色々、考慮した結果、新章は以前、削除したSeason 6 〜善悪の彼岸〜 のダイジェスト版からのスタートとなりました。
物語を続ける以上、どうしても必要なプロットでしたので、このような形となりました。
困惑なさる方もいらっしゃるかもしれませんが、ご理解のほう、よろしくお願いします。
第170話 善悪の彼岸 追憶
二○二○年三月中旬。曇天に覆われる正午過ぎ。
つい先日、映像技術のエキスパートである大学准教授が引き起こした事件の捜査を終えて、暇に戻った特命係の課長杉下右京が、いつもの小部屋にて、ひとり考えにふけっていた。
その手には、
「南井さん……」
目を閉じれば、この前の出来事が鮮明に蘇る。
――認知件数だけで年間十一万か。毎年、およそ百人に一人は何かしらの罪を犯すというわけだ。ロンドンがソドムなら東京はゴモラだな。
約一ヶ月前の二月中旬。幻想郷テロの首謀者と目される南井十が突如として来日。単身、特命係の小部屋に現れる。
いきなりの登場に戸惑う右京と相棒の冠城亘だったが、かつてのやり取りを総合して、南井が自分たちとの決着をつけたがっていると考えた。ふたりは、今まで集めた情報を駆使して可能な限りの揺さぶりをかける。
過去、南井が日本で関与したと思われるふたつの事件があった。ひとつは
西田真人は二年前、南井の来日に合わせ、ダークウェブを利用して連続殺人事件を引き起こした殺人鬼だ。殺した少女の遺体の動画を同サイト内にアップするなど常軌を逸しており、自らの父親すらも凡人と評価を下して殺害する、人の心がわからない悲しき殺人鬼であった。
殺人鬼西田は、自分をわかってくれる存在を探していた。そして、逮捕直前、右京に『初めて自分をさらけ出せる人に出会いました。肯定してもらえたんです。ずっと自分は異常だと思っていた。でも、そうじゃない。死はただの現象で、僕はそれをあるがままに捉えられる人間だと気づいた』と語り、護送中に立ち寄ったトイレで服毒自殺を図って、この世を去った。
立入章も、南井に利用されているとわかっていながら、心を許せる間柄だった。彼は、一年前に来日した際、南井の指示に従い、犯罪者とそれに該当すると思われる計三人をナイフで刺殺した。
最後は、右京と亘に追い詰められ、自白に追い込まれるも、予め飲んでいた遅効性の毒で倒れる。
朦朧とする意識の中、立入は『僕にとってこの世界にいるのは、僕と僕以外の人間の二種類にしか見えなかった。その代わり、ずっと一人で生きてきた。でもね、そんなとき、出会ったんです。彼に……。初めて理解されたと感じた。永らく一人だった世界に、友人ができたんだ。唯一無二のね。今の彼はもう――〝善悪の彼岸〟にいる』と告げ、この世を去った。
いずれも南井が関与したとする証拠がなく、逮捕できなかった。
そして、忘れてはならない。日本であって日本でない場所にあるとされる妖怪の国、幻想郷の人里で惨劇を繰り広げた
こちらのケースも、数日前に幻想入りした謎の外来人の情報と宇佐見菫子から情報を聞き出したアカウント名を照らし合わせ、南井十を黒幕と断定するも、証拠という壁に阻まれて取り逃してしまう。
右京は、メリーに黒幕の正体が明るみとなることを恐れ、宗次郎についての言及は匂わせる程度に済ませて、ほか二人は名前と生い立ち、死亡する直前の心理状況まで説明して、南井自身が関与しているとする推理を披露した。
しかし、決定的証拠を提示できず、南井の反論を許してしまう。
――お前の推理が正しいとする証拠は?
――……。
――まずはそれを持ってこい!!
