相棒~杉下右京の幻想怪奇録~   作:初代シロネコアイルー

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第142話 幻想のボーダーライン2

 特命部屋で菫子と会話した右京は彼女を阿求のところを連れて行き、自らの推理を聞かせた。

 南井十という名前は憶測に過ぎず、口に出さなかったが『ジェームズ・アッパーが黒幕だ』と伝えた。

 外へ逃げた犯人をどうやって追うのか。誰もが頭を悩ませた。

 そこで右京が「僕たちが表に戻って犯人を見つけ出します」と発言し、有志たちを驚かせる。

 しかし現状、それ以外の方法はない。阿求は少し考えてから右京に犯人捜索の依頼を出した。

 右京はその依頼を了承し、事件の捜査は一旦ストップとなった。

 軽い食事を取ったのち、少女たち三人は稗田邸、右京たち特命係は特命部屋で休息を取る。

 道中、右京は尊に「犯人の正体は僕たちで突きとめる」と断固たる決意を表明する。

 尊も「ぼくも可能な限り協力します。ここまでやられて黙ってられませんから」と警備局のツテを使ってでも犯人を捜し出すつもりだった。

 

「頼りにしています」

 

 右京は微笑んだ。これほど部下が頼もしく見えた日はなかったからだ。

 特命部屋の戸を開け、靴を脱いで蝋燭をつける。

 いつも通りの座卓がポツンとあるだけの空間のはずだった。

 そこにあるはずのない()()を確認するまでは。

 

「あなたは――」

 

 光に照らされるのは長いウェーブのかかった金髪と同色の双眸を持つ少女だった。

 白と紫の和服と中華服の中間のような服装をしていて、お洒落なナイトキャップを被っている。

 右京は目を見張った。

 

「お帰りになられていたのですね……」

 

 薄暗い闇の中から出てきた少女は、扇子で口元を隠しながら不気味に話しかけてきた。

 

「初めまして八雲紫(やくもゆかり)と申します」

 

「え!? まさか――」

 

 相方の尊はたじろいだ。それもそうだ。結界の製作者である幻想賢者のお出ましなのだから。

 反対に右京は物怖じせずに名乗り返す。

 

「こちらこそお初にお目にかかります。杉下右京です。こっちは神戸尊。僕の相棒です」

 

「幽々子から聞いております」

 

「あ、あの……どうもです」

 

 毒蛇のような碧眼に押され気味になりながらも踏ん張る尊を紫がクスクスと笑った。

 

「お話よろしくて?」

 

「ちょうど僕もお話ししたいと思っておりました」

 

 三人は座卓に座って本格的な会話をスタートさせる。

 

「どのようなご用件でしょうか?」

 

「今回の結社騒動についてお聞かせ願えませんこと?」

 

「わかりました」

 

 右京は一時間ほど今回の事件の説明を行った。

 撃たれたときから宗次朗との決闘まで詳しく伝えると、彼女はうんうん、と相槌を打ちながら聞き入る素振りを見せていた。

 話が終わると同時に彼女はパチパチと拍手を送った。

 

「こちらへやってきて一か月も経たずにここまで捜査ができるなんてすばらしい手腕ですわね」

 

「いえ、結局、犯人たちに自殺を許してしまいました……」

 

「確かに。それは頂けませんわねぇ。里も大分、被害を被ってしまった。修復には時間が必要ですね。どれくらいの費用がかかるのやら」

 

 里の当事者たちが言いづらいことをペラペラと語ってしまう八雲紫。今まで相手とは根本的に違う。ふたりはそのように感じた。

 

「あら? お気を悪くしないでくださいね。別に責めているわけではないのですから」

 

 彼女は軽く笑ってみせた。右京にはそれがとても胡散臭く見えた。

 

「これからどうなさるおつもり?」

 

「表へ戻り、犯人を見つけて問いただします」

 

「捕まえるのではなくて?」

 

「捕まえようにも当てはまる罪状がありません」

 

「罪状、ですか……」

 

「ええ、幻想郷という空間は表の世界に認知されていませんから。逮捕状が取れません。僕たちは警察官です。私的逮捕はできません」

 

「逮捕できない、と……。それは困りましたわね~。これほどのことを仕でかした犯人が表へ逃げただけで無罪放免とは。ーーいっそこっちへ連れ戻すというのは如何です?」

 

