄んだ瞳の奥の歯車模様には魅入られるものがある。
別に惚れたりはしないけどね。どんな美人だって心の中ではどす黒いことを考えているということを、俺はこの忌々しい個性によって知っている。
「それで、何の用?」
「
……まあ、その話になるよな。
「……そうだけど」
「本当?
声のトーンの明るさを怪訝に思いつつも、聞こえてきた歯車の声をそっくりそのまま返す。
「……"このあと買い食いしに行こうよ"」
心の声を聞く限り、歯車は本当にそう思ってるようだ。
《サトリ》が面白いって……こいつ、正気か?
「ってわけでさ、今日はこの後買い食いしようよ! 京邦小学校なんて聞いたことがないし、どこかから引っ越してきたんだよね?」
「そうだけど、いやその前に、お前、俺の個性のこと――」
「君たち、待ちたまえ! 今、買い食いという言葉が聞こえたぞ!」
歯車に真意を確認しようとしたところで、急に飯田が話に割り込んできた。
「えっと、飯田君だっけ? 確かに買い食いって言ったけど、どうかしたの?」
「どうかしたの、ではない。 君たちのやろうとしていることは校則でしっかりと禁止されているんだぞ!」
そう言って、飯田は生徒手帳の校則のページを開いて俺たちに見せてくる。確認してみると、確かに『下校時に学業目的以外での寄り道を禁ずる』と書いてある。
ああ、そうなると、買い食いはできないことになるのか。
しかし、それに対して歯車は反対の意を唱えた。
「んー、でもさ、別に監視する先生がいるわけでもないし、それくらい破ったってばれないよ」
「ばれるばれないの問題じゃない! 校則を破るというその事実が問題なのだ! いいか、歯車くんに六条くん。そもそも校則が何のためにあるのかということを考えれば――」
『あ、飯田君の話長くなりそうだな』
聞こえてきた歯車の声に、心の底から同意する。
というか、その前に。
「おい、飯田。それと歯車も。俺は別に買い食いしたいわけじゃないぞ」
「え? 六条君、行かないの?」
「行かないよ。行くって言ってないだろ……大体、お前だっていやだろう、こんなやつ」
「こんなやつ?」
「こんな……《サトリ》の個性を持っているんだぞ、俺は。気持ち悪いだろ、心が読まれるなんて」
これまでは、どんなにフレンドリーに話しかけてきた奴も、俺の個性を知ったとたんに離れていった。人間なら誰しも、隠したい秘密の一つや二つ持っているもので、それを悟られたくないと思うのは当然のことだ。
だから、どうせ離れるなら最初から近づかないようにしようと、そう思っていた、のだが……。
「『気持ち悪い? なんで?』」
「『歯車くん、彼は何を言っているのだ?』」
「『さあ?』」
「……は?」
歯車と飯田の声が、それぞれ二重に聞こえてくる。これはつまり、本心から声を発している、ということだ。
あっけにとられる俺を無視して、二人は話を続ける。
「まあいいや。買い食いがだめなら一回家に帰ろうか。家に帰ってから遊びに行くなら校則には反しないよね?」
「ああ、それなら問題はないな!」
「それまで禁止されたらさすがに理不尽だもんね。そうだ、飯田君も来る?」
「ふむ。しかし、今日は家族での会食の後は勉強に励む予定だったのだが……」
「こんな初日から?」
「初日だからこそだ。一年の計は元旦にありとも言うだろう? すべては始まりが肝心なんだ!」
「でもさ、勉強は夜にもできるよ? 始まりが肝心なら、初日から友達と交流することも大事なんじゃないかな?」
「そ、それは……」
何やらすでに飯田の性格を把握したらしい歯車が、飯田のことも遊びに誘っている。
ちなみに、歯車からは、
『うんうん、せっかく遊ぶなら皆で遊びたいよね!』
なんて声が聞こえてきている。
「確かに歯車くんの言い分も一理ある……学校という場において、切磋琢磨し互いに高めあう級友の存在は決してなくてはならないものだろう」
「飯田君はまじめだなあ……じゃあさ、お昼ご飯食べたら駅前に集合ね、二人とも! 二時ごろで大丈夫?」
「ああ、その時間なら大丈夫だ」
「わかったよ。 六条君は?」
そして、二人の顔がこちらを向く。その心の声は、無条件に俺を受け入れるものだった。
……けれど、俺はその声を受け入れられなかった。
「おかしいぞ……おかしいぞ、お前ら!」
「六条君?」
「どうしたんだ、急に!」
「こんな……こんな《サトリ》の個性なんて気持ち悪く思って当然だろ! なんでそんな、何でもないようにふるまえるんだ!」
そんな俺の激情に、二人が呼応する。
「『個性で人を決めつけるなんて、そんなことすべきではないだろう!』」
「『個性なんて人それぞれなんだから、気にするものでもないでしょ?』」
二人は、俺の顔を見てきょとんとした表情になる。
「わかってないだけなんだよ! いつもそうだ、皆……皆離れていくんだ!」
「……っ! とにかく、俺は遊ばないからな! 遊ぶなら二人で遊んでくれ!」
俺は、そう言い残してかばんをひっつかみ、教室を飛び出した。
「ちょ、ちょっと、六条君!」
「廊下を走るんじゃない!」
そんな声を背中に聞きながら、俺は廊下を駆け抜けていった。
変じゃないか、《サトリ》に何も思わないなんて!
