国連総会 一般アニメ討論演説 はじまる
日本時間12月31日朝(ニューヨーク時間12月30日)、各国首脳による2022年覇権アニメを選出する一般アニメ討論演説が悪びれもせず開始された。
新型コロナ感染症との戦いも4年目に突入しようとしているほか、仮想戦記でさえありえないほど多くの出来事が重なったことしは、アニメもまた例年にない粒ぞろいの傑作がかつてないほど集中した年でもあった。民間シンクタンクは「アメリカ全土が記録的な寒波に襲われているが、ことしのアニメは最初から最後まで豊作だった。雪をも解かす白熱した議論が予想される。地球温暖化が深刻化すると思われる」と警鐘を鳴らした。
なおロシアはハブられた。
英国首相「バランスが重要」
「まず、私の前任者に感謝を述べたいと思う。なにせ彼女が就任後ワンクールも待たずに辞任する英断を下さなければ、私は英国の代表としてこの場に立つことができませんでした。
彼女は2代の王朝に仕えた栄光を手に入れ、代わりに私はここでEUなんかよりずっと愛すべきアニメを語れます。そう、2022年の覇権アニメ『リコリス・リコイル』についてです。
千束とたきなのキャラデザを見たとき、私は長年アニメを視聴してきた経験からこう思いました。この髪が白い女の子は天真爛漫でおっちょこちょいでちょっと抜けてるトラブルメーカーだけど要所要所で的確に本質を見抜くタイプ。対して黒髪ロングの子は成績優秀で冷静沈着、白髪の子に振り回されるツッコミ役なのだとね。私は自分の慧眼に身震いすらした。そして第1話を見終わったとき、私は自分の見立てが香港返還なみに間違っていたと思い知らされた。
私は百合とは見た目の可愛さよりもキャラ間の関係性に真髄があると信じている。シスターフッドも含めてだ。相手のことがとても大切であることには違いないが、単なる友情とも、恋人とも言い切れない、一種独特の間柄。だからこそその関係性には百合という専用の言葉が用いられているわけだが、千束がたきなに向ける感情は、当初の私には知覚できなかった。そう、千束からたきなへの矢印が見えなかったんだ。これはどういうことかと思って、移民問題そっちのけで何度視聴してもなにも見えない。そこで気づいた。あまりに千束→たきなの矢印がデカすぎて、私の視界では捉えきれなかったんだ、ナスカの地上絵がそこに立っていると全体像が見えないように。クソデカ感情すぎて思わず恐怖すら感じて後ずさったよ。
では、もうひとりの主人公であるバディのたきなはどうだったか? やべー女だった。人質に囚われた味方を助けるために機関銃をぶっ放したんじゃなく、なんにも考えずにただぶっ放してただけなんじゃないかと思ってしまうくらいにはやべー女。真面目で清楚な生徒会長みたいな顔をしておきながら倫理観がずれている致命的なギャップがたまらない。
こんなふたりがバディとして組んだなら、それはもう危険な化学反応が待っていると想像するに難くない。シンクの詰まりを直そうと塩素タイプと酸性タイプの洗剤をカクテルして最強の洗剤をつくったあの日を思い出したよ。鼓動を聞こうと千束の爆乳に耳をあてるたきな。電話は3コールで出るよう強要するたきな。そして、“心臓が逃げる!”。そんな束縛地雷女のたきなをブラックホールのように受け入れて包みこむ完璧超人のスパダリ千束。彼女たちの戦いは『ダーティペア』や『あぶない刑事』を下敷きにして、この2022年に新しい百合バディとガンアクションへと昇華していた。まさに一時代を築いたといっても過言ではない。
OPのラスト、千束がたきなのお尻を蹴って、それにたきなが割とガチで蹴り返し、しかし二人とも笑っている。ふたりの関係性をたった数秒で描き切ったこのシーンの衝撃を私は生涯忘れないだろう。そんなだから、原案者がSNSに“千束の指に気づきましたか?”と投稿したのを視聴者たちが“千束の爪が短くなっている!”と大騒ぎし、原案者があわてて“C.A.Rシステムから普通の構え方に滑らかに移行しているって言いたかったんだよ!”と弁明する騒ぎもあったが、さもありなん。私は千束とたきなに幸せになっていてほしいんだ。
