暗くなった室内の電気をつけ、椅子に座った右京を亘が称賛する。
「うまいこと言いくるめましたね。さすがは右京さん」
「意地を張っていたようなので、さほど難しくはありませんでした」
「いやいや、あの変人どもをコントロールできるのは和製シャーロック・ホームズだけですよ」
一般人では屁理屈で論破またはなぁなぁにされてしまう。持論を押し通す彼らを真っ向から倒せるのは、それ以上の権力か話術を持つ人間だけ。話術のスペシャリスト相手では頭脳明晰な若人も遠く及ばない。
「まぁ、素直に称賛として受け取っておきます。そろそろ、二十時ですねえ。今日は帰りましょうか」
「了解です」
部下の返事を聞くのと同時に右京が椅子から立ち上がってコートを羽織る。
その際、亘がさりげなく今後の方針について質問する。
「明日から俺たち、何をするんです?」
主な情報収集はサイバーの二人が担当する。彼らが情報を上げるまで待機するとも思えない。亘の疑問に和製ホームズは口角を上げて答える。
「《学校の怪談》を調査します。君にも協力して貰いますから、そのつもりで」
まじかよ。亘の顔から血の気が引いていった。
☆
翌日、朝の八時から特命係はフィガロに乗って現地入りする。
周囲を警察官に囲まれて重々しい空気が漂う校内を進み、右京が転落現場まで亘を連れてきた。
「ここで謎の声を聞いた女子生徒が足を滑らせて骨折しました」
「特に変わったところのない、普通の階段ですね。こんなところで滑るかな?」
「普通に歩いていれば足を滑らせることはないでしょうね」
右京が相棒を残して初日と同じように階段を一歩一歩、足で確かめながら降りていく。強く踏んでも歪んでいるような軋みや足を取られるような窪みがある訳ではない。手すりも塗装が剥げかけているが、やはり事故に繋がるとは思えない。
「なんか不審な点、見つかりましたか?」
四階付近から他人事のように訊ねる亘に右京が「君もボケっとしてないで手を動かして下さい。それでは青木くんたちに笑われますよ」と嫌味を言った。いかにオカルト嫌いとはいえ、働かないのは論外だ。それでも亘は「俺は今、四階の踊り場を調べるんです!」と言い訳して階段を降りるのを拒み、自身の視界の左脇に映るボードに目をやる。
四階の踊り場には木製の掲示板があり、印刷物が貼られている。質のいい用紙のチラシから安物の用紙で印刷されたお便りなど、様々なものが狭いスペースを取り合っている。
「懐かしいな。俺が学生の頃もこういうのあったっけな」
明るくルックスもよい亘はグループの人気者で、友人たちに囲まれた学生生活を送っていた。思い起こせば、いくらでも蘇る懐かしき日々。大嫌いな幽霊なんてどうでもいい。俺はここに居座って杉下右京という嵐が過ぎ去るのを待とう。彼は現実逃避を図った。しかし、サボりであることには変わらず、上司が許すはずもなかった。
呆れた右京が活を入れてやろうと後ろからゆっくり忍び寄り、亘の背後を取った瞬間、口元に両手で耳打ちするかのようなポーズを作ってから、やや大きめな声を放った。
――わっ!
