「セレスティ姫。
悠久のヴィーテクスの調整、完了しました」
ラエルは恭しく膝をつき、両手に持った杖を差し出す。
セレスティは一度目を閉じて息を小さく吐いた。
悠久のヴィーテクスの整備が完了する日、それがこの村にとって特別な日。
この時だけラエルは儀式用の騎士鎧を身にまとう。
普段のラフで締まりのない恰好とは違い、その姿はまさしく騎士の姿。
実はラエルも一応扱いとしては騎士で、階級は緑。
それだけで見ればテルトの領主と同じであった。
実質には権限があるわけでもなく、
悠久のヴィーテクスの整備の任を受け持つために渡されたモノだ。
「ご苦労」
セレスティはゆっくりと目を開ける。
彼女はこの日が一番好きだった。
普段は自分の興味のあることだけに夢中な幼馴染が、
この日だけは自分をきちんと見てくれている。
一番恰好の良い服装で傍にいてくれる。
「――かつての繁栄は忘れ去られ」
王女は悠久のヴィーテクスを受け取り、静かに掲げた。
彼女の身長より少しだけ大きな杖は世界樹を象った杖である。
外装は実際の世界樹の若い枝を組み合わせて形成され、
杖の先は空に向かって4つに分かれている。
そこに揺れているまるで花びらのようなものは帝竜の鱗であり
それが計16枚が使われていた。
見た目は大きく広がりのある形状ではあるが、
非常に軽いためセレスティでも片手で持って歩ける。
彼女は村に来た時に着ていた美しいドレスをひるがえして工房の外へ向かう。
後ろにはラエルと近衛騎士の三人が続く。
「天へとそびえたつ塔も、海の底にありし宮廷も今はなく」
彼女が詠み上げるのはエルフに伝わる古い詩。
それは長寿のエルフたちですら知らぬ「遠い過去」を憂うもの。
「韋駄天のごとく空を駆ける船は御伽の夢物語とされ」
工房から出た王女が向かう先は世界樹。
そこには村人たちが総出で樹を囲むように見守っていた。
ラエル同様に、村人もたったこの時にだけしか着ない儀礼服をまとい、
言葉一つなく静かに王女が歩く姿を見つめている。
「誉れ高き叡智は二度と帰らぬ露と消えて久しく」
王女はゆっくりと歩いていき、世界樹の前に立ち見上げる。
まだ天を覆うほどの大きさには程遠いが、
以前の儀式の時よりも確実に成長していた。
「されど我らが手にしたのは静謐なる平穏の日々」
彼女は振り返り、世界樹を背に両手を広げる。
それは村を包むこむような、
あるいは世界樹から溢れるマナを空へと解き放つような仕草。
「この愛おしき凪のような時が永遠に続くように」
ハツカとアーデルハイドも村人の後ろから見ていた。
彼女たちの視線の先にいるのは些細なことに嫉妬していた幼き少女はいない。
そこにいるのは人間とエルフの間に生まれた美しく凛々しい姫君。
「さあ、今ここに祈りの言葉を世界へと捧げよう」
彼女は何を想い、言葉を紡ぐのか。
それはきっと、彼女にしかわからないことだ。
「――悠久のヴィーテクス」
淡い光を放つ16枚の鱗がまるで風に舞う花びらのように空へ放たれる。
鱗が描く軌跡が粒子を放ち、複雑な文様を空中に浮かび上がらせた。
文字のようで、それでいて絵のようでもあり、
それは確かに世界へと何かを伝えているようであった。
青空の下に広がる美しい光景にみなが見惚れていたが、
気付ければ光は消えてなくなっていた。
時間にすれば一瞬だったが、
けれど長く夢の中でその景色を見ていたような不思議な感覚が残った。
杖がもたらす効果は使用した者にしかわからない。
しかし杖が世界へと何らかの干渉をしたということだけは、
何故か見た者の全員が肌で感じていた。
「兄上」
儀式はそれで終わりだ。
セレスティは王女から少女の顔に戻り、言葉をかける。
「私はイルガードの王女であることを誇りに思うと同時に、
セレスティ=イルガードという一人のハーフエルフである自分を愛したい」
彼女が何を言いたいか、意図を把握できていないラエルが怪訝そうな顔をする。
「……セレス?」
「兄上は昔から自分勝手な人だった。
それが無遠慮な冒険者が来てから、もっと酷くなったように私は感じる」
風が吹き、彼女のドレスと長髪がゆるやかに舞う。
まるで世界樹が、彼女を祝福しているように淡い光を放つ。
「だから、兄上!」
セレスティは年相応の満面の笑みを浮かべて高らかに告げた。
「私も……私のやりたいようにやると決めた!」
その言葉の意味をラエルが、いや村人たちも含めて誰もが知るのは
ほんの少し先のことになるのだった。
次の更新でひとまず1巻分というか1章は完了です。
始まりの冒険プロローグ、あと少しだけお付き合いください。