 紫の打診に右京が反応する。

 

「連れ戻してどうするおつもりですか?」

 

「相応しい罰を与えるのです」

 

「その罰をお決めになるのは?」

 

「私ではダメですか?」

 

「内容は?」

 

「秘密ですわ♪」

 

 また少女のように笑った。

 死刑にでも処すつもりだ。殺気を感じ取った尊の身の毛がよだつ。

 

「あなたの中には犯人の処遇を里の方々に決めてもらうお考えはないのですか?」

 

「里の方々? 里の人間ってこと?」

 

「そうです。被害を受けたのは里の方々なのですから、その処遇も彼らが決めるべきかと」

 

「ふむふむ。そうですか――」

 

 右京と紫。ふたりの中ではある種の駆け引きが始まっていた。

 何を言わんとしているのか、尊は考えが及ばなかったが、見えない威圧のようなものがあった。

 

「ここの方々はそういうのは苦手よ? 稗田家の指示を聞いて生きてきたのだから。自分で何か考えて行動しない。結局、最後は稗田家任せ」

 

「長年、そうやってきたのでしょうからねえ。無理もない」

 

「集落らしさがあって私は好きよ。あなたはご不満?」

 

「ここまで人口が密集していますので、集落で区切るのはどうかと」

 

「千人程度なのだからそれでいいと思いますけどね」

 

「それほどの人数が伸び伸びと暮らすには少々、狭いと思います。里の外の環境もあって遊び盛りの若者には閉塞感が芽生えてしまう。抑圧されて生まれた不満が今回の事件に影響を及ぼしているのは間違いありません」

 

「だったら、里を広くしたほうがいいかしら? 少しくらいなら拡張してもいいわね」

 

「それがよいかと」

 

「遊具を増やしたほうがよいのかしら? アスレチックとか滑り台とかシーソーとか」

 

 子供の遊び場かよ。そういう問題じゃないだろ。尊は内心で腹を立てた。

 

「それよりも他に作ったほうがよいものがあります。場合によってはスペースを拡張するよりも大事なものが」

 

「それは?」

 

「法律です」

 

「へぇー、法律ですか」

 

 若干、目を細めた紫が右京の瞳を覗いた。

 

「どのような法律です?」

 

「生活に必要な規則から罪人の扱い。一般人も権力者も平等に扱い、公平な情報開示を行わせる規則など、どこにでもある法律でしょうか。人里には法律がないそうですから、この機会に是非と思いましてね」

 

 公平な情報開示。その言葉に紫がクスクスと笑みを浮かべた。

 

「以前、稗田家当主からそのような話があったと聞いております。ですけど法整備なんて形だけで大した意味を持たないかと」

 

「何故でしょう? きちんとした整備は必要だと思いますがねえ。ルールの明確化は人々の意識に変化をもたらします」

 

「変化は必ずしもよい結果を生むとは限らない。このままでよいのです。今までのような集落の延長で」

 

 目の前の女は聞く耳を持たない。眼鏡の奥を光らせた和製ホームズが発言をオブラートに包むのを止めた。

 

「そこまでして里の方々に余計な知恵を与えたくないのですねえ。あなたは」

 

「どういう意味です?」

 

「反乱防止のため『人間の管理に不都合な材料は与えない』ということですよ。妖怪の存続に必要な怖れを安定的に得るために」

 

「……」

 

 右京はスキマ妖怪の前で堂々と言い切った。紫がたちまち笑顔を作るのを止めた。

 なんてことを言ってんだよ。神にも匹敵する力を持った妖怪への攻めた発言に尊は上司の正気を疑うが、当の本人はお構いなく続ける。

 

「里は妖怪たちに囲まれるように建てられています。昔、妖怪を狩る者たちが獲物を求め、この地にいついた。人里周辺は豊富な水源がありますからこれ以上ない立地です。彼らはこの地に住み付き、妖怪たちを狩りながら生活を続けました。結界が張られていない当初は狩った妖怪を解体して販売と加工。ほかの集落から討伐の依頼を受けて生計を立てていたと思われます」

 

「そんな時期もあったような気がしますね」

 

「しかし明治時代。博麗大結界を張って以降、人里周辺は現在の幻想郷となり、外界から姿を消した。内部に残った人々は外と繋がる手段を失うも日本の近代化や徴兵から逃れ、今まで暮らしてきた」

