里は混乱状態が続いていた。
恐怖に怯える里人たちがあちらこちらで茫然と立ち尽くしている。
大量のけが人が続出したが、治療にあたるのが幻想郷一番の名医であったために辛うじてけが人を捌けている。
その間も阿求と慧音は混乱する里をまとめるべく奔走する。
そこへ右京たちが戻り、犯人である宗次朗の死亡を報せた。
ショックは大きかったが、とりあえずこれ以上の凶行を防げたという点を阿求は評価した。
特命係は阿求の許可を経て宗次朗の家を捜索するも犯人に繋がる証拠は出てこなかった。
おそらく本人が処分したのだろう。手がかりを求め、手の空いているメンバーと共に里中、あちこち探し回ったが、誰も情報を持っておらず、黒幕に続く道を失う。
右京と尊は特命部屋に戻って話し合う。
「狩野君が犯人なのは間違いないってのに黒幕へ繋がる証拠が一切ない。ここまできて、まだ手詰まりかよッ!」
尊が悔しさを滲ませながら語った。
情報が詰まっているスマホは破損していて起動できず、メモなどの情報も残っていない。
どうやって犯行を示唆したかもわからない。
一つの真相に辿りつけば先へ繋がる手がかりを失う。今回の事件はこれの繰り返しだった。
しかし右京は宗次朗からあるヒントを貰っていた。
「黒幕は
「へ?」
素っ頓狂な声を上げる尊に右京が説明する。
「宗次朗君は死の間際『あの人』『外に出た』と呟きました。捜索中、ずっと考えていましたが、あの人とは妖怪ではなく人間そのものを指す言葉。外に出たとは、幻想郷にはいないと考えられます。……黒幕はとっくに逃走していたのです」
「え、そんな。じゃあ、狩野君を泳がせる必要なんてなかったってことですか!?」
「そうなりますね。ここ最近、幻想郷から出て行った人間がいないか稗田さんに訊ねましょう」
特命部屋に到着するもすぐに稗田邸へ引き返したふたりは忙しそうにする阿求を捕まえて「ここ最近、幻想郷の外に出た人間はいますか?」と訊ねた。
彼女は少し間を置いてから「ええ、最近迷い込んだ外来人の方が博麗神社から出て行きましたが……」と語った。
右京は目を見開きながら「その方の容姿やお名前は?」と質問する。
「えーと、私は直接、会ってはいないのですが、厚手のコートを着た紳士風の御仁だったと聞きました。小鈴と巨人と戦う漫画の話で盛り上がっていたとかなんとか。名前はジェームズ・アッパーさんだったかと思います」
「ジェームズ・アッパー。……海外の方でしょうか?」
「日本生まれだそうです。現在はイギリスで暮らしていて日本を訪問中に幻想郷へ迷い込んだそうです」
「彼はいつごろ、この里へ?」
「ちょうど杉下さんが冥界で修行しているときです。入れ違いになるようにアッパーさんが里にやってきて二日泊まったのち、博麗神社から外へお戻りになられました。あれ……? 霊夢から聞きませんでしたか? 私、あの娘に白玉楼にいる杉下さんに伝えるように頼んだのですけど……」
「僕は何も聞いてません。君はどうです?」
「いえ、ぼくも同じですけど……」
聞き覚えのない話に戸惑う特命係に阿求は「まさかあの娘ッ――」霊夢が
「その人物が黒幕である可能性があります」
阿求は大層、驚いた。
「は!? だって二日しか滞在しておられないのですよ!? あれほどの大規模な反乱。直接、手引きせずに起こせるわけがないじゃないですか!」
「里にはデモ起こせるだけの実力を兼ね備えた奥村や田端がいました。それに呑み込みのよい宗次朗君ならすぐに内容を把握できたかもしれません。外来人ならスマホを持ち込めます。そこに大量のデータを保存し、使い方を教えたメモなどを挟んで手渡せば誰でも反乱を起こせます。証拠となる情報が揃っているのですから。黒幕が幻想郷で直接、指示を出さなくても犯行は実行できます」
「まさか、そんな――」
今まで黒幕がどこかに隠れて指示を出していると思っていたところがあった。だから犯人は幻想郷内部にいる。皆、心のどこかでその可能性を強く疑っていた。
それが黒幕は最初の狙撃より前に外へ脱出していたと聞かされてしまえば動揺するのも当然だった。
完全に盲点だったのである。
「その男は里で何かしていませんでしたか?」
「普通に観光していたそうです。特に怪しいことはなかったかと」
「先ほどの巨人と戦う漫画とおっしゃいましたが、そのタイトルは?」
「私は存じません。小鈴に訊けばわかるかと……」
「わかりました。鈴奈庵に向かいます。これで失礼します」
挨拶を手短に済ませ、小鈴のいる鈴奈庵に向かう。
店が休みのために自宅の玄関をノックして小鈴を呼び出し、事情を聞いた。
右京がジェームズの話を出すと彼女は「あぁ、あの人ですね」と彼のことを覚えている様子だった。
