満月が照らす深夜零時。静まり返った西高見高校屋上に黒い渦巻が発生する。
それは黒いモヤのようなモノを集め、徐々に球体を形勢していき、ボーリングの玉程度の大きさへと収束――やがて一つの黒い塊となって具現化した。
――キィィヒヒヒイッヒイヒッヒ!! ついに具現化できたぜぇぇ!! ここまでくるのに相当、時間かかったよなぁぁぁぁぁぁぁ!
エコーでも、かけられているかのような歪んだ声を発し、自らの具現化を喜んでいた。球体の周囲はグニャグニャと揺れ動き、まるで安定しない。邪悪な存在であることは明白だった。
――あの杉下右京とかいうヤツ。この俺にうすうす勘づいてやがったなぁ。厄介なヤツだが、所詮は人間。この俺を退治する力はねぇ。ふんっ、こっからは俺の時代よ! 人間どもに悪さしまくってこの日本における最凶の存在となってやるぜぇぇぇぇぇぇ!! ギャアッハハハハハハハハハハハハハハハハッハ!!!!
酷く醜い奇声をあげて高笑ったそれは、今回の事件よりも前に発生した悪霊だった。
実は悪魔崇拝者である村木茂雄は西高見高校で非常勤講師を務めている傍ら、悪魔召喚の儀式を当時、空き部屋だった四階音楽室で行おうとした。それが教員にバレて、一ヶ月というスピードでクビになっていたのだ。
その時、召喚したのがこの黒い球体の前身《動物霊》だった。召喚された動物霊は生徒たちに悪さを続け、それが西高見高校《学校の怪談》となって語り継がれるも力が弱く、人間を驚かすのが限界だった。
そこに宇佐見菫子が起こしたオカルトボール異変などの現象、林の怨念と自殺、五味の死が重なり、怪奇現象に怖れが集まった。その結果、動物霊の力が増し、今宵具現化に成功したのだ。
具現化といっても通常の人間には視認することもできない。それでいて、この存在は人間へ悪影響を及ぼす力を持っている。まさに現代の怪異だった。
人間では止めることすらできないこの怪物は思いつく限りの悪事を尽くすのだろう。本来なら彼の無双の物語が始まるに違いない。しかし、そんな日は永遠に訪れないのだ。なぜなら――。
――様子を見にきてみれば……案の定、具現化していたわね。雑魚が。
突如として屋上に巨大な夜が現れた。その中から、品の良いコートに身を包んだ金髪紫眼の美女が出現する。メリーだ。
球体は自らの姿を認知できる存在に大層、驚いた。
――女、俺の姿が見えるのか!?
「よーく見えるわ。怖れを吸った低俗な動物霊の姿がね」
――はぁ? 舐めやがってッ。死ねや!!
激昂した球体は自身の周囲に漂う邪気を吸収して一転に凝縮――メリーに向かって容赦なく放った。負のエネルギー弾は彼女に直撃。小規模の爆発を起こす。
――ハハッ、ざまーみろぉぉぉぉ!! 俺、特製の《悪意の塊弾》だぜ!! しばらく起き上がれないはずだ。その間に、てめぇの意識を乗っ取って近場で殺人事件でも起こしてやる。俺は今まで人の心を誘導してきたんだ。
この身体なら洗脳くらい簡単にできそうだぜ、ハッハァァーン♪ ……ん? いや、その前のあの女の裸を見てみるってもの悪くないな。美人そうだしぃぃぃ、グッフフーーン♪ ……彼氏とかいんのかな。いるなら彼氏を殺そうか。好きな男、殺して服役とかサイコーに愉快痛快ってヤツだねえええええええええええ、アハハハハハハハハハ、そうだ、そーーしよーーうぉぉぉぉぉ!! ヒャッホォォォイ!!