 

 彼の発言に紫が待ったをかける。

 

「まるでここが昔は()()()()()だった。と、言っているように聞こえるのですけど?」

 

 右京が答える。

 

「ここまで明治時代の日本を残し、公用語が日本語かつ住民の身体的特徴も日本人と一致している。日本以外のどこの地域なのでしょう? つまり、この隠れ里は日本の中あるいはその周辺に存在した。そう表現しても間違いではないと、僕は思っています」

 

 その主張に紫が言い返す。

 

「ならば、ここがかつて日本国の一部であったという証拠はおありになって? 表の日本には幻想郷について書かれた文献でもあるのかしら?」

 

「存じ上げません。ですが、調べれば何かしらの証拠は出てくるかと――」

 

「――でしたら、それはその証拠が出てきたとき、改めて話し合いましょう。それまでは保留でよろしくて?」

 

 証拠がない話にはつき合わない。紫はそういった態度を明らかにした。内容からしてこの件は領土問題である。狡猾な彼女は不用意に口を滑らせるような真似はしない。

 今までの相手は話し合いの余地があったが、スキマ妖怪ともなると外交的駆け引きを理解している。証拠がないなら黙っていろ。これが返答だ。

 

「続きをどうぞ」

 

 促された右京が話を続ける。

 

「残った彼らの子孫は結界が張られた当時とあまり変わらない生活を送っている。近代化しなかったのですから当然です。ですが、妖怪たちは違った。紅魔館や妖怪の山のような勢力は表と繋がる独自のルートを構築。物資輸入や技術の導入を行っている」

 

 右京は紅魔館と妖怪の山が外との独自ルートを持っていると睨んでおり、賢者である紫に直接ぶつけてみた。彼女は空間から扇子で取り出して口元を覆った。

 

「私は聞いたことですけどね」

 

「紅魔館には里では手に入らない食器やアンティーク、食糧が、妖怪の山には表のカメラを修理できる技術力がある。これは八雲さんも知っておられるはずです」

 

「知ってはいますが、外と繋がっているかどうかまではわかりません」

 

「チェックしたりなさらない?」

 

「妖怪たちの自由ですから。何か問題が起きればその時、対処します」

 

 人間と同族への対応の差があまりに異なる。不快感を覚えた右京がその点を指摘する。

 

「妖怪の方々にはずいぶん寛容なのですねえ。人間への冷遇が嘘のように」

 

「あら~? 私は寛容ですわよ? 今回の事件だって力で弾圧せずに静観していたのですから」

 

「ほう……。それはどうして?」

 

「里人の自由を尊重したのです。まぁ、結果はこのザマでしたけどね。今後はこういったことが二度と起こらないように皆で頑張っていかねばなりませんね」

 

「どのように頑張るのですか?」

 

「あなたには関係ありませんわ。部外者なのですから」

 

 冷たく突き放されるが右京は怯まない。

 

「僕は部外者かもしれませんが、里には表の日本人が住んでいます。警察官として彼らの安全が気がかりなのですよ。あなたの気を損ねたら妖怪の養分にされてしまうのではないかと」

 

 最強クラスの妖怪へ喧嘩を売る続けるも、彼女の表情は涼しげだ。。

 

「養分? 里にいる限り妖怪に食べられはしません」

 

「そういう意味ではありません」

 

「ならどういった意味?」

 

「あなたの機嫌を損ねて人食い妖怪の餌にならないか心配。ということです。表の人間は少なからず食糧になっているでしょうからね」

 

「へぇー」

 

 怖いもの知らずの右京がとんでもないことを言い出したせいで、再び場が凍りつく。

 右京と紫はしばらく睨み合いを続けながら互いの出方を窺っており、両者の間で見えない火花がバチバチと飛び散る。そんな光景に尊が心底、震え出した。

 

「どうして表の人間が妖怪の餌食になっていると思われるのですか?」

 

「僕は幻想入りした際、無数のネズミ、虫、鳥に囲まれ、食べられそうになりました。幻想郷にはそれらを使役する妖怪がいます。彼らが僕を捕食すべく部下を嗾けたとしても不思議ではない。他の表の方々にもお聞きしましたが皆、沢山の妖怪に襲われています。妖怪は人間の怖れを食べますが、人間自体を捕食する妖怪もいます。これは幻想縁起でも書かれていましたし、霊夢さんもいると仰っていました。

