あなた「ハルトマン中尉がズボンをもらってくれないんです」
ミーナ「……はい?」

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C95、サークル「EJ改」
エーリカ・ハルトマン合同誌『Schwalze Teufelchen』に寄稿致しましたSSです。


あなたに毎日ズボンをあげる

西暦1944年のブリタニア、朝焼けの空の下、ドーヴァー海峡が見渡せる海岸で、遠い異国の扶桑から派兵されてきた「らしい」わたしは、海峡の向こう側にある隣国ガリアを臨む。

波音が穏やかな海の向こう。そこに敵がいるなんて、わたしには未だに信じられずにいた。

――――ネウロイ

人類が争う敵の名だ。

国家でもなければ人種でもない。ソレの名が指すのは、人を無慈悲に無残に襲う怪異の総称らしい。

その正体は今も定かではない。けれど、欧州で暮らしていた人々は生まれの故郷を、愛すべき人を散々に奪われたのは確かなのだそうだ。

………「らしい、そうだ」と繰り返す。

他人事みたいに思っているわたしだけれど、わたしにとっては事実他人事でしかなかった。

わたしには、今より以前の記憶がない。記憶を失う以前のわたしは空の人だったらしいけど、ネウロイに撃墜され、生死を彷徨うほどの怪我を負って今に至る。

だから昔の自分をなぞるように「軍人」をしているわたしには世界の情勢も、己の過去も、聞いたもので、与えられたモノで、わたしモノのじゃなかった。だから、実感が湧かないのかもしれない。

それでも、不謹慎だとココロは謗る。

戦争中だというのに他人の不幸を全くの他人事にしか思えないのは、わたしという人の本質が、きっととても冷たい人だからなのだろう。

そしてそんなわたしは、わたしだからこそ、戦争中であるにもかかわらず、瑣末で、くだらない問題にどうしよう、どうしようと頭を悩ませていられるのだ。

「このズボン、どうしようか」と。

手に握る、小さな布切れの三角を見る。

朝焼けに照らされた布に付く柏葉付騎士鉄十字章は、困り顔で輝いていた。

 

 

『あなたに毎日ズボンをあげる』

 

 

エーリカ・ハルトマンと呼ばれる人がいる。

ウィッチ運用先進国として数多のエースを排出してきたカールスラント。そのカールスラントの中でも四強と呼ばれるウィッチの一角に名前を連ねる、欧州最強のウルトラエースの名だ。ネウロイ撃墜スコアは先日200を超えた。

その栄誉を讃えられ、カールスラント皇帝より柏葉付騎士鉄十字章と勲章付きのズボンが送られたことは記憶に新しい。これもつい先日のことである。

柏葉付騎士鉄十字章とズボンはカールスラント皇帝の近衛によって厳重警備のもと搬入された。それはわたしのよく知るところである。なにせそのズボンの基地への搬入計画を担当したのはわたしである。

そんなエーリカ・ハルトマン中尉の「名誉」。それが何故今朝起床したわたしの枕元にあったのか。

その理由はさっぱり見当がつかないのだけれど、とにかく、ズボンを早く中尉にお返ししようと決意しながら、わたしは基地に在るわたしの執務室の扉をくぐってデスクに着く。そして、ふとズボンを手に取る。

 

それは、純白のズボン。

 

いやまったく身に覚えのないズボンだ。

デスクの真ん中に堂々と鎮座するズボンは「やぁ遅かったね」とでも言いたげに、暢気に当然のようにくつろいでいらっしゃる。おはようございます、おズボン様。そしてお帰りください、おズボン様。

未だだれも出勤していないことをきょろきょろと確認して、わたしは安堵した。こんな所を見つかりでもしたら憲兵のお世話になってしまう。

しかも拾い上げたズボンは、まるで先程まで人肌に触れているかのような妙な温もりが残っていた。

………いや、まさか。

「にししっ」

笑い声がして、振り返る。

すると扉の陰からこちらを覗くのは、茶髪の女の子のいたずらな笑み。

「ハルトマン中尉っ!」

彼女にズボンを返そうと、わたしは手を伸ばし、呼び止めて、追いかける。けれどわたしの「足」じゃぁ到底彼女には追いつけなくて、扉の向こうに飛び出した時には既に、彼女は廊下の曲がり角を曲がっていた。

その時、ひらり、見えた、肌色の流曲線。

一瞬だけ軍服の裾から覗かせた無防備で健康的な臀部の膨らみは、わたしの瞼を焦がすには十分で、不覚にも見てしまったという恥ずかしさに顔も熱くなって、そして嗚呼と、わたしは確信する。

