哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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本編完結後です。久しぶりに更新。


The Winchesters

 

 

 

「さっきの話ってどこまでが真実?」

 

「どこまでって⋯⋯全部だよ。全部が真実。ノンフィクション」

 

 

 

 人にはそれぞれ魂の帰るべき場所がある。

 生と死、あの世と地上を何度も出たり入ったりを繰り返してルールや秩序ってヤツを無茶苦茶にしてきた俺には、果たしてどんな場所が待ってるのか。

 

 悪魔も天使もイヴも言ってた。

 安らぎどころか、天国にも地獄にすら俺たちの席はないって。だからどうせ、碌でもないエンディングになるのは覚悟してたし、自業自得だとそう思ってた。

 

 

 イーサン・ハントのようにサイコロを振って自分の首を守り続けても、いつかはその運も尽きる。

 ジョン・ウィックのようにやってくるトラブルすべてに銃を向けても、先に弾がなくなってしまう。

 

 いつかは終わりがやってくる。

 だが、さすがに、さすがに過去の俺にどれだけ問い詰めてもこんな結末は、はっきり言ってファンタジーだ。

 

 

「スコーピオン・キングとその軍団がマルチバースからやってくるのを止めたんだ。蟻みたいに女王と兵隊がごちゃごちゃしてるホラー映画に出てくるタイプのヤツ。とどのつまりチャックの最後の置き土産」

 

「抜け目ない。いいえ、ここまで来ると小賢しいと言うべきね。まさか負けた時の補償システムまで用意してるなんて。小心者の仕込み刀を探り当てたディーンの腕も相変わらずね、本当にいい腕をしてる貴方のお兄さんは」

 

「なんだ、俺が知らないうちにまた色男と仲良くなってたのか。ちょっと妬ける」

 

「嘘つき。そんな顔じゃないでしょうに」

 

「ああ、言ってみただけ」

 

 

 快晴の空の下ーーというには、まだ薄暗さを残している朝の時間。

 久々に戻ってきた愛しのインパラのなかで、うっすらと誘うように笑った夾竹桃に小さく、俺も笑って答える。

 

 上からよりかかってくる体温と僅かな重み。

 広いベンチシートに背中を預け、沈ませながら胸元にある黒髪に吸い寄せられるように指が向かう。キンジが言ってた、彼女の第一印象は日本人形みたいに綺麗な髪の女だって。

 今なら言える、こんな美人な日本人形があるか。

 

「アクリーダ⋯⋯ひどい名前ね」

 

「不気味だよな、名前からして。実際リヴァイアサンに負けず劣らずの不気味さだった」

 

「ハムナプトラに出てきそうな?」

 

「イムホテップの兵士とどっちが強いかな」

 

 天国にいるディーンにやや巻き込まれる形で、別世界の母さんと親父がチャックの置き土産ーーアクリーダと呼ばれる凶悪な虫たちを倒せるように背中を押した。そっちの世界の仲間たちやまだ髪のあるサミュエルの爺さんたちと一緒に。

 

 それが、ようやく全部を終えて天国にやってきたディーンと半ば巻き込まれる形でインパラの助手席に乗り込んだ俺のーーーー全部終わったと思ったあとに始めた、スピンオフとでも言うべき最近の動向。

 

 

 ディーンがロードハウスでじっとしてられないのは分かりきってたがまさかマルチバースの旅に付き合わされるとは思ってなかった。

 留守を任せた時のジェシカのパニック顔と言ったらあれは忘れられないぜ。全部終わったあとのテッサの小言には参ったが。

 

 引っかかりのない後ろ髪を指を梳きながら、相変わらず無茶苦茶だった兄との旅の道中を思い返していると、

 

「土産話としては上々だったわ。いつも通りルールのグレーゾーンを裸足で駆け抜けたわけだけど」

 

「また世界をなんとかしてやったんだ、感謝しろ。やっとゆっくりできると思ったのにまだ番外編があったとはなぁ。ま、ディーンはサムのいるこの世界をほっとけないし、俺は⋯⋯ーー」

 

 そう、俺はーー⋯⋯

 俺もほっとけなかったわけだけどーー⋯⋯

 

 

「俺は?」

 

「⋯⋯わざとらしく指輪見せてくるのどうなんだ」

 

「別に」

 

