やぁ、混入者
最近、博麗神社の近くで温泉と悪霊が噴き出したことで一悶着あったのだが、それも一段落ついたらしい。その件に紫様は霊夢に色々手助けをしていたようだけど、私は別に何もしていない。面倒臭いし。当事者と一部の関係者からは地底で色々あったのだと聞かされたのだが、そういうのは覚えてくれるのに任せて私はほとんど聞き流していて碌に覚えていない。まぁ、そんなもんだ。
「それじゃあ、任せたわよ」
「……はぁ」
何故机に突っ伏しながらそんなことを考えていたかって? 今、地底に行って地霊殿の主である古明地さとりに手紙を手渡して来いと命じられたからだ。スキマでも開いて投げ込めばいいのに、と思ったのだが、遣いを出して直接伝えると言っていたそうな。私じゃなくて藍を遣えよ。はぁ。
まぁ、命じられてしまったものはしょうがない。面倒臭いけれど一応紫様の式神ですし、命令は熟さなければならない。そう思いながら、私は顔だけ起こして、キチンと封をされた手紙と命じ終えてその場から去っていく紫様を見遣った。
「え?」
その時、紫様が消えた。何の脈絡もなく、痕跡一つ残さずに。
「質の悪い冗談は止めてほしいんだけ、ッ!?」
立ち上がって周囲を見回して、目の前に広がっているものを視認して思わず言葉が詰まる。外がない。廊下もない。白とも黒ともつかない無がどこまでも広がっている。つまり、この部屋しか存在しない。……何が起きた。何が起きた? 何が起きている?
まるで理解が追い付かないところに、背後の障子が開く音がしてすぐに振り向いた。
「やぁ、混入者」
そして、無から私が現れた。そう言って障子を閉じ、そのまま私の向かい側に腰を下ろして微笑んでいる。
いや、違う。服装、身長、髪形、声色、その他諸々……。探せばいくらでも違うところは見つけられる。だというのに、それでも目の前にいる存在が私であると思い込まされている。突き付けられている。疑えば疑うほどに、疑いようがなくなっていく。その事実が単純に不気味で、気味が悪くて、気持ち悪くて、おぞましい。
「『いや、違う。服装、身長、髪形、声色、その他諸々……。探せばいくらでも違うところは見つけられる。だというのに、それでも目の前にいる存在が私であると思い込まされている。突き付けられている。疑えば疑うほどに、疑いようがなくなっていく。その事実が単純に不気味で、気味が悪くて、気持ち悪くて、おぞましい』かぁ。そういう反応は、随分と久し振りだね。…まぁ、気にすんな。小難しいこと考えないで、わたしはそういう存在だって思ってくれればそれで結構。貴女はそういうのが得意なんでしょう?」
「うげぇ」
考えてたことを丸ごと読み上げられ、思わず辟易してしまう。いや、それよりもこの部屋の外だ。やって来たのがたった一人である以上、目の前にいる存在が犯人ってことでいいはずだ。
「八雲彩。『九つの命を宿す程度の能力』を持つ、魂が九つに切り分けられた化け猫。過去に二六五〇四回の時間遡行を行い、繰り返し続けていくにつれて段々悪化していく状況に絶望し、そもそも時間遡行するべきではなかったという結論から精神崩壊していくところを八雲紫に拾われた、と。…ま、混入者だし、そのくらいの経歴はあって当然か。いやー、混入者ってのは何処も彼処もやけに強かったり好かれてたりするから不思議なもんだと思わないかい?わたしもだけどさ」
そう考えてとりあえず構えた私を、僅かに鋭くなった目で見上げられながらつらつらと並べられる言葉にゾッとする。内側をではなく、もっと根本的な何かを全て掌握されているような気分。
私はどうすればいい? 目の前にいる存在をどうにかして、この部屋を元に戻す方法。
