織り重なった良く分からない雑誌の束。飲み干した大量の空き缶が詰まったビニール袋。掃除が雑なのか、部屋の四隅には埃が見えた。
そんなとても清潔とは言えない、掃除が出来ない男子特有の散らかり具合をした広い大部屋に十数人の人間達が一様に円形のテーブルに座り、顔を突き合わせていた。
異様な光景である。
その輪の中では、一人の男がその身を拘束され青い顔で冷や汗を流していた。そんな憐れみを誘う彼に対して周囲の者達は、まるで不俱戴天の裏切り者を見つけたといわんばかりな憎々し気な表情で相手を睨みつけている。
「おいてめぇ……いつの間にレティシアちゃんから電話貰える仲になってんだ?」
「――これは、聖女ファン倶楽部規約、第三条『恣意的に聖女へ接触することを禁ず』の項目に抵触しているのでは?」
ある男が言い放った言葉に、皆が鬼の首を取ったといわんばかりに声を上げた。囃し立てる歓声とコキコキと拳を鳴らす音で場が満たされる。渦中の人物は既に蒼白な表情で、息も絶え絶えの様子である。
「
「処刑! 処刑! 処刑!」
「やっぱハッカーはクソ。はっきり分かんだわ」
「ちょっとレティシアさんに頼られたからって調子乗ってたんだなぁ~」
「所詮ファンってのは口だけで、実際はただのストーカーだったってことか!」
「――さっきから違うって言ってるだろ! 情報関係に疎いレティシアさんが俺がそういうのに強いってのを聞いて、ちょっと頼られてるだけだよ! 俺から接触したんじゃないッ!」
「アウト? アウトだよね?」
「いや、一応規約範囲外だろう。お前ら落ち着け。サイトはこいつが七割くらい運営してっからハッカー外すと面倒になるぞ……」
「ニコルの奴にやらせりゃいいんじゃねぇか?」
「いやあのぽっちゃりは重度の上がり症だから無理。次のハンター試験に向けて走り込みで忙しそうだし」
「……俺、明日からネットの勉強するわ」
「お前ガチ脳筋じゃん無理だよ」
大きな円形のテーブル越しに彼を囲んで好き勝手に駄弁る男達。時たまテーブルに広げられた駄菓子を摘まんだり、既に我関せずと携帯やPCを弄る人間など様々な人物がその場に集まっていた。
その携帯やPCの壁紙にはカメラ目線のレティシアの写真(公認)が設定されている。その総数はなんと二十枚を超えていた。
『写真? グッズ? え、まぁ、構いませんが……? あ、写真なら是非これを使ってくださいっ!』
普通の女性が自らの写真を、たとえ友達といえども抵抗も無く提供するかは怪しいものであったが、幸い自撮りが趣味らしい彼女に忌避感は無いようであった。これはファン倶楽部にとっても望外の幸運である。
彼女の笑顔は大げさだが、まるで居る筈の無い同志を見つけたかのような満面の笑みであったとか。不思議な事だ。
この場に集う、人種に年齢も異なる彼等の共通点はただ一つ。全員が『聖女ファン倶楽部』……通称【聖女教】に所属する会員であることだけだ。そこに人種差別、国境などは存在しない。全員が旗の下に集う同志なのだ。
……なお、この男子部屋に女性は集まっていない。普通に汚いからである。女性は女性のコミュニティを形成しているのだ。
「てか、今レティシアさん何してる訳?」
「あー……ほら、一応個人情報だし言っちゃ駄目だろ」
「は? 今まで当たり障りのないことなら……ってそうか。ハンター関係?」
「ま、そういう感じ」
この時、レティシアはジャックから“念”の修行を課されていた時期であった。ハンターではない一般人も交ざっているこの会合で、一般人には秘されている事を話す訳にはいかないのである。
「そういえばこの前あいつ、あの後どうなった? レティシアちゃんの身体目当てで近づいた馬鹿。身の程知らずだよなぁ」
「チッ、あの変質者の話はするなよ胸糞悪いし。いざレティシアさんに絡んでいって、腕を掴んだ瞬間鉄拳を喰らって冗談みたいに星になった姿を偶然見かけたわ」
「……ハッカーお前、それほんとに偶然か?」
「……偶然だよ」
ハッカーは頬を掻いて、そっと微妙な顔つきで目を逸らした。
ちなみに彼の得意技はクラッキングで、趣味は町中に設置されている監視カメラの乗っ取りである。
「言える範囲で、最近のレティシアさんの動向とかその辺喋れる奴いねぇの?」
「あー、少し前に列車襲撃事件を解決した新人美少女ハンターってちょっと話題になってたな」
「それ皆知ってるだろ」
「ハンター情報雑誌の『287期の新人ランキング』に一位で名前上がってたよ。流石はレティシア様」
「そんなのあるのか」
「もっと、もっと聖女栄養分をくれ。それじゃただの有望なハンターでしかないじゃん」