どうせ、なんにもわかってないだけなんだ……そのうち、俺を裏切るに決まっている。
学校を飛び出した俺は、我が家へと向かっていた。
聡明中学に進学するにあたり、家族で駅の近くにあるのアパートに引っ越してきた。といっても、仕事の都合で父親だけは前の家に残ったのだが。
「なんなんだ、あいつらは……」
こんなの、初めてだった。
《サトリ》の個性のことを聞いて、それでも離れていかなかった奴なんて、一人もいなかった。みんな、俺に心を悟られまいとできる限り離れていったし、教師だってほとんどが気味が悪いと思っていた。
少なくとも、俺は今日まで、そういう声をずっと聞いてきた。
……どうせ……どうせ、あいつらだって!
『腹減ったなあ……何か食おうかな』
『あ、100円落ちてるじゃん。ラッキー』
『電車止まってんのかよ。クソ、ついてねえな』
そんなことを考えながら歩いていれば、いつのまにか駅前広場にたどり着いていた。広場は、大勢の人でごった返している。まあ、そのほとんどは俺と同じように午前で学校が終わった学生みたいだけど。
ところで、俺は人ごみが嫌いだ。
いくら個性の制御ができるようになったと言っても、絶え間なく声が聞こえてくる。そこに統一性も何もないし、ただ単純にやかましいというのが理由の一つだ。
ほかの理由としては、人の醜い心の声が聞こえてくるからというのがあるが……まあ、そんなものは今更だろう。そういう世界なんだ、この世界は。
『なんか駅の方が騒がしいな』
『……あ、財布落とした』
『あー、入学式だるかったー』
歩くスピードを少しづつ速めていき、地下道へと入っていく。俺の住むアパートは、線路を超えた向こう側にあるから、ルートとしては駅の地下にある商店街を抜けるのが一番近い。
それなりに幅のある通路の左右には、喫茶店や雑貨屋、衣料品店にドラッグストアなど、様々な商店が立ち並んでいる。機会があれば立ち寄ってみたいけど、少なくとも今はそんな気分じゃない。いらいらしながら、早歩きで通路を抜けようとした。
そのとき、背後で、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
悪は、脅威は、理不尽は、いつも唐突にやってくるんだ。
「ヴィランだ!」
大勢の人が歩いている地下商店街で、突如響いたそんな叫び声。
その声の直後、一瞬だけ、心の声すらも聞こえなくなり静寂が訪れる。
そして。
「お、おい! こっちくるぞ!」
「うわあああああ!!!」
『なんで僕がいるときに……!』
『暴れたきゃどっか遠くで暴れてろよ!』
「ハルカ! こっちに逃げて!」
阿鼻叫喚がこだまする。
人々が一斉に逃げ出し、視界が開けると俺もそのヴィランを確認することができた。
体中がごつごつとした岩石で覆われているそのヴィランは、全速力でこっちへと走ってくる。後ろからは何人かのヒーローがついてきているので、何か犯罪をしてつかまりかけたところを逃げているのだろう。
「『おらァ! 死にたくなきゃそこをどきやがれ! 邪魔する奴は誰だろうとぶっ殺してやる!』」
そう叫びながら、ヴィランは手のひらから巨大な岩石を作り出し背後のヒーローたちへと投げつける。
さ、さすがにこんなのはシャレにならない!