「『九心九尾』は止めておいた方がいい。この部屋に時の概念が存在しない、いわば写真の中みたいなもの。時を遡ればわたしが切り取って創ったこの部屋は当然消える。時間軸に逆らえても次元軸を切り替えれない貴女は、世界の外側に置いてかれて無に呑まれて消滅するよ。…ま、消えたがりのようだし、それもそれで別にいいか」
そう言われ、私は頭の隅に浮かんでいた『九心九尾』の発動を思い止まる。……いや、最初からしたくはなかったのだが、万が一もしもの時はと思っていたものが使い物にならないと言われ、ドクリと心臓が嫌な音を立てる。
そんな時に、私の隣にどれかが出て来て、即座に爪を伸ばして目の前の存在を攻撃しようとした。私も慌てて隣のの動作に付いていこうとしたのだが、その腕を動かす前に伸ばした爪が綺麗に切断されて後ろに転がった。……見えなかったんですけど。事前動作もなしに、しかもご丁寧なことに伸ばす前と同じ長さにされたんですけど。
「警戒したいなら好きなだけしていいけどさぁ、わたしは別に侵略しに来たわけじゃあないんだよ」
そう言って頬杖を吐きながら微笑む存在から唐突に圧倒的なプレッシャーが放たれて思わず一歩後退る。私が今まで見てきた誰よりも恐ろしく、目の前の存在を基準にしたらそれだけでその他全てがまっ平になってしまうほどの強大さ。敵わない。もしもあのプレッシャーに殺意や敵意が混じっていたら、それだけで私は死んでしまいそうだ。
押し潰されそうなプレッシャーがふっと消え去り、私の乾いた喉から外へ空気が吐き出される。どうやら私は息まで止めていたらしい。そんなことに気付けない程に、目の前の存在は危険だ。しかし、どうにもならないことを本能的なところで理解してしまっている私がいた。……なら、しょうがないか。はぁ。
私は一つため息を吐いて諦め、目の前の存在の向かい側に腰を下ろした。少なくとも敵意はないらしいし、嘘も吐いていないようだし、大丈夫でしょう。多分。きっと。
「話を聞こう。じゃあ、何しに来たの?」
「わたしの目的は世界観光でね、単なる来訪者なんだ。近くに幻想郷を含んだ世界が五千個くらいあってさ、どれにお邪魔しようか迷ったんだけどここを選んだよ」
「幻想郷が五千……?――狂人か」
「異常だおかしいとはよく言われる」
目の前の存在は実に愉し気にケラケラと笑っている。ちょっと何を言っているのか意味が分からない。ほら、隣のも内側に戻って行っちゃったし。
付いていけそうにないので、私は早々に終わらせるためにも、話を切り出した。目の前の存在が何を考えているかは理解出来そうにないが、私が何を考えているのかが見透かされているようだから、その上で口に出せば多少は考えてくれるだろう。
「この部屋は戻してくれますか? そうじゃないと困るんだけど」
「戻すのは部屋じゃなくて貴女なんだけど…。ま、大差ないか。悪いことしたね」
そう言うと、目の前の存在は私の意図を汲んでくれたらしく、軽く謝りながら立ち上がった。そして、無に向かって歩き出していく。そのまま部屋から出て行くのかと思ったが、その一歩前で立ち止まり、首だけクルリと振り向いて言った。
「色々制約はあったけれど、一日くらいならって許可が下りたんだ。まずは、貴女と混入者同士で誰にも邪魔されず話してみたかったからね。というわけで、わたしはこの世界を勝手に見させてもらうとするよ。どうやら、霊夢とか紫とか、かなり性格違うみたいだから結構楽しみだなぁ」
そして、目の前の存在は無へ出て行った。それと同時に、消え去ったはずの紫様の背中があって、外から眩しいくらいの日差しが差し込んでくる。……どうやら、私は元に戻れたらしい。
しかし、あれは夢だったのだろうか? 私としては夢とでも思いたかったのだが、私の背後に落ちていた爪が、あれは現実だったと突き付けている。はぁ。
とりあえず、私は地底に行こう。忘れたくても忘れられない幻影だったが、私はそんなことよりも命令を終わらせることのほうが重要だから。