横須賀の母港で羽を休める晴風にひたひたと魔の手が迫っていた。


2017年のコミックマーケットC93で全方位すぷらっしゅわ~くす様より頒布された『晴風サイダーすぷらっしゅ-超炭酸-』に寄稿させて頂いた「警備艦艇に対する破壊工作のリスクとその対策」をこちらでも公開いたします。

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全方位すぷらっしゅわ~くす様の『晴風サイダーすぷらっしゅ-超炭酸-』に寄稿させていただいたものです


警備艦艇に対する破壊工作のリスクとその対策

 

 

 発 解放戦線司令部

 宛 第一実行班

 

 横須賀女子海洋学校学生艦パースに停泊中の晴風を速やかに襲撃し、これを無力化せよ

 なおこのメッセージは自動的に――――

 

 

 

 

 

「破棄なんてされないんだけどね。まぁ燃やせばいいかな。覚えるまでもないことだし」

 

 彼女はそう言って笑った。その声に彼女の部下は苦笑いだ。それを見て彼女は笑う。

 

「武器は?」

「とりあえず簡単なものだけです、スモークは数が足りません。入港の後でかき集めたので」

「銃器が足りてれば問題ないよ。あそこは学生艦、まともな武器は警棒と手錠、信号銃ぐらいだから」

 

 差し出された拳銃を手に取り、弾倉を引き抜く。薬室解放、異物が薬室に残っていない事を薬莢排出口から目視で確認。ちゃんとスライドストップがかかっていることを確かめ、弾倉を差し込んだ。しっかりと弾倉の底を叩いて確実に定位置に収まったことを確かめてから、スライドストップを親指で押し下げ、解除。初弾が薬室に押し込まれ、小気味良い音と共に閉塞する。

 

「……手慣れてますね、艦長」

「備えあれば憂い無しだよ?」

 

 そういう彼女の笑みはどこか狂気が混じる。

 

「さぁ、行きましょうか」

 

 彼女たちが動き出す。今夜は新月だ。月明かりはない。

 

「さぁ、決着をつけるよ、ミケちゃん」

 

 目の前には静かに黒光りする晴風が鎮座していた。

 

 

 

     †

 

 

 

《ミケちゃん! 緊急!》

「っ!? 状況知らせ!」

 

 反射的に答えながら飛び起きる。常夜灯の下の時計を確認、フタフタサンサンサン、午後一〇時三十三分。気持ちよく微睡(まどろ)んでいたところだったがしかたない。毛布を蹴飛ばすようにしてベッドを降り、スニーカーにつま先を叩き込む。伝声管から聞こえた西崎芽依の声のボリュームからして、かなりの緊急事態だろう。髪をまとめる余裕はなさそうだ。芽依は艦橋当直の経験も十分、その彼女が繋いできた事を重視する。楽観視はできない。

 

《艦内に誰か侵入したっぽい!》

「艦内に侵入者? 数は?」

《不明! 確認中! 舷側歩哨中のりっちゃんが無電を掛けてきた直後に応答が切れた! りっちゃんの安否は確認中》

 

 その声に岬明乃は逡巡。悩む時間はなさそうだ。即応せよと何かが警鐘を鳴らしていた。

 

「わかった。チャットの晴風グループでクルーに警告を入れて。艦内はまだ静かだし、いまは向こうに調子に乗っててもらおう。艦橋はリンちゃんがいるからたぶん大丈夫だと思うけど、十分に警戒を」

《わかった》

 

 艦長用のデスクの上で充電ランプを赤く光らせていたスマートフォンから充電コードを引き抜く。イヤホンを差し込み、左耳に突っ込む。連絡帳から番号呼び出し。こういうときは普通の通話の方が聞き取りやすい。コールは一回。すぐに繋がった。

 

「しろちゃん、聞こえる?」

《リーディングファイブ》

 

 即座に返ってきた声はものすごく堅い。こんな時に通信感度は至極明瞭(すうじの5)と言わなくともいいのにと思う。

 

《今のチャットの件ですね?》

 

 急かすような声にそんなことを思っている余裕も無いかと思い返し、口を開いた。

 

「しろちゃん動ける?」

 

 これだけで副長の宗谷ましろには通じる。明乃は返事を待ちながら艦長室のクローゼットに向かう。

 