 ほんの少し、言い淀んだ俺に見せつけてくるのはリリスの部屋からかすめ取ったハクソンの指輪。俺の腸を切り裂いたあの冷血無比のリリスにただ一つだけ礼を言うことになった原因の代物。

 

 あのリリスに感謝なんてどうかしてるが、どうかしてるが仕方ない。その指輪で、一番大切なことを決めちまったからな。

 原初の悪魔リリスの部屋から盗んだ指輪がーーエンゲージリングになるなんてどうかしてる。手榴弾のピンや空き缶のプルタブの方がまだ現実味がある。

 

 だが、夢幻のファンタジーでもなくこれが現実。

 市庁舎で言った言葉も、誓いも、嘘はない。

 

 

「愛してる」

 

「ものすごく愛してる」

 

「もう一回張り合うか?」

 

「あら、また私が勝ち越しちゃうけど」 

 

「さっきのは俺の負け?」

 

「ええ、私の勝ち越し」

 

 

 

 言い終わると同時に、ふいうち気味にキスされて力技で返事を封じられる。好き放題に毒を分泌できるって舌が、今回も自分の勝ちだと、そう言うように唇を撫でていく。 

 

 笑えねぇ、本当にとんでもないな。

 本当に、とんでもない。

 たしかにさっきのは、俺の負けかも。

 

 

「⋯⋯このお馬鹿。ならもう少し、先にトークバトルしとくか」

 

「トークバトル。峰理子風に言うと倦怠期の夫婦喧嘩」

 

「これまた懐かしい響き。でも俺たち、倦怠期って言うには少し早すぎないか?」 

 

「成田離婚って言葉もあるわよ」

 

「お前よくそんな不穏な言葉言えるね⋯⋯ついこないだドレス着たばかりで」

 

「何度でも言える。なぜって私とあなたには無縁の言葉でしょう」

 

 なんでもないってクールな顔でかっこいい言葉をくれる夾竹桃に、白旗を上げる気分でとりあえず頭を撫でておく。

 誤魔化すつもりで。「それもそうか」と付け加えながら。結構ご満悦みたいだし。

 

 

「雪平」

 

「ん」

 

「お母さんは元気だった?」

 

「ビール飲みながらインパクトドライバー片手に椅子作ってたよ。あっちで手作りに目覚めたらしい」

 

「そう。それはよかった」

 

「あとなんだっけ、白砂糖は子供の肥満や糖尿病を招くとかなんとか」

 

「いいお母さんね。私もあまり好きじゃないの、子供の機嫌を取るためにその場しのぎでプレゼントするアイスって」

 

「極端なんだよ、アイスは子供に幸せだって招く。適当に与えておかないと、満たされなくていつまでも欲しがるぞ。菓子は程々に」

 

「そうね、程々が大事。思い出すわ、七面鳥が3羽にに山盛りポテトの感謝祭。ソースも溺れるくらいたっぷり、2日間動けなかった」

 

「動けなかった? ただの二日酔いだろ。俺はソーダとライムだけにしとけって言ったのに上からジンをぶっかけて」

 

「存在しない記憶ね。文句ばかり言ってるとグレイビーソースに溺れるわよ」

 

 それはちょっと怖い。

 恐れないのはきっと武藤くらいだな。

 

「でも母さん、なんでこんな砂糖の話なんて」

 

「ディーンを見たからじゃない? 朝から砂糖たっぷりエルビスバーガーに齧りついてる息子を見ての懸念よ、きっと。貴方もジャンクフードに頭がやられてるし」

 

「でもジャンクフードにやられてる方が死の騎士っぽいだろ? なんか伝統って感じで。ああそれと母さんから『結婚おめでとう』って」

 

「よくも先に白砂糖の話ができたわね⋯⋯」

 

「逆だよ。お祝い聞いてから砂糖の話なんてできないだろ。にしても、言いそびれたけどこの蝶のタトゥーって本当に似合ってる。悪い大人って感じで。ま、学生にしちゃアウトローすぎるけど」

 

「LAのタトゥースタジオで入れたの。あなたも入れてみる? 私とお揃いの、一緒のピアスをつけるみたいに」

 

 言葉を繋げれば一緒に息も振りかかる距離で、久方の再会への祝いと離れていた時間を取り戻すように会話は切れない。

 外が静かで、まだ明るさも程々の時間のせいか。

 胸元から聞こえてくる清涼な声も一段とクリアに聞こえてくる。

 

「ピアスねぇ⋯⋯」

 

