その日、孤児院は少しだけざわついていた。当たり前だ。昨日やって来たという新人は、あの、トム・リドルと同じ部屋で、おまけに一日経ってしまっているのだ。
いったい、どんな目に遭っているのかと、子どもたちはざわついていた。
死んでいるんじゃないかなんて声までひそひそと話されている中、リドルが居間に入って来た。
それに、一瞬だけ、部屋の中の声が沈んだ。
そうして、ひょっこりと、その後ろからリドルよりも背の高い少女が見えた。至って変わりのない様子に、子どもたちは一先ずほっと息を吐いた。
二人は、それぞれ空いた席に座る
いつも通り、リドルに関して構うものはいない。ルツに関しては、普段ならばお節介な存在が声を掛けるだろうが。リドルと関わりたくない一心で、皆、無視している。
ルツは、そんなことも気にした風も無く、ぼんやりと空を見つめている。
職員たちは、そんなこと気にすることも無く、淡々と朝食が続けられた。
ルツは、朝食が終わった後、ふらふらと施設から庭に出た。
外は、丁度冬に移り変わる途中の秋空だ。彼女は、ふらふらと施設の裏にある木を見上げた。
(・・・・どうしようか。)
ルツはぼんやりとそんなことを考えた。
彼女の脳裏に浮かぶのは、同室になった少年の事だった。
美しい顔立ちをしていたものの、どうも傲慢そうな部分が目立つ。
どんな縁なのかまでは分からないが、せっかく同胞とこんな所で出会えたのだ。出来れば、仲良くした方がいいのだろうが。
若干、9歳の少女では年下の少年との付き合い方など、見当もつかない。
ただ、ルツは、彼の少年に手を貸してやらねばならないと考えていた。
自分たちは、独りでは生きていけないのだから。生きては、いけないのだから。
ルツの父は、薬草の栽培に携わっていた。どちらかというと、学者に近かったのだと思う。彼女の知る限り、父の名を冠した書籍があったと記憶している。父は、彼女に、森の歩き方、人でないものとの付き合い方を教え、そう教えこんだ。
そうして、力を持つものとしての在り方を解いた。
その言葉の意味を、ルツは知らない。理解してはいない。
ただ、父がそう言うのだから。きっと、そうなのだろう。
少なくとも、あの少年は一人なのだから。一人、だったのだから。彼よりも、少しはものを知っているルツは、助けてやらねばならないのだ。
せめて、その足元を照らす灯りを貸してやらねばならぬだろう。
(でも、どうやって話しかけるか。)
リドルは頭を撫でられたことに腹を立てたのか、あの後、一切口をきいてくれなくなった。時折、怒っているのか、靴が飛んでくることはあったがルツがそれを弾いてしまうために、余計にだんまりを決め込んでしまうのだ。
(・・・・・頭を撫でられるの、そんなにやだったのか。)
ルツの記憶の中では、父や母に頭を撫でられるのは、嬉しいことだったのだが。
ルツは、木を仰ぎ見た。
ざわざわとした音が、ルツには慰めの言葉に聞こえる。
魔法には、相性というものがあるそうだ。
呪文に関すること、何かを作ること、杖などを作ることとても相性というものがある。
ルツは、植物に関して才があるそうだ。
父を真似して、植物に話しかけては一緒に遊んでもらっていたものだ。
「おい!」
不機嫌そうな声に、ルツは振り向いた。そこには、不機嫌そうな顔をしたリドルが立っていた。
「何だい?」
ルツはリドルに振り返った。それに、リドルは出来るだけ自分が大きく見えるように背を伸ばして、ルツに近づいた。
「・・・・・勝手にいなくなるな。探したじゃないか。」
それにルツは目を丸くした。てっきり、嫌われたものかという予想は違っていたらしい。ルツは、リドルに少し迷うように顔を逸らして言った。