 人食い妖怪は人間を食べないと生きていけません。幻想郷にいる人間は里に集中しており、用がない以上、外には出ません。里の中の人間には妖怪が手を出せないルールとなっている。では人を食う妖怪はどうやって飢えをしのいでいるのでしょうか。答えは一つしかありません。外から迷い込んだ外来人を捕食しているのです」

 

 カバンから右京がビニール袋に入った骨を取りだしてみせた。

 

「無縁塚にていくつかの人骨と思わしき骨を拾って行きました。人型妖怪の可能性もありますが、これを鑑定して、もしも表で失踪した方々の骨だと判明したら、決定的な証拠になります。先程のように曖昧にはできませんよ?」

 

 問い詰められた彼女はワザとらしい手つき人差し指を下唇に添えた。

 

「まぁ、こちらへ迷い込んで亡くなってしまうケースはあるでしょうけど。それって我々の責任なのでしょうか? 勝手にやってきて勝手に食べられてしまうのですから。弱い者は強い者の糧となる。自然の摂理ですわ」

 

 悪びれる様子は一切ない。彼女の図太さにはさすがの右京も手を焼く。

 

「西行寺さんもそう仰っていましたねぇ。しかし、僕はどうにも納得がいかない。迷い込んだ方々は皆、強い悩みを抱えていました。行方不明になってもおかしくないほどの」

 

「それが何か?」

 

「あなた……そういった方々を選んで表からこちらへ連れ込んでいませんか?」

 

「フフ、そんなことしてませんわ。もしも強い悩みを抱えた人物を選んで連れ込んでいるのならあなたやそこの方はここへやってこないでしょ?」

 

「た、確かに……」と尊が呟いた。

 

「ほーら、相方さんもそう言っているんです。職業柄とはいえ、疑いすぎるのはよくないですよ?」

 

「……」

 

 幻想郷にやってきて以降、右京は幻想郷の猛者たちと互角の舌戦を演じることはあってもここまで押されることはなかった。

 証拠がない。自然の摂理。これらのワードで相手を押し退ける八雲紫には議論の余地がない。

 この女は真実を教えることもボロを出すこともないだろう。

 右京はため息を吐いたのち、カバンの中にあった手紙を取り出した。

 

「わかりました。では続きは証拠を掴んでからにしましょう。ついでで申し訳ないのですが、こちらの手紙に見覚えはありますか?」

 

 紫は差し出された手紙を手に取って目を通す。すると目元がピクりと動く。

 何か心当たりがあるに違いない。右京は彼女が喋るのをジッと待った。

 少しして彼女が一言。

 

「この筆跡――見覚えがありますわね」

 

「どなたの書いた手紙でしょうか?」

 

「……教えてもよいですけど、その前に一つ条件があります」

 

「なんですか?」

 

 一呼吸置いてから紫が言った。

 

「アナターー妖怪になる気はない?」

 

 いきなりの質問に右京は戸惑った。

 

「妖怪、ですか……」

 

「であれば教えて差しあげてもいいわよ?」

 

「何故、僕を妖怪にしようとお考えに?」

 

「さぁ、何故かしら? 気まぐれかしらね。けれど、妖怪になれば我々の仲間になれます。アナタの知りたい()()()()()()も知れるかもしれない。なんでしたら、先ほどの質問に答えてあげてもいいですよ。どうかしら? せっかくですし、そちらの方もなりたいのであれば申してくださいな」

 

 そうやって彼女は手を差出して右京に握手を求めた。

 

「「……」」

 

 幻想郷の真実が知りたいのなら仲間になれ。紫はそのように持ちかけてきた。彼女に実行できないことはない。デタラメな能力を持った何でもアリの妖怪。彼女が認めれば博麗の巫女はもちろん、妖怪やそこらの神とて文句は言えない。

 それこそが幻想賢者の特権なのだ。

 右京は尊の顔を見やってフフッと不敵に笑い、尊は一瞬、視線を逸らすもコクンコクンと頷いた。

 このコンビの間に言葉は不要だ。

 

「僕は人間であることに誇りを持っていますので、お断りします」

 

「同じく。妖怪には興味ありません」

 

 超常の力を得られるチャンスを捨て、彼らは非力な人間を選んだ。

 紫はその手を戻し、呆れたように語った。

 