《いつでも》

「艦橋付近の隔壁を閉鎖。もうおそらく中に入ってる」

《了解。隔壁閉鎖に動きます》

 

 それだけで通話が切れる。それを確認してからポケットにスマートフォンを突っ込んだ。クローゼットの奥にある鍵付の棚を開け、やたらと重くて硬い懐中電灯と手錠を取り出す。艦内着も兼ねたジャージのポケットに手錠を差し込み、懐中電灯を右手に持ってドアにとりつく。

 

「侵入者って言われても……晴風にご用事ってのは考えにくいよね……」

 

 ドアの前を広く空けて、ドアのロックを外す。人気の無い通路は常夜灯に赤く照らされている。人影は見えない。息を止める。二秒。頭が冴えてくる。

 

「……よし」

 

 明乃は足音をあまり立てないようにしてラッタルを降りる。足の裏全面でゆっくりと体重をかけながら降りていく。軋むようなちゃちな作りじゃなかったラッタルに感謝だ。

 イヤホンから通知音。ジャージの上着で液晶を隠しながら内容を確認。姫路果代子からのチャット『りっちゃんが左舷甲板中央で倒れてた! 気絶中!』

 

「とりあえず無事でよかった……」

 

 それに少し安堵。それでも安心はできない。それが意味するのは既に内部に人が入り込んでいるということだ。懐中電灯が消えていることを再確認。足跡を殺して歩く。

 甲板の層には行かない。目指すはもっと下層だ。明乃が確認するべきは二カ所。

 

 一カ所は艦の中央部、機関区。

 もう一カ所は艦後方、第一〇・一区画だ。

 

 

 

   †

 

 

 

《こちらアルファ班! 接敵! 接敵!》

 

 無線に飛び込んできたその声にもえかはにやりと笑った。

 

「予想通りの位置だけど、予想外のタイミングかなぁ」

 

 展開があまりに早い。先ほど艦橋の入り口を確認したら既に隔壁が下りていた。乗り込み時に早々に見つかったのは運が悪かったとはいえ、ここまで早く対応されるとは予想外だった。艦長室空っぽだった。

 

「さすがはミケちゃん。判断は正確だ」

 

 そう言いながら詰め襟の制服のホックを外す。さすがにここに来てまで優等生である必要もない。第一ボタンも指で外し、呼吸を楽にする。

 

「あらー。侵入者は知名さんたちでしたかー」

 

 そう背中から声をかけられ、弾かれたように振り返る。

 

「万里小路さんでしたね!? ミケちゃん見ませんでしたか!?」

「おばんですー……おっとっと。大丈夫ですか?」

 

 上品に会釈してにこりと笑う万里小路に詰め寄り飛びつく。

 

「ミケちゃんから晴風が大変って……艦長室に行ってもいないし……」

「あらー、おかしいですねぇ」

 

 そう言って笑う万里小路。目が細められる。

 

 

 

「だったらなんで左肩が下がっているのでしょう?」

 

 

 

 風切り音、真後ろに飛び退いたもえかの鼻先を何かが過ぎった。黒光りする警棒が伸張され万里小路の右手に握られている。

 

「っ……!」

「詰め襟で拳銃を隠し持つ(コンシールドキャリー)というのは相性が悪いので次からはおやめなさい、知名もえかさん」

 

 腰だめに突き出される警棒をなんとか躱す。そのままもえかは右手を繰り出し、万里小路のセーラーのタイをつかむ。自分の方に引きつけつつ、左肘で相手の鼻筋を狙う。

 

「甘いですよ」

 

 万里小路も負けてはいない。右手で相手の腕を払い、肘鉄を回避。狙いが外れ、耳を掠って後ろに飛び向けた肘鉄を相手が引き戻す前に絡め取る。これで動きをロック。右手の警棒を突き入れる。これが楽に決まるとは思っていないが、逃げるには自ら腕をねじるようにして体を捻るしかない。次の攻撃が続くことはない。

 

――――その思い込みがあだになった。

 

「チェックメイト」

 

 もえかの右手に、いつの間にかナイフが飛び出し、その切っ先が万里小路に向いている。

 

「もともと薙刀や杖を使うことを意図しているんでしょうが、警棒だとリーチが足りません。慣れで対応するべきではありませんよ」

 