俺もほかの一般人にたがわず避難する。道を開けるようにすぐそばにあった雑貨屋へと逃げ込む。こうすれば万が一にもヴィランの邪魔をすることにはならないから、被害を受けることもないだろう。
ヴィランを捕まえるなんてことは、ヒーローに任せておけばいい。それがヒーローの仕事だし、俺たち一般人には、そんな力も資格もない。
「待て!」
「そう言われて待つバカがどこにいんだよ!」
『いたっ!』
「おすんじゃねえよ!」
「うるせえんだよこののろま!」
『あら!? カナデが、カナデがいない!』
『クソ迷惑な奴……電車止まったのもこいつのせいか!』
そんなさなかにも、地下通路は怒号と悲鳴であふれている。
突如として現れたヴィランの存在に人々は恐怖するばかりで、自分の命を守るだけで精いっぱいだ。かく言う俺だって例外じゃないし、ヴィランに攻撃されないように、ヒーローが早くヴィランを捕まえることを祈ることしかできない。
とはいっても、この街のヒーローだって決して弱いわけじゃないだろうからすぐに捕まえてしまうだろうし、道を開けるだけなら避難も簡単だからけが人も出ないだろう。
そう、思ったのだけど。
「カナデ! カナデはどこ!?」
ざわめきの中で、そんな女性の声が聞こえる。その必死さに煽られ通路の方へと顔を向ければ、
「『あ……ぁ……』」
転んでしまったのか、俺の目の前に通路の中央でへたり込む女の子の姿があった。
声の内容から察するに、きっとあの子がカナデで、あの女性はその母親なのだろう。
「カナデ!」
「バカ、死にたいのか!」
「何するのよ! カナデが、カナデが!」
走りだそうとする母親をそばにいた男性が止める。知り合いというわけではなさそうだ。
母親は懸命に声を張り上げるが、カナデちゃんにその声が届いている様子はない。カナデちゃんは、今まさに自分に走り寄ってくる岩ヴィランに恐怖するだけだ。
ヴィランとヒーローの声が響く。
この状況、誰が見たって絶体絶命だ。
岩ヴィランの攻撃力の高さは誰が見たって明白だし、まともに食らえば大人でさえ無事ではいられない。そんなヴィランの餌食に、女の子がなろうとしているのだ。
けれど。
『なに転んでんだよ……』
『早く逃げろって……!』
『あのヴィラン、マジであの子を殺す気なのか!?』
『ヒーロー、早くヴィランを捕まえろよ!』
この場に、ヒーロー以外でカナデちゃんを救けようとする人間は、一人もいない。誰だって、あの子を心配には思っているが、自分の身を犠牲にしてまで救けようなんて思ってる人はいない。
でも、これは仕方のないことだ。人間だれしも自分の命こそがかわいいんだから、救けられるものなら救けたいと思っていても、助けようとは思わない。
俺だって、その一人だ。
「『死ねクソガキ!』」
もうすぐそばまで来ていたヴィランがまたしても岩を作り出し、振りかぶる。
カナデちゃんはそれを見て頭を抱えてうずくまるが、誰も動き出す気配もない。ヒーローが間に合うかもわからない。
仕方ない。
この世の中は、そういう世界なんだ。
そんなことを考えながら俺はどこか冷めた目で、カナデちゃんを見て―ー
『たすけて!!』
――気づけば、走り出していた。
「あぶない!!」
俺は、そう叫びながらカナデちゃんのもとへと駆ける。
「『あ!? 自殺志願者か!?』」
俺が飛び出したくらいじゃ、岩ヴィランは攻撃を止めない。
わかってたことだ。なんで、なんで俺は飛び出した!?