「ん~俺も最近はそう思ってたかな。レティシアさんの聖女力幾らなのか知りたい」
「話題性とかじゃなくてもいいんだけど……普通に優秀美少女ハンター、とかで落ち着きそうなのが寂しい」
「――はぁ? レティシアさんがただの超アルティメット可愛い美少女有望ハンターでしかないって?」
暫くレティシアの話題にふれていない会員数名の言葉に、自由になったハッカーが唐突に切れた。ハッカーの熱意を知っている古参会員はその様子を「爆撃来るぞ、備えろ」と、謎の注意を数名に飛ばし、温かく見守る。
「お前らレティシアさんの慈悲深さ知らねぇからそう言えんだよ。今までどこ見てたんだそれでも【聖女教】の信徒か? 誰が聖女じゃなかったら毎日必死に修行してるとこに早朝突然出くわした不審者丸出しの小汚いスウェット着た知らない小男の話を通報もしないで真面目に聞くアルティメット可愛い女性が居るんだ? 一見地味な事だけどいざそれが出来る人間が、今の荒んだ世に何人居る? 俺らとは器が違うんだよ、俺がいつ見ててもレティシアさん誰にでも優しいし困ってる人が居たらどんな身なりの人間でも声掛けるしそれでいて絡んで来た野郎にはきちんと対処して自分の意思ははっきりしてて、言うべきことはきちんと言うし家庭的で友人思いで家族も大切にして一週間に一回は必ず電話してるし、どこに俺らみたいな奴らに気さくに接してくれる美少女が居る? 居る? 居ないっしょ居ても俺はレティシアさん以外眼中ないけど居ないだろクラッキングしか能の無い俺みたいな根暗クズにもあの綺麗なお声でにこやかに話し掛けてくれるんだよ頭が高いぞテメェ、くれくれ厨がよォォ!」
「お、おぅ………………なんか、ごめん」
ハッカーは一息でそう言った。多くがその様子を目を点にして見ている。彼は慣れない声帯を酷使したせいか、ゼェゼェと息を吐いてゆっくりと深い深呼吸をした。
「いや、まだあるぞ」
「また爆撃あるぞ備えろ」
(……いま、さり気なくハッカーがおかしいこと喋って無かったか?)
「レティシアさんの経歴改めて言ってやるよこんなの信徒なら誰でも知ってることだけどお前ら新参には新しいだろ。レティシアさんはフォルカリニアのドンミレ村出身で幼い頃は意外と男勝りで活発な子供だったらしいな。その頃から親のしつけか分からんがシッカリしてて弱い者イジメなんかしたことないし逆にいじめっ子叱って改心させたり学校通ってる時も努力家で成績良いわそれを鼻にもかけず人柄も良いわで同じ女子に嫉妬されていじめられたりしてもめげずに自分からぶつかっていって最後は仲良くなったみたいだし中高で思春期迎えてもグレもせずに今まで生きて来たんだよ。ハンター試験いざ受ける準備してる時もスゲェ修行してたみたいだし確かに天才なんだろうけどそれに胡坐もかかねぇで頑張って来たからあれだけ実力も有って心も強いんだよ。
かといって、最初に文句言ってたお前はなんだ? 最初はサイトに貼ってたその神々しい美貌のお写真に惹かれて会員になった口だろ別に最初はそれでもいいんだよみんなそんなもんだ俺なんて最初は反感バリバリで敵意剥き出しだったしな。でもお前もう会員なって一か月だろレティシアさんに確か直で会ってたろ会話してまさか見てたのはそのお美しい外見だけか? むしろガン見するべきなのはその精神性だろどこ見てんだッ! もっと真剣に見ろよ祈れよッ! 本気でレティシアさんの事見てたか? まさか自分の想像張り付けて勝手に期待して勝手に失望してるとかふざけた事してたらぶち殺すぞ、コラッ!」
「ストップストップ。その辺にしとけよ兄弟。こいつらもそんな悪気が有った訳じゃねぇから」
「ちょっと聖女分が不足してたんだよ。よく張り付いてるお前と違って供給量が少ないんだ」
「こいつレティシアさん語らせたらキモいぐらい延々と喋るぞ」
「ふぅ~~……オッケー分かった。じゃあ先ずは聖女分の補給からか……それなら、これだろ」
ハッカーがカバンから取り出したのは、レティシアをデフォルメしたフィギュアだった。服の細かなディティールまで再現したそれは、過度の露出が無い物で男の欲望を誘うような安直な格好の代物ではない。
むしろどこか侵し難い、神聖さすら感じられる物だ。簡単に触れる事すら躊躇われるその
製作者の気持ちが多分に強く込められたそれは、念能力者が見ればはっきりと強いオーラを纏っていることが分かるだろう。
実際にレティシアに会っている者達の一部が、その人形から紛れも無いレティシアの気配のような物を感じ取り瞠目する。それは尋常ならざる製作者の念ゆえか。その降臨したブツに、この場に集まっていた全員から自然と感嘆の声が漏れる。