「そういうのもたまにはいいでしょ。世間一般の普通の男と女って感じで」

 

「ま、世間一般の男と女は酒の瓶にダイナマイトを貼り付けて爆発させたりしないよな」

 

「ローテクだけど効果的、大爆発してよく燃える」

 

 LAのタトゥースタジオは俺が悪魔除けを入れたところだろとか引っ張られたら耳ごとちぎられるから武偵はピアスをしないだろとか、色々と言うべき言葉は浮かんでくるが何より言いたいのは多分ーー

 

「夾竹桃。でもこのタトゥーはお前だから許されてる感じがする。美人の特権ってヤツだ。てことで、できもしない約束は女の子とはもうしない」

 

「それは残念」

 

「けど、一緒のアクセサリーが欲しいなら買いに行こう。普通の男と女みたいに、俺たち普通からは離れすぎてるけど、離れすぎてるがたまにはそういうのもいい。いいな?」

 

 少し顔を上げてやれば、宝石みたいな気の強い瞳はあの頃と何も変わってなくて少し不思議そうに丸くなったあとに続ける。

 

「また西海岸で夕日を見たいって言ったら?」

 

「もちろん。サン・ペドロでもサンタモニカでも一緒に見に行こう、二人で。俺たち、昔みたいにずっと離れずにってわけにはいかないが、時間が限られているときほどもっとも有効に時間を使える。オペラの初演前夜に序曲を書き終えたって話もあるだろ」

 

「オペラ? それもスミソニアンで覚えたの?」

 

「ジャンヌ先生の明日使える豆知識。パキスタンのヒンドゥー教徒は工学系の女子より肩身が狭い、総人口の1%だからな」

 

「あそこは印パ分離独立以来のイスラム強国、カリがつまらなさそうにボヤいてた」

 

「えっ、会ったのか? 俺にはクッキーの一つも送ってこなかったくせに⋯⋯」

 

「あなたとは複雑な関係だったから。あなたというかロキというか、ガブリエルというか。昔のソ連みたいにドロドロしてるから」

 

「ソ連?」

 

「愛情のもつれよ、ドロドロしてる。ポロニウム210みたいに」

 

「これまたダークなたとえがお得意だね。俺はポロニウムよりホロデーツの方が欲しいかな。肉のゼリー寄せ、食べなきゃ損」

 

「驚いた。肉とゼリーは一緒にするもんじゃないって言ってなかった?」

 

「色々あってね、肉とゼリーも複雑な関係だ」

 

「久々ね、こういう中身がありそうでなさそうな貴方との会話も。本当に中身がありそうで実は何もない会話だわ⋯⋯」

 

 

 言い終えてから僅かに夾竹桃の顔が歪み、ああちょっと待て。自虐的な顔するなって⋯⋯

 

「でも中身のない会話で、どうでもいい時間を楽しめるのってすごく平和。そう思わない?」

 

「同感だ。どうでもいいことに時間を使えるのってすごく贅沢なんじゃないかって。すごく思う」

 

「雪平、数学のいいところは?」

 

 唐突だな。強引な舵取り、転調と言った感じで話の行方が切り替わる。

 数学、数学のいいところか。数学小僧のケビンならどう答えるかな。いや、かなめなら⋯⋯

 

「答えがある、手順が正しければ必ず正解が出る」

 

「でも人生はそうはいかない、ときには柔軟な発想で解決しないと行き詰まる。リスクを恐れずに初めてのことに挑戦すると存外、なんとかなったりする」

 

 

「それってたとえば?」

 

「今の私たちみたいに」

 

 ベンチシートで、一緒に重なっていた夾竹桃の足が揺れて動く。気付けば、インパラの天井を映していた視界には無駄な美人な彼女の顔が入り込んでいた。

 マウントポジションで見下されてるのに、ここまで安心できる状況って初めてかもしれない。

 真上から覗いてくる紫がかった双眸はもう何度も見てるのに未だに怪しく手招きして、誘いをかけてくる。これも久々に言っとくか。

 

 

「お次はなんだ?」

 

「なんだと思う?」

 

 

 さあ、なんだろうか。

 緩やかな空気で視線を結んで、ネイルみたいに綺麗な5色に彩られた指が這い寄った俺の首筋から鎖骨へ見えないラインを描くように降りてくる。 

 

 本当は毒を潜ませた危険な指、けれどそれは何よりも彼女の個性でーー今では昔より色鮮やかに、美しく見える。

 