「彼とはどのようなお話を?」
「表の漫画の話ですね」
「タイトルは?」
「えーと、進撃の巨人です」
「「進撃の巨人……」」
進撃の巨人は表の日本で一大ブームを巻き起こした超大作ダークファンタジーである。
少年エレン・イェーガーは仲間たちと巨人や蠢く勢力と自由を得るために戦い続ける。
ここだけ聞くと普通の作品なのだが、想像を超える困難と謎が待ち受けており、老若男女の心を掴んでいる世界的人気作品だ。
「ジェームズさんはその作品についてなんと言ってましたか?」
「すごく面白い作品だと語っていました。巨人との戦いに、建物に鉄を打ち込んで縦横無尽に移動して弱点を狙うとか、主人公が巨人の力で戦うとか。終盤になると主人公は自らの巨人の力を覚醒させ、覆われた壁ごと破壊してその勢いのまま全ての敵勢力を駆逐。世界に平穏をもたらすんですよね?」
「僕は進撃の巨人を見たことがないので。なるほど、そういう内容だったのですか……」
ふむふむ、と考え込む右京の隣で尊が「ん? そんな内容だったか? 俺の知っている内容と違うような……」と首を傾げた。
相棒の態度が気になった右京は「君の知っている内容は?」と訊ねた。
尊は2018年までの内容を手短に教えた。現在2019年前半。春が待ち遠しい季節だ。
原作の内容とジェームズが話した内容は確かに食い違っていた。
「内容が違いますね。その方が未来人ならばともかく……」
「そこまでぶっ飛んだ人間ではないと信じたいですけどね。だけど、あの世界に平穏が訪れるのかな? 少なくとも俺にはそうは思えないけど……」
内容は伏せるが期待を裏切らないストーリーとなっており、終盤はダーク感がより濃くなっている。しかしながら現時点ではそこまでの展開には至っていない。
「となれば嘘を教えたことになりますね。自分にとって都合のよいように」
右京はジェームズが適当に話を作ってから言って回った可能性を考えた。
単なる勘違いという線もあるが、今回の黒幕は狡猾である。
彼は閉鎖社会でダークな作品に興味を示す者を見つけたかったのかもしれない。
「里で反乱を起こしたがる人間は大方、強い不満を抱いている。進撃の巨人はそんな者たちにとって非常に共感できる作品です。それをより誇張して聞かせる。工作員を探すために利用したと考えるのが妥当でしょうね」
漫画やアニメなどがプロパガンダに用いられるのはよくある話だ。
幻想郷でも同様のことが行われた、と右京は分析した。
「つまり、ジェームズ・アッパーは反乱を起こさせるべく幻想入りしたってことですよね?」
「僕はそう思っています」
「へ? どういうことですか!?」
目を点にする小鈴に尊が静かに耳打ちする。
「君が話をしたジェームズ・アッパーさんは今回の事件の黒幕である可能性が高い」
「ええ!?」
「静かに。まだ調査中だからッ。誰にも言わないでね」
「あ……はい……」
落ち込む小鈴に口止めしてから鈴奈庵を後にした。
彼らが再び特命部屋に戻ると、霊夢と魔理沙が入口で待っていた。
ふたりの雰囲気はどこかソワソワしており、どこか落ち着かない様子だった。
右京の顔を見るなり、挨拶もなしに霊夢が詰め寄る。
「杉下さん、この前やってきた外来人が黒幕って本当なんですか!?」
「……僕はその可能性が高いと思っています」
その一言で彼女は
少なくとも阿求を説得して宗次朗拘束に踏み切らせる材料にはなった。
それが成功していれば凶行が起きることもなかったのだ。今更だが。
自分が連絡を怠らなければ、未然に防げたかもしれない。
あまりのショックで霊夢は気を失いそうになる。病み上がりの魔理沙が彼女の背後に回って支えたことで何とか立っていられるが、実際のところ魔理沙もジェームズの話を聞いていたので責任を感じていた。
右京は首を振った。
「全ては僕の責任です。おふたりは気にしないでください」
宗次朗をその気にさせてしまったのは自分だ。右京もまた責任を感じており、彼女たちを責める気はなかった。連絡を含めたチームワークの欠如。これが原因だった。
荒れる里中で立ち話していても仕方ない。
四人はボロボロの里で何かできることはないか探すべく共に大通りへ出た。
時刻は十九時を過ぎ、すっかり暗くなった。
普段なら団らんの時間だが、混乱する人里にはそんな余裕はない。
あるところでは泣く者、あるところでは項垂れる者、あるところではガラス片だらけの自宅を力なく眺める者と絶望感が漂う。
四人はため息を吐きながらその様子を観察していた。
ところが、その前方には遠慮なくパシャパシャと写真を取っている少女の姿があった。
「なんか映画のワンシーンみたくなっているけど、どうしたのかなー?」
