相棒~杉下右京の幻想怪奇録~   作:初代シロネコアイルー

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第146話 天才の憂鬱

 午後三時。人里の寺子屋にて稗田阿求は生徒たち相手に教鞭を振るっていた。

 内容は歴史。堅苦しくなく、わかりやすい説明を心がけている彼女の授業は評判がよく、机に座っている者が不満を持つことがない。ただ一つを除いて。

 

「今日の授業はここまでです。お疲れさまでした」

 

 一時間後、授業を終えた彼女は参考書を閉じ、生徒たちと共に帰り支度を整える。

 風呂敷に荷物を纏め、教卓を立とうしたとき、ある女子生徒が阿求に近寄って訊ねた。

 

「稗田先生、慧音先生はいつ授業に復帰するんですか? もう一週間近くも休んでいるから心配で……」

 

「そうね……。風邪をこじらせたみたいだから、来週には復帰できると思います」

 

「そうですか。よかったー。私、慧音先生の授業、好きだから――あ、稗田先生の授業が嫌いとかそういう訳じゃないですよ!?」

 

「ふふっ、わかっていますよ」

 

 余計なことを言ってしまったと焦る生徒の頭をそっと撫で、阿求は彼女らが寺子屋を出るまで見守った。

 生徒たちが去ったのを確認した阿求は大きなため息を吐く。

 

「あんなことがあった後じゃ、無理もないわよね……」

 

 賢者たちが強制的に里人の記憶を奪い、無理やり事件の幕引きを図ったことで問題は解決したように見えたが、実際は細かいところまで行き届いておらず、里人の記憶に齟齬が生まれ、日常生活に影響を及ぼす事態となった。

 それを阿求や慧音が上手く誘導――必要とあらば歴史書のすり替えや書き替えを行い、火龍会や水龍会、土龍会などの存在がなかったように偽装した。

 つまり、里の有識者ふたりは賢者の手伝いをしてしまったのだ。阿求はこれが里のためだと思い、嫌々ながらも引き受けたが、慧音は真面目過ぎたために途中から精神を病んでしまい一週間前、自宅へ引き籠ってしまった。

 引き籠る直前、慧音は上司の彼女に「私なら皆の記憶を元に戻せる。……ですが、それをやっても地獄が待っているだけですよね」と独り言のように零していた。

 

「記憶に関係する能力を持つが故の苦しみ、か……」

 

 記憶が戻っても平和な里に大量の血が流れた悪夢が蘇るだけ。それだけならまだしも、今度は死んだ人間や消えた事件関係者と組織はどこに行ったのか、何故こんな大事なことを忘れていたのか。考えれば考えるほど深い闇が里を途方もない恐怖へと陥れるだろう。

 常識人である慧音が実行できるはずがない。だからこそ同じ立場としてその気持ちを理解した阿求が代わりに授業を引き受けて今に至る。

 

「私にもっとリーダーとしての素質があれば……」

 

 超記憶能力を持っているとはいえ、阿求は全知全能ではない。ミスすることだってある。

 特に人の上に立って行動する仕事は大の苦手だ。どちらかといえば書記や研究者などあまり人前に出ない仕事を得意とし、本人もそれらを天職だと思っている。

 現在も閻魔の書記として活動していることに違いはないが、顔役として調整に回り、里人から代表のように扱われ、妖怪もまた彼女を顔役と認めている。

 里人の相手をするのは比較的楽で、しかも年代の近い女性たちとは気が合うのか、よく女中や小鈴とプライベートを共にする。

 反対に妖怪相手は一筋縄ではいかない。連中はあれやこれやと無理難題を通そうとして勝手に裏で暗躍し出す。稗田家に許可を取らずに問題行動を起こすなど当たり前で、説得にものすごく頭を使う。

 正直、人間の手におえる相手ではない。が、幻想郷は妖怪の国――それが日常である。

 

「私は――このまま代表の座にいてもよいのかしら」

 

 当初、彼女は結社たちと狩人の凶行を止められなかった責任を取るつもりでいた。

 隠ぺい後、幻想郷の賢者である紫と話した際、その件で相談した。

 すると紫は首を横に振りながら「あなたが責任を取る必要はないわ。だってそんな物騒な出来事は起こらなかったのですから」と笑顔で語り、他の事情を知る人間や妖怪たちも阿求を責めなかった。逆にそれが彼女のプライドを酷く傷つけた。

 引き籠れるなら今すぐにでも引き籠りたいが、自分の代わりに里を回せる者がおらず休むことができない。一時的に代理を任せられそうな火口家当主は死亡し、火口家という組織そのものが抹消されて残るは風下家のみ。

 しかし、風下の親分はどちらかと言えば反妖怪側の人間であり、阿求と交渉している妖怪は決してあの老婆を認めないだろう。結局のところ、降りることは許されず、彼女は死ぬまで役割を全うせねばらないのだ。

 慧音が能力を持つが故に精神を病むのであれば阿求は使命が故に精神を蝕まれる。

 ふいに彼女が空を見上げるとそこに広がる青色が徐々に朱色を含み、夕暮れを迎えようとしていた。

 そろそろ戻ろうか。自宅に帰るべく寺子屋の戸締りを確認して彼女は門外へ出た。そのタイミング、

 

