もし、全員が助かるならそれは、眠りの中で垣間見た理想の夢だろう。
この世界は、そんな夢すらも鼻で嗤って一蹴するのだ。
アラガミの群れの中を走る。
奴等を振り払うだけの力がない。
神機も、俺の預かり知らない場所で死んだ人のをリファインした、旧型ショットガン。
降りしきる雨天の下、同部隊の先輩が叫んだ。
「逃げろッ!逃げて逃げて逃げて、その足が砕け散ろうとも逃げ続け………生きろッ!」
俺は、先輩が命令だと言わなかったその指示に従った。
バスターの神機を構えた先輩の背中は、赤く赤く、「生きろ」という指示が「願い」なのだと気付くほどに、赤にまみれていた。
もう一人の先輩が、逃げ道を開いてくれた。
「必死に、生きることにしがみつきなさいッ!あなた達はまだ若いの!生きて、いつかの勝利のために足掻きなさいッ!」
アサルトの旧型神機でアラガミを退かせた先輩の姿は、アラガミの壁に阻まれ見えなくなったが、奴等を穿つ銃声は止まることがなかった。
先輩達は尚も叫ぶ。
「これは、ただの敗走ではないッ!振り返るな!前を向け!悲嘆を振り切り、後悔を置いて
「生へ異常なまでに執着しなさいッ!渾身の疾走をもって、まだ見えぬ明日へ駆け抜けなさいッ!」
アサルトの銃声とバスターの重撃音が、アラガミの大咆哮と雨音によって押し潰される。
振り返るな。振り返るな。振り返るな。
振り返らない。振り返れない。
それは「願い」に反する、愚の骨頂。
「痛い、痛いよ……!」
同じ部隊に所属するたった一人の同期が、目を腫らして大粒の涙を流していた。
「先輩達を助けなきゃ」と絶叫した彼女の手を、俺はその場から引き剥がすように無理矢理掴んで耳を
音を振り切る意識の隙間から、彼女の声が滑り込んでくる。
「先輩達を見捨てるの」
「加勢に入ればどうにかなるよ」
「私だって、近接型神機使いなんだよ」
「どうして?」
「どうして?」
「どうして?」
「先輩達を助けるために、戦わなくちゃッ!ねぇ!そうでしょ!」
俺は、何も答えない。
彼女の悲痛な訴えに、俺は応えられない。顔を見れない。
ただ強く、強く、強く、「放すまい」と彼女の手を掴む自身の手に、「放してなるものか」と更に力強く握る。
痛いのは、お前だけじゃないんだよ。
走って走って、走って走って走って走って、走れ。
気張れ。気張れ、気張れ。
疲労は意識の外に。
足は、走るための道具に過ぎない。
手段を、道具を、誰かが捨てろと叫んだとしても、形が残っているならば捨てる道理はない。
砕け散ったとしても、その事象を無かったことにするかの如く、笑え、笑え、笑え。
道具が壊れても、その意思までは壊れない、壊されないと、嘲り笑え。
そうしないと、そうしないと………。
───折れてしまうんだ。
「ねぇ!ねぇ!聞いてよ!私の言葉を、聞いてよ……!助けに行こうよ……ねぇ、ねぇってば!」
そんな声で叫ばないでくれ。
聞きたくない。聞きたくないんだよ。
泥を踏み飛ばして走る。
「俺達がいたって、意味無いんだよ」
彼女だって分かりきっている残酷な結論を、感情を
限り無くゼロの、「助けられたらいい」という希望的観測を削ぎ落とすために。
「そんな事ない!私達はまだ、戦える!」
諦めきれない。
彼女は我が儘を言う。
「勝率は皆無。それでも引き返して死んだら、それは無駄死にと同じ。勇敢でも、ましてや救助でもない。考え無しの馬鹿だ」
祈る神は、とうの昔に全て死んだ。
希望は、絶対に叶わない夢と同義。
「言わないでよ……!諦めるようなこと、言わないでよ……」
「夢や希望と言ったあやふやなものは、この世界にとって諦めるために存在する。そんなものにすがっては、生きていけない」
彼女の為に、希望を、夢を挫け。
悲哀を殺せ。
慈悲を殺せ。
賛同の意を殺せ。
微かな気の緩みすら許さず、ただ生き延びるために感情を殺せ。
淡々と事実のみを語り、自身の真意を覆い隠し、吐き出す言葉を偽り、生きる為に彼女に嫌われる全ての選択を行動に移せ。
歯を食い縛り赤い血が口から一筋流れて、彼女の手が滑り落ちた。
立ち止まって振り向けば、彼女は泥のなかに手を着いていた。