まるで他人事のようにスマホで写真を撮りまくる少女。
魔理沙は心当たりがあったのか「アイツ、また勝手に!!」と少女の目の前までダッシュで駆け寄った。
「おい、お前!! こんなときまで何やってんだよ!!」
「あ、魔理沙じゃん! 元気そうだね!」
「あぁん?」
見れば変わった紫色の制服と魔術師のようなマントに黒色のシルクハットをかぶった眼鏡の少女だった。
雰囲気からして現代的少女な印象を受ける。
気になった右京が魔理沙の後を追ってふたりに近づく。
その間も少女らは何やら言い争いをしており「スマホで撮影なんかしてんじゃねぇ! 見世物じゃないんだよ!!」「だって久しぶりに里の中に遊びに来たんだから――」「今がどんな状況かわかんねぇのか!!」といつ喧嘩になってもおかしくない様子だ。
ふたりの間に割って入った右京が少女に名乗った。
「どうも初めまして。僕は杉下右京――表の日本で警察官をやっている者です」
「ええ!? 警察官!! 人里にそんな人いたの!? まだ補導される時間じゃないよね?」
口ぶりからして表の日本人。それも学生に違いない。
「失礼ですがお名前は?」
「それって任意、ですよね?」
「……」
右京が無言の圧力をかけ、魔理沙が八卦炉を取り出す。
慌てた少女はすぐさま謝罪した。
「す、すみません! ちょっと言ってみたかっただけです。
宇佐見菫子。最近、幻想郷に遊びにくるようになったオカルト女子高生である。
元々、超能力を身につけていた彼女は幻想郷の存在を知っていてちょっかいを出し、博麗大結界を破壊寸前まで追いやった。
最後は表に出た霊夢たちによってコテンパンにされ、何とか許してもらい、友好的な関係を築けたが、その非常識さは相変わらずで、今のようなやり取りを日常的に行う。
学校での成績は優秀だが、本質は問題児そのものである。
「普段は普通の高校生ですけど、ちょっとだけ超能力が使えるんです。だからここの妖怪たちと仲よくなってたまに遊びにくるんです。寝ている時だけしかこれませんけど」
「どういう意味です?」
「夢幻病の一種らしいです。睡眠中、意識だけが幻想郷へ入るんです。今だってそうです。詳しくは知りませんけど本当です、信じてください」
隣の霊夢や魔理沙に訊ねると本当であることが判明する。
話だけ聞けば悪人ではないと理解できた。
右京は彼女が握るスマホを指さした。
「君はそのスマホで幻想郷の写真を取って回っているんですか?」
「はい。そうですけど……」
「ちょっと、写真のフォルダを見せてください」
「へぁ? うん、別にいいけですけどっ」
初対面の人間にスマホなんか見せたくない。内心では嫌がるもこの状況ではどうしようもない。
彼女はスマホのロックを解除してフォルダを公開した。
「ほうほう。色々ありますねえ。人里の人間から里外の景色まで」
「いけるところは行きましたね。冥界とは仙界はまだですけど」
「夜の画像が多いですね」
「そりゃあ、寝ている時しか幻想郷に入れないので。普段は学校だから」
「そうですか――ん? これは……」
会話しながらスマホの画像を切り替えていると妖怪の姿をしたマミが映った画像や文が宴会しているときの映像が出てきた。それと霊夢や魔理沙が妖怪たち映った画像も。
右京はふたりにこれらの画像を見せて「この写真、見覚えありますか?」と質問した。
すると本人たちは大声で「アイツらがスマホで見せてきた写真だ!!」と叫ぶ。
「ん? どうこと?」
事態を把握できない菫子は首を傾げている。
そこに恐ろしい形相をした霊夢が胸蔵を思いっきり掴んだ。
「アンタ、この画像をどうした!!」
「どうしたって、何さーーー。この前、取った写真だよ!? 一緒にいたじゃん!」
「それはわかる!! アンターーまさか、この写真を使って反乱を煽ったの!? 説明しろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「ちょ、ちょ、ちょ、待って、待って、待ってぇぇぇぇぇぇーーーーー。死ぬ、死ぬ、死ぬぅぅぅぅぅぅぅぅ―-うぎゃあああああああーーーーーーーーーーーーーーーくぁwせdrftgyふじこlp!!!!」
「霊夢さん落ちついて!」
「おのれがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 私がぁ、どれほど優しくしてやったと思ってんのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!! この恩知らず!!!!」
「待て待て!! そのままじゃ死んじまうっての!!」