 ――チリンチリン。

 

 周囲に鈴の音が響いた。阿求が振り向くといつもの着物とエプロンを着た少女がこちらを見ていた。

 阿求は反射的に口を開いた。

 

「あら、小鈴」

 

 友人、本居小鈴であった。

 小鈴も阿求と同じような態度で返した。

 

「ん、阿求? 何してるの?」

 

「生徒たちに勉強を教えていたのよ」

 

 意外だったのか、小鈴がそのつぶらな瞳を見開く。

 

「へー、アンタが勉強をねー。前に『時間がない』とか言ってなかったっけ?」

 

「事情が事情だからねぇ。忙しいとか言ってられない」

 

「あぁ、慧音先生のことね。体調崩したって聞いたけど……風邪をこじらせたとか?」

 

「……詳しいことは聞いてないけど。そ、そんなところじゃないかなって思うわ」

 

 記憶を失っている小鈴に真実を告げる訳にもいかず、はぐらかすも、相手は数少ない友人。すぐ訝しまれる。

 

「アンタが話の途中で噛むってことはたぶん違うってことよね」

 

「ギクッ――」

 

 この娘、妙なところで勘を発揮するんだから。阿求の顔が引きつると同時に小鈴が目を細めながら詰め寄った。

 

「まさか――」

 

「な、な、何よッ!?」

 

 隠しごとがバレたか。そのように覚悟したが。

 

「――妖怪特有の病とか?」

 

「はぁ?」

 

 何を言っているのだ、小鈴よ。

 

「だって先生って妖怪の血を引いているし、色々大変なんじゃないかなーって」

 

 やっぱりこの娘はズレている。普段なら毒を吐くところだが、今回ばかりは救われた。

 阿求は微かに笑いながら言う。

 

「大丈夫よ。少し……疲れているだけだから」

 

「えー、それくらいで休む人じゃないでしょ?」

 

「仕事量が多かったのよ。色々、頼んでしまったから……」

 

 視線を逸らす阿求に小鈴がジト目を向ける。

 

「ってことは体調を崩したのは阿求のせいってこと?」

 

「そ、それは……」

 

 あながち間違いではないので彼女は答えに困った。

 さて、どうしたものか。珍しく押される阿求に小鈴は首を傾げつつ、

 

「なんとなくわかった――アンタは自分が楽をするために慧音先生に仕事を押しつけたのね!?」

 

「ん?」

 

 とんちんかんな推理を披露した。何とも返答に困る。

 

「だから寺子屋の仕事を手伝ってんでしょ!? 何か裏があると思ったけど、これで繋がったわ」

 

「んん。あぁ――」

 

 記憶を失った小鈴がふたりの行動を知る由もない。隠ぺいの手伝いを勘繰られるなどあり得ないのだ。

 都合がよいと判断した阿求は呟くように。

 

「近い……かしら……?」

 

「あー、やっぱり!! 酷い上司だねぇ!!」

 

「責任は、感じている、わ……」

 

 地面に目を落とす彼女の表情は酷く曇っていた。友人の変化に気がついた小鈴は途端に責めるのを止める。

 

「阿求、どうしたの……? いつもならもっと『自分は悪くない』って感じで言い返してくるのに……」

 

「私はそこまで酷い女じゃないわよ……。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「…………色々、あったのよ」

 

 天才だって人間。心がある以上、その許容量にも限界がある。真実を打ち明けて楽になりたいが、目の前の少女には話せない。

 何故なら、八雲紫が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と判断して記憶を消したのだから。

 里の中にいる唯一の理解者は上白沢慧音だけ。その慧音も精神をやられた。

 例えようのない孤独が阿求を包んでいる。つき合いのある小鈴はそれを本能的に捉えたのか。

 

「なんか複雑そうだね」

 

「……」

 

「もし、アレだったらさ。明日、一緒にお見舞いに行かない?」

 

「お見舞い?」

 

「そう、お見舞い。責任を感じているなら尚更でしょ! 私も謝ってあげるから」

 

 友人の気遣いがこれほど身に染みたことはなかった。阿求は息を吐いてから「……そうね、そうするわ」と同意し、小鈴と見舞いの品を買う約束をして別れた。

 稗田邸に帰る途中、阿求は真っ赤な夕焼けを視界に据えながら、

 

「あの娘ってホントに変わってるわよね」

 

 歳相応の笑みを浮かべていた。

 幻想郷の問題は探れば探るほど闇深い。

 天才と呼ばれる自分でも解決する手立てはなく、果敢にも真っ向から挑んだ自らに匹敵する天才、杉下右京でさえ敗れた。幻想の扉は今日も固く閉ざされている。

 だが、彼が残した行動が人々に与えた影響は大きい。

 

「(もし私以上の才と力のある者がここに現れたら……)」

 

 そのとき、自分はどちらの側につくのか。あの事件を機に阿求も考えるようになった。

 人間派の妖怪や人間は皆、同じように考えているのかもしれないし、いないのかもしれない。

 今わかるのは『和製シャーロック・ホームズの執念は幻想郷の中で確実に生きている』ということだけである。

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