「どうした、立て。立って走れ」
猶予はない。
「もう、走れないよ……」
弱音は許されない。
「なら、背負って行く。お前の代わりに、俺が走る」
『願い』を守らなければ。
「私を置いて、逃げてよ」
アラガミが雨と泥を散らして、迫って来ている。
「出来ない」
「どうして……?」
『願い』を守らなければ。
『願い』を叶えなければ。
「最初から、お前の『願い』は聞いていない」
二人の『願い』で、俺はお前のことを頼まれた。
二つ目の『願い』は聞けない。
ただ、生き延びるなら、その結果に結び付くなら
───怪我の有無は問われない。
ショットガンの旧型神機を突き立て支えに、疲労でぐらつく両足を踏ん張り、左腕を伸ばして座り込んだ彼女を突き飛ばす。
雨天の下で、嫌なほど鮮やかに赤が弾けた。
アラガミが、俺の左腕に喰い付いた。
肉が裂かれ骨が砕ける振動が、直に体内の神経を伝う。
彼女が顔を歪めて、喉が張り裂けんばかりに泣き叫んでいた。
支えにしていた神機を構え、超至近距離で弾丸を放つ。
アラガミは飛び退いたが、同時に腕を持っていかれた。
痛い。痛い。けど、置き去りにした痛みとは比較にならない。
どうせ治るから。
彼女は自身の、ショートブレードの神機を手にアラガミを斬りつけ、一体目を倒した。
だから、泣くなよ。
どうせ治るから。大丈夫だよ。
「ごめん、なさい……!私が、私が……!」
神機を支えにして立っている俺の前で、彼女は顔を両手で覆い泣き続ける。
大丈夫だよ。
大丈夫だよ。
「また……走ろう。生きる、為に」
足下が吹き飛んだ。
無抵抗のままに体が宙を舞い、叩き付けられるように落下した。
滞空するアラガミの砲撃。
ああ、このアラガミの多さは、新人二人には荷が重すぎる。
離れた場所に落下した彼女は、倒れたままピクリとも動かない。
小型や中型のアラガミに囲まれてもなお、動く気配がない。
……ああ、そうか。直撃したんだ。
彼女は、腹から下が無かった。
「ああ……あああ……あああああ……!」
手元に自分の神機はない。
あるのは………彼女の傷付いた神機。
二人の『願い』は、果たせなくなった。
何を迷うか。
彼女の神機を、手にする事に。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"!」
侵食?
どうでもいい。
怪我?
どうでもいい。
振り上げた神機が、大型アラガミの前足による薙ぎで払われ、瞬間、体にも爪が直撃した。
血を撒き散らして、泥に沈む。
仰いだ空は曇天。
自己犠牲の精神さえも捨ててしまえば、俺は生き残れただろうか。
いや、生き残ったとして俺は、見捨ててしまった罪悪感を背負って生きては行けない。
『願い』を叶えたかった。
『願い』を聞く神のいないこの世界で、俺は誰かの『願い』を叶えたかった。
些細なものでもいい。
たった一度でいいから、俺が叶えたことで誰かに喜んでほしかった。
守りたかった。
無愛想な俺に話し掛けて、無邪気に笑ってくれた君を。
殺したくなるほど嫌われても、支部の中で罵詈雑言を浴びせられ続けられる事になろうとも、何としても、どうしても……。
普通は普通なりに……考えて、誰かの『願い』を聞いて……誰かを守りたいと思ったんだよ。
力不足だったとは嘆かない。
運が無かったとも言わない。
新人の立場を理由にしない。
俺がただ、
それだけの事なんだ。
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後日、反応が消失した神機使い四人の神機と腕輪が回収された。
ショットガンの神機だけは、修復不可能なほどに大破していた。
遺体の一部すら見つからなかったのは、この神機の適合者のみである。
初短編ですね。
『君の神様になりたい』という曲と、最近ハマって一気見したアニメに触発されて書きました。
曲名書いて大丈夫ですかね……?
別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?
分かりますかね、元ネタ。
そのアニメにハマりました。