直後、驚いた猫のように背筋をピンとさせた亘がそのままの勢いで掲示板に身体をぶつける。我に返った亘が振り返り、右京に文句を放った。
「ちょ、驚かさないでくださいよ! びっくりするじゃないですか!?」
「……君のおばけ嫌いは想像以上のようですね」
今にも泣きそうな部下への率直な感想。亘はそれを否定しようと反論を試みようとする。その際、コートの左袖が印刷物に引っかかり、端の部分から破けてしまった。
「君、何をやっているのですか……」
「いや、右京さんのせいでしょ、急に驚かすんだから――あれ……。これ、なんだろう?」
破けた部分から穴が見え隠れしていた。右京が亘を退かさせ、印刷物を破かないようにそっと捲る。見れば卵一個分より一回り大きな穴が開いていた。何か硬い物をぶつけられたのか、穴の周囲から尖った部分が飛び出している。
状況からして学生がふざけて開けたのだろう。校舎はそこまで綺麗ではないところからして、印刷物で隠せば問題との判断を下したのか。このように右京が思考を巡らせていると、脇から亘が穴の一部を指で示す。
「右京さん、ここに粉みたいなのが付着してますよ」
尖った部分が少しだけ黒く汚れており、粉状の何かがついていた。右京は無言のまま、白い手袋をはめ、カバンから綿棒とジッパー付きビニール袋を取り出し、そのまま綿の柔らかい部分で粉を絡め取る。
「色は黒ですねえ」
「プラスチックが擦れた際に出るヤツみたいですね」
「僕もそう思いますが、詳しいことは益子さんに調べて貰ってからで」
粉をビニール袋に回収し、スマホで現場写真を撮った右京らはその足で校舎を調査して回った。事件直後の学校は臨時休校中のため、生徒たちからの証言が得られず、先生がたも警察への対応でこちらに構う余裕はない。
先生たちへの聞き込みは後回しにするしかないだろう。
暇になった二人は、警察関係者から転落した生徒が入院する病院を聞き出して、行ってみることにした。
☆
調布市内にある病院を訪れた特命係は受付で面会の許可を取り付け、女子生徒がいる個室のドアをノックしてから中へ入る。
窓際の席から空が一望できる室内はVIP用の雰囲気が漂う空間で、彼女の家庭の裕福さが窺える。
二人が警察手帳を見せながら彼女の前まで近づくと、本人が「どもっ」と短い挨拶をした。入院中にも関わらず、可能な範囲で身だしなみを整えているように見える。今どきの女子高生らしい行動だ。それと同じく態度も相応だった。
「ママから『私を突き落とした犯人がいるかもしれない』って聞いたけど、本当?」
「まだ調査中なのでなんとも」
亘が答えると彼女は悪気なく舌を出した。
「へー、そうなの。てっきり犯人が発見したから、その報告かと、ちょっぴり期待したんですけどー。つまんな。もしかして警察って無能?」
初対面の大人にこの態度。この女子高生が恨まれるのも頷ける。
ムスッとする部下に代わって上司の右京が笑顔を作った。
「それをはっきりさせるために、ここにお邪魔させて貰いました。ご協力願えませんか?」
「あー、なるほどね、納得した」
「ですので、転落当時の状況を教えて下さい」
「りょっ」
SNSでもするかのような気軽さで返事した彼女が事件当日を振り返る。
「あの日は授業が終わってから十八時過ぎまで自習室で勉強してたの。いつもなら家でやるんだけど、ママと喧嘩しちゃってね。珍しく残ってたわけ」
「それから部屋を出て、左端の階段から下へ降りようとした」
「そうそう。で、階段に足を下ろした瞬間、変な声が聞こえてきて、驚いて足を滑らせたんだよねー。あー、マジでムカつく」
「ちなみにどんな声だった?」亘が訊ねると彼女は「『ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛』って感じのうめき声。お経みたいだったけど、気持ち悪かった」と答えた。
「他に何か特徴はありませんでしたか? 例えば、男性の声だったとか」
刑事の質問に彼女は脳内で声を再生させながらその特徴を思い出す。
「うーん、声は男っぽかった。あとは……あっ――変に音が歪んでいた気もしなくないような……びみょうなトコだけど」
「なるほど」