尊も加わって魔理沙とふたりがかりで霊夢を引き離した。興奮する霊夢に怯える菫子に右京が訊ねた。
「君はこの画像を使って里で反乱を起こしたのですか?」
「反乱!? そんなことするわけないじゃん!! 私はただSNS用の画像が欲しかっただけだよ!」
「アンタまだ、ふざけたことを――」
「SNS――今、そう言いましたね?」
怒る霊夢を退け、右京が質問した。
「うん。いつも幻想郷の画像をSNSにアップしているんです。最初は皆『嘘つきだ』とか言ってきたけど、一か月くらい前に理解あるファンがついたんだよね。素敵な画像だから一杯、欲しいってコメントしてくれてさ。だから持っている画像と動画、全部アップしたんだ。ダメだったのかな……?」
「なるほど……」
右京は菫子が利用されたのだと考えた。
そして、彼女のデータを黒幕が回収して持ち込んだスマホに入れたと勘繰った。
「熱心はファンの方とはどのようなやり取りを?」
「やり取り? 普通に画像についてコメントがきたから幻想郷の話を教えただけだよ。最初はどうせ冷やかしかなって思ったんだけど、信じてくれて! 里のことや人間、妖怪の知ってること全部、喋ったんだよねー。他にも幻想郷の結界やその入り口についての考察や議論だったりさ! いやぁ、楽しかったなぁ~。ずっとやり取りしてたけど〝H_T〟さんって教養が豊だから、面白くってね!」
「杉下さん、それって――」
彼女の証言を聞いて尊も察したようだ。
右京がこの場の全員に伝えた。
「宇佐美さんは利用されただけでしょう。本当の黒幕はそのファンだと思われます」
「なんですってーー!?(なんだとーー!?)」
「黒幕ぅ……? 確かにあの人は黒幕っぽい名前だけど……」
未だに流れが掴めない菫子はおどけて見せた。絶望的に空気が読めないようだ。
少女たちの我慢が限界に近いが、尊が何とか押さえている。
その隙に右京が訊いた。
「その熱心はファンのお名前は?」
「えーと『モリアーティの十字架@一番弟子のH_T』」
「「はぁ!?」」
またふざけるのか。両名とも噴火寸前だが、右京が「ハンドルネームですね?」と続ける。
菫子は頷いた。実名は知らない。ネットではよくある話だ。地域も非登録でわからないらしい。ただ海外にいると聞いたとのことだ。黒幕の情報と一致している。
もっと情報を聞き出したかったが里人が奇異の目を向けてきたので一旦、菫子を特命部屋へ案内した。
室内に座った菫子に一連の事件について教えると、さすがの彼女も事の重大さに気がつき、青ざめたように「その……ごめんさない」と謝罪した。
利用されただけとあって怒るにも怒れない霊夢と魔理沙は大きなため息を吐くと共に額を押えた。
尊がお茶を用意して場を和ませるために軽い雑談する傍ら、右京は阿求が言った名前と菫子が語った名前を思い出していた。
「(ジェームズ・アッパーにモリアーティの十字架@一番弟子のH_T)」
ジェームズとモリアーティ。これを繋げるとジェームズ・モリアーティになる。ホームズの宿敵の名前だ。まさに黒幕を暗示するに相応しい名前である。しかし、右京は他の文字にも意味があると踏んでいた。
「(アッパー。十字架@一番弟子のH_T)」
普通に考えれば意味不明の言葉だ。だが、ここにいるのは超がつくほどのホームズマニアだ。その意味にも当てがあった。
「(アッパー。色々な意味がありますが、シャーロック・ホームズシリーズから取ったと考えるとアッパーノーウッドのアッパーかもしれませんねえ)」
シャーロック・ホームズシリーズの『四つの署名』でホームズとワトソンは依頼人のメアリ・モースタンと共に馬車でロンドン南部へ出向いている。行先はアッパー・ノーウッドである。当時のロンドン南部ではアッパーを南部と示す。つまりは南だ。
「(十字架@一番弟子H_T。イニシャルでしょうか? 妙ですねえ。作中でモリアーティ教授には弟子はいないはずです。出てきたのは部下の三人のみ。ポーロックにセバスチャン・モラン大佐、フォン・ヘルダー。いずれもイニシャルはHTではない。HTなどという人物は存在しない……)」
モリアーティには弟子もいないし、HTなる人物もいない。
十字架も意味不明だ。
「(十字架@一番弟子。弟子は存在しない。存在しない弟子。存在しない。十字架。存在しない弟子。十字架――存在しない十字架……。存在しない十字架?)」
言葉遊びのように文字を組み替えて脳内に浮かべてみた。
そうすると存在しない十字架という言葉が出てきた。
そんなワード。ホームズシリーズにあっただろうか? 悩む右京だが、何を思ったのか、指で十字架を作ってみた。
「(サインに見えなくない……)」
四つの署名繋がりか?