脇を固めるサブキャラたちも実に個性的だ。とくにミカ。なにやってんだミカ。日本に“世界よ、これが真のポリコレだ”と突きつけられた気分だ。リコリコのスタッフたちはポリコレを縛りではなくさらに作品を面白くする火薬に使った。これこそがクリエイターのあるべき姿だと教えられた。百合の間に挟まる男、真島のキャラクターも単なる悪役に留まらない独特の魅力を出す創造的な試みに成功している。
作画も良好で、ガンアクションも日常風景も美しくエモーショナルに構築されていた。これを流しておけばなんか丸く収まる気がするEDテーマ『花の塔』もこのアニメの象徴として抜群の引きの良さと余韻を残してくれた。脚本の粗を作画と関係性とEDでごり押しするアニメと言ってしまえばそれまでだが、私はエンタメとはどれだけごり押しできるかだと思っている。ツッコむ余地を与えない、それもまた一流のエンタメの在り方ということは賢明な諸兄には説明の要もないだろう。
つまり全体的に見て、リコリコはアニメを構成するひとつひとつの要素が高水準であるにもかかわらず、どれかがいたずらに突出することなく非常にバランスよくまとまって調和した、極めて完成度の高いテレビアニメだったと言える。バランスが重要なんだ。バランスのとれたリコリコというアニメに出会えた。それだけで2022年は価値ある年になった。プライムビデオのアニメ部門で続編を希望する作品として堂々第1位に輝いたのも納得だ。国王の時代がいつまでもつかはとんとわからないが、リコリコにはぜひ末永く続いてほしい」
これに対して各国首脳のあいだからは「リコリコは今2クール目が佳境じゃないか」「私はこのあいだハワイが舞台の25話を見たばかりだ」と混乱の声も聞かれた。リコリコ・ロスのあまり、同アニメが未だ制作と放送を継続している集団幻覚に陥っているものと思われる。存在しないリコリコ14話以降の感想戦を始めた首脳らをよそに最後に英国首脳はこうしめくくった。
「私がリコリコに言いたいことはただひとつ。“錦木、責任をとれ”。ありがとう」
ドイツ 懐かしの密告時代
前任者よりいまいち影の薄いドイツ新首相は、かつてメディアに「オートマタ」と皮肉られた、感情を排した演説を展開した。
「世界は激動の時代を迎えています。地殻変動なみの変革です。なぜならそれは、ジャンプ+の最高傑作の呼び声も高い『SPY×FAMILY』がついにアニメ化されたからです。
『SPY×FAMILY』は、昔懐かしい東西冷戦時代のドイツを思わせる架空の世界が舞台です。凄腕スパイの〈黄昏〉が任務のために妻子ある夫を演じることになり、まず孤児院からアーニャを引き取って娘にします。ついで、適齢期なのに結婚していないことを周囲に怪しまれゲシュタポに密告されるところだった公務員の女性ヨルさんと利害が一致したことで偽装結婚を果たし、任務に必要な三人家族が出来上がります。
凄腕のエリートがそれまで無縁だったキラキラした生活を演じる必要に迫られ、なんとか適応しようともがいて空回りするさまがおかしみを誘う点では、『デンジャラス・ビューティー』に通じるものがあるでしょう。
ですがこの三人はただの偽装家族ではありません。〈黄昏〉はもちろんスパイであることを隠していますが、アーニャは実は読心術が使える超能力者で、その異能ゆえに施設や里親をたらい回しにされた過去から能力のことをひた隠しにします。ヨルさんはなんと凄腕の殺し屋。祖国に巣食う売国奴やスパイを根絶やしにする暗殺者であることを〈黄昏〉とアーニャにはひた隠しにします。
スパイ、超能力者、殺し屋。三人が三人とも素性を隠し、自分の正体を知られないようにしながらフォージャー家という家族を装う、奇妙な新生活を送るこの作品は、“家族とはなにか”という人類を長年悩ませてきた命題にひとつの答えを見せてくれました。
家族とはつまるところ、ただの他人です。子供はともかく夫婦に至っては血すら繋がっていません。血の繋がりがある子供も、独立した一個の人格を持つ点ではやはり他人です。しかし現代では、悲しむべきことに、血の繋がりを神聖視するあまり、家族だから自分を助けて当たり前と考えたり、どれだけ憎くても家族だから助ける義務があると自分で自分を束縛していえるケースが増えているのではないでしょうか。家族や血の繋がりは、実はなんら現実的な力を持たないフィクションなのです。そのフィクションは、適切な使い方をすれば心のよりどころになりますが、過度にすがりつけば悲劇が待っています。実際、世の中の殺人事件の大半は親族が犯人なのです。
