伊崎さゆかは学校でいつも浮いていた。実際に浮いていたというわけではなく、浮世離れした姿を誰もが気味悪がったという意味だ。おまけにアイドルオタクで新進気鋭のユニット、キンオブの大ファン。それもあって皆から避けられていた。
中学の頃、同じクラスになった宇佐見菫子も伊崎のことをちょっと引き気味に見ていたが、話してみれば悪い人間ではない、と知ってからは、そこそこ会話するようになった。それもあって中学二年生の間だけ孤独ではなくなっていた。学校が少しだけ楽しいと思えていた。
菫子にとっては大したことではなかったのだが、伊崎本人には大きなことだった。彼女は菫子に一方的な感謝の念を抱いていた。
しかしながら、一つだけ納得できないことがあった。それがサボっていても好成績を収めている点だ。伊崎は努力家だ。
勉強は怠らず、毎日サボらず勉強してようやく学年で一桁台に入れる。優秀な生徒であることに違いない。だが、菫子は努力している素振りを見せずとも成績順で一桁にランクインし、調子のよい時は学年一位をとってしまう。天才と呼ばれる部類の少女だったのだ。
伊崎は悔しかった。なぜ、努力している自分がまともに授業を聞かずオカルトを追いかけている女に負けるのだ、と。そうしているうちに抱く好意が憎しみへと変わり、冬季期末テストの結果で菫子と衝突し、髪の毛を侮辱され、二度と口を利かなくなった。
その後、彼女は孤独のまま中学を卒業――調布の進学校である西高見高校に姉のアパートに居候する形で通うことになる。姉は比較的、美人で社交性もある。伊崎の趣味に理解はできないが、あまり文句を言わず、見守っているところがあった。世間一般からすればよい姉だろう。そんな姉も彼女の孤独を理解してくれる人物ではなかった。
唯一、自分を理解してくれるのは押しのアイドルと背中まで伸びた髪の毛だけ。それだけが心の支えだった。故にバカにされるのは我慢ならなかったのだ。
菫子への怒りも忘れられずにいた高校一年の秋。校内で歩いていた伊崎は当時二年生だった後に自分が転落させる彼女とぶつかる。向こうの不注意だったが、彼女は伊崎のせいにして食ってかかった。
――どこみてんだよ、気をつけろよな!
――……すみません。
――チッ、腹が立つわー。この貞子が……今度ぶつかったら、てめぇのその髪の毛ごと、モップにしてロッカーへブチ込むからな!
――……。
――なんとか言えよ、バカ、カス。死ね!
そう言って、彼女はどこかへ去っていった。彼女の暴言はこれだけではなく、廊下ですれ違って目があった時など。背中越しで「髪長女、うぜーわ」「ダスキン野郎が」「中華ゲーのハーマイオニーかよ」といった暴言を間接的に繰り返していた。進学校に似つかわしくない生徒である。親の権力に教師陣が萎縮しているところもあるのだろう。
伊崎はストレスに耐える日々を過ごしていた。そんな人目を気にする伊崎は四階の自習室を出ても、校舎左側の階段をよく使っていた。ある日、忘れ物に気がついて、戻ってみると林が掲示板のところで呟いている姿を目撃した。
――ウィンパティオ―、ウィンパティオ―、ウィンパティオ―。
林の謎の行動に驚く伊崎だったが自宅へ戻り、その言葉の意味を検索したところ、連続殺人鬼村木茂雄の記事がヒットした。何か関係あるのか。疑問に思った彼女が検索を続けていると、村木の非常勤講師時代の経歴が載ったサイトが目に止まった。
そこで伊崎は村木がこの学校の非常勤講師だったことを知る。この学校には昔から怪談話があった。それを隠れ蓑にすれば上手くあの女に仕返しできるかもしれない。伊崎はその頭脳を復讐へ使用すると決めた。
手始めに林を尾行してウィンパティオ―の音声をスマホで録音して、自宅に持ち帰って音声ツールで加工――人外のように聞こえる怪奇音声に仕立て上げた。