眼鏡の奥にある双眸がギラつくように光る。真実に一歩一歩、近づく感覚。それは彼にとって至高の喜びなのだ。
そんな自らの世界に浸る上司と代わるように部下が気になっていた点を挙げる。
「どうして、左端の階段を使ったのかな? すぐ近くに階段があるのに。なんなら中央にだって。あそこ、呻き声が聞こえる場所で有名だったんだよね?」
「あー私、幽霊信じない派。だから、ここんところ左端の階段ばっか使うんだよねー。一階の出口が近いからってのもあるんだけどさ。隣の階段、使って一階まで降りると下級生がいる教室の廊下を通らなきゃならないから、めんどくさいんだよね。同じクラスで絶賛喧嘩中の女の取り巻き連中が変な目で見てくるし。マジウザですわ」
「それはまた」
思ったことをストレートに言ってしまう彼女は敵が多く、学校内でも嫌われている。そうした背景から人目のつきにくい場所を選んで通っていた。身から出た錆ではあるが、納得のいく理由だった。
「もし仮に君を突き落とした人間がいるとして、心当たりある? 喧嘩中の子も含めて」
「うーん、ありすぎて絞れないね……」
どうやら、各方面から恨まれていて、どこから嫌がらせが飛んできてもおかしくない状況だったらしい。犯人を絞るのは難しいだろう。彼女の自業自得だが。亘は考えを悟られまいと、視線を明後日のほうに逸した。
それを合図に右京が質問した。
「自習室には君一人だけでしたか?」
「そーだけど?」
「他に誰かいませんでしたか? 先に帰った人物でもかまいません」
「先に帰った……? あっ、いた。三十分くらい前に自習室を出ていった、ワカメみたいにうねうねした長髪の貞子が。根暗オーラ全開でキモかったわー」
「貞子……」亘の顔から余裕が消え始める。
「彼女と話したことは?」
「たぶんない…………と思う。あったとしてもぉ〜忘れているかも。過去にはあんまぁ、こだわらないっつーか、そーいう主義だからね、私」
彼女は頭の後ろで腕を組み、天井を見つめながら答えた。
「そうですか、どうもありがとう」
面談を終えて病院を出た二人は正面すぐの駐車スペースに停めてあるフィガロの中に乗り込んで、互いの感想を述べ合う。
「噂通り、生意気なガキでしたね、初対面の人間に〝無能〟とか、よく言えるもんだ。親の顔が見てみたい」
「きっと大切に育てられているのでしょう」
「大切ってレベルじゃないでしょ。甘やかされ過ぎ」
「その感は否めませんね」
亘の愚痴を上手くかわしながら右京はエンジンを始動させた。
☆
調布駅周辺に車を停めた彼らはそのままメインストリートへと出て、調査を開始する。
右京が発信元となった数件のネットカフェで聞き込みを、亘が西高見高校裏サイトの掲示板に書き込まれる生徒たちのコメントを頼りに、いつもたむろしていると思われる場所を訪れ、情報を収集していく。
一時間後、電話で連絡を取り合った二人は駅前の広場で待ち合わせ、互いの情報を共有すべく、報告を行う。
「発信元となった数店のネットカフェで聞き込みをしたところ、どの店舗でもコメントがあった数分前、十代の少女が来店していたそうです。髪が腰辺りまで伸びていて、どこかどんよりした雰囲気だったため、印象に残ったと皆、口を揃えていました。君のほうはどうです?」
「ゲームセンターや喫茶にいた学生に事情を伺ってきました。怪談話についてはこれと言った証言は得られませんでしたが、貞子と思わしき人物は特定できました」
そう言って、亘が少女の画像が表示されたスマホを右京の正面にかざす。
写っている少女は隠し撮りされたような全体画像で、かつて裏サイトに出回っていた物だ。
若干、茶色が混じった黒っぽい髪色と腰まで伸びた癖の強いロングヘア、面長で目が鋭く、少々出っ張った顔つき、やせ細った手足と同世代よりやや高い背が恐怖感を演出している。転落した生徒が少女を貞子と呼ぶのも自然だった。
「彼女の名前は伊崎さゆか。見た目通り、髪が長く、どんよりしている男性アイドルオタクだそうです。成績は上位のほうにいますが、誰かと仲良くしている姿を見たことなく、いつも人気の少ないところで勉強しているか、アイドルの動画を視聴しているようです。同学年から《貞子》はもちろん《中華ハーマイオニー》《根暗アイドルオタク》《モップガール》《グレイ(宇宙人)》《八尺様》など。色々なあだ名をつけられているようです。物を隠されたり、意図的に避けられたり、暴言を吐かれたり、とイジメにあっているような話もチラホラと」