 

「リリスが言ってたわ。もう一度この悪魔除けの上から貴方の体を猟犬と刻みたかったーーできないのが残念でならない、と」

 

「会わなくてよかった。怖いわけじゃないが避けられるに越したことはない再会の典型だな」

 

「ようするに会いたくなかったんでしょ?」

 

「好き好んでリリスにに会いたいと思うやつなんているか。アラステアでさえ心の奥ではリリスのことを恐れてた。ルシファーが最初に作った太古の殺戮マシーンだ、レベルが違う」

 

「リリス、あのときは武器を盗まれただけで釈然としない終わり方だったけどこうして考えるとあの白い目の悪魔にも多少勝った気がする。リリスの手が届かなかった貴方に、私はこうやって手が届くんだから」

 

 

 悪魔除けのタトゥーの上からうっすらと既に付いていた爪痕の上に、やがて白い掌が触れて刻印を覆うように重なっていく。

 自分で付けた爪痕を、自分で隠すようにした彼女はうっすらと笑い、それはまるで消化不良だったリリスとの勝負に自分なりの決着をつけたようにも見えて少しおかしかった。

 

 

「リリスと張り合うのか、恐れ知らずだな」

 

「言葉を返すわ。私が爪痕を残すってことは、本当はとても怖いことなんだけど」

 

「そうだな。それは⋯⋯そうか」

 

「⋯⋯」

 

「どうした?」 

 

「ごめんなさい。綺麗に食い込んだせいか、跡が残っちゃったから」

 

「謝んなよ、お前の爪痕なんて猟犬やリリスのより遥かに健全だ。逆に嬉しいよ、嫌な過去を上書きしてくれたみたいで」

 

 

 伸ばした手で前髪を分けるようにして、見上げていた顔を引き寄せるように胸へ抱きとめる。さっきと同じ、インパラのベンチシートに二人で体を預けて、疑ってしまいたくなるほど何でもないって平和な時間がある。

 

 

 

「いつ帰るの」

 

「日付が変わったら。テッサとジェシカには代休やらないと」

 

「それは、とっても賛成⋯⋯旅行のことは、感謝してる⋯⋯」

 

「だな、俺もだ。幸せな時間だったな」

 

「⋯⋯ん」

 

 

 少しだけ眠たそうに朧気な声が返ってくる。

 おいおい⋯⋯

  

 

「さすがにこのまま寝たらやべえぞ」

 

「⋯⋯そうね。ルシファーの大好きなトークバトルは、一旦ここまでにしましょう。トークの時間はもうおしまい」

 

 ああ、トークの時間はここまでね。

 目線を下げて、他の誰よりも大切になってしまった彼女に伺うようにまた黒髪を梳いていく。

 

 お喋りはここでおしまい。

 じゃ、この先は⋯⋯?

 

 この状況、平和的な話し合いが終わったらそのあとにやってくるのは?

 

 

 

「それってどういう意味?」

 

「映画のお約束を言うなら、ここで職場から電話が掛かってくる」

 

「ああ、幸せを壊す音ね。いきなり隕石が落ちて全部台無しにされる。なあ、さっきの本当に俺の負けか?」

 

「あなたの負けで、私の勝ち。だって⋯⋯ねぇ⋯⋯?」

 

「はっ、んだよその笑みは。なあ、桃子。どうやら映画と違ってお約束の電話はこないみたいだぜ」

 

「みたいね。でもそれって、どういう意味?」

 

 

 どっちが勝ちでどっちか負けかーー

 もう一回張り合ってみるかーー?

 

 瞳が重なると、やはりというか言葉はなく。

 結局、俺たちの本質はあの頃と何も変わってないんだ。先生のカウンセリングで、無遠慮でノーガードのトークバトルをしてたあの頃から。

 

 

「ーーー」

 

「ーーーーーん」

 

 

 毒に濡れた舌だろうが関係なしにこっちから彼女の唇を奪い、さっきまでの慇懃無礼にやり返してやるつもりで口付けたままマウントの姿勢を今度は俺が取り返しーー

 

 

「⋯⋯」

 

「⋯⋯」

 

 

 嘘だろ⋯⋯

 左手の掌同士を組んだところで俺と夾竹桃の顔が⋯⋯ほぼ、ほぼ同時に凍てついた。

 それは突然の猛吹雪に襲われたように。薄着で極寒のシベリアに放り出されたように、固まる。なぜかって言われたらそれはーー

 

