始まります。
「で、この時間に帰ってきたという訳ですか……」
霖之助は三人が夜遅く酒を飲んで自分のところへ戻って来たのをあまり快く思ってない。
酔ってテンションが高い魔理沙が「シケたツラしてんじゃねーぜ」と騒ぎ、霊夢も「そうよ、そうよ」と便乗する。
悪いと思った右京が霖之助へ謝罪した。
「申し訳ない。君には迷惑を掛けますね。これ、お土産です」
「ああ、どうも」
こんなこともあろうかと買っておいたお土産が功を奏した。
霖之助は肴のつまみが入った箱を受け取ると仕方ないか、と半分諦めながら彼を店内へと招き入れる。
少女二人は手を振って帰って行った。
香霖堂で残った右京と霖之助が雑談を始める。
「人間の里に行ってきましたが、非常によいところでしたよ」
「そうですか」
「日本のよさを再認識しました。現代社会が失った物があそこにはある。そう思わずにはいられません」
「表から姿を消した物が幻想となって結界内に入って来ますから……。ある意味、それは正しいのかも知れません」
霖之助は静かにそう語った。
その含みのある言葉に外来人が反応する。
「僕たちの世界で失われた物が幻想となってこの世界に入ってくる。まさに――“幻想入り”ということですか……」
里の光景を思い出しながら、ほんの少しだけ寂しさを感じる。
「僕は、人情まで幻想入りしてしまったとは思いたくないですね」
「それは里特有の物かと」
霖之助は右京をフォローするかのように洒落た一言を添える。
「そうだとよいのですが」と、呟いて彼は窓から外を眺めた。
綺麗な月の光が幻想郷を照らす。美しく、どこか儚く、時に賑やかで非常識がまかり通る世界。
右京の瞳にはそれがとても羨ましく映る。
そんな男の後ろ姿を眺めていた霖之助が微かに笑う。
「今日はもう遅いですから寝ましょう。僕も明日はやることがあるので」
霖之助は用事があるので早く寝たいようだ。
どのような用事があるのか気になった右京は訊ねた。
「おや、何かの用事ですか?」
「実は掃除をしていたら日用品が何点か足りなくなっているのを発見しましてね。そちらの補充です」
「ほう、行先はどちらでしょう?」
「行先は……その、“人間の里”です……」
霖之助はばつが悪そうに言った。
もっと早く発見できていれば自分たちと一緒に里に行けただろうと。右京はその部分を指摘せず、フォローするかのように提案する。
「よろしければご同行させて貰えないでしょうか? もちろん、僕が持てる範囲でなら買った品を“お持ち”しますよ?」
荷物を持つという箇所を強調した右京に霖之助が「そう言ってくれると思った」と内心、ほくそ笑んだ。
当の右京も里の店をもっと覘いて見たかったので、利害は一致している。
二人は互いに目で会話しながら、店の奥へと向かい、寝る支度を整え、眠りに就く。
☆
朝の七時。里の人間が本格的に活動を始める頃、右京と霖之助は里へと続く道を歩いていた。
通るルートは昨日と全く同じである。
「自然が豊かですね、霖之助君」
「それだけが取り柄の場所ですから」
空は雲一つなく晴れ渡っている。降り注ぐ太陽の光もまるで笑っているようだ。
絶好の外出日和に右京は心を躍らせていた。反対に霖之助にとっては珍しくはないので軽く返した。
右京は歩きながら周囲に目を配る。
舗装された道と両サイドの生い茂った木々が里まで続くだけの道。
これだけなら表の日本にも存在するので幻想郷ならではの風景とは言えない。
しかし、彼は自分が幻想郷でこの道を歩いていることに意味があると考える。
「とても素敵な場所ですよ。幽霊や妖怪と人間が共存しているのですからねえ。表の日本でこんなことを言っても、オカルト扱いなのが非常に悔やまれます」
「でしょうね。ですが、僕は表の世界に憧れています。あっちの世界へ行ったら是非とも高性能の“式神”が欲しいところです」
霖之助の言う式神とは、古来日本に伝わる紙の式神ではなく、数々のメカメカしい部品で作られた現代の式神――つまり“コンピューター”である。
右京は霖之助との会話で彼がそれを式神と呼んでいると知り、思わず「そういう見方もできますねえ~」と感心していた。
「式神も色々な種類がありますよ。君が持っている大型の式神よりも小型で高性能の式神が」
「折り畳み式の式神ですか?」
「ポケットサイズの式神もありますよ。ここに」
右京はポケットからA社製のスマートフォンを見せる。
独特のカバーに覆われた黒い物体は幻想郷人の視線を釘づけにさせる。
「スマートフォンですか……」
「非常に高性能な式神です」
霖之助は喉から手が出るほどスマホを欲しがる。
「むむむ、是非とも欲しい……」
「僕が表の世界と行き来できるなら、君にスマホやノートPCの一つや二つ、買ってきてあげたいのですがねえ」
「簡単には通れませんからね。この結界は……」
「残念ですねえ」
幻想郷の結界はとても強固で現代の技術を以てしてもこじ開けられるものではない。