「なんとも、お気の毒な……」
「そのせいか、掲示板上に住所を晒されたこともあったらしく、ここからそう遠くないアパートに社会人の姉と同居しているようです」
「なるほど」
学校という一種の閉鎖空間で行われるイジメは時に度を越えてしまい、耐え難い苦痛となる。
右京は彼女に憐れみのような感情を向けた。
「せっかくです、行ってみませんか?」
近場なら足を運ぶのも悪くない。もしかしたらボロを出す可能性だってある。
「ええ」
相棒の提案に右京が同意した。
☆
中心地から少し離れた住宅地の白いアパートに伊崎さゆかは姉と同居する形で住んでいる。築四十年を越える古い建物で、ところどころ塗装の剥離が見られる。
学生が教えてくれた207号室のカメラセンサー搭載型の呼び鈴を鳴らして待つ。三十秒程度でシリンダーが回る音が聞こえ、ドアのレバーがガチャリと動く。隙間から顔を出すように現れたのは伊崎さゆか本人だった。
「何の用ですか?」
「あ、いや……」
ぎょっとさせる容姿とやや低い掠れた声で放たれる言葉に亘が息を呑む。このままでは相手を不快にさせると思った右京が部下を横に押しのけ、警察手帳を出してから会話を引き継ぐ。
「警察です。五味先生のことについて生徒さんたちに聞いて回っています。お時間を頂けないでしょうか?」
「…………別に、いいですけど」
一泊置いてから伊崎が了承して二人を室内に招き入れる。
室内の間取りは2DKの左側が自室となっており、壁や天井に男性アイドル写真がびっしりと貼られ、部屋端には本棚と上棚が一体化した学習机が存在感を放ち、アイドルグッズが並んでいる。ベッドの枕脇に置かれたぬいぐるみも押しの子らのデフォルメ人形――生粋のファンだった。入室した瞬間、趣味に振り切られた空間に圧倒される亘。テーブルに着くように促されても精神が追いつかない。
「冠城くん」
右京が彼にやんわりと座るように促し、聞き込みの体勢が整う。伊崎は亘をジッと凝視する。
「……すみません、変な部屋で。これしか趣味ないんで」
「あ、いや、いい部屋だと思います、よ。ね? 右京さん?」
上手く言葉を選べない亘は相棒を頼った。ご要望通り、右京が感想を述べる。
「とても個性的で、いい部屋だと思います。僕の自室もイギリス旅行で買ったお土産や紅茶、レコード、落語、小説など趣味で溢れています。毎朝、起きて好きな物に囲まれている生活というのは日々を豊かにしてくれますねえ。そうではありませんか?」
「……まぁ、そう……ですね」
か細い声で伊崎は首肯した。
上司が遅めの自己紹介をする。
「申し遅れましたね、僕は杉下。こちらは冠城です」
しかし、警戒心が強いのか、伊崎は右京をギョロッとした目つきでみやる。
「……五味先生のこと、でしたっけ?」
直接、視線を向けられたわけでもないにも関わらず、カメレオンと目があったような独特の感覚が部下の背中を伝い、全身の毛が逆立った。反対にホームズの顔は涼しいままだ。それどころか、そこまで警戒しなくていいのに、とどこか余裕まで保っている。本物の妖怪たちと互角に渡り歩いてきた者の貫禄がにじみ出ていた。
「ええ、そうです。ここ最近、五味先生に変わった様子などはありましたか? 例えば、誰かと揉めているのを見たとか」
「……特には」
「誰かに聞いたことも?」
「……ないです。私、学校で浮いていて、あまり人と関わらないので」
床に視線を落とす彼女の瞳には寂しさが宿っていた。
「五味先生はその、どんな先生だった、かな?」鳥肌でうまく動かせない手を挙げて亘が質問する。表情も身体に連動して硬いままで、感情が丸わかりだったが、伊崎は慣れているようで「……口うるさい先生です」と答えるだけにとどめる。
「ということは、あまり生徒から好かれていなかった?」右京が問う。
「……たぶん」
「先生の評判などをお耳に挟んだことは?」
「……あります。うざいとか、キモいとか、気安く肩を触ってくるとか」
「肩を触る、それは女子生徒に対してもですか?」