 

「⋯⋯アナ」

 

「カスティエル⋯⋯?」

 

 

 向かい合ったまま凍てついた俺たちの首が、さっきまで無人だったはずのフロントシートの方へぎこちなく曲がっていく。

 

 疑うように見据えた視界には、やはり見覚えのあるトレンチコートの天使とブロンドの信仰療法師ーーキャスとアナ、腐れ縁の二人の天使だった。

 

 虚無から俺同様に引っ張り上げられたキャスと地上に残った数少ない天使のアナエルの姿に間違いはなくーーってそうじゃない! おいやめろっ! なんだよお前らその顔はッ!! 

 

 

「⋯⋯一応待っては見たのよ。ごめんね、横槍を入れちゃったみたいで」

 

「あー、飛び出したのは彼女だ」

 

「ちょっと、私のせい? そういうの責任転嫁って言うのよ天使さま。責任転嫁って知ってる? 俗に言う悪の権化、世界に破滅をもたらす」

 

 いや、そこまで酷くないだろ⋯⋯

 どんだけ嫌いなんだよ、アナ。いや、違う。そうじゃなくて!!

 つか、なんでいきなり二人揃って現れるんだ。一体何の用だよ。いや、それよりも⋯⋯!

 

 

「アナ、いつからいた⋯⋯つか、いつから見てたッ!?」

 

「彼女があなたに勝ち越したところから。あ、私からも言わせてもらうけどあれは確かに彼女の勝ちよ」

 

「お、おまっ⋯⋯!」

 

「けどディーンといい、アンナといい、今のあなたたちといいそんなにベンチシートがいいわけーー?」

 

「キャス! もうなんでもいいから早くそのブロンド女を黙らせろッ!」

 

「ちょっ、暴れないでっ⋯⋯! あっ、きり⋯⋯っ! この、あっ、シャツ⋯⋯!」

 

「お、俺のシャツ⋯⋯! ちょ、取ってくれそれ!」

 

「はぁ⋯⋯」

 

 そのときなぜかすごく、ものすごく人間っぽいキャスの溜息が耳に舞い込んだ。

 トレンチコートのせいか、すごくお疲れの会社員みたいに見えたのはーーきっと俺だけじゃないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「イカれてるよな。アナエル、式で誓いの言葉を言ってくれた天使が一瞬キドンの暗殺者に見えた。もうおしまいだよ、俺の頭は」

 

 キドン、モサドのなかのモサド。

 イスラエルの敵国に侵入し、一切の証拠を残さず姿を消す精鋭中の精鋭。狙われたら最後、標的は心の底からホールドアップしたくなるだろう。

 

 

「ね、キンジ。言ったとおりでしょ。何者になろうとキリはキリ、お喋り好きのだらけたサーファーみたいなトークはずっと根を張ってるの。しつこい雑草みたいに」

 

 こちらも久しぶりにやってきた人工浮島にあるキンジ宅。

 日当たりが悪いこと、治安の悪さ、洗濯物の乾きにくさと家賃の安さに定評があるキンジの城だ。

 

 修行僧みたいに家具や物がなかったこの砦もちなやかなでの件を乗り越えて、ソファーやテーブル、一時のことを考えれば随分と生活感が出てる。

 

「ていうかあんたたち、うんざりするロマンスが終わってもうくっついたんでしょ? インパラでドライブして、デートして、そんなの見られたところで何が問題なのよ、分かんないわね」

 

 と、こっちはソファーでギリシャコーヒーを嗜みながらマシンガントークをやってくれた神崎は、今やレーザーやワープ、髪を翼代わりに空まで飛べる化物みたいな超偵として大成したらしく、昔以上に犯罪者が涙を流す一流の武偵になってる。

 

 とはいえ、ソファーで乱暴に足組む姿は、そういう当人は当人で何も変わっていないようだ。キンジの住処に押しかけてるところも含めてな。

 リクライニングチェアに腰掛ける俺と夾竹桃は、揃って目線を明後日へ向けた。

 

 

「問題なんだよ、色々と」

 

「問題だったのよ、色々と。それと遠山キンジ。勉学の方は順調? 一応、聞いておくけど」

 

 

「おう、航海は極めて順調だぞ。岩礁からどうやって動かすか考えてるところだ」

 

「人はそれを座礁と呼ぶわ」

 