ひるがえってフォージャー家は、三人とも重大な隠し事を秘めているものの、お互いを尊重しあい、周囲から怪しまれない仮初めとはいえ、仲のよい家族になろうと日々努めています。〈黄昏〉はアーニャを厳しくしつける一方で多少無理してでも時間を作って家族サービスも忘れない。ヨルさんはアーニャの善き継母になろうと苦手な家事に奮闘する。アーニャは超能力で〈黄昏〉のスパイ活動を陰ながら支援する。
この三人は素性も素性なら、どこか常識も欠けている、いわば異常者の集まりなのですが、その異常者三人が形作るフォージャー家が、互いが互いを慈しみ、助け合う、まさに理想の家族像となっている点が興味深い。ここからは次のような結論が導き出されます。家族とは、血が繋がっているだけで自動的に形成できるものではなく、むしろ呪いにさえなりうる。しかし逆に血縁がなくとも互いに助け合おうとすれば家族になれるのだと。そもそも夫婦は赤の他人です。双方向的な絆を育む姿勢や過程こそが家族なのでしょう。
狂人のまねをする者は狂人です。ならば、善き家族のまねをする者たちは、それはもう家族なのです。
現代では残念ながら機能不全家族が深刻な問題となっており、同じくジャンプ+で連載された『タコピーの原罪』で描かれた救いようのない家庭がリアリティをもって受け入れられるほど普遍化してしまっています。だからこそ、家族とはなにか、それを問い直す『鬼滅の刃』や『万引き家族』、そして本作が支持されたのでしょう。
テーマ性のみならず、スパファミは単純にエンタメとして面白い。冷戦、スパイ、諜報合戦、殺し屋という、どうしても殺伐となりがちな要素が揃っていながら、メインキャラがいずれも善性が根底にあり人間臭さも持ち併せていることで自然と感情移入する。
なんといっても、アーニャが可愛い。作中最も表情が豊かな顔芸担当でありながら、事実上の真の主人公でありヒロインでもあるアーニャ。たどたどしい言葉遣いも実に可愛らしい。私も最近は外出時に“おでけけ”といって妻を困らせるのが日課になりました。おでけけ。なんと可愛い言葉か。オヤツをお通夜と言っていた若い頃を思い出します。題材からしてシリアスな本作を老若男女問わず楽しめる娯楽作品に仕上げているのはまぎれもなくアーニャのお手柄といえるでしょう。
もちろんアニメとして、よく動きながらも緩急のメリハリの効いた演出は純粋に物語を楽しむことに集中させてくれます。動いて喋るアーニャのなんと愛くるしいことか。イーデン校の制服を公園で見せびらかすときの“ばーん”があまりにも素晴らしい。私が脳内で想像していたアーニャの声の100倍アーニャしてた。
疑似家族でありながら精いっぱい本物の家族になろうとしているフォージャー家の行く末を応援せざるを得ないとともに、来年23年には二期と劇場版の公開も予定されている『SPY×FAMILY』こそがことしの覇権であることは疑いようのない事実です。
私の退屈な演説を最後まで聴いてくれて、あざざます」
機械のようだと評判だったドイツ首相に、各国首脳は感情を獲得したAIを見たように拍手喝采を送った。
日本 サッカー大躍進
「2022年は、わが国にとって非常に意義のある年となりました。サッカーワールドカップで並み居る強豪国を相手に勝ち進み、グループリーグ一位で通過し、過去最高に並ぶ9位となる快挙を成し遂げました。
その記念すべき年に、異色のサッカー漫画『ブルーロック』が最高の形でアニメ化されたことに、私は運命を感じずにはいられません。
『ブルーロック』は、スポーツ漫画で重視される“スタンドプレーを戒め、チームプレイで勝つ”という常識を真っ向から否定する挑戦的な作品です。連載当初は、その異質さ、実在の選手を揶揄する台詞等から批判を浴びることもありました」