激昂した南井は、そのままタクシーで都会の中へ紛れていった。
タクシーのナンバーを控えていたふたりは彼が宿泊するホテルへ向かい、店員に南井について尋ねるも、南井の姿を見ていなかった。別行動を取る右京に代わり、ホテルで南井を待つ亘の前に、ひとりの美女が現れた。彼女が身に着けるスカーフに見覚えがあった亘が、偶然を装って話しかけると、彼女はマリア・モースタンと名乗った。
マリアと南井に何らかの接点があると、勘繰った亘の機転によって、彼女が南井の関係者として浮上するも、次なる殺人事件が発生する。
ふたり目の死体には、もみ合った痕跡こそあれど、犯人を示す直接的な証拠はでなかった。
鑑識に渡った証拠映像に違和感を覚えた右京が吉川線(殺人事件の被害者の首に見られる引っかき傷の痕)を発見。凶器をスカーフだと目星をつける。
同じタイミングで、入管管理局から取り寄せた搭乗記録に目を通すと、南井とマリアが同便に乗っていたことが記載されていた。ふたりは、マリアから真相を聞き出しに向かう。
亘が代表してホテル近くの公園にマリアを呼び出して捲し立てるように問い質した。
――来日したあなたは、まず原宿で一人をネクタイを使って殺害。その翌日、日暮里で二人目をスカーフで殺害した。
――南井十に指示されていたんですね。ネクタイは被害者の血がついたから、クリーニングに出した。スカーフを渡さないのも、証拠として押さえられたくないから、形見なんて嘘をついた。
――あのネクタイ、南井のものですよね? 青酸カプセルは持たされているんですか? 南井に使われていた殺人犯たちは皆、最後はそれで自殺させられてきた。あなたにとって南井は唯一の存在かもしれない。けど、あなたはたくさん代わりがいる一人にしかすぎないんです。あなたは利用されているんです。
亘の波状攻撃にショックを受けたのか、マリアは回答を突っぱねて、その場を離れた。
そのとき、彼女の靴に付着していた植物から彼女が犯行に関与していないと証明されるのだが、マリアはチャットを使って亘に遺言のようなものを残し、ホテルの一室で作業している南井に紅茶を差し出して服毒自殺を図り、この世を去る。
死の直前、マリアは最後の力を振り絞って遺言を残す。
――いつもあなたが心配だった。何かしでかしたんじゃないかって。でも真実はもっと恐ろしいことだった。今のあなたは私の知っているあなたじゃない。こうするしかなかった――せめて一緒に……。
――わたしは聖母じゃありません。同じマリアでも……罪深いマグダラのマリアです。
これは、南井十の真実に気がついてしまい、彼の罪を共に償うための行為だったのだが、南井本人には届かなった。
ホテルに駆けつけた右京たちは、マリアが南井のかつての相棒、カワエの一人娘だと知る。
マリアの父、カワエは事件捜査中に犯人に後頭部を殴打されたことがきっかけで首吊り自殺していた。
その日の夜、南井は巡回中の警察官から拳銃を奪い取って殺害。三人目の犠牲者をだした。
犯罪学を熟知する南井の手口は実に巧妙で、監視カメラの死角などを選び、一切の証拠を残さず殺人を成功させていく。
右京は、かつて南井とロンドンで捜査した未解決事件である逆五芒星事件とマリアの父、カワエがその事件の捜査中、犯人に後頭部を殴打され、記憶障害を患い、最終的に首吊り自殺していた事実を思い出す。
これにより南井が東京で自身の相棒が犠牲となった事件の再現を目論んでいるとの仮説が浮上。右京は激しく憤った。
続く四人目の殺人も防げず、南井を追い続ける右京たちだったが、逆五芒星事件最後の犠牲者が南井の元相棒だったことから亘が、南井が最後に狙う相手は共同捜査の相手である右京ではないかと察して、強く警告する。
しかし、和製ホームズはそれを知った上で南井と対峙する道を選び、相棒を特命部屋に残して、ひとり東京中を探し回る。
無理やり遠ざけられ、納得のいかない亘。そこへ南井から電話がかかってくる。着信に応じた亘は啖呵を切ってから彼が待っているであろう場所に急行――南井と遭遇した亘が真実を聞き出すべく詰め寄るも、異常な態度をみせる南井に返り討ちにあって倒れてしまう。
沈みゆく意識の中、亘は相手から見るように手渡されていた手帳をがっちりと胸に抱え込んで離さず、それが救援に駆けつけた右京へ渡った。
緊急治療室に運ばれた亘を見守る傍ら、手帳に目を通したことで和製ホームズはリアルモリアーティが起こした一連の行動の意味をすべて理解――真相へとたどり着く。
南井はロンドンで起きた逆五芒星事件の犯人を追ってここ日本を訪れていた。彼にとってこの事件は相棒カワエを失うきっかけを作った事件であって、本事件の解決は南井の悲願であった。