 

 とある理由から東大を目指している、絶対に入学しなければならないキンジはーー目下のところ狭き門を通る為に猛勉強中。

 退学してからも度々やってくるトラブルに振り回されながら地道に机に向かっているようだ。

 

 そんな受験の方はただいま座礁中のキンジをバッサリ切り捨てた夾竹桃が、実はその東大の薬学部を出てるんだがそれが一つの理由なのか、男嫌いの夾竹桃にしては珍しく入れ込んでいる。

 最近理子を伝って手に入れた女装したキンジがカナと拮抗する絶世の美女になるって情報はおそらく関係ないだろう。ない、たぶんない。いやーーあるな。

 

 

 

「自信はなくしても諦めなければ取り戻せるわ。こればかりはあなたの積み重ねが最後は物を言う、精進なさい。応援してるから」

 

「あ、ああ⋯⋯」

 

「今日は無意味な1枚のカードでも明日には別のカードが見つかる、でも自分を諦めたら明日は来ない。困難な盤面でも山札に残ったカードを信じてしぶとく戦うのが武偵というものよ。最後までしぶとく足掻きなさい、あなたは得意でしょ?」

 

 

 それは凛とした、誰にだって分かるほど嘘偽りのない澄んだ声と言葉だった。

 八方塞がりの状況、匙を投げたくなる盤面でも諦めずに足掻く。確かにキンジは得意分野だ。それでこれまで死地を飛び越えてきたんだからな。

 

 神崎に奢らせた自販機120円のメロンソーダーを飲み干したキンジは、インスタントコーヒーが空になった俺と夾竹桃のカップを一瞥してから丸椅子を立つ。

 

 

「追加取ってくる。アリアは、まだいいな。そっちの新婚、オーダーいるか?」

 

 

「アイスミルクガム抜き、ファイブフィンガー」

 

「ジンジャエール、キツイのちょうだい」

 

 

 じ、ジンジャエール⋯⋯?

 ジンジャエールのキツイのくださいってそんなオーダー⋯⋯ありなのか?

 

 案の定、キンジが足を止めた。

 

「夾竹桃、見ろ。お前が変なオーダするからキンジがフリーズしてるだろ。なんだよ、ジンジャエールきついのくださいって」

 

「飲まないとやってられない、染みる過去があるの。アイスミルクのガム抜きファイブフィンガーよりマシよ」

 

「どっちもどっちだ。お前ら二人ともコーヒーな」

 

 結局、家主の匙加減か。仕方ないな。

 

 

「ねぇ、聞いてもいい?」

 

「なにかしら、あらたまって」

 

「その⋯⋯そ、そう、気になってたのよ。ちょっと、ちょっと気になってるだけなんだけど⋯⋯あんたたち、式が終わってからどこ行ったの? ほらあれよ、旅行っていうか⋯⋯」

 

 ああ、テッサとジェシカが都合つけてくれたおかげで式をやってから少しの間は、死の騎士の業務を降りられた。

 おかげで一週間ほど夾竹桃と、神崎の言う通り旅行というか二人一緒の時間を過ごせた。気を使ってくれた友人兼部下の二人には本当に感謝してる。生真面目なテッサにも大学生みたいなノリでいて仕事には忠実なジェシカにもな。

 

 ああそう、旅行だったな。

 

 

「そうだな。色々行ったけど⋯⋯一つあげるとしたらーー」

 

「カールスバッド」

 

「カールスバッド? あのサンディエゴの側の、カールズバッドのこと?」

 

「LAから片道2時間のカールズバッドだ」

 

「意外ね。キリはカンザス出だし、本土ならそっちよりかと思ったんだけど。ねぇ、カールズバッドに何があったの?」

 

 緋色の瞳を開いて興味津々に神崎は聞いてくる。

 何があるってそれはーー

 

 

「あー、レゴランド」

 

「それとアウトレット」

 

 

 ほら、ポカーンってしてるぞ英国お嬢様が。

 参考になりそうになくて悪いな、アリアお嬢様。

 

 

「レゴランド、か⋯⋯ふーん」

 

 

 でも、もしその時が来たら思いっきり楽しむといい。俺たちみたいに。だから、簡単には俺に()()をやらせてくれるなよ。

 

 飽きるほど、そう、お前らが飽きるほどこの世界を楽しんでくれることがきっとーー色んなものを投げ捨ててこの世界を救った俺の仲間や家族にとっての最高の供養だからな。

 