品性の欠片もない嗤い声が辺りに響く。勝ちを確信しているようだ。だとしたら残念だ。ヤツは何も知らない。自分が喧嘩売った相手が一体、どこの誰なのかと。
憑依すべく、身体を動かそうした瞬間、今まで感じたことない悪寒が球体を襲った。
――雑魚が調子に乗るんじゃないわよ。
直後、舞い上がった煙の中から先ほどの女性とは違う雰囲気をした別の女性が出てきた。
金色の長髪を束ね、ナイトキャップを被り、導師風の衣装を身に纏った、黄金に輝く満月のような妖艶さを漂わせる邪眼の持ち主。そう――。妖怪賢者、八雲紫である。
――な、なんだよ……、この威圧はッ!?
正体を現した紫の力はメリーの比ではない。圧倒的理不尽、その権化である。
幻想郷を代表する大妖怪に球体は気圧されながらも、再び黒い玉の発射態勢に入る。
――クソがぁ! きっと攻撃が外れたに違いねえ!! もう一発、喰らえや!!
二度目の攻撃が放たれ、紫へ目がけて真っ直ぐ飛んでいく。完璧に捉えた。球体は今度こそ、勝ちを確信する。が――。
――バチンッ!
デコピンで軽く弾かれた。
知的生命体の悪意を煮詰めてできたかのようなゲス野郎はようやく理解した。
力の差がありすぎる。自分では瞬殺される、と。そうなってからの球体は対応が早かった。
――い、いや、その、無礼を働き、誠に申し訳ありませんでした!! 何でもしますので、命だけはどうか勘弁して下さい!!
ネット民もびっくりな掌返しを披露した。
さすがの幻想賢者も呆れ顔になるしかない。
「……今までの威勢はどこにいったのかしら? 小物すぎる。面白そうなヤツだったらスカウトしようと思っていたんだけどねぇ。残念だわー」
――そんな待って下さい。私は生まれたばかりでして。
「そんなの私の知ったことじゃないわよ」
――お願いです。何でもしますから。
「いらない。どうせ隙を見て、ろくでもないことし始めるんだから。女の敵はノーセンキュー」
――そこを何とか。
「クドイ」
ゴミを見るような目つきで相手の要求を跳ね除けた紫は右掌を天高くかざした。手を中心にまばゆい光が生み出され、美しい弾幕が形成される。
それが放たれた時がゲス野郎の死刑執行合図だ。もはや交渉は不可能。球体は一目散に屋上から上空へ逃げ出した。
幻想賢者が愚か者へあの言葉を叩きつける。
「美しくも残酷に、この大地から往ね!!」
――ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!
キャストされた弾幕は球体の背中を追うように高速で飛翔し、数秒後に爆裂した。地面から二十メートル付近のところで爆発した花火はややくすんで見えた。
「これで、くたばったかしら? ――いや、まだね」
爆発に巻き込まれながらも身体の大部分を切り離し、球体は辛うじて存在を維持していた。
――まだだ、俺は……消えないッ! 逃げ……延びて、最凶に――なるんだ!
「しつこいわねー。その執念だけは買ってあげるけど、次で終わり――、ん……霊気?」
刹那、どこからともなく現れた飛翔物が球体の核を貫いて消滅させた。
空中で弧を描くように旋回したそれは人間の靴サイズの大きさで、下駄を思わせるような形をしており、コントロールされているかのように持ち主のところへ戻っていく。
紫が怪訝そうに眉を寄せていると。
――カラン、コロン、カ、ラ、コン。
暗闇の中で下駄の音がこだました。攻撃者の正体を察した紫は口元を綻ばせながら。
「まさか、
現代日本における、もっとも人気ある妖怪作品の主人公を連想しつつ、調布市の真上で光り輝く満天の星空を見上げるのだった。
☆
事件解決から二週間後、右京は菫子を調布の喫茶店に呼び出して調査結果を報告した。
「これが、あなたが誹謗中傷されるに至った理由です」
「うーん、そうだったんだ。伊崎さん、私のことずっと恨んでいたんだなぁ」
オレンジジュースをストローで吸いながら菫子は申し訳無さを滲ませた。
「私も何度か謝ろうと思ったんだけど、タイミングが合わなくて……」
「伊崎さんも同じく、君に謝ろうと思っていたそうですが、同じくタイミングがなかったそうです」
「あー、そうなんだ。なんか、複雑です……」