このズボンは彼女のものだ。

 

 

以前のわたしとハルトマン中尉の関係は一体何だったのだろう。

わたしはそのことについて、近頃蜿蜒(えんえん)ぐるぐると考えていた。

未だにハルトマン中尉にズボンを返せていない。

それどころか、わたしの手元には彼女のズボンがどんどんと増えていた。

彼女の手口は実に巧妙だった。

ある時は引き出しの中に入れられていたり。

ある時はわたしのカバンの中に突っ込まれていたり。

ある時は書類の間に仕組まれていたり。

ある時はトイレットペーパーとすり替わっていたり。

またある時には齧った朝食のパンの間から顔を出した日もあった。

とにかく、一日一枚は必ずズボンが現れるのだ。

そして、慌てるわたしを揶揄う為に、彼女はいつも近くから覗いて悪戯な笑みを浮かべているのだ。

そんなことをしてくるハルトマン中尉とわたしがただの戦友とかそんなちゃちな関係だったとは思えなくて、とてつもない関係の片鱗を感じるわたしの単なる思い違いだとは、とても否定できないでいた。

………それともカールスラントには、意地悪したい相手にズボンを送る風習でもあるというのだろうか?

「そんな訳ないだろ」

ハルトマン中尉の奇行について相談にのっていたバルクホルン大尉が、一緒にするなと言わんばかりに大きなため息を吐いて否定する。

ならば、ハルトマン中尉の奇行はいったいなんなのだろう?

「ハルトマンはそこまで熱心にイタズラをする奴じゃない。第一、あいつは面倒くさがりだからな」

そう断言するバルクホルン大尉はカップに注がれた代用珈琲に一口だけくちをつけた後は眉間に皺を寄せて、ただカップを手の内で転がすばかり。

「私の知る限り、あなたはハルトマンに嫌われているわけではないと私は思う。少なくとも、あなたは他人に嫌われるひとではなかった」

そしてバルクホルン大尉は遠くを望む目で、彼女の中にあるだろう以前のわたしの輪郭をなぞる。それがバルクホルン大尉の中にあるわたしなのだろう。

そんなわたしに、わたしが抱くのは――――嫌悪

「ひとまず、ハルトマンのズボンは私が預かろう」

手を差し出して催促するバルクホルン大尉に、ハルトマンのズボン全てを渡そうとする。しかしバルクホルン大尉は、固まったまま動かなくなった。

視線がわたしの後ろの扉で止まっているバルクホルン大尉、その視線を追ってみる。するとそこにはハルトマン中尉がいて、彼女の親指と親指にはズボンがギチギチと音を立てるほどに伸びていた。まるでパチンコでも飛すかのようにわたしを狙う、それは、パチン。

「あいたぁ!?」

わたしのデコを弾いた。ズボンはポトリ膝の上に落ちて、持ってきたズボンの山に収まった。

「まてっ、ハルトマンっ!」

「まったないよー」

逃げるハルトマン中尉に追うバルクホルン大尉。

扉の向こうに消える二人にわたしもまた「足」を転がして追いかける………フリをする。

どうせわたしの「足」では追いつけない。そうやって諦めて、ゆっくりコロコロと「足」を廊下に進める。しかし廊下に出てみれば、ハルトマン中尉を追いかけていた筈のバルクホルン大尉が、息を切らして戻ってきた。何故か、ジャーマンポインターの耳と尻尾を生やして。

「あなたもいくぞっ!」

「へっ?」

そしてわたしに有無すら許さず、ぐるりと後ろにまわって私の「足」のハンドルを掴んだバルクホルン大尉は「掴まれ」と叫ぶものだから、慌てて右手は肘掛を、左手は膝の上のズボンを押さえたら、わたしの「足」が急加速した。

まるで今から離陸でもするかのような加速。圧に押された身体は背もたれにベタリとくっついて、景色はシャーと置き去りしてしまう。

「シャーリー、シャーリー! なにあれなにあれ!?かっこぅいぃ!」

「うぉおお! なんだ、すげぇ! 車椅子めちゃくちゃはえぇええ!」

早すぎるスピードに、はじめ身体は強張っていたけれど、遠かった筈のハルトマン中尉の背中はぐんぐんと近づいていて、わたしは思わず手を伸ばす。

あと一センチ、あと一ミリ。あとほんの僅かなところ。けれど、ハルトマン中尉に躱された。曲がり角を曲がったのだ。

「きゃっ!」

「危ないサーニャ!」

バルクホルン大尉もハンドルを振って大きく旋回することで、曲がり角をなんとか曲がる。けれど、ハルトマン中尉はその先のバルコニーの柵に足をかけて、まさに下に飛んで逃げようとしている。