 

 

 

 

 

 仕事柄、そして立場上、ほぼ普段着となってしまったスーツの襟元を陽光の降り注ぐ下、最後の抵抗で気崩してやる。

 

 テッサがいない今、久方ぶりに真っ黒なスーツの堅苦しさとは暫しおさらば。首元へ入り込む新鮮な外気のなんと心地よいことか。

 

 

「トラの赤ちゃん」

 

「本気か? サンタのプレゼントにトラの赤ちゃんなんて聞いたことないぞ」

 

「かわいいじゃん」

 

「でもそれは大きくなって戯れてる最中にお前が噛まれるまでだ。トラでもワニでも引き受けたからには家族として最後まで接しなきゃ」

 

「チータ持ってる歌手もいたよ?」

 

「ナイジェリアでハイエナ飼ってる軍人もいるがそれはお偉いさんだからだ」

 

「それならプレゼントは『世界平和』って書けばよかった? キリの仕事が減るように」

 

「気にするな。お前がいい子にしてたら、きっとサンタがトラの赤ちゃんを育てられるゲームを届けてくれるよ」

 

「いい子にできるかなー。まだブラックリストに載ってなきゃいいけど」

 

「ふっ、そうだな」

 

 

 少し心配そうに、珍しく年相応の反応だったからつい口元が緩んでしまう。

 

「ね、キリ。どうー? どうよこれ、この服。どうよどうよ、どうなのよ?」

 

「お前なぁ⋯⋯それはさっきも言っただろ。似合ってる、普通にかわいいから心配するな」

 

「ほんと?」

 

「ホントに似合ってる。何年かしたらファション雑誌の表紙も目指せるかもな」

 

 

 ゆったりとしたポリエステル系のグレーのシャツの下に涼し気なアヤメが真ん中にプリントされた黒いシャツを着込んで、ボトムスは赤系チェックのミニスカートと太もも丈の黒ストッキングに厚底のブラックブーツまで揃えてるときた。

 

 早くも大人びたい年頃か、それとも理子やロカの影響なのかな。

 下から見上げてくる伺いの眼差しに俺はゆるくかぶりを振りながら答える。贔屓なしって言われると怪しいがこれが似合ってないって言うヤツはーー大嘘付きだね。

 

 

「しかし、職権乱用って言われても仕方ないぜこれは」

 

「どゆこと?」

 

「生きたまま天国にやってくる人間なんてルール破りまくりのウィンチェスター兄弟以来ってことさ。普通は絶対にありえない」

 

 

「やっぱり、まずかった⋯⋯?」

 

「いや、これは俺の我儘でもあるし」

 

「アタシの我儘でもある。じゃ、そのときは一緒に謝る?」

 

「おいおい、俺がお前を心配するのは当たり前だがお前が俺に気を使うことなんてないんだ。誕生日ってことで甘えとけ、ほら着いたぜーーお世辞にもお前の教育にはいいとは言えない場所だけどな」

 

 立ち止まればそこにあるのは、記憶にずっと住み着いている古びた看板のかかったロードハウス。地上では悪魔に焼き払われ失ってしまった、俺の大切な場所。家だ。

 

 左手を繋いだまま、右手を何度も叩いた古びた木の扉に添える──じゃ、

 

 

「いいか?」

 

「⋯⋯緊張してきた」

 

「じゃあこのまま一緒に入るか。よし、行くぞ」

 

 

 手を繋いだまま扉を叩く。

 傷んだ床を踏むマリファナと血とピーナッツ、嗅ぎ慣れた匂いが飛び込んでくる。

 昔と何も変わらない。幾度となく、エレンとジョーが迎えてくれたロードハウスの景色と匂いと暖かな温度が出迎えてくれる。

 

 ビリヤード台に、ダーツ、そして愛しさすら覚える何度も座ったカウンター席。そこから見える看板娘の横顔が、本当に好きだった。

 

 ああ、結局やっぱりこれは俺の我儘だったんだろうな。 

 

 

 

「悪いな、愛しのカウンター席はレンタル中」

 

 

 

 照明のついていないカウンター席の隅から聞こえた声に、足が──止まる。

 

  

 

「ようこそ、楽園へ。看板娘と肝っ玉母さんは訳あってお出かけ中」

 

 

「──ディーン。こんな時間から飲んでんの? いくらなんでも無法者すぎない」

 