それもしっくりこない。ならば、数字か? それとも文字か?
「(存在しない数字。存在しない文字。存在しない十――ん? 存在しない十……まさか――)」
日本には幽霊文字という実在しない呼び方が存在する。十にも幽霊文字があり、その呼び方は
「(南、つなし――ならば、H_Tは……記号ハッシュタグの略。だとするならば漢字に直すと――井になる。なんということですか……)」
ハッシュタグを記号に直すと#になり、漢字として見ると井戸の井に見えなくもない。
それを繋げて並べ替えると。
「(
浮かび上がった名前はかつてロンドンからの客人であり、右京を以てしても逮捕できなかった、元ロンドンの腕利き刑事であり、自らの
南井もまた類い稀なる才能を持っており、その能力は右京にも引けを取らない。
「(彼ならば僕と同じ結論にたどり着けるはず――)」
彼はいつからか犯罪者を憎むようになり、犯罪者を使って犯罪者を私的に制裁する私刑執行人と成り果ててしまった。
南井は犯罪者の心の隙間に入り込むことに長けている。
会ったばかりの人間を唆すことも容易く、短期間で自らの手駒にできる心理学的テクニックを持っている。彼はその力を利用していくつもの犯行を犯罪者に行わせ、最後は毒で自殺させるという手法を好んで使っている。まさに現代のモリアーティだった。
そんな彼が幻想郷の情報を掴めば、その破壊を企んでも不思議ではない。
犯罪に対して強い憎しみが犯罪者を使って罪を償わせた上で死なせるという歪な正義へと繋がっているのだから。
狩野宗次朗の最期はまさに南井十の思い描くものだった。
もはや疑う余地はなかった。
「(また、あなたを逮捕する理由が増えましたね、南井十。今度あったらーー必ず、捕まえて見せる)」
右京はロンドンの元相棒に激しい憤りを覚え、その逮捕を心に誓った。
☆
そのころ、ロンドン。
数日前に帰宅した南井十が自宅の書斎で紅茶を片手に寛いでた。
「今回の日本旅行も楽しかったな。右京に会えなかったのは残念だったが」
堀の深い顔だが、滲むような品のよさがある。一見、紳士的な人物に見えるが、その裏側にはとてつもない顔を持っている。それが南井十という男だ。
「さて、彼は上手くやってくれたかな。それとも行動を起こさなかったのか? ま、どちらでもいいのだがね」
彼にとって今回の幻想郷訪問は様子見程度でしかなかったのだろう。
反乱の成否などどうでもいいと言った感じだ。
「あの少年の目はよい目だった。飢えている目だ。かつての私と同じで。だからついつい肩入れしてしまった。本当はもう少し滞在する予定だったが。あまり感情に流されないようにしないとな」
同族を見分けることに長けている彼は宗次朗の内側の狂気にも気がついていた。
それを憐みという餌で唆しただけ。
工作員などこの男にかかればいつでも量産できる。
南井十は右手で頭を押え、唸り声をあげてから空に向かって語りかける。
「右京。今度こそーー私たちの勝負にケリをつけよう!」
モリアーティは無邪気に笑い、きたるべき杉下右京との決戦を待ち望むのであった。