 もえかの言葉に万里小路はぐうの音も出ないが、もえか自身も決定打を欠いているらしい。必殺の一撃を撃てるのならばもうとっくに万里小路は倒されている。

 

 万里小路の額を汗が伝う。

 

「ここが試合の場だったら私が負けているでしょう。でもここは、戦場。――――――そうでしょう? 万里小路さん」

 

 そう言ってもえかが何かを転がした。

 

「――――――っ!」

「さよならです」

 

 万里小路が慌てて後ろに飛び退く。直後に鋭い閃光。常夜灯で暗がり向けの目の色に合わせていたせいで、その閃光が鋭く突き刺さる。光がふっと消えると、真っ暗闇の中に光の残像だけが浮かぶ。

 

「こちら万里小路。敵勢力と艦長室付近で交戦、申し訳ありません。取り逃がしました」

《わかった。損害は?》

 

 無線に応答するのは宗谷ましろだ。至極落ち着いた声に万里小路は深呼吸しつつ落ち着ける。

 

「ありません。まだ動けます」

《給養室付近で戦闘が始まった。主計科が籠城してるが旗色が芳しくない。応援を》

「かしこまりました。向かいます」

《砲雷科の科長二人も向かってる》

 

 科長二人と言われて頭に浮かんだのは砲術長西崎芽依と水雷長の立石志摩の二人組だ。

 

「お二人がいるのなら、大丈夫なような気もしますが」

《包丁セットがそこにあってもか?》

「発言を撤回させていただきますー」

 

 艦の中という狭い空間では、動きに制限がかかる上に腕に負担のかかる長物の飛び道具は扱いにくい。また拳銃などを使うにしても、確実に排除するためには近づかねばならず、音もうるさい。結果的に包丁などの小型刃物が最大の脅威になる。

 

 やっと視界が戻ってきた。万里小路がラッタルを滑り降りる。目指すは給養室だ。

 

 

 

     †

 

 

 

「なんでこんなことにぃぃぃぃいいいいい!」

 

 軽い発砲音が乱雑に響くなか、小鍋を被って調理台の影にしゃがみ込むのは伊良子美甘だ。隣ではまな板をヘルメット代わりに頭に乗せて必死に小さくなっている杵崎あかねとおたまを握りしめて調理台の向こうを覗き込まんとしている杵崎ほまれの和菓子屋姉妹である。

 

「待って待って待って! ほんと武器になりそうなものがないよっ!」

「ほ、包丁投げる!?」

「顔を出したら撃たれちゃうから無理っ!」

 

 そんなことを言い合う間にも、背中をなんとか積み上げたバリケードが少しずつ崩されているような気がする。

 

「私達戦闘職じゃないもん……! こんな訓練受けてないっ!」

「ほまれ! そんなこと言ってもどうにもならないっ!」

「ほっちゃん、あっちゃん、ケンカしな……」

 

 半ばやけっぱちの空気になっている姉妹を必死に押さえ込もうとする美甘だったが、背中を預けていた調理台が揺れたことで、言葉を切る。蛍光灯の光が遮られて、ふと上を見上げた。

 

「ぁ……」

「仲間割れご苦労様。投降して、包丁とか武器になりそうなものを渡してくれたら命だけは助けてやろう」

 

 真上から向けられる銃口。作業台から見下ろされて、三人の目が見開かれた。

 

「怖いか? 怖いだろう? 怖い上に痛い目に遭いたくなければおとなしく……」

「「「バカ―――――――っ!」」」

「うおっ!?」

 

 いきなり真下から吹き上がる声にたじろいだ。そしてあっという間に引きずり下ろされる。

 

「いでっ!」

「なにしてんですかバカ――――――!」

 

 床に倒れ込んだ相手にマウントポジションを取った美甘が腕を振り上げる。

 

「調理台に! 土足で! 上がるなぁぁぁあああ!」

 

 鍋を被ったまま涙目でそのままポカポカと相手を殴りにかかる。

 

「いたっ! やめっ……顔! 顔はやめっ!」

「毎日毎日消毒して拭き上げて、食中毒とか絶対に起こさないようにしてるんだよ! それを、土足で! 土足で! 土足でぇぇぇええええええ!」

「悪かった! 悪かったから、やめっ! 地味に痛い!」

 

 自分で自分の堰をたたき切ってしまったのか、エキサイトしていく給養長。

 