 

「ここは天国だぞ。真っ昼間からビール飲んでもウォッカ飲んでも許される場所さ」

 

 

 酒の匂いが染み着いた木の床をぎしりと鳴らして、相変わらずの態度でグラスを傾けてるのはディーン・ウィンチェスターーー世界を救い、最後には狩りで命を落とした紛れもなくポルノとハンバーガーと古い洋楽が大好きな兄。

 

 

「で、その子は? 初めて見る顔だな、いやちょっと待て⋯⋯」

 

 

「あー、ディーン。実はちょっと話したいことがーー」

 

「キリちょっとちょっとーーねぇ、ねぇってば」

 

「ん? どうした、酒は駄目だぞ。ジュースにーー」

 

 

 床が軋む音を立て、言葉が詰まる。これ以上なく綺麗なブロンドの髪が、窓から差し込んだ陽光に当たって輝いていた。

 今の彼女に、視線を呪縛されない男が何人いるか。少なくとも俺は目を逸らせそうにない。

 

  

 

「ジュースにしとく?」

 

 

 綺麗な茶色の瞳で、あどけなさを残した顔で、強気な微笑みで待ち望んていた相手は笑う。

 ノースリーブの黒のトップスはどこまでも、ああ、反則的なくらい似合ってる。

 

 

「久しぶりジョー、ホントに久しぶり。あ、エレンはいるかな。ちょっと話があって」

 

「ここよ。いきなり子供を連れて訪ねてくるなんてどういうこと? ディーン、このどっかの子役みたいな子はあんたの知り合い?」

 

「いや、その⋯⋯なんか、こう、引っかかるっていうか」

 

「エレンも久しぶり。あ、違うんだ。その、今日来たのは話があって話というか報告と言うか⋯⋯アンナ、おいで」

 

 

 さて、何から話したほうがいいか。

 選択肢が多すぎて困る俺と、一方で訝しげな目線の御三方。久しぶりに味わう、この緊迫感。

 

 

「サムに息子ができた話は聞いた? サムは、生まれた子にディーンって名付けたって」

 

「おいマジかよーー前は同棲してるって、おいおいそうか。サムは⋯⋯もしかしてそれを伝えに?」

 

「それもあるんだけど、えっと⋯⋯俺の我儘とこの子の我儘で、会いに来たっていうか。」

 

 

「ジョー、キリってここまで煮え切らない男だった?」

 

「母さん、キリに会えて嬉しいのは分かるけど。もしかしてその子もサムのーー」

 

「あー、違うんだジョー。実はこの子も⋯⋯ジョーって言うんだ。今も地上に住んでる、ミカエルに頼んで通してもらった」

 

 

 刹那、場が静まる。

 ツッコミどころが満載の発言で、身構えた俺に対してやがてジョーの細長い眉が、揺れた。

 東洋系の顔、腰まで伸びた夜の暗闇をそのまま閉じ込めたような黒髪、ヘイゼルグリーンの瞳のーー俺の隣の少女を静かに見つめると、

 

 

「同じ?」

 

 

「ーージョアンナ・ベス・ウィンチェスター。サムは息子にディーンの名前をつけた。家族から名前を貰うのが我が家の伝統だ。だからこの子にはお前の名を貰った」

 

 

 そう、これは我儘だ。

 君とエレンに会いたいと言ったこの子と、会ってほしいと願った俺の二人分の我儘で⋯⋯

 

 

「飲み過ぎたかもしれない」

 

 

 ちょっ、エレン⋯⋯なにその、やばいもので見たような反応は⋯⋯!?

 

 

「いいや、違う。俺は全部察したよエレン。ーーふぅ、おい嘘だろマジかよ⋯⋯!? どうりで面影があるわけだよちくしょうめ! どうしてもっと早く言わなかったんだぁぁ!」

 

「いや、だから今言ったから! いきなり荒ぶるのは、何なのさ! あ、エレン! アンナに酒はだめだからな! ミルクにしといてよ!」

 

「分かってるわよ。ふん、へぇ⋯⋯あのあんたがねぇ⋯⋯」

 

 

 はっ、なんだよその目は。

 いいさ、今日は久々に楽しむ。

 

 

「エレン、今日はタダにしといてよ」

 

「ふっ、子連れでしょ。コーラにしときなさい」

 

 

 はいはい、娘と一緒にコーラ飲んどきますよ。

 おいで、アンナ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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