「くそっ!」
一心不乱でに、走る。
カナデちゃんのところまで、距離がそんなにあいているわけでもない。歩数にして、せいぜい3,4歩。
それでも、俺の目にはひどく遠い距離に思えた。
必死にカナデちゃんに手を伸ばし、抱え込むように腕を回す。カナデちゃんを抱き込み、走った勢いのまま転がるように飛ぶ。
飛んでくるであろう岩の軌道からはそれたはずだが、足くらいには当たり、砕かれるかもしれない。
そう覚悟して目をつぶる。
けれど、
「『レシプロバースト ギアオーバー!』」
そんな声が聞こえてきたのちに、
「ぐっ!」
俺はカナデちゃんを抱きしめながら床に体をぶつけてそのまま転がった。
思いっきり倒れこんだようなものだから痛いことは痛いのだが、岩の衝撃は何一つ来なかった。
どういうことかとゆっくりと目を開ければ、そこには、
ターボヒーローインゲニウムが、倒れている岩ヴィランに片足を載せながら立っていた。
「確保!」
「チクショウ!」
すぐさま、岩ヴィランを追いかけていたヒーローたちが岩ヴィランに駆け寄り腕を抑え確保する。岩ヴィランのパワーはすさまじそうだが、難なく確保のための拘束具で縛りあげる。
「「うおおおおおお!!!!」」
「さすがはインゲニウムだ! 颯爽と現れるなんて!」
インゲニウムを称える声が地下商店街に響く。
「みなさん、この通りヴィランは確保いたしました! ご迷惑をおかけいたしました!」
「ありがとうヒーロー!」
『よかった……』
「助かったよインゲニウム!」
『にしても、あの中学生は大丈夫だったのか?』
インゲニウムはその声に答えるように確保宣言をして、人々の間から安堵の声が聞こえてくる。
「『カナデ!』」
すると、人ごみからカナデちゃんの母親が涙目で飛び出してくる。
その声を聞いたカナデちゃんは、俺の腕の中からするりとぬけ母親のもとへと駆け寄る。
「『うわあああぁぁん!!』」
大泣きしてる……当然だけど。
泣きながら抱きしめあう親子を眺めていると、そんな声がかけられた。
振り向けば、二人のヒーローがこちらを見下ろしていた。
「え、あ、はい。インゲニウムと……ええと……」
「あ、
「ああ……すいません」
……全部ばっちり聞こえてるんですが……。ごめんなさい、マニュアル……。
「それで、君は大丈夫かな?」
妙な重苦しい空気を破ったのは、インゲニウムだった。
「ヴィランの攻撃
「はい、ケガは特に……説教?」
「……ん? マニュアル、今俺声に出てた?」
やべっ。
「
「……はい」
説教……。
「今回は確かに特殊な状況だった。俺が間に合うかどうかもわからなかった。けれど、君が飛び出したのは無謀すぎた」
「……」
「見たところ、何か策があって飛び出したわけじゃなかったよな?」
「……そうですね」
「あのヴィランも言っていたが、あの君の行動は、完全に自殺志願者のそれだった。この危険性はこれ以上は言わなくてもわかるな?」
「……はい」
そんなこと、俺が一番知っている。
ヒーローでもない俺が、あそこで飛び出す理由なんかなかった。あの場はヒーローに任せて、もしもカナデちゃんが死んでしまえば救えなかったヒーローが責められることで済んだはずなんだ。……だって、それがヒーローの仕事だろ?