「あのー、ミカンちゃん……」

「そろそろ、やめてあげよ……?」

 

 杵崎姉妹がゆっくりと上長に声をかけるが、その目がぐりんと二人の方を向いた。

 

「み、ミカンちゃん?」

「私達の台所に! まな板とかお椀とか、わざわざ買ってきたテンパリング用の大理石とかを直接置く場所に!」

「あの大理石ボード、ミカンちゃんのだったの……?」

 

 とんでもない私物を持ち込んでいたことがここでカムアウトされたが、美甘はそんなことはどうでもいいと続ける。

 

「そんな衛生第一の場所に靴で! 土足で上がって! あまつさえ包丁とかを持って行っちゃおうとしたんだよ! 目をチョキで殴っても足りないよ!」

「そ、それは……そうだけど」

「そこは同意するの!?」

 

 どうやらこの凶行が止まることはないらしい。

 

「さて、どうしてくれようか……」

「ひぃ!」

 

 いつの時代も胃袋を握るヤツを怒らせてはいけないと言われているが、えてして晴風も同じようで。

 

「ミカンちゃんってあんなにアクティブだったっけ……」

「うぃ……」

「血気盛んでございますね……」

 

 応援にやってきた三人が仕事も無く扉の影でガタガタ震えることになっていたのは仕方の無いことと言える。そんな三人にチャットの通知が飛び込んできた。

 

《こちら機関室。仕込み完了》

《了解。黒木さんありがとう》

《貴女に褒められるなら光栄です、副長》

「「「仕込み……?」」」

 

 皆が同時に首を捻った。

 

 

 

     †

 

 

 

「ど、どうしよう……!」

 

 下の階がどったんばったんしている中、艦橋で一人そわそわしていたのは知床鈴である。

 

「ブルーマーメイドに連絡したほうが……いいのかな……?」

 

 気がかりなのは当然、晴風の腹の中のこと。侵入者によって下がどったんばったんしていることである。それからチャットの通知がひっきりなしだ。

 

《給養室奪還完了。ミカンちゃん無双がヤバかった》

《奪還了解》

《無双ってなにがあったの……?》

《錨鎖室異常なし! 再度閉鎖します!》

《じゅんちゃん! ドアにチョーク忘れるな! ぞな!》

《わかってるって! ぞなをわざわざつけなくていいよ!》

 

 チャットのメッセージが高速で流れていく。夜間であるため艦橋も明かりを落している中、ほの暗く光る液晶がとても頼りない。

 

《撃退に艦内消火栓が有効!》

「あぁぁぁぁぁ……!」

 

 鈴が声にならない叫びを上げる。艦内消火栓を使用したということは、艦内の防火システムを手動で起動させたということで、高出力海水組み上げポンプが艦内各所にとんでもない量の海水を圧送し始めたということである。そんな消防のポンプ車顔負けの水鉄砲をお見舞いしたらそりゃぁ有効だろう。鋼鉄の塊の航洋艦の中でそんな大量の海水を使えばたまったものではない上に絶対オーバーキルだ。

 

《機関室にブービートラップあり。不用意に近づくべからず》

「それ絶対あとで大変なことになるよぅ……」

 

 さっきノリノリでスタンプを大量送信してきた柳原麻侖機関科長と、ため息をわざわざタイムラインに残していった黒木洋美機関助手が何か企んでいたのはそれか。確かに艦を制圧するなら機関室に足を運ぶのがセオリーになるだろうし、ブービートラップを仕掛けるのはわからなくもない。だからといってそんなところを戦場にしたら、せっかくサルベージしてまで復活させた晴風が再び廃艦の危機に陥る。

 

「うぅぅ……逃げたいぃ……」

 

 そんなことを言って舵輪に手を乗せるが、機関が停止し停泊している状況では意味も無い。舵輪を回したって状況は変わらないのだ。

 

「こういう時間、苦手なんだよぅ……船が動いてくれればいくらでも逃げられるのに」

 

 そういったところで始まらない。どう逃げるか、それを見出そうと頭をフル回転させる。

 

「と、とりあえず……学校とブルーマーメイドに連絡を……」

 

 そう言って受話器を上げたタイミング、左舷側見張り台の方でガタリと音がした。

 

「ぴょっ!?」

 