【聖女教】の人間で、これに心を奪われない者はいない。
居ればそいつは異教徒だ。
「――聖女人形Ver.21だ。この会合後に原価で販売する。何故ならこれは商売じゃない、布教だからだ」
「うむ。ハッカーに聖女のご加護在れッ!」
「お前こそ【聖女教】の鑑だ!」
「俺は最初からお前がそういう聖人なんだって分かってたぜッ!」
「いやお前数分前までハッカー罵倒してたじゃん」
「うるせぇ」
見事な手のひら返しにも、彼は特に反応しなかった。
続いてハッカーがカバンから、ドンッと分厚い聖書の如く鈍器レベルに重い本を取り出してテーブルに置く。よく見ればその本は端々が摺り切れていて、彼が何度も読み返していることが分かる。
「来たぞ……ハッカーの十八番だ」
「――当然そこの不信心者には、このスペシャルブックの有難い教えを聞く必要がある……覚悟はあるか?」
「お、おう」
「ここまで来たからにはな。俺らに、レティシアさんの凄さを教えてくれ」
「良かろうッ!!」
厳かな雰囲気とともに、巌のような顔をして彼は静かに語り出す。その目が、まるでどこかの次元に居る
その日新たなる狂信者がまた一人、二人と誕生した。
◆◆◆◆
オヴィエットは逸る気持ちを抑えていた。数年ぶりに電話などではなく、こうして直接彼女に会える機会を自分でも驚くほど楽しみにしていたのだ。
それもオヴィエットがずっと捜していたのに居場所をなかなか掴ませなかったレティシアのせいであると、彼女は内心で不貞腐れた。
「――久しぶりねっ! レア」
「……ええ。お久しぶりです、オヴィー」
オヴィエットは数年ぶりに再会した親友と、ヨークシンシティにある喫茶店にて軽食を食べていた。久しぶりに見る彼女は相変わらず別格の美しさで、その白無垢のワンピース姿に視線を送る人間は多い。単純な服装ほど誤魔化しが効かず、それが却って
「あなた、何か変わった?」
「え? そうでしょうか」
「最初は化粧をきっちりするようになってたからかな、って思ったけど……やっぱり違うわ。雰囲気が違うのよ」
「……オヴィーには、お見通しですね」
オヴィエットの指摘に驚いたように目を瞬かせたレティシアはうっすらと微笑んで、手を胸に置いて静かに目を瞑った。オヴィエットは首をかしげつつ、妙な間に首をかしげつつそれを見守った。
「…………あれ?」
「これでどうでしょう?」
「ん――違和感が消えたわね」
「……そうですか」
再び目を開けたレティシアからは、もう謎の違和感は感じられない。表面上に在る凛とした雰囲気は健在だが、今の彼女を見て清楚な少女と言う者は少ないだろう。どちらかといえば活発な印象を受ける。
静よりは、動。元気一杯の子どもがそのまま大人になったかのような快活さを秘めた瞳に、わんぱくな少年を思わせる無邪気そうな笑みと振る舞い。大人しさは僅かだ。
こうして見ると、オヴィエットにはさっきまでのレティシアと今目の前に座っているレティシアとの違いが良く分かった。姿形は全く変わっていないのにも関わらず、まるで別人である。
むしろなぜ同じ人物に見えたのだろうかと思う程雰囲気が異なる、とオヴィエットは怪訝そうに目を眇めた。それは長い付き合いがある彼女にしか分からない程小さな差であったが、親しい人間ならばハッキリと分かる違いだろう。
久しぶりに会った先程までのレティシアには、どこか人を強く惹き付ける無言の“カリスマ”めいた風格があったのだとオヴィエットは遅れて理解する。
「あ~、レアって双子とか居たの? 一瞬で人と入れ替わる芸に目覚めたとかっ」
「ふふっ。違いますよ。ちょっと色々ありまして……精巧な演技、のようなものです」
「……ま、いいけど」
学校でも成績優秀かつ文武両道で通っていたレティシアは、もとより周囲からはなんでも出来る天才と見られているふしが有った。それでいてそれを鼻に掛ける事も無く、男女問わず優しく人当たりも良い。まさに理想の才女。大半の男子が理想とするような少女である。
しかしオヴィエットは知っている。
これでいて彼女は意外とずぼらだ。高校生になっても化粧っ気も皆無で、放っておくとスッピンで外出する事など珍しくない。花より団子で活発な性格の彼女は女性らしい外見を裏切って、どこか男性的な一面さえある……だから偶に、妙な女子から告白されるのだ。
その外見から勘違いしやすいが、本当はレティシアが何かと熱くなりやすい情熱家であることを知っているオヴィエットからすれば、そんな熱い彼女の琴線に触れる物がハンターにはあったのだろうと、長年の付き合いでそう推察さえ出来た。