それからワイヤレススピーカーを購入、予め持っていたクラス1対応型スマホで通信距離を測定すると二十メートルまで繋がった。
後はターゲットだけを狙って落とす方法だが、クラスの人気者と揉め、母親と喧嘩したターゲットは四階自習室で勉強する機会が増え、おまけに外へ向かうルートも左階段から降りるルートに変更した。一年の頃、伊崎は先生に頼まれ、四階掲示板の掃除を手伝ったことがあった。その際、先生から昔、掲示板について聞かされた。
昔、生徒がふざけて開けた穴らしいが、なんでも校長が掲示物で隠しておけば問題という理由で修理を拒んでいるとのことだった。伊崎が掲示板の穴を確認すると穴はまだ残っていた。その穴をさらに広げて、スピーカーをねじ込み、目的の人物が通るのを待った。
それが、彼女が呻き声を聞いて足を滑らせた日だった。
作戦は無事成功。伊崎は復讐を果たしたが、相手の怪我が想像以上だったので若干の罪悪感に苛まれるも周りがターゲットの不幸を喜んでいる節があり、自分の復讐は正当だったと己を肯定した。だが、ターゲットの父親は激怒し、早急に事実を調べろと校長へ圧力をかけた。
そこで呼ばれたのが、和製シャーロック・ホームズ杉下右京だった。
彼が学校へやってきた日、伊崎はITパスポートの対策講座を受けていた。そして、その日の昼。偶然、目撃してしまったのだ。かつて自分の髪を貶した学友、宇佐見菫子の姿を。
突然の出来事に困惑するも、彼女の中には怒りが渦巻いた。だが、心の片隅には仲直りしたいという気持ち存在していて、複雑な心境に至った。
いても立ってもいられない伊崎は菫子を尾行した。するとオカルト事件について林を始めとする先生がたに聞いて回っているではないか。相変わらずな女だ。吐き捨てるものの、彼女との思い出が蘇り、心が和らいだ。
土曜日の対策講座に出席した彼女は菫子が何の用事でこの学校に来ていたのだろうか、と考えた。
姉妹校の生徒だから、部活の親睦会か何か。思い返してみても行事的なものはなかったはずだ。じゃあ、ITパスポート対策講座か。いや、教室内を見渡してもどこにもいない。おかしい、まさか基本情報対策講座か。あれは難しい試験で有名だ。さすがの菫子も二年生では受けないはずだろう。部活か何かに違いない。そこを抜け出してオカルトを追いかけているのだ。そのように解釈した。しかし、事実は異なった。
昼休み、教室を抜けた伊崎がふと隣の基本情報対策講座が開かれている教室をみやった。そこにはあくびをする菫子の姿があった。
伊崎は大きく目を見開いた。まさか、ここでも差をつけられるとは、と。すると、仲直りしたい気持ちが憎悪へと一転。彼女への文句を言わねば気が済まなくなり昨日同様、菫子を尾行すると、そこは黒い影が目撃されるトイレだった。
トイレの写真を撮っている菫子を監視していると見知らぬ紳士が現れた。菫子はそれを「刑事さん」と親しげに呼んだ。刑事とは警察の刑事か。一瞬、戸惑うも警察が勝手に学校内に入ってくるわけもなく、転落事故も事件化されるような大事ではない。そもそも、あんなオシャレな服装の刑事なんているはずない。ドラマじゃないんだから。たぶん、苗字だろう。伊崎はごく当たり前の判断を下してしまった。
そうこうしている講座再開の時間がやってきた。自身も戻らねばならない。こっそりと踵を返そうとした。そこで菫子が言ったのだ。
『だけど、ぶっちゃけ基本情報って簡単だし……サボっても――』
自分が苦労して勉強しているのはITパスポートで基本情報よりも簡単に取れる資格だ。それを簡単だし、だと。ふざけるな――伊崎の怒りが爆発した。卒業してまで私を愚弄するのか、絶対に許せない。そして、先回りして教室に入る直前の彼女の姿を隠し撮る。