過ぎたことは考えてたってどうしようもない。どこか、ご都合主義的だった菫子も今回ばかりはさすがに反省しているようだった。ネットで晒されたことは許せないが、自分の行動が彼女の怒りを爆発させたのは事実だ。
「口は災いの元。今後は気をつけましょう」
「はい」
右京が紅茶を啜った。窓の外に映る灰色の空を眺めた菫子は呟くように言った。
「伊崎さん……これからどうなるんだろう?」
「学校に相談して被害者らと面談することになりました。相手側は相当、怒っていたようですが、彼女が伊崎さんに吐いた暴言の数々や学校での素行の悪さが教師側を通して、お父様の耳にも届き、物凄く叱られたそうです。その結果、今回は和解という形で決着したと、本人からメールを受け取りました」
「本当!? よかったぁ!」
菫子はそれを自分のことのように喜んだ。
「その様子だと、君も誹謗中傷の件を公にするつもりはないようですね」
「え……? あぁ、はい。私は掲示板から個人情報と中傷コメントが削除されれば、それでよかったんで」
以前の彼女なら事情を知っても「訴えてやる」と息巻いていたはずだ。相手を思いやる気持ちが芽生えたのは人として大きな成長である。幻想郷での出会いや今回の事件を通して彼女は変化したのだ。そこには少なからず、杉下右京の影響もあった。高校生相手にも敬語、事件解決まで丁寧な対応を取り、最後はこうして報告までしてくれる。所轄の警官ではありえない対応だ。
「それはよかった。これで伊崎さんとも仲直りできそうですね」
「でも連絡先、知らないし……」
右京はメールアドレスが記載されたメモを取り出して、菫子に渡した。
「本人から君へ渡すように頼まれました。気持ちが固まったら、連絡を取ってみるといい」
「ありがとうございます。何から何まで」
「それが警察官の仕事ですから」
笑顔で答える右京に菫子は「この人、やっぱカッケー」と目をキラキラさせた。やはり、噂は本当だった。菫子は自身が右京について検索した内容を話す。
「あ、そういえば、刑事さんって〝和製シャーロック・ホームズ〟って言われているんですよね? 検索したら都民ジャーナルっていう記事に載ってました」
「おやおや、昔のことですよ」
謙遜する右京に菫子が詰め寄る。
「やっぱり、事件とか解決したりするんですか!?」
「警察をやっていれば多少は事件捜査に携わりますから」
「じゃあ、やっぱり色々、解決しているんだ……だから今回もスピード解決したんだ。スゲー!」
「ふふっ、僕だけが動いたわけじゃありませんので、誤解なさらぬように」
子供に羨望の眼差しを向けられるのは悪い気がしない。こういうところも警察をやっていてよかったと右京が思えるポイントである。彼が満更でもないような態度を取っていると、斜め後方の席からクスクスと笑い声が聞こえた。
音の出どころを目で追ってみると、室内でありながら帽子を深く被っている金髪の女性の姿があった。すかさず、右京がスマホを取り出し「せっかくです、こちらで一緒にお話ししませんか?」とメールを打って送信する。
十秒後、女性の席に置かれたスマホが振動する。内容を確認した女性は咳き込みながら顔をそらし、右京が「意外と脇が甘いようだ」と静かに笑った。
それから一時間ほど、菫子とオカルト話を中心に雑談した右京は彼女を車で調布駅まで送っていった。その帰り道、メールを確認すると先ほどの人物から返信があった。
――今度は私にも何かご馳走して下さいね。和製シャーロック・ホームズさん。
相手はメリーだった。彼女は杉下右京にとって天敵といえる存在だが、敵対関係にも関わらず、彼の依頼を引き受けたりする腹の底の読めない女性でもある。
こうして菫子を含めた三人の奇妙な関係はこれからも続いていく。
その先に待っているのは希望か、もしくは絶望か。それは誰にもわからない。
しかし、これだけは断言できる。日本のホームズは決して諦めない、と。
相棒〜杉下右京の幻想怪奇録〜
Season 5 学校の怪談 〜完〜
相棒シリーズはこの回で一旦、最終回を迎えます。
今までお付き合い頂き、感謝です^^>
次回作でお会いしましょう。ではでは!