「ああ、すまない。」
つかつかと寄って来たリドルに、ルツは不思議そうに言った。
「何だ、怒っていたんじゃないのかい?」
「・・・・お前みたいに失礼な奴は嫌いだが。今は良い。」
自分を見上げて来た少年を、ルツは見つめ返した。リドルは、自分よりも目の前の少女の背が高いことが面白くなかった。
けれど、目の前の存在が、自分と同じものであるというのは事実なのだ。昨日から、何とかやり返してやろうと、足を引っ掛けようだとか、転ばせてやろうとしていたのだが、彼の力は彼女に害を及ぼすことは出来なかった。
自分の力をより使うためには、この女から話を聞きだすのが一番の近道なのだ。
「・・・・・お前は、僕と同じなんだよな?」
「私が、君と同じ力を持っているという意味なら、そうだけど。」
「なら、お前もどんなことが出来るか見せてみろよ。」
ルツは、それに頷いた。
といっても、未だ魔法学校にも入っていない身だ。出来ることなどほとんどない。ただ、ルツにも魔法といえるものを行使できないことはない。
ルツは徐に、木の下に落ちていた枝を拾った。そうして、リドルの元に近づき、その枝を彼に見せた。
リドルが興味津々でそれを見つめる。
ルツは、ただ、芽吹けと願った。すると、枯れ枝からは青々とした葉が茂り、花が咲いた。
リドルは目を見開き、それを見つめる。
その間に、花と葉は枯れ落ち、元の枯れ枝が残るだけだった。
「こんな所だね。」
「お前、僕と同じなんだな!」
「まあね。」
興奮気味のリドルを落ち着けるように、ルツは淡々と言った。そうして、リドルはルツの服を掴んで、叫んだ。
「僕に、魔法を教えろ!!」
その言葉に、ルツはまた、どうしたものかと悩む。確かに、ルツには魔力はあるが、教えることは出来ないのだ。
自分には、杖も無ければ、知識もない。
「いや、無理だ。」
「なんでだよ、お前も魔法を使ってるじゃないか。」
それはそうなのだが。
ルツは宥めるように言葉を重ねた。
「私たちが使っている魔法は、不安定なんだ。使いすぎると、暴走することもある。魔法を教えてくれる学校があるから、そこで学ばないといけない。」
「学校!?学校があるのか?」
リドルはキラキラと目を輝かせて、ルツにぎゅーと抱き付いた。ルツは、リドルもろとも倒れぬように、その体を支えた。
「どうしたら通えるんだ!?」
「十歳になれば、通えるほどの魔力を持っていれば入学許可書が送られてくる。」
「・・・・あと、三年も待たないと駄目なのか?」
「ああ、そうだね。私は、来年からだな。」
それにリドルは仕方がないこととはいえ、不公平さを感じているのか不機嫌そうな顔になる。
「・・・・魔法は、複雑で、多くの種類がある。例えば、物を浮かせるなんて簡単なものから、人を思い通りにするなんて複雑なものもある。」
「・・・人を、思い通りに?」
リドルは、ルツの台詞に目を輝かせた。それに、彼女は釘を刺す様に言って聞かせた。
「リドル、言っておくが、魔法はそんなにも万能ではないよ。」
「・・・・なんだよ、急に。」
「なあ、リドル、思い通りに行くことなんて早々ない。魔法を使ったとしても、出来ないことも、出来ることも、ある。普通の人と同じように。」
「僕は、特別だ!」
ルツの言葉に、リドルは激昂する様に騒ぐ。それに、ルツは、首を振る。
「いいや、少なくとも、私にとって君は同じものでしかない。」
君は、私にとって特別ではない。
ルツに悪意はなかった。ただ、彼女は心からの素直な感想であった。
それに、リドルは目を見開き、そうして固まった。リドルは、茫然と、ルツを見つめ、遮るように言った。
「違う!僕は、僕は特別だ!蛇とだって話すことが出来る!」
(蛇?)