『ブルーロック』では、サッカー日本代表がワールドカップで成績を残せないのは得点力不足にあるとして、全国から10代のフォワードばかりを300人集め、蟲毒のように競わせて最後の一人になるまでふるいにかけ、最強のストライカーを育てるという「青い監獄プロジェクト」に主人公が放り込まれるところから物語が始まる。サッカーは本来さまざまなポジションが有機的に機能して試合を展開するため、それぞれのポジションに適した人材も異なる。しかし本作では全員がフォワードなので、訓練内容も「とにかくボールを奪ってシュートするだけ」というシンプルな展開が軸となり、サッカーに詳しくない層にもとっつきやすい効果が見られた。
「本作の最大の特徴は、異様なまでに個性的なキャラクターの面々にあります。“フォワードに必要な資質は、チームメイトを自分がゴールを決める引き立て役だと信じて疑わない強烈なエゴ”という哲学に基づいて制作されている漫画だけあって、全員が利己的で、自分が得点することしか考えていません。
まとまりのない、バラバラで無秩序な集団。それが、訓練を経るなかで、どうすれば得点できるか、それを追求するうちに、利己のためには利他が最も効率がよいことに気づき始め、強すぎる個性を各々が上手く活かしながら結果的にチームがまとまっていく過程には、近年稀に見る爆発的なカタルシスがありました。まさに、“われわれにはチームプレイなどという都合のいい言い訳は存在しない、あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ”を体現するストーリーといえました。閣僚のドミノ辞任が続くわが内閣もそうあるべきかもしれません。
なにより、千切豹馬くんのキャラ造形には素晴らしいものがあります。『幽遊白書』の蔵馬や『HUNTER×HUNTER』のクラピカの流れを汲む中性的キャラで、エゴが強いフォワードとして集められた一人のはずですが、千切くんだけはどこか一歩引いて冷めたところがあります。それは千切くんの過去に起因するもので、ある理由から本気を出せずにいた千切くんがついに吹っ切れて真の才能を発揮する瞬間は神がかりとしかいいようがありません。千切くんの汗を再現した香水の国産化を検討したいと考えております。
日本サッカーのさらなる躍進を衷心より願い、スポーツを通じた世界平和への決意を新たにするとともに、原作ではさらに面白くなる第二次選考編に突入した『ブルーロック』の2クール目への期待も込め、ことしの覇権アニメに推挙したいと、こう思うものであります」
ぼっち・ざ・平壌!
93年から弾頭ミサイルの発射実験を繰り返している北朝鮮。ことしは過去最多の発射数を記録し、ミサイルの性能向上アピールに余念がないが、最高指導者である朝鮮労働党委員長が富国強兵とともにアニメ視聴と考察に国を挙げて取り組んでいることも話題になった。世界からの孤立、ぼっち化を深める北朝鮮で今いったい何が起きているのか。
国連総会に総書記の代理で出席した北朝鮮代表はマンゴーの箱を被ったまま演説した。
「わが朝鮮民主主義人民共和国と、英明なる同志にして偉大なる継承者たるわれらが党委員長は、決してぼっちではない。しかし、ぼっちである現状を打破するべくロックで世界に戦いを挑む後藤ひとりの物語『ぼっち・ざ・ろっく!』には全人民が共感を覚えることは一片の疑いの余地もない。『ゆるキャン△』のなでしこと同じカラーリングなのにどうしてこんなに陰陽の差がついたのか、わが国が経済制裁を受けている理由と同じくらい謎である。
後藤ひとり、通称ぼっちちゃんがバンド仲間と出会い、初めて出来た友達との交流を通じて成長していく姿を描く『ぼっち・ざ・ろっく!』の最大の特徴は、原作の卓越した秀逸さもさることながら、漫画である原作を解きほぐしてアニメに編み直す制作陣の手腕にある。映像というメディアに翻訳するにあたり、ぼっちちゃんの溶ける変顔など奇抜な表現のみに終始することなく、構図にキャラの心情を託し、スピーカーの前に置かれたペットボトルの飲み物が振動で震える描写など丁寧な演出を堅実にこなす『ぼざろ』アニメスタッフの功績は白頭山よりも大きい。
忘れてはならないのが、ぼっちちゃんを演じる青山吉能氏の怪演だ。親愛なる指導者、党委員長も“この声優はぼっちちゃんのために生まれてきたに違いない”と絶賛した鬼気迫る演技は子々孫々に渡るまで語り継がれるだろう。
わが朝鮮民主主義人民共和国は『ぼざろ』二期の制作を強く望むものであり、そのためにはわが国は保有核兵器の完全かつ不可逆で検証可能な形での放棄も辞さない覚悟である」