「人間あることに誇りを持つ、ですか。そんなことを堂々と発言する人間なんて今まで見たことありませんわ」

 

 肩を竦めて両目を瞑り、ため息を吐く。ほんの少しだけ残念そうにしていた。

 気を取り直した紫が今後について再度、質問する。

 

「改めてお聞きします。これからどうなさるおつもり?」

 

「表に逃げた犯人を追います」

 

「お仕事はいいの? いくら特命係が窓際の部署だからってやりすぎると懲戒処分でしょ?」

 

「おや、僕が特命係とご存じでしたか」

 

「ええ、ついでにその経歴もね」

 

 何もにない空間から黒い目玉が集まった世界が現れ、いくつもの分厚いファイルに収まった大量の資料が座卓の上に並べられた。

 尊が首を傾げるが、右京はそのファイルに見た覚えがあった。

 

「警視庁の人間が作った特命係の調査資料です。前にその存在を甲斐さんからこっそり教えて頂きましたが。まさかここまでの資料が揃っているとは」

 

「うわ、俺が在籍していた時の事件も載っているよ……」

 

 神経質かつ特命に恨みを持つ青木年男が恩人のお偉いさんのために書いているが故、いらないことまで事細かに記載されていた。さしずめ、特命係完全解説本と言える。

 本来、警視庁の資料室で厳重に管理される代物である。

 

「この資料、どこから手に入れたのですか?」

 

「警視庁の資料室からよ。普通に入って借りてきたわ」

 

「いやいや、あそこセキュリティー厳重ですよ。監視カメラとかありますよね!?」と尊が突っ込むも。紫は「そんなもの私には意味を成しません」ときっぱり言い切る。

 右京はすかさず「パスポートはお持ちで?」と訊ねるが「お答えする必要はありませんわ♪」と突っぱねられる。

 

「大丈夫。これらの資料は後で返却しておきます」

 

 資料に手を翳し、机を占有していたファイルを目の前から一瞬で消し去った。

 これは手品ではなく現実だ。ふたりは彼女の能力が表の世界でも通用することを知り、より警戒を強めた。

 会話が途切れ、退屈になった紫が感想を述べた。

 

「杉下さんってかなりの事件を解決されてますよね? びっくりしました。一部では和製シャーロック・ホームズなんて呼ばれているとか」

 

「昔の話ですよ」

 

「話してみて改め思いますけど、あなたってホームズそっくりですよね? 興味を持った事件なら好き勝手に首を突っ込むところも、屁理屈が上手いところも、そして意外と()()()()ところも。だからアナタはホームズですよ。私の中ではね」

 

 遠回しだが強めの毒を吐かれた右京は「あなたこそ、証拠を残さずに完全犯罪をやってのけるジェームズ・モリアーティそのものです」と言い返す。

 すると当の本人は「お褒めに預かり光栄ですわ♪」と喜んでみせた。人里で起こった悲劇を無視するかのように。その態度にカチンときた右京が食ってかかる。

 

「あなたは人間や妖怪が一丸となっている最中、静観を決め込んだと仰った。その行動は果たして適切なものだったのでしょうか?」

 

「たまには皆の自主性を信じることも必要ですわ」

 

「幻想郷の根幹を揺るがしかねない事件だったように思われますが」

 

 妖怪たちはかなり動揺していたように思われた。大事だったことは間違いないのだ。

 紫は余裕の笑みを浮かべる。

 

「別に大したことはありません。少しばかり人が減っても、幻想郷はビクともしません」

 

「怖れが妖怪へ流れづらくなっても?」

 

 怖れを糧にする妖怪はそれ自体が栄養源であり、それを得られなくなるのは死活問題のはずだ。そういう妖怪も多い故、人間の感情の行く先は重要である。

 

「何故、流れづらくなるのです?」

 

「妖怪に対する怖れより同族に対する怖れのほうが勝れば、必然的に感情はそちらへ傾く。僕はそう考えています。ですから、そうならないような過剰な情報統制を敷いているのでは?」

 

 あくまで考察段階の話だが、右京は自身が抱く疑問をぶつけずにはいられなかった。

 しかし、本人の涼しげな顔は崩せない。

 

「ほー。それはそれは興味深い。中々、面白い仮説ですね」

 

「お答えしては頂けませんか?」

 