その言葉に、ルツは何だったのかと考え込み、黙り込む。リドルは、それに恐れを感じたのかと勘違いしたのか、不敵に嗤う。
(何だったか、一定の血筋に蛇と話すことが出来る奴がいるって、確か父さんが。)
「・・・・・確か、ある血筋だけが蛇と話せるって聞いたが。」
「なら!」
「でも、それは、私と君が違うだけだ。君が、私とは違う何かを持っていただけだ。それは、髪や瞳の色が違うのと一緒で。」
それにリドルは悔しそうに顔をしかめた。カタカタと、周りに落ちていた石が揺れる。
ルツは、それを気にした風も無く、ただ不思議そうに問うた。
「どうして、そんなにも特別あることに拘るんだ?生まれてしまえば、誰もがある種、特別であり、平凡だ。多くの人間にとっての特別であることよりも、たった一人の特別になることの方が、ずっと難しいのに。」
「・・・・・何言ってるんだよ。たった一人の特別なんて簡単じゃないか。」
リドルは、ようやく重くなった口を開いた。
それは、ひどく、素直な疑問であった。大勢の特別になるよりも、たった一人の特別になることの方が難しいなんて。
なんだか、酷く難しい哲学を聞いているようだった。
「うん、ああ。ごめんね。分かりにくかったね。私は、誰かの唯一になることのほうが難しいって話だよ。人の心は、魔法では、変えられない。
大勢の特別であることは簡単だ。頭がよければ、容姿がよければ、何か、たった一つでも秀でたことがあれば。
けれど、唯一は違う。
これだけがいればいいなんて特別には、早々なれない。魔法だって、この願いは叶えてくれない。
父にとっての母のように。母にとっての父のように。」
「君は、誰かの特別になれるといいね。誰かの、唯一になれるといいな。私は、そうなりたいと思っているよ。」
そう言って、少女は微笑んだ。静かで、穏やかな、笑みにリドルはお月様を思い出した。
夜を照らす、リドルを傷つけない静かな光。
リドルは、ひどく感情が平淡になるとともに、ひどい悔しさを感じた。
だってそうじゃないか。
リドルにとって、皮肉なことにルツは特別であるはずなのに。今まで、いなかった自分と、たった一人だけおなじものだというのに。
ルツにとって、リドルは特別ではないのだ。
ただ、自分と同じだけで。
それが、なんだかたまらなく悔しい。
今の自分では、目の前の存在の特別にはなれないのだ。一方的に、自分が負けているのだ。
それを悔しいと、少年は思う。
この箱庭で、ずっと、ずっと、リドルは特別であった。特別であったのに。
リドルは、特別ではなくなった。
ただ、ここで吠えたてることは、少年のプライドが許さない。
ルツは、悔しそうな表情を不思議に思った。そして、ふとリドルの顔が赤くなっていることに気づく。思えば、外に出てから、時間が経っている。
「ほら、寒くなって来た。中に入ろう。話は、部屋でしよう。」
「・・・・・わかった。」
リドルは悔しそうに顔を歪めたが、それでも寒いことは寒かったのだろう。建物の方に足を向けた。ルツは、それに頷きながら、ふと、リドルの来ている服がひどく古びて、薄くなっていることに気づく。彼女は、それに、自分の着ていた上着を脱ぎ、リドルの肩にかけた。
リドルは、自分の肩にかけられた上着に驚き、肩を震わせた。そうして、驚いたような顔で、ルツを見上げた。
「君に上げるから、着ていきなさい。」
「・・・な、なんで。」
ルツはリドルの隣りに立ち、疑問に感じているのか、はてりと首を傾げた。ルツが見たリドルの顔は、怯えであり、不審であった。
それに、彼女は、出来るだけ素直な言葉を伝えた。
「リドル。私たちは、独りで生きていってはいけないからだ。」
「・・・・どういうことだ?」
「私たちは、普通の人よりも、ずっと知ることが多い。それこそ、この世の事ではないことも。だからこそ、迷いやすく、分からないことが多い。私は、君よりも、知っていることが多い。だから、私は、少しの間だけでも、君を守り、手を貸さなくてはいけない。私が、いつか、父にしてもらったように。」
私と、君は同じものなんだから。例え、少しの間だけでも、足元を照らす灯ぐらいは貸してやれるように。
そう言って、ルツは、柔らかに微笑んだ。リドルは、その表情と、暖かな上着に、何となく黙り込んでしまう。
「・・・・返せって言っても、返さないからな。」
「いいさ。まだ、上着はあるから。」
ルツは、リドルの手を握り、促す様に歩き出した。リドルは、それに素直に従う。
掴んだ手は、温かい。肩に羽織られた上着も、もちろん温かい。握られた、自分よりも少しだけ大きな手は、リドルにとって知らない感覚だった。
リドルは、ルツのいない部屋で、ベッドの上に丸まっていた。
部屋の中は、相変わらず寒い。けれど、昨日よりはずっと温かい。何故なら、昨日よりもリドルは厚着をしていたからだった。
リドルは、その黒い上着をぎゅっと抱きしめた。
初めてであった。初めて、奪うのではなく、義務でもなく、リドルは誰かに与えられた。
(・・・・くそ。)
リドルにとって、少女は特別であるのに。少女にとって、リドルは特別ではない。
それが、ひどく悔しかった。