「いくぞっ!」

「嘘でしょ!?」

バルクホルン大尉、まさかの死刑宣告。わたしの叫びなんて無視して、バルクホルン大尉はハンドルを勢いよく押す。

加速する。その一直線はまるで飛行場の滑走路。そしてわたしは飛行機か。

迫るわたしに既に飛んだハルトマン中尉はギョッとしている。わたしもわたしで顔が歪んでいるだろう、恐怖で。ムンクみたいに。

嗚呼、バルコニーの柵が迫る。

 

 

基地の方からがしゃんと壊れる音がして、海岸で訓練していた坂本たちは、一斉にそちらを振り返る。

「あれは鳥?」とリーネは傾げ。

「いえ飛行機じゃなくて?」とペリーヌは眼を凝らす。

「いや待てあれは」と坂本は魔眼を晒し。

そして宮藤芳佳は、満面の笑みで叫ぶのだ。

「わぁ、ズボンだぁ!」

 

 

バルコニーから、車椅子から放り出されたわたしは空を飛んでいる。

正確に言えば、海に落っこちている。

「うわぁあああああ!?」

上手く飛べなかったのか、バルクホルン大尉が海に真っ逆さまに落ちていく。その叫び声を背に聞いて、私は思わずクスリと笑う。

落ちながら、見上げる空は青空で、手を伸ばしたくなるほどに透き通っているけれど、舞う数多のズボンのせいで、台無しだ。

嗚呼エーリカ、君のおかげでわたしの毎日は本当に台無しだ。傍で落ちるエーリカは私に微笑えむ。

そして彼女はズボンを私に差し出して。

ズボンをわたしの頭にスポリと被せて。

はい、今日のズボンと言って。

そして唇には柔らかい感触。

 

 

扶桑から来てくれたその人は、悲しむ誰かの味方でした。

決して空戦の腕が良かった訳ではなかったけれど、血みどろの撤退戦の中で苦しむ誰かに寄り添って、励まして、慰めて、同情してくれる味方であり続けました。

だからその人が、最後の撤退戦で誰かを守って撃墜されたと聞いた時には、あの人らしいと妙に納得したのを覚えていました。

「私は、ワタシの事がだれよりもキライでした」

そんなその人が、死にかけているその人の、懺悔とも取れる告白を聞くまでは。

「容姿はパッとしませんし、頭もよくありません。たいした運動神経もありませんでした。

そのくせ口を開けばこざかしい言葉を弄して、プライドばかり高くて、そして人に優しくすることばかり考えていました。エゴの塊のような私でした。

親には背丈以上のワタシを取り繕って、人にはにこにこしながら優しくして、けれど心のどこかで見下して。まるで詐欺師のようだと恥じていました。

便所の鏡の前で、私はそんなワタシに「気持ち悪い」と吐く毎日でして、または「キライ」だと嘲笑う毎日でもありました。

けれど、最後までなにも変わらないワタシの在り方には心底うんざりさせられて、最後は個室に駆け込んでボロボロとみっともなく泣くのです。

流す涙はこの世の何よりも汚いでしょう。きっとこの便器よりも汚物で、いっそ、とっとと綺麗さっぱり静かにひとり流されてしまった方がいいのだと、何度も思いました。

けれど、ただただいなくなるには度胸が無くて、ひとりでは寂しくて、忘れられてしまうのが怖くて……

そうして私ははるばる此処に来たのです。

死ぬために、ここに来たのです」

血反吐を吐きながら、決して私に聞かせるでもない、虚空に向かって懸命に行う告白は、その人が誰にでも優しくする訳でしょう。

その人の言っていることは、私にとっては難しい。けれどその人がとても苦しんでいることだけは理解できました。

死んで欲しくないと思いました。認めてあげないといけないと思いました。そして助けないといけないんだと思いました。

その人が私に、トゥルーデに、みんなにそうしてきたように。思惑はどうあれ、気持ちはどうあれ、救われた事実は変わらないのだから、その人にも救いがあって欲しかったのです。

何より、私がそうしたいから。

けれど言葉だけでは足りないと思いました。

精一杯の「愛している」の言葉すら、きっとその人を傷つけるでしょう。

ならば、どうしよう?

「ハルトマン?」

「なに、トゥルーデ?」

「なにじゃない、なんでズボンを脱いでいるんだ!」

「……分かんない」

何故そうしようと考えたのだろう。私には全然分からなかったけれど、けれどそれはとてもいい考えだと思ったのです。

 

あなたに毎日ズボンをあげる

 




来年は個人参加したいなぁ(超願望)


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