北朝鮮の核関連施設やミサイル関連施設の画像分析を専門とするサイト「38ノース」は、『ぼざろ』の放送日には同国がミサイルを発射していないことを挙げ、「その日は豊渓里の整備兵にアニメ視聴命令が出ていたと思われる。『ぼざろ』が映画化すれば公開日は祝日になりかねない。状況は予断を許さない」と分析した。
ウクライナ大統領 魔女に心酔
手も足も使わずにピアノを弾けるウクライナ大統領は、ウクライナからビデオメッセージで参加した。
「20年前にタイムスリップしたとして、2022年は『うる星やつら』や『聖剣伝説』のアニメが放送され、『スラムダンク』の映画が公開されると言っても、だれにも信じてもらえないだろう。どことは言わないが、面積は最大だが道徳は最小の国が19世紀のように隣国に攻め入って、あまつさえ1年近く苦戦していると力説しても、きっと鼻で笑われるように」
劈頭、ウクライナ大統領が切り出して各国代表は爆笑の渦に包まれた。
「ことしは実にアニメが充実した1年だった。いずれも甲乙つけがたい。
『チェンソーマン』、『異世界おじさん』、『パリピ孔明』も覇権を名乗るにふさわしい。
しかし、あえてひとつ選ぶなら、ウクライナは『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を推挙したい。
プロローグ、エリクトがガンダムを起動させた瞬間の鳥肌。感情を上書きされてしまったハッピーバースデートゥーユー。そこから1話がはじまったときの、どう見てもエリクトが成長した姿にしか見えないのに名前がスレッタ・マーキュリーで、この子エリクトじゃないのかという混乱。ミオリネというガンダム特有の“いい性格の女”。
――百合婚ガンダム。
こういう言い方は好ましくないのかもしれないが、リコリコ難民の受け入れ先ともなった。リコリコの真島と、本作のグエル、百合の間に挟まる男の描き方にこんなに違いが出るのかと思っていたら、今度はグエルが攻略対象キャラ。寮を追い出されればキャンプをし、優雅にコーヒーを啜ってスレッタの決闘を観戦しながら“さあどうする、スレッタ・マーキュリー”。いやお前がまず自分をどうにかしろ。
ガンダムの名前がエアリアルということで、お菓子のエアリアルとコラボしたと思ったら、誕生日に直火で炙られたエランくんがコラボしたのは“炙りトウモロコシ味”で、あいかわらずサンライズのスタッフは人の心がないと思い知らされた。泣きながら食べたよ。
また、当初は碇ゲンドウなみに害悪だと思われていたデリング総裁が、話が進むにつれ、実は作中でも屈指のまともな親なのではないかと印象が変化していくストーリーテリングは見事の一言だった。彼自身はなにも変わっていないのに、情報が開示されるにしたがって彼の正しさが明らかになっていく。近年のトレンドである“実はこのキャラの本質は、第一印象と違って”の手法を貪欲に取り入れた意欲的なキャラ造形だ。
スレッタとミオリネの百合婚も、すれ違いと和解を経て、そのたびに毎週一喜一憂させてくれる。『水星の魔女』は2クールあるうちのまだ1クールしか放送されていないが、それでも本作が歴史に残る名作となり、以降のガンダムシリーズ制作のハードルを天高く上げてきたことは言うまでもない。
わが国は、ことし初めから武力侵攻を受け、日常が取り戻せないまま年を越そうとしている。
しかしわれわれは決して戦いをやめることもアニメを観るのをやめることもない。砲弾が降り注ぎ、ミサイルが流星群となって空を満たそうとも、アニメを観る日常はだれにも奪わせない。
愚かな戦争にエネルギーを使わされるのはまっぴらだ。
戦争に付き合わされるのはまっぴらだ。
だからわれわれはアニメを観続ける。卑劣な侵略者に、おまえたちではわれわれのアニメを観る時間さえ破壊できないのだと教えるために。
願わくば、侵略者たちも銃声や砲声より声優の声のほうが聞く価値があることに気づいてほしい。
来年が世界のすべての人々にとってよい年になりますように。そして、また素晴らしいアニメに溺れ、現実の悲劇にではなくアニメキャラのことで一喜一憂できる年になりますように。ありがとう」