その強固さ故、幻想郷内からであっても、一部の存在を除いて行き来さえ、ままならない。
妖怪とのハーフとはいえ、非力な霖之助ではどうしようもない。だからこそ、右京のような存在との交流は貴重なのだ。
しかしながら、霖之助を含む幻想郷の妖怪は癖が強く、商売人としてのプライドが強い彼は右京に挑んだ末、コテンパンにされる。
それ以降、霖之助は杉下右京を侮れない相手として認識――対等な関係を築く方向にシフトしたのだ。
右京は思う。これがもし、元相棒の亀山薫だったら、いいように利用されていたのだろうと。
元相棒の顔を思い出すと、ついつい右京の口元が綻ぶ。
「(亀山君は元気にしていますかねえ~)」
異国の地に居る元相棒と、日本であり日本ではない場所に居る自分を重ねたのか、和製ホームズはあの時を懐かしんだ。
何故、こんなことを思うのか、今の彼にはわからなかったが、次第に不思議な気持ちに駆られた。まるで“何かが起きる前触れ”のように。
十分後、里が見えてくる。
「もう少しで里ですねえ」
「そうですね」
里まで後、百から五十メートルの距離に二人はいる。
そのタイミングで、右京は左前方から複数の鴉が茂みの中で騒いでいるのに気付く。
霖之助も同様で、鳴き声に反応した。
「やけにうるさいですね。しかも、こんなに居るとは……」
数えただけで十羽以上の鴉が茂み上空を旋回している。
「この通りは鴉が多いのですか?」
「ここまで多いのはちょっと見ないですね」
霖之助の話を聞いた右京が通路の端に身体を寄せて、臭いを嗅ぐ。澄んでいるはずの空気の中に刺激臭のような異臭が漂っていた。
右京が口を開く。
「死臭がします――霖之助君、ここで待っていて下さい」
「はい?」
状況が読み込めない霖之助を置いて右京は茂みの中へとグイグイ進んでいく。
途中、霖之助が「危ないですよ!」と叫んでいるのが聞こえたが、その臭いの正体
を確かめずにはいられなかった。刑事の本能だ。
茂みの中を進むこと三十秒。右京は開けたスペースにて鴉が何かに群がっているのを突き止める。
彼はジッと目を凝らし、そして――
「これは!?」
叫んで周囲を囲む鴉たちを脱いだ上着で追い払う。
心配になって後方から追い掛けてきた霖之助は右京の行動が理解できず、立ち尽くしている。
鴉がその場から逃げていくにつれ、横たわる物体が姿を現す。
それは、右京が日頃から見慣れているものだった。
「霖之助君! “人の遺体”です!」
「なんですって!?」
後方で待つ霖之助には右京が邪魔でその物体が見えてなかったが、右京にははっきりと見えていた。
遺体は若い男性で、鴉などの動物によって食い荒らされており、ぱっと見では判断が付かないほど、その表面がグチャグチャになっていた。
内臓こそ出ていないが、顔周辺は啄まれた影響か、損傷が激しく、皮を剥がされ肉を千切られて、髪型くらいしかまともに確認できない。
それはチラっとしか見ていない霖之助が悲鳴を上げながら尻もちを突くほどに酷かった。
刑事が遺体に近づき、その特徴を探す。
「遺体は男性ですね。歳は若い……これは――」
遺体を観察し、思いつく限りの特徴を挙げる。
「(比較的高い身長、現代風の髪型であった痕跡、肌の色、骨格、そして動き易そうなスニーカー……)」
そこから、とある人物が浮かび上がる。
その人物は昨日、酒場で出会い、表の社会で居場所を失いつつも人間の里で新たなスタートを切り、好意を寄せる女性と共に働く軽い感じのノリだが、一途な人物――
「(なんてことですか――)」
和製ホームズは右拳をギュッと握りしめ、絞り出すような声で零した。
「敦君……」
目が充血し、顔面をプルプルと震わせながら右京は遺体を凝視していた。
そこには言葉では言い表せない悔しさがにじみ出ていた。
後方から霖之助がそっと近寄る。
「お知り合いですか!?」
「……僕同様、表からやって来た日本人の青年です。昨日、酒場で働いていると聞いてお話を伺いました。とても、よい青年で酒場の店主の舞花さんを非常に慕っていました。きっと……生きていたら結婚だって夢ではなかったでしょう」
「そうでしたか……」
惨状を目の前にしてハーフの青年は半ば放心状態だった。
かたや右京は手を合わせ、遺体の隅々までチェックする。
霖之助は敦が何らかの理由で夜間、外に出てしまい、野犬に襲われて命を落としたのだろうと考えて同情する。
幻想郷の掟で人間の里の周囲には人を食う妖怪は近付かない。
人里のすぐ近くで亡くなったので、妖怪ではなく、凶暴な野犬の犯行を疑うのが一般的で、その後、明るくなって遺体を発見した鴉に啄まれた。遺体の損傷度からすれば通常ならば、そこで終わる――が、この場にいる男は他とは違う。
右京は首や腕に野犬ではマネできない傷や身体の何か所かに不可解な痕跡があるのを突き止め、叫んだ。
「霖之助君、これは――――殺人事件です!」
人の人生はゲームではなく、自らの意思で選び取って行くものです。
その権利は誰にも奪えない。
例えそれが〝あなた〟であっても――