「……女子限定かと。可愛い生徒とかは結構……触られた経験があるみたいです。私はないですけど」
「ほう」
うるさい現代社会においてそれはセクハラに相当する可能性がある。口がうるさく、女子へのボディータッチが多いとなれば嫌われて当然だろう。右京の脳裏に次なる疑問が浮かぶ。
「それは女性の先生に対しても、でしょうか?」
「……以前、英語教師の宮下先生が肩に触られて怒っていたと……クラス女子が話していたのを、小耳に挟みました。あの人、顔もスタイルいいから」
顔とスタイルのよい美人。それはひょっとして。初日を思い出した右京が「その英語の先生は黒い長髪で切れ目をしたモデルのような方ですか?」と訊ねる。「……はい」彼女は首肯し、右京が納得したように頷いた。
生徒だけにとどまらず、同じ教師にまでとは。レディの扱いに人一倍、厳しい亘が内心で「セクハラジジイが」と吐き捨てた。
「他にも触られた先生の話は?」
「……ないです。でも、それなりにはいそう……」
「なるほど」
右京が相槌を打ち、数秒の無言が生まれる。さて、どのような質問を行うべきか、脳内で適切な言葉を探し出そうとした、そのタイミング。彼のスマホが振動音を立てる。相手に断りを入れて、内容を確認してみれば、青木年男からのメールだった。
『杉下さん、ご依頼通り、村木と林の情報をかき集めて資料にまとめました。面白いことがわかったので、お戻りの際はご一報を。特命部屋にて発表させて頂きます。ではでは』
続くようにメールが送られてきた。相手は土師太だ。
『杉下警部、土師でございます。五味さんの調査の一環で私物などを調べておりましたところ、とんでもないモノを発見してしまいました。事件に関係あるかもしれませんので、お戻りの際はご一報を。内容が内容ですので、こっそりとお話ししたいと思いますが故、特命部屋を借りてご説明させて頂きたいと思います。それでは』
勿体ぶるところをみると、かなり重要な情報かもしれない。和製シャーロック・ホームズの勘が働いた。
「どちらからです?」
その仕草が気になって小声で問う亘に右京は「何やら青木くんたちが情報を集めてくれたようです」と続けてから「そろそろお暇しましょうか」と言ってスッと立ち上がった。
「へ?」
部下が素っ頓狂な声をあげた。まだ話すことがあるだろうと。視線で訴える亘に和製ホームズは口元を僅かに緩めて「大丈夫です」と無言の合図を発して、クルっと背を向けた。
そのやり取りにキョトンとしながら「もう終わりなんだ」と言いたげな伊崎だったが、来客を帰すために自らもヌッと立ち上がった。彼女がドアへ向かおうとした瞬間「あっ!」何かを思い出したかのように右京がパンと手を叩いた。
向き直った彼が右人差し指を立てながら伊崎をロックオン――かと思いきや。指先は壁一面に貼られたポスターを指す。
「ここに写っていらっしゃる端正な顔立ちの方々が気になりましてね。なんというグループ名なのでしょうか?」
「え……あ……《キングオブキング》。シャニーズ所属のグループです」
「あぁ、シャニーズ事務所! 《ひかる平次》に五人組アイドルグループ《スマッシュ》など、数多くの国民的アイドルを排出した歴史ある事務所ですねえ〜。そこの所属だったとは! 知りませんでした」
「結成してまだ五年未満ですから。メディアへの露出が少ないんです。でも、一人一人の歌唱力はもちろん、ダンスや演技力も抜群でシャニーズ会長が自信をもって送り出した。誰よりも輝いているユニット。いずれ、テレビに引っ張りだこで、次世代のスマッシュになる。そうに違いない。いや、それ以外、ありえない」
口数の少なかった伊崎が早口で熱弁を振るった。
「心の底から応援していらっしゃるのですね。すばらしい!」
そう言って、右京が両手をすり合わせて称賛する。我に返った伊崎は目を大きく開きながら固まった。石化した彼女が気になった右京は大丈夫ですか、と顔を近づけて右手を振った。
「……あ、すみません」
「いえいえ、問題ありませんよ」
不気味な女相手にも笑顔を忘れない右京に伊崎の警戒心が緩み、頭の中にある人物の姿が蘇る。
「その、刑事さんって…………《古畑任三郎》に似てる」