ところが、この事件は数年前に犯人自殺で幕を閉じた事件だった。しかも、犯人を自殺に見せかけて毒殺したのは、何を隠そう南井である。それにも関わらず、南井本人は事件が解決していないと考え、日本で捜査しているつもりでいたのだ。
実は、南井は記憶障害をわずらっていたのだ。本人はそれに気づかず、犯人を追った。それだけならまだしも彼は、自らの手で被害者に似た人間を殺害して事件を再現するという常軌を逸した行動を取っていたのだ。
記憶障害を察していたマリアが南井に同行したのは、父の代わりに自分の世話をしてくれた恩人を見守るためであった。
何事もなければ。そんな心優しき彼女に突きつけられたのは、記憶を失いながら、無意識に人を殺し続ける、悲しき殺人鬼と成り果てた恩人の姿。
亘から聞かされた以上の堕ちた姿に絶望した彼女は、南井のかばんから毒薬と思しき薬を取り出し、南井と自身の紅茶に混ぜて共に自殺を図ろうとしたのだ。結果的に紅茶を飲まなかった南井だけが生き残ってしまい、彼女の覚悟は無駄になってしまったが。
なぜ、そのようなことをしたのか。最後に対峙したビルの屋上で右京は理由を探っていた。
記憶がひどく欠落していた南井だったが、右京から『あなたにとって、一番大切な記憶はカワエさんだったのでしょうか』と問われた際『最近、物忘れが酷くてな。色々なことが思い出せなくなるんだよ。だが、忘れようにも忘れられないこともあるんだぞ』『お前だよ、右京! あの時のお前の、観察力、推理力、勇気、正義、すべてが素晴らしかった! まるで子供の頃、憧れたシャーロック・ホームズのようだったぞ、ははっ』『眩しいほどだったよ。その光を浴びれば浴びるほど。自分の中の影を意識したよ』と続けた。
自身と行ったロンドンでの共同捜査を楽しげに語り聞かせる姿を目の当たりにした右京は、今回の惨劇は南井があのときの共同捜査が忘れられず、幻影の中の自分を追いかけた結果なのだと解釈する。このとき、すでに南井の頭から元相棒やその愛娘と過ごした記憶は消え去っていた。
犯罪者という怪物を追う、もしくは暗い過去を払拭するために、自らも怪物と成り果て、最後はひとりで彼岸へ渡ってしまった。なんと悲しき男なのだろうか。きっと、自分はこの人間を忘れないだろう。
右京は南井を優しく抱きしめてから警察に引き渡す。
それから数日後、南井十がこつぜんと病院から姿を消す。さらに数日後、病院近くにあった切り立った崖から南井の血痕が発見され、真下に広がる滝壺に転落したと結論づけられて捜査は打ち切られた。現場を見た右京もその見解に納得するしかなかった。
そんな右京の前に八雲紫の表の姿であるメリーがやってきて、黒幕の捜査中止を要請する。
誰よりも幻想郷を愛する彼女の不可解な発言に和製ホームズは、この女が黒幕候補だった南井を始末したのでは? とする疑惑をかける。だが、問い詰めようにも証拠がなく、表の世界でも妖怪の力を行使できるメリーから情報を聞き出すことは不可能だった。
一体、どこで気づかれたのか。いくら彼女が特命係を探っていたとはいえ、右京と尊は水面下で動いており、南井につながる直接的な情報は得られないはずだった。しかしながら、彼女が南井十失踪から間を置かずに捜査中止を申し出たことをみるに、南井が黒幕となにかしらの関係があると、目星をつけたのは事実だろう。
どのような方法を使って警察病院にいる南井に面会したのか、なぜ彼は崖から転落しなければならなかったのか。すべてが謎に包まれたまま、事件は終わりを告げる。
これが、南井十による東京連続殺人事件の概要である。この出来事は〝正義の敗北〟として杉下右京の心の奥底に深く刻み込まれた。
現相棒の亘が心配するも、大丈夫の一点張りで真実を打ち明けられず、今に至っている。
ブラインドの隙間から覗かせる灰色の雲はまるで右京の心情を映しているかのようだった。
そっと息を吐いて、愛用のティーカップに入った紅茶を啜る。乾いた喉は癒えても傷ついた心は癒えない。
そんなときだ。後ろに人の気配がして振り向くと、細目の優男がニッコリ微笑んでいた。
「お久しぶりです」
神戸尊だった。
「冠城さんから聞きましたけど、ここのところあまり元気がないそうですね」
「……ええ。君に伝えた通り、色々ありましてね」
視線を下げたまま答える右京。
尊はあえてそこには触れず「せっかくです。食事なんて如何です? ここからそう離れていない場所にオススメの中華飯店があるんですが」と誘った。
断る理由を見つけられなかった右京は、少し間を開けてからその申し出を受け、元部下に連れられる形で特命部屋を出ていった。