「……とまあ、説教はこの辺で終わり。個性を使って戦ったようにも見えなかったし、これ以上は責めるいわれもない。だから、ここから先は個人的な話」
「個人的な話?」
「……どうして君は、あの時飛び出したんだい? 下手をすれば、死ぬ可能性だってあったのに」
インゲニウムに、そう問われた。
あの時、俺は……。
「……わからないんです」
「わからない?」
「はい。……あの子の、カナデちゃんの声が聞こえたら、体が、勝手に……!」
「声? あの子は特に声は出てなかったと思うけど」
マニュアルがたまらず口を挟む。
「ああいや、普通の声じゃなくて……心の声なんです」
『心の声?』
ああ、このことはできるだけ言いたくなかったけど、言わなきゃいけないか。
「俺の個性がそういう個性なんです。《サトリ》って言って、他人の心の声が、制限なく、聞こえてくるんです」
「
「はい、そういうことです」
「あるんですよ。そんな個性が」
インゲニウムの心の声と会話をする。マニュアルは、そんな俺とインゲニウムを見て、『本当みたいだな』と心の中でつぶやいていた。
「それで、聞こえたんです。ヴィランが岩を振りかぶったとき、カナデちゃんから『たすけて』って声が。それを聞いた瞬間、勝手に走り出したんです」
『たすけて、か』
「常識として、ヴィラン退治なんてヒーローに任せておけってわかってたはずなんです。あそこで飛び出したって、死ぬ可能性が生まれるだけだって。カナデちゃんが死ぬかもしれないとは思ったけど、仕方のないことだって」
「『仕方ない?』」
「ええ。仕方ないことなんて世の中に山ほどあるじゃないですか。さっきのことが最たる例ですよ。女の子が理不尽に死にそうになってても、赤の他人を救けようとする人なんて一人もいなかった。俺だって、直前までは、仕方ないと見捨てるつもりだった。ヒーローだって、間に合うかどうかわからなかったわけじゃないですか」
人々は次第に散らばりはじめ、じわじわと俺たちを取り囲む人数も減っていった。
「この世の中、どうしようもないことなんて、いくらでもありますよね」
「……なんでか、わからないですけどね」
「なんでか?
「それ、どういう……」
「『君は、あのカナデちゃんを救けたいと思ったんだろ? だから、体が動いた。それだけだよ』」
「……」
「きっと、君の個性のおかげで、君はあの子の心の叫びをより強く聞いてしまったんだ。だから、誰よりも強く救けたいと思ってしまった」
「でも、危険だなんてわかってて、安全策なんて思いついてなくて!」
「『それでも、君は救けたいと思った。危険なんて百も承知で、それでも本能が体を動かしたんだ』」
「けど!」
「……君は、人の心の声は聞こえるのに、自分の心の声は気づかないみたいだね」
「え?」
「もっと、自分の心に正直になってもいいんじゃないか?」
ぽかんとする俺に、今度はマニュアルが話しかける。
「きっと君はさ、小さいころに個性が発現してから、いろんな人の心の声を聞いてきたんだと思う。その結果、この世界が子供が思い描くようなきれいなものじゃないなんて思ってるんじゃないかな?」
「……」
無言でうなずく。
「俺だって大人だ。それが必ずしも間違いじゃないことはわかってる。……それでもさ、この世界はたった十数年で見限るくらい狭くもないよ」
「……それって……」
「少なくとも、俺たちヒーローは自分を犠牲にして市民を守ってる。それ以外にも、この世界には素晴らしい人たちはいっぱいいる。それに……」
そう言って、マニュアルは俺の後ろを指さす。振り返れば、カナデちゃんと母親がこちらに歩いてきていた。
「『ありがとうございます……! ヒーローの方々も中学生の君も、なんてお礼を申し上げていいか……ほら、カナデも言いなさい!』」
母親に促されたカナデちゃんは、一歩前に出て、俺の方を向いて、
「『ありがとう! おにいちゃん!』」
母親同様二重の声で、満面の笑顔でそう告げた。
「~っ!」
涙が、こぼれそうになる。
マニュアルの声が聞こえてくる。
「わかるかい? 少なくとも、君は、カナデちゃんにとってのヒーローなんだ。……これだけでも、この世界はまだまだ捨てたもんじゃないだろ?」
「……はいっ!」
俺は、泣きながらそう答えた。
四歳の時に《サトリ》が発現してから、俺の世界は大きく変わってしまった。この世界がひどくよどんだ、汚い世界だなんてことを簡単に知ってしまった。
ヒーローという職業があふれていても、すべての人間が救われるわけじゃないし、全員が誰かを救える人間でもない。
だから、世界に絶望して、俺は心を閉ざしていた。
でも、俺は、本当は、心の底では……。
☆☆☆☆☆
この世界は、理不尽に満ちている。
――なんで俺にはこんな個性が。
この世界は、嘘に満ちている。
――ずっと、騙されていたんだ。
この世界は、絶望に満ちている。
――俺を救けてくれる人間なんていやしない。
けれど、それでも、いや、そんな世界だからこそ、俺は――。
ヒーローを夢見たんだ。