よく引き合いにシャーロック・ホームズを出されるが、まさか古畑とは。さすがの右京も笑ってしまう。
「おやおや、古畑任三郎を知っているのですか? 最後の放送はもう十年以上も前だというのに」
「……中学の時に、ネットでスマッシュが本人役で出演しているって教えられて、勉強のために視聴しました。キンオブメンバーは大先輩のスマッシュをリスペクトしているので」
「確か、スマッシュのメンバーが出演した回は二回ありましたね。一度目は一人、二回は全員が本人役で出演。当時、かなりの話題になりました。かという僕もすべての回を視聴済みです。《頭でっかちの殺人》《しゃべりすぎた男》《再会》など今でも印象に残ってます。その中でも、僕は」と室内のベッドや机を見渡しながら「《フェアな殺人者》が好きですねえ」と語った。
「あ、それって《イ○ロー》が本人役(あくまでも別人という設定)で出てきた回ですね。あれ、面白かったなー」と亘が同意する。
「伊崎さんは視聴されましたか?」
「……はい、その回、なら……。意外な組み合わせだったので気になって。……面白かったです」
「それはよかった。僕、あの回、ものすごく好きなんですよ! イ○ロー選手の演技力もそうですが、終盤の古畑任三郎の追い込みシーンがもー、たまらない。観すぎて台詞を覚えてしまうくらいに――ちょっとだけ、再現してみても?」
「え……、あ……どう、ぞ」
予想外の展開に思考が追いつかず、伊崎は言われるがまま許可を出した。直後、右京はニヤリと笑って懐からカバンから出した白手袋をはめ、愛用の万年筆を手にとり、目つきを怪しく変化させて自らの眉間を右人差し指でスッとなぞった。それはまるで古畑任三郎その人のようだった。
「お兄さんはすべてを自供されました。郡山さん殺害を認めました。ご自分でそうおっしゃったんです。えー、自供なくても遅かれ早かれ逮捕には踏み切るつもりでした。彼には、動機があります、そしてアリバイを偽装した」
古畑右京、もしくは杉下任三郎がテーブルを中心に部屋の中をグルっと回るように歩く。
「さらにですねえ、犯行現場にいたという動かぬ証拠があります。実はですね、お兄さんですね、犯行直前に被害者に頼まれてサインをしたんですよ、車の中で、えー、あなたの名前と日付、そしてご丁寧に繁さんへ、と被害者の名前まで書いた。えー、彼が事件当夜、被害者と会っていたという動かぬ証拠です。――えー、お兄さんがあなたの代わりに書いた、他のサインと比べてみました、まったく同じと言っていい」
歩みを止めない古畑右京の視界にはびっくりしたように聞き入っている二人の観客を含め、たくさんの情報が飛び込んでくる。
キンオブのポスター、壁掛けなどはもちろん、メンバーの人形が支配するベッドに、枕の上に置かれた国産ソイニー製のスマホ、それに接続されているであろう同社製イヤホン、本棚に並べられたキンオブが表紙を飾る雑誌とCD、学習机には学校で使っている教科書、塾で配られた参考書、PC関連や大量の付箋が貼られた情報資格系の専門書が無造作に積み上げられている。また机中央には新型アップルブックエアー、その奥には一対の白い小型スピーカー、上棚にはグッズの他に、芳香剤の入ったオシャレな黒い容器、同色の手のひらサイズのスピーカー、予定の入ったカレンダーが置かれている。
台詞を発しながら彼は、それらを記憶に焼きつけ、さらにシーンの再現も手を抜かない。
「おそらくですね、郡山さんはですね、あなたのサインを貰ってくるように誰かに頼まれていたんでしょう。ところが、あなたに断られて手ぶらで帰るわけにもいかず結局、お兄さんに頼んだ。――作り話? どうして、そう言い切れるんですか?」
すばやく万年筆を左手に移し、右指を立てながら冠城をロックオン。いきなりのことに「いや、俺は台詞、覚えてませんから」と説明するも、古畑右京は無視するように続ける。
「はい? あなたの字? んー、ではそのサインはあなたが書いたものだとお認めになる? はい、そして現場にいたこともお認めになる? 認めたことになるんですよ。あなたは犯行を認めたことになるんですよ。まだ、おわかりになりませんかぁー。犯行現場にそのボールがあったことを、どうしてあなたが知っていたのか? ――はい、私は《サインボール》とは一言も言ってないんですよ。お兄さんは被害者に頼まれてサインをしたと言ったんです。そうだよね、西園寺くん?」