「んー。――ノーコメントかしら」

 

「ノーコメント。察するに近からず、遠からず……でしょうか?」

 

「ノーコメント」

 

 あげく、しらばっくれた。

 さすがの右京もお手上げである。

 

「わかりました」

 

 そう返事してから続けて彼女の側に置かれている手紙を返すように催促する。

 

「その手紙、拾った女性からお借りしたものですので、お返し願えませんか」

 

「ふーん。そう……」

 

 紫は再度、手紙を見やってから手に取り、自身の操る空間の中へ落として返却を拒んだ。

 その光景を見た尊が「いやいや、それ警視庁の預かり品ですけど!?」と声を荒げるも紫は「そんな品、私は存じませんけど?」と嗤ってみせた。スキマ妖怪の本性を垣間見た瞬間だった。

 右京が言った。

 

「不都合な情報は力ずくで握りつぶす。それがアナタのやり方ですか?」

 

「手紙なんて最初からなかった。それだけではなくって?」

 

「いや、それはないでしょ――」

 

 横暴なやり口に尊も食ってかかろうとするが。

 

「私は手紙なんて見ていないし、触ってもいない。その記憶もない」

 

「はぁ!?」と尊が声を荒げる。

 

「そういうことにしてくださいな。その代わり、今回の失態は水に流して差し上げますから。本当は少々、痛い目に遭って貰おうかと思っていたのですよ?」

 

 クスクス。彼女は扇子をパタパタと扇ぎ、目を鋭く尖らせた。

 瞬間、刃物のような殺気が尊の身体を切りつけて尻もちを突かせる。

 右京はただ真っ直ぐに彼女を凝視していた。

 

「確かに今回の失態は僕の責任です。が、何度も言いますが、静観していただけのアナタにも責任がある。僕はそう思います。アナタに少しでも力を貸す姿勢があれば結果は変わったかもしれません」

 

「私に責任を擦りつけるのは止めて頂けないかしら?」

 

「幻想賢者としての責任がないと?」

 

「皆の自主性に任せたと言いましたわよね? 次からは気をつけます。それでいいでしょ」

 

「具体的にどう気をつけるのですか? 参考までにお教えください」

 

「部外者に教えることはございませんわ。妖怪になられるのであれば別ですけど?」

 

「妖怪になってしまえば、幻想郷から出るのが難しくなる。それどころが表での生活すらままならない。そうなれば、必然的に幻想郷に住むほかなくなる。それが狙いですね? 都合よく人材を確保するための」

 

「さぁ、どうかしら? 別の意味があったり、なかったり」

 

「それは?」

 

「ノーコメント」

 

 どこまでも紫は答えようとしなかった。右京は業腹っといった感じで黙ってしまう。反対に紫はそんな彼の様子を楽しそうに眺めていた。

 数分後、紫が扇子をしまい、

 

「もう満足しました。そろそろ終わりにしましょうか」

 

 スッと立ち上がってから右京たちに向かって右手を翳した。

 同時にふたりの座る場所が黒く染まり、まるで底なし沼にハマったように動けなくなった。

 

「これは一体!?」

 

 驚く右京に紫が強めの口調で言い放った。

 

「元の世界へお帰りください。アナタたちはここに居ていい人間ではない」

 

「す、杉下、さん――」

 

 底なし沼に尊が巻き込まれて消えて行った。ジリジリと飲まれて行く右京が最後にこう言い残す。

 

「今回は僕の負けです。いつか必ず――幻想郷の存在とあなたの罪を明らかにしてみせる。またお会いしましょう――」

 

「ええ、そのときを楽しみにしておりますわ」

 

 そして、右京は闇に飲まれて幻想郷から姿を消した。

 誰もいなくなった特命部屋で紫は取り上げた手紙を広げる。

 

「この手紙。きっとーー」

 

 彼女は今よりも遠き世界で()()()()()()()を思い浮かべながらスキマを通って人里の遥か上空へ出た。

 満天の星空の真下で彼女は何を想うのか。それは誰にもわからない。

 しばらく幻想郷を見下ろし、自身の創った世界を楽しんだ彼女は空間を開き、何者かと連絡を取ったのち――。

 

「幻想郷は全てを受け入れる。それはそれはどんな()()()であっても」

 

 手で優しく撫でるように境界を弄るのであった。

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