「さっきまでの私……率直にオヴィーはどう思いました? 格好良く、いや可愛くありませんでした? 私的には最高に超かわ美しい尊い感じに出来てると思うのですが」
そう言ってどこか得意げな顔をしているレティシアの様子に、オヴィエットは思わず表情を顰めると大きく嘆息した。まるでナルシストのような……いや間違いなくナルシストそのものの発言である。明らかに様子が可笑しい。
まぁ何かと天然な一面があるレティシアなので、これもいつものことかとオヴィエットは目の前にいる残念美人へある種の諦めの視線を向けた。
このような顔をしている時のレティシアは、大抵が変な方向に思考が突き抜けている時なのである。オヴィエットはそう過去の経験から察していた。
最後にこんな顔をしていたレティシアは何をしていたか、とオヴィエットが記憶を探ると……嫌な記憶が浮かび上がって来る。クラスメイトの一人を虐めていた不良グループを、闇討ちして帰って来た時だ。頬に返り血をつけて金属バットを肩に担いでいるレティシアに悲鳴を上げて花瓶(玄関の)を投げつけた記憶はまだ新しい。
レティシアはこれでいてかなり喧嘩っ早く、目には目を歯には歯を、な人間なのだ。とんだ外見詐欺があったものである。
「正直、似合ってないっ。私には今の素のままな貴方が良いかな」
「え゛!? ――に、似合いません、か……」
ずーん、と分かりやすく落ち込んでいるレティシアの様子に、何か
「なんだか……そう、遅れてやって来た中二病のようねっ!」
「ちゅ、中二病!? い、言うに事欠いて、中二病……流石は、オヴィー。容赦が微塵もありませんね」
「う~ん……傷付けたならごめんなさいね。演技? は素晴らしかったと思う。私でも最初は全然気づかなかったし、その多大な努力は認めるわ」
「で、ですよねっ!? 素晴らしいですよねっ!?」
「でも、私の前ではもう二度としないでねっ!」
「!? そ、そんな……」
オヴィエットの言い様に、レティシアは思わず顔を引き攣らせていた。まさかここまで友人に拒絶されるとは思わなかったらしい。そんなに自信があったのか。
「ハンターになったんだからそういう、化ける? 技能も必要なのかしら……でも、私の前ではやめて頂戴っ。なんだかレアが遠くなったようで、寂しいのよ」
「うっ」
まだ内心不服そうにしているレティシアに目敏く気づいていたオヴィエットは駄目押しとばかりに悲しげに目を伏せると、すかさずそう口にして追い打ちを掛けた。基本的に懐に入れた相手には弱くなるのがレティシアである。オヴィエットにこう言われれば断れるはずも無かった。
オヴィエットの前だけでも演技を止める事が心苦しいのか、うるうると涙目になって弱々しく頷いたレティシアの様子に、思わずオヴィエットは前言を翻しそうになり胸を抑えた。
オヴィエットとしては、今では仮面のようにも思える『レティシア』越しにレティシアと言葉を交わしたくはないのである。
「お、オヴィーや家族には、止めておきます……」
「そうして貰えると嬉しいわ」
確約が取れて嬉しそうに笑うオヴィエットの様子に……レティシアは根負けした様子で苦笑いした。
オヴィエットが話を切り替えたのに合わせて、レティシアも気持ちを入れ替えて新たな話題に乗る。
レティシアが居なくなって、心持ち活気が薄まった高校の話。まだ決めきれていない進路の話。それならばとカタギではない親にせっつかれて、面倒な社交界に出ろと言ってくる父親への愚痴など。
オヴィエットの長い話に、言えない話が多いレティシアは素直に聞き役へと回った。和やかな時間が二人に漂う。
それはレティシアがジャックに念の講義を受けてから、半年を過ぎた頃の話であった。
「あっ、レアは明日、時間ある?」
「午後からで良ければ、何かありましたか?」
「なら明日の夜、二人でディナーに行かないっ? お父さんと私で二人分の予約を取ってたんだけど、お父さんったら、仕事で来れないらしくて」
「オヴィーとお父様さえ良ければ、構いませんよ」
軽く予定を振り返って快諾したレティシアに、オヴィエットの頬が興奮で朱に染まる。これで超高級レストランで一人寂しく食事をしなくてはならない地獄は無くなった。
「なら決まりねっ! このヨークシンでも指折りの高級レストランだから、楽しみにしててっ!」
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※作者の脳内分岐ルート。