今度は伊崎の前に立ってジャスチャーを出す。彼女は「……はい、そのとおりです」と原作の言葉を返した。古畑右京は笑みを零しつつも、言葉を紡ぐ。
「――はい、誰もサインボールとは言ってないんですよ。にも関わらず、あなたは真っ先にそのボールを手にとった。サイン色紙もあったのにわざわざそのボールを、です。ちなみに西園寺くん、君が持っているのは?」
「……イ○ローさんの、サイン入りバットとサイン入りグローブ、です? (だったかな……)」と伊崎が乗っかる。記憶力のよいお嬢さんだ。
「――はい、確かにここにはあなたの書いたサインボールが隠してありました。しかし、そのことを知っているのはイ○ローさん――あー、隠した本人だけなんです。――えー、ホテルの売店の店員が八時二十分、被害者がボールを買ったのを覚えています。ここにも、ちゃんと残ってるんですよ、売上記録」
懐から売上記録が記載された紙――ではなく、ハンカチを取り出して、用紙のように広げてみせた。
「えー、郡山さんが殺害される直前です。あなたの部屋を出た直後です。えー、それともボールを買った後、再びあなたの部屋へ戻ったと嘘をおつきになるおつもりですか? えー、おわかりになりましたでしょうか?」
決め顔と共に右京は伊崎を見つめた。ゴクリと息を呑んだ、彼女が言葉を出そうとした瞬間、亘が。
「すばらしい!!」
パチパチと拍手を送った。二人は白けたような表情を向けた。実はまだこのシーンには続きがあったのだ。空気を読めという視線に亘が「俺、なんかやっちゃいました?」と言いたげな態度をとった。ムッとした上司は左手の万年筆を右手に持ち替えてから。
「今泉くん」
劇中の人物の名前を呼んで、万年筆を彼の胸めがけて投げつけた。慌てた亘がそれをキャッチしようとするが、突然のことに対応できず取りそこねて、床に落としてしまう。
「まったく、これだから今泉くんは」
「ちょ、その言い方ッ」
部下が食ってかかるも右京は右手で振り払うような素振りで反論を受けつけなかった。それでも納得のいかない亘は右京に接近するも額をぴしっと叩くようなモーションで牽制され、子犬のようにおとなしくなった。見事な原作再現だ。
すると、今まで表情をほとんど変えなかった伊崎がぶっ、と吹き出したように笑いながら、その場にうずくまった。
「す、す、すみま、せん……くっ、くっ、くっ――」
二人の息の合うような、合わないような芝居が難攻不落と思われた伊崎の腹筋を貫いた。
「そこまで笑うかなー」とため息をつく亘に伊崎は「ご、ごめ、んなさい――んふふふっ――」と腹筋を押さえていた。
それを確認し、杉下右京は学習机正面まで後ずさり、くるりと身体を翻しながらハンカチを指揮者のようにバサッと振った。
二十秒後、笑い終えた伊崎が立ち上がり、手早くハンカチを丸めてポケットにしまった右京が声をかける。
「伊崎さん、よくドラマの台詞を覚えていましたねえ。感心しましたよ」
「……たまたまです。面白かったからかな。そういうのは……結構、覚えられるんです」
「記憶力がよいのですねえ」
「……いえ、刑事さんほどでは。ドラマのワンシーンを、台本なしで丸々言える人なんて……初めて見ました」
「おや、そうですか。どうも、ありがとう」
「……」
伊崎は恥ずかしそうに頷いた。
「では、今日のところはこれで」
「……はい」
キリのよいところで二人が彼女の自宅を後にする。
駐車場まで歩く最中、亘が右京へ「よかったんですか? ネットカフェの件とか、書き込みとか色々、訊ねなくて」と不満を漏らすが、本人は笑顔で「ずいぶん、警戒されていたようでしたから、無理に訊ねても逆効果かと思いましてね。急いで追い詰めなくてもネットカフェの履歴や店員の証言、監視カメラ等から彼女の犯行は明らかにできます」と豪語した。
「そりゃあ、わかりますけど……」
どこか腑に落ちない。亘がヘソを曲げたように愚痴を零した。
そんな相棒をチラっと観察した右京は愉快げに中身が入ったビニール袋をカバンへと移すのであった。
田村正和さんのご冥福をお祈りいたします。