 変な悲鳴が出て自分でも恥ずかしいが、それ以上に怖い。物音の反対側、右舷見張り台の方まで飛び退く。

 

 そして見てしまった。

 

 見張り台にガンッという音と共に現われた真っ白い手。それが手すりにかかり、よじ登らんとしてくる。

 

「ひゃああああああああああああっ!」

 

 思わず叫ぶ。絹を裂くような叫び声という表現はきっとこの日のためにあったに違いない。外からも「へっ!?」という声が聞こえてきた。

 

「よっ……と、リンちゃん驚かしちゃった?」

「ち、知名艦長?」

 

 見知った顔が見張り台から顔を出してへなへなと座り込んだ。

 

「知名艦長なんでそんなとこから」

「んー。バリケードがあったから外階段からちょこちょこっと。封鎖しろって言われたらちゃんと回り見回そうね。通路からくるとは限らないよ。あと私の事は『もか』でいいって前も言ったのに……」

「でも、武蔵の艦長さんですから……じゃなくて! なんでち……もえか艦長は晴風に来てるんですか?」

 

 もえか艦長かー、とどこか悩んで見せるもえか。

 

「まぁ、いつかはもかって呼んで? そしてここに来てるのは、ミケちゃんに『晴風が大変っ!』って言われて応援に来たからなんだけど、その肝心のミケちゃんはここにいないの?」

「か、艦長なら今、艦尾の方に……」

「そっか……。いっつも何かあると飛び出しちゃうからねぇミケちゃんは」

 

 施設の時からそうだった、とどこか苦い笑みを浮かべるもえか。鈴も苦笑いだ。

 

「それで、今どんな感じ?」

「はい……今のところ主要部はこちらで再奪還してますが……機関室とかの方がもう少し掛かりそうで……今学校とブルーマーメイドに通報しようと……」

「そうなんだ……なら、間に合ってよかったかな。僥倖、僥倖」

 

 そう言って笑って見せる。それに首を傾げる鈴。

 

「間に合って……って?」

「ん? こういうこと」

 

 そう言って彼女がポケットを探って取り出した物を向ける。

 

 

 

「ごめんね?」

 

 

 

 心臓に向け、引き金を引く。

 

 

 

     †

 

 

 

「どう? 終わった?」

 

 機関室に入り込んだ知名もえかが目にしたのは一枚の紙。制圧済みの部屋の中はかなり荒れているので、足下に気をつけて進む。

 

「知名艦長、これは……」

「……ミケちゃんやるね」

「はい?」

 

 晴風の燃焼缶を見下ろす窓にセロテープで張られた一枚のメモ用紙。そこにマジックで書かれた文字は間違いなく親友の字だった。それを窓から剥がす。

 

「はぁ……」

「ミケちゃんらしくないけど、こういう本も読むようになったんだ」

 

 そう言ってそのメモを見て笑うもえか。その横から制圧を任せていた部下が覗き込む。

 

 

「だが俺は十分すぎるほど涙した 夜明けが痛い

 月は残忍で 太陽は昇るたびに辛辣だ

 愛が俺を飲み込んで麻痺させる

 船体よ裂けよ! 海の藻屑と消えん!」

 

 なんですかこれ? と聞かれ、もえかが笑う。

 

「アルチュール・ランボー『酔いどれ船』の一説。かなりお堅い訳だけど……」

「自暴自棄になったんですかね?」

「ううん、たぶん『そっちが晴風を沈めるなら最後まで抵抗する』っていう意思表示かな」

「あちゃー。一番面倒なパターン」

「そのあたりをミケちゃんは譲らないよ。晴風はミケちゃんにとって家な訳だしね。土足で上がってきたら私も抵抗するもん」

 

 そんなことを言って笑って見せるもえか。そのまま彼女に背を向ける。

 

「艦長、どちらに?」

「艦橋にも居ない。非常時に艦のダメージコントロールをする機関室にも居ない。それでももし、ミケちゃんが諦めていないなら、艦のコントロールを奪い返そうとするはず。その可能性がある場所は限られてくるよね」

「えっと……他に、ありましたっけ? 艦のコントロールできそうな場所」

 

 もえかは壁に貼り付けられた艦内見取り図の前で足を止めた。

 