翌日、投稿前から殺人事件の報せを受け取り、動揺するも怒りが上回る伊崎は複数のネットカフェに出向いて裏掲示板に彼女の画像と情報を晒し、生徒たちを煽動したのだった。
晒した直後は最高にスッキリした気分だった。事件発生後とあってオカルト好きなあの女はきっと裏掲示板にも目を通すだろう。自分がネタにされて苦しむ気持ちを味わえ。伊崎もまたある種の無敵感に浸っていた。
だが、それも長くは続かない。休校で自宅にいた自分のところに男二人がやってきたのだ。一人はちょい悪オヤジ、一人は学校で見た眼鏡の紳士。モニター越しで確認した伊崎は腰が抜けるほど驚いた。まさか本物の刑事だったなんて、と。
居留守を使うことも可能だが、物音を立ててしまった。このアパートは物音が響く。ここで出なかったら、疑われる。意を決して伊崎が二人を招き入れた。
この時、彼女の頭はパニック寸前だったが、何とか誤魔化そうとした。しかしながら、刑事と名乗っていない相手に『刑事さん』と言ってしまうというミスを犯し、右京に菫子との会話を聞かれたことを悟られ、水面下で動かれてしまった。それ故、伊崎はただ五味の話を聞きにきただけだと思い込み、証拠隠滅を怠った。
すべては和製ホームズの掌の上――つまり、最初からゲームセットだったのである。
☆
犯行に至るまで経緯を洗いざらい告白した彼女は二人に向かって。
「刑事さんの言う通りです。私がスピーカーで音を流して彼女を転落させました。そして、宇佐見さんへの誹謗中傷の件も私の仕業です。ご迷惑をおかけしました」
ペコリと頭を下げた。
右京は一息吐いてから。
「あなたのやったことは決して小さなことではありません。ですがまだ、お若い。再スタートを切れるはずです。僕たちも君が不当な目に遭わないように尽力します。頑張りましょう」
「…………あ、ありがとう……ございます、ありがとうございます――」
冗談じゃ済まされないことをした自分を慰めてくれるばかりか、復帰できるようにサポートすると約束した眼鏡の紳士の情けに伊崎さゆかは涙を流して、礼を言い続けた。
それから、まもなく早番で帰宅した姉に事情を説明し、学校や被害者と面談する方針を固め、二人は伊崎のアパートを出た。姉と共に見送りする伊崎へ右京が質問した。
「あなたは音声を流したのは何回ですか?」
「……あの日だけです」
「わかりました。どうもありがとう」
その足で亘を引き連れた右京はそのままフィガロに乗り込み、運転席で考え込む。
「どうしたんですか? 事件は無事、解決しましたよね?」
小島の件も、伊崎の件も解決した。これで終わりのはずだ。亘はそう思っていたが、右京にとってはそうではない。
「生徒たちはここ二週間で四から五回の呻き声を聞いたそうです。しかし、伊崎さんは一度しか声を出してない。つまり……他の原因があるということになります」
「他の原因って……」
背筋をピンと伸ばす亘に右京がさも当然のように。
「幽霊や妖怪などの超常の存在の仕業」
「そ、そんなのあるわけないでしょ!! ふざけないでください! 大体、幽霊なんて非科学的存在――この世にあるわけありませんよ!」
全力でオカルトを否定する部下を上司が呆れ笑った。
「……君は変わらないですね。僕はしっかり感じましたよ。背中に刺さる黒い視線を」
「またまた、そんなこと。――っていうか、もしもですよ、仮に幽霊が見えたとして右京さんに逮捕できるんですか?」
「それは……やってみなければわかりませんが――無理でしょうねえ〜」
だから専門家に頼みましょうか。……癪ですが。
結論を出した右京は警視庁に戻った後、とある人物にメールで依頼を出すのであった。