「一つだけ、ある。ここと艦橋以外で、直接的に艦の行く末をコントロールできる場所は一つだけ」

 

 一カ所を指で指し示す。 そこは、艦の最後尾、尾っぽも尾っぽ、舵の真上だった。

 

「第一〇・一区画にある操舵機を直接操作すれば、艦のコントロールを奪い返せる」

 

 

 

    †

 

 

 

 水密扉を開けると、中では隠れもせず、お目当ての人物が待っていた。

 

「やっぱりここにいた」

「来ると思ってたよ。もかちゃん」

 

 そう言って笑う彼女は学校指定のジャージ姿。手元でくるくる回っているものには見覚えがあった。もえかが持ち込みを指示した拳銃だ。

 

「ミケちゃんには撃てないよ」

「どうかな」

 

 右手一本でそれを構える明乃。そのときには同じようにもえかも明乃に銃を向けていた。そのまま幾ばくかの時間が過ぎる。その二人の間に艦内スピーカーのノイズが走った。

 

 

 

 それがきっかけだった。同時に響く銃声。二発。

 

 

――――――知名もえか学生! 岬明乃学生! 今すぐ司令部に出頭せよ!

 

 

「よしっ! 勝った!」

「えーっ! こっちの方が早かった!」

 

 勝利宣言をする明乃にもえかが頬を膨らませる。あたりには二発のBB弾。

 

――――――三分以内に出頭せぬ場合、ランニング一〇周追加!

 

「……急ごうか」

「うん……」

 

 間違いなく青筋が立っている古庄教官の声に、全力で飛び出す二人。

 なお、二四秒遅れた為に余計にグラウンドを回る羽目になるのは後の事である。

 

 

 

    †

 

 

 

「あっはっはー! 傑作じゃねぇか」

 

 そう笑うのは宗谷真冬だ。それを聞いて疲れ切った顔をしたのは彼女の母で横須賀女子海洋学校校長の宗谷真雪だ。

 

「有事に使える人材なんだから大事にしろよ」

「だからって平時に(いびつ)すぎるのも大変なのよ。岬さんならともかく、知名さんまでアクセルだとは思わなかったわ」

「あれ、ミケが吹っかけたわけじゃないのか」

 

 そう言われて真雪がため息。

 

 きっかけは海上警備行動基礎の期末レポートだった。そこで知名もえかが提出したレポートが『警備艦艇に対する破壊工作のリスクとその対策』だった。

 このリスクへの対応は急務だ。そのリスクをRATtウィルスが跳ね上げたからだ。誰もが急に発狂し、暴れ出すリスクをこの海は今も抱えている。抗体もできているとはいえ対症療法であるうえに、海に係わる人間全員にワクチンを投与するのも難しいのが実情だ。その状況においては対応チェックリストを官民問わず配布することと、海上安全整備局の警備行動で随時対応するしかない。

 実際よくできたレポートで、海上安全整備大学校の学生が書いたレポートの内容とリンクする程だった。

 

「だからって『実際にやってみた』はないわよ」

「理論は実証しないといけないだろ?」

「それを艦丸々巻き込んでやるかしら? 知床さんが知らずにブルーマーメイドにあわや緊急通報だったのよ。さすがに本部が入ったら庇いきれないわよ」

「情報共有が課題だな」

「それより艦内掃除が大問題よ。晴風の警報装置の初期化や除塩措置……そろそろ懲りて欲しいのはあるんだけど」

 

 その疲れた母親の肩を叩いて真冬は笑う。

 

「それで? 懲りさせるために何をしたの?」

「艦長二人に上陸禁止一週間。あとの関係者は反省文」

「うへぇ」

 

 きっついねぇと笑う真冬。

 

「あれで主席と実戦経験者だからなぁ」

「卒業後にあの二人の手綱を握らなきゃいけない艦長達の胃が心配よ」

「まぁ二人まとめておくのが安全だろうなぁ……下手なやつに預けると艦丸々乗っ取られるぞ」

「だったら真冬、あなたが二人まとめて拾ってくれる?」

「へへ、考えといてやるよ。校長センセ」

 

 そんなことをいって笑う真冬。

 

「でも二人とも……」

 

 そう言って真冬が言葉を切ったので真雪がそちらを見る。

 

「二人とも、どうしたの?」

「今、有事が起こったとしたら一番使えるヤツなのは間違いないだろう二人とも」

「……とりあえず、その人財を失わなかったことを感謝しましょうか」

 

 真雪がめんどくさそうにそう言いながらも口の端が緩んでいるのを、真冬は黙っていた。指摘したらまた面倒くさい展開になりそうだった。

 

 

 

    †

 

 

 

「あーあ、怒られちゃった」

「当然ですよ。まさかあそこまで本格的にやるとは思いませんから」

 

 一週間の上陸禁止を言い渡され、皆で協力して掃除した結果、明乃ともえかは正座説教と校庭二五週で済んだ。艦橋の見張り台から上陸できないフロートを見ながら岬明乃はため息をつく。その横で同じようにため息をついたのは、最初は反対していたのに結局押し切られたあげく、連座制で一緒に正座させられた宗谷ましろである。

 

「しろちゃん」

「なんですか?」

「……もかちゃんたちと演習して、思ったんだけど、さ」

 

 そこまで言って明乃は言い淀む。口を開いては閉じるを繰り返している。水が岸壁にちゃぷちゃぷと当たる音と、穏やかな太陽光の中でそれを根気強くたえていたましろだったが、一分少々待って進展しないので、しびれを切らして口にする。

 

「要は、晴風を守り切れるのか、ですか?」

 

 そう言われ、明乃は静かに首肯。

 

「守るっていうのは、難しいって本当に思いますよ。いつ晴風もばらばらになるかは分らないわけですし」

「そう……なんだよね」

 

 晴風がRATtウィルスの騒動に巻き込まれたのは確かにアンラッキーだった。それを切り抜けられたのはラッキーだった。()()()()晴風がとった作戦が的中した結果として、晴風クルーは英雄になったに過ぎない。

 

「でも、いつ何があるか分らないのが、怖くなっちゃった。攻めてくるってわかってた、もかちゃんたちとの演習ですらあれだけ苦戦したんだもん。不意打ちでこれだったら、私達は晴風を守り切れるのかな」

 

 明乃の視線が落ちる。それを見て、ましろが何度目になるかわからないため息。

 

「なにを言い出すかと思えば、そんなことですか」

「そんなことって……!」

 

 噛みつくように振り返った明乃の頭に右手を乗せる。

 

「少しはクルーを信じてください。あなたは、わたしたちの艦長なんですから」

 

 そのままさらさらとした明乃の髪を撫でつける。

 

「あなたは優しくて、強い人ですから、だからこそ脆くなってしまうところがあるのかもしれません。でも、大丈夫です。ワンマン経営しなくてもこの晴風(ふね)は大丈夫です」

 

 そう言って明乃のどこかぽかんとした顔にほほえみかける。

 

「あなたなら守れますよ、艦長。私は信じてますから。不幸のせいでもしダメでも、それはきっとあなたのせいじゃない」

「そうなの……かな……」

「そうですよ、きっと」

 

 明乃の頬が赤くなる。りんごみたいだとどこか他人事のように思った。こんな穏やかな気持ちで話すのは何時ぶりだろう。こんなことしばらく……

 

 

 

 

 カシャパシャパシャピロリンカチャン。

 

 

 

 

 ……なかったはずなのだが、その思考が背後から響いた物音に思考を中断。ゆっくりと振り返る。振り返らなければ事実にならないとかそんなシュレーディンガー理論が実体化しないかと思ったが、現実は残酷だ。

 

「副長がデレるのは久しぶりですねぇ」

「普段からこんなんならいいのにねー」

「レアシーンゲットぞな」

購買(PX)で売れるかしら」

 

 各々が各々に携帯やらタブレットを構えてる納沙幸子に駿河瑠奈に勝田聡子に等松美海。みるみるうちにましろの顔が赤くなる。

 

「な、なにやってるんだ―――――っ!」

「きゃー!」

 

 蜘蛛の子散らすように去ってく外野を追いかけていくましろ。外のラッタルを滑る音が聞こえてくる。それを聞いて、明乃は一人吹き出した。

 

「あーあ、なんか悩んでたのが馬鹿らしくなってきたなぁ……」

 

 晴れた青空を見上げて呟く。

 

 

 

 

 大丈夫だ、きっと。きっと、なんとかなる。

 

 

 

 

 晴風の艦内へ、岬明乃が飛び込んでいく。



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